まどかの2001年シンガポール・マレーシアの旅
[まどかのアジアの旅#2]
(Travel of Singapore and Malaysia, 2001, Madoka)

−− 2003.03.20 まどかアタシがまどか。
[編集:エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)

 ■エルニーニョからの一言

 このページの「まどかの2001年シンガポール・マレーシアの旅」と次のページの「まどかの2001年タイの旅」は、実は2001年にマレー半島を南から縦断北上した[マレー半島北上の旅]の前編と後編です。旅としては連続したもので、全体として以下の様な日程でした。宜しく!

 ■旅の全日程と前口上

    <マレー半島北上の旅>の全旅程

 ●前編「まどかの2001年シンガポール・マレーシアの旅」
  2001年3月
    7日 関西空港発 → シンガポール(飛行機)
    8日 セントーサ島
    9日 シンガポール市内観光(ラッフルズホテル周辺)
   10日 シンガポール → マレーシア間の国境越え(徒歩)
        再びシンガポールに戻って
       シンガポール発 → クアラルンプール(夜行列車)
   11日 クアラルンプール着
        チャイナタウンぶらぶら(マレー語でジャランジャラン)
   12日 クアラルンプール市内観光
        MATICにてタマン・ヌガラツアーを予約
   13日 タマン・ヌガラへ出発(バス&船)
      ヌサ・キャンプ泊
   14日 ヒル・ハイキング
   15日 キャノピー・ウォーク
        ブンブン”ヨン”泊
       タマン・ヌガラを発つ(バス&船)
   16日 ジェラントット駅 → コタ・バルへ(ジャングルトレイン)
       コタ・バル市内観光
        コタ・バル泊
   17日 コタ・バル市内観光
        民族舞踊など見る
   18日 マレーシア → タイ国境越え(徒歩)
       スンガイ・コーロク駅 → バンコク(マレー鉄道)

 ●後編「まどかの2001年タイの旅」
   19日 バンコク着
   20日 バンコク市内観光
       アユタヤへ行き観光(バス)
       再びバンコクに戻る
        おかまショー、足裏マッサージ
   25日 バンコク発 → 関西空港(飛行機)


 さて、この19日間の目的はまず、ジャングル!!
今回のテーマは「熱帯雨林へ行こう!」もうこれにつきます。19日間熱帯雨林に滞在してしまいたいくらいに思っておりましたが、計画を立てだすと欲が出てきてしまい、シンガポールからタイまで北上することになりました。それでは先ず旅の前半「マレー半島北上の旅〜シンガポール・マレーシア編〜」をお届けします。地図は▼下▼です。
  地図−東南アジア(Map of Southeast Asia, -Multinational-)

 大学時代の友人でマレーシアはイポー出身の謝くんに繰り返し聞かされていた話がありました。いわく、「マレーシアのジャングルにはタイガーがいて、夜になるとその両の目が青く光るんだ。僕達は中学生のころジャングルにある小さいけれども背の高い木の小屋に泊まって、タイガーを捜しに夜中歩き回ったんだ」と。
 マレーシアのタイガーと言えば、「ハリマオ」でございます。
 皆様の中には聞いたことある方もいらっしゃることでしょう。かつて日本のTVで流されていた番組「快傑ハリマオ」の”ハリマオ”は、マレー語で「虎」をさす言葉だったんです。なんて、見たこともない番組のことをいうのはここらへんでよしておきましょう。
 まずは、これまた大学時代の友人で香港出身の梁くんがその当時働いていたシンガポールでの3日間(彼は今、フランスに留学しています。次の旅行は欧州やなと目論んでおります。梁くんまたガイドしてね!)とシンガポール・マレーシアでの日々をご覧下さい。

 ■シンガポール

  ◆リトル・インディア

写真1:リトル・インディア。 ヒンドゥー寺院(※1)の華麗な正門(写真1:左)です。シンガポールにはイギリスがこの島の開発に着手したころ(1800年代)に道路や鉄道・港湾建設などの肉体労働に従事させるために、これまた植民地であったインドや中国から移民を連れて来たのです(ちょっと表現が適切でないかもしれません)。
 よって、現在のシンガポールは多民族国家と呼ばれ、街中にはアラブ人街、インド人街、チャイナタウンなどがあります。
 この建物は、リトル・インディアとよばれるインド人街にあるヒンドゥー教の寺院です。極彩色の体に色とりどりのアクセサリーを身につけた神様だか人だか、なんだか派手です。
写真2:リトル・インディアの食事。
 リトル・インディア内にフードセンターのような場所がありました。バナナの葉の上にナン、カレー、ライス、チキンなどが乗っています(写真2:右)。
 辛いのですが、うまい。はまりました。インド料理最高!

