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更新後記(2020.11.1)

#2160名前:管理人時刻:2020-11-01 15:51:26

久しぶりに岩手県に足を踏み入れました。
盛岡駅前では、写真のような光景が見られました。
そういえば、30数年前、初めて盛岡駅に降り立った時にも、この色が旧カラーで、駅前を発着していました。もちろん、その時の「新カラー」は青と銀と白の岩手県交通カラーだったわけですが。

今回、手元の資料を穴が開くほど眺めてみたら、1976(昭和51)年6月1日の岩手県交通成立から半年以上の間、盛岡地区に入った車両は、すべてこの色だったようです。つまり、すべてが国際興業からの中古車だったわけです。
一方、県南エリアには、早くも8月には青銀カラーの新車が入り、中古車も同じ時期に青銀カラーに塗り替えられて納車されています。
この格差は何なのか。理由の一つには、前回の更新で掲載した県南バスの貸切カラーを見ると想像がつきます。
また、昔読んだ合併前後の岩手日報の記事を思い出すと、もう一つの理由が分かるような気がしました。

Re:更新後記(2020.11.1)

#2161名前:オペレッタ601号時刻:2020-11-10 23:52:05

おばんでございます。今回の企画に際して、自分の記憶も振り返ってみたいと思います。(長文失礼します)

確か小学校に上がったばかりの頃で、当時から鉄道・バスに対する興味が旺盛であり自宅や図書館にある「のりもの図鑑」もよく見ていたのですが、「この間盛岡で見たバスと同じカラー(国際興業)だ」「普段通学で乗っているバスと似たような色だ。しかし帯の色が違う(山吹色)」などど、図鑑の世界と現実の世界の境目がなくなりつつ、とても不思議な感覚でした。
幼かったその当時の自分はまだ「中古車」という概念が無く、普段乗っていたバスも最近入った車輌なのにお世辞にも綺麗とは言えないボディと車内、しかも退色し色褪せた赤いビニールの座席は何故なんだろうと、考え込んだものでした。
その後、我が家の車が「中古車」によって代替されたため、普段乗っているバスも「中古車」であることがようやくわかるようになり、今思うとそのときから自分にとっての「とんでも鑑定団?」の始まりとなりました(笑)。花巻バス本社に留置されていた帯色が山吹色で整備前の車(社名表記部分は剥がされていた)…「図鑑で見たカラーと同じだ!」。さらにその後、通学時に乗った「花巻バス・譲受車・ワンマンバスカラー」車輌、いつもの通りすし詰め状態で身動きの取れない車内で何の気なしに視点に入った中扉上部の「乗車約款」、その長文の最後には「神奈川中央交通株式会社」・・・「神奈川で使っていたバスだ!」。図鑑の写真の謎が解けた一瞬でした。

今回のバスカラーの変遷・バラエティを見ていると今まで気が付かなかった細かいところの違いもあり、改めてふり返るいい機会だったと思います。

http://ihatovbus.mints.ne.jp/index.html

Re:更新後記(2020.11.1)

#2162名前:管理人時刻:2020-11-11 22:32:19

オペレッタ601号さん、こんばんは。
リアルでこれらの時代を見ていたんですね。
新しく入った車両なのに、すり切れた座席・・・その疑問、よく分かります。
車内の張り紙というと、先月盛岡に行ったとき、三菱ふそうのバスに乗ったら、中ドアに「ICカードは乗車時と下車時にタッチしてください」(だったかな?)というシールが貼ってあり、「Suica地域カード、もう入ったんだっけ??」と思ったら、最後にPASMOとか書いてありました。
こんなのを見て、とんでも鑑定談を地でやっていた30数年前を思い出して、苦笑いしました。

国際興業や神奈中のバスの載った図鑑とやらも魅力ですね。小田急バスなら羽後交通に、都営バスなら岩手中央バスの色違いに見えたことでしょう。

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80s岩手県のバス“その頃”