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國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
数年前宮城県白石市の4号線で3台の国際興業のバスが仮ナンバーで北上していきました。直感で、あ、岩手に行くんだなと思いました。 昔から4号で岩手まで回送してるんじゃないですかね。たぶん
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
御情報有難う御座いました。返信してくれる人がいるかどうかと思ってたので、嬉しかったです。
仮ナンバーかどうかは、仕事中の事もあって、気は配れませんでした。今思ってみて、ちょっと惜しかったですけど。ただ、あんな夕刻に矢板だったら、岩手に着くのは凄い時間だった筈で、運転手の労力をみたら、高速を走った方がよさそうですけどね。
あとはこの時期の岩手県交通等に、この付近の車番の入車記録があるかどうかですね。
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
元埼玉のバスfan様
はじめまして 94年9月、矢巾営業所を訪問したときに、国際興業CLM5196号がいました。 これから県交通になる車両とみてほぼ間違いないでしょうね ほかにも5〇9〇号とピカピカの青銀カラーのまだ登録されていないCLM2台が置いてありました
元埼玉のバスfan様が目撃された5137号は矢巾営業所のCLMの仲間たちかもしれませんね。
バスの陸送は高速を使わず、4号線を走ってくると当時の矢巾の工場の方が言っていました。
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
53様
こちらこそはじめまして。こんな貴重な御情報を有難う御座いました。お仕事でですか? バスの会社の工場の方とお会い出来たっていいですね。
私は、少年の頃バスファンでしたけど、バスについては未だに誤認識の情報や謎が多い次第です。鉄道関係会社は昔から少年ファン達にも暖かいようですが、バス会社関係は特に昔はあまり暖かく無かったようで、正確な情報も得にくかったです。
大型車のディーラーにしても、乗用車のように気軽にカタログを貰いには行きにくいですね。それどころか、店にも恐ろしくて入れない程です。
そういえば私がこのサイトに足を踏み入れたきっかけも、貴方様の「1066かも?」の書き込みを読んだ事でした。例のテールライト移設の件も、移設の頃の記憶が私自身に強く残っていても、その手の投稿は全く見つからなかった(私もパソコン音痴ではありますが)事もあり、どんな反響があるかは判らないまでも投稿しました。それらも含めていろいろな事実が明かされるのは、気がスッキリするものです。
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
国際興業の青窓冷房車はサブエンジン式で特徴的でしたね。BUは2世代、CLMは3世代あったと思います。当時はバブルに向かってまっしぐら、毎年のように運賃が値上げされてたと記憶しています。車両も新しければ新しいほど良く、豪華になっていきましたね。特にCLMの最終バージョン(5200後半〜5300?)は、椅子がふかふかの柔らかいやつになっていて、国際興業バスの車両設備としては最強だったかもしれません。CJMは直結冷房や系統幕の一体化などで少し簡略化が始まっていますし、その後は中型車LTになってしまいましたからね・・もっとも、本格的に簡略化が始まったのは、LTの二次車以降で、屋根裏ベンチレータや行灯式入口出口も、ワンマンプレートさえ無くなってしまった頃からですかねぇ〜
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
BU04青窓冷房車は2世代だったのですか。車番(ホントは社番て書くのですか)は50XXしか無かったようですが。それとも、2年に分けて導入されてどこか微妙に違うのですか。
50XXの運転席計器盤左のあたりには「登坂時はローギヤから」という表示が貼ってあったのを覚えています。当時振り返ると、全数冷房車でなかったので、学生達がこれを選び乗りする風潮でしたね。鉄道も前後3両のみ冷房というのも多くて、ホーム上で流れ移動して乗る風景もザラでした。
