epilogue》

 

 

忘れられない夜になった。

 

 

コズミ博士の家では真夜中に玄関のチャイムが鳴った。

散歩に出ていたフランソワーズだろうと赤い顔で暢気にドアを開けたグレートの酔いは、

一気に醒めた。

 

「――――よお!」

片手を上げてニヤリと笑ったその長身の若者は、見事な赤い髪を逆立てている。

 

 

グレートの大声に寝室で休んでいたジェロニモたちも下りてきて、コズミ家は時ならぬ騒ぎと

なった。

 

 

 

 そもそもはイワンが、二人を叩き起こしたのだという。

 

 

「いつの間に・・・・だってお前、今の今までここでミルク飲んでたじゃないの」

グレートはまだ狐につままれたような顔をしている。そんな彼に、イワンは平然と

「さっき散歩してる間にね、テレパシーで。あんまり気分のいい夜だから二人を寝かしとくの、

もったいないと思ってさ」

「・・・・・まだ組成率は8割にもいってなかったはずだが」

驚きを通り越してもはや呆れ顔のアルベルトに、イワンが空になった哺乳瓶をポイと放り投げ

ながら答える。

「ちょっとパワーアップしたのさ。博士達は二人の身体への負荷を考えてだいぶ低めの設定に

していたみたいだけど、甘いよね」

「・・・・・・・・こら。行儀が悪いぞ」

飛んできた哺乳瓶を片手で受け止めたアルベルトは、言葉とは裏腹ににやりと口の端を上げた。

やっぱりこの赤ん坊には起きていて欲しいものだ。話が早い、いろいろと。

 

目の前には以前と変わらず態度のでかい若者が、どっかりとソファに座り込んでいる。

 

 

 

「いきなり大音量で『目を覚ませ!!』だぜ。せっかくいい気分で寝てたのによ。おまけにその

後はリハビリだとかぬかしやがって、ここまで歩いて来い、だと」

「歩いてきたのかネ、ここまで?!」

結構な距離あるヨ〜、と首を振る張々湖に、

「仕方ねえだろ! 近所迷惑だから”足”は使うなっていうし、あそこで一人寝てるのも辛気臭えしな。

博士たちのイビキもうるせえんだ、これが」

ジェットは頭の後ろで両手を組むと長い足をテーブルに投げ出した。すかさずアルベルトにはた

かれる。

「一人って・・・そいういや009は? 009はどうした?」

今更なグレートの問いに、ジェットは「フン!」と鼻を鳴らしてイワンを横目で眺めた。

赤ん坊はふわふわとゆりかごを浮かせて遊びながら答える。

「ジョーはフランソワーズを迎えに行ったよ。女の子の一人歩きは危ないからね」

「・・・・・なるほどね〜。やるじゃないの、お前さんも」

顎に手を当ててニヤニヤするグレートの横で、アルベルトは「お前が置いてきたんだろうが」と

ボソリと呟いたが、うん?と首をひねる。すぐに違和感の原因にたどり着いた。

 

 

ああ、そうか――――

 

思わず笑みがこぼれる。

 

お前もいろいろ変わろうとしているんだな・・・・イワン。

 

 

『―――笑うなよ、アルベルト・ハインリヒ』

ふいに頭の中を小突かれるような感覚があり、アルベルトは素直に謝った。

『すまん』

 

それでもまだ笑みの消えない彼の顔を、前に座るジェットは怪訝そうに見ていたが、

「何だよ、気持ちわりいな、オッサン。二人でコソコソ何話してるか知らねえが、オレの快気祝いに

ビールの一本でも持ってこよう、って気にならねえのかよ」

「リハビリだろ? 自分で持ってこい」

「何を―――?!」

 

 

―――ぷっ。

 

それまで口を挟めずにいたピュンマが突然吹き出した。

と思うと、込み上げてきたらしい笑いを必死にこらえている。

 

「ちょ、ちょっとお兄さん、どうしたネ??」

張々湖が驚いて、腹を抱えて震えているピュンマの顔を覗きんだ。

「008? 大丈夫か・・・??」

 

