日付は新しい日記が下に続いていく構成です

■続・銭湯
【2004.1.23】
おととしは年末に入湯100軒を達成したのに、去年はどうやら200に届きそうにない状況だとわかった。それで12月12日以降はやっきになって入りまくり、12月29日にはなんと1年ぶりの銭湯の「はしご」もしたけれど、結局大晦日に180軒め。でも何とか200軒が見えてきたぞ。(今日現在で188軒、とはいえ普段は数字のことは忘れているのだけれど・・・)。
もうひとつは「杉並の銭湯」を歌っているわけだが、いよいよ杉並の銭湯も50軒中46軒を踏破して、残すところあと4軒と迫ってきたのだ(残念ながら50軒中1軒が廃業してしまったが・・・)。
そして最後にとっても寂しいことは、娘がとうとう10歳になってしまって、もう2度と一緒に男湯に入れないことだ(東京の条例で9歳までと規定されているので・・・)。12月31日にはきっと今日がその最後の日になるだろうと思い、記念すべき日にふさわしい名前の「桃の湯」でオーラスを決めたのであった。それにしても杉並の桃の湯がすでに廃業してしまっているのはとても残念なことだ。あの桃の湯のそばの女子寮に住んでいた若いおねえさんたちは桃の湯のことを「ピーチ」と呼んで親しんでいたという話なのだが。
それにしても全国的にも銭湯の廃業が相次いでいるようで、とっても残念なことだ。確か町田師匠が記念すべき2000湯目を飾った仙台の開福湯などはなんと大正時代の創業だったとか。一度行ってみたかったところの筆頭だったのに、残念なことに去年いっぱいで暖簾を降ろしてしまったのだ。
で、そんな反面、押し寄せる波のように時として小さな銭湯ブームが巻き起こることもあったりするわけで、去年にしても雑誌やテレビで何度も銭湯特集を目にしたものだ。そんなブームに乗ってか、このホームページも年末に「A to Z」という女性向けのフリーの雑誌にとり上げてもらったかと思ったら、昨日は毎日新聞の夕刊の編集者からメールをもらって、今書いている「梅」の記事の中で銭湯の屋号としての「梅」の話を差し挟みたいと・・・(去年の「1010」8月号の屋号特集は「東京レトロを行く」に掲載してあるデータをもとにしたものなので、「1010」を出典にしてもらうようにお願いした。で、その記事の掲載は1月26日付けの夕刊の2ページ目だとのこと)。
今年の目標、それは早く東京中の銭湯をすべて訪れてみたいということ(現在、銭湯の外観の下見だけなら500軒を越えているので・・・)。ちなみに「つかさ」さんによると、入湯200軒で新人王、1000軒でフリーエージェント、2000軒で名球界入りとのこと(つかささん、もうフリーエージェントになっているんでないの?)。私もせめて早く新人王を獲りたい。
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■杉並区銭湯全軒感謝!
【2004.2.20】
やっと杉並区内のすべての銭湯に入湯することができた。それは「杉並区内の銭湯めぐり」を開始しておおよそ2年目のことであった。ともかくも祝全軒入湯、そして感謝。
2年前の2002年の1月にはとりあえず家の近くにある梅月湯(下井草)、大師湯(上井草)、森の湯(下井草)あたりに入湯していた。杉並区内の他地域にある銭湯に初めて出向いたのは代田橋の弁天湯(2002年2月11日)で、これは廃業情報によるもの。3月も同様で西永福の大黒湯が廃業と聞いてぎりぎり最終日(2002年3月31日)に入湯し、初めて「銭湯が暖簾を降ろす日」の悲哀を味わった。その年のゴールデンウィーク開け、いよいよ本格的な杉並銭湯めぐりを開始。第一弾として「杉並のking of sento」と目される西荻窪の玉の湯に入湯(5月11日)。続いて懸魚の立派な高円寺の小杉湯へ・・・その後、8月に「銭湯マップ2002」が配布されるまでの間に先の大師湯(上井草)と新たに桃の湯(和田)、白山湯(富士見ヶ丘)が廃業となり、マップに掲載された杉並区の銭湯数は51軒ということになってしまった(さらに高井戸東の平和湯は長期休業中のままなので、事実上は50軒)。
その後の2年間、いろいろ思い出すこともある(ラベンダー湯にゆず湯、子供銭湯スタンプラリー、なみのゆでの町田師の銭湯談義、「杉並文化問題懇談会」のY.T.さんが作成した「区民がつくるすぎなみ銭湯まっぷ」などなど)が、たらたらと銭湯巡りを続けているうちに2003年12月の時点で残すところ7軒となり、年が明けた2004年1月に宮下湯、大黒湯、大和湯、ニュー石原湯、こがね湯と決めて、2月5日に吉の湯、そして2月14日(聖バレンタインデー)に代田橋の和泉湯で50軒目を飾った。この間に廃業したのは幸いにも本天沼の第二文化浴場だけということはなかなかすばらしいことだ(2年前の連続5軒廃業に比べれば・・・)。
実は期せずして(というか期したのだが)、杉並50軒目がちょうど全体の200軒目で、つかささんの名湯会入りの銭湯ランクでやっと「新人王」に達した(程度)なのであった。
因みに30湯は「高校球児」、1000湯で「FA宣言」、2000湯でやっと「名湯会」入りで、3000湯が「湯聖」、5000湯で「湯神」だそうだ(湯神ってもういるのかいな??)。これからも名湯会を目指してGO(なんて古い表現、わざと使ってみました)。で、とりあえず今日(201湯目)はどこにしようかというのが今の悩み。
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■アナログ体重計
【2004.4.4】
つかささんの北赤羽「なるみ湯」のレポートの中で:
「IUCHI SCALEのアナログ体重計、これは古いから、多分新築前から使ってたものか。建物新しくても、古い体重計を使っているところを良く見かけるけど、体重計って結構高いのかな?あるいは愛着か?」
とコメントしていたのが気になって、少し調べてみた。

