絵葉書でめぐる日本バス紀行(明光バス)
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明光バス 明光バスは白浜町に本社を置くバス会社で、1936(昭和11)年に白浜温泉を展望できる自社専用道路を千畳敷〜大浦間に建設し、遊覧バスを走らせました。この専用道路は、白浜随一の展望地である平草原を独占するロケーションを持ち、戦後の観光ブームの際にも同社への観光客誘導に大きく寄与しました。
昭和30年代を中心にした明光バスの繁栄は、残されている自社発行の「遊覧バス乗車記念」絵葉書からも想像することができます。しかし、白浜の観光は、南海や近鉄など大手資本の進出により激しい競争にさらされ、地元観光業者との軋轢もあり、明光バスには近鉄資本が入ることになります。
専用の観光道路は、無償貸与期間の終了により、1966年には明光バスの手を離れ、白浜スカイラインとなっています。
白浜湯崎名勝遊覧バス
湯崎温泉

撮影時期:1930年代(1936年以降)

明光バスの白浜湯崎名勝遊覧バスの少女車掌の解説絵はがき。
紺碧のこの海原は、鯨潮吹く太平洋。黒潮寄する尖端は壮絶無比の千畳敷! こなた中央、家並の右のはしなる、そのほとり波打つ岸辺、天然の湯槽に湧き出る崎の湯で、歴史に詩に景勝にその名も高く日本に誇る温泉でございます。

ローマ字で「MEIKO BUS SERVICE」と書かれたバスは、1930年代中盤以降のスタイルのようです。

明光バス専用道路より 湯崎・白浜温泉場俯瞰
白浜温泉

撮影時期:1930年代後半(1936年以降)

明光バスの白浜湯崎名勝遊覧バスの鶯車掌解説絵はがき。
皆様、真下の家並は湯崎温泉でございます。続く向ふは白浜温泉場、白良浜、浜に続いて鬱蒼と茂った森は、昔、斎明天皇御入浴の御時に、船をつなぎ給ふたといふ、由緒も深い御船山、三所神社でございます。森の向ふ、松の木の間に赤い屋根、三つ四つ二つ見えますのは、臨海実験所でございます。

流線形のボンネットバスは、ボンネットの形状や脇のマークから、シボレーだと思われます。
正面窓が小さい独特のスタイルです。

泉都巡り遊覧記念
泉都巡り遊覧バスの路線地図の絵葉書。
一番下に千畳敷と大浦温泉を結ぶ「明光バス専用道路」が描かれ、白良浜には「明光バス本社」、白浜桟橋には「明光バス桟橋営業所」があります。
白浜桟橋に「飛行機発着場」の記載がありますが、現在の南紀白浜空港はそこではなく、専用道路より南側にあります。
招く白浜鶯車掌
白浜温泉 白良濱
白浜温泉

撮影時期:1940年代後半(1947年以降)

明光バスの泉都めぐりバスの乗車記念絵葉書。以下は「鶯車掌」のフレーズです。
皆様、ここは名に負う歌まくら、白良の浜でございます。“雪のいろにおなじ白良の浜千鳥、聲さえ冴ゆる あけぼのの空”湯の香に明ける白良の浜 夕日に映ゆるみどりの松 まことに白砂青松の 文字そのままの眺めこそ白濱のシンボルでございます

浜辺の道に停車中のバスは、かなり長く、よく見るとトレーラーバスであることが分かります。

白浜温泉 白良濱
白浜温泉

撮影時期:1940年代後半

上の絵葉書と同じ風景での撮影ですが、トレーラーバスの向きが逆になっています。
国鉄紀勢本線で白浜を訪れた大量の観光客を輸送するため、大きなトレーラーバスが必要となった当時の輸送事情が分かります。
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白浜温泉 円月島
白浜温泉

