古バス考古学
衣川村の自家用バス
前九年・後三年の役の合戦場として知られる衣川(ころもがわ)村。中尊寺のある平泉町の北に接するこの村は,そのほかにも様々な史跡や伝説が残っています。そんな史跡の村に残されている古いバスの廃車体や自家用バスの写真が寄せられました。それらを並べて行くと,どうやら村のスクールバスの生立ちを辿ることが出来るようだと言うことが分かりました。
廃車体
撮影:一関市民様(衣川村 2003.9.22)
衣川荘 日野RD100
衣川村営スクールバスから「村営衣川荘」へ転用された車両のようです。カラーは衣川村営の旧カラーです。
車両はバス窓の9m車のRD100で,ヘッドライトが2灯のようなので,1968〜70年式です。
廃車体
撮影:一関市民様(衣川村 2003.9.22)
衣川荘 日野RD300
やはり衣川村営バスから衣川荘に転用されたバスの廃車体ですが,上のバス窓車の代替として購入したと思われる車両。「1号車」の文字が見えます。
元のカラーは上の車両と同じですが,衣川荘転用にあたり,朱色と緑のラインを追加したと思われます。2色追加すると全く別カラーに見えます。また衣川荘の名称は「サンホテル衣川荘」に変わっています。
車両はやはり9m車ですが、上のRD100の後継であるRD300です。側面最後部の固定窓が大きめなのが特徴。
廃車体
撮影:一関市民様(衣川村 2003.10.4)
衣川荘 日野RD300
撮影:一関市民様(衣川村 2003.10.4)
上の車両と全く同型の廃車体です。こちらは2号車と書かれています。
方向幕や側面に「サンホテル衣川荘」の文字が残っており,現在使用されている2号車に押し出されて廃車になったと思われます。
正面ひさしが浅いのは1978年製以降ですが,後部エンジン通気孔が残るので新しくても1980年製のようです。
自家用
撮影:一関市民様(国見平温泉 2003.10.5)
衣川荘 日野P-RK172BA
撮影:一関市民様(国見平温泉 2003.10.5)
上のRD300の増備車と思われる元村営スクールバス「3号車」。
車両は日野の9m車でP-RK172BAと推察します。
方向幕に見えるように,冬になると国見平スキー場の送迎バスとして活躍するようです。
自家用
撮影:一関市民様(衣川荘 2003.10.4)
衣川荘 日野P-RK172BA
撮影:一関市民様(衣川荘 2003.10.4)
上のほうのRD300の代替として購入したと思われる元村営スクールバス「2号車」。カラーデザインは現世代の村営バスと同じなので、上の「3号車」より後に購入しています。
衣川村では,スクールバスに新車を導入すると旧型が衣川荘に転用されると言う玉突き廃車をしているようで、この車両も今では「国民宿舎衣川荘」の送迎車です。後ろ面にはスクールバスのステッカーをはがした跡も残っています。
なお、この世代の「1号車」は残念ながら発見されていません。
自家用
撮影:一関市民様(黒滝温泉 2004.8.16)
黒滝温泉 日産デU-RM210EAN
衣川村スクールバスから黒滝温泉に転用された旧「1号車」です。下の写真のいすゞガーラミオの先代と思われます。
富士重工8Bボディを持つこの車両は,1990〜95年式の短尺中型U-RM210EANと思われます。
上のほうにあるRD300の後継と考えるには新しすぎるので,やはりP-RK172と同世代の1号車がその間にあるはずです。
自家用
撮影:一関市民様(衣川村役場 2003.10.25)
衣川村 いすゞKK-LR233F1ほか
衣川村所有の現世代のスクールバスです。3台あり,手前から1号車,2号車,3号車です。
1号車はいすゞガーラミオ。自家用車仕様のKK-LR233F1と思われます。1999年以降のモデルです。
2号車はいすゞエルガミオ。やはり1999年以降のモデルですが,1号車より登録ナンバーは新しいので,村営バスでは最新型と思われます。
3号車は三菱のエアロミディMK。自家用仕様で,3台の中では最古参のようです。