画像掲示板 過去ログ

過去の掲示板の内容を,そのまま掲載しました。
追加の書き込み・編集・削除等は出来ませんのでご了承下さい。

更新後記(2021.3.19)

#2222名前:管理人時刻:2021-03-19 22:38:27

いすゞへの統一が急激に進んでいた盛岡市内に、少数派の日野車と三菱車が紛れ込んでいました。
それらが県南バスエリアからの転入車だと分かってきた、というような話をアップしました。
もっとも、このページは再掲で、サイトを始めた初期の頃に車両ギャラリーにアップしたものの、サイトスタイル修正のどさくさに紛れて消してしまっていました。
どのような経緯で県南エリアから盛岡に移動したのかは定かではありません。しかし、私の目の前でも、東和にいた日野車が、遠野にいたいすゞ車が、路線合理化などのあおりを受けて、盛岡市内に移ってきたりしていました。多分、同じようなきっかけだったのでしょう。
この写真は、滝沢営業所配置の日野車の1両です。「茶畑行」や「市立病院行」など、盛岡駅を経由しない系統に充当されることが多かったと記憶しています。

Re:更新後記(2021.3.19)

#2228名前:かれん時刻:2021-03-27 01:01:08

おばんです

県南仕様は松園地区ではあまり縁がなかったのですけど 八幡宮や茶畑の辺りで(都南・青山町絡みで)割と見かけましたね
でもその中の818号は茶畑行きでは見かけなかったような気がします
むしろ県体・駅経由バスセンター行きという主要路線で見かけた方が多かったです

それと818号をはじめとする日野REはドアブザーが電磁大光だったのが印象的です。
改めてその音を聞いたところけたたましい音だなというのが感想です。
確か同時期のCCM410やBU10にはツーマン用のブザーとして装備されてましたが使われることはなかった模様です。

あと遠野のBUは905号以外は都南に配置されましたね。
見かけることはあっても結局乗れずじまいでしたが。
他には同型903号も都南に来てましたがこれも遠野だったのでしょうか??

Re:更新後記(2021.3.19)

#2230名前:管理人時刻:2021-03-27 21:04:01

かれんさん、こんばんは。
905以外の似たようなナンバーも、元遠野です。
1986年に早池峰バスの開業で、余ったBU04がまとまって盛岡市内にやってきました。
都南に配属になった車両のナンバーは失念していますが、以前にも、掲示板に書き込み頂いて、昔の記憶がちょっとだけ戻ってきています。
905だけなぜ滝沢に来たのかはよく分かりません。当時、滝沢営業所と言えば、こういう異端車がよく紛れ込んでいたので、不思議にも思わなかったんですが。
「同じ形だからわざわざ撮らなくてもいいや」と思ってカメラを向けなかったことは、今思うと残念です。

Re:更新後記(2021.3.19)

#2232名前:53時刻:2021-03-28 16:28:49

こんにちは

907号は都南のようですね 写真ありました。
当時わたくしもこのあたりのバスは撮影対象外だったのですけど、たまたま907の左横にバスが止まってなく、前面と側面が撮れると思い写した記憶あります。93年9月

Re:更新後記(2021.3.19)

#2235名前:管理人時刻:2021-03-28 18:13:10

元遠野車の写真も撮られていたんですね。
さすがに盛岡市内に来て7年もたっているので、汚れが出てきていますが、来たばかりの時はホワイトが輝く新車並みの美しさでした。遠野営業所の手入れが良かったんでしょう。
それまで県南タイプのBU04は滝沢の731だけだったのに、急に仲間が増えた1986年の想い出が、よみがえってきました。
この写真(別スレッドの秋北バスも)、本文に掲載させてもらうかも知れません。

Re:更新後記(2021.3.19)

#2238名前:管理人時刻:2021-03-29 20:49:12

53さんから頂いた「907」の写真を、本文の大東営業所「904」の写真と差し替えさせていただきました。
また、2002年にこの県南スタイルのページを最初にアップした際、掲示板に寄せられていたコメントを参考に、説明書きも追記しました。
905は滝沢営業所ですが、906〜908は都南営業所に来ていたそうです。
また、大東営業所からは、903が都南営業所に来ていたそうです。
私が大東営業所で撮影した904だけは、来なかったようです。

Re:更新後記(2021.3.19)

#2239名前:かれん時刻:2021-03-29 22:16:35

なるほど。903号は大東からの転入だったんですね。
確か大東も遠野と同じく廃止代替路線がメインでしたから「その頃」ではまだ営業所が残っていましたけど、昭和が終わった頃に県交通が撤退してしまい町営バス移管はやむなしだったのですかねぇ。