アナログ体重計については、「KEIHOKU、HOKUTOW、TANAKAが東京御三家だろう。」ということなので、まずこの三者についてインターネット検索をしてみたが、ひっかかってくるは「北東衡機工業(株)」(福島市堀川町)だけ。で、製品案内に自動身長体重計はあるのだが、アナログ体重計がなく、「この会社があのHOKUTOW」かどうかはっきりしない。

で、御三家についても気になったので、とりあえず最近行った40軒の銭湯のアナログ体重計を調べてみたら:
�@HOKUTOW(14軒)、�AKEIHOKU(12軒)、�BTANAKA(4軒)、�CYAMATO(2軒)、�DMORIYA(2軒)、�EEIKO SCALE(1軒)、�FIUCHI SCALE(1軒)、�GNIHON DORYOUKOKI(1軒)、�H亀井式(1軒)
のような内訳で、両横綱がいてあと前頭と言う感じ。
そこでこれらをまたインターネットで調べたら、「大和製衡(株)」(兵庫県明石市)、「井内衡機(株)」(徳島県徳島市)があって、その他に「寺岡精工(株)」(大田区久が原)というのがかろうじて見つかった。でさらに、大和の製品カタログの中に「自動台はかり」というのがあって、ひょう量100kgの中型のもので88,000円、大型のものでは132,000円というお値段(しかし、これらは銭湯で見るのとちょっと違うかも)で、いずれにせよ、結構お高いのは確か。だがというよりも「もう作っていない、あるいはもう会社がない?」可能性もあり、希少価値ということなのでは。

ところでアナログ体重計をよくよく見てみたら、いろんなことに気が付いた。各社ともにユニークなロゴマークがあり、例えばTANAKAは”タ¬”みたいな感じで、MORIYAは鷲のマークという具合。またKeihokuの古いものはKeihoku Hakariとなっていて、むかしの貫目盛りが付いていて、外装は茶色。これに対してKeihokuの新しいタイプは青が多い。さらによく見ると、針がゴールドのものとシルバーのものの2種類あるようで、またどちらのタイプにも文字盤の「100kg」の文字が黒塗りのものと赤塗りのものがある。この違いはいったい何?。疑問は膨らむばかりだが、これからもっとよく調べてみることに・・・。
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■お茶犬 かわいいやつ!
【2004.7.1】
(前は週間日記だったのにいまや隔月だよ。とほほ)
毎朝、朝食はコンビニのパン1個と愛すコーヒーに決めているのだが、あるとき血迷っておにぎり1個とお茶というパターンを選んでしまった。そのとき偶然手にしたのが伊藤園の「お〜いお茶ふかみ」350mlペットボトルというものだった(知るひとぞ知る?深緑のお〜いお茶だ)。ふと見ると飲み口のところに「おまけ」がぶら下がっていたので、「最近はどのドリンクにもけっこうおまけついているよなあ」なんて思いながらなにげに開けてみたら、中に入っていたのは「お茶犬、リョク」とやらで、耳の垂れた黄緑色に塗られた犬が豆大福の上にちょこっと乗っている携帯ストラップだった。で、思いもよらずに繁繁と見てみると、それがけっこう、かわいいじゃん!

犬のタイプとしては「さんまのまんま」に出てくるまんま(例えが悪いし、ちょっと古すぎなのだが)、あれによく似ている。よく見ると垂れた耳はお茶の葉になっていて、まるっこい口、とろんとした目、ちょこっと付いたしっぽ、などなどなかなか愛らしいくできているのだよ。で、すっかり気に入って職場のピッチに貼り付けてみたのだった。

翌日、当然お〜いお茶ふかみを買わないわけがない。で、パン1個にお茶という変な組み合わせ。出てきたのはお茶犬アールといってリョクの仲間で、リョクが緑茶犬なのに対してアールは紅茶犬で、チーズケーキの上に乗っかっている。ん〜、これもけっこう、かわいいじゃん!

