§.2014年、やっぱりトホホの和田阪神
猛虎眠り猫か?、我が阪神#3]
(As I thought, Wada-HANSHIN is 'Tohoho'-smile, 2014)

−− 2014.10.21 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2014.12.10 改訂

 ■はじめに − 異変が起こる
 2014年10月18日(土)、ラジオ −私はもう20年以上前から訳有ってテレビを持って居ません− を聴いて居た私は信じられない思いでその瞬間を耳にしたのです。我が阪神タイガース(※1)が4勝無敗で巨人とのクライマックス・シリーズ(Climax Series、略称:CS) −CSはプレーオフ(優勝決定戦)(※2)の一形態− を制し日本シリーズ進出が決まったのです。あの”勝負弱い”阪神が勝つ訳が無いとタカを括っていた私は巨人に3連勝する迄はラジオの中継を聴きませんでした。
 が、何か異変が起こったのです。阪神と言うと、ここ一番と言う勝負所で必ず負ける”勝負弱い”球団だからです。例えば2005年にセ・リーグ(※3、※3−1)を制しましたが日本シリーズでロッテに4連敗、話に成りません。特に1973年は絶対有利だったにも拘わらずリーグ優勝を巨人に浚われました。これは思い出したく無いので、興味有る方は自分で調べて下さい。何しろ阪神が日本一に成ったのは1985年の1回のみ −バース・掛布・岡田の甲子園センター・バックスクリーン3連発が有った年− なのです!!
 和田新監督に決まった2011年秋に、ここ数年ずっと為体(ていたらく)を続けている阪神タイガースに檄文でも書いて遣ろうかと思って居た所へ、私は2011年12月2日(金)21時15分脳出血で倒れ、2011年12月初〜2012年2月末迄の3ヶ月は病院で入院生活を送り、その後約1年間を施設でリハビリに専念した為に2012年度の阪神の野球を殆ど知らないのです。
 そして漸く2013年2月18日(月)に娑婆に復帰し、直ぐ様3月18日沖縄に遣って来たのです。しかも出版事業を始めたので和田阪神について書く暇が無かったのですが、上記の如く我が阪神タイガースが2014年度の日本シリーズに出場したのを機会に出版しようと思い立ちました(→後出)。しかし案の定、阪神タイガースは緒戦に勝ったのみで後は4連敗と元の”勝負弱い”所を見せ、盛り上がらない儘で終わりました。
 それなら出版を見送る考え方も有るのですが、そうすると阪神が何時又リーグ優勝とかCSに勝つとかし出版の好機が来るのか判らない訳で、やはりこの機会を逃しては為らないと思いました。
 クライマックス・シリーズの詳細や野球の専門用語については▼下▼を参照して下さい。
  資料−日本プロ野球の用語集(Glossary of J-pro-baseball)

 ■和田阪神
 そういう訳で、この話は和田監督が決まった2011年から書き始める必要が有るのです。

 (1)2011年の秋 − 和田豊に監督決定
 和田豊が翌年の2012年から阪神タイガース監督(第32代)に就任したのは2011年10月28日の事です。それ以前は真弓監督の下で打撃コーチを遣って居ました。このニュースを知って私は「木戸で無く和田ねえ、他に人材が居なかったんだ。」と思いました。正直言って私は和田が監督に成るとは予期してませんでしたね。木戸は為体(ていたらく)な真弓阪神のヘッドコーチだった為に詰め腹を切らされたんでしょう、それで消去法で和田か、と2011年は納得しました。
 和田は千葉県出身です。千葉県というと長嶋茂雄や掛布雅之がそうです。大学は日大で、1984年のロサンゼルス・オリンピックの代表で金メダルを取りました。阪神入団は阪神が初めて日本一に成った1985年です。私は1年目から選手としての和田を知って居ますが、88年頃からの和田はレギュラーに成り甲子園で良く見知って居ました。和田というとバント、一二塁間にゴロを打つ、三振が少ない、ホームランも少ない、真面目、とチームプレーに徹した野球 −要するに堅実な小技師− ですが面白味には欠けるのです。しかし、監督に成って小技の野球じゃ面白く無い、如何にもスケールが小さい野球じゃあ、そう思いませんか?
 私が和田監督に一番危惧したのはその点です。