撮影時期:1950年代前半

明光バス専用道路から円月島を望む、定番の場所を行くボンネットバス。以下は「鶯車掌」のフレーズです。
皆様 ここは美しい瀬戸の浦 風致地域でございます 向こうの島は円月島 めがね岩とも申します “夕やけて月が出たよな円い窓” 情緒豊かな白濱風景の一つでございます

側面腰板の光り具合から既に軽合金を使用していたと思われるこのボンネットバスは、日野BH10(1950〜51年式)あたり。正面窓が連続窓風になったこのボディは恐らく金沢産業製。

白浜温泉 霊泉橋
霊泉橋

撮影時期:1950年代前半

泉都めぐり明光バス 鶯車掌説明の一節
皆様、これから渡りますのは霊泉橋でございます 右手はるかに海を越え かすむ彼方は万葉の 歌に眺めに 美しい南部 牟妻の江 いそまうら 続く後ろの山々は 龍神 高尾 槇山で 熊野三千六百の深山に秘めた ローマンス 安珍清姫道成寺 鐘の響きに清姫の 戀の泪か紅椿 今につたえてこぼれ咲く真砂の庄はあの山裾にございます
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上のバスと同型車のようです。

泉都めぐり 観光バス
白浜温泉

撮影時期:1950年代(1954年以降)

明光バスの絵葉書もカラー(手彩色ですが)になります。下のほうにある絵葉書とほぼ同じアングルですが、こちらは未舗装道路なので、時代的には少し前。下に見える半島の建物の数も圧倒的に少ないのが分かります。

車両は新日国ボディの流線形ボディ。日産自動車のリアエンジンバス「コロナ」(1954年式〜)。運転席横には乗客が鈴生り。中ドア車は展望車にもなりました。

泉都観光バス御乗車記念
白浜温泉

撮影時期:1950年代(1954年以降)

月島を遠景にして手前にバスの一部を大写しにした独特のアングル。側面の表示板には「観光」と書いてあるようです。

上の写真のバスと同形の日産コロナの側面拡大です。新日国ボディの流線形の傾斜がよく分かるアングルです。

泉都めぐり 観光バス
白浜温泉

撮影時期:1950年代中盤(1953年以降)

月島を望みながら明光バス専用道路を行き交う観光バス。
カラーデザインは上の日産コロナと同じです。

手前は三菱R21(1953〜55年式・新三菱ボディ)のようです。
向こうの後ろ姿はメトロ窓のボンネットバスです。

白濱 平草原
白浜温泉

撮影時期:1950年代前半

明光バスが「明光バス専用自動車道」を行く泉都めぐり観光バスの乗車記念に作成した絵葉書です。
方向幕には「観光」と書いてあります。道路は舗装されました。

車両は民生ディーゼルの「コンドル」BR30(1950〜52年式・富士重工)です。ロングボディで観光バス用の前ドア車です。

白浜温泉展望
白浜温泉

撮影時期:1950年代(1955年以降)

白浜温泉の臨海観光道路を行く明光バス。手前の花は彼岸花でしょうか。
黄色いナンバープレートから1955〜62年の間の撮影。
臨海観光道路を行く・海の美景を眺めつつドライブは快適である。

車両は日野のエンブレムが示すとおり日野「ブルーリボン」BD14あたりと思われますが、ボディスタイルが独特です。呉羽自工に見えなくもないですが、他のローカルメーカーか関西系メーカーかもしれません。

泉都めぐり御乗車記念
白浜温泉

撮影時期:1950年代(1955年以降)

円月島が見えるお馴染みの場所を連行で走る明光バスの貸切バス。
黄色いナンバープレートから1955〜62年の間の撮影。

車両は三菱のシャーシに、正面傾斜窓の呉羽ボディ。中ドア車ですが前ドア設置可能な三菱R281(1955〜58年式)のようです。
後ろから来るのは日野ブルーリボン。

明光バス専用自動車道より田辺湾を望む
白浜温泉

撮影時期:1950年代(1956年以降)