  ◆海の上を歩いて国境越え − Waking Distance

 シンガポールとマレーシアはジョホール水道をはさんで位置しています。ジョホール水道によって分断されているはず(?)ですが、遠浅の海なのでしょう。埋め立てられた道路がこの二つの国を結んでいます。海の上に二つの国をつなぐ道があり、乗用車はもちろん、トラックやバイクが行き交っています。
 歩道もついていました。私はどうしたかというと、そりゃあもちろん♪歩きましたよ。炎天下。海の上の道にはもちろん日陰などございません。
 国境の道のちょうどまんなかあたりで、そしてまずシンガポールにむかってぱちり(写真3:左下)。マレーシアにむかってぱちり(写真4:右下)。両傍に広がる海が湖のようにも見えますね。
写真3:シンガポール・マレーシアの国境の橋からシンガポールを望む。写真4:シンガポール・マレーシアの国境の橋からマレーシアを望む。

 ■マレーシア

  ◆女、露出するべからず

 多民族国家マレーシア国内で60%近くの比率を占めるマレー系の人々は、イスラム教を信仰しており、マレーシアの国教はイスラム教です。
 下の写真5はMasjidJamek(マスジット・ジャメ)でとったもので、大理石で出来た床が美しく、空気が静溢なのは、早朝のせいだけではないのでしょう。
 入口で、布を渡されかぶるように指示されます。美しい大理石の床に踏み入れようと石段をあがると、中でくつろいでいた男性に制止されました。
 残念ながら、異教徒は入れないようです。もしくは女性だから?
 ローブを渡され身につけている旅行者の女性達もいました。そのローブは真っ黒で体の全てを覆っており、マントのようにも見えます。彼女達は半袖の服を着ていたのです。半袖から見える部分もタブーなのです。
 「女性は肌を見せてはいけない。」マレーシア初日、イスラム教の洗礼(?)を受けたのでした。
 学生時代どっぷりとフェミニズムに浸かっていたわたくし。イスラム教は女性の服装の自由を侵害している!!、とは思わなかったのでした。
 ここマレーシアで、イスラム教はもしかすると女性を守っているのではないか。いやいや、極論すると宗教とは、人々を守る教えを説くものほど普及しているのではないか。なんてな事を思う、第一歩の経験だったのです。それを言語化して痛感したのはジャングルから戻ったあとのことですが...。

写真5:マレーシアのモスクを背景に。

区切り線。

  ◆我、密林へわけ入るなり

  (序)クアラルンプールを発つ

 目指すは、TamanNegara(タマン・ヌガラ)。日本語に訳すと、国立公園という意味です。場所はマレー半島のちょうど中央部です。クアラルンプールのMATICで、翌日発クアラ・テンベリン行きのバスを予約しました。
 朝、指定されたとあるホテルの前に到着してみると、1台の大型観光バスとそれに乗り込む世界各国の人々。しかも日本人が半数。
 「あ、秘境じゃない...んだ。」
そりゃそうだよな。国立公園だもんな。リゾート地だよなーー。と、やや残念に思いつつも、密林初心者のわたくしは度肝を抜かれるとも知らず、バスに乗り込んだのでした。

  (1)濁流する河を遡る

 バスで約2時間半も行ったでしょうか、クアラ・テンベリンに到着。クーラーの効いた観光バスからおりるとそこは湿気と熱気うずまく、船着場。かんかん照りの中ここで、2時間ほど船を待ちつつ小さな屋外食堂で昼食をとる。見渡すと川は泥水のように濁っています。
 やっと来ました!、モーターをブルンブルンいわせた船がやってきました。明らかに、木製です。6本の細い柱に支えられた屋根がついています。京都の保津川くだりで乗った船より弱そうです。
 乗り込むと、あああああ!、やっぱり。船底の板の隙間からあの濁った水が見えています。しかも、大型観光バスで来た人々は二手に分けられ乗っていますが、一艘につき16人ほど。みなが乗り込んだこの船は、もうあと5cmも沈めば、川の水が中に入ってきてしまいそうです。
 しかし、これ!、これよね。秘境に乗り込む気分満点!(←だから秘境じゃないって!)
 走り出す今にも沈みそうな船!、今からこの船にのり3時間かけて上流へ遡ります。
 川は蛇行を繰り返して流れています。両岸には背の高い木々が熱い陽射しを受けて立っています。船は水しぶきを上げて走りつづけています。遠くに牛の群れが水浴びをし、オラン・アスリの子供達が水を汲みに浅瀬を歩いています。
 手を振ると、笑顔で応えてくれました。さあ、どんな冒険が待っているのでしょうか。

