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更新後記(2019.10.25)

#1979名前:管理人時刻:2019-10-25 21:27:33

しばらく寝かせてしまった写真ですが、群馬県の国鉄バスの廃車体などをアップしました。
このエリアには、知られた廃車体がいくつかあり、そういったものに出会うことが出来ました。
ここで上げた写真は、高原エリアにあるグランドの休憩室のような目的で置かれたと思われる元国鉄バスです。
ちょうど国鉄バスからJRバスへの端境に生まれた1987年式ですが、大きなメトロ窓や折り戸など、国鉄バスの仕様を残す車両です。高速バス仕様のリクライニングシートで休憩できるのは羨ましいですが、冷房は効かないかも知れません。
この近くのグランドには、これより新しいR3ボディやニューエアロもあると、ストリートビューで予習してから訪問したのですが、残念ながら、他の案件はすべて撤去されていました。
平成時代に・・・いや2000年代に新たに置かれた廃車体というものに、明るい未来を想像しながら訪ねたにもかかわらず、後継の廃車体に代替されたわけでもなく、むなしく空きスペースが残っているだけでした。

Re:更新後記(2019.10.25)

#1980名前:左党89号時刻:2019-10-28 20:57:29

今回の更新でUPされた写真のうち、M531-85179は現役時代に長野原支店を訪問した時に撮影していました。(1994-3-6 長野原支店にて)
確かに広告が掲出されています。
当時の長野原支店はちょうど「東北道高速バス」(後の「らくちん」→「ドリーム盛岡」)で使用されていた641-7901・7902改めS671-87401・87402が「イエローバス」として生まれ変わりデビューした直後でした。
また、データを見ていたところH648-87428そのものではないですが、1番違いのH648-87427を撮影していました。

Re:更新後記(2019.10.25)

#1981名前:管理人時刻:2019-10-29 21:45:25

左党89号さん、こんばんは。
現役時代に撮影されていたんですね。
サッシなのに前ドアという国鉄チックな外観なのに、広告を掲出している初期JRの姿が泣かせます。廃車体には、リアの窓にも広告が残されていました。
長野原には、盛岡東京線のお古も来ていたんですね。
>641-7901・7902改めS671-87401・87402
ということは、1988(昭和63)年式だったけど、落成年度は1987(昭和62)年度だったということですか?
盛岡東京線のデビューは1988年の7月でしたが。
「らくちん」の名前は当時のリーフレットから馴染みがあるんですが、「ドリーム盛岡」は今一つ馴染めません。

Re:更新後記(2019.10.25)

#1982名前:左党89号時刻:2019-11-04 21:14:17

> ということは、1988(昭和63)年式だったけど、落成年度は1987(昭和62)年度だったということですか?
この車両のみならず、JR東日本からの現・JRバス東北/JRバス関東の分離は分割民営化の時点で決定していたこともあり、分離直前に新車が導入されました。
「東北道高速バス」はすでに開業が決まっていた(?)ということもあってか、JRバスに関しては1987年度の導入となり、7901・7902→関東/7903・7904→東北に配属されました。

1987年度の導入車に関しては現・JRバス関東/JRバス東北にそれぞれ引き継がれた車両とで通し番号が付番されましたので、後の所属車を見ると飛び番が生じています。

いすゞ貸切車の場合(関東は改番前)
・P-LV219S
641-7951(IK・ハイデッカV)→関東
641-7952〜7959(IK・ハイデッカV)→東北
641-7960〜7966(富士重R3)→東北
・P-LV719R
641-7967〜7975(富士重R3)→関東
641-7976〜7998(富士重R3)→東北

また、1988年の「岩手22」ナンバーですが、1988年1月1日(業務的には1月4日)以降の登録車が対象となっており、同時に変更された「秋田22」「宮城22」も同様でした。
ただ、秋田・岩手は分離前の新車配属まで他社の登録がなかったことから、1桁ナンバー・2桁ナンバーの初期はJRバスで独占していました。
参考までに「秋田22い1」は十和田南の641-7976が取得しました。

「宮城22」は5001〜の登録となりましたが、交付開始時から宮城交通の登録が多く、JRバスはP-UA67DE(648-7974)に交付された「宮城22か5025」が最初でした。

Re:更新後記(2019.10.25)

#1983名前:管理人時刻:2019-11-06 19:12:04

盛岡−東京線は7月開業でしたが、前年度中に車両は出来上がっていたんですね。
国鉄バスとして統一の付番をしてたので、JR東日本が分離前に連続番号をつけておくというのは、至極当然かもしれません。
もっとも、その後、各社各様になったわけですか?

民営化の1987年ごろには、国鉄仕様の車両に交じって、少しずつ進化しているところが見て取れました。
今回更新の群馬県の廃車体でも、同じ1987年式の富士重工観光タイプでありながら、高速バス用はこれまでの仕様を引き継いでいるのに対し、貸切用はスィングドアやT字窓の採用で、当時は「民営化で変わった!」と感じたものです。
さて、ここでの添付は、反則技でgoogleからストリートビューの画像流用です。グランド脇に置かれたJRバスです。新しいし綺麗なので、合宿の学生を運んできた観光バスにも見えますが、立派な(?)廃車体です。右奥に見える1段下のグランドには、ニューエアロもあります。
2014年のストリートビューでは健在だったので見に行ったのに、2018年には撤去済みでした。
この富士重工R3は、折り戸でありながらT字窓です。東北にはこういう仕様はなかったんじゃないかな、JRバス関東の独自仕様なのかな、などと思っています。

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