絵葉書でめぐる日本バス紀行(北海道・道南地方)
トップバー

北海道(道南地方) 北海道の中で、渡島、檜山の2支庁内を道南地方としてまとめます。
位置的には本州に近い半島部分で、渡島地域は函館市を中心にしたエリア、檜山地域は江差町を中心にしたエリアです。函館市は日本初の国際貿易港で、協会や洋館などの異国文化が魅力の観光地です。

渡島地域

函館市中心部
函館大門前の殷盛
函館大門前

撮影時期:1936年

函館市電の大門前の電停周辺の光景です。
葉書の右下に「昭和十一年五月一日津軽要塞司令部検閲済」と書かれています。函館には陸軍の要塞が置かれており、写真撮影にはその許可が必要な時代だったようです。

バスはシボレーでしょうか。(注1)
路面電車はこの当時、帝国電力(株)の運営でした。左の車両は228号、右に側面が見える車両は107号と読めるようです。いずれも、1934年3月の函館大火の後、焼失した車両の代替に、東京市電から譲受した車両のようです。

函館駅前商店街 大門通り
函館駅前商店街

撮影時期:1950年代

函館駅前の光景。駅から正面方向を見たところ。
左端のお店には「蛇の目」という大きな文字と「秋山運動靴」の看板が見えます。

駅前を2台のバスが曲がってゆくところですが、いずれも函館市交通局の旧カラー。手彩色ながら本物らしく色づけされてます。
先頭は富士重工T5型ボディのキャブオーバーバス。2台目は自転車にさえぎられていますが、路面電車にも共通する独特のスタイルをしています。

近代的建築の櫛比する末広町
函館末広町

撮影時期:1950年代

函館市の十字街を行く市電と市バス。背景の建物は、1923(大正23)年に建築された鉄筋コンクリート造りの丸井今井百貨店。

バスは函館市営の富士重工T5型ボディのキャブオーバーバス。
市電は400形(405号)で、1934年の函館大火で焼失した車両の代替に、京王電気軌道23形を譲受したボギー車。

函館のメインストリート大門通り
函館大門通り

撮影時期:1950年代

函館駅から伸びるメインストリート大門通りを行くボンネットバス。左の塔屋のあるビルは、5階建ての棒二森屋百貨店。

ボンネットバスは塗り分け線から函館市交通局。独特な形のボンネットは日産の1952年式くらい。側面窓はバス窓になる前の2段窓ですが、正面窓は四隅にRがあるちょっと近代的なスタイル。後年の更新でしょうか。

汐見橋 函館湯の川
函館湯の川

撮影時期:1950年代

函館湯の川の汐見橋を行くボンネットバス。函館バスだと思います。橋の向こうに見えるボンネットバスは、フェンダを使った塗り分け線の特徴から、函館市交通局。いずれも、手彩色なので、実物のカラーとは異なります。

函館バスのボンネットバスは金産ボディです。

函館大森浜の啄木像
大森浜

撮影時期:1950年代後半(1955年以降)

潮かをる
北の浜辺の砂山の
かの浜なすよ
今年も咲けるや

塗り分けは函館市営バスですが、手彩色によって青系の下半分が仙台市営のような色付けになっています。
前輪が側面にあるのでキャブオーバーバス。1955〜62年の間の黄色いナンバープレートを付けています。

函館湯の川・トラビスチヌ修道院
トラビスチヌ修道院

撮影時期:1960年代(1962年以降)

函館市の北東の丘陵に、明治31年創設の女子修道院がある。カトリック・トラビスト会の経営する「湯ノ川大使園」で、およそ100人の修女が厳格な戒律に従って沈黙を守り、牧畜や農耕を行い、神への祈りと奉仕の生活を送っている。

函館市交通局のバスが3台ほど並んでいます。手前に見える2台とも日野RB10ですが、前側が金産ボディ、後ろ側が帝国ボディです。

湯の川温泉街(函館風景)
湯の川温泉

撮影時期:1960年代(1962年以降)

函館の湯の川温泉にある湯の川ホテル。

左側に停車中のバスは函館市営バスで、三菱R200系列(1955〜58年式・呉羽ボディ)。後面のエンジン通気孔が2枚ありますが、下辺にRがついており、ちょうど後面窓と対称になっているかのようです。
ナンバープレートは緑色で14と読めます。

函館駅附近
函館駅

撮影時期:1960年代

函館駅前の風景。「キリンレモン」の広告塔が目立ちます。

5台ものバスが駅前広場から発進してゆく所です。赤系のバスと黄色系のバスが鮮やかですが、手彩色で架空の色付けをされていて、少なくとも左3台は函館市交通局の黄色とブルーの塗り分けが見えます。
先頭を行くのが1960年代の川崎ボディ、右後ろに呉羽ボディ、最後部の2台はキャブオーバーバスのようです。

