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1970年代の汽車通学

#1173名前:管理人時刻:2014-11-30 19:45:21

「東北電子高、東北工大電子高、東北工大高同窓生の談話室」というブログに、弊サイト内にある東北本線の客車画像を提供させていただきました。

http://densiko-dososei.blogspot.com.au/2014/11/2-2.html

このブログを主宰されているsumorewaさんは、1970年代に東北線で汽車通学されていたとのことで、その想い出を書くにあたってのイメージ写真として、この画像がヒットしたようです。
想い出を綴る文章の中に入ると、同じ写真もまた違った雰囲気になって、いいものです。

Re:1970年代の汽車通学

#1174名前:元埼玉のバスfan時刻:2014-12-01 00:34:54

ここに質問する事かどうかは迷いますが、何方か知っていたら教示戴けたら有難いです。写真を見て思い出しましたが、寝台客車も、私の記憶では、昭和46年あたりに新式になって現在のB寝台が出だし、その以前の寝台客車は車輛両側に寝台がありました。ここで紹介された写真の両側座席の座席エリア部が寝台になったような感じです。
私も幼稚園の頃と小一の頃に乗った記憶があります。一寸疑問なのが、いくらあの頃とは言いながらも、あんな大きさでは、大人でも足を曲げないと眠れないと思うのです。私がそのときに大人の寝姿を見た記憶なんか無いし、実際はどうだったのか判りません。普通はとても耐えられないと思いますが、身体を曲げてたとか、足を折らないと寝られない(折ったのではとても眠れないと思いますが)等のエピソード,或いは文献にこの手の事が記されていたりというのはないのでしょうか。
私としては今でも本当に真の現実だったのか、或いは子供の目では気が付きにくい工夫がしてあって実は眠れるようにはなっていたのか、未だにモヤモヤした疑問です。御記憶の方、御存知の方いらっしゃいましたら、教示宜しくお願いします。

Re:1970年代の汽車通学

#1176名前:とまります時刻:2014-12-01 20:13:51

高校生の頃は自転車通学でしたが、花巻着8時45分頃の東北本線上り普通列車があって、この列車をどこで見かけるかで遅刻するかどうかの判断をしていました(ちなみに、学校の始業時刻も8時45分でした)。
こちらのサイトにもUPされている国際興業カラーの丸型BU10の廃車体(岩22か789)近くでこの列車を見かけたら、何とか間に合っていたと記憶しています。
NHKの連ドラを見てからだとギリギリ間に合うところに住んでいたので、この上り列車はまさに時計代わりの存在でした。

ピンボケの写真ですが、左は82年11月のダイヤ改正まで花巻−遠野間に1日1往復していた客車。日中はひたすら昼寝をしています。夕方5時頃になると北上機関区?からDD51がやってきて1番線で待機、貨車入れ替え用の機関車がこの客車を引き出して連結。翌朝はこの逆の作業が見られました。
釜石線で客車5両編成とは今思うと豪勢ですが、改札口に近い車両では1ボックスに一人は座っていた記憶があります。

Re:1970年代の汽車通学

#1177名前:管理人時刻:2014-12-01 22:06:29

こんばんは。
80年代前半まで、客車なんてそんなに珍しいものではなくて、東京からでも各方面に走っていたのですが、急激になくなりました。
今思えば、デッキのドアを開けたまま走る姿とか、天井の扇風機や白熱灯とか、色々撮影しておけばよかったと思います。
あの列車が通ると時間に間に合うとか、遅刻だとか、そういう目安はありますよね。実は今の私もそうで、同じ場所で同じ電車を見かける通勤時間を経験しています。時間に正確な日本の鉄道ならではです。
元埼玉のバスfanさんの寝台車の記憶はどうなんでしょう。昭和46年の新式というのは14系客車の事だと思いますが、寝台の構造自体が大きく変わってはいないと思います。
中央通路で両側に座席・寝台があるのはA寝台で、レールと平行に寝ることになります。一方のB寝台は片側通路で、レールと直角方向になることになります。
この構造は、14系以前の20系でも10系でも同じだったはずです。
ただし、電車寝台の581系は、B寝台でも中央通路でした。その辺の混同でしょうか。

