−− 2007.04.02 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2013.05.11 改訂
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★このページを更新し、マンホールの記事だけにする。2011年4月23日時点のページは、このページの更新が完了する迄 JPN_Manhole20110423.htm に保存して置く。
私は街の中の舗道を歩いて居て、ふと「目を引くマンホール蓋」や「変なマンホール蓋」(※1)に出会(くわ)すことが有りますが、皆さんはそんな経験はお有りでしょうか?
実は当ページにマンホール蓋特集を組む切っ掛けは正にその「変なマンホール蓋」との出会いだったのです。その第1報は06年11月に「日本、珍にして奇なる光景」に掲載しました。何処がどう”変”なのかは後でお目に掛けますので、それを見て戴ければ賛同を得られると信じて居ます。
それから約半年を過ぎて「気になるマンホール蓋」の特集ページを作ることを決心しました。その為に”切っ掛けの蓋”を撮り直しに名古屋に行き我が街大阪の蓋も撮影したからです。
どうも道を歩く時に”余所見癖”の有る私は、単調に歩行すること −即ち機能的且つ効率的に最短距離を歩くという極めて当たり前の動作ですが− が苦手で、ついつい”変な物”に遭遇して仕舞います。その一つがマンホール蓋という訳ですが、例え遭遇しても気にしなければ済むのですが、何故か気になって仕舞うマンホール蓋というものが世の中には在るものです。
従って当ページは私の”余所見癖”の産物ですが、元より日本全国の蓋の写真を集めようとか珍しい蓋を網羅しよう、などという野心は全く有りません。そういうコレクションをして居る先人は既に幾人も居られますので、その様な興味をお持ちの方はその手の本やサイトを参照して下さい。
ここに登場するマンホール蓋の選択の基準は極めて曖昧で、偶々旅先などで出会した中から私が「気になるから気になる」という「独断と偏見」に基づいて勝手に決めて居ます。しかし、地べたに置かれ毎日踏み潰されて居るマンホール蓋から街のシンボルや歴史や住民の気質などの情報を読み取れる場合が多々有り、そこから思い掛けない事実に行き当たる事も少なく無いのです。旅に於いては「思わぬ発見」こそが醍醐味ですが、マンホール蓋から「思わぬ発見への扉」が開かれる場合も有るということが、このページからお解り戴けることでしょう。
尚、このページは最初は大阪市の「城と桜」の蓋と”切っ掛けの蓋”の2種だけからスタートしました。各地のマンホール蓋の記事は随時追加して行きます。
◆大阪市 − 城と桜 澪標
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<07.02.22撮影>色々なマンホール蓋を掲載する前に先ず我が街の大阪市の着色マンホール(=カラーマンホール)の蓋をご紹介しましょう(右の写真)。
大阪のシンボルの大阪城に桜(←市の花)をあしらい、浪模様は「水の都」と謳われた往時を表し、更に浪と桜花で「浪花(なにわ)」を象徴して居るのでしょう。同デザインで無着色版も在ります。
上部には大阪市の市章である澪標(みおつくし)のマーク(Ψ1)が見えますが、左上がその拡大です。「澪標」は大阪市の市章ですが何故「澪標」なのか?、を調べれば難波江とか難波潟と呼ばれた古代大阪に辿り着き大阪の歴史を知る切っ掛けに成ります。ところが澪標のマークは大阪市だけでは無いという事実が後で判明しました(→後出)。この1枚の写真からでも、一見何の変哲も無い様に見えるマンホール蓋のデザインの中に多くの意匠的情報が盛り込まれて居るという事がお解り戴けたと思います。
更に右上の写真で蓋の下部に小さな鍵穴型の穴が見えて居ますが、これ何だかお解りですか?、これは開閉穴です。マンホールには必ず鍵穴型の開閉穴が存在しますので、以後に登場するマンホールの写真を注意深く見て下さい。
尚、この開閉穴やマンホール蓋の構造については「参考資料」を是非一度参照して下さい。保守や安全対策の観点から目に見えない所にも「仕掛け」が施されて居ることがお解り頂ける筈です。又、花の図柄が多い理由も「参考資料」に記して在ります。
◆大阪市市制100周年 − 桜と三色菫
<10.04.25撮影>10年4月21日、私は友人と酒を飲む為に夕暮れ時に地下鉄淀屋橋駅から梅田方向に歩き大江橋手前で信号待ちしてる時に偶然「市制100周年」と印された見慣れないマンホールを見付けました。思えばここは市庁舎前です。この道は100回以上通ってるのに今迄気が付かなかった方が不思議な感じでしたが、この時はカメラを持ってませんでした。
そこで人通りの少ない日曜日の4月25日にそれを撮影しにチャリンコ(=自転車)を飛ばしました。左がその大阪市市制100周年のカラーマンホール(←内側の花が白色に着色されて居ます)です。撮影した場所は市庁舎北側の車道でカラーと無着色合わせて10個位在った内の一つです。
写真上部に「市制100周年」「平成元年」の文字が、下部の小円の中に澪標のマークと「1989」の文字が見えますね。1989年=平成元年です。「大阪市の花」は1987(昭和62)年7月1日に市民の公募の中から桜と三色菫 −今ではパンジーと言うらしい− の2つに決定しましたが、周縁部に桜を中央部に三色菫を配して居ます。
ところで1989年に市制100年ということは大阪市の市制(Ψ2)が敷かれた年は1889(明治22)年ということに成ります。そこで少し調べると【脚注】に在る様に市制が制定されたのが1888(明治21)年ですから、大阪市は制定の翌年に市制を敷いたという事が判りました、成〜る程。
<10.05.04撮影>ところが、5月4日に大阪市の中浜下水処理場(大阪市城東区中浜)の構内を偶々通り掛かりました。
左は「下水道資料館」の建物、中々モダンな作りです。
右が中浜下水処理場の中庭で、ご覧の様にちゃんと整備されていて、散歩がてらに近所の方が広い中庭を通って行きます。向こうに見える時計は午後3:40頃を指して居ました。
そして、ここでも「市制100周年」の蓋を見付けて仕舞いました、図柄は淀屋橋で見付けた物と全く同じです。「市制100周年」「平成元年」の文字が、又澪標のマークと「1989」の文字が見えますね。中央部は三角に黄色く塗って有ります。
そこで探究心、否、好奇心旺盛な私は構内のマンホールを徹底的に見たら全て「市制100周年」の蓋でした。成る程、こういう市関連施設の構内には「市制100周年」の蓋が在るのかも知れませんね、他にも。
しかし下水処理場は各地に張り巡らされたマンホール・ネットワークの本家本元ですから因縁を感じます。
以上の様に、この市制100周年マンホールは市内の何処にでも在る訳では無く市庁舎周辺や市関連施設に限定されてる様で、100周年から20年も経った現在では珍品と言えるでしょう。
◆名古屋市・その1 − アメンボ
<07.03.31撮影>さて左下は名古屋市内で良く見掛けますが、このデザイン何だかお判りですか?