 (2)2012年度 − 俗世間と没交渉で野球を知らず
 案の定2012年はランナーが出ると直ぐバントの「小技師」振りを発揮した様 −上で説明した様に私はリハビリに専念して俗世間とは全く没交渉で2012年は一度もプロ野球を見て無いですが、スポーツ新聞(以後、スポ新)を良く読んでいる人はそう言ってました− で順位は5位でした、トホホです。だから和田監督には何も期待するものは有りません、早く代わって貰いたい、これが正直な気持ちでした。

 (3)2013年度 − 沖縄(那覇市)に移り住んで
 この年は私が沖縄に移り住んだ年です。沖縄という所は圧倒的に巨人ファンが多いのです。これは内地も同じで辺境地区は昔は巨人の放送しか遣って無かったので今でも巨人ファンが多い訳です。内地では北海道とか東北にプロ野球チームが出来て昔とは大分様変わりして来ましたが、沖縄は依然として”巨人の聖地”です。だから沖縄で「私は阪神タイガースのファンです」と言うのは「私は阿呆です」と言ってるのと同じなのです。
 2013年の阪神は新人の藤浪晋太郎が10勝を上げ良く遣りました。やはり2012年の春夏甲子園連覇は伊達では有りません。そしてチームも2位と成りましたが優勝争いをした訳では無く盛り上がりに欠ける1年でした。CSも3位の広島に2連敗で終わり。相変わらず”勝負弱い”阪神タイガースでした。

 (4)2014年 − クライマックス・シリーズに異変が起こる
 そして2014年、ペナントレースは首位巨人に7ゲーム差を付けられて2位で終了。特筆すべき事は何も有りません、唯藤浪が12勝を上げ着実に成長して居ます。
 ところが、CSで最初に述べた異変が起きたのです。先ずファースト・ステージは1勝1分で3位の広島を退け、ファイナル・ステージは首位巨人に何と4連勝して仕舞ったのです、あの”勝負弱い”阪神が。だから異変と言うのです。それは2014年10月18日(土)の事でした。これで和田阪神がセ・リーグ代表として日本シリーズ出場が決まったのです。巨人の選手は遣ってられないでしょうね、私も巨人に同情します。しかし、これはルールだから仕方無いのです。
 因みに10月18日の夜は警察の警告を無視して大阪道頓堀川に飛び込んだファンが30名位居たそうでスポ新に写真が載って居ました。2003年の時は私も皆が飛び込むのを見に行きましたね(←私の家から歩いて15分で行けるのです)、次々に飛び込んで100名位見ましたよ。飛び込むヤツは”目立とう精神”が旺盛ですね。こういう所がお笑い芸人的で、阪神の”勝負弱さ”もその辺と関係有るのではと思えて来ます。ここらで「六甲颪」を歌いたい方は▼下▼からどうぞ。
  エルニーニョの「六甲おろし(六甲颪)」(The Rokko-Oroshi)

 さて対戦相手はソフトバンク(首位)か北海道日本ハム(3位)か、こちらは未だ決まって居ません。私はラジオでパ・リーグのCSファイナル・ステージを聴きました。パ・リーグは縺(もつ)れましたが10月20日(月)福岡ソフトバンク・ホークスが3勝3敗にアドバンテージ(=有利な権利)の1勝を加えて勝ちました。福岡ソフトバンク・ホークスと言えば2003年に星野阪神が日本シリーズ −このシリーズはお互いに自分のフランチャイズ球場(※4)でしか勝てなかった為に”内弁慶シリーズ”と言われた− を戦って敗れた嘗ての福岡ダイエー・ホークスです。福岡ダイエーは2004年に球団をソフトバンクに売り2005年度から今の福岡ソフトバンク・ホークス成ったのです。
 2004年と言うと、秋に選手会が初のストライキを行い日本のプロ野球にとって試練の年でした。一方、アメリカ大リーグでは10月1日にシアトル・マリナーズのイチロー外野手ジョージ・シスラーの年間最多安打記録257本を実に84年振りに更新しました(←結局イチローは262安打を打った)。兎に角、2004年という年は野球界では国の内外に於いて色々な事が起こった年でした。
 そういう因縁を抱えたチームが対戦相手に決まり、相手に不足が有ろう筈が有りません。こう成ったら2003年のリベンジです。私はこの時に阪神タイガースの本の出版を決めたのです、例え日本シリーズに0勝4敗でも。ここでCSのデータを下に載せて置きます。

