2004年・パーリャン小学校竣工記念旅行
[雲南省の大理/麗江/香格里拉/石鼓]
(Completion travel of Paliang's primary school,
China, 2004)

-- 2008.12.03 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2017.07.16 改訂

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 ■はじめに - 2004年のパーリャン小学校竣工記念旅行について

 2004年10月29日(金)~11月11日(木)パーリャン小学校竣工式への出席と竣工記念旅行11月2日(火)~11月11日(木))に行って来ました。04年11月1日(月)のパーリャン小学校竣工式の模様は既に04年11月17日「パーリャン村の小学生を支援する会」に記しました。それで今回はパーリャン小学校竣工記念旅行について記します。
 ところで「パーリャンに小学校をつくる会」は富樫穎会長(大阪市立大学教授)を代表に1998年9月22日に設立されました(←「パーリャンに小学校をつくる会」の「基本データ」を参照)。私が「つくる会」の事を知ったのは確か99年の秋だったと思います。それで「つくる会」に”若干の寄付”をさせて頂き「つくる会」の会員に成った訳です。
 私はこの「パーリャン小学校竣工記念旅行」を書くべきか書かざるべきか迷いましたが、やはり書くことにしました。私は「つくる会」のスタッフでも無ければ、「つくる会」を代表している者でも有りません。私は単にランティア、即ち”ボ参者”に過ぎません。只、竣工記念旅行に参加した者の一人として旅行の模様を記す事にしました。
 私は雲南省の大理/麗江/香格里拉/石鼓の旅は、石鼓以外は既に来て居ます。パーリャンの仲間は2004年当時は非常に明るかったのです。それはパーリャンに小学校を作ったという達成感開放感が全編を支配して居るからです。

 尚、私と「パーリャンに小学校をつくる会」との出会いは「1999年・雲南の旅(昆明/西双版納/大理)」にも書いて居ます。

 ■旅程

 2004年パーリャン小学校竣工式竣工記念旅行全旅程を以下の表に記します。

日付 移動 宿泊
10/29(金) 14:30 関空集合
16:30 関空 -- 飛行機 --> 20:20 昆明
金龍飯店
   30(土)  9:00 昆明 ---- バス ----> 昆明
       園通寺・市場・昆明市博物館・民族村・お茶屋など
       昆明名物の過橋米線で夕食
20:10 昆明 -- 飛行機 --> 20:50 思茅
金風酒店
   31(日)  9:00 思茅 ---- バス ----> 孟連
       思茅茶場見学、瀾滄で昼食、白塔・土司署、夕食
孟連県教育賓館
11/01(月)
(竣工式)
 9:00 孟連 ---- バス ----> 9:30 パーリャン
       パーリャン小学校竣工式、昼食
14:00 パーリャン ---- バス ----> 孟連
       帕亮新塞(ラフ族)、東木村(ダイ族)の村を見学
       中心小学校・勐阿(モンア)(ミャンマーとの国境)
       ホテルで夕食(竣工式を祝って宴会)
孟連県教育賓館
   02(火)  <パーリャン小学校竣工記念旅行>
 9:00 孟連 ---- バス ----> 恵民 ---- バス ----> 景洪
              恵民で昼食、景真の景真八角亭
金版納酒店
   03(水)  9:00 景洪港 ---- 船 ----> 橄欖壩(ガンランバ)
       曼海(ダイ族集落)を見学、橄欖壩で昼食
       市場見物
      橄欖壩 ---- バス ----> 16:30 西双版納空港
11月04日帰国組
   18:00頃 西双版納空港 -- 飛行機 --> 18:40 昆明
11月11日帰国組
   17:40 西双版納空港 -- 飛行機 --> 18:30 大理古城
04日帰国組
金龍飯店


