掛け声の種類 その弐
4.場に即した掛け声

お芝居の場面によっては変わった掛け声が掛けられる事もあります。
昔はバリエーションも大変多く掛ける方も知恵を絞って新しい掛け声を考えたものだそうですが、今では御存知の方も少なくなりました。今のうちに記録しておかないと途絶えてしまうかもしれないと思い集めてみました。
  
「白浪五人男」の「浜松屋」の場で弁天小僧の「知らざぁいってきかせやしょう」、又「源氏店」の切られ与三の「しがねぇ恋の情けが仇」など誰もが知っている名台詞の前に掛けられるのが「待ってました」です。「勧進帳」で長唄の「旅の衣は鈴懸の・・・」が始まる前にも掛かる事があります。

「浜松屋」で弁天小僧「それならお前方はわっちらが名を知らねえのか」番頭「どこの馬の骨か」皆々「知るものか」の後で「待ってました!」すると「知らざぁ言ってきかせやしょう」と来るわけです。

―「知るものか〜」『待ってました』」「知らざあ〜」と掛ける方も多いのですが、「知るものか〜」の後、弁天役者は息を吸って「知らざあ〜」とやるわけですから、「知るものか〜」場内静寂、そして「知らざあ言ってえ」『○○屋』「聞かせやしょう」煙管をカン『待ってました』カン『たっぷり』の方が綺麗なような気もします。―うるPさんより

役者さんによっては台詞の間が全く違って「知るものか」と「知らざぁ〜」の間にほとんど間のない方もいらっしゃいますので、臨機応変に掛けることが必要ですね。

また「源氏店」では与三郎が「おれにまかしておけということよ」こうもり安が「何だか訳がわからねぇ」というと与三郎が立ち上がって外を確かめ、ぞうりを脱いで2,3歩中に入って立ち止まります。その時が「まってました!」と掛けるタイミングです。その後「御新造さんへ」が始まります。

ですが「待ってました」を掛ける時はお芝居が最高に盛り上がって緊張度が高まっていますので、かける方も同じ緊張感を持って掛けないと役者にとって迷惑な掛け声になってしまう恐れが十分にあります。「待ってました」は易しそうでなかなか難しい掛け声なのです。

言い方は「まっ○てました」と言う風に「ま」と「て」の間に少し間を開けます。くれぐれも気合十分で。

このページのどの掛け声もそうですが、お芝居の中でここぞという時に一度だけ掛けてこそ、引き立つというものです。

花道での引っ込みでは時々「たっぷり!」という声が掛かります。これは六代目(菊五郎)が晩年からだの具合が良くない時など、よく芝居を投げてさっさと引っ込んでしまったので贔屓が掛けた声が始まりといわれています。

「まってました!」と掛けられた後に「たっぷり」と掛かることもあります。

「雪暮夜入谷畦道」(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)で直侍が三千歳と二人で見得をするとき、「御両人」。片方の屋号だけを言ったのでは雰囲気が壊れてしまうことに配慮した掛け声です。これは他の演目、「十六夜清心」などにおいても同じです。

「毛抜き」で粂寺弾正(くめでらだんじょう)が花道を意気揚々と引っ込む時、「ごくろうさま」。同じような裁き役の引っ込みにも掛ける事ができます。気持ちよく引き上げていく役者を褒め称える掛け声です。

「梶原平蔵誉石切」(かじわらへいぞうほまれのいしきり)で梶原が刀で石の手水鉢を見事に真っ二つにしてから「剣も剣」と糸に乗って言うと六朗太夫が「切り手も切り手」と褒めます。するとすかさず大向こうから「役者も役者」と声が掛かります。同じように糸にのって(三味線に合わせて)掛けるのが、上手く掛かるとなかなか楽しいものです。

しかし、最近ではこの掛け声を掛けられる「間」がなくなってしまった役者さんもいらっしゃるようです。「間」がないのに無理やり掛けたりするとお芝居が壊れますので、止しましょう。

「四谷怪談」というお芝居にはいろいろな仕掛けが出てきます。「蛇山庵室」(へびやまあんじつ)の場では「提灯抜け」という仕掛けがありますが、これがあまりに見事なので昔はここで考案者の長谷川勘兵衛を称えて「長谷川」と声が掛かったとか。「金閣寺」「先代萩」「楼門」の大掛かりな「せり上げ」でも同じように大道具に対して声が掛かったそうです。

「身替座禅」で山陰右京が太郎冠者を身代わりに座禅をさせて恋人の花子のところへ出かけようとします。「いてくるぞよ。さらば さらば」と花道を引っ込んでいく時「いってらっしゃい」。でもこれをかけるのには相当年季と度胸が要りそうです。この場面では「お楽しみ」という声が掛かったこともあります。

