絵葉書でめぐる日本バス紀行(乗鞍岳)
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乗鞍 乗鞍岳は、中部山岳国立公園に属し、長野県と岐阜県の県境に位置する火山で、主峰の剣ヶ峰は3,000mを越えています。バスターミナルのある畳平は標高2,700mで、自動車道最高地点となっています。
戦前に航空機エンジンの試験場があり、岐阜県側からはこれにつながる軍用道路がありましたが、終戦後に観光道路に転用され、1948年に県道乗鞍公園線となりました。同時に濃飛乗合自動車と松本電気鉄道による登山バスの運行が開始されました。
1964年には長野県の県道乗鞍岳線が開通し、長野県側から松本電気鉄道による登山バスが運行を開始しています。
岐阜県側からの県道は、1973年に有料道路の「乗鞍スカイライン」になりました。長野県側からの県道は「乗鞍エコーライン」という名称があります。
乗鞍山荘

畳平(たたみだいら)

乗鞍岳
乗鞍岳

撮影時期:1950年代

自動車が登れる道路としては最高地点の乗鞍岳の終点「畳平」に集うボンネットバス。右側の石壁の建物が、戦後に陸軍から国鉄に払い下げられた乗鞍山荘。

バスはほとんどが白地に赤色に塗り分けられていますが、松本電鉄と濃飛自動車の両方が混じっているはずです。

乗鞍山荘
乗鞍岳

撮影時期:1950年代

上の絵葉書より近くに寄って撮影したアングル。
乗鞍登山バス終点恵比寿岳山麓に在る乗鞍山荘は乗鞍観光ホテルの経営にして、宿泊売店休憩所等、あらゆる施設完備し登山者の便に資して居る。

ボンネットバスはすべてが天窓付のロマンスカー。濃飛乗合自動車の社名が見えます。
かなり大雑把な手彩色で、各車両とも全体が黄色や青や緑などの色が乗せられています。

乗鞍山荘
乗鞍山荘とバス停車場
乗鞍岳

撮影時期:1950年代

「ロマンスカーで乗鞍へ」という赤いスタンプが押されています。

バスがずいぶんカラフルになっていますが、これは手彩色で想像上のカラー。何台か緑色の都営バスカラーがいますが、これは本当は松本電鉄カラーで、裾部の塗り分け線が似ているので、職人が自分の知っている色に塗ってしまったのでしょう。
すべてボンネットバスで、天窓付の車両が多くいますが、これがロマンスカーでしょう。後部に何かついていますが、これは薪ガス発生炉ではなく、登山荷物を入れる荷物篭のようです。

乗鞍岳 乗鞍山荘
乗鞍岳

撮影時期:1950年代

上の絵葉書よりさらに接近し、角度を変えたもの。乗鞍山荘がよく見えるような角度です。
背後にそびえるのは恵比寿岳。

手前の電源車のボンネット形状がよく見えます。戦前型のバスを改造したようです。
その後ろに並ぶ4台のうち、両端はいすゞBX(川崎ボディ)、中央2台はメトロ窓のロマンスカーで、屋根肩には「NOHI BUS」の文字があります。
奥の1台は、ちょっと古めのいすゞBX91で、天窓付です。

富士見岳から見た鶴ヶ池と魔王岳
乗鞍岳

撮影時期:1960年代(1962年以降)

乗鞍には大丹生池、鶴ヶ池、不消池、五ノ池等が点在し池畔は残雪とお花畑に飾られている。鶴の様な形をしている鶴ヶ池。
という説明書きではありますが、鶴ヶ池は右端で鶴の形が分からない状態で切れています。魔王岳はやはり右端の低い山で、写真でメインになっている左の山は恵比寿岳です。
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手前から駐車場に向かっているバスは、長野県側から来た松本電鉄のいすゞBXD50(1962〜64年式、川崎ボディ)。
駐車場を見ると、左側に松本電鉄のボンネットバスがまとまっているほか、その右側には濃飛バスや岐阜バスの姿も見えます。

乗鞍山頂バスターミナル畳平の俯瞰
乗鞍山頂

撮影時期:1960年代

畳平の駐車場の全景で、手前の左側の青い屋根の建物がバスターミナル。2階建ての小ぶりな建物で、このあと2回ほどの増築で大型化してゆくはずです。
丹生川村内に聳立する最高峰乗鞍岳は観光飛騨の一枚看板で山頂のバスターミナル畳平の周辺には村営の観光案内所をはじめ豪華な山岳ホテルや乗鞍神社、郵便局、営林署などの官公施設が建ち並び夏は観光登山客で賑わう。

左端に1台松本電鉄のボンネットバスいすゞBXD50(川崎ボディ)が見えます。まだ登山の路線バスはボンネットバスだった時代です。
中央の観光バス駐車場には、メトロ窓の観光バスも増えていて、濃飛バスや名鉄、岐阜バスなどの姿が見えます。事業者は分かりませんがセミデッカーも1台停車中です。

登山道路(乗鞍スカイライン)

