《2》

 

 テラスの外には海に浮かぶ青い月。 その下を、赤子を抱いてゆっくり歩を進める細い

シルエット。

 

 

「・・・・・やっぱり父親がいないと様にならんなぁ」

テラスの柵にもたれてそんな風景を眺めていたアルベルトに、背後からのんびりと声が

かかる。

ゆっくりと振り返ると、グレートが両の手に持ったグラスの一つを差し出しながらテラスへ

出てくるところだった。

「父親?」

琥珀色の液体が入ったグラスを受け取りながらアルベルトが聞き返す。

早くも一口咽喉を潤したグレートは目を細め、隣の一回り年若な仲間と同じようにテラ

スに両肘をかけてもたれかかった。

 

「もう随分前のことみたいだが・・・・あの二人と009がああやって散歩してるの、ギルモ

ア博士の家では何度か見かけたんだ・・・・」

また一口酒を含んで、気持ちよさそうに息をつく。

コイツは本当に美味そうに酒を飲むな、と思いながら「ふうん」と応えたアルベルトに、

グレートはどこか幸せな夢でも見ているような表情で続けた。

「お前さんたちが日本にいるときは何か事件があった時だから、そんなのんびりした

二人は見たことなかったろうが・・・・なかなかいい光景だったよ」

 

どっからどう見ても幸せそうな若い親子連れって感じでね、と口元を緩めるグレートに、

アルベルトはフンと笑って手にしたグラスを口元へ運ぶ。何も考えずに勢い良く咽喉に

流し込むと、思いがけず強い酒だった。濃いアルコールに、機械の身体にも『酔い』の

感覚が訪れるのが心地良い。

 

 

いい光景・・・それなら俺だって何度も見ているさ。

アルベルトは、今度は味わうようにゆっくりとグラスを傾けながら、遠く海に映る月を眺めた。

 

自分たちが半ば意識的に特別扱いしてこなかった003を、当然のように庇い守る009。

ずっと気を張り詰めてきた003が、009だけに見せる心の弱さ。受け止める009の

優しい眼差し。

焦がれるような・・・今にも泣きそうな瞳で、001を抱く003をじっと見つめる009。

彼女の小さなワガママを少しばかり困った顔で・・・でもどこか楽しそうに聞いてやる

009の少年らしい横顔。

 

そのどれもが偶然にアルベルトの目に入ってきたものだったが、この二人の間を流れる

空気は彼にとても懐かしいものを思い起こさせ―――

 

 

 

生き延びさせたかった。

無論、彼らだけではなく、仲間たちみんなを・・・・・。

誰かが犠牲にならなければならないとしたら、それは自分であるべきだ。

アルベルトはずっとそう思い続けてきた。

 

しかし、001が選んだのは―――――

 

 

 

 

「―――俺を飛ばしてくれりゃあ良かったのに」

唐突にグレートが呟いた。

アルベルトは思わず隣を見る。グレートが目だけでこちらを見て、自嘲気味にニヤリと

笑った。

「あのとき、一瞬そう思ったんだ。ハナから『犠牲』なんて言うならな。なんで一番若い

ヤツを送っちまうんだ、そういうときゃ年寄りが行くもんだ。順番から言ったら俺だろう? 

ってね」

グレートはぐい、とグラスの酒を煽る。

「だが・・・俺じゃあ役者不足なんだよなぁ」

赤い顔がヘラヘラと笑った。

 

 

このイギリス人は、とアルベルトは思う。

普段はお調子者で能天気でつい自分も軽く見てしまうきらいがあるが・・・・。

どうにも食えない男だ。

俺の頭の中を読んでやがるのか?