確か大東は遠野と異なり分社せず町営バスという形になったようですけど、果たして経営等が成り立ってたのかどうか今更気になりました。

>>53さん
907号の画像ありがとうございます
国際のBUと違ってなんとなくスタイリッシュな雰囲気を醸し出してますね

あと方向幕のフォントも松園営業所移転の頃と同時期に制作されたもので、今のLEDとは異なる優しさが伝わってきました
(おそらくフォントは一般では市販されていないナールと推測しました)

Re:更新後記(2021.3.19)

#2243名前:オペレッタ601号時刻:2021-04-03 07:05:44

盛岡市内で活躍していた県南スタイルの車輌、特に日野車・三菱車を見たときには非常に驚いた記憶が残っています。
特にREの岩22か722は元は北上の車輌で、青銀カラーに塗り替えられて矢巾に転出したのは、実はわかりませんでした。
当時は旧中央・花巻・県南とも後付けワンマン機器・他もそれぞれ違っていたので、わざわざ全部交換しなければならないようなエリアを跨いだ広域移動をするメリットは無かったのでしょうが、遠野のようなケースがあったんですね。

旧県南タイプと旧中央タイプ、外見はそれぞれに短尺と長尺、側面方向幕の有無という違いがありますが、内装に関してはベージュ色の天井・緑色のビニールの座席・白い腰板など共通部分も多かった記憶があり、乗る側にしてみればあまり違和感が無いようにする配慮だったのかもわかりません。
今回のような旧県南→旧中央の転属はあったものの、旧花巻→旧中央(旧花巻バス車輌の盛岡エリアへの移動)、旧県南→旧花巻といったエリアを跨いだ転属の記憶は無かったと思いましたが、例外としてだいぶ以前にお話したごく一部の花巻バスカラー、金産のRE100が花巻→旧県南の北上というケースもありました。但しこれは花巻と北上で共管路線も多かったという事情なのかも知れませんが…

余談ですが、旧中央タイプで全エリアで大量に導入された1978〜1979年式のBU10に関しては旧中央→旧県南の移動、盛岡地区の何処からかはわからないが、北上営業所へ岩22か1386〜1388の3台が移動した事例があり、同じボディのBU10でも旧県南エリアに配属された車輌の車内スピーカーは丸型でベージュ色のクラリオン製だっだ事に対し、この3台を含む旧中央エリアに配属された車は丸型換気扇みたいなネプチューン製という一部のワンマン機器に違いがあったことと、ボディの微妙な汚れ具合の違いから、乗ったときは「盛岡からの転属だな?」とわかってしまったものです(笑)。

参考までに、今回の県交通自社発注車のドア開閉ブザーは旧県南の1973年式あたりからは森尾電機製の高音電子ブザー、しかもやわらかい音色だったので、「電磁大光」は後から交換されたものと推測します。因みにこの「電磁大光」は元神奈中車を中心にかなりの数が付いていたと記憶していましたので…

長文失礼しました。
http://ihatovbus.mints.ne.jp/index.html

Re:更新後記(2021.3.19)

#2245名前:管理人時刻:2021-04-03 18:17:01

オペレッタ601号さん、こんばんは。
県交通になってからの発注車でも、ワンマン機器には地域ごとに違いがあったんですね。
整備する側の事情もあったでしょうし、業者との付き合いもあったでしょうし、そう簡単に機器統一はできないのでしょう。
BU10の1386〜1388が盛岡から北上に移動したというのは初めて知りました。盛岡市内では、最も新しい車両だったのに、どうして手放してしまったのでしょう。
県南エリアから盛岡地区への移動車両は、当時比較的新しい車両が多かったので、盛岡地区の車齢若返りを意図していたのかと思っていたんですが・・・。
ちなみに、その続き番号の1389は確か滝沢に1両だけいた1300番代でしたので、もしかして移動した3両も滝沢車でしょうか。微妙な汚れ具合というのが、滝沢の特徴でしたので。

それにしても、このような当時のコアな事実をご存じというのも、貴重なことだと思います。
年齢からして、生き字引と言ってしまっては失礼かもしれませんが、実際に見ていた方でないと知らない情報ですから。

Re:更新後記(2021.3.19)