  (2)隅を好む〜ヌサ・キャンプ〜
写真6:ヌサ・キャンプの鳥。
 水しぶきと青い空、白い雲、両岸の木々を堪能し3時間ほどたったころ、いよいよタマン・ヌガラリゾートが見えてきました。川が二手に分かれるあたりに公園事務所があり、そこにはいくつかの宿泊所があります。
 ちょっとはずれにあるヌサ・キャンプへ行きました。静かで、食事がおいしいという評判が決め手でした。
 この鳥さん(写真6:左)は私達がお世話になったヌサ・キャンプで飼われていたいました。とっても人なつっこくてピーナツをあげると喜んでたべてました。かわいかったですよ。

 宿泊施設は2段ベッドが2つ置かれた部屋がいくつかある棟で、シャワーは水シャワー。ここの水シャワーは床にたくさんのヒルさん(※2)がいらっしゃって困りました。サンダル無しでは入れない恐怖のお風呂タイムでしたね。
 しかし、ここのボスはとっても明るいおばさまで私達のわがままなお願いをたくさん聞いてくださり、ほんとうに楽しい時間を過ごせました。テレマカシ!
 食堂のお姉さんも笑顔がかわいくって、自分で仕立てたと言うマレー式のワンピースもとっても素敵で、帰りには一緒に写真をとってもらいました。元気でいるかな?
 でもね、ここはまだあのジャングルの中の小さな小屋ではありませんよ。それはブンブンという名前で呼ばれています。もう少しお待ちを。

  (3)樹冠へと昇る〜キャノピー・ウォーク〜

 キャノピーとは、樹冠のことです。密林に入ってしまうと、人間のように小さな生物には密林の素晴らしさはあまり分からないようです。なぜなら、植物の生存競争の激しい熱帯雨林では常に光を求めて木々が葉を広げ、50mの高さの木を筆頭に隙間もないほどびっしりとせめぎ合って生きているのです。
 ですから身長がせいぜい2mにも満たない人間の高さには光が降りて来ません。われわれの高さは熱帯にもかかわらずしっとりとして涼しいくらいの環境にあります。
 オラン・ウータンなどは木々の冠のあたり(つまり樹冠のあたり)の光が適度にあり、森を見渡そうと思えば見渡せる場所で一生を過ごします。そんな、素晴らしい風景を見てみたいではありませんか。
 では、50mの木をよじ登りましょうか。さて...。むむむ。無理です!、ごめんなさい!
写真7:ジャングルの中の空中吊り橋のキャノピー・ウォーク。
 というわけで、キャノピー・ウォーク(写真7:右)。
 高さ50mある、熱帯雨林の木々に細いつり橋を渡してあり樹冠の観察をすることが出来ます。
 見上げると光の来る方向、風に揺らめく葉からこぼれる光。樹冠を飛び回る鳥や黒とコバルトブルーの羽が美しい蝶を息をひそめてじっと見る。見下ろすと光の降り行く方向、目いっぱい葉を広げて光を受けんとする木々にすいこまれる光。
 でもね、一度あしを踏み出すと2時間はそのつり橋をわたって周らなければならないという、ある意味お化け屋敷よりも恐ろしい体験でした。

  (4)獣に襲わるる夜〜ブンブンにて〜

写真8:空中のバンガロー(ブンブン)。写真9:バンガローの中はこのように窓ガラスは無く開いている。 ブンブンとは、3階建てくらいの高さに作られた動物観察小屋です(写真8:左)。1階は何もありません。2階は御手洗いで、3階にベッドと観察窓があります。3階のフロアは2段ベッドが3台と、テーブルが1台。観察用長椅子ベンチが1台置かれています。
 観察窓にはガラス戸がついていません。常に全開で外を見渡すことが出来ます。動物や虫の声が絶えず響いています。窓は西向きでしたので、熱帯雨林の夕暮れを楽しみました(写真9:右)。