で、その次の日に出てきたのはまた別なお茶犬と思いきや今度は「お茶猫」のサクラだった(これはサクラ茶のキャラになっていて、桜餅の上に乗っている)。実はそんなわけでお茶犬が5種類、お茶猫が3種類にさらにシークレットのお茶犬とお茶猫が1種類と非常に魅力的なラインナップとなっている。というわけで、こうなるとどうしてもつぎが見たくなるではないの。

その後に出てきたのが、紅茶犬別バージョンのチャイ(マンゴープリンに乗っている)、ラベンダー茶猫のラン(ホットケーキに乗る)、ジャスミン茶猫のミン(なんとシューマイに乗る)、そしてちょっと苦労して烏龍茶犬のロン(蒸篭に入った肉まんの上に乗る)と、順調に違う種類のお茶犬、お茶猫が飛び出して、「なんて運がいいのだろう」と感じつつも、「いやいや、このまま順調に出つづけるわけがないよ」と思った翌日からいやな予感が的中。サクラ、ミン、サクラ・・・といった調子で、どうしても一つだけ残ったシュークリームに乗ったハーブ茶犬のハナちゃんという女の子が出てこない。添付の絵で見るとなんともかわいらしいやつ!

だんだんいらいらが募りつつ、ときには「今日もだめだよな、ぜったい駄目に決まってる」なんて気弱になりながら、どきどき状態でおまけ袋を開封する日々が続いたが、さっぱりというかやっぱりハナはデテコナイ。その間に、あまり思い入れのなかったシークレットバージョンの2つ(リョクがお〜いお茶緑茶500mlペットボトルを抱いているものと、サクラがお〜いお茶緑茶500mlペットボトルを抱いているもの)は比較的すんなり登場して、全10種類中9種がコンプした(いやいやコンプじゃない!)。

とうとうこのままコンプしないまま終わってしまうのではないかと心配になってきて、ホームページで情報をゲットすることにした。「ひょっとすると出にくいお茶犬があるんだろうか、ほかの人もハナが出なくて困っているのでは?」。調べてみるといるもんだよなあ、さっそくお茶犬のホームページ作っている人が。で、掲示板なんかもちゃんと作られていて熱烈なお茶犬トークやディープな情報が飛び交っている。もう、夢中になって過去の会話にさかのぼって情報をチェックしたが、特に「ハナが出にくい」ということはないらしく、リョクが出なくて困っている人もいる。ところでうれしいことに、(株)セガトイズからは「お茶犬のホームページ」:
http://www.ocha-ken.com/pc_top.html
という公式サイトが、またお膝元の伊藤園のホームページの中にも「キャンペーン情報」のページ:
http://www.itoen.co.jp/campain/index.html
が公表されていて正しい情報が満載だった。で、伊藤園キャンペーンの質問コーナーの答えのところを見てみると、景品は全種類とも平均的に作られているのですか?という質問6の答えは、「シークレットアイテムの2種類以外は全種類、生産数量は同じで、均等に入るようにしています。」。さらにはこのキャンペーンについて、な・な・なんと2004年5月17日(月)〜順次、なくなりしだい終了(数量限定)と書いてあるではないか!

もう、これは猶予がない!というわけで、緊急指令発令。子供、家族に事情を話して、手分けして最後の「ハナ」を捜索してもらうことにした。で、自分が27個の伊藤園の「お〜いお茶ふかみ」350mlペットボトルを購入したのに対して、その他に24個の伊藤園の「お〜いお茶緑茶」350mlペットボトルを購入してくれ、その結果は?そうです。めでたく、2匹のハナちゃんをゲットしたのでありました。連絡を聞いて、家に飛んで帰って初めてハナに対面した時の感動は、今も忘れることはできない。

その後、今日まで毎朝、伊藤園の「お〜いお茶ふかみ」350mlペットボトルを買いつづけ、昨日で49本(月初めにはまとめ買いもしたので・・・)。もう7月になることだから記念すべき50本で最後にするかと、いつものコンビニに行ってみてが・く・ぜ・ん、ない!おまけ付きのふかみがない。とうとう、数量限定のふかみは終了してしまったのだ。思い起こせばこの一ヵ月というもの、実にいろいろな事があった(実はまだまだ事件は山のようにあった−−−特にお茶犬・お茶猫ストラップあたり付きの自動販売機お〜いお茶350ml缶のこと、新種の麦茶犬(ムハという名前)のストラップ5種付きの麦茶500mlペットボトルのこと、さらにはコーヒー犬カフェのことなど、話せばきりがない)。

