画像掲示板 過去ログ

過去の掲示板の内容を,そのまま掲載しました。
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更新後記(2018.11.25)

#1804名前:管理人時刻:2018-11-25 16:13:23

こんばんは。
疑問点を整理するのに時間がかかりましたが、ようやく花巻バスセンター周辺の謎を解明することができてきました。
この掲示板で、色々とお教えいただいたことを、まとめ直した形です。
更新後記(2015.12.6)
写真についても、ここで投稿いただいた、とまります様の写真を使用させていただきました。
私自身も、先月、岩手県に足を踏み入れた際に、現地を回ってみました。花巻バスセンターの跡地は、30年以上たった今も、更地の駐車場でした。その一角に、バスセンターが建っていたとは、教えてもらわなければ分かりません。

ここで添付した写真は、今回見てきた末広町バス停です。思えば、1984年に「花巻バスセンターはどこにあるんだろう」と思って訪ねた時も、バスの終点付近にあるんだとうと思って、来てみたはずです。
末広町のバス停はたくさんあるけど、バスセンターらしきものはないなあ、と思って、そのまま花巻駅に引き返したのだと思います。30年以上も後に、疑問が解決するとは思わずに。
もっとも、バスセンターがあった頃の建物の写真は、未だに見たことがありません。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1806名前:とまります時刻:2018-11-26 20:32:29

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こんばんは。
花巻バスセンターの件から3年も経ったんですね。つい熱くなってしまい申し訳ありませんでした。
その後も図書館などで花巻の記録写真集を調べてみたのですが、バスセンターの写真はどうしても見つかりません。
建物の中は、入って右側に売店、左側に窓口でその間にベンチ椅子が並び、乗り場入口には駅の改札口のような柵があり、到着・発車のアナウンスもあったと記憶しています。
実は、親戚でその昔花巻バスに勤めていた人がいまして、桜木町の営業所を知っていました。
営業所の近くに美容室があったと言っていて、今もそれと思しき美容室があるので写真の白で囲んだ場所でビンゴだと思います。
(上は地図・空中写真閲覧サービスから1962年の様子、下はグーグルマップから。今は製材所の資材置き場になっています。)

Re:更新後記(2018.11.25)

#1807名前:とまります時刻:2018-11-26 21:14:47

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連続投稿失礼します。
画像は82年か83年の花巻管内時刻表で、石鳥谷線と花巻温泉線のものをUPしてみました。
(見難くてすみません。赤線は私が当時引いたものです)
花巻温泉行は賢治詩碑発着、台温泉行はバスセンター発着となっています。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1809名前:管理人時刻:2018-11-27 21:45:54

とまりますさん、こんばんは。
花巻バスセンターの内部は、盛岡バスセンターにも似ていたということでしょうか。
外形も似ていたんじゃないかと思っています。
しかし、親戚の方が花巻バスにお勤めだったとは。また色々と謎解きができるかも知れませんね。
添付頂いた時刻表、今外出中で、他の資料との比較分析が出来ないので、それについては後日。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1810名前:とまります時刻:2018-11-28 20:25:24

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1982年(83年かもしれません)の花巻管内時刻表から、先日UPしたもの以外の時刻表です。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1811名前:とまります時刻:2018-11-28 20:30:35

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UPできるサイズにするとどうしても文字が見難くなってしまって申し訳ないのですが・・・続きです。

もともとは1枚もので、東和営業所の路線も載っています。
1枚ものの時刻表から各路線のものを切り抜き、それを厚紙に貼って綴じたものが当時乗ったバス(花巻バスカラーの天下田線だったと思います)の入口付近につり下げられていて、それをまねてみたものです。
花巻市内の路線で、湯口線・太田線・鍋倉線以外は花巻バスセンターを経由していたと記憶しています。
(35年以上前の話なので記憶違いがあるかもしれません。ご容赦下さい。)

Re:更新後記(2018.11.25)

#1812名前:管理人時刻:2018-11-29 22:38:47

とまりますさん、こんばんは。
少し時間を頂いてしまいましたが、あまり見えてきません。
以前(2015.12.6)にこの画像掲示板で、この話題が出てきたとき、花巻温泉線に関して、とまりますさんの推理では「湯本学校経由=花巻バス、松山寺経由=花巻電鉄」でしたね。その根拠が、湯本学校経由は花巻バスセンター発着である、という話でした。
今回の時刻表では、それを裏付けるような系統の差異が見て取れますね。松山寺経由は賢治詩碑前発着で、花巻バスセンターを経由しますが、これは合併したことで末広町経由を花巻バスセンター経由に読み替えただけかもしれませんし。
湯本学校前経由と松山寺経由に、運行会社の違いという根本的な違いがあったのか。う〜ん。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1813名前:とまります時刻:2018-12-01 19:04:14

