“その頃”別の角度から

岩手県交通11(神奈中・京浜急行譲受車)

1980年代に撮影した岩手県交通の頂き物写真を掲載します。
ここでは、区別の難しい神奈川中央交通と京浜急行からの譲受車をまとめてみます。

岩22か686
岩22か686

撮影:若松様(1982)

岩手県交通 日野RB10(1965年式)

岩手県南バスが神奈川中央交通から譲受した車両。前ドアが開きかけなので、後ろ側に開くようになっているのが分かります。
(注1)

岩22か806
岩22か806

撮影:板橋不二男様(水沢営業所 1982頃)

岩手県交通 日野RB10(1967年式)

1976年に神奈川中央交通から譲受した車両。県南バスカラーですが、就役したのは恐らく岩手県交通が成立してから。これより早い登録番号の岩22か800が県交通カラーで就役しています。
実際の作業工程と、登録の順番が、ほんのちょっと入れ替わってしまったのでしょう。

岩22か807
岩22か807

撮影:板橋不二男様(水沢営業所 1982頃)

岩手県交通 日野RB10(1967年式)

1976年に神奈川中央交通から譲受した車両で、上の車両の続き番号ですが、こちらは県交通カラーになっています。新カラーが決まってからの塗り替え指示の時間差なので、ほんの1日くらいの差が分かれ道になったのかも知れません。
「上谷地」という方向幕は、金ヶ崎駅からの永岡線です。

岩22か822
岩22か822

撮影:若松様(1982)

岩手県交通 日野RB10(1966年式)

京浜急行からの譲受車で、富士重工製の車体を持つ日野車。
私は非常口側からしか撮影できませんでしたが、この写真でドア側の様子がわかります。

岩手県交通 日野RB10(1965年式)
岩22か844

撮影:53様(一関営業所 1984.8.6)

岩22か844

元京浜急行の日野RB10の後姿。下の写真の車両より、テールライトの位置が若干高くなっています。

岩22か1041
岩22か1041

撮影:53様(水沢営業所 1984.8.6)

岩手県交通 日野RB10(1966年式)
岩22か1041

撮影:53様(水沢営業所 1984.8.6)

元京浜急行のRB10です。
岩手県交通成立後も、県南バスエリアを中心に日野の中古車も多く入りました。帝国ボディのこのスタイルは、古きよき時代の名作だと思います。

岩22か1047
岩22か1047

撮影:53様(北上営業所 1984.8.10)

岩手県交通 日野RB10(1966年式)
岩22か1047

撮影:53様(北上営業所 1984.8.10)

金産車体のRB10です。元京浜急行で、岩手県交通に譲渡されてきた車両のほとんどが帝国車体ですが、一部に富士重工とこの金産ボディがありました。存在は知っていたのですが、私は出会えなかった車両です。
左側のフォグランプの周りが赤いのですが、これは県南バスカラーの部品を流用したのでしょうか。

岩22か1126
岩22か1126

撮影:若松様(一関営業所 1982)

岩手県交通 日野RE100(1969年式)

神奈川中央交通からの譲受車です。後ろの開いた窓から赤い座席が見えます。
岩手県交通では全域で活躍していました。写真は「中尊寺」の方向幕が出ているので,一関の車両でしょう。

岩22か1143
岩22か1143

撮影:53様(釜石営業所 1983.11.23)

岩手県交通 日野RE100(1968年式)
岩22か1143

撮影:53様(釜石営業所 1983.11.23)

岩手県交通が神奈川中央交通から譲受した車両のうち,金産車体を持つ車両。帝国車体とは,折戸の窓が異なることと,非常口の窓や位置,側面最後部窓の形などが異なります。

岩22か1593
岩22か1593

撮影:若松様(河南営業所 1982)

岩手県交通 いすゞBU10D(1971年式)

1981年に神奈川中央交通からまとまった台数が転入した富士重工製ボディ。前半の車両は神奈川中央交通カラーの下半分だけを塗り替えて岩手中央バスカラー風にした「ニセ岩手中央バス」。まだ岩手中央バスカラーが数多く残存していた頃なので、違和感なく受け入れられたようです。
窓上部の雨樋部分には神奈川中央交通時代の赤ラインが残ります。

岩22か1598
岩22か1598

撮影:板橋不二男様(盛岡駅 1982.12)

岩手県交通 いすゞBU10D(1971年式)

1981年に神奈川中央交通から譲受した富士重工ボディで、上手に岩手中央バスカラーに化けています。
前ドアが逆ヒンジ(後ろ側に開く)になっているのが分かります。
後ろの駅ビルフェザンに「ますます便利になりました 東北新幹線」の文字が見えますので、1982年11月15日に上越新幹線の開業とともに本数を増して本格運行を始めた時期の撮影だと思われます。

岩22か1646
岩22か1646

撮影:53様(河南営業所 1984.8.7)

岩手県交通 いすゞBU10D(1971年式)

元神奈川中央交通の富士重工ボディ。正面上部の青色塗り分けが正面窓と接しているところが他の同形車と異なります。
撮影者によると、この車両の神奈中時代の車番は「ち45」(茅ヶ崎営業所所属車)だそうです。
方向幕の「盛岡駅経由種畜牧場」は河南営業所始発の下厨川線でしょうか。

岩22か1682
岩22か1682

撮影:53様(盛岡市青山町 1982.1)

岩手県交通 いすゞBU10D(1971年式)

元神奈川中央交通。富士重工製ボディで、まだ就役したての時期です。
この時期、国際興業からの譲受車が一時的に途絶えており、この手の車両がまとまった数入りました。
写真は青山町線で東北本線の踏切を渡るところ。既に東北新幹線の高架は完成しています。

(注1) 岩22か686については、山本様より元神奈川中央交通との情報を頂いている。同時期の譲受車には、元神奈川中央交通と元京浜急行が混在しており、外観だけでは区別できない場合がある。
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