楽天の個人販売のところを見たら案の定、お茶犬ストラップが1円から200円という値段で売りに出されている。その他、お茶犬をキャラクターとした商品が(各社から)続々と売り出されており(ただし、お茶犬はあくまでも(株)セガトイズと(株)ホリプロの共同著作物ということ)、コンビニでのフィギア販売、100円で出てくるいわゆる「ガチャ」でも専用のお茶犬ストラップを入手できるなど、ひそかなブームを呼んでいる。始まりはどうやら2002年3月31日デビューで、2003年あたりは大々的なキャンペーン(テレビCMもあり)が行われ、今やぬいぐるみ、絵本からゲームソフト、CD(お茶犬ソング)まで売り出されている(お茶犬グッズ専門の販売店「MINIお茶犬や」も各地にあり)という有様だ。

最後にお茶犬の写真を見たい方、お茶犬ストラップが当たる伊藤園自動販売機の情報が欲しい方はお茶犬のページへ進んでください。
お茶犬のページ
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■東京の銭湯の数
【2004.9.26】
東京都浴場組合の東京銭湯マップ2002によると平成14年6月10日現在営業中の東京都内の全公衆浴場は1186軒とのこと。せっかく遠くの銭湯に入りに行っても廃業していて入れなかったというのでは利用者としては大変だ。というわけで、銭湯マニアにとって廃業情報というのは非常に重要なわけだ。つかさの銭湯・温泉・サウナ王国の掲示板などであらかじめ情報が得られた場合は滑り込み入浴ができることもしばしばあるが、一方ですでに廃業してしまった後だという知らせの場合などはただただ残念がるしかない。

そんなこともあって現在の正確な銭湯数を把握しておきたくなった。一番確かな情報は東京都浴場組合のホームページ東京都内銭湯マップの「データde検索」から「都内全域」もしくは特定の区を指定して検索ボタンをクリックする方法だ。このようにして得られた今日現在の東京都内の銭湯総数は1086軒で、平成14年6月以来、約2年3ヵ月の間に1186‐1086=100軒、すなわちちょうど100軒の銭湯が廃業していることがわかった。この期間に銭湯マップから名前が消えてしまった銭湯を一つ一つ照らし合わせて丹念にチェック(これは気が遠くなるような作業だった)してみたところ、やはり掲示板等には情報が届いていない廃業銭湯もいくつかあることがわかった。せっかく調べたので、そんなわけで以下に情報を掲載することにした。(注意:リストに名前が見当たらないというだけで、廃業を確認したわけではありませんのでご注意ください。また、同じ地区に同名の銭湯がある場合もありますので、詳しくはそれぞれご確認ください。)
地区 銭湯数 廃業数 廃業(および廃業と思われる)銭湯名
千代田 4 0
中央 12 1 月島浴場
港 9 0
新宿 36 3 宝来湯、有馬湯、戸山文化浴場
文京 20 1 初音湯
台東 43 1 富久の湯
墨田 53 7 美人湯、鶴の湯、五色湯、花の湯、
有馬湯
、文花浴場、二葉湯
江東 40 3 鶴の湯、金城湯、銀座湯
品川 44 4 煉瓦湯、亀の湯、おしどり湯、
金泉湯(南品川)
目黒 24 5 宝来湯、越の湯、旭湯、
ぽかぽかランド鷹番の湯、金春湯
大田 85 9
(12)
高砂湯、美町湯、森ヶ崎浴場、加賀湯、
第二幸の湯、、千束浴場、仲の湯、
宝湯、辰己湯、以下休業中:

川嶋浴場、長原湯、梅の湯(大森北)
世田谷 54 5 栄湯、松の湯、富士乃湯、用賀浴場、
玉川湯
渋谷 22 3 梅の湯、第二桜湯、鶯湯
中野 41 3 日の出湯、川中湯、桃の湯
杉並 47 4 第二文化浴場、ぼたん湯、平和湯、
初音湯
豊島 44 4 久の湯、えびす湯、福の湯、伊豆海湯
北 57 5 袋湯、第二乙女湯、松の湯、高砂湯、
福の湯
荒川 48 5 鏡湯、梅の湯、 長寿湯、ほまれ湯、
恵美須湯
板橋 58 6
(7)
新常盤湯、宮の下湯、氷川湯、志村湯、
竹の湯、黄金湯、
休業中:蓮根浴場(廃業確認)
練馬 42 5 第三福の湯、宏明泉、第二いづみ湯、
松の湯、沢の湯
足立 67 6
(8)
昭和湯、宮城湯、栄湯、
第二南興泉、梅の湯(扇)、梅月
休業中:恵びす湯(廃業確認)

今月で廃業:千代の湯
葛飾 65 3 不動湯、ゆたか湯、梅の湯(奥戸)
江戸川 69 6
(7)
朝日湯、こだま湯、鈴の湯、
神明湯、江戸川湯、要湯、
休業中:ラヂューム湯
国立他 8 1 世界湯
東大和他 6 1 青梅温泉
府中 11 0
(1)
休業中:中河原浴泉
小金井他 6 1 みどり湯
調布 12 1 薬師湯
狛江 4 1 栗の湯
武蔵野他 17 1
(2)
北野湯、休業中:花の湯
東村山 4 0
小平他 10 3 ほまれ湯、友の湯、栄湯
清瀬他 7 1 新盛湯
八王子他 10 0
稲城他 7 1 さがみ湯
計 1086 100