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こんばんは。
3年経っても何も分からなかったというのが正直なところでして・・・
(石鳥谷−八日市−湯本学校−花巻温泉は花巻バスの路線のようです)
>賢治詩碑発着便
花巻バスの花巻駅−桜町(賢治詩碑?)間の路線を「市内線」と言っていたそうで、これと中央バスの花巻温泉行とを1本にまとめたものと思われます。

>湯本学校経由便
ネコパブリッシング『花巻電鉄(上)』に掲載されている1970年の電鉄バス花巻駅−花巻温泉−台温泉間の時刻表を改めて見てみると、花巻駅−花巻温泉間の所要時間が25分となっています。
先日UPした時刻表でも、湯本学校前経由台温泉行の花巻駅−花巻温泉間の所要時間は25分。
道路事情に多少の変化はあったでしょうが、所要時間から見れば電鉄バスの台温泉行も湯本学校前を経由していたものと思われます。
この点で、湯本学校経由便が花巻バスだったというには無理があり過ぎですね・・・。
30年以上前に見かけた古いガイドブックの「花巻温泉:花巻駅から花巻バス・岩手中央バスで○○分」という記述がノイズになっていました。
台温泉行がなぜバスセンター発着だったのかは結局は謎のままです。

画像はコンパス時刻表77年3月号のもので、上の「花巻−花巻温泉」は松山寺経由便です。
ちょうど1年前の時刻表だったらよかったのですが・・

Re:更新後記(2018.11.25)

#1814名前:とまります時刻:2018-12-01 19:25:09

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湯本学校経由便が花巻バスでは?と勘違いしたもう1つの原因が、この写真。
80年代中頃の花巻温泉の観光パンフで、写真の撮影時期は80年代初め頃と思われます。
ホテル花巻の裏(写真では手前)を花巻バスが走っていて、台温泉発花巻バスセンター(or賢治詩碑)行きだと思いますが、花巻温泉・台温泉行では花巻バスカラー・中央バスカラーが入り混じって走っていたのに対し、湯口線・鍋倉線・太田線では花巻バスカラーを見た記憶がありません。笹間や東和、北上方面に向かう中央バスカラーも記憶にないです。
単に見ていなかっただけの可能性が高いのですが・・・
(ちなみに、通っていた小学校は湯口線・鍋倉線沿線で、教室の窓からもバスの行き来を眺めることができました。)
“その頃”に盛岡バスセンターで待機する花巻バスカラーの急行花巻行もしっかり見ていますし、合併後しばらくの間は旧社の路線では旧社のカラーの車を使っていたものと思い込んでいたのです。
尤も、そうではないことは『岩手のバス いまむかし』を見れば分かるのですが(電鉄カラーの二子行、更木経由北上行)。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1815名前:管理人時刻:2018-12-05 17:27:11

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調べるならとことんまで、ということで、1975年の交通公社時刻表を入手してしまいました。
奥東北という言葉があったのか、という感じですが、花巻駅〜花巻温泉、台温泉、新鉛温泉いずれも、岩手中央バス(つまり旧花巻電鉄)の運行です。
盛岡や二枚橋からの花巻温泉行の時刻は掲載されていません。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1816名前:とまります時刻:2018-12-07 20:34:21

こんばんは。
花巻温泉・台温泉行の始発はどこかが気になるところですが(花巻駅か?中央バス営業所か?)、まずはモヤモヤが晴れてスッキリしました。
件の親戚によると、花巻駅の西側・中央バス営業所近辺を1周するような花巻バスの循環線があったとのことで、 70年代初めの市街地地図を見たら確かにそれらしき路線が描かれていました。
また、笹間営業所の名残なのか、中央バスエリアの太田地区にある清水寺へも花巻バスが乗り入れていたようなことも言っていましたので(例大祭の時は臨時バスが運行され乗務したことがあるとのこと)、意外なところで2社が競合していたようです。
しかし、詳しいことは当時の中の人に聞かないと分からないですね・・・アレコレ推理するのは楽しいのですが。
(ちなみに、件の親戚は北上へ本社が移転する前に退職したそうです。)