        <クライマックス・シリーズのデータ>
  ファーストステージ
           セ・リーグ(甲子園)        パ・リーグ(京セラドーム大阪)
          阪神(2位) 広島(3位)     オリックス(2位) 日本ハム(3位)
    10月11日  1○  ×   0    10月11日  3●  ×   6
    10月12日  0   ×   0    10月12日  6○  ×   4
      (アドバンテージで阪神の勝)     10月14日  1●  ×   2
  ファイナルステージ
           セ・リーグ(東京ドーム)      パ・リーグ(福岡ヤフオク!ドーム)
          巨人(首位) 阪神(2位)    ソフトバンク(首位) 日本ハム(3位)
    10月15日  1●  ×   4    10月15日  3○  ×   2
    10月16日  2●  ×   5    10月16日  1●  ×   5
    10月17日  2●  ×   4    10月17日  4●  ×  12
    10月18日  4●  ×   8    10月18日  5○  ×   2
                         10月19日  4●  ×   6
                         10月20日  4○  ×   1
                           (アドバンテージでソフトバンクの勝)

    ◆2014年の日本シリーズ − やっぱりトホホの和田阪神!
 愈々日本シリーズです。甲子園の第1戦はメッセンジャーの好投で勝ちました。CSの勢いをその儘継承して居ます。
 しかし第2戦に先発した武田のカーブに躱されて打線沈黙で負けました。まぁ、ここ迄は予想してた内容です、武田も調子良かったですから。和田監督も1勝1敗は予想に入って居たでしょう。
 問題はここからです。強いチームは連敗はしないのですが...。球場を福岡ヤフオク!ドームに移しての第3戦、ソフトバンクは左の大隣を先発させ変化球の絶妙のコントロールで完全に阪神打線を翻弄しましたね。阪神はこの試合を落とします。これで対戦成績は1勝2敗と成りました。
 そして問題の第4戦です。私はこの試合がキーポイントと考えて居ます。阪神が岩田、ソフトバンクは中田の先発で元中日の中田は滅茶滅茶調子が悪いのに打ち崩せず、2×2の儘10回表の攻撃で阪神は走者1、3塁で打者ゴメスという願っても無いチャンスにCSから当たっていたゴメスがまさかの併殺打でチャンスを潰します。その裏ソフトバンクは2アウトで後1人という所で伏兵の中村に阪神の守護神の呉がサヨナラ3ランを打たれ、又しても”勝負弱い”阪神が顔を覗かせました。しかしゴメスより前に私はこの試合は和田監督がチャンスで全然動かなかった事に疑問符を呈します。駒は居たのに、CSでは積極的に仕掛けたのにです。和田監督の手綱捌きが上手く発揮されて居れば勝てた試合だと思って居ます。
 勝てる試合に勝てない阪神は後が無い第5戦でも”ヘマ”を遣らかします。貧打線で8回に1点を失った最後に西岡のピッチャーゴロが相手のミスを誘って逆転したか、と思った瞬間に西岡の守備妨害でゲームセットという判定です。和田監督は抗議しました −和田監督の抗議は怖く無い!− が判定は覆らず日本シリーズは呆気無く終了しました。守備妨害なんてチョンボや!!
 CSで4連勝 −確かにCSで勝ち上がる為には勢いが必要ですが− したかと思うと日本シリーズで4連敗したりと、連勝とか連敗は実力が無い証拠なのです。

 終わって見れば1勝4敗で阪神の負けでした。データで振り返って下さい。

        <日本シリーズのデータ>
      甲子園            阪神  ソフトバンク
    第1戦(10月25日(土))   6  ×  2
                メッセンジャー○  スタンリッジ●
    第2戦(   26日(日))   1  ×  2
                     能見●  武田○
      福岡ヤフオク!ドーム
    第3戦(   28日(火))   1  ×  5
                     藤浪●  大隣○
    第4戦(   29日(水))   2  ×  5
                     安藤●  サファテ○
    第5戦(   30日(木))   0  ×  1
                メッセンジャー●  五十嵐○
      甲子園
    第6戦(12月 1日(土))


 以上の様に2014年の阪神タイガースも惨めな結果に終わりました。やはり第4戦ですよ、勝てるゲームを取り溢していたら勝負事は負けです。私は日本シリーズに負けても良いと思って居ました。唯、日本シリーズを盛り上げる為にも是非再び甲子園にゲームを持って来て欲しかったのです。第6戦(甲子園)のチケットを購入してた阪神ファン、或いはテレビ観戦で盛り上がろうと待ち構えてた阪神ファン、何かシラケましたね。あぁ、やっぱりトホホの和田阪神です!!
 ところで今年は和田監督の2012〜14年迄の3年契約の更改の年ですが、CSに勝った事 −首位巨人には7ゲーム差を付けられた− で自動的に延長みたいですが、こんな微温湯(ぬるまゆ)的な体質で良いんですかねぇ。尤も球団側からしたら和田は良く球団の言うこと聞くし年俸も安いので”使い勝手”が良いのかも知れません。

