絵葉書でめぐる日本バス紀行(北海道・道央地方)
石狩地域は北海道の経済的中心地である札幌市を含むエリアです。空知地域は岩見沢市、胆振(いぶり)地域は室蘭市、日高地域は浦河町、後志(しりべし)地域は倶知安町を中心としたエリアで、位置的には北海道西部の陸地が狭まった地区になります。
エリア内には、火山地域の支笏洞爺国立公園があり、羊蹄山、有珠山、樽前山などの火山と、支笏湖、洞爺湖の二大カルデラ湖、登別温泉、洞爺湖温泉、定山渓温泉などの温泉地といった豊富な観光資源に恵まれています。
石狩
札幌街展望
撮影時期:1950年代前半
北海道の首都で、政治・教育・経済・交通上の中心地で、碁盤目の街路とアカシヤの並木とは市の誇りである。大通りを西向きに望んだ写真です。左側に見える搭屋のある建物は三越。
北海道中央バスと思われるボンネットバスが何両も停車中。それと混ざって、キャブオーバーバスも見えます。
札幌 停車場通り
撮影時期:1950年代前半
2台のボンネットバスは、定山渓鉄道。剣道面と呼ばれるグリルの日野BH10のようです。
札幌駅前通り
撮影時期:1950年代後半(1955年以降)
左のビルには「クロバーバター」、右のビルには「第一生命ビル」の看板が読めます。
左で駅を出ようとしているのは国鉄バスで、日野BK30(1955年式〜、新日国ボディ)です。
右の車両はNHKの宣伝車。
札幌駅前大通り
撮影時期:1960年代前半(1960年以降)
国鉄バスは後面に非常口があるので日野BD13/14(帝国ボディ)です。
すれ違う札幌市電は、正面3枚窓なので320形(1957年〜)以降の車両です。
定山渓温泉/中山峠と蝦夷富士
撮影時期:1960年代(1962年以降)
蝦夷(エゾ)富士(1,893m)はこの中山峠(836m)から見ると一段とその美しさを増す。中山峠は、札幌・定山渓から洞爺湖・登別温泉へ向かうバス旅のメインルートになっている。
中山峠売店の前で休憩する道南バスはいすゞBR351(1961年式・川崎ボディ)。
中山峠と羊蹄山
撮影時期:1960年代(1964年以降)
中山峠は定山渓温泉から洞爺湖に行く途中にあり、エゾ富士、羊蹄山を見ながら車を走らせて行く。のぼりつめたところが中山峠である。
2台並ぶ道南バスのうち、手前はいすゞBR351(1961年式・川崎ボディ)。奥はヘッドライト4灯なので1964年式以降のいすゞBA。
その向こうにはトヨタライトバス。
定山渓温泉
撮影時期:1960年代(1963年以降)
定山渓温泉は標高約300メートル、原始林におおわれた山々が清流に迫り、その狭い谷あいに旅館が立ち並ぶ歓楽的な温泉郷である。付近一帯の豊平川の渓流美が美しい。
橋を渡るバスは、ブルーリボンカラーの函館バス。側面には社紋を囲むさやえんどうのマークが描かれています。三菱MR490(1963年式〜・富士重工ボディ)。
札幌大通公園の雪化粧
撮影時期:1960年代(1963年以降)
札幌市の中心、大通公園は夏期は緑の公園、冬は雪まつりの会場として市民に親しまれている。その広さは東西に11丁角。明治2年に造られたと伝えられている。夏の「花の大通り」も美しいが「雪化粧の公園」も捨てがたい。
札幌市営バスは長尺のワンマンカーで、日野RC100(1963年式・帝国ボディ)。
札幌駅前大通り
撮影時期:1960年代(1964年以降)
駅前より一直線にのびたメインストリート。ホテル、銀行、官庁が軒をならべて大都市札幌の威観を呈している。札幌市電の通り大通りを、北海道中央バスが横切ります。
北海道中央バスは左がいすゞBR351(川崎ボディ)、右が日野RB10(1964〜65年式、川崎ボディ)。
北海道 中山峠からの羊蹄山
撮影時期:1970年代前半
定山渓温泉を経て、洞爺湖に至る国道隋一の景勝地で、峠からの展望はすばらしくはるか海抜1,893mの秀麗な山容を誇る羊蹄山の眺めは、絵の様にうつくしい
バスは定山渓鉄道で、北海道でよく見られる京阪バス風の赤と白のデザインですが、側面のラインに若干独自性が見られます。ヘッドライトが4灯になった日産ディーゼル4RA94(1968〜70年式・富士重工)で、側面最後部の窓が扇形です。ナンバーは1101。
手前に2代目トヨタパブリカ(1969年〜)がいるので、撮影は1969年以降。
後志
小樽市色内町
撮影時期:1930年代
道路はまだ舗装されていません。
交差点を横切るバスは、この時期にしては大型のバスで、省営バスだと思われます。後部に荷物用のバスケットがついていますが、鉄道輸送の一端を担うことから、このような装備があったようです(注1)。
