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更新後記(2021.2.20)

#2211名前:管理人時刻:2021-02-20 17:15:18

こんばんは。
今回は、県交通の特急バス「うみねこライン」を再現してみました。
新幹線リレー特急バスをメインとした内陸と沿岸を結ぶ特急バスの愛称です。
しかし、今更ですが写真を見直して気付いたのですが、どこにも「うみねこライン」とは書いてありません。 では「うみねこライン」だという認識はどこで生まれたのか・・・。
当時、バスの看板の先頭にあるうみねこのマークが、特急バスが停車するバス停標識に、ついていたのを覚えています。多分、そこに「うみねこライン」の文字があったんでしょう。
残念ながら、当時、バス停の写真を撮るなどという余裕が(心にも財布にも)なく、写真は残っていません。短期間だったためか、Webや書籍にも画像はほとんど見られません。
もし、お持ちの方がいたら、是非お教えいただきたいな、と思います。

Re:更新後記(2021.2.20)

#2212名前:とまります時刻:2021-02-21 22:38:33

こんばんは。
「うみねこライン」の看板は釜石−盛岡・北上しか見たことがなかったと思うのですが、どこか誇らしげで空港線のTDAカラーとともに「県交通なのにカッコいい!」と思っていました。
バス停のうみねこマークの件ですが、マークの下に運行区間(盛岡−釜石、盛岡−大船渡など)と書かれていたような気もするのですが、記憶違いかもしれません。

TBSテレビ「そこが知りたい・日本全国各駅停車路線バスの旅」の書籍版(二見書房)で、東北縦断の回の127ページに北上−釜石の車両が載っています。
画像では分かり難いのですが本のほうをよく見ると、リアのプレートに「釜石特急」と書かれています。
「東北縦断」は86年の3月にIBCで放送されたと記憶していますが、放送直後に北上駅で実物の北上−釜石線を見たとき、うみねこラインの看板よりもふそう車だったが驚きでした。
番組を見たときには気付かなかったのですが(当時我が家にはビデオが無かった)、2ドアのふそう車ですら姿を消しつつある頃になぜふそう車?の疑問が強かったですね。

Re:更新後記(2021.2.20)

#2213名前:とまります時刻:2021-02-21 22:54:04

画像をクリックで拡大
連続投稿失礼します。

交通公社の『旅』89年5月号の特集「今、バス旅がおもしろい!」の「全国主要中・長距離バス運行データ一覧」で、大船渡−一関の愛称欄に「特急トンボロ」と記載されています。
某バス研究家の方が資料を提供されているのですが、別の路線と間違えたのか30年以上それとなく気になっています。

Re:更新後記(2021.2.20)

#2214名前:管理人時刻:2021-02-22 22:12:46

とまりますさん、こんばんは。
バス停標識の丸いマーク、確かに複数の路線が走る区間では2行になっていた記憶があるので、運行区間が書いてあったのかも知れません。
じゃあ、マークの上に「うみねこライン」と書いてあったのか・・・。

写真のように、北上〜釜石は、前面にも「釜石特急」と表示していました。
一ノ関〜気仙沼も「気仙沼特急」と書いてあった気がしますが、その時の写真はありません。
で、釜石特急のふそう車については、当時国際興業本体と疎遠になっていたとか、大株主の北海道いすゞとの関係とか、過去に色々書いてきたので、ここではあえて割愛します。

私としては、釜石特急にも気仙沼特急にも愛称をつけてほしかったし、大型看板もいつまでもつけていてほしかったけれど、夢は叶いませんでした。

「特急トンボロ」ですか。
一ノ関〜気仙沼が大船渡まで延伸になったのは、私が岩手県を離れるころなので、この目で見てはいません。
でも、この目で見ていない人は「うみねこライン」の名前も、「特急はまなす」の名前も信じてもらえないと思うので、人のことを疑うのは一応やめようと思います。
ただ、気仙沼や大船渡にトンボロはあったのでしょうか。海岸線なので、それっぽい地形はたくさんあったのだとは思いますが。
どうせなら、「特急フィヨルド」とかもあって良かった気もします。北リアス線があるくらいですから。

Re:更新後記(2021.2.20)

#2242名前:53時刻:2021-04-02 18:27:18

こんばんは

>> 一ノ関〜気仙沼も「気仙沼特急」と書いてあった気がしますが、その時の写真はありません。

前面看板にうみねこの絵と気仙沼特急と書かれている写真ありました。
翌年岩手を訪れた時には赤い文字で大きく特急と書かれた看板に変わってしまったようなきがします。
僕的には写真に写っている看板の方が良いですね。
1983年8月

Re:更新後記(2021.2.20)

#2244名前:管理人時刻:2021-04-03 18:03:01

53さん、こんばんは

やっぱり最初は大型看板だったんですね。
釜石特急の三菱車は、最後までこのサイズでしたが、方向幕の下に収まっていました。一方、気仙沼特急のいすゞは上にはみ出しちゃうのがいけなかったんでしょうか。フロントガラスの前に飛び出ていると、視界を遮る可能性はありますので。

それでも、外野としては、この大きな看板の方が魅力的ですね。

Re:更新後記(2021.2.20)

#2256名前:53時刻:2021-04-07 21:01:21

こんばんは
余談ですが看板ネタで、1983年8月頃、一ノ関の定期観光みちのく古都めぐりコースに使用されたバスは元県南バスの三菱でした。

Re:更新後記(2021.2.20)

#2258名前:管理人時刻:2021-04-08 20:43:43

こんばんは。
呉羽ボディのB8も看板付になっていたんですね。
それと、この車両(1971年式)が冷房車だったことを初めて知りました。
1年古い1970年式(岩2く1632)は花巻や東和で出会っているのですが、非冷房でしたので、これも非冷房だと思い込んでいました。よく見ると窓配置がちょっと違いますね。

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