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1960年代初めの八幡平周辺

#942名前:とまります時刻:2013-05-05 22:39:25

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古本屋にて1960年代に発行された山と渓谷社の登山ガイドブックが売られていて岩手県関連のものを3冊ほど買ったのですが、その1つ・山渓文庫4『岩手 八幡平 秋田駒』に当時のバス時刻表の付録がありました。
(初版が1961年7月発行でこの本は63年5月発行の第3版)
松尾鉱山鉄道のダイヤが載っていないのが惜しいのですが、本文によると花輪線との接続は良好だったようで 八幡平スキー場の夏山リフトを利用すれば盛岡からの日帰り登山は可能だったと思われます。
秋田八幡平は蒸の湯温泉・玉川温泉までの道路が完成していて交通の便は当時としても良かったようです。
(秋田八幡平は90年代に入ってもバスの便数はこの頃とそれほど変わっていませんでした)
網張温泉の文字がありませんが、小岩井経由の県道はまだなく雫石からの県道があったのみ、温泉へは雫石駅から西山行きのバスに乗車し終点から登山道を1時間30分〜2時間とあります。

付録にはありませんが、田沢湖(生保内)から玉川温泉へは営林署のトロッコに便乗(3時間〜6時間)し、五十曲から登山道を2時間とあります。ただし営林署の都合で運行時間が不定期で運休もあるとのこと。
ところが、69年4月発行の別のガイドブック・アルパインガイド12『八幡平国立公園と早池峰』ではこのトロッコが廃止となり、生保内〜戸瀬間は羽後交通のバス、戸瀬からは軌道跡を辿り五十曲の山道経由に変更になっています(戸瀬〜温泉間徒歩3時間)。
ちなみに、「五十曲」は八幡平田沢湖線のバス停として残っていますが利用する人いるのか?という場所です。
また、同書によると雫石の国見温泉へは中央バスが盛岡と雫石駅から2往復ずつ運行されていたようです。

バスダイヤだけでなくその後間もなく廃道になった登山道(網張への登山道もその1つ)も紹介されていて、タイムマシンがあったら当時に戻って歩いてみたいな〜と思うのでした。

Re:1960年代初めの八幡平周辺

#943名前:管理人時刻:2013-05-06 21:55:26

こんばんは。
珍しい資料ですね。雫石管内の岩手中央バスの路線構成は、1980年代と大きくは変わらないように見えます。
岩手山柳沢方面というところに、「分レ」までのバス時刻表がありますが、欄外に「滝沢駅−柳沢間に国鉄バスが期間運行」というようなことも書いてあります。
また、盛岡−柳沢間の登山バスは盛岡市内の利用者向けで、東京からの登山者には利用価値がない・・・とあります。
当時は東北本線も盛岡まで電化されておらず、ディーゼル特急「はつかり」でも8時間はかかったようですので、当然日帰り旅行者などはいない時代です。
1泊してから岩手山に向かうか、夜行列車で着いて早朝に岩手山に向かうか・・・それなら、盛岡市民も旅行者も朝早く出発すれば変わらないように思います。
柳沢行きは時刻表がないので、真相は不明ですが。

Re:1960年代初めの八幡平周辺

#944名前:とまります時刻:2013-05-07 19:40:34

>滝沢駅−柳沢間に国鉄バスが期間運行
詳しい記述は無いものの、本文を読む限りでは当時盛岡5時30分発の大館行きがあり滝沢でこの列車に接続して 運行されていたらしいのですが、1964年4月発行のアルパインガイド25『東北の山』では「夏の登山最盛期には 定期に国鉄バスが柳沢まで運行したこともあったが、最近は中止しはなはだ不便」とあります。
盛岡−柳沢間も運行期間が短く運行日も年によってまちまちなので、時刻表には載せ難かったのでしょうか。
当時もその後も(90年代後半に廃止されるまで)、交通公社等の時刻表で運行時刻を見た記憶がありません。