これが当ページ作成を決心させた”切っ掛けの変なマンホール蓋”です。この蓋のデザインは充分に奇妙なので第1報として06年11月10日に撮影の写真を先ずは「日本、珍にして奇なる光景」の中で紹介した事は冒頭に記した通りです。しかし、その時の写真は雨上がりで見難かったので、07年3月31日に撮り直したのが左の写真です。
足が6本有って何やら昆虫の様だ、とは思えますが...。バッタみたい、或いは翅を広げた蝶みたい、などと思い浮かんで来ますが解りません。そこでネットで検索したら有りました、「名古屋市上下水道局」公式サイトに。これはアメンボ(Ψ3)をキャラクター化したものだったのです。
とすれば渦巻き紋様は水の波紋に成りますが、どう見てもアメンボには見えないですね、だから奇妙と感じた訳です。
右の画像(=図鑑からスキャナーで採ったもの)の様に、実際のアメンボは胴が細く中脚と後脚が極端に長いのに、このキャラクターはそう成って無いからです。まぁ、しかし兎に角「名古屋市上下水道局」の弁を拝聴しましょう。公式サイトに拠ると
『アメンボは水のあるところへ素早く飛んでいきます。又、渓流など流れのある水域にも生息し、水道・下水道のイメージにもぴったりではないでしょうか。
このマークは、名古屋市の下水道が大正元(1912)年11月15日に供用開始されてから、80周年にあたる平成4(1992)年から下水道のイメージマークとして活用してきました。』
とのことです。そのお考えは尊重しますが、しかしアメンボには見えませんね、どう見ても。今迄私が見た中でこのマンホール蓋が最も”ケッタイ且つ不可解”なデザインで、その衝撃がこの「マンホール蓋特集」を掲載する切っ掛けに成りました。
ところでアメンボがカメムシ(亀虫)の仲間で、しかも肉食性で吸血鬼擬きに体液を吸う昆虫 −注射針構造の吸収管型口吻はカメムシ目の特徴− だ、という事実は意外と知られて無い様です。こういう昆虫を”ヘラッ”とキャラクター化して仕舞うアバウトさに、
棊子麺(きしめん、Ψ4)、外郎(Ψ4−1)、天むす(Ψ4−2)、
味噌煮込み饂飩(うどん)、味噌カツ、味噌味スパゲッティ etc
という、関西人や東京っ子の度肝を抜く個性的な名古屋的感性を見た思いがします。この中で棊子麺と味噌煮込み饂飩だけは私も大好物です。
[ちょっと一言] 味噌煮込み饂飩は、赤味噌仕立ての「鍋焼き饂飩」と考えて良いでしょう。「鍋焼き饂飩」なので具は好みに合わせ何を入れても構いませんが、問題は饂飩の煮込み加減です。要は少し硬い芯が残るアルデンテ(Ψ5)に仕上げることが骨(コツ)です。大阪でも味噌煮込み饂飩を出す店が何店か在りますが、押し並べて饂飩が柔らかく無いデンテです。
序でに言うと名古屋或いは愛知県の料理に味噌仕立てが多い理由として、私は1645年から醸造され(△xのp147)、今では宮内庁御用達品目に成っている八丁味噌(Ψ4−3)の影響が極めて大だと考えます。
◆名古屋市・その2 − 名古屋城と鯱
<06.11.09撮影>名古屋が全て奇妙でアブノーマルという訳では勿論無くノーマルなデザインの蓋も在ります。左下がそれで名古屋城と天守閣上の金の鯱(しゃちほこ)を大きく描いた消火栓の蓋です。やはり「尾張名古屋は城で持つ」という訳です。
「丸に八の字」は「名古屋の丸八」と呼ばれる市章で、ここにも個性的な名古屋的感性が発揮されて居ます。尾張八郡(江戸時代の愛知・春日井・葉栗・丹羽・中島・海東・海西・知多の8郡)を表すとされて居ますが、異説も在る様です。そこで私は名古屋の「味」に絶大な力を及ぼして居る八丁味噌説を新たに提示しましょう、ウワッハッハッハ!!
序でにもう一つ個性的な名古屋的感性の例として、大名古屋ビルヂング(07年1月29日撮影)を載せて置きましょう。「大名古屋」も好いですが、チに濁点(゛)の「ヂ」が、た・ま・り・ま・せ・ん!
高層建築物を「ビルヂング」と表記したのは戦前頃迄でその後は挙って「ビルディング」に改めている中で、名古屋駅東口(=桜通口)の目抜き通りのド真ん中に於いて堂々と「ヂ」を貫いてデカイ看板を掲げている姿は、躍進目覚ましい「大名古屋」のパワーの源泉の様に感じられますが、これは今流行りの鈍感力(△1)でしょうか?!
個性的な名古屋的感性は更に二重螺旋を上昇中です。
こうして地元大阪の蓋と”切っ掛けの蓋”をご紹介した後は、以下に「ちょっと気になるマンホール蓋」を撮影した時に随時掲載して行きます。
◆東京都 − 桜の花冠
<07.01.19撮影>大阪、名古屋と来たので東京都にしましょう(右の写真)。桜の花冠を大きく描き、各花弁の中にも模様を描いている点が少し変わって居ます。それに銀杏の葉を配して居ます。これは山手線区域内で良く見掛けます。繰り返しますが、この様に花の図柄が多いのが日本のマンホール蓋のデザイン的特徴です。
何故桜と銀杏か?、と言うと東京都の花がソメイヨシノだからで、銀杏は都の木なのです。実はソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラの掛け合わせで、幕末の頃江戸の染井村(現在の東京都豊島区巣鴨、駒込の染井霊園辺り)の植木屋が桜の名所の吉野山に肖(あやか)って「吉野」の名で売り出したのが名称の由来で、明治初年に染井の字を採り「ソメイヨシノ(染井吉野)」と命名したものです。
という訳でマンホール蓋のデザインからソメイヨシノの由来が解るのです。現在、染井霊園には桜の古木が繁り毎年見事な花を咲かせ都内の隠れた花見スポット −東京に住んで居る人でもここをソメイヨシノの発祥地と知る人は少なく、花見と言えば殆どの人が上野や隅田川や飛鳥山に行って仕舞うから− です。
左が07年4月9日に撮影した染井霊園のソメイヨシノで、満開を過ぎ微風に散り始めた桜の花弁(はなびら)が通路を埋め尽くして居る様は何とも言えぬ風情でした。霊園の直ぐ北には「東京染井温泉 Sakura」が在りまっせ(1260[円/人])。
尚、桜の種類については
日本全国花見酒(Cherry blossoms and banquet in Japan)
の「参考資料」を参照して下さい。
◆大和郡山市 − 金魚
奈良県大和郡山市は金魚鉢に入った金魚(Ψ6)です。
<04.05.25撮影>左下が無着色の蓋です。
<04.12.04撮影>右下が同デザインの着色した蓋です。ここに描かれて居るのは尾が長い琉金(Ψ6−1)の様です。
大和郡山は平安末期の東大寺薬園荘(やくおんのしょう)から発展、戦国時代に筒井順慶が郡山城を築城、後に秀吉の弟・豊臣秀長(※x)が100万石の太守として入封、江戸時代には柳沢氏15万石の城下町として栄え、近世以降の金魚の養殖で有名です。地元で大和郡山百万石などと言われるのは秀長時代の名目石数が根拠ですが、これは太閤様の実弟に対する御祝儀相場に過ぎません。
ところで上の2つの同デザインの蓋ですが、良く見ると開閉穴の位置が異なって居ます!
城址南方の田園地帯には養殖用の金魚池(左の写真)が田植え前の田圃の様に広がり、中を覗くと沢山の金魚(右の写真)を見ることが出来ます。この2枚は何れも03年10月18日に撮影したものです。
金魚のルーツは中国で、約2千年前に鮒(ふな)が突然変異した赤色種を原種とし、これに人為的品種改良を加えた種が1500年頃に琉球や日本に輸入されましたが、輸入当初は貴人の愛玩物でした。
大和郡山での金魚飼育の話は1704(宝永1)年の本多忠常時代の藩士・佐藤三左右衛門に遡る様ですが、養殖の開始は柳澤吉里が甲斐から転封した1724(享保9)年に家臣・横田又兵衛が開始し、吉里も援助して次第に藩士の副業として郡山藩士に広まり、文久年間(1861〜64年)には高田屋嘉兵衛が獅子頭(Ψ6−2)を買い付け販売して郡山金魚の名声は全国的に高まりました。
明治に成ると困窮士族や農家の間で正業化し、1907(明治40)年には最初の金魚品評会が開催され、この頃から生産量も年々増加して海外に輸出される様に成り、1927(昭和2)年には郡山金魚輸出組合が結成されて居ます。
現在は毎年4月上旬が金魚品評会(柳澤神社に於いて)、8月第3日曜日が「金魚すくいの日」で金魚掬いの選手権大会が開かれて居ます。
◆亀山市 − 城と花菖蒲
<05.03.09撮影>左下が三重県亀山市で亀山城と市の花・花菖蒲(Ψ7)です。
亀山には今の伊勢亀山城址(亀山市本丸町)の北西に平実忠 −伊勢地方は伊勢平氏の勢力圏− が1246(文永1)年に築いた若山城(亀山市若山町)が在りましたが、秀吉の命令で1590(天正18)年に関一政に代わり入封した戦国武将・岡本宗憲はそこを手狭として同年に高石垣の上に3層の天守閣を持つ亀山城を現在地に新築したのです。岡本宗憲が関ヶ原で西軍に与して滅びると以後は徳川譜代の諸氏が入城しますが、1632(寛永9)年に三宅康信が入城した際に何故か天守を破却して仕舞いました。そして次の本多俊次が1636(寛永13)年に天守跡に今に残る多聞櫓(Ψ8)を築き、1744(延享1)年に石川総慶が入封後、石川氏6万石として明治に至りました。
そして明治の廃城令で大部分破却された中で、多聞櫓は士族救済用の木綿緞通製造工場(Ψ9)に当てられ今に残った、という話は「知られざる秘話」の一つです(△2のp187〜188)。
左下がマンホール蓋の図案に近い角度から見た高石垣と多聞櫓、右下は天守台西側の高さ約3mの石垣です(何れも05年3月9日撮影)。
07年4月15日、亀山市に近い三重県中部を震源とするM5.4の地震は亀山市を震度5強で襲い、亀山城跡(三重県亀山市本丸町)の石垣の一部が崩壊しました。新聞等のニュース写真などを見ると地震で崩れたのは右下の写真の部分ですが、実はこの部分は元々の石垣では無く観光用に後から積み直したものです。裏情報に拠ると地震で崩壊したのはこの様な”現代の石垣”部分で、武家時代の石垣は大丈夫だったとか?!