#2247名前:53時刻:2021-04-04 09:52:19

こんにちは

>>ボディの微妙な汚れ具合の違いから、乗ったときは「盛岡からの転属だな?」
>> 微妙な汚れ具合というのが、滝沢の特徴


僕だけではなかったのですね納得いたします。

769元中央バス 731元県南バス 2383元国際バス
769は塗りたてでしょうか綺麗です。

前エプロンの 三陸・海の博覧会準備中” って(笑)

Re:更新後記(2021.3.19)

#2249名前:管理人時刻:2021-04-04 11:10:13

さんりく・海の博覧会は、1992年に開催されたようですね。
「準備中」を剥がせば「開催中」になるんでしょう。

731は、“その頃”には、県南カラーから塗り替えて間もないからか、比較的綺麗な滝沢車だったのですが、だいぶ馴染んできていますね。
2383は1986年の転入で、769は1985年に県交通カラーに塗り替えられているので、あまり変わらない(769の方がちょっと早い)のですが、769の方が綺麗なのはなぜでしょう。

769が岩手中央バスカラーから県交通カラーに塗り替えられたばかりの綺麗な写真をお見せします。

Re:更新後記(2021.3.19)

#2250名前:管理人時刻:2021-04-04 11:14:14

上の写真を探していたら、県南スタイル・日野RE100の818が走る写真も見つけました。
雪の県庁前を行く県交通の車両群で、818は右側面に「やぐら寿し」のべた書き広告を付けています。
行き先は「岩手高校経由」なので、やはり私がいた頃は、茶畑もしくは市民病院系統に使われることが多かったのだと思います。
1986年3月の撮影です。

Re:更新後記(2021.3.19)

#2251名前:53時刻:2021-04-04 18:07:59

準備中をはがして開催中 なるほどです。

769の画像ありがとうございます。ピカピカで良いですね。
REの写真も良いですね。BU4台写っています。わたくしバス単体の写真ばかり撮っていて風景とバスとか、街中を数台のバスが走っている写真あんまりないです。

そろそろ廃車?とか盛岡、滝沢仕様などにカメラを向けてました。
1236号もそろそろ引退の頃だと思われますが…94年8月

Re:更新後記(2021.3.19)

#2252名前:オペレッタ601号時刻:2021-04-04 21:57:43

おばんでございます。

そうそう、盛岡エリアから転入したBU10の自分が見た汚れ具合は↑これに近い感じでした。但し滝沢の車かどうかは確信が持てませんでしたが…旧中央はどこも黒ずんでいた印象でしたが、滝沢は何となく赤いような感じもしましたね。
自分の記憶によれば車体の汚れ具合と広告で所属営業所の見当が大体ついてしまう感じでしたし、汚れ具合は「旧中央>>旧花巻>>旧県南」といった感じで南下するほど綺麗になっていくような…特に水沢の車は綺麗な状態が保たれていて青銀カラーの良さが引き立っていた感じでした。ちなみに行く手段が無かった遠野・釜石・大船渡などはどのような感じかはわかりません。

旧中央から北上に新しめのBU10が転属したのは、推測ですが、当時は見た目にも古かった(失礼)元神奈中の「なんちゃって花巻バスカラー」も残存していて、盛岡地区同様、花巻・北上地区の若返りも急務だったからかもしれません。

私の場合、当時のバスの写真はほとんど撮っていなかったのが悔やまれますが、その分脳裏に焼き付いている部分も多く、このように写真をサイトとして残していただいたりとか、掲示板やコンテンツでその写真が見られて掲示板での交流によりかつての記憶が蘇ってきたりしたので、感謝しなければ…と思っています。

Re:更新後記(2021.3.19)

#2253名前:管理人時刻:2021-04-04 23:28:01

こんばんは。
盛岡市内でも、特に汚れが激しかったのが、滝沢営業所と紫波営業所だったと思います。
黒石野(松園)と矢巾は綺麗でした。河南(都南)も綺麗な方でした。
ここで添付した写真は、紫波営業所のBU10です。どうして汚いのかは分かりませんが、私は、洗車に使う水の質が原因ではないかと思っていました。水垢が付きやすい井戸水なのではないかと。水道管ややかんに白いものがこびりつくのと同じ原理で。

花巻バスエリアでは、花巻営業所が、汚れが目立った気がしています。
県南バスエリアでは、釜石営業所が、独特な退色があったように思います。

Re:更新後記(2021.3.19)

#2254名前:53時刻:2021-04-05 21:13:06

こんばんは
1983年にはもう盛岡地区から北上営業所に転属なったのですね。この車はきれいですね。
1983年8月北上営業所

Re:更新後記(2021.3.19)

