絵葉書でめぐる日本バス紀行(鹿児島県)
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鹿児島県 鹿児島県は、九州島の南部に位置し、県本土と薩南諸島により構成されます。
県本土は西側の薩摩半島と東側の大隅半島を含み、地域区分としては鹿児島地域、南薩地域、北薩地域、始良・伊佐地域、大隅地域に分けられます。南薩諸島は種子島・屋久島地方と奄美地方の二つに区分される離島エリアです。
中央の鹿児島湾には、桜島がありますが、その対岸に県庁所在地の鹿児島市があります。鹿児島市は、日本海側の鹿児島本線と太平洋側の日豊本線が合流する鉄道の要衝でもあります。
県内の主な観光地には、活火山の桜島、宮崎県境にある霧島山とその山麓の霧島高原、霧島温泉郷、薩摩半島南端の開聞岳と指宿温泉、大隅半島南端の佐多岬などが知られます。
桜島に関しては別ページで紹介します。

鹿児島地域

山形屋百貨店
山形屋百貨店

発行年:1950年代(1949〜54年)

鹿児島市街の山形屋百貨店前。今もその姿をとどめる山形屋百貨店の偉容です。
鹿児島市電と戦前形のボンネットバスが行き交う金生通りです。

鹿児島市電には307の数字が見えますので、1949年に東京都電から譲り受けた300形です。この形式は、1954年には鋼体化改造を受けているので、それまでの撮影。(注1)

始良・伊佐地域(霧島)

林田温泉団体用ホテル
林田温泉

撮影時期:1950年代前半(1952〜55年)

国立公園霧島の林田温泉。鉄筋4階建てで屋上には展望台と思われる搭屋の建っている当時の最新ホテルのようです。入口には揃いの帽子を被った子供たちが到着したところ。

バスは富士重工R7型ボディの民生「コンドル」BR341(1952〜55年式、富士重工)で、前ドア車。方向幕には「串木野」と出ています。バンパー上に「定期」という札を出していますので、路線バス。
ナンバープレートは1951〜55年の間に使用された横長の黄色。2-10241というナンバーです。
塗り分けはよく知られた林田バスカラーとは違いますが、下の絵葉書と同じデザインなので、林田バス(林田産業交通)。

国立公園霧島 林田温泉
林田温泉

撮影時期:1950年代後半(1958年以降)

林田温泉という絵葉書ですが、写真の説明は「有料道路」。かつて霧島スカイラインと呼ばれた有料道路があったそうですので、それでしょうか。まだ未舗装ですが、道路の開通は1958年だそうですので、撮影もそれ以降だと思われます。
バスには「定期」の札を掲げていますので、路線バスです。

バスには側面に「林田バス」の文字があり、屋根肩には「国立公園霧島・林田温泉」と書かれており、観光輸送用に作られたデラックスな路線バスのようです。富士重工R7型ボディの三菱R270(1955年式、富士重工)です。三菱のエンブレムがスリーダイヤになる前ですので、年式を推定しました(注2)
ナンバープレートは1962年までの黄色で、あ0006というナンバーです。

横岳ドライブ・ウエイ
横岳ドライブ・ウエイ

撮影時期:1950年代(1954年以降)

国立公園霧島の林田温泉。
雲にそびゆる高千穂の
高峯おろしに草も木も・・・
肇国の神話は高千穂の峯に崩れかかる雲峰と共にはかなく忘れ去られても、高千穂の美しい姿は訪れる人々の記憶から忘れられない。

バスは新日国ボディの民生「イーグル」BR352/RS80(1954〜56年式、新日国)で、前ドア車。手彩色なので、本当の色は分かりませんが、他の絵葉書の塗り分けとも似ているので、林田産業交通でしょう。

霧島温泉郷の入口 丸尾の滝と林田バス
霧島温泉郷

撮影時期:1950年代(1954〜55年)

丸尾の滝の前に停車中の林田バス。
着物姿とコート姿の女性二人が滝を見ています。よく見るとバス運転席にも和服の女性の姿が見えますが、車掌さんでしょうか。
鹿児島より三〇分毎に林田バス運行 所要時間三時間
日豊線霧島神宮駅並びに肥薩線牧園駅より列車毎に林田バス接続運転所要時間1時間

「霧島温泉」と方向幕に表示したバスは林田バス。
1954〜56年の新三菱ボディで、三菱R21に架装されたもの。流線形のスマートなボディです。
ナンバープレートは鹿2-10021。横長プレートなので1951〜55年の間のもの。

霧島国立公園 高千穂峰
霧島国立公園 高千穂峰

撮影時期:1950年代後半

鹿児島県観光連盟発行の絵葉書。高千穂峰に向けて、観光バスが走ります。

銀色に赤帯と裾のブルーのバスは南国交通のようです。後面窓が高く、側面のエンジン通気孔が後面に回り込んでいる感じから、三菱R21(1952〜55年式、富士重工ボディ)だと思われます。