 

探るような視線を向けたが、グレートは相変わらず飄々と酒を飲んでいる。

アルベルトは諦めて、手の中のグラスに目を落とした。

 

 

役者不足―――その通りだ。001の判断は恐らくは正しい。

俺じゃあダメだと、ヤツは踏んだんだ。

確かに・・・・本気を出したときの009の強さは俺にだって計り知れない。

だが・・・・・。

 

 

 

「なぁ」

グレートが酔いのまわった顔をこちらに向ける。

「009は・・・・勝ったのか?」

ブラックゴーストに。

 

 

アルベルトは感情のない瞳でじっとグレートを見た。ゆっくりと口を開く。

「わからん。でもおそらくは・・・・倒しただろう、アイツなら」

 

 

   『どうしても、ブラックゴーストを倒したいんだ』

   『戦いを・・・・終わりにしたい』

 

 

「・・・・・・・・・」

「世界は滅びなかった。各国は目が覚めたように軍備を解き始めている。001はああ

して――」

月の下、岩に腰を下ろしているフランソワーズの方に目を向ける。

「暢気に母親の膝の上だ」

「わはは」

グレートが愉快そうにぺしぺしと自分の頭を叩いた。

「そうか・・・そうだよな、うん。しっかし・・・・大したもんだぜ、うちの若い連中は」

「一匹は単なる無鉄砲って気もしないではないがな」

「まあまあ、そう言いなさんな。アイツはアイツなりにいろいろ思うところがあったんだろ

うしさ・・・」

「・・・・・そうだな」

 

 

   『・・・泣くなよ、003―――』

 

 

オマエの方が泣きそうな顔してたくせに。

 

 

   『やってみなきゃ・・・・わかんねえよっっ!!』

 

 

いつもの口癖。前だけを見て、飛沫を上げて飛び立って・・・・・・・。

若さ、か―――いや、それだけじゃない。

アイツはそういうヤツなんだ。何年、何十年たっても、アイツは飛んでいくだろう。

計算なんてこれっぽっちもせず、後ろを振り向きもしないでまっしぐらに。

 

俺には出来ないな・・・・・・。

 

 

 

フン、と笑ってグラスの残りを飲み干したアルベルトに、グレートが何だよ?と視線を

向ける。

「いや・・・・。 あの二人、早く目が覚めるといいな。うるさいのがいないとどうも調子が

出ない」

「009はうるさくないだろう?」

「アイツはアイツでうるさいんだよ、いろいろとな」

「ふぅん・・・・・ま、とにかく早く起きて欲しいのには違いない。こちとらあっちこっち飛び

回ってクタクタだ。使いっぱしりの二人がいないとやってられないぜ」

「まったくだ」

 

片頬で笑って、もう一杯くれないかとグラスを差し出したアルベルトにグレートがニヤリと

する。

「おお、いいとも。毒くらわば皿まで、だ。どうせお前さんも同罪だしな」

「・・・何?」

「この酒・・・めちゃくちゃ美味いだろう? コイツはコズミ博士が、これだけは飲んでくれ

るなとくどいほど言ってた秘蔵の酒なんだ。そう言われちゃ飲まないわけにはいかない

よなぁ」

「ちょっと待て・・・おい! それはマズいだろう?!」

「いいっていいって。どうせもう残り少なかったんだ。あと1杯ずつ飲んだらおしまいだ。

なくなってればコズミ博士もあきらめるさ」

 

 

慌てて呼び止めるアルベルトにはお構いなく、ほいじゃまぁ待ってな、すぐ持ってきて

やるから――そう言ってグレートは手にしたグラスを高く掲げ意気揚々とテラスを出て

いく。

残されたアルベルトは珍しくわずかな狼狽の色を見せて、

「・・・ったく・・・! コズミのじいさんはああ見えて結構執念深いんだぞ。碁で負けたとき

だってな・・・」

ぼやきつつ、渋い顔を夜の海に戻す。

 

月は相変わらず煌煌と輝いて、その下では003が飽きもせず001を抱いて歩き回って

いる。

 

 

 

「・・・・一体何を話しているやら」

一つためいきをついて、彼はふと、地底深く眠る彼女は、こんな月を見たことがあったの

だろうかと考えた



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