傾城阿波の鳴門 子役の重要性 2005.2.14 | ||||||||||
10日、日本橋劇場へ歌舞伎フォーラム公演を見に行きました。
「傾城阿波の鳴門」―「どんどろ大師門前の場」のあらすじ そこへ幼い巡礼の子が訪ねてくる。可愛らしい様子に妙天と妙珍のふたりが話かけると、その子はお鶴と名乗り、父の名は阿波の十郎兵衛、母の名はお弓、3歳の時に両親と生別れて祖母に預けられたが、両親に会いたい一心で、たったひとり巡礼の旅をしていると話す。 その話を聞いて、お弓はお鶴こそ生き別れたわが子だと気づくが、罪人の身(主家の重宝・国次の刀探索のために心ならずも十郎兵衛は盗賊の仲間になっている)では名乗ることはできないと考え、気丈にもそのことを隠す。 しかし親としてわが子はやはり気がかりなので、二人の尼には先へお参りに行かせて、お鶴に祖母の元へ帰るようにと言い聞かす。だがただならないその様子から、お弓が実の母だと気がついたお鶴は、なんでもするからそばにおいて欲しいと泣きながら訴える。 お弓はお鶴をだきしめてやるが、やはり母とは名のれない。涙ながらにせめてもと宿代をもたせてやって、帰すが、しばらくすると耐え切れなくなり、お鶴の後を追って行くのだった。 近松半二ら五名による合作人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」は1767年初演。歌舞伎では1790年に十郎兵衛を坂田半五郎、お弓を小佐川常世が初めて演じたと言われています。 原作ではこの場は「十郎兵衛の内」ですが、歌舞伎では見た目を明るくということで、今日では「どんどろ大師門前」で上演されることが多いそうです。(筋書きより)「どんどろ」とは弘法大師への信仰が篤かった大阪城代・土井殿がなまったものだそうです。 今回お鶴役の子役は公募によって3人が選ばれたのだそうですが、この日お鶴を演じた坂本香奈は沢山ある科白にもかかわらず、最後まで調子が下がらず、また間もとても良かったです。 このお芝居を初めて見ましたが、子役の科白が大人の役者と同じくらいの分量と重要性を持っているので、子役が良くなくてはこのお芝居は成立しません。 「重の井子別れ」の三吉と同じ位重要な役で、その上お鶴は女の子役。というわけで、このお芝居は近頃あまり上演されないのかなと思います。 しかし母親お弓を演じた京妙は、師匠の雀右衛門に似てしっとりときめ細やかに、困窮しているわが子に親だと名乗ることができない母親の悲しみを演じていました。 妙珍、妙天を演じた國矢と梅之もあっさりはしているものの軽妙なおかしみを嫌味なく表現していました。妙天と妙珍は開いた傘を車のように、人力車に見立てて花道を引っ込んでいきましたが、人形浄瑠璃の場合はこれはお弓がお鶴を追って行ったあとに出て、お客さんを笑わせて終るそうです。歌舞伎ではお弓の悲痛な引っ込みで幕切れになりました。 今回の公演では最初に「女形が出来るまで」といって、左字郎が禿の着付けを見せ、次にお客さんから一人募って芸者の衣装をきせるデモンストレーションを行い、それから左字郎が「羽の禿」の一部を踊りました。 最後に舞踊劇「棒しばり」で國矢の次郎冠者、左字郎の太郎冠者、梅之の大名某。國矢の踊りの上手さが光りましたが、左字郎も声の良い立役で踊りもしっかりしていました。梅之はひょうきんなところが独特な持ち味です。 |
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この日の大向こう | ||||||||||
この日は歌舞伎研究会の仲間と一緒に観劇しました。2〜3人の方が声をかけられ、会の方もお一人みえていました。 お鶴の坂本香奈さんには「香奈ちゃん、上出来!」とうちの師匠から声が掛かりましたが、そういう声が掛かっても全く動揺しなかったのには、感心しました。 「棒しばり」では次郎冠者の踊りの前に「まってました」と声がかかりました。私も禿の出とお弓の引っ込みの二箇所に声を掛けましたが、もっとお腹に力を入れて大きな声で掛けるようにとご指導を受けました。(^^ゞ |
壁紙:「まなざしの工房」 ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」