ところで旧東海道は名古屋以西は今の東海道線のコースとは違い「名古屋の宮(熱田)→桑名→亀山→関→草津→京都」というコースを辿っていて、亀山は東海道五十三次の46番目の宿駅でした。つまり今の「JR関西本線の名古屋→柘植」+「JR草津線の柘植→草津」+「JR東海道線の草津→京都」にほぼ沿ったコースだった訳です。
◆静岡県金谷町 − 躑躅
<06.11.08撮影>左は広大な茶園で知られる牧之原(静岡県島田市金谷町、標高約200m)の中腹に在った下水溝の蓋で町の花・躑躅(つつじ)と金谷町のマークです。
金谷や牧之原については「2006年・金谷急ぎ旅」で詳述して居ますので省略します。
牧の原からは右の写真(06年11月8日撮影)の様に好天の日には牧之原公園からの富士山の眺めが素晴らしい、ということを付して置きます。下部に見えている川が「越すに越されぬ大井川」です。
◆奈良県高取町 − 楓と躑躅
<06.11.13撮影>奈良県高取町は町の木・楓(かえで)と町の花・躑躅(つつじ)です(右の写真)。
この日私は近鉄吉野線の壺阪山駅から頂上部分に高取城址が在る高取山(高市郡高取町大字上子島、標高584m)に「七曲り道」から登り、壺阪寺(高市郡高取町大字壺阪)の方に下り壺阪山駅に戻りました。
大和高取城は南朝方の越智邦澄が1332(元弘2、北朝では正慶1)年に築いた山城の傑作(←日本三大山城の一つ)で、織田信長の一国一城令で一旦は廃されますが、高取山が要害地である為に筒井順慶や豊臣秀長は重要視し復興しました。
城についての詳細は別ページに譲りますが、単なる「山」としても高取山は山頂の眺望が素晴らしい登り甲斐の有る山で、麓の下土佐の古い町並みも一見の価値が有ります。この日は山を登る途中に色々な珍しい物を見て来ましたよ!
左は山頂から東に見える高見山の秀峰(奈良県吉野郡東吉野村、標高1248m)です(06年11月13日撮影)。高見山の向こうは三重県です。
右が壺阪山の山腹に在る壺阪寺の楓です(06年11月13日撮影)。壺阪寺(古くは壺坂寺と表記)の正式名称は平等王院南法華寺で真言宗東密子島流の根本道場(Ψ10)で西国三十三所観音の第6番札所として参拝客の多い寺で、『壺坂霊験記』(Ψ11)でも知られて居ます。
下土佐で買い高取山頂で飲んだ地酒「金剛力」は格別でしたが、実は『壺坂霊験記』に登場する「伊勢屋」は金剛力酒造の古称なのです。
酒を味わった後に石垣でアカタテハを見付けたので写真を撮って壺阪寺に向けて下山しました。
左は壺阪寺の少し下から見上げた夕日を浴びる高取山(06年11月13日撮影)で、実に美しい姿です。NTTのアンテナ鉄塔が目印です。壺阪寺のお堂も一部見えて居ます。
往時は豊臣秀長が建てさせた白壁の居館が山頂を覆い、それが麓からは冠雪の如くに見えたそうで、次の戯れ歌が今に伝えられて居ます。
巽高取 雪かと見れば 雪でござらぬ 土佐の城
◆徳島県山川町 − 高越山と雄躑躅
<07.01.12撮影>左下が徳島県山川町で、阿波富士と美称される高越山(こうつざん、標高1133m)と町の花・雄躑躅(Ψ12)です。
下がその高越山の雪景色です(05年12月19日撮影)。
山川町は古代の忌部氏(Ψ13)が開拓した山里です。左は忌部山中腹の古墳群です(07年1月12日撮影)。山腹低部には山崎忌部神社が祀られて居ます。
尚、山川町は04年10月1日、合併に依り吉野川市と成りました。
◆愛知県武豊町 − 山茶花
<07.01.20撮影>愛知県知多郡武豊町は町の花・山茶花(Ψ14)です(左の写真)。
07年1月20日に旅の時間が余った私は、知多半島の内陸を走るJR武豊線に初乗りすることを思い立ち、JR東海道線の大府駅で乗り換え終点の武豊駅(武豊町字金下)で下車しました。乗った列車は2輌編成のディーゼル・ワンマンカーでローカル線ですが、都会の隅っこを通る為に沿線風景は殺風景でした。
「武豊」の読みは競馬騎手の「たけゆたか」では無いですゾ!、右の写真に目を転じて下さい。
右上は武豊駅の表札で
TAKETOYO
とローマ字表記して居ます(07年1月20日撮影)、つまり読みは「たけとよ」です。愛知県武豊町の旅は▼下▼を参照して下さい。
2007年・愛知県武豊町(Taketoyo-cho, Aichi, 2007)
◆静岡県三ヶ日町 − 浜名湖とヨットと蜜柑
<07.01.27撮影>静岡県引佐郡三ヶ日町のマンホール蓋は浜名湖 −三ヶ日前に広がるのは胡内湖の猪鼻湖−、ヨット、三ヶ日蜜柑です(左下の写真)。浜名湖(又は猪鼻湖)に架かるアーチ橋は実在の橋かどうか不明です。
右下が万葉の「乎那の峯(おなのみね)」比定地の浅間山(引佐郡三ヶ日町下尾奈、標高77m)から眺めた浜名湖の眺望で、中間の陸地の手前が猪鼻湖です。遠くに超高層ビルが霞んで見えている所が浜松です(07年1月29日撮影)。
天竜浜名湖鉄道(略称:天浜線)の奥浜名湖駅に迫っている山が浅間山です。
浜松の超高層ビル
↓
『万葉集』巻14−3448の
花散(ぢ)らふ この向つ嶺(を)の 乎那(をな)の嶺(を)の
洲(ひじ)につくまで 君が齢(よ)もがも 詠み人知らず
が、猪鼻湖の対岸からこの「乎那の峯」を眺めつつ詠んだ歌らしいのです(△3のp122)。
◆静岡県細江町 − 銅鐸と桜、そして澪標
<07.01.27撮影>静岡県引佐郡細江町も天浜線沿線に在り気賀駅が最寄りです。
細江町は銅鐸と桜です(左の写真)が、驚いたのは中央部の澪標のマーク(右が拡大)です。何故ならばこれは我が街の大阪市と同じだからです。異なる場所の市章と町章が同じとは新鮮な驚きであり「思わぬ発見」です。
◆犬山市 − 城と鵜飼
<07.01.30撮影>左下の愛知県犬山市は犬山城と木曽川の鵜飼です。
<08.04.10撮影>右下の広島県三次市は鵜と江の川(島根県から日本海に注いで居る)と桜で、平仮名で「うかい」と入って居ます。三次が鵜飼を遣って居たとは知りませんでしたが、本当に鵜飼を遣ってるんでしょうか。
京都の桂川(=大堰川)でも嘗ては鵜飼が盛んでした。京都では宇治川が今でも鵜飼をして居ます。
◆横浜市 − ベイブリッジと鴎
