画像掲示板 過去ログ
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岩22か1777
Re:岩22か1777
53さん、こんばんは。
板橋さんともニアミスしていたんですね。
どうやら板橋さんの岩手詣では1983年までで、私が1984年に岩手県入りしていますので、私と板橋さんとのニアミスはないようです。
まあ、みなさん(特に学生だと)撮影活動の中心は夏休みや春休みなどになるので、結果的に似たような時期にウロウロしていたんでしょう。
岩22か1777は、1982年にはとバスから岩手県交通に入り、早坂高原線で新幹線接続の「快速バス」として華々しく活躍したのち、私が気付いた時には雫石営業所にいました。
ここで添付した写真は、その4年後に私が雫石で撮影した同車です。(1987年6月7日)橋場線というローカル線に都落ちしてしまっています。
Re:岩22か1777
こんにちは。
タイトルと異なる内容なのですが、80年代前半の話でして・・・
先日市内某所を車で走っていたら、中央バスの廃車体を見かけました。
「その後の廃車体>岩手県交通4(元花巻電鉄)」で、2003年に一関市民様が撮影されたものと物件・場所が
同じものと思われますが、まだ残っていました。
中央バスカラーのクリーム色は色あせて電鉄カラーがうっすら見えていて、写真では見え難いのですが「岩手中央バス」の文字も読み取れました。
この廃車体と全く同じ車かどうかは分かりませんが、79年か80年頃に花巻市内を走っていたのを見た記憶があります。
ドア側側面後部に、花巻市内では非常に珍しいカワトクの広告(古いロゴ時代のもの)があり、リアガラス上の広告の取り付け方が特徴的だったので覚えていました。
あの時見た車と同じだったら、40年ぶりの再会となります。21世紀の今頃に会えるとは思ってもみなかった・・・
写真にははっきりと写っていませんが、運転席側側面には某消費者金融(武富士)の広告が残っていて、80年代に入っても、しばらくは活躍していたのかなと推測しています。
Re:岩22か1777
とまりますさん、こんにちは。
花巻電鉄の5056号は健在でしたか。それも花巻電鉄カラーが見えてきているんですね。
同僚の5057号は盛岡地区に転じていたようですが、5056号は花巻地区にとどまっています。
もっとも、花巻地区にとどまる車両をわざわざ中央バスカラーに塗り替えたのはなぜなんでしょう。カワトクの広告があるということから、一旦は盛岡地区に移ったこともあるのかも知れませんね。
板橋不二男さん撮影の現役時代の写真です。隣にいる川崎ボディは5054号で、やはり花巻地区で使うのに中央バスカラーです。
Re:岩22か1777
非常にマニアックな推測ですが、盛岡地区でのリアガラス上部の広告の取り付け方は上の画像のようなものが
多かったと記憶していまして、実際このサイトにUPされている写真でもそのような取り付け方をしている車を多く見ます。
一方、花巻周辺では元中央バス・元花巻バスともに下の画像のような取り付け方がほとんどだったと記憶しています。
最後まで電鉄カラーをまとっていた(と思われる)岩2く5061も、画像下のような取り付け方でした。
5056号と思しき車を見かけたときも「盛岡のバスが走っている!」と思ったくらいです。
5056号は、1度盛岡へ移って中央バスカラーになり、その際後部の広告を取り付け、再度花巻に戻ったのかなと推測されるのですが、同じ会社なのに営業所間で広告の取り付け方に違いがあるとは思えないものの、何かこだわりのようなものがあったのかもしれません。
画像について、上のものは「“その頃”別の角度から」で里の杜のメルファ7様が撮影された岩2く5057、下のものは「車両ギャラリー>岩手県交通>元花巻バス>岩22か16」の画像を拝借しました。
Re:岩22か1777
とまりますさん、こんにちは。
子供の頃のピュアな感覚で見たことは、意外に正しかったりします。
広告の付け方が盛岡と花巻で違うなんて、私は気づきませんでした。
まあ、元々違う会社だったので、取り付け方が違っても不思議ではないと思います。
盛岡の場合、上部の接手を屋根に持たせているように見えます。これは、お尻が丸いバスに付ける方法をそのまま踏襲しているのかもしれませんね。
今回更新された中での、その頃別の角度>板橋不二男様撮影
河南営業所1983年8月21日撮影の、元はとバス1777号の写真と近いアングルで、3日後の24日、僕も撮影していました。
36年前に板橋様ともニアミスしていたとは・・・・
前にも書きましたけど、当時自分以外にバスの写真撮っている方がいたとは
515や5065も私、撮影していますが、駐車している場所がちがいました。 1777はドンピシャ同じ場所