函館山
函館山のドライブウェー
函館山

撮影時期:1950年代後半(1955年以降)

函館山から函館市内を見下ろす函館ドライブウェー。左側が函館港、右側が大森海岸。停車中の遊覧バスからは乗客が降りて、その景観を楽しんでいます。左端にはスクーターに二人乗りする夫婦の姿も。

停車中のボンネットバスは函館バスの旧カラーです。いすゞBX95(1955年式くらい、新日国ボディ)でしょうか。側面はバス窓ですが、正面は古めかしいスタイルです。
ナンバープレートは色付けされていませんが1955年以降の規格と見られ、あ0026の文字が読めます。

函館山のドライブウェー
函館山

撮影時期:1960年代前半(1960年以降)

九十九折の函館山ドライブウェイを行く3台のバス。手彩色なのでバスの色が異なりますが、3台とも青帯の函館市営バスだと推察します。
函館バスもブルーリボンカラーですが、おでこのヒゲの形状などに違いが見られるようです。

バスは後ろ側からいすゞBR351(1961〜62年式・川崎ボディ)、いすゞBC151(1961〜62年式・川崎ボディ)と推察します。一番前は安全車体のボンネットバスでしょうか。

ドライブウェーを走る登山バス
函館山

撮影時期:1960年代前半(1960年以降)

上の絵葉書と同じアングルで、函館山のドライブウェイを行く観光バス。
やはり手彩色なのでバスの色が異なりますが、3台とも青帯の函館市営バスだと推察します。


バスは後ろ側から日野BK32(金産ボディ)、三菱R200系列(呉羽ボディ)、前の2両はいすゞBC141(1961〜62年式・川崎ボディ)と推察します。

山頂へ通ずるドライブウェイと美しい函館市街
函館山

撮影時期:1960年代前半(1962年以降)

函館市内を見下ろす函館山ドライブウェイ。上のほうにある1950年代のものに比べると、道路が舗装されています。自然な発色から、本当の天然色だと思います。

バスはブルーリボンカラーですが、窓下に赤いラインが加わります。4文字の社名が見えますので、函館市営。
日野BD35(1960〜61年式・金産ボディ)だと思われます。204と言う車番が読み取れます。
緑色のナンバープレートをつけているので、1962年以降の撮影。

山頂へ通ずるドライブウェイと美しい函館市街
函館山

撮影時期:1960年代後半

やはり函館山ドライブウェイから函館市街地を望む光景。
切手貼付欄には「10円」とありますので1972年以降の発行ですが、写真の撮影はバスの年式からして1960年代と思われます。

バスのカラーデザインは上の絵葉書と同じです。やはり函館市営でしょう。方向幕には「定期観光」の文字があります。
日野RB10(1964〜65年式・川崎ボディ)。前ドアのところに車掌さんの姿が見えます。客席にも人影がありますので、実車中でしょうか。

函館山より観た函館港と市街
函館山

撮影時期:1960年代(1962年以降)

函館は北海道の都市で最も古くから開けたところで、市中には古碑・寺院・神社・教会等由緒あるものが数多く散在し、郊外には古戦場・外人墓地・温泉・修道院・啄木ゆかりの地など、観光地の多いところである。

バスは函館市営で、方向幕に「函館山」と表示した路線バス。いすゞBR20(1961〜63年式・川崎ボディ)。車番は345

大沼公園
大沼公園ヘルスセンター
大沼公園

撮影時期:1961年

大沼公園ヘルスセンターの前に停車中のボンネットバス。屋上に「歓迎」の文字があるため、1961年の開業時のものと思われます。
この時代、全国にヘルスセンターという名前の施設ができ、温泉を含む娯楽施設として国民のレクリエーション熱を高めました。

バスは日野BH10系列(富士重工)です。手彩色なので、本物の色は分かりませんが、塗り分けは西武バスとよく似ています。

大沼公園 ヘルス・センター
大沼公園

撮影時期:1960年代前半(1962年以降)

大沼国定公園は函館に近く交通の便が良いので四季を通じて観光客の訪れが多い
バスも手前のコロナタクシーも緑ナンバーなので、1962年以降の撮影。
 車両画像を拡大

バスは和歌山県の熊野交通のようなカラーデザイン。車体は西日本車体のようなスタイルですが、前輪後ろに東浦自工のようなマークが見えます。
シャーシは不明ですが、前面に三菱のエンブレムがあるようです。

アンダーバー
(注1)
芸文社(1987)「ボンネットバス」のP50に新潟合同自動車の似たような車両が掲載されており、シボレー1937年式と書かれています。
ページ上部へ戻る
メニュー

80s岩手県のバス“その頃”