中距離路線車
日野
羽後交通では、4メーカーから車両を購入しており、盛岡にはいすゞ以外の3メーカーが乗入れてきました。その中で日野車はかなり多かったようです。ボディメーカーは、日野ボディを中心に、金産ボディ、富士重工ボディも見られました。
日野RE100(1971年式)
秋22あ146
撮影:田沢湖駅前ターミナル(1985.6.16)
秋22あ146
撮影:盛岡バスセンター(1984.11.2)
金産製の車体を持つ前ドア車。折戸の窓や非常口の窓、運転席横の窓などが、金産車体の特徴です。
1984年にはよく盛岡に来ましたが、順次下のような車両に代替され、1985年には田沢湖地区の近距離路線に運用されていたようです。
日野RE120(1976年式)
秋22あ665
撮影:田沢湖畔(1985.8.5)
日野車体製のサッシ窓車。
羽後交通ではこの種の前ドア車を貸切車もしくは兼用車にしていたと思われますが、1984〜85年に急行バスとして盛岡に顔を出すようになりました。
これらの車が来るようになると、上のバス窓の車両は盛岡には来なくなりました。
秋22あ666
撮影:盛岡駅(1985.6.18)
日野のシャーシに富士重工のボディという組み合わせです。
ボディメーカーが同じ日産ディーゼル車とは遠目には区別がつきません。ヘッドライトの枠の形が、日野は四角、日産デは丸くてカバーが車体同色というのが識別方法です。富士重工がすべてのシャーシに架装していた時代でした。
日野RE121(1978年式)
秋22あ771
撮影:盛岡駅(1985.6.17)
秋22あ771
撮影:盛岡バスセンター(1986.3.3)
日野自動車のモデルチェンジにより型式が変わり、ボディも正面のヒサシが浅くなるなど若干変更されています。
1985年頃には盛岡へ顔を出す中心的存在でしたが、1986年には早くも下の車両に取って代わられます。
日野RV730P(1978年式)
秋22あ761
撮影:盛岡バスセンター(1986.8.29)
1986年の夏より羽後交通では貸切車を格下げし、盛岡−田沢湖間に投入しました。これまでの路線タイプの外観から貸切タイプに代わったことで、グレード感はだいぶ高くなりました。
羽後交通の車両は、正面屋根上に標識灯が並んでいるのが特徴です。