鰯売恋曳網 ほのぼのしたお伽話 2005.3.22 | ||||||||||||||||
12日、歌舞伎座夜の部を見てきました。
「鰯売恋曳網」(いわしうりこいのひきあみ)のあらすじ 心配したなあみだぶつが訳を尋ねると、実はある上臈を見染め、恋の病におちたのだという。よく話を聞くと、それは上臈ではなく都で人気が高い遊女・蛍火だった。 しかし蛍火は位の高い遊女なので、とても鰯売りなどには相手にしてもらえそうもない。なあみだぶつは一計を案じ、猿源氏を大名・宇都宮弾正に化けさせることにする。立派な馬を持つ博労の六郎左衛門を家老にしたて、一行は蛍火のところへと向かう。 五條東洞院の場 猿源氏は首尾よく蛍火に会うことができ有頂天。そこで酒宴がはじまるが、初めての客は何か座興をするのがこの家の定法だという。 軍物語をと所望され狼狽した猿源氏だが、鯛や平目など魚ばかりが登場する珍妙な話をでっちあげてなんとかその場をしのぐ。 やがて酔って蛍火の膝を枕に寝入った猿源氏は、寝言で「伊勢国に阿漕ヶ浦の猿源氏が鰯かうえい」と鰯売りの口上を呟く。蛍火は急いで猿源氏を起こして、「もしやそなたは鰯売りではないか」と尋ねる。しかし猿源氏は和歌にこじつけてごまかす。 ところがそれを聞いて蛍火が泣き出してしまうので、猿源氏が訳を尋ねると、実は蛍火は紀伊国・丹鶴城(たんかくじょう)の姫で、ある日鰯売りの声に魅せられて、城を抜け出し後を追ったが、悪者につかまって廓に売られたのだという。 これを聞いた猿源氏は、自分こそその鰯売りだと素性を明かす。すぐには信じられない蛍火だったが、現れたなあみだぶつたちから、猿源氏が本物の鰯売りだと聞いてようやく納得する。 そこへ庭男に身をやつして姫の行方を捜していた家臣の次郎太が、蛍火に城へ帰ることを薦める。蛍火は次郎太から支度金をもらうと、亭主に身請けの金として200両、博労の六郎左衛門に馬の代金として50両渡し、その馬を次郎太へ与える。 そして自らは城へは帰らずこのまま鰯売りの女房になると宣言する。一同が驚く中、猿源氏と蛍火は幸せ一杯、手を取り合って鰯売りの呼び声をあげながら立ち去っていくのだった。 三島由紀夫作「鰯売恋曳網」は、蛍火の歌右衛門のために書かれ、先代勘三郎の猿源氏で1954年に初演されて、大評判をとった作品です。大筋はお伽草子の「猿源氏草子」からとられています。 新勘三郎は昭和48年以降上演が途絶えていたこの作品を「勘九郎の会」で、初演当時の資料が何もないまま蛍火の玉三郎と相談し合って上演しましたが、後で当時のフィルムが出てきたのを見たら先代も同じことをしていたというエピソードがあります。 新歌舞伎でありながら義太夫を使用したこの狂言はほのぼのとした楽しい雰囲気の小品ですが、どこか折り目正しいものを感じさせる作品です。 蛍火の玉三郎、なあみだぶつの左團次、博労の弥十郎、亭主の段四郎他の役者たちは品格を崩さずに演じ、だからこそ勘三郎はいかにも楽しげに持ち味を十二分に発揮できるのだと思いました。 勘三郎の魚尽くしの軍物語での身のこなしの柔らかさがとても上手いなと思いました。この役を演じる役者として、現在勘三郎ほどぴったりな役者は考えられません。 戦物語を所望された猿源氏が竹本の太夫に「なんとかして」と目顔で頼むと、太夫が「あっかんべー」をして断る場面がありますが、この演出などが「砥辰の討たれ」における清太夫の大活躍に発展したのかなと想像します。 最後に幕外の引っ込みで、玉三郎が「十八代目襲名を本当に嬉しくおもっています。これからも勘三郎さんをよろしくご贔屓に。」と客席に向かって挨拶し、和気藹々とした雰囲気のうちに終りました。 夜の部の幕開きは重厚な時代物の義太夫狂言「近江源氏先陣館」の八段目、「盛綱陣屋」でした。新勘三郎は盛綱役を、やはり「勘九郎の会」で一度だけつとめたことがありますが本公演では初めてです。 この類の役をあまり手がけていない勘三郎、特に首実検がどうなることかと思っていました。 しかし首実検はまさに息を呑むような演技で、観客は咳一つせず、勘三郎の演技に完全に見入っていました。勘三郎は首を目にしてから苦笑いまでの間、息を詰めていたのではないかと思います。この辺の集中力はさすがだと感じました。 ところで先代勘三郎は死首の汚れを紙で拭く時、この首を本物と信じて無念さと悲しみの情を表していましたが、当代はまだどちらかわからないという表情で、微妙に解釈の違いがあるのかなと思います。 盛綱が死首の左耳に小柄を差し込みますが、これを持って首を回すためだろうと思うのに、先代もそうでしたが結局盆そのものをぐるぐると回してしまうのは不可解です。 最後に、もはや目の見えなくなった瀕死の小四郎が「叔父様」と呼びかけるのに対して、盛綱が無言で扇子で二度膝をたたくだけということろは、少々冷たい感じがしました。 微妙の芝翫には、武家の老女の存在感がありました。が刀を抜いて小四郎を切ろうとする微妙の後ろへ小四郎が隠れたりするところで、客席から笑いが起こったのにはがっかりしました。 子供に要求するのは無理なのかもしれませんが、「自分の使命を果たすためには、なんとしてもここで殺されるわけにはいかないのだ」という必死な気持ちが足りないせいかなと思います。微妙に見とがめられた小四郎が「わなわな」震えるところで膝をワナワナさせる演技も、不必要な笑いを引き起こす原因になるので、ここは肩を震わせるだけでいいのにと思いました。 可笑しいのは伊吹藤太だけで充分で、変なところで笑いがおこらないように考えていただきたいです。 中幕は仁左衛門の「保名」。仁左衛門の保名は気が狂った人というより、恋人が亡くなって悲嘆にくれたあげく、その幻を見てしまう人という風に見えましたが、その姿は美しくて、春の空気が舞台から流れてくるようでした。 |
||||||||||||||||
この日の大向こう | ||||||||||||||||
最初の「盛綱陣屋」の時は大向こうの会の方も5人ほどいらっしゃいましたが、その後は半分お帰りになったそうです。 だいたい順当に声がかかり、特に変わった声も聞こえませんでしたが、ただ「盛綱陣屋」にやけに明るい声で「中村屋」と何度か掛かったのは、深刻な芝居の雰囲気に合わない声だなと感じました。 首実検に取り掛かろうと中央に進み出る勘三郎さんに「十八代目」と2〜3人お掛けになりました。「がんばれ!」というエールなんだろうかと思いましたが、ドラマは首実験の後急展開するわけで、「十八代目」はもう少し後にとっておいたほうが良いのではとおもいました。 「盛綱陣屋」での声の掛け所は、高綱が討たれたと聞いた盛綱が「南無三宝、死なしたり」と叫んだ後、三段に刀をつくところと、もう一つは首実験の最中で、全てが高綱親子の計略なのだと悟って笑う瞬間ということです。 |
壁紙&ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」