絵葉書でめぐる日本バス紀行(愛知県)
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愛知県 愛知県は、中部地方の中心的存在の県で、県庁所在地の名古屋市は、中部、東海地方最大の人口を誇る政令指定都市であると同時に、日本の三大都市圏の一つである中京圏の中心都市です。
県土は、尾張地方と三河地方に分けられ、三河地方はさらに西と東に分けられます。東部の尾張地方は、名古屋市を中心に、知多半島も含むエリアです。西三河地方は岡崎市や刈谷市を含むエリア、東三河地方は豊橋市や豊川市を含むエリアです。
トヨタ自動車をはじめとした自動車産業が盛んで、伊勢湾に面した名古屋港や、三河湾に面した三河港などの港湾をベースとした工業地帯を多く抱えています。

尾張地方

名古屋市中心部
松坂屋名古屋店
松坂屋名古屋店

撮影時期:1930〜1933年

名古屋の松坂屋百貨店です。当時としてはかなり大きく、モダンな建物だったと思われる6階建ての百貨店です。大きく「綿布破格廉売」と書かれているほか、屋上には「夜間営業」のサインも掲げられています。
名古屋市営バスの運行開始が1930年で、葉書おもて面の記載内容から1933年までの発行。

菱形に八の字の名古屋市営のマークを付けたバスは、実際の色は濃えび茶色。20人乗りの1929年式シボレーで、二重屋根で前後に出入口のついた車体は大阪の梅鉢車輌製。(注1)

(名古屋名所)御幸本町通り
御幸本町通り

撮影時期:1930年代(1935年頃)

右のビルは「中村呉服店」、左のビルは「パラソル専門尾張屋本店」です。
築城当時は清洲本町と翔氏繁盛を極めたりしが、後本町、玉屋町と改称して豪商櫛比し商況最も活発となれり、昭和3年秋畏くも、陛下昿古の大礼を行はせらるるに当り行還幸御途次名古屋離宮に御駐軍遊さるる御順路となる。

後ろ姿のバスは、青バスと通称された名古屋乗合自動車のバスと思われます。1935年12月に市営バスに統合されています。

広小路通
松坂屋名古屋店

撮影時期:1940年代(1947年以後)

広小路通りを行く市営バス。歩道には露店も出ています。
右のビルは安藤証券、その隣の鉄筋コンクリートのビルには、レストランの看板も見えます。

2台の市営バスは、進駐米軍から払い下げを受けたダッジブラザーズ(1944年式)を、菱和機器製作所でバス車体を架装したもの。車両不足の中で、終戦後の1947年に調達したものです。

名古屋 広小路通
名古屋広小路通

撮影時期:1950年代後半

名古屋市の広小路通りを行き交う名古屋市営バス。中央に市電の線路が見えますが、電車は走っていません。
右側の建物は名古屋丸栄の本館で1953年に完成した建物。隣は富士銀行です。

右側のバスは名古屋市交通局で、民生「コンドル」RF91(1957〜59年式、富士重工)のように見えます。
左側で後ろ姿が見えているのは日野「ブルーリボン」のようです。

テレビ塔
観光バスで賑わうテレビ塔玄関
名古屋テレビ塔

撮影時期:1950年代(1954年以降)

1954年に名古屋市中心部に完成した名古屋テレビ塔に集う観光バス。
名古屋テレビ塔株式会社発行の絵葉書です。

手彩色なので、カラフルに塗られたバスの数々ですが、手前2台は本来赤と白の名古屋鉄道、奥2台は名古屋市交通局の市内観光バスだと思われます。
名古屋鉄道のボンネットバスはいすゞBX95(川崎航空機)、名古屋市営のボンネットバスは三菱B24B25だと思われます。

観光バス憩う−展望台からその足許を−
名古屋テレビ塔

撮影時期:1950年代(1953年以降)

非常に珍しいアイポイントの絵葉書ですが、名古屋テレビ塔の展望台から真下を眺めたもの。名古屋テレビ塔株式会社発行の絵葉書です。

手彩色なので、実際とは違う色付けになっています。5台並んだバスの中央には屋根にV字形のデザインが見えますが、これは三重交通の1953年以降のデザインで、本来は緑色。
上の2台は薄緑色ですが、側面のデザインから名古屋鉄道に見えます。もっとも屋根上の右側にのみ文字が書いてあるようです。6文字+5文字です。
下から2台目は天窓があるので、名古屋市交通局と推察しておきます。

観光客で賑わうテレビ塔玄関
名古屋テレビ塔

撮影時期:1950年代(1954年以降)

観光バスが到着し、名古屋テレビ塔の玄関が賑やかになります。

バスは名古屋鉄道の三菱R370(1958〜59年式、新三菱ボディ)だと思われます。

栄町附近とテレビ塔
名古屋テレビ塔

撮影時期:1950年代(1954年以降)

名古屋市栄町交差点付近からテレビ塔を望む光景。
右側の7階建てのビルはオリエンタルビルで、オリエンタル中村百貨店が1954年にオープンしていますので、それ以降の撮影です。なお、この百貨店は、後に名古屋三越となっています。

