氏家家住宅
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角田市指定文化財 (平成3年5月28日指定)
宮城県角田市角田字町17
建築年代/明治元年
用途区分/地主
指定範囲/主屋・土蔵・表門
公開状況/公開 【角田市郷土資料館】
県南に位置する角田は伊達家御一門筆頭の石川家を邑主に仰いだ土地柄である。石川家は当初は1万石の家禄であったが、後には2万1380石の小大名並みの石高を有したことから、その城下町も相応に発展したことが今に残る区割りの風情から伝わってくる。氏家家住宅は商人街の中心地であった本町に所在し、間口20間、奥行40間の町場としては広大な敷地を有する商家であった。初代・氏家丈吉は天保10年(1839)の生まれで、慶応年間に現在地に分家したことに始まる新興の家で、当初は蚕種の販売で財を成したらしいが、むしろ土地の集積により地主化したことで、家産を増やし、明治21年には59町歩を、戦後の農地解放前の昭和22年には140町歩の田畑を有する県内屈指の多額納税者であったという。屋敷内には文化財指定される建物以外にも米蔵や前蔵、文庫蔵なども残り、豪壮な屋敷構えに感心させられる。商家的な風情ではなく、不在地主として町場に住した素封家の住まいの有り様を知る好例である。


角田の歴史は、慶長3年(1598)伊達家御一門の石川昭光が1万石(のちに加増され最終的には2万1380石)を与えられ、志田郡松山より移封、以後明治維新に至るまで邑主・石川氏の陣屋町として発展した。
氏家家は角田における三資産家の一つに数えられる名家で、戦前は141町歩を有する大地主であった。3000㎡の敷地内には、文庫蔵、米蔵の土蔵などが残されている。旧居宅は杉の柾目材を使用、蔵とともに釘は一切使われていない。また、庭に据えられた灯篭や石組、表門は旧角田要害より移築されたものと伝えられている。
昭和62年に郷土資料館として開館。(角田市教育委員会発行「角田の歴史散歩」より抜粋)


 

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