絵葉書でめぐる日本バス紀行(箱根)
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箱根 箱根は、神奈川県南西部の箱根山と呼ばれる火山帯を中心にした観光保養地で、東海道の要衝である箱根峠から西は静岡県となっています。
箱根峠の麓には、カルデラ湖である芦ノ湖畔に、古くからの箱根宿や箱根関所があり、北側の湖尻との間には観光船が設定されています。これら芦ノ湖畔と箱根山、さらには仙石原などを結ぶ観光道路や索道は、昭和初期から観光開発を目的に数多く開通しており、戦後は西武グループと小田急グループによる「箱根山戦争」として、その熾烈な開発競争が知られています。
現在では、新宿からの小田急ロマンスカーと箱根登山電車を乗り継いで、さらにケーブルカーやロープウェイ、芦ノ湖観光船などの乗り物を使って観光する東京から手軽に行けるリゾート地として人気が高い場所です。

神奈川県側

富士箱根国立公園 旭橋
箱根旭橋

撮影時期:1930年代前半(1933年以降)

箱根街道の湯本温泉近くに架けられたコンクリートアーチの旭橋を渡るバス。旭橋は1933年に完成したとのことなので、それ以降の撮影です。
山を縫い谷を渡る羊腸たるドライヴ・ウェイは坂を均し崖を削り、渓流には橋を架け、到る所坦々として砥の如く映る眺めは昔のまま實に爽快亦壮快である。

バスは屋根に天窓のついた観光用のバスです。

国立公園・箱根 湯本温泉旭橋
箱根旭橋

撮影時期:1950年代前半

桜の咲く旭橋を渡るボンネットバス。
旭橋は早川を渡る橋で、白い橋は緑の山を背景にたいへん美しく、また湯本温泉は奥箱根の入口に位置し、早川と宿毛川との分岐点にある、ということが英語で書かれています。

黄金色のバスは手彩色ですが、民生KB3L(1950年式)だと思われます。

大涌谷より富士の大観
大涌谷

撮影時期:1950年代前半

大涌谷は箱根、内輪山の強羅と湖尻の中間にある一大硫気孔として丘の高みに立ちて望めば其の噴気の轟音崩壊の状壮観を極め凄絶の感に打たれます。尚外輪山の彼方に望む富士は雄大なものです。
手彩色のためか合成写真のような不自然な部分が多く見られます。

後面の塗り分けが独特なバスは、駿豆鉄道の新旧塗り分けと思われます。総勢8台ものバスが写っていますが、詳細はよく分かりません。左から2台目のバスは前輪の位置から、セミキャブオーバーのようです。

富士箱根国立公園 大涌谷
大涌谷

撮影時期:1950年代前半

噴煙が上がるのが見えます。数台の観光バスが休憩中。
観光客で賑ふ 茶屋附近の景観

中央の2台のバスは、富士重工製の独特のボディを持つ民生「コンドルジュニア」BR20(1951〜52年式)です。手彩色で異なる色に塗られていますが、塗り分けが同じなので、同じバス会社でしょう。
のボンネットバス2台のうち、前のバスはいすゞBXです。

駒ケ岳ケーブルカー
駒ケ岳ケーブルカー

撮影時期:1950年代(1957年以降)

伊豆箱根鉄道が運営する駒ケ岳ケーブルカーの駒ケ岳登り口駅。同社のロープウェイが芦ノ湖側から駒ケ岳にアクセスするのに対し、ケーブルカーは東側の山麓から登ります。1957年に開業したそうです。

バスは伊豆箱根鉄道で、「Sunzu Bus」(駿豆バス)のローマ字も併記されています。社名変更直後なのでしょうか。
車両は日野のBD10系列だと思われます。車体は、側面窓の形状から新日国工業製だと思われますが、前面が傾斜窓になっているなど、見慣れないスタイルです。

箱根小涌園本館全景
箱根小涌園

撮影時期:1959年ごろ

箱根小涌園の全景という横長の絵葉書。
中央のバスはともかくとして、左側に並ぶバスや右端の乗用車は、イラストを合成したことが明白です。小涌園本館そのものも、手彩色になっています。

国際観光自動車の黄色いバスは、正面が流線型になったリアエンジンバス。梁瀬自動車が1950年代中頃に製造したものだと思われます。フロントのエンブレムは、スリーダイヤになる前の三菱を示し、後ろのほうの窓の形などから三菱R23と思われます。

箱根小涌園本館
箱根小涌園

撮影時期:1959年以降

箱根小湧園の前に国際観光自動車の豪華観光バスが停車しています。
後ろの山のほうからは、湯気が立ち上っています。

セミダブルデッカーは三菱AR470改(1959年式、富士重工)で、米国グレイハウンドバスを模した特別車両。富士重工製では日野BQ10PK(センターアンダーフロアエンジン)というのもあったそうですが、写真の車両は側面に非常口がありますので、リアエンジンの三菱車だと思います。(注1)

箱根小涌園 本館全景
箱根小湧園

撮影時期:1959年

1959年にオープンした箱根小湧園の記念絵葉書。オープン直後の撮影かどうかは分かりませんが、玄関の前に停車中のバスも1959年式の国際自動車の最新型なので、1959年撮影と推察します。
豪華なリゾートホテルの正面に、豪華なセミダブルデッカーが停車中という、日本離れした光景です。

