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板橋様の写真より
1641左党89号2017-11-13 22:21:59
Re:板橋様の写真より
1642管理人2017-11-14 22:27:23
左党89号様、こんばんは。
ちょっと、バスのカラーリングのコーナーに寄り道していたので、1970年代奥の細道の更新が先送りになっていました。
国鉄バスが1970年代半ばになってもツーマン車の新車を入れていたのは、やはりそれだけツーマン路線があったからなのですね。
金田一駅と金田一温泉の間がツーマン路線だったということで、「金田一温泉」の方向幕の車両が中ドア車だった理由は明確になりました。
民間会社なら、ワンマン化を見越してワンツーマン兼用車を入れるんでしょうけど、国鉄バスの場合はそうでもなかったようで。
結局、これらの車両のうち、10年生き延びたのは何両くらいだったんでしょうね。
前回および今回の更新での板橋様提供の国鉄バスの写真では、北福岡自動車営業所所属車もいくつか掲載されており、子供の頃に乗車もしくは見かけた車両もあり、当時の記憶が甦りました。
改めまして貴重な写真を提供していただいた板橋様に感謝を申し上げます。
管理人さんのコメントの中で
>方向幕には「金田一温泉」と出ています。どのあたりで車掌が必要だったのか、当時の道路状況が分からないので何とも言えません。
当時の北福岡自動車営業所管内で、最後にツーマンとして残った区間は田子線全線・二戸線の支線部分(御返地〜足沢〜上斗米・川代口〜福岡川代)・女鹿線・盛岡金田一急行線の末端部分(金田一駅〜金田一温泉)が対象でした。
田子線だと踏切通過のため、盛岡金田一急行線だと狭隘路のためというのは予想が付きましたが、実際のところ民間バス会社に対して国鉄バスの合理化が遅れていたこともあり、要員確保のためのこじ付け的な理由とも解釈できます。
実際、盛岡金田一急行線の場合、ワンマン化されたあとも5型が普通に通行していました(別経路に統合されたことで2008年に廃止されました)
写真は廃止直前の2007年に撮影したものです。