 夕食はヌサ・キャンプから持参したお弁当をテーブルを囲んで食べました。このブンブンにもう3日も泊り込んでいるという英国人男性と私達3人とガイドさん。なかよくお話していると、ダカダカダカッっ何者かの足音がします。
 私達のお弁当を狙ったネズミが、ネズミが?、ネズミ?、猫じゃないの?、ガイドさんにあれは何?、と聞くと「Mouse!」
 いや、Mouseって、ネズミだよね。あれは明らかにネズミの大きさじゃない。白い丸々と太った猫が薄汚れているようにしか見えない。でも、ちらりとみえる顔を見ると確かにネズミ!、しかも、あなたが走り回っているのは私が眠るはずだったベッドのところじゃないの!
 しかたなく、私が眠るはずだったベッドから一番遠い、観察用長椅子に持ってきたマットを敷いて眠り始めました。
 虫の声が響いています。私は夢にまで見た熱帯雨林に来たんだなー。星は綺麗だし。タイガーには会えなかったけどでもまたいつか来るんだ!、そんな風に幸せな気持ちで眠り込んでいました。

 なにか、胸のあたりが苦しいのです。重い。なんか重い。なんだろう、ゆっくりと目がさめていきます。とにかくこの重さを何とかしたいと、胸のあたり、そうですねちょうど胸骨(なんていうのですかね。しりませんが。)を確かめるように右手で払おうとしたその瞬間。
 私の右腕、二の腕から手首、手の甲をあの白い、いや、薄汚れてしまった白い丸々と太った猫みたい、あのでっかーいネズミが走っていったのです。
 うあぎいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!  (>o<)
 言葉にならない激しい叫びに、皆が起き出します。「猫!、猫!、のってて!、ふとっててネズミがネズミが、重くて重くて」もうわけが分かりません。
写真10:ヒルに食われた跡。出血が大変。 今でも思い出すようです。私の手の甲から軽やかに床に飛び降りたあの乾いた「トコンッ」て音を。スリリングでキュートな思い出です!

 友人はヒルに襲われました(写真10:右)。朝起きたら血みどろの足に失神せんばかりの叫び声をあげていました。白いマットの上に点々と赤黒く見えるのはです。
 ヒルに喰われたらタバコの火を押し付けると良いそうです。

  ◆ヒル・ハイキング

写真11:ジャングルとガイドのオッサン。
 ガイドさんと一緒に、ヒル・ハイキングにでかけました。丘とはいっても獣道をのぼっていくようなものです。鬱蒼とした木々の中を歩いてゆきます。日本で見るものの10倍はある大きな蟻の行列に驚きました。
 頂上にのぼると四方をブロッコリーのような緑の塊がずっと遠くまで続いていました。頂上で撮ったのが左の写真11で、真ん中がガイドさんです。

  ◆ジャングルトレインでコタ・バルへ

 ジャングルを堪能した私達は、またあの船に乗り熱帯雨林を後にしました。クアラ・テンベリンから小さなバスで、ジェラントゥットへ行き、ジャングル・トレインと呼ばれる汽車でコタ・バルへ。
 ジャングル・トレインは、名前の通り熱帯雨林を駆け抜けます。この路線が出来たころの話。
 森の中のある象が、汽車を敵と思い体当たりしてきたという事故があったそうです。彼は残念ながら亡くなってしまったとのこと。なんと痛ましくも、勇敢な話でしょうか!
 そんなお話のあるこの汽車に是非乗りたかったんです。

 コタ・バルは、海に近い平野にある街です。1941年12月8日、日本軍はハワイの真珠湾攻撃よりも早くこの地に上陸したそうです。
 戦争博物館がありました。第二次世界大戦、日本を敗戦させたのはアメリカでしたが、戦争の舞台になったのは確実にアジアだったことを痛感します。韓国、中国、台湾、マレーシア、シンガポール、どこへ行ってもかつての戦争に日本人の足跡があります。
 けれども、私達をやさしく受け入れてくれる人々のほうが圧倒的多数です。感謝と尊敬の念を禁じ得ません。