なお、銭湯マップに載っていない(組合未加入の)銭湯として稲荷湯(北区岸町1‐12‐23、王子または東十条駅)と千代の湯(北区上十条4‐11‐10、十条駅10分)があり、また新規開業の銭湯として神田アクアハウス江戸遊(千代田区神田淡路町2‐9‐9、御茶ノ水駅)がある。
この他、最新の廃業情報としては足立区の千代の湯が今月いっぱいで廃業する。また、渋谷区の玉川湯と幡ヶ谷浴場が近々に廃業するかもしれないらしい(未確認)。

調べているうちに何だが心配になってきて、普段はしないことにしている禁じ手の「銭湯のはしご」を今月は2回もしてしまった(1回目は江東区の春の湯と鈴の湯で、2回目は荒川区の大門湯と北区の鶴ヶ丘湯。ただし、2回目は山手線が止まってしまって家に帰れず、やむなく京浜東北線を利用したため。)
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■初詣
【2005.1.2】
元旦は1日仕事(今年も?正月からよく働いた!)。というわけで今年もどういう年になるのか、新年早々不安がよぎる(って正月から縁起でもない)。
それで、今日は晴れて初詣へ。「正月の東京の道はがら空きだ」と例年なら大喜びするところなのだが、今年の東京は結構渋滞しているじゃないの。雪が降って故郷に帰るのやめた人が多いのだろうか。それとも不況のせい?そんなことを思いつつ、初詣へ。どこの神社に行こうか思案した挙句、ちょっと変わった雰囲気の湯島聖堂へ行ってみることにした。ここはやはり穴場と見えて、聖橋下の道路もらくらく路上駐車OK。正門をくぐると正月とは思えないし静けさが漂っている(というのもほとんどの人は聖橋の上からアクセスし、直接本堂脇の裏門から入ってくるから)。というわけで、本堂へ上るまでの一時ながら参道はまるで晩秋の京都の小寺の境内を彷彿とさせる長閑な佇まい。
参道の階段をちょっと上がればすぐに本堂。ここは徳川綱吉が300年前に建立した孔子廟で、長崎の唐人屋敷を思わせる異国情緒たっぷりのところで、もちろん寺でも神社でもない。が、ちゃんと初詣の列(短いが)もできており、おみくじも売っている。学問の神様?で学業成就の絵馬もいっぱい掛かっている。ここを訪れる人びとは「通」とでもいうか、どことなく高尚な感じに見えるのは気のせいか。お賽銭も奮発して、心安らかな初詣を済ませて、横門から俗世間へ。
そして本日2軒目の神社に向かうべく、今度は人並みに紛れて北へ向かう。そう、次の目的地は湯島聖堂のすぐ北側にある神田明神。今でこそ小さな境内の神社だが、かつては山王神社と双璧をなす江戸の総鎮守であったわけで、今でも根強い人気を集めているのだ。というわけで、湯島聖堂とはうってかわって参道には屋台の出店が所狭しと並び、鳥居の外までひとでぎっしり。一変して賑やかなことこの上なく、「やはり初詣はこうでなくちゃ」という気にさせるから不思議だ。2軒目ということもあり、余裕の参列。ここでも無事に参拝を済ませて、次はあれやこれやとお守りを選別。今年は商売繁盛の1000円ものに加えて、珍しく熊手1号1000円も購入、いや寄進した。連れに「正月だけは信心深いのね」などと言われ、「そうでもないよ」なんて答えつつも、そうでなければどうなのだと自分でも疑問に思う。が、さてはともあれ、最後は露天のテントにしけこんで、焼き鳥におでん、関西風お好み焼きに舌鼓を打って、極楽極楽。しばし、日常を忘れて、って毎年恒例のことだからこれも日常か。
新年からまるでふつうの日記まるだしの徒然日記となってしまったが、まあ今年もがんばろう。付:台東区の鶴の湯早く行って見たい。
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■銭湯めぐりのポリシー
【2005.2.24】
残念ながら現存する東京銭湯を全湯制覇することは時間的に無理。それで戦略として優先的に入湯する銭湯を決めようと考えた。そこでコツコツと日々入湯しつつ、時間が空いた昼間の時間帯を利用して東京中の銭湯を下見して回ることにした。基本的には「レトロ志向」なのでレトロな銭湯から優先的に入湯しているのだが、入湯するのをレトロ銭湯だけに限定してるわけではない。しばらく続けてレトロ銭湯に入っていると、そろそろモダンな銭湯に入りたいという思いが強くなる。レトロ銭湯からご無沙汰していると今度は無性にレトロな銭湯に入りたくなる。実際に入浴してみての満足感ということから言っても、必ずしもレトロ銭湯がいいというわけでもない。
10数軒の銭湯を見て回るのに要する所要時間はだいたい2−3時間ぐらいだろうか。この時間に頑張れば2−3軒の銭湯に入湯できるわけだが、基本的には1日に入湯する銭湯は1軒に決めている。銭湯を見て回った後、夏は汗だくになり、冬は寒さに凍え、どちらの季節にも最後に足が棒のようになるのは同じで、その日に巡った銭湯の中から一番気に入った1軒を選んでその日の疲れを癒している。
なぜ入湯する銭湯を基本的に1日1軒にしているかというと、これはポリシーの問題ではあるが、複数の銭湯に入ると1軒ずつの印象が薄れてしまうというのが一番の理由。「1軒ずつを大切にしたい」と何となく思っている。そもそも銭湯というのは本来はそれぞれの地元の人達のホームグラウンドで、そこに他所から来て分け入って入湯しているという感覚もあるから、となると1日1軒というのは営業している人へのせめてもの仁義とでも言おうか、そんなものもある。もちろん、こちらが客なのだからどんな入り方もありだと基本的には思ってはいるが・・・。
だが、まあそんなことを言っておきながら時には2軒入ることもある。それがどんな時だったかというと、地方に旅行に行ったとき、あと1軒で大晦日に区切りのX00軒目だったとき、1軒入って帰ろうと思ったら電車が止まってしまったとき(下車して2軒目)。廃業情報があいついで目にして、気持ちがあせったとき。
自分自が設定した銭湯めぐりの目標は、自分にとっての究極の東京レトロ銭湯はここだと自分の中で決めることで、自分の決めたその究極のレトロ銭湯にずっと入り続けられたら幸せなことだ。(なお、この目標は将来変更される可能性あり)
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■全く個人的な話
【2005.5.1】
今回だけは「全く個人的な話」なので悪しからず。