ロマンスカーより展望
乗鞍岳

撮影時期:1950年

乗鞍岳登山バスが、途中の展望台で見学停車。帽子を被った男性客たちが、眺望を楽しんでいます。
葉書の表側に押された乗鞍山荘スタンプは1950年8月20日のもの。
登山バス道路第一尾根の中間に在る望岳台は森林帯中唯一の展望台で樹間よりはるかに望む笠岳、双六、槍、穂高焼岳等北アルプス連峰の偉容は実に雄大である。

濃飛乗合自動車のボンネットバスは天窓付で、ボンネットサイドのバッジとグリル形状とからいすゞBX(川崎ボディ)のようです。窓の数から、BX91より窓1個分短いようです。フェンダに埋め込んだヘッドライトが見えますので1950年式でしょうか。そうするとその年の新車です。

雲海をゆくロマンスカー群
乗鞍岳

撮影時期:1950年代

平湯峠にて、高山発と平湯発のロマンスカーが相合して一大行列をつくって、いよいよ高度を増し、大丹生岳より桔梗ヶ原の這松地帯に入る近景は、恵比寿岳にて遠く焼岳、穂高の日本アルプスの連峰を望む。

濃飛乗合自動車のボンネットバスは天窓付で、先頭はトヨタ、2台目はいすゞBXのようです。
顔が朱色に塗られているのは手彩色で、実物とは異なります。

乗鞍山荘
日本アルプス
乗鞍岳

撮影時期:1950年代

岐阜県が発行した絵葉書で、日本アルプス乗鞍岳を行く登山バスが写されています。まだ未舗装の登山道を2台のバスが登ってゆきます。後に乗鞍スカイラインとなった県道です。

2台のボンネットバスは、1949年から運行を開始した濃飛バスの登山バス。天窓付のボンネットバスです。前は1949年式くらいの日産、後ろは1951年式くらいのいすゞBXのようです。いずれも川崎ボディです。

烏帽子岳附近を行く登山バス
乗鞍岳

撮影時期:1950年代

後に乗鞍スカイラインとなった岐阜県平湯温泉とを結ぶ県道を行く登山バス。

5台のボンネットバスが山を下っていますが、手前のバスは塗り分けから松本電鉄。安全車体製のようです。

乗鞍山荘
桔梗ケ原のお花畑
乗鞍岳

撮影時期:1960年代(1962年以降)

乗鞍岳に向かう未舗装の道路を行く濃飛バス。後の乗鞍スカイラインの原形です。
乗鞍には数ヶ所のお花畑があり、桔梗ヶ原は高山植物の宝庫でコバイケイソウ、ミヤマキンバイ、リンドウ等が咲き乱れている。
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濃飛バスはいすゞBR20(1961〜64年式、川崎ボディ)。正面窓上に日よけがついています。

乗鞍岳
乗鞍岳

撮影時期:1960年代(1962年以降)

「乗鞍岳」という絵葉書のケース。
乗鞍岳に向かう未舗装の道路を行く濃飛バス。後ろに見えるのは烏帽子岳。

濃飛バスはいすゞBA741(1961〜64年式、川崎ボディ)。正面窓上に日よけがついています。

乗鞍スカイライン
乗鞍スカイライン

撮影時期:1970年代(1973年以降)

残雪とハイマツの美しい乗鞍スカイライン。
岐阜県側からの道路に「乗鞍スカイライン」という名称がついた1973年以降の絵葉書です。

バスは川中島自動車の日野RC(1973年式、帝国ボディ)。

作成:MOUNTAIN

平湯温泉

山気爽か 中部山岳国立公園平湯温泉
安房峠

撮影時期:1930年代(1938〜40年)

海抜1,812mの安房峠に停車中の上高地行バスと着物姿の女性二人という絵葉書。元写真にあえて若干の角度をつけているのに、何か理由があるのでしょうか。
消印から1940年には使われたことが分かりますので、それ以前の撮影。
北ア連峰を一望に
収めつつ走る
海抜一千八百米の安房峠

バスは濃飛自動車で、セミキャブ型の日産90型(1938年式〜)のようです。真鍮製のグリルに、「ニッサン」のエンブレムが斜めに取り付けられているあたりはお洒落です。(注1)
登録番号は岐828、側面に書かれた車番はNo.15です。

平湯の滝
平湯峠の頂上
平湯峠の頂上

撮影時期:1950年代

平湯峠頂上は乗鞍岳登山自動車道路の入口であり、高山−乗鞍間及平湯−乗鞍間の登山バスの交差点で海抜1684米、西方遙かに白山連嶺の雲上に浮ぶを見、東方に十石山、霞沢、焼岳等を望み展望頗る雄大である。

2台のボンネットバスは、濃飛バスで、天窓付のボンネットバスです。いずれも1950〜52年式くらいのいすゞBX(川崎ボディ)のようです。
塗り分け線を見ると、前のバスのほうがフェンダを表現した曲線の塗り分けを採用しているので、新しいバスだと思われます。

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(注1)
芸文社(1987)「ボンネットバス」P.66に、これと似た写真があり、日産90型1938年式とある。その登録番号は岐758
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80s岩手県のバス“その頃”