75年の時刻表、読みふけってしまいそうですね。この時刻表をネタにミニコーナーがつくれそうです。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1817名前:管理人時刻:2018-12-08 22:22:13

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こういった市販の時刻表は、国鉄線から乗り換えてどのように旅行するかが掲載のポイントなので、バスの路線系統とは無関係で、国鉄駅を起終点に掲載されるんですね。
ちなみに、国鉄バスが共同運行している盛岡〜一関〜仙台間の特急バスは掲載されていましたが、岩手急行バスの盛岡〜一関間急行バスは見当たりませんでした。
ここでは、前回の花巻地区の前頁の盛岡地区部分を添付します。
以前にとまります様から1978年のものを添付いただいたことがありましたね。その時と、会社名以外はほとんど変わらないようです。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1818名前:とまります時刻:2018-12-09 16:32:55

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75年の時刻表、これだけ見ても面白いですね。
「小岩井・啄木号」は後の盛岡市内定期観光バスでしょうか。
山伏線はやはり県南バスでしたか。『岩手のバス いまむかし』の中央バス発足の解説の中に「1949〜50(昭和24〜25)年には、それぞれ新車数両ずつを投入し(途中略)湯本線などを新設」とあって(23頁)、湯本って湯本温泉?と思っていたのです。
県南バスと相互乗り入れしてたのか?思っていました。
岩手急行バスは花巻盛岡線同様ローカル路線扱いだったのかもしれません。

本題から外れますが、花巻盛岡線といえば、82年11月号の「空港までの交通案内」のページ、盛岡−花巻空港への連絡バスとして、何故か国道4号経由の花巻盛岡線の時刻が載っています(下)。
(「あの空港バス使用」は私の落書きです。国道経由便なので「あの空港バス」は使っていないはず)
同年8月号の同ページ(上)では高速道路経由で1日2往復と記されていたのに、ちょっと不思議です。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1819名前:管理人時刻:2018-12-09 18:39:59

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「小岩井・啄木号」は、多分交通公社の主催で運行した後、乗合で行けると判断して、岩手観光バスが免許を取得したんでしょうね。
山伏線は、当初は県南バスと中央バスの相互乗り入れだったものを、中央バスがやめたんだと思います。
中央バスは、盛岡〜田沢湖間も羽後交通と相互乗り入れで運行していましたが、どこかのタイミングで自社だけやめています。

花巻空港連絡バスについては、不思議ですね。1975年の時刻表では、空港までのバスは航空の前頁にまとめられていますが、花巻空港は、95分前発の所要時間70分とあります。連絡バスがあった感じの書き方です。
1982年の記載内容は、私の想像だと、全便に連絡しない連絡バスよりも、確実に動いている路線バスを優先して記載したのではないかと思いますが、どうでしょう。
ちなみに、”その頃”の空港バスは、TDA契約カラーでしたが、あの色になったのは、いつなんでしょう。ご存じですか?

Re:更新後記(2018.11.25)

#1821名前:とまります時刻:2018-12-09 19:50:44

早速の回答ありがとうございます。色々なことが見えてきて実に興味深いです。
TDAカラーは84年には既にあったように思うのですが、85年秋に東北道走行中の空港行きを見たのははっきり覚えています。

,span class="green">>盛岡〜田沢湖間
以前アップしたかもしれませんが、羽後交通の盛岡−田沢湖間急行バス開通の広告(左側)です。
1964年4月発行の山と渓谷社『アルパインガイド 八幡平国立公園と早池峰山』から。
右上は同年4月発行の山と渓谷社『東北の山』から。国見温泉について「雫石駅から2往復」とありますが、「北緯40度の風景 雫石営業所の思い出」で車庫に掲げられた案内板の「橋場・国見行のりば」はこの名残りですね。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1822名前:オペレッタ601号時刻:2018-12-17 01:11:25

横から失礼します。また、長文で申し訳ありません。

コンテンツ「花巻バスセンターとその周辺」とこのスレッドの内容を見て昔の記憶を思い出しながら、ココにまとめてみました。

私は岩手県交通発足前後に石鳥谷線・門屋線でバス通学をしており、乗車していた車輌のほとんどが三菱車で既にワンマン化も完了していたこともあってか、花巻バスオリジナルのMR410か神奈中からのMR490といったところでした。岩手県交通発足後も暫くはその状況は変わらず(このあたりの事情は「岩手のバスいまむかし」にも書かれていますね)でしたが、初めて見た岩交青銀カラー(先月UPされた岩22か800・日野RB10、色褪せた赤色のビニールシートから中古車とわかってしまいましたが…)に衝撃を受け、新車のRE100やBU04もよく見ましたがいずれも石鳥谷線には入らない旧県南バス北上・水沢の車輌だったので羨ましく思ったものです。

