中距離路線車
日産ディーゼル
羽後交通では日産ディーゼルの車両も比較的多く乗入れてきました。富士重工でのこのカラーデザインは、東京でも小田急バスや立川バスに多く見られたので、あまり違和感はありません。日産デPR95(1972年式)
秋22あ153
撮影:盛岡市内丸(1984.6.12)
北村製作所製の車体持つUD車。PRという型式は、それまで2サイクルエンジン車だけだった日産ディーゼルが初めて製造した4サイクルエンジン車で、ちょっと珍しい型式です。
北村製作所のボディは複数のメーカーのシャーシに架装され、羽後交通ではある程度存在したようです。
日産デU20H(1973年式)
秋22あ209
撮影:盛岡駅(1985.6.17)
秋22あ209
撮影:盛岡バスセンター(1984.9.28)
1973年に4サイクルエンジン車は、上のPRからU系へとモデルチェンジしています。
車体は日産ディーゼルの標準である富士重工製です。
日産デU20L(1976年式)
秋22あ501
撮影:田沢湖畔(1985.8.6)
上の写真の車両よりも車長が長くなっています。
通常この年式では3Eタイプと呼ばれる正面スタイルですが、長距離・貸切用などは傾斜窓スタイルのままだったようです。
日産デU20L(1978年式)
秋22あ768
撮影:八幡平頂上(1987.8.4)
扉の窓や側面最後部の窓の形などが変化しています。
1985年頃には盛岡にも顔を出していましたが、メトロ窓車の台頭で、この時は田沢湖と八幡平頂上を結ぶ観光路線に使用されていました。
廃車体
日産デ4RA111(1970年式)
撮影:和賀郡(1986.8.7)
日産デ4RA111(1970年式)
撮影:和賀郡(1986.8.7)
岩手県内にあった羽後交通の廃車体です。2サイクルエンジンの貸切車を乗合に格下げしたもので、正面の方向幕を後付けしています。観光マスクの冷房車なので、乗合車としてどの路線に使用されたのかは興味深いところです。
撮影場所の記録がないのですが、湯田町か和賀町だと思われます。