 ■クライマックス・シリーズについて
 「はじめに」で述べた様にクライマックス・シリーズ(CS)はプレーオフ(優勝決定戦)の一形態(※2)です。2004〜06年パ・リーグ(=パシフィック・リーグ)のみでトーナメント方式(※3−2)のプレーオフが行われましたが、これが興行的に儲かるので2007年からセ・リーグ(=セントラル・リーグ)でも導入する事になり、統一的なシステムを決め名称を一般公募した結果クライマックス・シリーズという名前に決まりました。詳しいルールについては「資料−日本プロ野球の用語集」を参照して貰うとして、2位と3位の争いをファーストステージ、ファーストステージの勝者と首位の争いをファイナルステージと言います(ファーストステージ、ファイナルステージという呼び方は2010年からで、それ以前は第1ステージ第2ステージと呼んで居ました)。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 興行的に問題の有ったパ・リーグはずっと以前から2シーズン制とか前期・後期制とかのプレーオフ制を導入して居ました。2007年からのセ・パ両リーグで統一的なクライマックス・シリーズを導入することに成りましたが、セ・リーグが導入に踏み切った理由は興行的に儲かるという理由からです。

    ◆クライマックス・シリーズの問題点
 一番の問題点は、現在144試合のペナントレース(※5)の重みと、ペナントレース終了後の僅か数試合のCSの重みが等価に成って仕舞うのです。つまりペナントレースの重みが1/15位に軽く見做される訳で、私が2008年秋に指摘して居る様にそこには「ペナントレースの矮小化」が在るのです。この問題については2004年のパ・リーグのプレーオフについて掲示板でも指摘して居ますが、その文章を「ブラボー!、乱闘試合」から引用しましょう。
▼▼▼
 この”変”はつまりペナントレースを”3位に食い込める程度”にチンタラ遣って、最後の数試合のプレーオフだけを全力で勝ち抜けば優勝を”横盗り”出来る、という点に在ります。つまり長丁場のペナントレースの価値が矮小化され、ペナントレースは単なる個人のタイトル争いの場に成って仕舞う、ということです。昨年パ・リーグがこのプレーオフ制導入を決めた際に、この”変”即ち奇妙さに一人で噛み付いていたのがナベツネです。私がナベツネは巨人以外の問題には意外と筋が通っている、と常々指摘して居る理由はこういう点です。
▲▲▲
 今年の阪神が良い例で結果的に阪神は只単にCSに勝っただけなのです。セ・リーグのリーグ優勝は巨人(←飽く迄ペナントレースを制したチームを言う)であり日本一に成ったのは福岡ソフトバンクです。興行的には儲かったかも知れませんが特に今年の阪神の場合、内容的には何も無いのです。CSを勝ち抜いて日本シリーズに出場したチームは日本一に成って初めて記録的に意味を持つのであり、そうで無い場合はCSに勝ったという意味しか無いという事を肝に銘ずべきです。阪神がもし第6戦以降の甲子園決戦に臨んで居れば或いは記憶に残る試合をしたかも知れませんが。これでは巨人が遣った方が盛り上がったであろうと思います、巨人さん御免なさい!
 悲しい哉我が阪神タイガースが大反対していたCSに勝ち日本シリーズに出ると成ると、この時点でそれ迄の理性を全て忘れ阪神が勝つことだけを願って仕舞うのです。これはナベツネが巨人の事と成ると自分の我儘を強引に押し通す −特に2011年の大震災後のプロ野球開幕で見せたナベツネの横暴は未だ覚えて居るでしょう− のと論理的には大差無いと気付く訳ですが”どうしょうも無い”のです。CSについては私は今でも「ペナントレースの矮小化」という立場から反対論者ですがプロ野球は同時に興行としての”見世物”ですから、決まっている事に関しては従わざるを得ません。