転機となったのが合併翌年の昭和52年、確か春先だったと思いますが、花北営業所受け持ちだった石鳥谷線・門屋線の一部が北上営業所に移管されたことで、前述の新車他県南バスカラーの車輌も多数石鳥谷線に入るようになったこととと、さらには中央バスカラーの丸型BU10も入るようになったことから、非常にバラエティに富んだ路線へと一変したことです。
もしかしたらこの石鳥谷線一部移管のタイミングで「飯豊の旧花巻バス花北営業所+旧中央バス花巻営業所→本舘の岩交花巻営業所」となったのかなと考えたのですが…。
ただ、ココでの話から判断すると県南バスカラーの石鳥谷線進出、北上営業所への一部移管と本館への花巻営業所移転・統合のタイムラグが数ヶ月生じてしまう訳で、実際にはどうだったかな?という記憶が曖昧なんです。 また電鉄カラーや国際興業カラーを北上では見た記憶が無かったのですが、「岩手のバスいまむかし」ではしっかりと「更木経由北上駅」の電鉄カラー車が写っていましたね。

ところで#1814の花巻温泉の上空からの写真ですが、三つのホテルの内最後の昭和60年3月にオープンしたのが右側のホテル千秋閣なので、撮影時期も恐らく“その頃”だと思います。

もうひとつ、TDAカラーの花巻空港連絡バスですが(12/19追加)、昭和59年2月に撮影しており、その前の年、花巻空港新ターミナルビル開業・ジェット機就航時に登場したと記憶しています。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1823名前:とまります時刻:2018-12-17 20:31:45

>花巻温泉の上空からの写真
ホームページで確認したら、ご指摘の通り1985年頃の撮影と思われます。お詫びして訂正します。
この頃でも花巻バスカラーが残っていたんですね。
この年の秋、盛岡バスセンターで待機中の元花巻バスのREを見たのが、現役の花巻バスカラーの最後だったと記憶しています。
花巻最後の(?)中央バスカラーだったBU20が青銀カラーに変更になったのも、1985年の夏頃だったと思います。

>旧社の路線では旧社のカラーの車を使っていたものと思い込んでいたのです
>笹間や東和、北上方面に向かう中央バスカラーも記憶にないです

リンク先の『BJ41−Vの部屋』の「全国の新旧路線バス 車両資料館」にある「旧岩手中央バス」に、「笹間」を表示しているBU10の写真があり、こちらの「方向幕100連発・岩手県交通編」にも「横志田」の行先を表示している中央バスカラーの写真があり、初めて見たときはへぇ〜と驚きました。

話が外れますが、80年代初めに「尻平川」行きがあったのははっきり覚えているのですが(青銀カラーのふそう車でした)、「100連発」では「横志田」と表示。距離にしてバス停1つ分、1q弱なのになんでだろう、と思ったのでした。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1824名前:管理人時刻:2018-12-18 22:24:28

オペレッタ601号様、とまります様、こんばんは。
記憶というのは大事なんですよね。特に学生時代の記憶は、学年と紐づいているので、かなり正確に時期を特定できるのだと思います。
本舘の花巻営業所は、1976年6月の空中写真では、すでに建物ができていて、整地も終えているので、その後間もなく移転完了したとして、不思議はないですね。
その時は移転で精いっぱいで、半年以上たってから、運用の移管をしたのでしょうか?
それと、県交通成立後の新車は、岩手中央バス仕様と岩手県南バス仕様にはっきり分かれていましたが、やはり県南バス仕様は県南バスエリアの営業所にしか配置されなかったんですね。
花巻バスは、出資割合も小さかったので、新車もあてがわれなかったのでしょうか・・・。

ところで、花巻空港バスの件ですが、とまります様の資料で、1982年11月に空港連絡バスがないということが引っかかっています。
岩手中央バス時代から、BA20の前ドア車(岩22か544)が使われていたという記録がありますが、1983年のジェット化の際にTDAバスに変わったとして、その間に、もしかして空白期があったのではないか、と思ったわけです。 1982年に東北新幹線が開業し、羽田便の利用が落ち込んだりしていますよね?
飽くまでも想像ですが、その辺をだれかご存じないかな、と思ったのです。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1825名前:とまります時刻:2018-12-20 20:13:00