ここで添えた写真は、1977年の東北本線郡山駅です。狭窓のスハ32が連結されていたので、これに乗りました。隣りは軽量客車なんですけどね。

Re:1970年代の汽車通学

#1179名前:元埼玉のバスfan時刻:2014-12-02 23:44:53

有難う御座います。私の最後の記憶としては、昭和46年に東京駅で知人がみずほ号で帰るのをお見送りしたときです。このときのみずほ号で初めてB寝台を見、その二つ隣のホームに古い寝台がいたのを見ましたが、真中通路の両側にレールと直角に向いた寝台だった記憶です。何せ40年以上前ですので、明確だとは断言出来ません。そんな中、実は2005年あたり、大阪の交通科学博物館に行ったとき、古い寝台車と思われる車両が保存してあるのを見ました。そして、車輛見学ツアーというのもやっていたのですが、このとき案内したのは80系とか古い食堂車とかだけでした。聞くところでは、日によって巡回する車輛は変わるらしかったのですが、この博物館、今年の春に閉館になりまして、来年に京都あたりで再出発するようですね。目当ての古い寝台車はまたそこで保存されるのでしょうか。
そうなら、予め見学ツアーでこれを見られるときを調べて、確かめに行きたいですね。或いは、古い「鉄道ファン」「鉄道ピクトリアル」等の付属図面等に、この手の寝台車両の物が残っていないでしょうか。

Re:1970年代の汽車通学

#1180名前:onozawa時刻:2014-12-03 20:55:06

元埼玉のバスfanさんこんにちは。
昭和46年当時の古い寝台ということは、旧型客車と言われる車両だと思われます。
真中通路の寝台は、1等寝台(A寝台)しかなく、たぶん「マロネ41型」だと思います。
図面が見つかりましたので、参考にしてください。

なお、この寝台形式は『プルマン形』と呼ばれ、新型客車では「オロネ10」・「ナロネ21」・「オロネ14」・「オロネ24」がこの形です。

http://www.morii.katano.osaka.jp/railmodel/keishiki/pc1951/maine41.gif

Re:1970年代の汽車通学

#1181名前:元埼玉のバスfan時刻:2014-12-03 21:35:54

onozawa様、貴重な図面提供していただいて、誠に有難う御座います。大分モヤモヤが晴れて来たような気がします。
寝台24名ということは、上段に一段ということでしょうか。ただ、夜になれば、下段にも寝られたのでしょうね。
大分小さい頃の私の記憶でも、確か高い所にたたみ式ベッドは有った記憶があり、昼間座席である下段も、カーテンかけられて寝られたように記憶しています。朝になると、係員が回ってきて、ベッドをたたみしまいに来てた記憶も有ります。
それにしても、長さは本当に1000mm以下だったとは驚きです。ひょっとしますと、大人が寝るときの姿勢ですが「ヒ」の字に近くなってたのでしょうか。
でもやっぱり、今一度保存車両実物を確認したいものです。

Re:1970年代の汽車通学

#1182名前:onozawa時刻:2014-12-03 22:41:48

ボックス式の座席を引き出して平らにして、ベットとして使用していたので、長さは1900mm有りますので十分です。また、幅も二人分の座席970mmですので、二人で寝で寝ることも可能です。
しかし、風紀良俗の問題で大人二人で利用することは、出来ませんでしたが、当時A寝台は新婚旅行の利用客も多かったので国鉄では大目に見ていたようです。
古き良き時代です。

Re:1970年代の汽車通学

#1183名前:元埼玉のバスfan時刻:2014-12-03 23:38:31

言われてみて、そう言えばこんなんだったかな、と記憶が蘇ってきました。小さかった頃、母に引かれて添い寝してたかもです。確か、首を上向きにひねらなくても、窓とブラインドの隙間から外の道路を眺められてたような記憶も有ります。年数が経ち、記憶も流石に老化してます。
貴重な情報、有難う御座いました。

東京駅の検証

#1184名前:onozawa時刻:2014-12-04 15:23:13

元埼玉のバス様、余計なことを済みません。

[1179]元埼玉のバスfan:
> 私の最後の記憶としては、昭和46年に東京駅で知人がみずほ号で帰るのをお見送りしたときです。


昭和46年の特急『みずほ』号は、東京駅14番線を17:00に発車します。入線時刻は16:40です。

> その二つ隣のホームに古い寝台がいたのを見ましたが、真中通路の両側にレールと直角に向いた寝台だった記憶です。

二つ隣のホームは、9・10番ホームで東海道本線到着ホームになります。
ちなみに、東京駅の11番線は機関車の機回り線でホームがありませんでした。
この時間には、9番線に急行『桜島』・『高千穂』が16:08に到着しています。
しかし、時刻表上では、急行『桜島』・『高千穂』には寝台車は連結していません。

と、ここまでは「時刻表」上での考察ですが、実際は、寝台車を増結していた可能性は十分に考えられます。

余計な話で済みませんでした。
このような事が、大好きなもので...