明光バスの「明光バス専用自動車道」シリーズは数多く存在します。
これは、田辺湾を望み、専用道路を下って行く3台の観光バス。

1台目と3台目は三菱のR271(1956〜58年式)です。真ん中は、後面にエンジン通気孔がないので、センターアンダーフロアエンジンの日野BD14あたりかと思います。
カラーデザインはシルバーに青帯のシンプルなものになりました。

白浜 円月島
白浜温泉

撮影時期:1950年代(1956年以降)

白浜の景勝地である円月島が見える岸壁を曲がってくる構図です。白黒写真の色付けですが、バス会社自身で発行しているだけに、実物に忠実な色になっています。独特の軽合金ボディの輝きも表現されています。

車両は中ドア専用シャーシの日野「ブルーリボン・マイナー」BK30(1956年式・金産ボディ)です。明光バスでは、腰板部分を軽合金製にした特注車両を導入していました。

泉都観光バス 御乗車記念
白浜温泉

撮影時期:1950年代(1957年以降)

明光バスの絵葉書ではおなじみの場所。ただ、草が茂りすぎて道路がほとんど見えません。

車両は日野「ブルーリボン」の中ドア車BD34(1957〜58年式・金産ボディ)です。他の絵葉書の明光バスと異なるのは、ブルーリボンカタログカラーだということです。前面オデコに赤いストライプのヒゲがあるほか、腰板には青の細いストライプがあります。

明光バス
白浜温泉

撮影時期:1959年ごろ

明光バスの絵葉書では定番の場所ですが、おもて面の説明書きがほとんどなくなりました。今ちょうど円月島をながめている所。
バスには「泉都巡り」と表示されています。

車両は日野「ブルーリボン」BD14(1959年式・金産ボディ)です。やはり腰板部分は軽合金製です。
写真はこの車両が新車で納車になった頃に撮影されたものと推察します。

白浜温泉 スカイライン
白浜温泉

撮影時期:1960年代

明光バスの絵葉書は続きます。手彩色から天然色に変わったようなので、1960年代に入っていると推定しました。
道路にも白浜温泉スカイラインという名前がついたようです。

車両は上のほうにも出てきた日野BD14(金産ボディ)と同形のようですが、運転席窓で雨樋が下がっているので、少し古い車両かもしれません。

白浜温泉 平草原
白浜温泉

撮影時期:1960年代

上のほうで明光バスの民生「コンドル」が走っていたのとほぼ同じ場所を行く光景。軽合金製ボディの特徴がよく分かります。

車両は日野BD14(金産ボディ)のようです。上の写真とは同形車かもしれません。

白浜温泉 円月島
白浜温泉

撮影時期:1960年代(1964年以降)

明光バスの絵葉書では何度となく出てきた場所ですが、車両は段々と新しくなります。

車両はリアエンジンバスになり、日野RB10P(金産ボディ)です。後面連続窓なので、1964〜65年式と思われます。

白浜温泉 円月島
白浜温泉

撮影時期:1960年代(1964年以降)

上の絵葉書とほぼ同じ場所ですが、カメラアングルは道路レベルに下がっています。地層が露出した絶壁の様子がよく分かります。
円月島、めがね岩とも云われ、白浜のシンボルである。
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車両はメトロ窓の日野RC100P(金産ボディ、1964〜65年式)です。屋根の上に長いダクトのようなものがついていますので、多分当時は珍しかった冷房車だと思われます。

泉都めぐり
白浜温泉 平草原
白浜温泉

撮影時期:1960年代(1968年以降)

明光バスの絵葉書も1960年代後半、つまり昭和40年代に入ると手彩色ではなく本当の天然色になります。
茅葺屋根風の建物の立つ平草原での休憩中の風景。向こうには飛行機が見えますので、1968年に開港した南紀白浜空港でしょう。
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車両は1965年頃のGM風の視野拡大窓を持つ日野RB10(帝国ボディ)です。当時としてはかなりの大きさだった正面窓は、観光バスにももてはやされました。

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80s岩手県のバス“その頃”