むかし大学生のころ、たった一人、車で四国に渡ったことがある。父親とは年賀状のやり取りをするだけの関係になっていた鴨島町(徳島県)の親戚の家を訪れるためだ。そんな関係にもかかわらず、濁り酒を振舞って歓迎してくれたことをよく覚えている。家にあった白黒の写真、鴨島町にある立派な当家の墓地、落成式のときの写真だ。広い敷地に半球状の大きな石山が横1列に3つ並んでいるもので、墓石というよりは記念碑のような造りだ。その前に大勢の人達が整列しており、その中に確かに祖父や幼少の父の姿が写っている。この写真のことがずっと眼に焼きついて離れず、一度見に行きたいと思っていたのだ。父の説明では真ん中が本家のもの、左右の「北家」、「南家」と書かれているものが分家のものということだった。祖父は中学校卒業程度の学歴しかなかったのだが、先に上京していた従兄弟に一緒に事業をやろうと誘われて東京に出てきたのだ。上京して初めて居を構えた文京区白山御殿町(現、白山4丁目、かつて五代将軍綱吉の御殿があったところ)が今でも当家一族の本籍地となっている。時代は明治の終わり、文明開化からはかなりの年月が経っていたはずだが、そうは言っても今考えると明治維新後せいぜい30年ぐらいだったのだろうか。第一期ベンチャー企業勃興期とでも言おうか。アイデアひとつで面白いようにいろいろなことが事業になっていった時代であったらしい。祖父と従兄弟は協力して次々と会社を興していった。東京計器を従兄弟が起こし、東京航空計器という会社(この会社は終戦とともに役割を終えたが)を祖父が担当した。同グループの一部門からさらに日本光学という会社を興し、祖父は光学レンズの(ドイツからの)輸入を担当した。幼少時、自宅の倉庫にレンズの部品のプリズムのようなものが山済みされていて、文鎮代わりに使っていたことを思い出す。このほかにも東洋酸素などの会社。創業当初とはいえ、年商は相当なものだったらしく、鎌倉の我が家は広大な敷地に石造りの洋館、久里浜の海岸ひとつの別荘(ここは後に海軍に没収になったと聞いた)、白楽に所有していた5万坪の土地(この土地はおおかた使い物にならないような沼地であったそうだが)。まだ、日本に運転免許書がなかったころにドイツから乗用車を輸入して所用に使っていたという。当時の富豪のご他聞にもれず競走馬を所有して、優勝カップが家に並んでいたそうだ。しかし度重なる戦争、土地は没収され、金めのものはことごとく没収されるような時代に突入した。食糧事情の悪化も拍車をかけて祖父は結核をわずらい、日一日と事業からも遠ざからざるを得なくなっていった。そんな中で終戦を向かえ、軍部へ納品の必要もなくなり、祖父は引退することになった。終戦直後に父は祖父に連れられて大井にあった工場を見学に行ったことがあるそうだが、跡形もなく破壊され焼け野原となっている光景を目の当たりにして呆然と立ち尽くしたという。従兄弟方の親戚の手で引き継がれることになった会社、人手に渡された会社。
日本光学がカメラの製造を始めたのは戦後数年を経てからだと最近聞いた。ふと気になってホームページを覗いてみたら社史のところの一番最初に東京計器から独立したという1文が載っているだけであった。この連休の初日、偶然大井にある東京浴場を訪れたとき、この銭湯が「光学通り」に面していたことから日本光学の大井工場というのがこの地にあることを知った。父が廃墟のなかで呆然と佇んだという、かつて父から聞いた話。ひょっとして・・・、まさか。休日でひとっこひとりいない工場群の前に佇んでこの建物の建っている敷地を眺めていたら、デジャブにも似た妙な気持ちになって胸騒ぎがした。今でも日本光学の製品を見るたびに祖父と父のことが胸をよぎる(自分でこの会社の製品を買うこともあるのだが)。そんな父も7年前に他界した(祖父ももちろん30年前にとっくに他界している)。なお、東京計器と日本光学は今ではともにトキメック、ニコンと社名を変更している。それからもうひとつ、四国の墓の真ん中が祖父の系統であり、我が家が当家の本流である(そんなことにこだわる時代ではとっくに終焉を迎えているわけだが・・・)。
最後に全く個人的な話しをもうひとつ(そもそも個人的なホームページなのだが)、今日は初投稿で初掲載の記念日となった。
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■自動二輪の喜び
【2005.9.1】
「バイクというものに乗ることができない」−それが知らず知らずのうちに心の傷のようなものにまでなっていたことに改めて気がづいた。特に何かきっかけがあったわけではない。眠っていたものが急に眼を覚ましたのだ。何の前触れもなく突然眼を覚ました。
夏休みの最終日、ふと気づくと何をする予定もない日になってしまっていた。そして何気に「今日、何しよう」と思った次の瞬間には、「そうだ、バイクの免許を取ろう」と頭の中で決めていた。
そんなわけですぐさま教習所探しを開始。家の近くにいくつも自動車教習所があるのを知っていたので片っ端から電話をかけまくったところ、意外や意外、自動二輪の教習をやっているところは意外と少ないのだ。いきなり四苦八苦した挙句、最終的にはこれまた意外にも家からさほど遠くないKドライビングスクールで自動二輪の免許が取れることが判ってほっと胸をなでおろした。(中略)