名古屋市営と思しきバスが2台。いずれも川崎ボディのボンネットバスに見えます。

栄町地下鉄入口・名古屋
栄町地下鉄入口

撮影時期:1950年代(1957年以降)

名古屋テレビ塔を背景に名古屋市営地下鉄の入口を配した絵葉書。
名古屋市の地下鉄は、1957年に開通しているので、それ以降の撮影です。

地下鉄駅の向こうを行くボンネットバスは、この時期には珍しい前後ドアのワンマンカー。名古屋市がワンマンカーを導入したのは1951年とのことです。
車両はいすゞBX95(1951年式、川崎ボディ)だと思われます。

名古屋テレビ塔
名古屋テレビ塔

撮影時期:1950年代後半

名古屋テレビ塔を正面から見たところ。すぐ下には観光バスが、手前の道路には路線バスが走ります。
100メートルのグリーンベルト上にそびゆる名古屋テレビ塔

名古屋市営のバスは日野BD30系列。中ドア専用シャーシです。

名古屋駅
名古屋駅
名古屋駅

撮影時期:1950年代前半

名古屋駅前に待機するたくさんのバス。5階建て一部6階建ての名古屋駅舎は堂々たる構えです。戦前型のタクシーがいる光景から、1950年ごろの撮影だそうです。(注2)

手彩色により様々に色づけされていますが、すべて名古屋鉄道のバス。手前がいすゞBX91、その次2台がトヨタBLだそうです。

名古屋駅
名古屋駅

撮影時期:1950年代前半

名古屋駅前に停車しているボンネットバス。
其の許容は東洋隋一の駅として近代設備は遺憾なく調い名鉄電車線、近畿日鉄線共連絡して日々数十万の旅客を送迎して居ります。

名古屋鉄道のボンネットバス。茶色ベースですが、実物の色は違うのではないかと思います。
ボディは前面窓がパノラミックウィンドウになっています。

名古屋駅
名古屋駅

撮影時期:1950年代(1952〜54年)

名古屋駅前に停車中のボンネットバス2台と、色とりどりの自動車。手彩色なので、実物の色はよく分かりません。
名古屋駅の向こうに建設中のビルは名鉄百貨店。名鉄百貨店が設立されたのが1952年で、開店が1954年なので、その間の撮影と思われます。

手前のバスは三重交通で、いすゞBX352でしょうか。車体は、側面最後部窓などの形状から、新日国ボディと思われます。

名古屋駅
名古屋駅

撮影時期:1950年代(1954年以降)

名古屋駅前の風景。
1954年に開店した名鉄百貨店がすでに営業中です。

手前のバスは名鉄バスのボンネットバスでしょうか。その向こうのブルーの3本ラインのバスは三重交通で、民生「イーグル」のようです。

名古屋駅
名古屋駅

撮影時期:1958年

名古屋駅前2番のりばでバスに乗って帰途につく勤め帰りの人たち。半袖姿の人が多いので夏の写真。正面の名鉄百貨店の懸垂幕広告に「二都物語」の宣伝が見えるので、イギリスの同名映画が日本で公開された1958年の撮影と思われます。

バスは2台とも名古屋市交通局で、手前のバスは日野「ブルーリボン・マイナー」BK30(1956〜57年式、新日国工業)。
後ろ側のバスはよく分かりませんが、この年代で既に系統幕がついているのが分かります。

名古屋駅
名古屋駅

撮影時期:1960年代前半(1962年以前)

日々数十万の乗降客を呑吐する陸の玄関で、殊に朝夕のラッシュ時は人出夥しくこのあたり高層建築物が軒を並べている、私鉄の名鉄、近鉄のターミナルであると同時に市電、市バス、地下鉄或は近郊バスの交通上要点として重要である。

左側に並ぶバスのうち、最も手前のバスは三重交通でいすゞBA351(1957〜58年式、新日国ボディ)でしょうか。本来は青色帯になるはずです。
その奥3台は名鉄バスですが、手前から、トヨタDR10(1959〜62年式、三菱ボディ)、日野BD34、三菱MR370(1959〜62年式、三菱ボディ)だと思われます。
ナンバープレートが黄色なので、1962年以前の撮影。

名古屋 駅前通り
名古屋駅前

撮影時期:1960年代前半

名古屋駅前の光景。まだ市電も健在です。手前の駐車スペースに三重交通や東濃鉄道のバスが待機、左の方で駅を発車して行くのは名古屋市営バスですが、中ドアのツーマンバス。

手前の三重交通と東濃鉄道のバスはいすゞBA741(1961〜64年・川崎航空機)。

名古屋 駅前通り
名古屋駅前

撮影時期:1960年代後半(1968年以降)

夜の名古屋駅広小路口。左のビルには「毎日新聞中部本社」と「ホテルニューナゴヤ」のネオンサインが見えます。

左端のバス停に停車中のバスは、名古屋市営バス。前後ドアで赤帯のワンマンカーです。

犬山
犬山 成田山名古屋別院
犬山

撮影時期:1960年代中盤(1963年以降)

