絵葉書でめぐる日本バス紀行(伊豆半島)
首都圏からの温泉リゾート地としては早くから人気が高く、観光開発には、東急と西武とで進出を競った歴史がありました。西伊豆、中伊豆には西武系の伊豆箱根鉄道がありましたが、東伊豆は東急系の伊豆急行が開通した1960年代以降に急速に観光客が増加しました。
伊豆という地名は旧国名(伊豆国)からつけられたものです。伊豆諸島とともに富士箱根伊豆国立公園の一部になっています。
伊豆半島は地域的に4つに分けることが多く、沼津市を中心にした駿河湾に面する「西伊豆」、三島市、修善寺町などの「中伊豆」、熱海市、伊東市など相模灘に面する「東伊豆」、下田市、河津町などの「南伊豆」に分けられます。
西伊豆
伊豆 長津呂港
撮影時期:1950年代後半
手彩色ですが、オレンジ色系の東海自動車、青色系の箱根登山鉄道、臙脂色の静岡鉄道などが描き分けられています。
東海自動車はいすゞBA341Aと日野BD10系が混じりあっています。一番手前に見えるのは、スタンディウィンドウの形状から新日国ボディのようですが、正面窓がおかしな形に見えます。
間に入っている静岡鉄道のボンネットバスは日野BH10系、箱根登山鉄道は日野BD10系です。
伊豆国立公園・堂ヶ島
撮影時期:1960年代前半
展望台より亀岩及び蛇島・稗島を望む下の絵葉書(1962年以降)と比べると、展望台の前のスペースが未舗装だったり、左端の南国系植物の葉が短かったりすることから、少し前の撮影だと思われます。
左端のバスは相模鉄道の三菱MAR470(呉羽ボディ)、中央部で道路を走っているのが東海自動車の日野BD14(帝国ボディ)でしょう。
駐車場に停車中の緑色のバスは伊豆箱根鉄道でしょうか。右端は京都交通系の東京観光バスの三菱AR470(呉羽ボディ)のようです。
なお、手前と奥に天窓付のバスも見えますが、イースタン観光です。
国立公園伊豆・堂ヶ島
撮影時期:1960年代前半(1962年以降)
堂ヶ島メインストリートより蛇島及び亀島を眺む湾内を遊覧船が走り回っています。
左のバスは小湊鉄道の日野BD14(富士重工)、右のバスは東海自動車のいすゞBA741(1961〜65年式・川崎航空機)。
写っている乗用車で最も新しいのは2代目クラウン(1962年〜)。
黄金崎と富士山
撮影時期:1960年代(1964年以降)
岩肌は男性的黄金色 海はコバルト色に 波の白さと桜の花びらをひきたてる。
バスは東海自動車の日野RB10(1964〜67年式)で、ツーマン車。
伊豆・黄金崎の美観
撮影時期:1960年代
海岸に突きだした岬は、松の緑と朱色の岩肌がコバルト色の海に影をおとし特異な景観をつくりだしている
「松崎」と表示されているような東海自動車のバスは日野RB10(帝国ボディ)。ナンバーは3277と読めます。
中伊豆
伊豆吉奈温泉場 東府屋旅館玄関
撮影時期:1920年代
伊豆 天城七里路
撮影時期:1960年代(1964年以降)
「東海観光」と社名表示を出した観光バスは、三菱MAR470(1964〜67年式、三菱ボディ)のようです。ナンバープレートは1027です。
伊豆・昭和の森会館(踊子ライン入口)
撮影時期:1980年代前半
東伊豆
伊東ドライブウェイ
撮影時期:1930年代
南国の香りただよふ伊東駅の偉容
撮影時期:1930年代
温泉は猪戸、松原、玖須美などに分かれて湯は豊富に湧き名の示す如く伊豆の東端にあって前は相模灘に臨み後に天城山支脈を負ひ初島、宇佐美の大崎、真鶴岬などが海の眺めをそへ冬は暖かで避寒によく夏は海水浴に絶好である。
駅に向かって停車中のバスは、省営バスでしょうか。