無事、入校手続き完了。ここで一言、もちろん1日で免許が取れるわけもなく、この日から夜な夜な仕事帰りに教習所通いをする日々が始まったのだ。
今年の8月の初旬ごろは連日35℃の猛暑続き。そんな中、Tシャツの上にサマーセーターを着込んで、緊張しまくりながらの特訓。最初の2時間の教習が終わったときには全身から汗が噴出して、吐き気がするほどだった。何だってこんな日にバイクの教習を始めなければいけないのかって、それはまあそう思い立ってしまったからとしか言いようがない。
そんな状況だから今考えれば「平均台が渡れない」のも無理はない。「下手」などという生温いものではなく、何回トライしても橋に登った途端に落ちてしまう。苦手だと思うとますます下手になって、やればやるほどどんどん悪くなっていく。(さらに中略)
この行程だけを何回繰り返して教習を受けただろうか。実はそれ以外の行程は幸いにもその後順調にこなしていったのが、1本橋だけは最後まで「下手」のままだった。ちなみに技術的に難しいのはこのはかに「スラローム」と「急制動」の2種類ぐらい(S字とクランクというのもあるが、まあたいしたことはない。スラロームというのは要するの暴走族走りのようにポールを回ってくねくねと走るもので、これは実際やってみるとなかなか面白いもので、「バイクは楽しい」と初めてうきうきした気分になれた。急制動は要するに急停止で白線の手前で止まらなければいけないというもの)。
教習の最終日(「見極め」と言われるもので、要するに検定を受ける前の検定の予備練習)、これまで練習してきた項目をすべて披露するものなのだが、当日は台風11号の影響で土砂降りの嵐となってしまった。レインコートに身を包んで、ずぶ濡れになりながらの仮検定。3回コースを回るうち、最終回では魅入られたように平均台から脱落してしまった。にもかかわらず、見極めは合格と相成って、その状態のままで検定試験を受けることになってしまった。そんなわけで当日は朝から超緊張しまくる破目に陥ってしまったことは言うまでもない。
平均台に全神経を集中させて本番に臨んだのだが、思わぬところに落とし穴があった。これまで完璧だったスラロームでとんでもないことが起きた。間違えてアクセルを吹かしすぎてしまって4つ目のポールに突進。あわてて急ブレーキをかけて左旋回。「あ〜〜」と心の中でで叫んで眼をつぶったのだがぶち当たった衝撃は伝わってこない。なんとかぎりぎりでかわしていたのだ。さらによたりながら最後のポールを回避(あとで検定員が言うには1cmしか開いていなかったとぼこと)。動揺しながら休む間もなくすぐさま平均台へ移る。頭が真っ白になったまま、猛スピードで通過してしまうのだがなぜか脱落せず(もちろん減点20点)。とうとう後がなくなって、最後の急制動ではもう失敗は許されない状況となってしまった。最高速から一気にブレーキ。止まった。何とか止まった。もう身も心もボロボロだったが、1時間待たされて発表された結果はぎりぎりの合格。(またまた中略)
翌日は午後から仕事を休ませてもらって、試験場に直行して晴れて「普通自動二輪(AT限定)」の免許証を手にしたのだった。そう、AT限定なのです(今年の6月から新規始まったもの)。
その後の状況。練習しているうちからAT限定では満足できなくなっていたのはご推察の通り。というわけでさらに5次限の教習を追加して「限定解除」することに決めた。
はじめはバイクの免許をとることだけが目標だったが、バイクを欲しくなってしまったことは当然の成り行きだ。メーカーのこともホンダ、スズキぐらいかと思っていたが、ヤマハ、カワサキと国内に4社のメーカーがあることをやっと理解したような無知。どんなバイクがあるかなど、全くわからない。雑誌を買って読み漁ったり販売店を片っ端から見て歩き、とうとう今では各社のバイクのラインアップを覚えてしまうほどになった。それでもどのバイクにするか、ぜんぜん決められそうにない。正直言って「日常的にバイクに乗るのは怖い」と思っていることに変わりはないのだが、ここまで来たらバイクに乗らないという選択肢を選ぶことはできそうにない。今日も晴れて二輪ライダーとなる日のことを想像しては、喜びを隠し切れずにいるのだ。
最後に一言。そんなわけで今月は「ほとんど銭湯には行っていない」(うれしいやら悲しいやら)。それからもう一つ悲しいこと、原付で右折して10数年ぶりに捕まってしまって(そういう決まりであったことを忘れていた)、長年続いていた免許証のゴールドが水色に戻ってしまっていたのだ(免許手にした瞬間、うれしいやら悲しいやらだったのです)。
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■防水デジカメ
【2005.12.15】
デジカメが壊れてからというもの近所の銭湯にリピート。というわけで、新しい銭湯レポートは休止状態(とはいえ実はほかにも理由があったのだが、まあそれはそれとして・・・)。