<07.03.21撮影>「港に未来が無くなった横浜市」は港を全面に出しては居ません。左の写真の様に横浜ベイブリッジ(Ψ24)を主体に鴎(かもめ)を添えて居ます。横浜港はベイブリッジの下に僅かに見えるだけです。
右上が鴎の拡大です。鴎は横浜市の鳥であると同時に神奈川県の鳥でもあります。
そして下の2枚は02年10月4日に横浜港遊覧船の上から撮影した写真で、左下が横浜ベイブリッジです、残念乍ら鴎は写って無いですが。橋の下を通過して居る船は豪華遊覧船です、私が乗っているのは鄙びたポンポン船でしたが。
◆和歌山県太地町 − 鯨
<07.04.06撮影>左が鯨の町として知られる和歌山県太地町は太地湾の鬚鯨です。この日には太地で鯨のフルコースを堪能しました。
◆牛久市 − 河童と蛙
<07.04.10撮影>茨城県牛久市は河童(Ψ25)と蛙で「かっぱの里」と書かれて居ます(左の写真)。河童は良く見ると右手で打出の小槌を、左手で黄瓜(きゅうり) −黄瓜は河童の好物とされる− を掴んで居ます。蛙は蓮の葉の上で跳ねて居ます。河童は両生類的両義性(即ち陸上生物と水中生物)を具えた生物ですが、蛙は両生類ですから蛙と仲が良いのでしょう。
そして牛久と言えば牛久シャトー(正式名:シャトーカミヤ、茨城県牛久市柏田町)(Ψ26)が有名です(右下の写真、07年4月10日撮影)。ここは明治のワイン王こと神谷伝兵衛(Ψ26−1)の城であり”牛久の鹿鳴館”でした。
牛久シャトーは、神谷伝兵衛が婿養子の伝蔵をフランスのボルドー地方に派遣し3年間ワイン醸造を学ばせた後、明治36(1903)年に葡萄園を併設したワイン醸造工場として建設したものです。設計は岡田時太郎、赤煉瓦造り2階建て(地下1階)のルネサンス様式で、左右対称を外した中央玄関には時計台が在り入口のアーチにはフランス語で CHATEAU D.KAMIYA と刻まれて居ます。
伝兵衛親子はここで本格的なワインを醸造して売り出すと共に東京から政府高官や文化人を呼びパーティーを開いて、”牛久の鹿鳴館”として当地に文明開化を齎しました。昭和35(1960)年に神谷酒造は合同酒精(株)に合併され、現在シャトーの地階はワイン醸造の展示館に成って居ます。
千葉県稲毛市の伝兵衛の洋風別荘は現在「千葉市民ギャラリーいなげ」として公開され、伝兵衛が創業した我が国最初の洋酒バーの神谷バー(台東区浅草1丁目1番地)は今も大勢の客で賑わって居ます。伝兵衛は商品のネーミングに天才的な閃きが有り、明治・大正時代に一世を風靡した電気ブラン(Ψ26−2)は今もファンが多く神谷バーでは今でも飲めますし買って帰ることも出来ます(←実は私も電気ブランのファンです)。
尚、神谷伝兵衛の生まれ故郷は愛知県幡豆郡一色町で、次の吉良町の隣町です。伝兵衛は故郷の三河鉄道(←今の名鉄三河線)の経営にもタッチしました。詳しくはこちらを参照。
◆愛知県吉良町 − 吉良家家紋と桜
<09.04.10撮影>三河吉良 −現在の愛知県幡豆郡吉良町− は吉良上野介義央の郷里です。吉良上野介と言うと皆さん忠臣蔵では”悪の権化”の様に考えて居る方が非常に多いですが、私は中立です。赤穂浪士を”義士”と言って持ち上げたりしませんし、かと言って吉良上野介に味方する者でも有りません。兎に角、桜咲く09年4月10日(金)に愛知県幡豆郡吉良町を初めて訪ねました。
三河吉良に行くには第1にJR蒲郡駅から名鉄蒲郡線に乗り換え終点の吉良吉田駅で下車、第2は名鉄新安城駅(←JR安城駅と名鉄安城駅は少し離れている)で名鉄西尾線に乗り換え上横須賀駅で下車、の2つのルートが在ります。車で行く方は御勝手に!
私は第1のルートで行きました。左が名鉄蒲郡線で、殆ど単線区間で所々に対向列車が擦れ違う複線区間が在ります。列車はワンマンカーで、のんびりと海を眺めて行きました。吉良吉田駅では無料のレンタサイクルが数台有りますので私はそれを利用しました。
華蔵寺(けぞうじ)は吉良家菩提寺で、上述の上野介の墓が在るのです。しかし私の目に最初に飛び込んで来たのは吉良家家紋の五三桐をデザインに組み込んだマンホール蓋(右の写真)で、吉良家家紋と桜の花弁が図案化されて居ます。
尚、三河吉良氏については▼下▼に
歴史の横漏れ(Spill sideways from history)
に詳論が載ってますので、是非御一読をお薦めします。
さて皆さん、「マンホールの歌」が在るのをご存知ですか?
マンホール・ソングという訳では無いですが、マンホールを歌い込んだ歌が敗戦の荒廃した風景の中から生まれて居ます。美空ひばり(※2)が歌った『東京キッド』(作詞:藤浦洸、作曲:万城目正)です。不世出の”天才的且つ国民的歌手”が「マンホールの歌」を歌ってたんでっせ、ちっとはマンホールを見直して貰わな困りまっせ!
1 歌も楽しや 東京キッド
いきでおしゃれで ほがらかで
右のポッケにゃ 夢がある
左のポッケにゃ チュウインガム
空を見たけりゃ ビルの屋根
もぐりたくなりゃ マンホール
2 歌も楽しや 東京キッド
泣くも笑うも のんびりと
金はひとつも なくっても
フランス香水 チョコレート
空を見たけりゃ ビルの屋根
もぐりたくなりゃ マンホール
3 歌も楽しや 東京キッド
腕も自慢で のど自慢
いつもスイング ジャズの歌
踊る踊りは ジタバータ
空を見たけりゃ ビルの屋根
もぐりたくなりゃ マンホール
この歌は敗戦から5年後の1950(昭和25年)年、同名のタイトルの映画と共にヒットしました、少女歌手・美空ひばり13歳の時です。キッド(※3)とは子山羊から転じて「子供」を指す言葉ですが、13歳のひばり自身を指して居ることは言う迄も有りません。歌詞にカタカナ語 −踊りの「ジタバータ」は「じたばた」の洒落ですが− を鏤(ちりば)め歌好きの少女を「キッド」と呼んだ所に戦後のモダニズムが滲み出て居ます。「空を見たけりゃ ビルの屋根 もぐりたくなりゃ マンホール」という定型句は、当時の皆が一様に貧しかった時代に都会の街中で遊ぶ子供たちの姿を彷彿とさせます。
因みに、美空ひばりの「港町十三番地」をカラオケで歌う時には”大阪もん”は「港町ジューソウ番地」と言いまっせ!