#2257名前:53時刻:2021-04-07 21:27:09

こんばんは
このスレットの真ん中辺りのネタに出てきた元遠野900番台のバスですが、元国際BU非冷房車と共に1994年8月頃廃車になったようです。

矢巾営業所廃車置場にて
塗る前のCLMの横は岩手22き86、岩22か903

他に元ヤサカのパノラマジェット、元はとバスTDAカラー、700番台の元中央バスなどが置いてありました(画像あります)

Re:更新後記(2021.3.19)

#2259名前:管理人時刻:2021-04-08 20:49:16

こんばんは。
1994年には廃車になったんですね。冷房車が転入してくる時代になれば、仕方ありません。
17年間は生きられたので、良しとしますか。当時は、20年使えば“超”長生きという時代でしたから。
パノラマジェットやはとバスTDAは、私がいた頃に次々と転入してきて、中距離バスの顔ぶれを塗り替えていった頼もしい車両たちでしたが、やはり岩手県交通では10年と生きられなかったんですね。
その写真も見たい気がします。

Re:更新後記(2021.3.19)

#2260名前:時刻:2021-04-09 12:32:36

こんにちは。
少し話が逸れてしまって申し訳ないですが冷房車の話が出てきたのでお聞きしたいです。当時の国際興業では、非冷房車の窓ガラスは透明、冷房車は青色に着色されていたのを覚えています(冷改車除く)が、これは国際独自の仕様なのでしょうか。確かキュービック時代まではずっと青ガラスが続いていたように思いますが、T字窓になると事業者によっては茶色っぽいガラスを採用する例も出てきましたので、選択肢は増えたのかなとは思います。

Re:更新後記(2021.3.19)

#2262名前:管理人時刻:2021-04-11 21:34:14

1970〜80年代には、冷房車が青の窓ガラスというのは、珍しくありませんでした。車内の冷気を日差しから守るためでしょうか。

ところで、4月3日のオペレッタ601号様の書き込みにある
>>旧県南→旧花巻といったエリアを跨いだ転属の記憶は無かったと思いましたが、
の件ですが、花巻営業所の岩22か434(元岩手県南バス)が、青銀カラーになっていました。
これは、県南バスエリアから花巻バスエリアに移ったための塗り替えかな、と当時思っていたことを思い出しました。

Re:更新後記(2021.3.19)

#2263名前:53時刻:2021-04-11 23:06:35

こんばんは

旧県南?旧花巻塗り替え青銀車はいすゞも存在してたみたいですね。  左リアのルーバー下半分が赤く見えます。
1984年花巻営業所

Re:更新後記(2021.3.19)

#2264名前:オペレッタ601号時刻:2021-04-13 06:59:29

旧県南→旧花巻への転属組もいたということですね。どうやら自分の頭のHDDには入りきらなかった車輌たちもいたことになります(笑)。
写真を見ると、特に1973年式のBUは正面から見ただけでは元国際興業の車輌と区別がほとんどつかないですね。しかも元県南のBUはナンバープレートの位置も国際興業のBUと同じですが、内装をよく見ると前に述べた「県南仕様」なのですぐわかりますよね。
また、ガラス越しに見える旧花巻仕様のシルバーの運賃箱(メーカーわからず)も懐かしいです。
ちなみに旧県南仕様の青色の運賃箱(小田原機器製)は100円硬貨を入れて両替すると「ドン!ジャララランッ!」と賑やかな音で10円硬貨が出てくるのに対し、「旧花巻仕様」は「チャラララ〜ン、トン」と、比較的静かに硬貨が出てきたものです。

見て懐かしくなったので、思わずかなり細かい話になり、大変失礼いたしました。
http://ihatovbus.mints.ne.jp/index.html

Re:更新後記(2021.3.19)

#2265名前:53時刻:2021-04-13 16:32:17

こんにちは

>>ガラス越しに見える旧花巻仕様のシルバーの運賃箱 とか
凄い記憶ですね 確かにわたくしもこの時代の記憶がいろいろ蘇ってきたのです。今回の434…の話題??就寝前に、俺も撮った覚えがある、他にも400番台のBUを花巻で撮ったっけな〜と思い写真探したら、出てきたのです。
 すぐに掲示板投稿

管理人様
あまりいい写真ではないのですけど1994年8月撮影のパノラマジェットとTDA2450の写真投稿します。2450は93年8月にもこの場所で撮影してました。窓に貼り紙があり、部品が外されていないので、この後売却されたのでしょうかね?
でも廃車体での目撃情報がないですね。

ページ上部へ戻る
メニュー

80s岩手県のバス“その頃”