11日帰国組
白族民居風
ホテル
   04(木) 11月04日帰国組
 5:40 起床、朝食を持って6:40にホテルを出発
 8:40 昆明 -- 飛行機 --> 15:00 関空
11月11日帰国組
 9:00 大理古城 ---- バス ----> 18:30 麗江
       三塔寺・白族民居・洱海・市場
       夕食後は自由行動
04日帰国組
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11日帰国組
ナシ族民居風
ホテル
   05(金)  9:00 自由行動(各自市内散歩)、トンパ(東巴)教
       夕食後にナシ族古楽
ナシ族民居風
ホテル
   06(土)  9:00 麗江 ---- バス ----> 麗江
       雲杉坪・束河村・白沙(壁画)・甘海子
ナシ族民居風
ホテル
   07(日)  9:00 麗江 ---- バス ----> 香格里拉(旧:中甸)
       虎跳峡・小中甸、夕食後にチベット民族風情館
天界神川大酒店
   08(月)  9:00 香格里拉 ---- バス ----> 香格里拉
       属都湖・下給温泉・納帕海・松賛林寺(帰化寺)
天界神川大酒店
   09(火)  9:00 香格里拉 ---- バス ----> 麗江
       長江第一湾・石鼓
金泉大酒店
   10(水)  9:50 麗江 -- 飛行機 --> 10:30 昆明
       自由行動
        (私は武田先生と昆明北駅・花鳥市場などを散歩)
       夕食は宴会
金龍飯店
   11(木)  5:40 起床、朝食を持って6:40にホテルを出発
 8:40 昆明 -- 飛行機 --> 15:00 関空
番猫のフニャー。

 上の旅程で、茶色(■)パーリャン小学校竣工式11月1日(月))で、それ以降(11月2日(火)~11月11日(木))が竣工記念旅行です。竣工記念旅行に参加されない方は11月2日(火)~11月3日(水)は孟連~景洪市を中心にした見学(←竣工記念旅行参加組と共通)で、翌4日に帰国します。

 ■孟連からの帰り























 ■昆明












 昆明の白族が経営する「お茶屋」






 ■景洪











    ◆橄欖壩(ガンランバ)






 橄欖壩には「農貿市場」(左の写真)と言う大きな市場が在り、中央の孔雀の絵の下に「農貿市瑪」と書いて在ります。私はこの市場で「基諾族製の葉巻」と大きな沱茶(※5)を買いました。葉巻の話は「2000年・雲南の旅」でして在りますので、ここでは沱茶の話をします。

 もう雲南には来れないかも知れないと思い、それ迄の小さな沱茶では無く大きく固めた普洱茶が欲しかったので、買ったのは直径8cm位のものと直径20cm位のもの1つずつです(下の写真)。

 右の大きい方の包みには製造元が「勐海南糯山喬木古村茶」と在り中央には黒く「南糯山」と大書して在ります。勐海とは西双版納西部の街でパーリャンに行く時にここを通って行きました。
 帰国してから試してみましたが直径が大きいと茶を削るのが非常に大変で、直径20cm位のものは未だに封を切ってません。普段飲むには沱茶に限るという事が解・り・ま・し・た!!{この沱茶の写真は2015年7月7日に追加}











 ■大理














 周城









 04年11月04日、藍染めの周城で有志たちと基諾族製の葉巻を吸いました。1つの仕事を遣り終えた達成感開放感で満たされている私たちは、ここで「基諾族製の葉巻」を私が披露し皆で吸いました、この葉巻は先程述べた様に橄欖壩の「農貿市場」で買ったものです。左下の写真が左から、武田先生(葉巻を吸う)、富樫会長(足を怪我されたので吸わず、本来はヘビースモーカー(heavy smoker))、厉仁玉先生、伯砂先生(葉巻を吸う)、田代侃先生(葉巻を吸う)です。そして右下が私(勿論葉巻を吸う)です。
 あぁ、旨い...(^_^)/-゜゜゜!!、しかし私って不良ですねぇ、オッホッホ!