「い・・いや、だってさ・・・・・・」

ピュンマは何とか笑いをこらえつつ口を開いた。

「なんか・・・・もっと、感動的なのを想像していたんだよね・・・・君たちが目を覚ましたら、ってさ・・・・

でも・・・でも・・・・・・」

 

こらえきれず、あっはっはと笑う彼に、呆気に取られていたみんなも次々に笑い出した。

「まったくだ」

「しかたないヨ。002のことだもの〜」

「いやいや、これも十分感動的だと」

「シリアスは似合わねえよな、お前さんには」

 

笑いの渦をポカンとして眺めていたジェットは、我に返ると真っ赤になってわめいた。

 

「うるせー!! 戻ってきちゃ悪かったのかよ!!」

 

さらに大きくなった笑いの中、アルベルトは立ち上がると、すれ違いざまにくしゃっとジェットの

頭を掴んだ。

 

「生きてて良かった。―――よくやったな」

「・・・・・・・・・・・」

 

思わぬ一言にグッと詰まって赤くなったジェットを、またみんなが冷やかして笑う。

 

アルベルトが両手に抱え切れないほどのビールを持ってきて、コズミ家では深夜の宴会が始ま

ろうとしていた。

 

 

  

月は西に傾き、さきほどまで地上を煌煌と照らしていた冴えた輝きが、今は柔らかな光のベールと

なって二人を包み込んでいる。

 

先を歩くのはジョー。半歩遅れてフランソワーズ。

 

 

フランソワーズは、泣かなかった。

彼の目が覚めたらきっと泣いてしまう。その胸に縋って、想いのすべてを吐き出して、子供のように

泣いてしまうだろう。

ずっとそう思っていたのに、最初に彼にかけた言葉はよりによって・・・・・・・・・・

 

 

  

 

 

  『ただいま―――フランソワーズ』  

 

  無言のまま立ち上がったフランソワーズの肩から、ショールがはらりと落ちる。

  ジョーはかがんでそれを拾うと、ぱたぱたと砂を払い、はい、と彼女の肩にそっとそれをはおら

せた。

  そして凍りついたように立ちすくんでいる彼女を見て、

  『・・・・・少し痩せた? ごめん、心配かけて』

  それでも何も言わないフランソワーズに首をかしげ、

  『あの・・・フランソワーズ? 大丈夫?』

  彼女の目の前でひらひらと手を振ってみる―――と、彼女が何度か瞬きしたかと思うと、小さく

叫んだ。

 

  『・・・・・馬鹿っ!!』

  『人の心配なんてしてるときじゃないでしょう?!  どうして・・・? だって意識が戻るにはまだ

何日かかかるって・・・』

  『大丈夫なの?! どこか調子の悪いところは・・・? おかしなところはない・・?!』  

  

  必死な面持ちで自分の全身をチェックするフランソワーズに、ジョーは初め呆気にとられた。

  『あ、あの・・・・フラ・・・』

  『ああもう、信じられない・・!!』

 

  『フランソワーズ・・・・・フランソワーズ!!』

  その細い肩を両手で掴んで、ようやく彼女を落ち着かせる。

 

  『大丈夫。僕は、大丈夫だから。だから・・・・・・』 

  『・・・・・・・・・・』

 

  これ以上ないほど大きく、その碧の瞳を見開いているフランソワーズに、ジョーは再び微笑んだ。

  『もう、心配しなくていい。―――ありがとう、フランソワーズ』

 

  その声が、瞳が、あんまり優しくて、彼女は思わず叫んでいた。

  『なっ・・なによ! 心配なんてしてないわ!! ジョーのことなんて、私、私・・・・・』

 

 

 

フランソワーズは、斜め前を歩くジョーをそっと見上げる。

口数少なく、彼はしっかりした足取りで歩いている。

少し大人びた彼。

 

 

『あの中に何があったのか。僕たちが戦ってきたものは何だったのか。・・・・・・・ちゃんと、みんなに

話すよ。僕が見たもの、聞いたもの全て』

 

ブラックゴーストは滅んだのね―――呟いたフランソワーズに、ジョーは否定も肯定もせずそう言った。

その瞳は彼女を通り越して、見えない何かをまっすぐに見据えているようだった。

強い瞳。

 

