巍国万世拾遺譚 目次へ

〜樹馬慕情〜


1頭の牝馬がいます。
象牙色のたてがみをしたその白馬は、強く、優しく。
風と共に野を駆けるその姿は、気高く、美しく。
命の躍動に輝いています。

草の原の隅に、一本の樹があります。
若くもなく、年老いているわけでもありません。
枝を広げ、葉を茂らせ。
野を渡る風に時折さわさわと枝葉を揺らす以外は、
静かに、静かに、ひっそりと佇んでおりました。

いつの頃からか樹の元に、時折白馬が訪れるようになりました。
彼女が駆けた野の、あちこちで見てきたこと聞いてきたことを話すのを、
樹はいつもとても楽しみにしていました。
だって、樹は野を旅することはできませんから。
樹は白馬が好きでしたが、想いを伝えることはしませんでした。
だって、樹には口がありませんから。

にわかに空が掻き曇り、稲妻が走り、激しい雨が降り始めました。
白馬に雨の粒があたらないように、樹は精一杯枝葉を広げました。
だって、樹にできることはこれくらいしかありませんから。

やがて雨がやみ、空に七色に輝く橋がかかると、白馬は再び野に駆け出しました。
また新しい旅に出るのでしょう。
樹は、白馬の後ろ姿をじっと見送りました。
彼女の旅の無事を祈って。
だって、樹にできることはそれくらいしかありませんから。

そして今日も。
白馬が駆けていった地平の果てを、樹は静かに見つめています……。

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