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更新後記(2014.7.15)

#1110名前:管理人時刻:2014-07-15 21:46:40

恒例の期間限定【納涼特別企画】ですが、今回は、趣向を変えて、80年代後半のパンフレット類を「棚から一掴み」してきました。
ちょうど私が岩手県を去るころに、全国に高速バスブームが巻き起こり、一時は赤字バス会社にとっての救世主のように伝えられたものです。
時代は後に「バブル」と言われた時代。
豪華なスーパーハイデッカーが、日本各地の地方都市まで走りました。
そんな中、こちらの画像は本文からは漏れた仙台−成田空港間に開業した「ポーラスター」のチラシ。
なぜかフルデッカー(ハイデッカー)タイプの車両が投入されました。
周囲がすべてスーパーハイデッカーだった中、これは奇異に映りました。成田空港に行くので、トランク容量は多いほうがいいはずなんですが。
その後、このブームで開業した路線も、車両代替の際に、少しずつ安価なハイデッカータイプに変わってゆきましたが、まだこの時はそんな先読みはできませんでした。

Re:更新後記(2014.7.15)

#1111名前:onozawa時刻:2014-07-18 23:19:34

管理人様 お世話様です。

今年の【納涼特別企画】は、いつもと違った雰囲気でとても楽しんでいます。
以前仕事の関係で、このような資料が会社にいっぱいあったのですが、中々取って置くことは難しいもので手元に残っていません。

私がこのようなチラシの中で今でも忘れられないのが、国鉄バスの「ドリーム号」のポスターとチラシで、美保純と明日のジョーの矢吹ジョーは本当にインパクトがありました。

Re:更新後記(2014.7.15)

#1113名前:管理人時刻:2014-07-20 19:07:13

こんばんは。
美保純のポスターは覚えています。80年代初めの事ですね。
まだ高速バスブームが始まる前で、競争があったわけではありませんが、大胆な広告戦略でした。
国鉄のイメージとは真逆のタレント(当時)を使ったというのは、国鉄改革の中で、新しいイメージの確立を求めていたんでしょう。
エリアが限定されるバス事業の広告宣伝で、タレントを使うというような経費のかけ方はなかなかできません。
その後もこういう例は、あまり聞かないですね。

無題

#1114名前:とまります時刻:2014-07-21 20:13:09

これは80年代終わり頃仙台駅前で入手したものだったと思うのですが、盛岡東京線「らくちん号」のように路線の愛称名になるかと思っていましたが、チラシ上の愛称(?)で終わったようです>「ささや特急」
県北バスの「106急行」のように愛称としては悪くないと個人的には思っていたんですけどね・・・。

愛称といえば、「東北道高速バス」は国際興業グループの夜行便だけのものと思っていたのですが、一頃宮城交通発券のアーバン号乗車券にも表記されていましたし南部バスの昼行高速車にも表記されていて、「東北道高速バス ○○号」とこの愛称が広まるのかなと期待していたものでした。

Re:更新後記(2014.7.15)

#1115名前:管理人時刻:2014-07-23 21:00:36

こんばんは。
東北道高速バスという言い方は、どのくらい普及したんでしょうか。ちょうど、私自身は岩手県を去ってしまった時期だったので、その辺がよくわかりません。
いすゞのスーパークルーザーを入れた会社は、車体に共通の文字を入れていました。
ただ、東京盛岡線以外は、「シリウス」「ジュピター」などの愛称を持っていましたね。
さて、「ささや特急」とチラシに謳った意図はいかに・・・。
今回私が添付した画像は、やはり本文から漏れた1枚。東京〜新庄間の高速バスです。
東北急行バス山形線の延長のような路線ですが、山形交通が参入しています。山形交通にとって、本拠地の山形市を東北急行バスに押さえられていたため、この路線で長距離デビューを図ったのでしょう。
この路線にも愛称はありません。東北急行バスと呼ぶわけにもいきません。

Re:更新後記(2014.7.15)

#1117名前:53時刻:2014-07-24 17:25:47

こんばんは
まだ夜行バスブームがくる前、1981年12月末、京急バスの夜行バスに乗って盛岡駅まで行ったのを覚えています。どこから乗車したのかは覚えていません。
乗車したバスの形はふそうのMS添付画像のバスです(画像のバスに乗ったのではないです)
いまから思うと横幅4人掛け、あまり後ろに倒れないシートで足もあまり伸ばせず、なおかつ夜中にトイレ休憩で何度か起こされ、とても疲れました。 朝6時に盛岡駅に着きました。
盛岡まで乗ってきたバスを撮影しようと思ったのですけど、まだ暗くて撮影できませんでした。

昔の心にのこる思い出です

Re:更新後記(2014.7.15)

#1129名前:管理人時刻:2014-07-26 00:59:49

こんばんは。
53さんが乗車したのは、「帰省バス」というものですね。
年末年始などの帰省シーズンのみに運転されるもので、高速バスブーム到来までは、帰省の足の定番でした。 運行形態は路線バスではなく、ツアー形式(会員募集)で行われるもので、バスは貸切バスです。
なので、当たり前のように、4列シート55人乗りくらいの一般車両で運行されていました。
ちなみに当時の夜行バスは、乗合であっても「ドリーム号」「東北急行バス」など4列シートが当たり前でしたので、そんなに遜色はなかったはずです。
ここに添付したのは、ちょうど京浜急行の帰省バスのチラシです。年号の記載はないですが、曜日などのヒントから1989年発行のものであることが分かります。
すでに「ノクターン号」はじめ夜行高速バスが走り始めている時代ですが、青森行、弘前経由五所川原行、北上経由盛岡経由八戸行、湯沢経由秋田行、などなど数々のルートが設定されています。
この年の場合、盛岡到着は5時30分。冬なのでまだ真っ暗ですね。

更新後記(2014.8.2)

#1133名前:管理人時刻:2014-08-03 18:57:07

期間限定の「納涼特別企画」2回目の更新です。
改めて説明しますと、今回取り上げたパンフレット、チラシ類は、1980年代末期の高速バスブームの際に運行を開始した高速バスの中で、主に夜行バスを中心にしています。昼行高速バスについては、また機会があったらご紹介します。
さて、自己レスになりますが、帰省バスのチラシをもう一つ見つけました。やはり1989年のもので、西武バスです。おもて面に路線図もついていますので、帰省バスがどんなものなのかわかりやすいと思います。
西武バスは、既存の高速バス路線とはなるべく重複しないようなコース設定をしているように見えます。岩手県も盛岡まで来ないで北上どまりですし、青森県も黒石から青森に向かいます。
帰省バスについては、このほかにも簡単なチラシっぽいものを持ていた記憶があるのですが、今回はほかには見つかりませんでした。

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80s岩手県のバス“その頃”