「ここで是非声を掛けてほしい」と役者さんがきっと思うにちがいない、という場合があります。
それは舞踊「お祭り」です。いろいろなバージョンがあるのですが、たとえば主役の鳶頭が若い者を軽くあしらった後、花笠を肩にひっかけて扇子であおぎながらほろ酔い気分でぐるっと一周して、極まります。

そこで「まってました!」と掛けると「待っていたとはありがてぇ」と役者が受けるのです。この掛け声がかからないかよく聞こえないと、次の台詞が完全に間が抜けてしまいます。清元がひとくさり終わった時が目安です。

2002年2月歌舞伎座で「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅてならいかがみ)の通しがあり、仁左衛門が菅丞相(かんしょうじょう)を務めましたが、花道を引っ込んでいくとき七三で本舞台を振り返ってもっとも大切な見得をします。この見得を『天神の見得』といいますが、この時内田順章氏が『松島屋天神』と掛けられた声が鮮やかに決まり、見得が一層引き立ちました。

襲名披露興行で「いずれも様には〜が〜と相成りまするよう御贔屓おん引き立てのほどを、隅から隅までずい〜っと請い願いあ〜げ奉りまする」と座頭役者が挨拶します。当代三津五郎の襲名披露興行で内田氏が口上の「隅から隅までずい〜っと」の後に「引き受けた」と掛けられたと言うお話を伺いました。そう掛けることが出来るのも、内田氏が襲名する役者の先々代からの御贔屓でいらっしゃるからでしょう。

お芝居の最後で、何人かの役者さんがそれぞれの場所でいっせいに見得をする場合があります。絵面の見得、または引っ張りの見得といいますが、この時「錦絵!」と掛けると舞台が引き立ちます。

例を挙げると「寿曽我対面」「弁天娘女男白浪」「紅葉狩」「楼門五三桐」など。役者さんを含めて豪華な舞台面全体を誉める掛け声です。鬼瓦権十郎さんに伺いました。

例えば先日の幸四郎700回記念の「勧進帳」の弁慶。客席が『面白かった!』という感動で最高に湧き上がっている最後の最後、花道の引っ込みで「大当たり!」と声が掛かり、雰囲気が一層盛り上がりました。

立ち見席まで超満員というようなお芝居に、最もふさわしい掛け声で、ウワーって沸き上がった拍手の中に聞こえる「大当たり!」は、華やかでいいものです。スーさんと権十郎さんに伺いました。

「白浪五人男」の「稲瀬川勢揃いの場」では五人揃って見得をする時に、「五千両!」と掛けると粋。千両役者が5人という訳です。某さんからお話を伺いました。

「三人吉三」の「大川端の場」、和尚が真ん中に立ち両脇にお嬢とお坊が膝をついて見得をするところで「三千両!」と掛ける事も出来ます。「三千両」は「菅原伝授手習鑑」の「車引の場」で梅王丸、松王丸と桜丸にとか、「寿曽我対面」で五郎、十郎と工藤の三人にも掛ける事が出来ます。

お芝居の中には馬が活躍するものもあります。例えば「馬盗人」では、馬が大活躍。まるで人間のように花道七三でツケ入りの見得をし、その後飛び六方で引っ込みます。そんな時には馬○○!」(○○には屋号が入る)と掛けると馬の足を勤める役者への労いになるでしょう。このときの馬の足役者は筋書きに名前が載っています。

それから父親のあたり狂言を息子がやる時、「お父さんソックリ!」と掛けたりも出来ます。この二題は某さんから教えていただきました。

『傾城反魂香』で、又平が印可の筆と土佐の姓を受けた時に、 『おめでとー!!』と言う声が掛かったとか。 ここから、役者さんのノリが変わったそうです。くぅるさんから伺いました。

猿之助のスーパー歌舞伎「新三国志V」で最後に関羽が宙乗りで引っ込むところで、花道上空で見得をする時に「三国一!」。音羽之輔さんから伺いました。

スーさんからのご報告。 三津五郎の襲名時 家の芸とも云える「六歌仙」 の内「喜撰」が出て、相手役のお梶には玉三郎が付き合いましたが、舞台、上と下でキッチリ決まるところで「両大和! と掛けられたそうです。

この「両〜」という掛け声は@実力,年齢,人気等 ほぼ均衡していて A華やかな舞台面、できれば舞台二人だけの時に掛けるべきだとのお考えです。

もうひとつ襲名の時の掛け声として、松緑にスーさんご提案の「松音羽!」という掛け声を掛けられたと音羽之輔さんからご報告がありました。亡くなった梅幸には「梅音羽!」と声が掛かったそうです。

