野崎村 両花道が作る空間 2005.2.9 | ||||||||||||||
5日に歌舞伎座夜の部へ行って来ました。
「野崎村」のあらすじ 久作はこれを機会に久松とお光を祝言させようと言い出し、久松もお染のことを想いながらも身分違いの恋をあきらめお光と一緒になることを承知する。 親孝行で働き者と在所でも評判の娘・お光は、幼いときから一緒に育ち、想いをよせていた久松と祝言をあげることが決まり、うきうきと髪を直したり、大根をきざんでなますを作ったりしている。 そこへお染が野崎まいりにかこつけて久松を訪ねてくる。お光はお染の姿を見るなり、嫉妬に心穏やかではいられずこれを追い返そうとする。 そうこうするところ久作が奥から現れ、久松に肩をもませ、お光には灸をすえさせていると、お染が久松に気づいてもらおうと外から物を投げ入れる。 気もそぞろになった久松を、お光はなじる。ようやくお染が来ていることに気がついた久作はお光を連れて奥へ入る。 お染は久松に、野崎参りと言いつくろって久松を訪ねてきたことをせつせつと訴えるが、久松はお染に親が薦める縁談先・山家屋へ嫁に行くようにと諭す。しかしお染は久松とそえないならばと、自害しようとするので、とうとう久松もお染と一緒に死のうと心を決める。 すると奥から久作が出てきて「久松は武士の息子だったが、あることからお家断絶となり、妹が久松の乳母だった縁で、自分が久松を引き取ることになった」と話し、お夏清十郎の歌祭文を引き合いに出して懸命に二人に意見する。 二人はそれを聞いて何も言えず、別れることにする。喜んだ久作は早速久松をお光と祝言させようと、お光を呼ぶ。久作がお光の綿帽子を取ってみると、なんとお光は髪を切って尼になっていた。 お染と久松のふたりが死ぬ決意だと悟ったお光は、身をひき尼になったと語る。久作はそこまで自分が思い至らなかったと詫びる。そこへお染の母お常が姿を見せ、久作とお光の心遣いに感謝し、病人への見舞金を手渡す。それは久松が紛失した金を久作がたてかえたものだった。 お常は久松が店に戻ることを許し、けじめをつけるためにと自分とお染は船で、久松は駕籠に乗って大阪に帰っていく。土手で見送るお光は、二人の姿が見えなくなると父親の胸にとりすがって泣きじゃくるのだった。
「野崎村」は1780年初演の近松半二作の人形浄瑠璃「新版歌祭文」(しんぱんうたざいもん)の上の巻第二場にあたりますが、歌舞伎化された年は不明です。 人間国宝が勢ぞろいした今回の舞台でしたが、それぞれの役者の味が重なって面白い舞台でした。芝翫のお光は最初の出の時はしっかりもので美しい娘というよりはおちゃっぴーと言う感じをうけました。大根をきざんだり、指を切ったり、紙を折ったもので眉毛を隠してみて人妻になったときのことを想像してみたりといそがしい役で、お染が来てからは二重にあがったり降りたりで、ますます大変そうでした。 このあたり竹本の三味線でお光は動くわけですが、いつもは気にならない三味線の正一郎のうなり声がお光の独り言の科白がよく聞こえなかったために、大変気になりました。 お染がみやげがわりにと差し出した箱を、お光が「こんなものいらない」と一つ一つ中身を投げ返し、最後に箱を投げるというのははじめてみました。 久松はほとんど科白が無い役で風情だけが勝負のようなものですが、鴈治郎はなかなか前髪姿が似合っていました。お染の雀右衛門は恋に一途な大店のお嬢さんらしくおとなしやかだけれど、ひたむきな情熱が感じられました。田之助のお常、吉之丞のおよしもいかにもそういう人物がいそうな存在感がありました。 富十郎の久作は前半の「頭に三里があるかいやい」のところなど、はっきりとした口跡と明朗さがぴったりで、この物語りの輪郭をはっきりとさせていました。自分の考えがいたらなかったばかりにお光を若い身で尼にしてしまったと悔やむところにも娘を思哀れに思う気持ちがあふれていました。 ところでこの芝居は文楽にはよくありますが、大切な場面にはほとんど動きがなく、動き始めると驚くような展開を見せるお芝居です。大詰めで舞台が廻ると、居所替りで久作の家の裏手の川の土手になり、今月設置されている仮花道が久松が駕籠で行く土手ぞいの道、本花道がお常とお染が行く川となるのは、なんともいえず魅力的です。 駕籠をかつぐ駕籠かきが竹本に合わせて右足を出したり引いたりしながら進んでいく様子を見せ、しばらくすると、立ち止まって着物を脱いでしまい、(肉襦袢に)褌姿になり手拭で汗をぬぐったりするしぐさもおおらかで愉快です。再び駕籠が動き出した時に、二人の駕籠かきの足が揃わなかったのは惜しかったです。 船はやや大きいので花道に入るまでがちょっと難儀でした。同じ半二作の「吉野川」で両花道が不可欠なのと同様、この芝居でも両花道があることで得られる芝居空間の広がりは片方だけの時とは比べ物になりません。そこには本当に野草の生えた土手が見えるような気さえします。「野崎村」で仮花道が見られることは滅多にないと思いますので、観られて本当に良かったと思います。 そのほかは森鴎外原作、宇野信夫脚色の新歌舞伎「ぢいさんばあさん」。これは新婚の夫婦が思いがけない事件がもとで37年と言う長い年月、会うことができなくなったすえ、すっかり年をとったけれど昔と同じ愛情を持ち続けて再会するという、とても判りやすいお芝居です。 仁左衛門の伊織、菊五郎のるんと同じ顔合わせで南座で観たことがありますが、今回はさらにしっくりしていたように思います。菊五郎は女形をやる時に声のかすれが気になりますが、今月はなめらかで安心して聞いていられました。 仁左衛門の伊織は京都へ行く前からもう桜の木に顔を伏せて泣いてしまっていて、あらあらと思いました。伊織は短気なところもある人物ということですが、仁左衛門の場合はとても温和な人物に見えてしまうので、飲めないお酒を飲んだにしてもいきなり下嶋を切ってしまうのはちょっと理解できません。 仁左衛門の伊織は、年寄りになってから37年ぶりの我家に帰って「わしの家、わしの桜だ」とさわって歩くところで嬉しさがひしひしと伝わってきて共感をよびました。 るんが子供を死なせてしまったことを伊織に詫びる場面では周り中から鼻をすする音が聞こえていました。明るい気分で終るところも気持ちの良いお芝居です。 最後が仁左衛門と孝太郎の「二人椀久」。幻想的な舞台に仁左衛門の椀久は美しく映えます。同じ物狂いの保名よりもこちらの方の雰囲気があっているように思います。孝太郎の傾城松山も健闘していました。 |
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この日の大向こう | ||||||||||||||
週末のこの日はたくさんの方が声を掛けられ、会の方も5人見えていたそうです。 「野崎村」で両花道に船と駕籠が進もうという時、竹本に「まってました」と声が掛かり、お光が「ととさん」と泣き崩れるところで「成駒屋」とこの日一番たくさんの声が掛かりました。 「二人椀久」にはほとんどの大向うさんが帰られたようで、お一人の方がいいところで掛けていらっしゃいました。早間になるところで「御両人」と言う声が掛かりました。 |
壁紙:「まなざしの工房」 ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」