これで終わりじゃない。僕たちの戦いはまだ終わらない。

ジョーの瞳はそう告げていて、そして彼はもうそこから逃げようとはしていない。

 

 

―――ジョー。あなたはまた強くなったのね。

 

フランソワーズの瞳が淋しげに曇った。

 

―――どんどん強くなって、大きくなって、何だか私、取り残されてしまいそう。

 

胸が痛い。思わず彼の名を呼んだ。

 

 

「・・・・ジョー」

「うん?」

軽く首を曲げて自分を見たジョーに、フランソワーズははっきりと言った。

「・・・・・・もう、一人でいったりしないで。今度は、私もいく。約束して」

 

唐突なフランソワーズの言葉にジョーは驚いたように足を止め、彼女を振り返った。

フランソワーズはそんなジョーの視線を逃さないよう、まっすぐ正面から彼を見つめている。

波の音が二人の間に静かに時を刻んでいく。

 

 

「・・・・・・・・・・・」

やがて、ジョーがゆっくりと微笑んだ。

その微笑は、地下帝国で彼が彼女に見せたそれと限りなく似ていて――――

 

 

そして、うなずいたのかそうでないのか、わずかに顎を引くとまた前を向いて歩き出した。

 

 

「ジョー・・・・・・!」

 

離れていく、前よりも広く感じる背中を、フランソワーズは夢中で追いかけた。

傍らに寄り添い、そっと自らの手を彼の手に滑り込ませる。

・・・・・胸が締め付けられるような笑顔の意味はわからないけれど、今度はもう、離さない。

 

 

しかし―――ぴくりと震えた彼の手が、ゆっくりとフランソワーズの手から外された。

「・・・・!!」

彼女の全身が凍りつく。

 

が、次の瞬間、息を呑んだフランソワーズの指先に再び彼が触れた。

と思う間もなく、彼女の指の間に優しく彼の指が入り込んできて、ぎゅっと固く組み合わされる。

 

 

あ・・・・・・・・・。

 

驚いて思わず顔を上げた彼女にお構いなく、ジョーは真っ直ぐ前を向き、彼女の手を握り締

めて引っ張るようにずんずん歩いていく。

吹いてきた風に栗色の髪がなびいて、彼の顔が耳まで真っ赤に染まっているのが月明かりでも

わかった。

 

 

「・・・・・・ふ」

フランソワーズはふいに可笑しくなった。

 

ジョーは、やっぱり変わっていない。ううん、変わったけど・・・・・でも、やっぱりジョーはジョーだわ。

 

 

あいている手で口元を押さえたが、とうとう笑い出してしまう。

「ふ・・・ふふっ、あはは・・・・!」

ジョーに負けないくらい真っ赤になって肩を震わせて笑う彼女を、ジョーは「あ」という顔で振り返り、

「・・・・・・・・何だよ」

赤い顔で小さくぼやく。それでも握った手は離さずに、

「さあ、帰ろう」

少しぶっきらぼうに言ってまた歩き出した。

 

 

「ええ、そうね。きっとみんな待ってる。・・・・・・そういえば、まだ言ってなかったわね」

フランソワーズは口元に笑みを残したまま、滲んだ涙を指先で拭った。

 

 

  ・・・・・・ここが、あなたの家。

  大地と、空と、海。

  そして、あなたを待っている私たち。

 

  ・・・・・覚えていて。

  あなたの帰るところは、ここよ。

  どこへ行っても、何があっても、あなたを迎える――――

  

 

 

 

 

「・・・・・・おかえりなさい、ジョー」

 

 

 

優しい力が込められた手に、ジョーが眩しそうな笑顔で応えた。

 

 

 

END

 

 

 

 *******   掲載当時の霜月さまのコメントです  *******

  

<あとがき>

ええと・・・私の思い描くヨミ編後はこんな感じです(汗)

いくつかのエピソードを一つにつなげてしまったので冗長な感は否めません〜(泣)

相変わらず状況説明な文章も何だかなー・・・ですが、とりあえず書き終わって自分としてはひと段落ついた感じです。

いつにも増して自分のためだけに書いてたなぁ・・・と反省してたりもするのですが、それが今後生かされるのかは・・・・。

それより、ここのイワンって誰・・・??(汗)



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