というわけで慢を辞してヨド○シカメラに新しいデジカメを購入に行った。使い慣れたPENTAXのOptioシリーズの後継機種にしようと思って探したらこの2−3年で激しく進化していて、昔の機種の面影はまったくない。これでは後継機種にする意味はほとんどないよ。取り説を読まなくていいとか、新しいソフトをパソコンにインストールしなくていいとかいう当たりの利点を狙っていたのだが、この辺のことはどうもあきらめざるを得ないようだ。

ところで、かつては300万画素でもいい方だったのに今や600万画素になっている。カメラ本体の厚さも3cm前後あったものが、何とOptioS6という最新の機種では1.9cmという驚きの薄さになっている。さらに驚いたのはオートフォーカスの自動追尾機能というもので、動く被写体をかってに追いかけて(もちろん画面の中で動いている場合の話だが・・・)、ピントを合わせてくれるのだ。大きくなった液晶モニター(これにもびっくりしたが)の中で照準機のようなものが執拗に被写体を追っかけ回す様は恐ろしげですらある。確かにデジカメというのは動く被写体に弱かったよなあと考えると、これはなかなか優れものの機能であることには違いない。

そんな風に感心しているときにふと横を見たらOptioでもちょっと風変わりな概観のデジカメが置いてあるのに気がついた。600万画素?、同じじゃんと思いつつもよく見たら、な、なんと「クラス唯一の本格防水・防塵タイプ。水深約1.5m、連続約30分までの水中撮影が楽しめます。」などと書いてあるではないか。何だって?この金属製のカメラを水の中にじゃぼんとつけてもいいと。「ガーデニングで汚れた手で扱ってもいい。濡れても汚れても洗える。」とまで書いてある。ん〜、敢えてそこまでする気もないが、風呂場で撮るには最適に違いない。湯船に浸けてもいいということか?しかし、熱に強いとは書いていない。雪の中でも大丈夫とは書いてあるが・・・。まあ、ちょっと手が滑ってじゃぶんと浸かるぐらいだったら何てことはないだろう。これはもうこれを買えと言われているようなもの。しかし、Optio本道の1.9cmの超薄型OptioS6も捨てがたい。

で悩んだ挙句結局はやはり防水タイプのOptioWPiに決定。厚さだって2.2cmとまあまあだし、あの自動追尾機能もちゃんとついている。ようし、今度は世界初(に決まっている)の水中からの富士山のペンキ絵を撮影してやる。って、一発で壊れたらどうしよう。前のが壊れたのも手が滑って洗い場の床にドスンと(カメラを)落っことしたのが原因だと思うし。それより今度はいつ銭湯に行けることやら。気長にがんばりましょう。

そうそう、銭湯概観写真も992軒、1000軒いや1010軒が目前なのだが、999軒、1009軒で止まっていてほしい気も。廃業してしまったところも多く含まれているので、残っているのは実は90軒(品川18、大田54、葛飾10、都下8)。
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