絵葉書でめぐる日本バス紀行(長崎県)
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長崎県 長崎県は、九州地方の北西部に位置する県で、県庁所在地は長崎市。対馬、壱岐、五島列島などの離れ島のほか、県土のほとんどが半島になっており、海岸、港湾の占める割合が非常に高くなっています。
一方、島原半島にある雲仙普賢岳を中心とした山岳エリアは、雲仙天草国立公園として、海と山を合わせた自然公園となっています。
県域は、大きく北部、南部、五島、壱岐・対馬に分けられますが、さらに細分化すると、南部は長崎地域、県央地域、島原地域に分けられます。
島嶼部が海を隔てて大陸と接している地理的条件から、古くから海外文化の窓口となっており、県内には異国文化が混ざる「和華蘭文化」が数多く見られます。観光地としても、英国商人の邸宅などによるグラバー園、鎖国時代に西洋との貿易窓口となった出島、日本最古のキリスト教建物である大浦天主堂などがあります。

北部(県北地域)

佐世保駅前通り
佐世保

撮影時期:1960年代(1964年以降)

異国情緒溢れる佐世保駅前通の光景。
右側の建物は、カトリック三浦町教会。

佐世保市交通部のバスは、日産ディーゼル4R系列(1964〜66年式、西工ボディ)。
ナンバープレートは8036と読めます。

南部(長崎・県央地域)

国際文化会館
国際文化会館

撮影時期:1950年代後半

国際文化会館の前に停車中のバス。
国際文化都市建設の一環として原子野の丘に建てられたもので、博物館、原爆資料室などがある。後方山麓の建物は、一世紀の伝統を誇る長崎大学医学部である。

朱色と白のバスはどこのバスでしょう。手彩色なので、元は違う色かもしれません。ボディは富士重工のR5型ボディです。

長崎駅附近
長崎駅

撮影時期:1950年代後半

国鉄長崎駅前に集うバス。

右端のボンネットバスは長崎県交通局のカラーに似ています。
右から2台目のバスは、赤と白に塗り分けられていますが、実物は紺色を含むカラーの長崎バス。日野BD14のようです。
には何台ものバスが待機していますが、一番手前の白と赤のバスは塗り分けは長崎県交通局と同じです。

ある晴れた日、長崎の大浦海岸通り。
大浦海岸通り

撮影時期:1980年代(1982年以降)

背後のレンガ造りの建物は、国の重要文化財に指定されている旧長崎英国領事館。

長崎電気軌道の路面電車は軽快電車の1200形(1982年製)。
駐車場に停車中の2台のバスは市内遊覧バスで、は長崎自動車の三菱MPは長崎県営バスの三菱P-MS713S

作成:長崎市観光協会

南部(雲仙)

雲仙をドライブして
雲仙

撮影時期:1949年〜1950年代前半

雲仙国立公園のドライブウェイを走るオープンバス。
矢岳、ゴルフリンクを背景にして、つつじのお花畑を走る。外国に見る油絵の様な美しい風光です。

このオープンバスは、いすゞTX61(1949年式・香椎コーチ)だそうです。長崎県交通局が、ザビエル来日400年祭に当たって雲仙観光用に特注したそうです。(注1)

つつじ咲き乱れる仁田峠の春色
雲仙

撮影時期:1949年〜1950年代前半

つつじが咲き乱れる春の風景を表現したかったようですが、白黒写真に手彩色で色づけされたつつじの花々は、ちょっとどぎつい色合いです。
バスの色も実物はどんな色なのか分かりませんが、並んだ2台は同じ塗り分けのように見えます。

のオープンバスは、上の絵葉書と同じ車両。
並んだ2台の後ろ姿は、中央は川崎航空機製ボディのボンネットバス、はリアにタイヤを積んでいるボンネットバスですがメーカーは分かりません。

国立公園・雲仙 清七地獄
清七地獄

撮影時期:1950年代

清七地獄の湯煙の向こうに観光バスが停車中。日傘や和服の女性が多く見えます。
雲仙地獄は色々な名称をもった地獄が、翠色したたる赤松の木立の中に、日夜ごうごうとうなっている。この湯煙の美しさは美観と云おうか、むしろ壮観であります。

手彩色でカラフルに色づけられた4台ほどのバス。
は民生B31(1953〜54年式)のようです。

国立公園・雲仙 行楽の人々で賑わう仁田峠
仁田峠

撮影時期:1950年代後半

雲仙国立公園の仁田峠に集う貸切バス。手彩色のため、花々に負けないくらいの色とりどりのカラーに塗られたバスですが、実物とはだいぶ違う色のようです。

左端は有徳自動車の三菱R200系列(三菱ボディ)、1台置いて左から3台目は日野ブルーリボンBD(帝国ボディ)、右から2台目は日野ブルーリボンBD10系列(富士重工)、右端は長崎バスの日野ブルーリボンBD30系列のようです。