晩秋の高千穂峰
高千穂峰

撮影時期:1960年代(1962年以降)

ホテル林田温泉が発行した絵葉書。高千穂峰を背に、霧島温泉行きの定期観光バスが走ります。

バスは林田産業交通のキャブオーバーバスで、いすゞBXD30E(川崎ボディ)。登録番号は5798です。

薩摩半島

日本本土最南端の山・・・開聞岳
開聞岳

撮影時期:1960年代

開聞岳を背景に、指宿の菜の花畑の中を走る観光バス。
鹿児島県観光連盟作成の絵葉書です。

バスはブルーリボンカラーの南薩鉄道で三菱R470(1960〜64年式、三菱ボディ)。

長崎鼻パーキングガーデン
長崎鼻パーキングガーデン

撮影時期:1960年代(1964年以降)

指宿の南端、長崎鼻からは端正な開聞岳を望むことができます。
園内にはフェニックスなど300種に及ぶ熱帯植物が植えられ、そこに熱帯の動物が放し飼いにされている。また南方の原住民のわら葺の小屋が建てられており、南国ムードにあふれている。

駐車場の国鉄バスは三菱R470(1960〜63年式、富士重工)。1960年以降の国鉄バス標準色に塗られています。
右側の駐車場に3代目トヨペットコロナ(1964年〜)、2代目スカイライン(1963年〜)が見えるので、1964年以降の撮影です。

南国情緒ゆたかな指宿付近
指宿

撮影時期:1960年代(1966年以降)

熱帯植物が沿線を彩る指宿を行く鹿児島交通のバス。プリンスグロリアがすれ違ってゆきます。

鹿児島交通のバスはいすゞBU10(1967〜72年式、川崎ボディ)で、正面窓が大きい視野拡大窓になっています。ワンマン札が見えますので、前ドアの観光路線車だと思われます。

大隅半島

佐多岬ロードパーク、岩崎トンネル
佐多岬

撮影時期:1960年代(1963年以降)

鹿児島県大隈半島の南端、佐多岬を行く定期観光バス。岩崎トンネルを出たところ。
恐らく鹿児島駅からやってきた定期観光バスだと思われます。

京王帝都電鉄と同じカラーのバスは鹿児島交通の旧カラー(注3)。日野RB10(1961〜64年式、西日本車体)の前ドア車です。ナンバープレートには5933の数字が読み取れます。

熱帯植物生い繁る佐多岬ロードパーク入口
佐多岬

撮影時期:1960年代(1963年以降)

鹿児島県大隈半島の南端に岩崎グループが建設した有料道路、佐多岬ロードパークの第一料金所を行くバス。周囲には熱帯植物が生い茂ります。
佐多岬ロードパークは1963年に三州自動車(後の鹿児島交通)により専用道路として開通し、1964年に有料道路として一般にも開放されています。

バスは京王と同じカラーの鹿児島交通ですが、ワンサイドキャブで大きな側面窓の独特な外観。観光用の特注車両でしょうか。(注4)
ナンバープレートは6077

佐多岬展望台
北緯31度線下の佐多岬ロードパーク
佐多岬

撮影時期:1960年代(1963〜69年)

「北緯31度線」の看板の下、佐多岬ロードパークを行く鹿児島交通のバス。
おもて面に、1970年の正月に押したスタンプがありますので、1969年までの撮影です。

バスは上の絵葉書と同じ車両です。車内では、バスガイドがマイクで説明をしているようで、定期観光バスのようなものでしょうか。

佐多岬展望台

薩南諸島

奄美大島
奄美大島

撮影時期:1950年代

奄美大島の山羊島を行くバス。
復帰後大型バスも通い蘇鉄の歯蔭真近に浮ぶ山羊島の沿道は旅人や名瀬市民の散歩遊園の地である。

バスはトヨタのボンネットバス。1954〜56年のグリル形状です。

甘藷(さつまいも)日本最初の栽培地附近
石寺海岸

撮影時期:1960年代(1962年以降)

種子島の西之表市石寺海岸を行くバス。行き先表示には「上平」と書かれています。

赤い3本線の入るバスは、トヨタDR10(1958〜63年式、三菱ボディ)で、登録番号は5875です。

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(注1)
谷口良忠(1962)「鹿児島市交通局」(鉄道ピクトリアル1962-8増)P79-88による。
(注2)
ぽると出版(2003)「富士重工業のバス達」(P.101)に、これと同型のバスが掲載されています。
(注3)
満田新一郎ほか(2006)「続・昭和30年代バス黄金時代」(P.150)によると、この京王カラーは、鹿児島交通に合併された三州自動車(初代)のカラーだそうです。
(注4)
この車両の詳細は不明ですが、四角いヘッドライトベゼルや後部ボディの切り上げなどから日野車であるようには見えます。南日本新聞フォトギャラリーに、この車両の後部が写っていますが、非常口が後部にあるため、センターアンダーフロアエンジン車のようです。
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80s岩手県のバス“その頃”