日本国有鉄道の歴史に幕(1987.3.31)
国鉄最後の日
私は、この日を盛岡駅で迎えました。最終新幹線や夜行急行「八甲田」を見送った後、盛岡駅を出て家路に着くことにしました。盛岡駅構内では、カウントダウンが始まっています。駅前の時計が11時59分から12時00分に変わったとき、大きな歓声が聞こえ、花火が上がりました。
国鉄が赤字に転落したのは、東海道新幹線の開業に沸いた1964年のこと。航空機や自動車といった競合交通機関が市民権を得始めた時代でした。高度成長から低成長へと時代が変わる中、国鉄の赤字幅は拡大を続け、その再建が国政の課題になります。
国鉄の経営破たんの原因は、経営の自主性に乏しい公社制であることと、合理性を欠いた全国一元組織であった点などに集約されます。そこで、1984年、公社制や全国一元組織から脱却し、効率的な経営を目指すため「分割・民営化」する方針が打ち出されます。
こうした「国鉄改革」の結果、1987年、日本国有鉄道は姿を消しました。
その夜
上野行最終列車
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撮影:盛岡駅(1987.3.31)
東北新幹線上野行の最終便は、正面に大きく「サヨナラ国鉄」と動輪マークがペインティングされていました。
「やまびこ号」としては、国鉄最後の盛岡発の列車ということになります。
花束贈呈
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撮影:盛岡駅(1987.3.31)
ミス盛岡から最終列車の乗務員に花束が贈呈されます。
ここ盛岡駅を撮影ポイントに置いたカメラマンは、プロもアマも含めて大勢いました。
最終新幹線発車
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撮影:盛岡駅(1987.3.31)
20時13分、最終「やまびこ号」が発車ベルとともにゆっくりと動き出します。この列車は31日中に終点の上野駅に到着します。
ミス盛岡も列車を見送ります。
急行「八甲田」
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撮影:盛岡駅(1987.3.31)
次に在来線のホームへ降りて、盛岡発の本当の最終列車である夜行急行「八甲田」上野行を見送ります。
この日は、「謝恩フリーきっぷ」の発行と国鉄列車内での“年越し”をする愛好家の影響で、盛岡到着時にかなりの混雑になっていました。
盛岡駅停車時に、ホームの自動販売機で飲み物を調達するにも長い列が出来ていました。
さよなら国鉄
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撮影:盛岡駅(1987.3.31)
新幹線ホームの屋根に吊り下げられた看板。115年の歴史を惜しむ文字が並びます。
国鉄の盛岡鉄道管理局も、明日からは東日本旅客鉄道の盛岡支社に名前を変えます。