犬山市の成田山名古屋別院の駐車場に停車中の観光バス。名鉄系の名古屋観光です。

名古屋観光バスは三菱MAR470(1963〜64年・三菱ボディ)。

三河地方

西三河
岡崎市 矢作川
矢作川

撮影時期:1950年代前半

東海道五十三次の中でも名橋と言われる矢作橋を渡るボンネットバス。前ドアで大柄なバスなので貸切バスでしょうか。
矢作橋−日吉丸と蜂須賀小六との奇遇で有名。東海道有数の名橋。日本武尊東祉のみぎり、矢を作り給いし場所としても知られている。

ボンネットバスは独特な塗り分けですが、本来はもっと赤みが強い名鉄バス。三菱B25(1950〜54年式・新三菱ボディ)と思われます。

東三河
大豊橋の玄関口
豊橋駅

撮影時期:1930年代

写真左に張り出した屋根が豊橋駅舎。和服姿の女性が談笑する中、セーラー服の女性が傘を持って横切ります。
駅前広場右側の建物は、高松、玉川、二俣などへの「乗合自動車」のりばになっており、天丼、寿しなどの食堂でもあります。「ツル正宗」「サッポロビール」の大きな看板もあります。
写真中央の奥に見える建物は、「豊橋合同運送株式会社」の看板があります。
近代的建築物の立並び車馬輻輳して狂奏を織る駅前

3台のバスのうち、中央の車両には「豊橋自動車株式会社」の文字があります。

新箱根景勝ヲ疾走スル愛電観光バス
愛電観光バス

撮影時期:1930年代(1935年)

1934年に木宿〜蒲郡間に開通した県道を行く愛電自動車のバス。1935(昭和10)年4月からバスの運行を開始した同社は、山上の景観が箱根に似ていることから、ここを新箱根と名付けたそうです。
表側に「10.4.7」の日付が入る本宿駅の記念スタンプが押されていることから、運行開始間もない時期の絵葉書です。

バスはこの路線のために特注した流線形バスで、米国レオのシャーシに日本自動車でボディを架装したもの。定員21名で、、アメリカから輸入した上質皮を用いたシートを取り付けた豪華な車両だったそうです。(注3)

新箱根
県立公園蒲郡 新箱根鉢地坂トンネル
新箱根

撮影時期:1950年代

蒲郡から本宿駅に向かう路線バスが、新箱根鉢地坂トンネルの手前で行き交う光景。
下闇や紀のくにすげは実となりて
煙浪

(注4)

バスは名古屋鉄道で、手前は後部4枚窓の梁瀬ボディ、奥はいすゞBX

豊橋駅前
豊橋駅前

撮影時期:1950年代前半(1950年以降)

豊橋駅前の光景。豊橋駅舎は空襲で焼失しましたが、これは1950年に民衆駅として完成した新しい駅舎です。
駅前広場には大勢の歩行者と2台のバスが、駅構内からは蒸気機関車の煙が上がります。

2台のバスはともにボンネットバスのようです。前側のバスは、後面にタイヤを背負っています。後ろ側のバスは後面窓が4枚という独特の配置は梁瀬ボディのようです。

渥美半島
三河湾国定公園 伊良湖畔
伊良湖畔

撮影時期:1960年代後半(1966年以降)

伊良湖港で伊勢湾フェリーの「鳥羽丸」に乗り込む観光バス。フェリーには「伊勢・志摩・鳥羽へ60分」と書かれています。
手前右端のスバルサンバーが2代目(1966年〜)なので、この写真もそれ以降。

観光バスは鳥取県の日本交通の三菱MAR870(1963年〜・三菱ボディ)のセミデッカー。

伊良湖岬 フェリーボートと水中翼船
伊良湖畔

撮影時期:1960年代後半

伊勢湾フェリーの「伊良湖丸」から降りるバスと乗客たち。その向こうには水中翼船も。

名鉄カラーの観光バスは岡崎観光。三菱MAR(三菱ボディ)です。

伊良湖港湾観光センターと伊良湖港
伊良湖畔

撮影時期:1970年代前半

伊良湖港湾観光センターから伊勢湾フェリーが出港してゆきます。渥美半島の突端にあり、海岸線の向こうに見えるのは、立馬崎灯台です。
 車両画像を拡大

バスが3台停車中ですが、いずれも豊橋鉄道で、三菱B805Mのようです。
手前は前ドア車で、途中に窓柱が太い箇所があります。一番前は名鉄カラーで三菱ボディです。

発行:TOKOSHA
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(注1)
名古屋市交通局(1972)「市営五十年史」P.189
(注2)
満田新一郎(2005)「昭和30年代バス黄金時代」のP.95にこれと同じ絵葉書が掲載されている。その記述を参考にした。
(注3)
名古屋鉄道(1961)「名古屋鉄道社史」のP.432の記述に基づく。
(注4)
坂田哲彦(2010)「昭和30年代のバス」のP.70にこれと同じ絵葉書が掲載されている。蒲郡海岸〜新箱根〜本宿駅間の新箱根線とのこと。
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80s岩手県のバス“その頃”