「四谷怪談忠臣蔵」の大詰め「高家奥庭泉水の場」で暗闇からパッと照明が点くと 一面の雪景色、上手下手大勢が切り結んでいる場面で、 その明かりが点くや否や、「ご一党(ごいっとう〜)」。明石さんから伺いました。

同じく「四谷怪談忠臣蔵」で歌六の演じた由良之助に対して「ご立派!」と声が掛かったとか。「本当に立派だったのでこの掛け声はぴったりだと思いました」と六団さんから伺いました。

菊五郎が人間国宝に認定されたのを祝して、「国宝!」「国の寶という掛け声がかけられたそうです。音羽之輔さんからうかがいました。「国の寶」は音羽之輔さんのご発案です。

大阪松竹座で扇雀に、「扇雀さん!」という掛け声がかかったとか。昔は関西では親しみを込めると言う意味で、こういう名前の掛け声がよく聞かれたのだそうです。上方人さんから伺いました。

髪結新三の『白子屋店先の場』で仲人が帰っていくところで「大安!」と声が掛かりました。(雪之丞)

相撲で若乃花が横綱になった同じ7月に、歌舞伎座で猿之助さんと段四郎さんの「二人三番叟」をやった時のこと、途中で、猿之助さんが舞台の裾に行って「ふーふーっ」と一休みしているところ に、 段四郎さんが「これこれ」と舞台中央に連れ戻す場面があります。

その時、「がんばれお兄ちゃん!」とやったら、 3・4階席から大きな拍手と大歓声! その後の猿之助さんの足拍子がいつもより大きかったのは気のせいでしょうか。

平成中村座で七之助さんが「弁天小僧」をやったとき、花道を下がる時に「良くできました」と掛けました。場内、一層の拍手でした。この二つはうるPさんから伺いました。

十八代目中村勘三郎の襲名公演「鰯賣恋曳網」の最後、花道の引っ込みで新勘三郎へ「猿若町!」と声が掛かったそうです。饅頭娘さんから伺いました。

口上の最後の方で勘九郎改め勘三郎のご贔屓お願いの言葉に「まかしとけ!」と掛かりました。勘三郎さんの言葉を受けてそれに答える具合が感じよくはまったと思いました。こちらは梅ねずさんから伺いました。

橋之助丈の三男・宜生ちゃんの初舞台の折り、福助丈の長女・佳奈ちゃんが 出演しておりましたが、そのとき「姫成駒!」とかかっていたのが、傍で聞いていても 嬉しく感じられました。こちらは夕霧さんから伺いました。

前進座の「佐倉義民伝」を観た時、瀬川菊之丞に「路考という声が掛かりました。これは瀬川家代々の俳名で、路考茶という色の由来にもなっています。yuki

雛祭りの日に「道行初音の旅」を観た時、「男雛女雛」という浄瑠璃に立ち雛のように静御前と忠信が並んだところで「三月三日」と声が掛かったそうです。こちらは六団さんから伺いました。

「実盛物語」の幕外の引っ込みで、仁左衛門さんの実盛と馬とのほのぼのと心温まるような場面で「名馬」と声が掛かったそうです。六団さんとkirigirisuさんから伺いました。

同じく馬に掛かった掛け声の傑作。 大向弥生会の山本会長さんが舞踊「馬盗人」の馬だけが花道を引っ込む場面で、馬に入っている役者さんが三津五郎さんのおうちの三階さんだったので「うまとや!」と掛けられ、これは役者さんにも大うけだったそうです。このお話はH.Kさんから伺いました。

「鬼平犯科帳―大川の隠居」の幕切れ近く、鬼平と元盗人の友五郎がしみじみと酒をくみかわす場面で、「ご隠居!」とぴったりの声が掛かったそうです。六団さんから伺いました。

投稿された掛け声は、お芝居を盛り上げた掛け声として報告されたものです。そういう掛け声は、決して忘れ去られてはならないものだと私は考えています。

役者さんが真剣にやっている場を茶化したり、掛けることによって自分が目立とうとするのは悪趣味で良くない事だと思います。上記の掛け声もその場の雰囲気と掛け声がぴったり一致していないと、場を白けさせる可能性は否定できません。

しかし純粋にお芝居に感動し楽しんでいる方が、それをさらに盛り上げようとして掛けられる掛け声を許容できないほど、歌舞伎は歴史的に見ても度量の狭いものではないはずです。

他にも「こういう場面でこういう掛け声が掛かって良かった!」という経験をお持ちの方、ぜひ『掛声喫茶晴瑠屋』へ投稿なさってくださいませ。よろしくお願い致します。   

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