{この章は07年4月20日に追加}
(1)性差別派はメンテナンス・ハッチを提唱
私はこのページを掲載してから時々「マンホール」の語でネット検索する様に成り、「マンホール」という語が性差別なので名称変更の動きが出ている事を08年の春頃に初めて知りました。それ迄こんな話は全く知らなかったので「へー、そうなの」と思いましたが、同時に笑いが込み上げて来ました。何故笑うか、と言えば「「マンホール」は性差別だ」と宣ってる人々こそが、「”卑猥”な連想」をして居るからです。その事を今日(08年6月11日)早速、当サイトの掲示板<新新板−1>のNo.31001に書き終わった所です。その余勢を駆って以下に私の考えを述べましょう。
つまり「性差別だ」と宣ってる方々(←私は”その様な筋”の方々と今後呼ばせて貰います)は
「マンホール」=「マン」+「ホール」
と分解して考えている事が明白です。すると「マン」は隠語では女の”アソコ(=女陰)”を指し、「ホール(hole)」は文字通り直訳して「穴」「凹(くぼ)み」でやはり「女陰」に通じます。で結局
「マン」+「ホール」 → 「穴・穴」 → 「女陰・女陰」
と成り、「マンホール」は女性器を暗示させるので”猥褻”であり性差別であるという”こじ付け論法(=屁理屈)”が成立する訳ですね。この”こじ付け論法”が「”卑猥”な連想」そのものだから可笑しいのです。
そこで「性差別だ」と宣ってる方々(=”その様な筋”の方々)は別の名称を捻り出して、曰く「メンテナンス・ハッチ(maintenance hatch)」、「メンテナンス・ハッチ・カバー(maintenance hatch cover)」なんだそうです。日本語に訳せば、それぞれ「保守用昇降口」、「保守用昇降口の蓋」であり、まぁ意味的には「マンホール」と同等です。しかもご丁寧な事に略すとそれぞれ「MH」、「MHC」と成り「マンホール」及び「マンホール・カバー」の略記と同じである、という訳です。
(>v<)
(2)私の反論
以下は私の見解です。先ず、新語に言い換えたい人は言い換えたら良いでしょう。しかし私は「マンホール」で良いと思って居ます。何故ならば、上記の”こじ付け論法”は外来語の訳語であるカタカナ語を日本語的「”卑猥”な連想」で攻撃してるもので、原語の "manhole" に性差別的意味が有る訳では無いからです。それなら「オマーン」という国名やバリ島の「キンタマーニ」という地名はどうなるんだ!、という反論を持って居ますが、バカバカしくて反論する気には成・れ・ま・せ・ん。
現代の偽善国家ニッポンでは「差別」を盾に「魔女狩り」ならぬ”言葉狩り”が横行して居ます。だから「マンホール」の語が”言葉狩り”の被害に遭いそうに成ったら大いに持論を主張する積もりです。
尚、もう一つ別の角度から付言すると、「マンホール」という語は関西人にとっては少しも猥褻でも性差別的でも無く”無関心な語”です。周知の様に関東の「オマンコ」文化圏に対し関西は「オメコ」文化圏です。故に上記の屁理屈は「オマ○コ」文化圏の”限定された地域”の人の発想です。
因みに、関西では私が設立した会社名(←2012年1月に止めました)の「オメガシステム」は非常に卑猥な響きを与えて居て人気絶頂で、中には領収証に「オメ○システム様」と書く店も在る位です。{この「私が設立した会社名」の段は2013年5月11日に追加}
こうした言葉の使用や用法について私は毅然とした原則を持っていて、それは「当サイトのコンセプト」としてサイト開設当初から公表して在りますので▼下▼をご覧下さい。
当サイトのコンセプトについて(The Concept of this site)
上記の様な屁理屈の綺麗事に神経質に拘泥る人々こそ病的です。一度精神病院に行って精神鑑定を受けた方が宜しいと言って置きましょう。そう言えば昔、「山のあな、あな、あな、...」というネタで人気を博した落語家が居ましたね。これは大いに受け皆大笑いです。何故可笑しいかと言えば「あな、あな、あな、...」が穴(=女性器)を連発してるからで「下ネタ」の一種です。しかし庶民はこれで日頃の鬱憤を笑い飛ばして居た訳で、当時はこれを「猥褻だ、性差別だ」などと言う人は皆無でした。これを演じる落語家の方もこのネタを遣る前に「自分は以前は吃(ども)りだった」と白状し、学校で上田敏の「山のあなたの空遠く、...」を読まされるとこう成ると言って演じて居ました。今、このネタ遣れるんでしょうか??
(3)さっき書いた掲示板の内容を紹介
ここで掲示板<新新板−1>のNo.31001を紹介します。
−−−−▼
■--マンタク、ホモタク、気狂い奴隷
++ エルニーニョ深沢
.. 2008年06月11日 22:37 No.31001
<新新板−1>
やぁ、T-SEXさん。女性運転手のマンタクねえ、そういう手も有りますな。
しかし男性運転手でも有り得ます。ネットニュース見てたら、今年の5月5日に東京都墨田区の公衆便所内で、小便器で用を足していた男性(36)のチンポを手で掴み玩んで強制猥褻罪で起訴された男(62歳のホモ)の初公判の模様が載ってましたね。男性運転手でもサービス出来まっせ。しかしホモタクは不気味ですな、アッハッハ!
発車オーライ自体が絶滅危惧用語とは...。「魔女狩り」ならぬ”言葉狩り”ですな。現在「タバコ狩り」も進行中です。
”言葉狩り”と言えば、今世間の注目を浴びている「マンホール」も槍玉に挙げられて居る様です。何しろ「マン」は女の穴を指す隠語ですし、「ホール(hole)」は正に穴、だから性差別的だという屁理屈です。昔は「山の穴、穴、穴、...」というネタで人気の落語家が居ましたよ。
そういうことでマンホールに替わる言葉として「メンテナンス・ハッチ」「メンテナンス・ハッチ・カバー」なる新語が提案されて居ます。もうビョーキですな。上辺の綺麗事に拘泥り本質が見えて無い。そういう奴が偽物の肉を高いカネ払って食わされるんや。
−−−−▲
(この原稿を書いてる内に日付が変わりました。)
(4)穴(hole)について
私は穴(hole)についてはシロウト(素人)なので、文献の力を借りる事にします。穴は「「死への転落」という否定的な象徴。それと対照的に、「突破口という肯定的な観点から、「現状から新たな状況への移行」、「別世界への玄関口」、時空を超越した世界へ通じる「道」、「天国」、「天空」という意味もある。...<中略>...人間の肉体では、「女性の性器」と「臍(へそ)」がある。前者は生殖であり、後者は万物の「中心」を意味する。」と在ります(△yのp9)。
それで「万物の「中心」を意味する」と在る臍(navel)を引くと「それは「男根」をとりまく「女性の性器」を表わし、「生殖」と「肥沃」につながる。女性では「女性本能の場」であり、「胎内」である。抽象的には「平和」「静寂」「秩序」を意味する。幽霊には臍がないことを考えれば、「人間性」の証拠であり、「活動」と「実存」を示すものでもある。その表象は回転する車輪の軸である。」と在ります(△yのp256)。
まぁ、斯様に穴、それから臍には「女性の性器」のイメージと切っても切り離せないのです。ところで「幽霊には臍がない」とは知りませんでした!!
(5)関東人には「おマンホール」を、関西人には「オメホール」を提唱!
笑い飛ばす事が出来ずに野暮な屁理屈捏ね回しイチャモン付けるのが横行する風潮は社会全体が病気に陥って居る証拠です。私は今の「平成」という時代は日本の歴史上一番野暮で下らない最低の時代だと思って居ます。おっと、「精神病院」も「吃(ども)り」も”その様な筋”の方々からは”差別”と言われそうですな。
最後に”その様な筋”の方々が捻り出した「メンテナンス・ハッチ」に対抗して、私は関東丁寧語の「おマンホール」と関西風の「オメホール」という代替案を提唱して置きましょう、ブワッハッハッハッハ!!
{この章は08年6月11日に追加、08年6月28日に最終更新}
成る程、「マンホールの歌」は中々良いですね、貴方(貴女)も潜りたく成ったのでは?!
そうです、『東京キッド』が流行った当時の子供たちにとってマンホールは「地底世界」に誘い込む蠱惑的な入口だったのですよ。
「思わぬ発見への扉」を開いた後は「地底世界への扉」を開いてみませんか?!
下に在るのが「地底世界への扉」と言われるマンホール蓋です。この蓋をクリック(Click)すれば「地底世界への扉」は開かれます。「地底世界」とは当ページの「補遺ページ」のことです。さあ、どうぞクリックしてお入り下さい。
お帰りの際は最下行の蛙(カエル)のアイコン(the icon of Frog)をクリックすれば帰って来れますよ!