商港の小樽市
撮影時期:1960年代前半
手彩色で緑色に塗られていますが、赤い北海道中央バスのようです。いすゞBX(1955年式〜、富士重工)です。
ナンバープレートは黄色なので、1962年以前の撮影です。
小樽、稲穂町の繁華街
撮影時期:1960年代前半(1962年以降)
中央を走り出しているバスは北海道中央バスのいすゞBA300系列(1956〜59年式、川崎ボディ)です。
ナンバープレートは緑色になった後で、137です。
胆振
登別温泉 グランドホテル
撮影時期:1952年
国鉄登別駅前からバスに乗って、8粁の山道を経て、登別温泉に降り立つと、先ず目にとまるのがグランドホテルの建物である。所謂ホテルとして道南随一のもので、永らく米軍に接収されていたが、最近解除されて一般営業を開始している。バスは「道南乗合自動車株式会社」と書いてあるように見えます。1952年に「道南バス」に改称されています。グランドホテルが米軍の接収からの解除が1952年であることから、撮影は1952年と考えられます。
左端のボンネットバスは、パノラミックウィンドウの独特のスタイル。日野BH10(1952年式くらい、金沢ボディ)のようです。
右のバスは民生BR31かBR324(1950〜52年式、新日国ボディ)でしょうか。まだバス窓でないのでこの年式と推定。まだ「イーグル」と言う愛称がつく前で、正面のエンブレムには「MINSEI」と書いてあります。
国立公園登別温泉駅前通り
撮影時期:1950年代前半(1952〜55年)
全国各地より参集する湯浴客で賑わっており、土産物店が軒をならべて繁華である。国鉄登別温泉駅前に到着したバス。
駅前通りには、歓迎のゲートをはじめ、数々のゲートが観光客を迎えています。右の建物には「かめや旅館 久住旅館」の看板と、「カルルス温泉行バスのりば」の縦看板が見えます。
北海道中央バスは民生「コンドル」(1952年式〜、富士重工)で、1952年以降のR7といわれるテレビ形正面窓を持つボディです。
横長の黄色いナンバープレートなので、1955年までの撮影。
道立室蘭水族館
撮影時期:1950年代前半(1953年以降)
2台のボンネットバスが止まっていますが、外には子供たちが集まっていますので、遠足でしょうか。
2台のボンネットバスは、非常口がないので1951年式以前のもの。
洞爺湖より昭和新山の全貌
撮影時期:1950年代前半
手彩色のように見える絵葉書ですが、おもて面には「カラーフィルム撮影」と書かれています。
洞爺湖岸より見た昭和新山、牛の背のようなところが元平らな畑である。其上にカブト形に推し上がったのが、特別天然記念物の昭和新山溶岩塔である。
定山渓鉄道のボンネットバスは、いすゞBX(川崎ボディ)のように見えます。
樽前山中腹と支笏湖
撮影時期:1960年代(1963年以降)
樽前山の七合目まで、支笏湖畔から登山バスが通っている。車にゆられ労せずしてこの終点に立つと、もうあたりはエゾイソツツジ、タルマエソウなど高山植物のお花畑である。鏡のような支笏湖も、はるか下方に望まれ、対岸の山は紋別岳(866m)である。
横向きに並んでいるのは定山渓鉄道で、日産ディーゼル4R92(富士重工ボディ)、三菱MR490(呉羽ボディ)。手前に並んだバスの中には、屋根肩に「CHUO BUS」の文字のバスもあるので、北海道中央バスも混じっています。
北海道支笏洞爺国立公園 オロフレ峠駐車場
撮影時期:1960年代前半(1962年以降)
オロフレ峠
撮影時期:1960年代後半(1967年以降)
オロフレ峠
撮影時期:1960年代後半(1967年以降)
今日も観光客を乗せて大自然の中を走る観光バス。
バスは道南バスで三菱R470(1960〜64年式・呉羽ボディ)。
オロフレ峠を行く観光バス
撮影時期:1970年代
バスは道南バスで日産ディーゼル4RA105/106(1971〜73年式・富士重工)。路線バスと貸切バスの兼用車でしょうか。
ナンバーは、5278。
日高
北海道 襟裳岬
撮影時期:1960年代前半
黄金道路咲梅隧道よりカムイ岩を望見。
エリモ岬を距る15キロにありカムイ岩は昔十勝アイヌと日高アイヌが戦争に当り日高アイヌの戦勝の守護の神として祈りをささげた神(岩)様であったと云う。
こちらに走ってくるのは、国鉄バスです。富士重工のR11ボディです。
国鉄の富士重工製ボディの採用は1959年で、グリーン系の暖地向けカラーに黄土色を配したカラーを標準としたのが1960年とのこと(注2)なので、この写真もそれ以降のもの。