CLMは、52XX〜は前扉の窓が縦長の一枚ガラスになりました。また、新車当時は冷房でない35XXというのもあったのでしたが、数年後には改造されました。これより後はあまり詳しく知りません。住居も埼玉でなくなったので。
CJMは60XXという車番でしたが、6QA2エンジンのためか、ガラガラ音が大きくて、当時は他社のバスみてえだな、なんて思っていました。
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
元埼玉のバスfanさん、こんにちは。
BU04青窓冷房車は、前扉の4枚ガラスが小さいタイプと大きいタイプがありましたね。ここにいらっしゃる方は十分にご存じだと思います。その他には、非公式側の一番後ろのルーバーの大きさが違っていたと記憶しています。初期の方は点検蓋いっぱいにルーバーがあり、後期のは点検蓋中央付近にあったような・・点検蓋自体の大きさが違ったのかもしれませんが。あとは、車内冷房装置、一段高くなっている部分が、初期のものはエッジの部分が丸く処理されていましたが、後期〜CLMのものは角張った仕様になっています。シルバーシート下の点検蓋の取っ手も3種類くらいあったと思いますが、どう違いがあったのかは失念してしまいました。
CLM冷房車の最終モデルでは、他に中扉センサーの位置が変更になったり、運転席から車内を確認するミラーがひとつ追加されたりしていました。
この頃の国際興業では、車番に関しては車種ではなく、車内設備や座席配置で分類していたのでは?なんて思ってしまいます。まぁほんの一時期3000、5000、6000だけですが。
CLMの35XXは、前扉が2枚ガラスの連続タイプですので、冷房車CLMで言うと一番後の時期に入ってますね。何故数年を経て再び非冷房が登場したのか不明です。これら後に冷房改造されるタイプは、冷改準備車というか、最初から非公式側側面のデザインが異なっていましたね。
CJM(6000)は座席配置が3000に近いですが、後ろ側の2列シートが増え、また冷房装置のせいで天井も低くなっていて、後部付近の雰囲気が独特でした。
私の学生時代も非冷房混在時期でしたが、アマノジャクだった私は空いている非冷房車を選んで窓全開で気持ちよく乗っていたものです。
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
獣様
いろいろと御教示有難うございました。形状細部に関しては、他に右に出る人もなかなかいない程の観察力ではないでしょうか。私が小さい頃描いた絵も、
ライトの位置や形状、網部等、誰が見ても特徴のある部位はちゃんと描いていましたのですが、蝶番やライトレンズの模様等、あまり気に止まりませんでした。
今改めてオートシェイブ等でいたずらに、昔描いてた絵を描きますと、細部も描かないと、リアル感が出なくて気が済まないです。今更にして、小さい頃にこうでありたかったと悔やむ限りです。
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
そんなにたいした観察力ではないです。私の方こそ、元埼玉のバスfanさんの観察力・記憶力に敬服しています。注目している場所が少し違っていたというところでしょうか。子供の頃って不思議と細かいところを良く見ているものですよね、視力も良かったですし。私は当時新車ばかりに興味があって、古い車両の記憶が曖昧なのが悔やまれます。その点、元埼玉のバスfanさんの情報で補完されるので嬉しく思います。
非冷房の側面違いですが、何かの点検蓋位置が、同じBUでも3200あたりのものまでと異なっていたので不思議に思っていたのですが、最終的に冷房改造されたことで納得がいきました。そうそう、3200と言えばロットの途中?で後面ルーバーが無しに変更されたのが面白いです。3300との違いは左下の丸い出っ張りの位置が少し低く、塗装ラインの半分くらいまでかぶっていたのですが、ルーバー有り無しに関わらず出っ張りは同じ位置でした。3100までのBUは、ルーバーの部分に出っ張りが無かったんですけどね。
BUの青窓冷房車の外観違いは、写真に残っているはずなのですが、デジタルデータにしていないので実家のどこかに・・今度探しておきます。
せっかくの画像掲示板なのでちょっと関連した画像をUPしておきます。この5091号は本来最終版のBUなのですが、前ドアがガラスの小さいタイプ(ここだけ着色されていなかったので非冷房車からの移設と思います)交換されていました。事故か何かで破損したのでしょうか。珍しいので気になっていました。