「地底世界への扉」と言われるマンホール蓋
▼▼▼
{この章は08年6月11日に追加}
地底旅行をして来た人も、しなかった人も、次はマンホールに纏わるオモロイ話を聴いて下さい。「オモロイ」とは関西方言で「面白い」という意味です。子供がマンホールの穴に落ちて怪我をしたというニュースは時偶耳にしますが、こんなのは私にとって全然オモロく有りません。私は赤の他人の不幸に一々心を痛める様な”偽善者”では無いのです。それに比べたらマンホールの下の地中の下水道などでの捕物劇は断然オモロイですね。今年07年の初頭にもそんな事件が発生して居ます。
◆マンホール捕物帳
(1)韓国ソウル − 丸裸の窃盗犯
07年1月30日、韓国ソウル市で丸裸で下水道に逃げ込んだ窃盗犯の事件。
[詳細]30日の午前10時頃、ソウル市ノウォング区の病院の前で、男が女性からバッグを奪って逃走しました。悲鳴を聞いた市民らが男を追い駆け一瞬捕まえましたが、男は次々に衣服を脱ぎ捨て逃走を続け最後は丸裸に成って近くの直径1mの下水道に逃げ込みました。警察は下水道検査用の小型ロボットを潜入させ男の居所を割り出し、約5時間後に男は寒さに耐え切れず丸裸の儘御用と相成りました。事件当時、ソウルの気温は1℃で、男は重度の低体温症で直ちに病院に収容されました。
(2)埼玉県 − 無免許運転の高校生
07年3月1日、埼玉県川口市で地中の雨水管を逃げ回った無免許運転の高3男子生徒の事件。
[詳細]1日午後2時過ぎ、男子生徒(17歳)は母親の乗用車を無免許運転の途中に県警川口署員の検問を避け信号を無視して逃走し堅川用水路(幅5m、深さ2.5m、水深約20cm)に転落、用水路の壁面に開口する排出口(縦2m、横3m)から直径約80cmの雨水管の中に逃げ込みました。
同署員や消防隊員ら30人以上が出動し、雨水管の上流方向に在るマンホール蓋を順次開けて追跡。約5時間後の午後7時半頃に侵入場所から約600m離れたマンホール下の雨水管内に倒れて居るのを発見し保護しました。雨水管の中は真っ暗で男子生徒は手探りで這って逃げたらしく、発見時の体温は約34℃という低体温症で病院に運ばれました。
(^v^)
いやはや、世間にはオモロイ話題を提供して呉れる奇特な御仁が居るものです。マンホールの下の暗い”穴”の中で寒い思い(或いは臭い思い)をした「お騒がせ氏」たちにとっては”とんだ悲劇”ですが、赤の他人の私には”オモロイ喜劇”です。世間とは斯くも悲しさと可笑しさが背中合わせに同居して居る構造で、正に悲喜交々(こもごも)です。実はこの悲喜交々の「世間の構造」こそは「幸せ保存の法則」の反映なのです。
◆マンホール蓋泥棒
公称12億の民を擁する中国の経済発展は世界に色々な影響を及ぼし、エネルギー資源や建設資材の需要過多でその価格の高騰を引き起こしました。そこで「参考資料」に記した様に”鉄の塊”(約50kg)であるマンホール蓋は、鉄材として”恰好の標的”と成りマンホール蓋泥棒が横行して居ます。
[詳細]06年2月6日付のVOA(ボイス・オブ・アメリカ、中国語版)は、『北京市だけで盗まれたマンホールの鉄蓋の数は04年で約2万4000個、05年で約4000個に上り、背景には鉄価格の高騰が有る。鉄蓋1個を売り捌くと平均給与の1日分に相当する20元(約300円)の儲けに成る。こうした現象は北京市に限ったことでは無く、米国のシカゴ、英国のグラスゴー、マレーシアのクアラルンプールなどでも発生して居る』と報じて居ます。
05年の盗難数が激減したのは中国当局が盗難対策としてコンクリートや合成樹脂製の新型マンホール蓋を導入した為らしいです。盗まれるのはマンホール蓋に限らず、主に廃線跡のものとは言え鉄道レールも切り取られて居るので中国の鉄道に乗る際にはご用心!
ところが状況は日本も同じで、06年には鉄スクラップが27年振りに高値更新(直近の6年で5倍)という高騰を受けて、金属泥棒は05年頃から日本でも頻発し、送電線や電話線の銅線、工事現場の鋼板、工作機械、アルミ食器、ステンレス製鎖、砲金製バルブ(青銅の一種、※4)、廃線レールから何と鉄製郵便ポスト、寺の釣鐘(青銅製、※4−1)、重要文化財の銅線、と手当たり次第の感じです。勿論マンホール蓋を盗み廃品回収業者に売って逮捕された男も居ます、数100t(トン)もの鋼板を盗んだグループも居ます。
この盗難品目を見ると、戦時中の軍需用鉄材供出運動を彷彿とさせますね。あの時は大阪のシンボル・通天閣も鉄塊に変貌しました。いっその事、一夜にして通天閣を持ち去る”通天閣泥棒”が出現したら、さぞや痛快でっしゃろな〜、ブワッハッハッハッハ!!
◆マンホールでウンコ
ところで地震や災害で一般のトイレが使用不能に成った緊急事態の際には、「参考資料」に記した様に下水道用マンホールをトイレの代わりに使用出来るのだそうです、但し役所の関連部署の許可が必要ですが。貴方(貴女)は知ってましたか??!!
1995年の阪神淡路大震災(気象庁の正式名称:兵庫県南部地震)の時に罹災者や避難民たちがトイレに窮した事態は未だ記憶に新しいと思いますが、あの時マンホールでウンコをした人が果たして居たんでしょうか?、知りたいものです。否、居られたら是非感想を伺いたいものです。これは現代に在って極めて貴重・珍重且つ厳粛な体験ですゾ。
04年にタクラマカン砂漠の真ん中で「砂漠でウンコ」を試みて敢え無く”出ず仕舞い”に終わった私は、マンホール開口部に踏み板を渡したりマンホールトイレなどの姑息な手段を使わずに、直径60cmのマンホール開口部を力士が四股(しこ)を踏む如くに直に大股で跨いで豪快にウンコ(糞)をしてみた〜い!!
自分自身がマンホールのウンコの中に落ちない様に気を付けねば為りませんが、マンホールでウンコ出来たら最高に痛快でしょうな、或いは股を開き過ぎ”痛ケツ”かも、ブワッハッハッハッハ!
しかし消火器などと同様に普段使い慣れて無い物を行き成り使えと言われても困って仕舞います。そこで提案ですが避難訓練や災害訓練の時にマンホールトイレでの”用足し”を訓練項目に加え実際に下水道用マンホールの中にウンコしてみる、というのはどうでしょうか?!
(^O^)
そこでウンコボーイの登場です。写真をクリックすると拡大版が登場しますよ。こんな格好でケツ礼、いや失礼!!