 因みに、私は05年2月8日にもパーリャンの仲間と大阪で飲んだ時も基諾族の葉巻を吸いました(左の写真)。左から佐野さん、又川さん、伯砂先生、そして私です。
 伯砂(しらまさ)先生はご自分の煙草のケースを披露しています(右の拡大写真)が、これは懐かしいゴールデンバットですね。しかしゴールデンバットなど今は自動販売機では有りません。多分通販で手に入れるのでしょう。
 伯砂先生曰く「最近の紙巻煙草はニコチンのmg値が極端に減り、煙草を吸っているのか”紙”を吸っているのか、判らんじゃないか。”紙”を吸って体に良い訳無いだらう!と仰っていました。蓋(けだ)し名言です!

 [ちょっと一言]方向指示(次) このゴールデンバットのパッケージケースは私も見覚えが在ります。バット(←皆そう呼んで居た)は私が子供時代の大衆向き煙草で、対する高級品は缶入ピース(缶ピー)でした。この頃「黄金バット」という紙芝居が流行っていて私はゴールデンバット -golden bat、黄金の蝙蝠(こうもり)- という命名は、てっきり黄金バットが流行ったからだと長らく思い込んで居ましたが、ゴールデンバットは1906(明治39)年に大蔵省専売局(後の専売公社、今のJT)から発売されて居ます。対する黄金バットは1930(昭和5)年の紙芝居「黒バット」が源流で、その後戦後の1947(昭和22)年の黄金バットが紙芝居で流行ったのです。つまりゴールデンバットの方が古いのです。バットは芥川龍之介太宰治に愛煙されました。
 因みに、私の母は煙管で刻み煙草を吸ってましたね。父は紙巻煙草、銘柄はもう忘れました。あの頃は大抵の大人は煙草を吸って居ました。大人とは煙草を吸うもんだ、と子供の頃は思って居ました。世の中、変われば変わるものですね、いやはや!


 私が基諾族の葉巻を吸っている写真は
  私自身の写真集・海外と日本編(My own PHOTO album in overseas and Japan)

にも載って居ます。







































 ■麗江








麗江市東巴文化研究院


11月5日
トンパ教(東巴教)の祭司(※10)


トンパ(dongba[中国]、Tompa)とは



11月6日
白砂で葉巻を吸う


龍潭へ行く





11月7日
漢方「河江龍」


虎跳峡

香格里拉

 ■香格里拉(旧:中甸)


中甸(※15)


11月8日

紅山景区属都湖




漢方



納帕海

茶馬古道の標識



松賛林寺(帰化寺)


冬虫夏草(冬虫草)を買う

 ■石鼓 - 長江第一湾

11月9日


石鼓鎮の長江第一湾










 ■麗江空港~昆明

11月10日


「三七花」












 ■南湖さんのこと




 もう、あれから随分月日が経ちました。富樫会長2013年2月10日に来世に旅立たれました。それに対し私は『パーリャン小学校の思い出』(△10)と『富樫穎先生追悼文集』(△10-1)という本を出版し、何とか「つくる会」の活動を記録に留めました。そしてその1年後に奥様の南湖様迄が、...。この本は南湖様に対する私の感謝の想いが詰められて居ます。





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Re: 深切懐念富樫先生


思うことができないですが、南湖奥様がもう亡くなりました。
南湖奥様がほんとうによろしい人です。たいへん悲傷で、懐念です。
ALSという病気は特に効き目の薬がないです。

貴方とおなじ、無言です。


----- Original Message -----
From: ElNino Fukazawa <elnino@mvb.biglobe.ne.jp>
To: renyuli7021@yahoo.co.jp
Date: 2014/12/11, Thu 02:23
Subject: Re: 深切懐念富樫先生


 リー先生、久し振りです。
もう、あれから1年が経ちましたね。

 その1周年を待たずに、南湖奥様が今年の10月4日に富樫先生の後を追いました。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)と言う難病だそううです。
 南湖様は2012年1月に、私が脳出血で入院してる時に伯砂先生、又川さん、佐野さんと一緒にお見舞に来て呉れました。その時はお元気だったのです。
 ALSが発症したのは、その後です。2013年3月に私が沖縄に来る「別れの会」をやりましたが、その時ALSだと聴きました。
 そして2013年12月10日に富樫先生が、それから1年経たない2014年10月4日に南湖奥様が逝かれました。
 私は言葉が有りません。