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こんばんは。
>盛岡−空港間の連絡バス
交通公社の時刻表82年11月号の盛岡−花巻空港間の路線バス時刻表ですが、以前UPした花巻管内時刻表で花巻盛岡線の発車時刻と比べてみると微妙に合わないんです。
花巻管内時刻表によると
盛岡バスセンター発10:00、10:45、12:15、13:15、(15:00)、16:30、17:15、18:00
空港発7:03、7:33、8:03、11:28、13:13、14:13、15:28、(17:13)
()は休日運休。所要時間は平日・休日関係なくどの便も1時間2分。
(84年9月の花巻管内時刻表でも花巻盛岡線のダイヤはほとんど変わっていません)
また、盛岡−空港間所要時間が最大で1時間45分とありますが、国道4号経由でも余程の渋滞がない限りちょっと考えられないです。
『時刻表』の時刻表、一体どこの路線なのか、正直分かりません。
空港連絡バスで休日運休というのも考え難いですし、夏に高速道経由で運行されていた連絡バスが秋には運行を 取りやめたというのも少々考え難いと思われます。

時刻表82年11月号は上越新幹線開業全国ダイヤ大改正号で、編集部が混乱していたのではと考えたりもするのですが、それにしても謎です。
石鳥谷線のダイヤはほぼ合っているんですけどね・・・
(北上駅発18:20は石鳥谷行き、19:00は花巻営業所止まり)

時刻表82年11月号の航空便ダイヤをUPしてみました。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1826名前:オペレッタ601号時刻:2018-12-17 01:11:25

> それと、県交通成立後の新車は、岩手中央バス仕様と岩手県南バス仕様にはっきり分かれていましたが、やはり県南バス仕様は県南バスエリアの営業所にしか配置されなかったんですね。
> 花巻バスは、出資割合も小さかったので、新車もあてがわれなかったのでしょうか・・・。


記憶も辿ってみましたが、花巻営業所で最初に配置された新車は日野RE100「岩22か888」で、水沢・北上の車輌と同じ県南仕様です。他には889〜891が該当しそうですが、こちらは当初見た記憶が無いので東和だったかもしれません。
岩手県交通発足後も花巻営業所では青銀カラーは少なめで、通学時に自分が乗車した記憶は神奈中からのMR410「岩22か850・864」の2台のみでしたが、花巻バス時代に昭和48年の新車RE100、翌年の神奈中からのMR490・RB10合わせて30台近くのワンマンカーを導入していた影響かもわかりません。

謎だったのが、前述の岩22か888と昭和48年式のRE100など「新しめ」の車輌は石鳥谷線には入らず専ら笹間方面の路線に入っておりバス通学時には石鳥谷線で乗車出来た記憶が一回もないので、笹間の車庫?常駐だったのかなとも思いましたが、飯豊の花巻バス本社の写真にはしっかりとRE100「岩22か415」が写っていますし…

今回は中央バスカラーが見られた最南端の北上車庫で撮影したBA20の写真をつけてみます。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1827名前:管理人時刻:2018-12-23 20:26:46

とまります様
盛岡−花巻空港間で最大1時間45分というのは、確かにおかしいですね。
1982年11月は、編集部も混乱したかもしれませんが、事業者側はそれ以上に大変だったでしょうね。
1982年6月に東北新幹線が開業し、11月に上越新幹線の開業と同時に東北新幹線も本格的に本数を増やすダイヤ改正を行っています。
東北地方のバス事業者は、新幹線への接続という大規模なダイヤ改正を、短期間の間に2回行う必要がありました。
市販の時刻表の締め切りまでに、ダイヤの詳細が決まっていないということもあり得たと思います。
11月号の時刻表の発行は10月で、その原稿締め切りは9月ですから。

オペレッタ601号様
確かに岩22か889〜891は、東和営業所に配置されているのを見た記憶があります。そのうちの890は、東和営業所のダイヤ改正に伴い、盛岡に移ってきたわけですが。
一応花巻バスエリアにも新車はいたわけですね。
新しい車両が笹間方面に限定使用されていたのは、補助金の関係とかもあるのかも知れませんね。

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