山渓文庫の付録では松尾鉱山鉄道の終点は「屋敷台」と書かれていますが、本文では「東八幡平駅(旧屋敷台駅)」となっています。
(付録と本文とではタイムラグがあるように感じます。)
また、分レ・東八幡平・沼宮内方面のバスについては「盛岡駅から徒歩3分ところにある開運橋の手前横丁の木伏停留所(現在の盛岡駅口?)から岩手県北バスに乗車」とあり、県北バスは当時も盛岡駅前には入っていなかったことが窺われます。

Re:1960年代初めの八幡平周辺

#946名前:管理人時刻:2013-05-10 21:33:06

盛岡−柳沢間と言えば、サイト内「過去の本棚」にも載せていますが、1984年に県北バスのチラシをもらってきていていますが、1日2往復で、期間中の土日祝のみ運行です。
分レ〜柳沢間はバスで8分ほどの距離なので、登山者なら歩いていくことも可能なんでしょうね。
話は違いますが、大学生当時、「分レ」という名のバス停は、さだまさしの歌になりそうだな、などと思ったものです。

盛岡駅口のバス停は、県北バスにとっては苦肉の策だったんでしょうね。
駅構内に乗り入れるようになったのは、東北新幹線開業に伴い八幡平方面の急行バスを新幹線に接続させるために乗り入れたのがきっかけと聞いたように思います。

Re:1960年代初めの八幡平周辺

#949名前:とまります時刻:2013-05-12 19:55:50

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> 盛岡−柳沢間
朝の柳沢行きはまずまずと思われますが、バス利用で柳沢コースを日帰り登山しようとすると、帰りの便が無い!(ちなみに、分レ−柳沢間は徒歩1時間30分!!)
柳沢から登山口の馬返しまではさらに1時間ほど歩かなければならないので、利用が伸びなかったのかもしれません。
晩年は馬返しまで運行されましたが、その数年後に廃止となりました。
早池峰山や栗駒山のように朝一の新幹線に接続する便があったら、もう少し生き長らえたかもしれませんが・・・。

交通公社の時刻表78年12月号によると、八幡平観光ホテル・頂上行きは盛岡駅前に乗り入れてました。
81年になると、八幡平温泉郷・松川温泉方面へも盛岡駅前経由になっていました。
フロントに表示されていた「急行盛岡駅経由」「盛岡駅経由」のプレートは、なるほど必需品だったのでしょう。

Re:1960年代初めの八幡平周辺

#953名前:管理人時刻:2013-05-17 21:41:17

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八幡平方面はだいぶ前から盛岡駅に乗り入れていたんですね。
私のほうでお見せするのは、東北新幹線開業後の1985年に国鉄が「東北時代」キャンペーンの一環として地元バス事業者と作成した「十和田・八幡平コース」の観光路線バス時刻表の該当部分です。
夏ダイヤなので、八幡平頂上方面も松川温泉方面もかなりの本数が運行されています。
東八幡平(八幡平リゾートホテル、プータロムラ)方面のバスは盛岡駅口経由ですが、この時刻表だと八幡平頂上行きの急行から乗り換えられるようになっており、盛岡駅から行けることがアピールされています。

Re:1960年代初めの八幡平周辺

#955名前:とまります時刻:2013-05-22 19:59:15

85年の時刻表、今となっては本数の多さに圧倒されます(苦笑)。
この頃は秋田県側でも本数が多くて、バス時刻表を持たなくても丸一日山歩きが楽しめました・・・。

> 東八幡平(八幡平リゾートホテル、プータロムラ)方面のバスは盛岡駅口経由ですが
古い雑誌を見ていたら、79年暮れに国鉄資本の八幡平リゾートホテル・東八幡平スキー場がオープンしており、八幡平温泉郷方面はこれがきっかけで盛岡駅前に乗り入れるようになったのではと想像しています。
また、1960年代の時刻表にも載っている「もみ山山荘」は「国鉄山の家」だったそうで、そうなると八幡平頂上行きも、国鉄との関係で盛岡駅前に乗り入れていたのかなと想像しています。
(アスピーテライン開通後も山荘が廃業するまで「山荘前」というバス停が存在したとのことです。)

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