----- Original Message ----- From: <renyuli7021@yahoo.co.jp>
To: "ElNino Fukazawa" <elnino@mvb.biglobe.ne.jp>; "kantashiro田代 侃" <kantashiro@nifty.com>; "okada" <okada@nishitech.ac.jp>; "藤本 尚久" <nfujimoto@gakushikai.jp>; "上田 博之" <archueda@kta.att.ne.jp>; "上田 博之" <pengcom01@gmail.com>
Sent: Wednesday, December 10, 2014 3:50 PM
Subject: 深切懐念富樫先生


> 一週年のとき、深切懐念富樫先生!

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 景星街の花鳥市場


 ■結び











 最後に、一緒に旅した皆さんどうも有り難う!

                (^o^)/

♪♪♪ おしまい ♪♪♪

【脚注】
※1:






※5:沱茶(たーちゃ)/餅茶(もちちゃ)/団茶(だんちゃ)とは、茶葉を丸餅状に練り固めた固形茶を指す。大きさは大小様々で、大きいものは一回毎に使用する分量だけ削って飲み、一回の飲茶に丸ごと使える小型円盤状のものは沱茶と呼ぶ。体積が少なく済み長期保存が利き、運搬に便利。中国古来の茶の保存形態で、現在では雲南地方に残る。遣唐使らに依って日本に最初に輸入された茶の形態で、団子の様な形から団茶とも呼ばれた。





※10:祭司(さいし、priest)とは、この場合、未開諸民族に於いて、祭儀・呪文(じゅもん)に通じ、霊験を齎す者。又、神霊の代表者






※15:雲南省中甸県は、2002年1月香格里拉(シャングリラ)県と名称変更されました。私は雲南桃源倶楽部の有志と2001年10月17~20日、即ち名称変更の1.5ヶ月前に中甸を訪れて居ます。




    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】







△10:『パーリャン小学校の思い出(第2版(改訂版)) ~中国雲南省の辺境地に小学校を作る~』(エルニーニョ深沢著、蛙ブックス)。
△10-1:『富樫穎先生追悼文集 -『パーリャン小学校の思い出』別冊-』(厉仁玉・武田淳・河合民子・西潟範子・エルニーニョ深沢著、蛙ブックス)。


●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):西双版納の地図▼
地図-中国・西双版納(Map of Xishuangbanna, -China-)

参照ページ(Reference-Page):パーリャンの在る孟連県の地図▼
地図-中国・孟連(Map of Menglian, -China-)

参照ページ(Reference-Page):雲南省の大理/麗江/
香格里拉(旧:中甸)の地図▼
地図-中国・雲南省北部(Map of Northern part of Yunnan, -China-)

参照ページ(Reference-Page):中国の少数民族▼
資料-中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)
横顔(Profile):パーリャン小学校竣工式の模様▼
パーリャン村の小学生を支援する会
(Support team for Paliang's schoolchildren)

横顔(Profile):私と「パーリャンに小学校をつくる会」との出会い▼
パーリャンに小学校をつくる会
(Construct team for Paliang's primary school)





私と「パーリャンに小学校をつくる会」との出会い▼
1999年・雲南の旅(昆明/西双版納/大理)
(Kunming, Xishuangbanna, and Dali of Yunnan, China, 1999)




基諾族が葉巻を製造している景行▼
2000年・雲南の旅(河口/元陽/紅河etc)
(Hekou, Yuanyang, Honghe etc. of Yunnan, China, 2000)

私が基諾族の葉巻を吸っている写真▼
私自身の写真集・海外と日本編(My own PHOTO album in overseas and Japan)

トンパ教(東巴教)について▼
2001年・麗しの麗江(Beautiful Lijiang, China, 2001)





中国の少数民族について▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')


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