 ■沖縄で3人のアンチ巨人ファンと友達に
 ここで2013年〜2014年に”巨人の聖地”沖縄で3人のアンチ巨人ファンと友達に成った話をしましょう。
 1人目は第1牧志公設市場に程近い「てぃーだむーん」の店員で、元々沖縄の人で今は糸満市に住んで居ますが、生まれたのが神奈川県座間市 −座間も基地の街− だったので横浜ファンです。この店には泡盛を飲む為に時々寄りますが彼には沖縄の事を色々教えて貰い、正月の餅搗きや夏の波之上での焼肉パーティーに呼んで貰いました。小店長(弟)も友達で、時々大店長(兄)も顔を見せますが大店長は滅茶滅茶巨人ファンです。
 2人目は埼玉県出身の夫婦が遣って居る「ISEZAKI」という店が大平通り商店街近くに在って私が偶に寄ると殆ど来て居るという日本酒好きの人の良さそうな客が、私は横浜ファンだと聞いたと思って居たら阪神ファンだと言って居ます。”俄か阪神ファン”が良く出るのです、こういう時に。彼は昼間から酒が飲めて羨ましい身分だねと言ったら夜勤明けだと答えましたが、勤明けも悪くないね。この店は昼はうどんなどを食わせ1時を過ぎると飲み屋に変貌します。
 3人目はやはり大平通り商店街近くの坂の途中に在った小さな喫茶店&バーのマスターです。この人は富山県の出身 −富山県は巨人ファンが多い!− なのに何故か阪神ファンでした。マスター1人で経営し昼は喫茶店、夜はバーを遣ってましたが、2014年夏に愛知県(←奥さんの実家)に引っ越して行きました。ここのコーヒーは安くて旨く(250円)、ここへ来ると先ずスポ新に目を通し阪神の愚痴を溢しましたが、行って仕舞って阪神の異変で盛り上がれずとても残念。マスターも夕方偶に「ISEZAKI」に来て居ました。
 異邦の土地で、やはり持つべきものは友達です。

 ■結び − 2003年から約10年間の歴史
 2003年から2014年に掛けてはプロ野球界では色々な事が起こり、様々な変革が在りました。ちょっと時系列順に並べると

        <2003年から約10年間の日本プロ野球の歴史>
  2003年 阪神タイガース、18年振りにリーグ優勝(内弁慶シリーズに負)
  2004年 2004年〜2006年はパ・リーグでプレーオフ
        北海道日本ハム・ファイターズ(北海道を拠点を移す)
        オリックスが近鉄を吸収合併
          (近鉄バファローズは2004年度で消滅)
        それに対し秋に選手会が初のストライキを行う
  2005年 オリックス・バファローズ、福岡ソフトバンク・ホークス、
          東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生
          (純然に新規球団は楽天のみ)
        阪神タイガースがリーグ優勝、がロッテに0勝4敗(”勝負弱い”
  2007年 セ・パ・両リーグでクライマックス・シリーズ(CS)を実施
  2011年 統一ボール(統一球)の使用(統一球は後に再三問題と成る)
        大震災後のプロ野球開幕で見せたナベツネの横暴
  2013年 統一球問題で加藤コミッショナー(馬鹿コミッショナー)が辞任
  2014年 統一球問題でミズノ社、ボールの回収と在庫品の選別
        阪神タイガース、CSの異変も日本シリーズで”勝負弱さ”を露呈


と成ります。ストライキの原因を成したオリックスと近鉄の合併工作については
  オリックスの”球団転がし”を糾弾する(Denounce 'Rolling Team' by ORIX corp.)
に於いて厳しく糾弾した事を思い出しますが、2009年には「かんぽの宿」払い下げ問題が急浮上するなど宮内義彦(オリックス・グループ総帥)は”食えん”奴(※6)です。この約10年間のプロ野球の歴史は非常に大きく変革しました。
 ところで【脚注】※1に在る様に、阪神タイガースの前身は1935(昭和10)年12月10日に創立された「大阪野球倶楽部」(大阪タイガース)日本で2番目の老舗球団で、1番の老舗は勿論読売ジャイアンツ(通称:巨人、当時は「大日本東京野球倶楽部」)です。しかし阪神は2リーグ制(1950年)以降日本一に成ったのは1985年の1度切りで、これは既に殆どの球団に追い越され2013年には遂に創立10年足らずの楽天に追い着かれました。こうも”勝負弱い”とは情けない!!
 ならば阪神ファンを止めればと思うでしょうが、これが止められないのです。もう”どうしょうも無い”のです。あぁ、悲しい哉、阪神ファン心理よ!!
 という事で、皆さんには最後迄付き合ってくれて、どうも有難う御座居ました。駄目猫め、目を覚ませ!!
                m(=-_-=)m/