セミダブルデッカーはいすゞBH162(1959年式、川崎ボディ)で、米国グレイハウンドバスを模した特別車両。東京−箱根間の定期バスとして使用中のようです。

小涌園旅館部
箱根小涌園

撮影時期:1960年代

箱根小涌園旅館部の発行した絵葉書。
緑の山々にかこまれた温泉デパートともいわれ300に近い客室の外、諸種の施設がある。

セミダブルデッカーのいすゞBH162(1959年式、川崎ボディ)が藤田観光カラーに塗り替えられています。
左側の後ろ姿は伊豆箱根鉄道の日野BD10系列(帝国ボディ)。

大観山富士見峠
大観山富士見峠

撮影時期:1960年代前半

湯河原から奥湯川原をへて、深い山はだをくねくねと縫うスリルのある道である。南方、相模湾の眺めはすばらしく、海に付き出した真鶴岬や初島が明るい海に浮かんでいる。

バスは赤い色をしていますが、これは手彩色の職人の想像で、実際は水色の箱根登山鉄道のバスです。 スタンディウィンドウの形状から新日国ボディ。日野ブルーリボンBD30系列のようです。

(箱根)ロープウエイ
箱根ロープウェイ

撮影時期:1960年代前半

大涌谷から富士山を望む駐車場。箱根ロープウェイが見えます。
箱根ロープウェイが大涌谷から麓の桃源台まで全通したのが1960年のこと。ここに写っている縦目の日産セドリックも1960年の登場なので、1960年代の撮影です。

バスは赤っぽい色付けですが、塗り分けから伊豆箱根鉄道。手前の三菱MR480らしきバスが最新型です。

大涌谷
大観山富士見峠

撮影時期:1960年代(1965年以降)

大涌谷の駐車場に集う観光バス。
箱根火山の名残をとどめている神山爆裂口の遺跡で多数の噴出口があり盛んに蒸気を噴出している有名な富士の展望地でもある。
2代目日産セドリックの姿が見えるので、1965年以降の撮影です。

のバスは内山観光の三菱MR470(1960〜67年式、呉羽ボディ)、のバスは伊豆箱根鉄道で三菱MR470(1960〜64年式、三菱ボディ)のようです。

小田急ロマンスカーの発着する箱根温泉の表玄関湯本口
箱根湯本

撮影時期:1960年代(1967年以降)

箱根湯本駅に停車中の小田急ロマンスカー「はこね」号と箱根登山鉄道の電車。そして早川沿いを行く箱根登山鉄道の路線バス。

箱根登山鉄道のバスは、日野BD14/15(帝国ボディ)。
それを追い抜くのが3代目ブルーバード(1967年〜)なので、この写真も1967年以降の撮影。

静岡県側

(十国峠)熱海峠よりの富士の麗峯
十国峠

撮影時期:1930年代(1932年以降)

「箱根行自動車専用道路 駿豆鉄道」の看板がある十国峠に停車中のバス。
熱海峠と箱根峠を結ぶ自動車専用道路(十国線)は、1932年に駿豆鉄道が開通させ、箱根へのアクセスを逸早く手に入れました。
途中の十国峠からは、美しい富士山が望めます。

ボンネットバスには312のナンバーが読めます。また、窓下には車番と思われる92の番号も書いてあります。もちろん駿豆鉄道のバス。

十国峠の霊峰 富士
十国峠

撮影時期:1940年代(〜1943年)

「泉都 熱海」という絵葉書の中の1枚。
ケースのメモ書きから1943年に購入されたものなので、撮影はそれ以前。
(熱海温泉)十国峠より富士を望む
十国峠

撮影時期:1950年代前半

熱海温泉の十国峠に停車中のボンネットバス。後面には「駿豆鉄道株式会社」とありますので、後の伊豆箱根鉄道。
美しい富士山を望み、「箱根行」のバスのりばの看板があります。

ボンネットバスは非常口のない1951年式以前の車両。ボディメーカーはどこでしょう。日本自工でしょうか。後面の中央の窓幅が広いのが特徴です。

十国峠の美観
十国峠

撮影時期:1950年代前半

富士山を望む十国峠に集う観光バス。バスを降りた観光客は、高台の展望台に向かうようです。
ベースは写真ですが、手彩色のため、全体が絵のような感じに仕上がっています。

手彩色なので元のカラーはよく分かりませんが、カラフルなボンネットバスが停車中。天窓付のバスも見えます。一番奥に停車中のバスはキャブオーバーバスのようです。

箱根十国峠
箱根十国峠

撮影時期:1960年代前半

富士山の眺めが美しい十国峠駐車場。道路を登りきったところにある駐車場から、駿豆鉄道の十国峠ケーブルカーに乗り換えて日金山(十国峠)山頂に向かいます。
 車両画像を拡大

駐車場に停車中のバスは、左端は東野鉄道の日野RB10P(1961〜64年式、金産ボディ)、中央部3台は駿豆鉄道で一番手前は日野RB10P(帝国ボディ)、右端は内山観光のカラーですが車種はよく分かりません。
に1台離れているのは日本観光興業(神奈川県)の三菱R480(1960〜63年式、呉羽ボディ)のようです。(注2)

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(注1)
ポルト出版(2003)「富士重工のバス達」P.130による。
(注2)
満田新一郎ほか(2006)「続・昭和30年代バス黄金時代」のP58に、日本観光興業のバスが掲載されている。この車両と同形車のように見える。
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