{この章は07年5月29日に追加、「マンホールでウンコ」の節は08年5月3日に追加し合わせて章全体を加筆修正しました。}
いやぁ、マンホールでウンコする話は新鮮で感動しました。ケツ礼な話など何の其の、不謹慎な話は日常茶飯事、顰蹙(ひんしゅく)は「買うもの」では無く「売るもの」であると心得ている私は、とんでもない「思わぬ発見」に寧ろ喜びを感じて居ます、オッホッホ!{この段は08年5月3日に更新}
以上で地べたに置かれ毎日踏み潰されて居るマンホール蓋に色々な情報や人々の想いが込められて居ることがお解り戴けたことと思います。冒頭で私は自分のことを、機能的且つ効率的に最短距離を歩くという極めて当たり前の動作が苦手の”余所見癖”と述べましたが、どうやらマンホール蓋の作り手たちも機能的・効率的に地べたに蓋をすることが苦手の様です。
誰一人意識的に見もせぬ「踏み潰される存在」のマンホール蓋に有りっ丈の意匠を凝らすなど、正に矛盾の極みです。しかしその矛盾の中に自己表現せずには生きられない人間の性(さが)の可笑しさが滲み出ていて、それ故に蓋のデザインと私が”変に共鳴”して仕舞うのです。
◆◆◆参考資料 − マンホールとマンホール蓋
◆機能
(1)マンホールの役割
マンホールの用途は【脚注】※1の通りですが、通常の下水道の他にガス・電力・通信など地下に埋設し定期的に点検・保守する施設の「人の入出口」 −マンホール(manhole)の man は「人」、hole は「穴」− としての役割が有り、同時に蓋は「道路の一部」としての役割を負います。踏まれるだけの目立たない存在ですがライフライン(※5)と道路の一翼を担っている大事な物です。
尚、下水道用マンホールを特にグラウンドマンホール(ground manhole、地面のマンホール)と言います(△4のp8〜10)。
(2)マンホール蓋の構造
マンホール蓋の周縁部には小さな鍵穴型の開閉穴が在りますが、これはマンホール蓋を脱着する際に差し込んで使う鉄梃(かなてこ)状のバール用の穴で、マンホール蓋には必ずこの穴が在ります。最近では防犯用に蓋の裏に錠と蝶番が付いていて、鍵の付いたバールキーで開閉します。それでも洪水時には水の圧力で下から押し上げられますので、水だけ逃がす逃げ穴(←表面から見える)や隙間機構(←表面からは見えない)が付随して居ます。
蓋は車などの重みに耐える頑丈さ、耐摩耗性、安価などの条件から鋳鉄製(※6)で、簡単に持ち上げられなくする為に重量は大体50kg位です。耐用年数は一応歩道で30年、車道で15年ですが、交差点など特に車の往来が激しい箇所では著しく磨耗し数年の場所も在ります。
形は下水道用は殆どが円形で、直径は60cmが大多数です。ガス・電力・通信などには長方形などが在ります。
(3)下水道用マンホールの知られざる効用 − トイレ
地震や災害で一般のトイレが使用不能に陥った緊急事態の際には、下水道用マンホールをトイレの代わりに使用可能です。但し、当該市区町村の下水道関連部署の許可が必要です(△5)。
又、災害時に下水道用マンホール入口に設置して使い易くする為の災害用マンホールトイレ(和式・洋式)も商品化され販売されて居ます。特に1995年の阪神淡路大震災の教訓から、各自治体は災害用マンホールトイレの整備に積極的です。
◆デザイン
(1)マンホール蓋の表面デザイン
マンホール蓋表面デザインの第一義的要素は「滑り止め」です。そこで滑り易い雨の日などに人や車がスリップしない様に刻みを入れるのですが、この刻みの凹凸比率は50%即ち半々で凹凸が蓋全体に均等に分布するのが良いとされて居ます(△4のp56)。又、人が躓いたり車がガタガタ鳴らない為に道路と段差が無いことも求められます。安全第一なのです。
市区町村の情報などを付加した美的デザインは第二義的な要素です。その為に単に格子模様を刻んだものや蓋表面にコンクリートを流し込んだだけの”非美的”な蓋も存在します。綺麗に見えるカラーの蓋は、錆びや腐食防止の為に耐食性塗料が使われて居ます。
前述の様にマンホール蓋は磨耗するので、「滑り止め」の機能が果たせなく成った時が耐用限界で交換します。鋳鉄製なので鋳潰せば再利用可能で、逆にそれがカネ目当ての「盗難の標的」に成ります。
一方、蓋のデザインは多様で地域限定的に局在する為に収集家のコレクションの対象に成ります。この場合、大多数は写真や図案の収集家ですが、極めて少数の現物収集偏執狂(=マンホール・フェチ)の「盗難の標的」に成ります。
(2)マンホール蓋デザオン上のタブー
マンホール蓋のデザインにはタブーが存在します。法的な規制では無く慣習的な自主規制です。「市の花」や「町の花」など花のデザインが多いのも慣習的ですが、人の顔は無いのです。つまり「不特定多数の人や車に多数回踏まれる」ことが前提であるマンホール蓋に人の顔を入れたら「踏み絵」と同じに成って仕舞うので自ずと規制が働く訳です。特に天皇陛下の顔など入れたら日本では一大事です。デザインした人物は右翼に殺される可能性が非常に高いばかりか、社会問題を通り越して政治問題に成ること必定です。
同様な理由で犬や猫など、ペット動物も無いですね。要するに「人が躊躇無く踏める図柄」が選ばれる故に無生物・植物が圧倒的に多く、清潔感を出す為に花が多いと言えます。
{この「参考資料」は07年5月29日に追加}
【マンホールの記述の中の脚注】
Ψ1:澪標(みおつくし)は、[1].「水脈(みお)つ串」の意。通行する船に通り易い深い水脈を知らせる為に立てた杭。歌で多く「身を尽し」に掛けて使われる。みおぎ。みおぐい。みおじるし。
[2].源氏物語の巻名。源氏28歳の10月から29歳の冬に至る。
[3].香の名。香の少し辛く苦いもの。
Ψ2:市制(しせい、municipal organization)とは、旧制で、地方団体としての市の構成・組織・権限・監督などを定めた基礎的法律。1888年(明治21)制定、1911年全面改正。47年地方自治法が出来て廃止。
Ψ2−1:地方自治法(ちほうじちほう、Local Government Act)とは、日本国憲法の地方自治に関する規定を受けて、地方公共団体の自主性・自律性を高め民主化を徹底する為、知事・市町村長などの直接公選、住民の直接請求、地方議会の権限強化などを図った地方自治の基本法。1947年公布、日本国憲法と同時に施行。
Ψ3:水黽(あめんぼ/アメンボ、water strider)は、(「黽」はカエルの意)カメムシ目アメンボ科の昆虫の総称。体は細長く棒状で、5〜30mm。脚は長く、先には毛が生えていて水上に浮んで滑走し、小昆虫を捕食する。飴の様な臭いを出す。アメンボウ。カワグモ。水馬。季語は夏。
Ψ4:棊子麺(きしめん)は、[1].小麦粉をこねて薄く延ばし竹筒で碁石の形に押し切り、茹でて豆の粉を振り掛けたもの。
[2].平打ちのうどん。ひもかわ。名古屋の名産。
Ψ4−1:外郎(ういろう、(ウイは唐音))とは、[1].中国は元の人で礼部員外郎陳宗敬が、応安(1368〜1375)年中、日本に渡来し、博多に住んで創製した薬。その子陳宗奇は京都に移って外郎家と称し、後、小田原に伝えられ、江戸時代に評判を取る。痰の妙薬で、口臭を消すのにも用いる。透頂香(とうちんこう)。
[2].菓子の名。米の粉・砂糖・葛粉などを混ぜて蒸したもの。元は黒砂糖を使って居り、色が[1]の透頂香に似る。山口・名古屋の名産。外郎餅。
Ψ4−2:「天むす」とは、海老の天ぷらを載せた「おむすび」で、名古屋名物。
Ψ4−3:八丁味噌(はっちょうみそ)は、愛知県岡崎市八丁(現、八帖町)から産出され始めた味噌。大豆と塩と水だけを原料とした赤褐色の堅い辛味噌(からみそ)で、旨味と渋味に特徴が有る。岡崎味噌。三州味噌。
Ψ5:アルデンテ(al dente[伊])とは、歯応えの有る食感。パスタの茹で加減の丁度好い程度。
Ψ6:金魚(きんぎょ)は、フナの飼養変種。鰭(ひれ)・眼・体色などに著しい変形が見られる。その原種の主なものは16世紀初めに中国から輸入。色は紅・白又は紅白交り。和金・琉金・珠文金(しゅぶんきん)・出目金など、極めて多種。観賞用。季語は夏。
Ψ6−1:琉金(りゅうきん)は、金魚の一品種。普通に観賞用とし、赤色、又は白との斑(ぶち)のものが多い。尾や鰭(ひれ)は良く発達。江戸時代、琉球から渡来。