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
獣様
懐かしい写真有難う御座います。うっすらな雰囲気で、大宮ナンバーを覗かせてますね。
最近になってから正確な正体が判って、恥ずかしいと言えばそうなんですが、この5091ですが、低床ですね。牽引フックの向きや、ステアリングホイールと平面窓のZ方向位置関係がその鍵ですが、BU04は初期31XXは低床ではなかったと記憶しています。
情景記憶で、BU06(30XX)とBU10(21XX〜25XX)が真横に並んだときは、BU06の方が天井が低かったのは印象に残っています。低床の試作車なので当然なのですが。広告紙の裏にもよく絵を描いていました。しかし、初期BU04(31XX)は再び天井が高くなったのも記憶しています。この頃は勉強に付いて行く使命に追われた頃で、もう絵なんか描いてる暇も無くなりました。乗ったり見たりする度に、自分の視野に届く範囲の情報で、傍らから未練見守りする以上に何も出来なかったのです。昭和54年あたりまで長年導入された中でいつの世代から変わったのでしょうかね。或いは、そのときによって、あっちだったりこっちだったりしたのでしょうか。もしかしたら御存知でしょうか。
子供の時分に、自前カメラは無かったし、あまり裕福では無かったので残したい物も記憶にしか残っていません。BU10が現役だった頃も、東武の前向きシートを眺めて、時々だけでも乗りたいと思いましたが、実際に用があったときの、偶然に乗れた2回程に終わってしまいました。
興味はありながらも、情報に乏しい身の程でした。
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
こんにちは。
初期のBU04が低床でなかったという話は初めてです。
私の記憶では、座席配置含め全て同じだったような・・と思って少し確認してみました。
参考までに、バスグラフィックvol.16に3113号の写真があります。
牽引フックの方向の違いは良く分かりませんが、3113はハンドルに少し角度が付いているような?バンパーから前扉までのボディ下辺落ち込み角度が少し浅いようにも見えます・・が、LVあたりのようにはっきりとした違いではないです。それにしてもやはり見ているところが違うというか、素晴らしい観察力ですね。
先に書いた32xx後面の出っ張りの話ですが、少々修正します。
3300〜3400、またCLMやCJMは、出っ張り部分の塗装は完全に白でしたが、32xxは緑の部分の境目がかかっている、の間違いでした。もしかしたら床の高さの違いに関係しているかもしれませんね。32xxの後面バンパー左下に楕円の穴が3つ空いているのが特徴でした。私が好きな車両の一つです^^
>子供の時分に、自前カメラは無かったし
そうなんですよね〜今はデジタル時代だし何にでもカメラが付いてますから好きなだけ撮れていいですよね。
自分で撮らなくてもどこかしらネットに転がっていますし。
逆にフィルム時代の写真は貴重です。
ろくな写真が残っていないのですが、大切にしています。
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
獣様
32XXの写真見ましたが、これは低床ですね。フックの向きが縦ですし、ステアリングホイールの前端(いちばん高いところ)が、平面窓の高さの半分程のところにあります。ただ、31XXですが確かに登場したとき「あれ、天井また高くなっちゃった。」と感じてた記憶はあります。他方、車体自体の高さをUPした可能性もあるなら低床には変わりなさそうですが。しかし残念な事、31XXと32XXが横に並んだのは見た事がありません。
他方、真横から見て、前ウィンカー下端とヘッドライト上端の高さ位置関係が、BU06はこれが数センチオーバーラップしていました。絵も描いてたのでよく覚えています。これが31XXはスレスレか一寸オーバーラップしてる程度になってた記憶もあるのです。
それてもう少し言うと、BU06まではオレンジ一色のウィンカーでしたが、31XXからは新車から白小窓車幅灯付きの物になってましたね。しかしこの前ウィンカーも、昭和54年頃ですか、最新BU10の25XXもBU06も順次改造変更されました。この改造ですが、運転席計器盤周りも33XXと同?タイプに変えられました。