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−−− 完 −−−

【脚注】
※1:阪神タイガースの前身は1935(昭和10)年12月10日に創立された「大阪野球倶楽部」(大阪タイガース)で、翌36年の職業野球開幕当初から参加した日本で2番目の老舗球団です。因みに、日本で最初の職業野球球団は、読売ジャイアンツ(通称:巨人)の前身「大日本東京野球倶楽部」で1934(昭和9)年12月26日創立
 これ迄、タイガースは当初の1リーグ2シーズン制時代に193738年、1リーグ1シーズン制時代に戦中の44年と戦後の47年に優勝。1950年以降の2リーグ制時代(セ・リーグ)には戦力低下に喘ぎ626485(日本一)200305にリーグ優勝して居ます。14年はクライマックス・シリーズ(CS)に勝ち日本シリーズに出場しただけ。
 因みにCSは、2007年(3位、負)、08年(2位、負)、10年(2位、負)、13年(2位、負)、14年(2位で勝)です。

※2:プレーオフ(play-off)とは、優勝決定戦
 [1].ゴルフで同スコア同士のプレーヤーに依る優勝決定戦。
 [2].野球などで勝利数や勝率が同じ時などに行う優勝決定試合。
<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※3:リーグ(league)は、同盟。連盟。連合。特に、スポーツの競技連盟。リーグ戦。
※3−1:リーグ戦(―せん、league game)は、連盟加入の全ての参加チームが、少なくとも1回は他の全てのチームと試合する競技の方式。総当たり戦。←→トーナメント。
※3−2:トーナメント(tournament)は、[1].中世ヨーロッパで行われた騎士の馬上試合。多くは、二組に分れた勝抜き式のもの。
 [2].競技で、回を重ねる毎に敗者を除外し、最後に残った2者で優勝を決する方式。勝抜き式。←→リーグ戦。総当たり戦。

※4:フランチャイズ(franchise)は、[1].公民権
 [2].プロ野球で、ホームグラウンド。又、そこでの興行権。
 [3].一定地域内での独占販売権フランチャイズ・チェーン

※5:ペナントレース(pennant race)は、優勝旗争奪戦。特にプロ野球で、リーグの優勝を争う公式戦のこと。

※6:食えない/食えん(くえない/くえん)とは、(「煮ても焼いても食えない」の意)狡賢くて油断が出来ない。一筋縄では行かない。「―やつ」。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):クライマックス・シリーズについて▼
資料−日本プロ野球の用語集(Glossary of J-pro-baseball)
参照ページ(Reference-Page):猛虎か眠り猫か?、中々目覚めない駄目猫▼
エルニーニョの「六甲おろし(六甲颪)」(The Rokko-Oroshi)
補完ページ(Complementary):クライマックス・シリーズは
ペナントレースの矮小化▼
日本プロ野球の国際的役割(International role of J-pro-baseball)
補完ページ(Complementary):2004年の
日本プロ野球史上初のストライキ突入▼
赤パンツ野球の成れの果て(Red pants caused baseball to quake)
補完ページ(Complementary):2004年に既に
プレーオフはペナントレースの矮小化と指摘▼
ブラボー!、乱闘試合(Bravo !, combative match)
脳出血や出版事業について▼
2013年・大阪から那覇へ(From Osaka to Naha, Okinawa, 2013)
2003年、リーグ優勝した星野阪神▼
2003年・阪神、御堂筋パレード
(The victory parade of HANSHIN Tigers, 2003)

2003年、阪神と”内弁慶シリーズ”を演じた
嘗ての福岡ダイエー・ホークス▼
城島には半ズボンを!(SHORT PANTS suit baseball player Jojima)
オリックスが近鉄を吸収合併(ストライキの原因)、
ダイエーがソフトバンクに球団を売却
(2005年からオリックス・バファローズ、
福岡ソフトバンク・ホークスが誕生)▼
オリックスの”球団転がし”を糾弾する
(Denounce 'Rolling Team' by ORIX corp.)

2004年のイチローの米大リーグ年間最多安打記録更新▼
イチローに於ける”球道者”精神(ICHIRO is a pursuer of baseball)
ナベツネの生体解剖所見
(ナベツネは巨人以外では意外とスジが通って居る)▼
スポーツ解体チン書(Anatomical talking about sports)
2011年東日本大震災後のプロ野球開幕に見せたナベツネの横暴▼
大震災後のプロ野球開幕にナベツネの横暴
(Tyranny of NABETSUNE to open pro-baseball, after the great earthquake)


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          |3:14年のトホホ(Tohoho-14)|

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