雲仙 ゴルフ場附近のツツジ
雲仙

撮影時期:1950年代後半

五月中旬から紅紫色に咲き、雲仙一帯がツツヂの王者ミヤマキリシマの群落がこのゴルフ場に咲き競う頃が一番素敵な観賞季になります。

バスは県営バスのマークがついた長崎県営バスですが、手彩色で、本来深緑色の部分がエンジ色になっています。
富士重工製ボディで、ナンバープレートの部分に通気孔が見えますので、日野BK30系列でしょうか。

雲仙国立公園・小浜より雲仙への有料道路
雲仙

撮影時期:1950年代後半

雲仙国立公園の小浜から雲仙への有料道路を行く長崎県営バス。
舗装された快適な道路、約30分で雲仙湯町まで一気に駆け上がり、春はみやまきりしまの群れ咲く中を、秋は紅葉した樹林の風情を楽しみ、眼下に千々石湾の風光を望むことができます。

長崎県営バスは、手彩色で明るい色になっています。
後の方のエンジン通気孔の形状などから、いすゞBA151ではないかと思います。ボディは富士重工のようにも見えますが、後面の傾斜がちょっと違うようです。

雲仙 清七地獄
清七地獄

撮影時期:1960年代

盛んに活動している色々な名称をもった地獄の中の一つで、雲仙温泉の中心部にあり、この噴泉たぎる地獄原を拓いて、旅館や、土産品店が立並んでいる様は、他の温泉に見られぬ雲仙の特色の一つであります。

バスは島原鉄道。トヨタDR15(1958〜64年式、西日本車体)。

雲仙パーク
雲仙

撮影時期:1950年代後半

島原からの登山有料道路を行く島原鉄道のバス。
不知火燃える有明海の彼方に天草の島々はくっきりと絵の様に浮かび、さながら雲上の楽園である。

島原鉄道のバスは、日野BD10〜14(新日国)。カーブの後ろに見えるバスは富士重工ボディのようですが、多分、他の写真から合成したもの。
前を行く外車はシボレー・ベル・エアのようです。

大雲仙国立公園 観光道路
雲仙

撮影時期:1960年代前半(1962年以降)

大雲仙国立公園の観光道路を行く島原鉄道の急行バス。場所は上の絵葉書と同じです。
安全第一の観光道路を登る、道には深山の雲仙つつじ、風趣豊かな夏の緑、秋の紅葉、冬の霧氷と高原の美観は続く、頂上に達すれば雲仙特有の海の眺めは広く遠く展開する。

島原鉄道のバスは、日野BD10〜14(西工)。
緑ナンバーなので、1962年以降の撮影。

雲仙の美
雲仙

撮影時期:1960年代(1962年以降)

「雲仙の美」と題された絵葉書のケースです。
有料道路の料金所に、「雲仙」と行き先表示を出した島原鉄道のバスが停まっています。
国立公園雲仙は、国際的な温泉避暑地として有名な雲仙温泉と、それをとりかこむ普賢岳を初めとする山々その間を彩る池の原等の高原からなり、山々よりの眺望は実に雄大で、天草有明海遠く阿蘇・九重・霧島を望む大パノラマが展開されています。
今もなお白煙を吹き上げ火山現象の名残をとどめる地獄群には多くの切支丹殉教の衰史や、開山以来の幾多のロマンはエキゾチックなムードをかもし出して居ります。
お山雲仙は、春のつつじ、夏の緑、秋の紅葉、冬の露氷と四季それぞれの異なった景観をみせ、大自然の趣きをみせてくれる我が国有数の観光地であります。

島原鉄道のバスは、三菱のエンブレムが見えますので、三菱MAR470(1959〜61年式、西日本車体)ではないかと思われます。

雲仙国立公園/登山道路
雲仙

撮影時期:1960年代

雲仙登山道路を行く島原鉄道のバス。木々が緑に茂る夏の観光シーズンでしょうか。

島原鉄道のバスは、三菱MAR470(1959〜61年式、西日本車体)ではないかと思われます。(注2)

アンダーバー
(注1) クラリオン(1986)「THE BONNET」のP49による。
(注2) これとよく似たバスが、ポルト出版(2010)「西工の軌跡」のP.71に掲載されている。
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80s岩手県のバス“その頃”