あとは、全周連続してた雨樋が、車体後面形状変更に連なって、側面後端で下へ落とす形状に変わったのと、ワイドステップに変わったのと、窓1枚分短尺になった事が、当時強く印象に残りました。
座席パターンは、BU06は前2列が前向きで、31XXは前2列,後2列が前向き、32XXは全部前向きか中扉戸袋部以外が全て前向きだったと記憶しています。
これらの真実は、昔の写真から割り出すしかないですね。
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
獣様
少し追記します。
>私の記憶では、座席配置含め全て同じだったような・・
BU04の座席配置ですか。ひょっとすると、後から改造されてこうなった可能性もあります。以前尋ねた、板橋の方の昭和51年式BA20にしても、輸送力強化の為に座席を変更した旨の証言も有りましたので、この程度の事は、あってもおかしくなさそうです。実際、材料さえ与えられたら、DIYショップの工具で誰でも出来ますね、こんな程度は。
因みに、うっすら記憶ですが、34XXも当初は非冷房だったのが冷房に改造されましたでしょうか? 通学にバスを利用しなくなって、乗る機会が激減した後だったので、曖昧な記憶です。しかし非低床を低床に改造するのは不可能に近いでしょう。冷房化改造よりも凄い手間でしょうから。31XXの現役写真、改めて確認したいですね。
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
こんにちは。
私も少し頭の中で整理しているのですが、自分の記憶と他の色々なところからの情報が異なっていて、混乱しています。
こちらのHPの、岩手県交通>譲受車>元国際興業のところのBU10角型ですが、非常口下の小さなルーバーが2つに分かれているように見えるのですが、私の記憶では1個だったはずなんです。
あと以前にも書かせてもらったのですが、BU06はサイドモールが付いていたはずなのに取り外されて?しまっています。
私の覚えている限りは、BU10もBU06も、ウインカーは変更されないまま廃車になっていたと記憶しています。
この辺は良く分かりませんが、国際興業は登場時からのパーツ変更は少ない方だと思います。現在でも他社に
見られるような、方向幕のLED化とかしなかったですよね。
一つ考えられるのは、当時子供だった私は、その行動範囲から戸田営業所か浦和営業所の車両しか見ていません(乗ったのは戸田のみ)ので、営業所によっては元埼玉のバスfanさんがおっしゃるような車両があったのかもしれません。
それで31xxに戻りますが、同ページのBU04(岩22か2187)が、それに当たるものだと思います。ハンドルの角度やバンパーから前ドアまでのボディ下辺の角度なんかはバスグラフィックス掲載の3113号とそっくり同じです。
34xxですか?私は33xxと同等(冷房5000の一次車、二次車の違い程度)と思っているのですが・・
ちなみに非冷房のCLMも続き番号だったので、3499とか、そういう番号の車両があったはずです。
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
岩22か2187の写真見ましたが、やはり低床ですね。その上方にあったBU06と見比べました。
先に記しました、ウィンカーとヘッドライトの位置関係は記憶の通りです。しかし、BU06はヘッドライトの位置が高めのようで、この為から来る実情でしょうか。強いて言えるのは。雨樋の位置がBU04の方が微妙に高いのでしょうか。言い換えると、ヒサシ付き帽子を深くかぶったのと、少し浅くかぶったのとの違いみたいなもんですが。屋根面の前端曲面が、BU06はやや大きめに落ちてるような気もしないでもないですね。
あの当時、多くの現役BU10がいる中で、駅等で客乗せ待ちをしている横を追い越し避けて行くシーンをよく見ましたが、確かにBU06よりは雨樋が高かったように記憶しています。当然、目線よりは高いので雨樋の位置しかアテに出来ませんですが。
歪のない写真を画像ソフトで比較しないと答えは出ないでしょうね。
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
あらためてこちらのHPを見直させていただきましたが、BU04初期は向かい型シートがあったようですね。
私の記憶もかなりボケてきています^^
ところで、我々が31xxと呼んでいる前のモデルは、いきなりBU06になってしまうのでしょうか?30xxという車番は存在しない?