区切り線。

  ◆マレーシア〜タイ やっぱり国境越えは歩いて
    ♪WalkingDistance♪

 コタ・バルからバスで30分。タイへの国境越えを歩いて体験します。
 タイ、マレーシア間には幅10mほどの小さな川一本なんです。両岸には普通に家々が並び立っています。VISAはなしでも通してくれました。
 思い出します、旅行社でタイのVISAをとるべきかどうかアドバイスをもらっている時のこと。旅行社のお兄さん
 「決まりではとることになっている、この本にはそう書いてある。」
その言葉しかいわない。
 「くーぅっ!、そうなんかなー。怪しい。」
 なかなか本音を言わない旅行社のお兄さんにわたくしカマかけてみました。
 「あなたは、タイにもよくお出かけになっていて、旅行のことには大変お詳しい。ここは旅行社ではありません。そして、私はあなたのお友達です。そして私があなたに聞きます。あなたならタイの入国VISAをとりますか。とりませんか。」
お兄さん
 「とりません。」(おいおい。)
自信満々でした。私の勝手な設定にのって本音をしゃべってくれたあのお兄さん!、お蔭でVISA待ちせずにすみました。ありがとー!(カマかけたというか、催眠術というかなんというか強引だな、私。)

  ◆3等車両で眠る〜北上するマレー鉄道〜

 国境を越え、スンガイコーロクの駅まで歩いて20分。駅につき、バンコク行きの列車を予約します。とっても疲れているので、1等がいいなーと思いきや、3等しか空いていません。仕方なく、3等をとります。
 3等車両は、硬い木のベンチが向かい合っています。一人分が幅50cmくらい。肘掛などありません。ここで、約18時間を過ごします。
 3人で4席を取っていた私達は交代で、横になったり、もたれ合ったりしながら眠りました。残念ながらマレー鉄道の写真はありません。

 そうこうしている内に列車はタイに入りました。タイの風景は広い平野のイメージです。遠くに変わった形の山がいきなり立っていたり。のんびりと農作業をする人々。日本の風景を思い起こしました。

 ■エルニーニョからの二言目

 [マレー半島北上の旅]の後編を見たい方は
 → 次の「まどかの2001年タイの旅」のページへ続きます。

 尚、[まどかのアジアの旅]シリーズの他画面への切り換えは上部フレーム(外枠)の項目目次を選択して下さい。(Please select the item of item-menu of upper frame.)

♪♪♪ つづく ♪♪♪

【脚注】
※1:ヒンドゥー教/ヒンズー教(―きょう、Hinduism)は、古代インドのバラモン教を前身(BC15世紀〜BC6世紀)とし、BC5世紀〜AD5世紀頃に形成された宗教。開祖を持たない。各地の土着信仰を採り入れ、その後、大乗仏教の影響をも加え、5世紀から10世紀に掛けて発展。後イスラム教/キリスト教が入るに及んで一時衰退、19世紀宗教改革運動が有って再び隆盛。呪物崇拝/アニミズム/祖先崇拝/偶像崇拝/汎神論哲学などの諸要素を含み、多くの宗派に分れる。中でもブラフマー(創造神)ビシュヌ(保存神)シヴァ(破壊神)3神が特に信仰される。カースト制度と深く結び付いて居り、現代のインド人の大多数が信仰する。ネパールバリ島など他の南アジア諸国にも信者が居る。聖典はヴェーダ(←バラモン教と同じ)。インド教。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」、「縮刷版 文化人類学事典」より>

※2:ヒル/蛭(leech)は、ヒル綱の環形動物の総称。体は細長くやや扁平で34体節から成る。前後両端の腹面に吸盤が有り、前吸盤の中に口が有る。雌雄同体吸血又は肉食。池沼・水田・渓流などに棲み、チスイビル・ウマビル・ヤマビルなど種類が多い。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):シンガポールとマレーシアの地図▼
地図−東南アジア(Map of Southeast Asia, -Multinational-)
参照ページ(Reference-Page):虫の声について▼
資料−昆虫豆知識(Insect Trivia)
横顔(Profile):まどかちゃんの紹介▼
まどかちゃん(I'm Madoka)
「マレーの虎」事「ハリマオ」について▼
2010年・年頭所感−吼えよ若者!(Roar, YOUNG MEN !, 2010 beginning)


Select page:1:モンゴル国(Mongolia)|2:マレーシア(Malaysia)|3:タイ(Thailand)

総合目次に戻ります。Go to Main-menu 上位画面に戻ります。Back to Category-menu