スカイウェー・ゲート
撮影時期:1960年代(1962年以前)
公園の東側に自動車専用のスカイウェー・ゲートがある。この道路からはゴルフ場を眼下に伊豆の山々や伊豆七島が見渡せ、誰もが「この眺売ります」と云いたくなる。今のどの道路に当たるのでしょう。まだ路面は未舗装で、料金所も出来たばかりのように見えます。
バスのナンバープレートが黄色なので、1962年までの撮影。
バスは天窓のあるキャブオーバーバスで、トヨタFB(尾張車体)でしょうか。ヘッドライトは2灯です。
伊東/地球儀温室
撮影時期:1960年代(1962年以降)
シャボテンセンターへの入口近く、ドライブインに並んで、この地球儀温室がある。最近その奇抜な形が人気をあつめている。 カメラ/中村明弘
バスは東海自動車の日野BD10〜14(1952〜60年式)ですが、方向幕が小さく、その両脇に明かり窓がありますので、初期の車両だと思います。ただしナンバープレートが緑色になっていますので、1962年以降の撮影。
国立公園・伊豆の展望/稲取温泉全景
撮影時期:1960年代(1963年以降)
後ろを行く乗用車が2代目スカイライン(1963年〜)なので、1963年以降の撮影です。
バスは西東京バス。正面のウィングマークと前ドア次位の小窓の幅から日野BN10/11(1960〜62年)だと分かります。ただし、ボディメーカーがよく分かりません。正面連続窓になっており、前ドアの窓の形などから呉羽ボディのように見えます。
伊豆スカイライン大展望台
撮影時期:1960年代(1964年以降)
バスは山梨観光の日野RC100(1964〜67年式、帝国ボディ)、向こう側に停車中のバスは三菱MR(1964〜67年式、三菱ボディ)のようです。
右側を走っている乗用車は、後ろ姿のトヨペットクラウンと顔を見せている日産セドリック。
伊豆 熱川温泉
撮影時期:1960年代(1962年以降)
その昔、太田道灌が狩りの途中、見付けた温泉で、背後は美しい天城山、前は紺碧の相模湾で急傾斜の断崖の狭い土地なので旅館は上へ上へと伸び、雛段のような温泉場になっている。冬暖かく、夏涼しい絶好の歓楽境として人気を集めている。
伊豆急行の伊豆熱川駅から発車していく東海自動車のバスは、日野BD15(1961〜62年式、帝国ボディ)。正面連続窓になっている最終期のセンターアンダーフロアエンジン車。
ナンバーは緑で2743と読めます。
伊豆スカイラインインターチェンジ附近の展望
撮影時期:1960年代(1962年以降)
神奈川中央交通は日野RB10(1962年式、帝国ボディ)。
伊豆スカイラインから富士を望む
撮影時期:1960年代後半
本格的なハイウェイで、熱海峠から玄岳(くろだけ)の裾をまわり説明文は、途中で切れているようです。
名鉄カラーの観光バスは、三菱MAR470(三菱ボディ)のようです。観光バスがまだバス窓の時代です。
南伊豆
伊豆蓮台寺温泉名所 温泉場市街
撮影時期:1930年代
バスのナンバーは静2.085。開き戸のボンネットバスです。
下田港頭の景趣、交通頻繁なる下田橋
撮影時期:1930年代
背景の寝姿山の位置から、現在の下田橋とは異なる場所であることが分かります。
バスは東海自動車。前面には「工」マークが掲出されていますので、伊東駅の構内乗入証でしょう。
(富士箱根伊豆国立公園)石廊崎
撮影時期:1960年代(1962年以降)
マーガレットラインより雲見方面と富士を望む
撮影時期:1960年代(1964年以降)
「下田」と表示されている東海自動車のバスは日野RB10(1964〜67年式、帝国ボディ)。メトロ窓で観光路線仕様の車両のようです。