それとも一回り前に使っていて重複を避けたのでしょうか。
ちょっと気になっています。
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
この辺の、車番の境目と車種の境目のズレは目撃チャンスが無かったですね。私の知る限りは、丸型爆音BU10の20XXは2106までは割り込んでいた事、22XX(カニ目ウィンカー)と23XX(縦長ウィンカー)の境界では、2299が既に縦長ウィンカーになってた(赤羽で目撃)事、ド古になりますが、BA741の1世代目(リアが独立3枚窓)では13XXが主なのですが1297にも割り込んでいた(与野で目撃)し、1417にも割り込んでた(草加で目撃)事ぐらいですね。
非常に強いて言うなら、30XXが大分増えた頃、浦和か与野あたりかで3101を目撃し、これは前ドアから先しか見えませんでした。それから暫く(期間は曖昧)経って、31XXが埼玉にピカピカでやってきました。國際興業の場合、本拠の池袋に最初に新車がきてそれからジワジワ周囲に伝達していくのが当時の状況でしたので、3101はひょっとしてBU06だったのではないでしょうか。今にして、しまった、と思いましたが、ドア下方の板蓋付きスリットの有無に注意しとけば良かったですね。自分が走ってる方向と直角違いで信号待ちしてるのを一瞬しか見なかったので、気付きませんでした。
そうそう、30XXの記憶、もうひとつ言います。47年頃ですが、まだ25XXが最新だったとき、テレビに「3050」という國際バスが素早く通過したのが映りました。私はアレっと思いました。暫くして足立の方に行ったときに、系統番表示器付きの國際バスを後ろから見てオッと思い、僕らの車がそれを追い越したところで車番を見たら3045?だったと記憶しています。今度は前から見たら、窓の雰囲気が全然違っていて、窓下のラインが低かったので、驚きました。この衝撃が冷めた頃、埼玉に3080あたりのがやってきました。今でも鮮明に記憶しています。
Re:國際興業の旧車、栃木周辺の何処かへ渡ってたのですか。
922で書いた、BU04非公式側のエンジンルーバーですが、誤りがありました。
過渡期のもの(50xx、最初期冷房車)の写真がありましたので、ご参照ください。
ちなみに、BU04初期〜後面ルーバー廃止直後の頃までのものは、点検蓋いっぱいにルーバーが設けられていたのに対し、このモデルからは若干縮小され、点検蓋左下に配置されています。さらにこの次のモデル〜CLM/CJMまでは、ルーバーの大きさや配置自体は一緒ですが、点検蓋の左側が少し延長されて、結果的にルーバー配置が中央下側にあるように見えます。
また、国際興業の仕様では、標語が入っていた小さめの広告枠の位置が、サブエンジンに被さるようになっているのが初期車両の特徴で、二次車以降はこれが前タイヤの後ろ側に移動し、広告を外さなくても点検ができるようになっています。
'94年の夏頃です。私は暫く矢板市のあたりに出張していましたが、夕刻の頃に、國際興業で役目を終えたと思われるいすゞCLMが、渋滞している国道4号線を北上していました。この情景とは、結構頻繁にすれ違いました。車番は5137あたりのやつだったのですが、実はこれ、'80年頃新車で埼玉にやって来ました。14年という計算になりますが、それ以前のBU10等も14年で消えて行ったのと一緒です。
このCLMは、最後のBU04で車番が50XXのやつの次に登場したモデルチェンジ盤ですね。因みに、50XXは國際で最初の青窓の冷房車ですね。
勉強に押されてバス興味が衰退した後でしたが、今でも強く印象に残っています。國際の旧バスが岩手に行ってるというのはその頃少し知っていましたが、まさかそこへ行くのに、矢板で既に高速道路を降りているのは一寸ミスマッチだろうと思っていました。その当時、太田原周辺に東野バスというのが走ってて、同じ外観のバスがまだ活躍中だったので、そこに譲渡されたんかな、とも勝手に空想してました。或いは、岩手に行くのでも、寄り道で矢板の下道を走ってる可能性も有りますが。
実際のところ、どこへ譲渡されたのでしょうか。或いは産廃場に向かってたのでしょうか。