河内家住宅 Kouchi ![]() |
| 登録有形文化財 (平成23年7月25日登録) 愛媛県喜多郡内子町五百木123-1 建築年代/明治27年(1894) 用途区分/農家(庄屋) 登録範囲/主屋・土蔵・井戸 公開状況/非公開 国道56号線を大洲から松山方面に向かう途上、内子市街を少し過ぎた辺りで並行する中山川が大きく蛇行する場所がある。その川越しに一見して分限者の屋敷と判る当住宅の姿を見て取ることができる。屋敷背後には水戸森峠を控え、南北に長い敷地の中央部に主屋、その南側に井戸屋形、南東に土蔵を配置する。そもそもは五百木村の庄屋を務めた高橋家の屋敷であったが、明治時代初期に油と木蝋の製造販売で財を成した河内家が譲り受け、明治27年(1894)に主屋を建て替えたものである。ちなみに先の高橋家は内子町内で「文化交流ヴィラ」として公開されている高橋邸(日本商工会議所会頭を務めた高橋龍太郎生家)の本家筋にあたる家柄である。河内家は江戸時代末期に大阪から移住し、現在の大洲市新谷に居を構え地主農家になったとされる。その後に油の売買と木蝋の生産で財を成し、明治時代初期に河内寅次郎の弟・正行が分家し、現在地にあった高橋家の屋敷を購入したとのことである。山間部でありなから屋敷地は広く、建物がゆったり配置される様子は流石に近世期の重層農家の風情である。主屋は桟瓦葺入母屋造のつし2階建の建物で、桁行9間半、梁間5間半の大規模な建前で、正面に式台を構え、軒を船枻造とする様式は格式の演出方法として伝統的な庄屋建を思わせるものである。 |