Ψ6−2:獅子頭(ししがしら)は、金魚の一品種。頭上には、疣(いぼ)が多く獅子舞の獅子の頭の様に見えることから命名された。尾は琉金に似るが、湾曲して居る。オランダシシガシラ。
Ψ7:花菖蒲(はなしょうぶ)は、アヤメ科の多年草。ノハナショウブを原種として、日本で改良された。高さ約80cm。葉は剣状で尖り、平行脈と中肋脈が有る。初夏の頃、白・桃・紫色などの美花を茎頂に付ける。俗に「しょうぶ」と言うが、節句に用いるショウブ(サトイモ科)とは別。季語は夏。
Ψ8:多聞櫓(たもんやぐら)とは、城の石垣上の長屋。城壁を兼ね、兵器庫などに用いる。松永久秀が多聞城で始めたから言う。多聞。
Ψ9:緞通・段通(だんつう)とは、(「緞通」「段通」は、中国語「毯子(たんつ)」に対する当て字)地糸に綿・麻又は羊毛などの毛を用いた厚い敷物用パイル織物。種々の織込糸を用いて模様を付ける。中国/インド/ペルシャの原産で、日本へは毛氈(もうせん)と共に中国から輸入。江戸時代、佐賀・堺・赤穂で生産を開始。
Ψ10:東密(とうみつ)とは、〔仏〕東寺を本山とする真言密教の称。空海を祖とする。←→台密。
Ψ11:壺坂霊験記(つばさかれいげんき)は、浄瑠璃の一。原作者未詳の世話物。豊沢団平と妻千賀女が補筆作曲。1879年(明治12)初演。壺坂寺の縁起に基づき、盲人沢市の妻おさとの貞節を脚色。後に歌舞伎化。
Ψ12:雄躑躅(おんつつじ)は、ツツジ科の落葉低木。近畿以西・四国・九州の日当たりの良い山地に生え春に赤い花が咲く。和名は木の男性的姿に由来。筑紫赤躑躅。
Ψ13:忌部/斎部(いむべ/いみべ/いんべ)氏は、古代の氏族の一。朝廷の祭祀に奉仕。伝承上の祖は天太玉命。姓は連(むらじ)・首(おびと)など。連は天武天皇の時に宿禰(すくね)に昇格。他に伊部・諱部などとも書く。
Ψ13−1:天太玉命(あまのふとたまのみこと)は、日本神話の五部神(いつとものおのかみ)の一。天岩屋戸の前で天香山の真榊を取り、玉・鏡・和幣(にきて)を掛け、天照大神の出現を祈った。忌部氏(斎部氏)の祖とする。
Ψ14:山茶花(さざんか、sasanqua)は、(字音サンサクヮの転)ツバキ科の常緑小高木。四国・九州の暖地に自生。高さ約3m。葉は厚い。秋から冬に掛けて白花を開く。八重咲・一重咲、淡紅・濃紅など園芸品種が多く、庭園・生垣などに植栽。種子は大きく、油を採る。材は細工物にする。ヒメツバキ。漢名、茶梅。季語は冬。
Ψ24:横浜ベイブリッジ(よこはま―、Yokohama Bay Bridge)は、横浜港横断橋の通称。本牧埠頭と大黒埠頭を結ぶ全長860mの世界最大級の斜張橋。2層構造で1989年に上層部、2004年に下層部が開通。
上層部は東京国際空港・川崎港・横浜港を結ぶ首都高速道路湾岸線の一部を成し、下層部は国道357号で、共にに物流の大動脈と成っている。<出典:「Microsoft エンカルタ総合大百科」>
Ψ25:河童(かっぱ/かわわっぱ)は、(カハワッパの約)。
[1].water imp。想像上の動物。水陸両生、形は4〜5歳の子供の様で、顔は虎に似、嘴(くちばし)は尖り、身に鱗(うろこ)や甲羅が有り、毛髪は少なく、頭上に凹みが有って、少量の水を容れる。その水の有る間は陸上でも力強く、他の動物を水中に引き入れて血を吸う。河郎。河伯(かはく)。河太郎。水虎(すいこ)。旅の人。かわっぱ。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
[2].水泳の上手な人。
[3].頭髪の真ん中を剃り、周りを残したもの。特に女子用の断髪は「おかっぱ」。
[4].見世物などの木戸に居て、観客を呼び込む者。合羽。
[5].(川に舟を浮かべて客を呼ぶことから)江戸の柳原や本所などに居た私娼。船饅頭(ふなまんじゅう)。
[6].(河童[1]の好物であるからと言う)キュウリ(胡瓜・黄瓜・木瓜)の異称。「―巻」。
Ψ26:牛久シャトー(うしく―)は、正式名はシャトーカミヤ。神谷伝兵衛が婿養子の伝蔵をフランスのボルドー地方に派遣し3年間ワイン醸造を学ばせ、明治36(1903)年に茨城県牛久市に建設した葡萄園を併設したワイン醸造工場。ルネサンス様式赤煉瓦造りの2階建て、地下1階。
Ψ26−1:神谷伝兵衛(かみやでんべい)は、葡萄酒製造家(1856〜1922)。三河国(現・愛知県幡豆郡一色町)の豪農に生まれたが生家は没落、17歳で横浜の醸造会社に勤め、明治13(1880)年に浅草に「我が国初の洋酒バー」(現在の神谷バー)を開店し、更に神谷酒造を創業し焼酎と調整葡萄酒である蜂印香竄葡萄酒(通称:蜂葡萄酒は有名)を売り出す。1903年に開設した牛久シャトー(茨城県牛久市、正式名:シャトーカミヤ)は有名。尚、香竄(こうざん)は父の号。
Ψ26−2:電気ブラン(でんき―)とは、ブランデー風の雑酒の商標名。明治20(1887)年頃東京浅草の酒店主、神谷伝兵衛が作り始め、同36(1903)年開業した神谷バーで販売し、大正中期に掛けて全盛。電気が未だ珍しかった当時の命名。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【脚注】
※1:マンホール(manhole)とは、下水などの導水管・管渠(かんきょ)・ボイラーの掃除・点検の為、人の出入りが出来る様に作った穴。
※x:豊臣秀長(とよとみひでなが)は、秀吉の異父弟で、織豊期の武将(1537〜95)。秀吉と同じく木下姓、羽柴姓、そして豊臣姓と成る。天正13(1585)年の紀伊攻めや四国平定に活躍し、秀吉の片腕的存在。同年、大和郡山城主として大和・紀伊・和泉と伊賀の一部を領有、後に大和大納言と呼ばれた。九州攻めや小田原攻めにも参陣。<出展:「日本史人物辞典」(山川出版社)>
※2:美空ひばり(みそらひばり)は、第二次大戦後の代表的流行歌手(1937〜1989)。本名、加藤和枝。横浜生れ。「悲しき口笛」「東京キッド」「リンゴ追分」など、主演映画と共に次々にヒット。他に「港町十三番地」「柔(やわら)」「悲しい酒」「川の流れのように」など。「歌謡界の女王」と呼ばれ、1989年死後に国民栄誉賞を受賞。
※3:キッド(kid)は、[1].子山羊。
[2].子山羊の皮を鞣(なめ)した物。靴・手袋などに用いる。
[3].〔俗〕子供。若者。
<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※4:砲金(gunmetal)とは、青銅の一。普通成分は銅90%、錫10%位で、鋳造容易。摩耗・腐食に耐え、靱性に富むが、引張り強さは弱い。軸受や腐食を嫌う機械部品に用いる。元、大砲に用いた。ガンメタル。
※4−1:青銅(bronze)とは、銅と錫との合金。各種在り、鋳造用の他、鍛錬材・圧延材にも用いられ、亜鉛・鉛などを加えて古来より美術品・貨幣に造られた。機械の部品にもしばしば用いられ(砲金)、更に燐(りん)を加えた燐青銅、金銀を加えた鐘青銅、特殊な鏡青銅などが在る。真鍮に次ぐ日常に関係深い銅合金。唐金(からかね)。ブロンズ。錫青銅。
※5:ライフライン(lifeline)とは、(命綱、救命索の意)電気・水道・ガスなど、線や管などで結ばれた生活に不可欠な社会施設。地震に弱い。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※6:鋳鉄(ちゅうてつ、cast iron)は、2.0%以上の炭素を含む鉄合金。通常、炭素の他に珪素・マンガン・燐などを含む鋳物用工業材料。鋼に比し機械的強さは劣るが融け易く鋳造が容易で安価。耐摩耗性・切削性などに優れる。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△x:『たべもの日本史総覧』(新人物往来社編・発行)。
△1:『鈍感力』(渡辺淳一著、集英社)。「鈍感力」という語は07年前半に流行語化。
△2:『江戸の旅 東海道五十三次物語』(今井金吾著、河出文庫)。
△3:『万葉集(下)』(佐佐木信綱編、岩波文庫)。
△y:『シンボル事典』(水之江有一編、北星堂書店)。
△4:『マンホールの博物誌』((株)G&U技術研究センター編著、中川幸男監修、ダイヤモンド社)。
△5:「日本グラウンドマンホール工業会」公式サイト。
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