Re:東京駅の検証

#1185名前:元埼玉のバスfan時刻:2014-12-04 23:13:16

実は私もこの手の推理は面白くて好きですが、二つ隣と言っても、もう老化した記憶ですからね。ただ、少なくとも隣ではなかったです。遠くに眺めていたので。
この当時の14番は、ホームの東側(新幹線側)だったのですか、西側(中央線、山手線側)だったのですか。私の記憶では前者だと思っており、車両内の配置としては通路が新幹線側で、席とベッドは中央線側の壁にくっついてた?と思います。
そこで知人に窓ガラス越しに大声で「古い寝台がいるね。」と窓から見える側に指を挿しながら話しかけ、うなずき返して来た記憶もあります。この方向性の記憶、一個でも真実と違うなら、この書き込んだ一連は、もう本当に老化した記憶でしょうね。

Re:1970年代の汽車通学

#1187名前:とまります時刻:2014-12-07 16:34:29

> 80年代前半まで、客車なんてそんなに珍しいものではなくて
全くその通りでして、中でも旧型客車は当たり前過ぎる存在でした。ドアが自動で開閉するからというだけで50系客車は電車のようだと思っていましたが。
(旧型と50系との乗り心地の差は小学生の私でも分かるものでした)
当時時刻表の隅に「荷物列車」のダイヤも載っていて、普通列車と同じ時刻に走っている荷物列車に「どうなっているの?」と疑問に思ったものです。同じ駅で普通列車は停車しているのに荷物列車のほうは通過の印が付いているのですから。
写真は仙台発青森行き41列車(80年8月)。仙台方(手前)4両?が荷物列車41列車。荷物列車のほうは古舘・岩手飯岡などの無人駅は「レ」の記号−荷物列車は無人駅では通過扱いということでしょうか。

盛岡地区に701系が導入されて丁度20年。キハ100系には辛うじて残っていますが若い人の中には「ボックス座席」を知らない人がいるのかもしれません。

Re:1970年代の汽車通学

#1188名前:元埼玉のバスfan時刻:2014-12-07 18:16:19

ボックスシートですが、昔よく言ってたクロスシートの事ですか。調べてみると写真がそれでしたので。153系,165系も少なくとも当初はそうでした。
また、近郊型113系,115系のセミクロスのクロス部も同一形態でしたね。シート背壁の角(車内の通路側)には立ち席人用の握手が付いてますが、153系,旧時期の165系は単純なカーブアーム形状でしたが、後の分は四角枠が空間へ飛び出した形状でした。
吸殻入れも旧型は蓋が円弧状にスライドするタイプでしたが、新型は少し大型化して、蓋がパタンとひっくり返るタイプに変わりました。JNRのウィングを伸ばしたようなロゴも刻印されていて、私も好きでした。
九州の方へ2年ほど前に行った時も、このセミクロスシートまだ残ってたように覚えています。地の色は国鉄時代の濃青では無かったようでした。
今の時代から見ると、こんなに狭めだったっけと首をかしげてしまいました。
変わりますが、旧型客車時代も、車内片側通路のB寝台ってあったのですか、これは記憶を掘り返しても無いので疑問に思っています。調べると有ったようですね。写真か図面は残っていないでしょうか。

Re:1970年代の汽車通学

#1189名前:onozawa時刻:2014-12-07 21:03:43

>変わりますが、旧型客車時代も、車内片側通路のB寝台ってあったのですか、これは記憶を掘り返しても無いので疑問に思っています。調べると有ったようですね。写真か図面は残っていないでしょうか。

旧型客車の形態を大きく分けると、戦前の「オハ35系」(茶色の客車)と前後の急行型「スハ43系」(青色の客車)に大きく分けられます。
この二つの系列の中に、B寝台車は『スハネ30』しかありません。それは、寝台車というもの一般大衆のものではなかったからです。
昭和30年台に入ると、「10系軽量型客車」が開発され急行列車が置き換えられ、それに伴いB寝台車も『オハネ10』などが使用されました。

Re:1970年代の汽車通学

#1190名前:元埼玉のバスfan時刻:2014-12-08 01:42:12

onozawa様、御教示有難う御座います。
昭和41年頃に発行された?と思われる子供向けの絵本にあさかぜ号が載っていた記憶があり、それは青色の車体でした。
当時、そのあさかぜ号は特急か急行か今は判りませんが、急行だとしたら、B寝台が使われていた可能性も有るのでしょうか。また、特急だとすればA寝台しか有り得ない事なのでしょうか。また、概ね旧型客車が茶色で新型が青色となっているのでしょうか。旧型でも青色のがあったのでしょうか。

Re:1970年代の汽車通学

#1192名前:onozawa時刻:2014-12-09 04:33:06

『あさかぜ』は、昭和33年10月に元祖プルートレインと言われる20系寝台車に置き換わっています。種別は特急です。

旧型客車と呼ばれる「オハ35系」と「スハ43系」は新製時は茶色でした。車体更新近代化改造時に青色に変更されています。
また、「10系軽量型客車」は新製時の一部は茶色でしたが、すぐに青色に塗り替えられています。

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80s岩手県のバス“その頃”