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群馬県の国鉄バス廃車体について

#700名前:KM時刻:2011-10-17 12:28:07

はじめまして。
貴重な記録、いつも役立たせていただいております。

さて、群馬県内に残る国鉄バス廃車体の件ですが、知っている限りでの訂正箇所をお伝えしておきます。
当方の勘違いもあるかもしれませんが、お許しください。

・日野RC721P(群22あ1938)
 この車の国鉄時代の称号、537-2971ではなく537-2471です(当方の手元には長野原自営の諸元表があります)。
 エアサス車ではなく、リーフサス車です。
 正式な形式名はRC721P改。
 RC721Pは本来エアサス搭載シャーシなのですが、この車はリーフサスに改めて製造されていますので、改造形式扱いになっております。
 長野原にはほかにもう1台の同型車2472がいましたが、こちらは上野湾岸線(上野駅〜TDL)開業の際、6型の投入が間に合わず貸出された経歴を持ちます。
 余談ですが、537-2971の称号を持つ車は、当時石川県穴水自営にいまして、日野RC301Pでした。
 なお、長野原には537-1401・1402というのがあって、これもエアサスシャーシ改造扱いのリーフサス車でした。
 形式RC701P改、721より軸距の短いモデルになります。

P-MS715SA
 これは上野湾岸線などに投入するため、東京自営に納入されたグループかと思います。
 国鉄時代末期の東名はMS504系列・MS735・MU525(SHD)の運用実績しかありませんので(非常時運用を除く)、MS715が運行されたことは基本的にないと思われます。
 後に常磐高速系統などに転用されたようですので、「特急東京駅」の方向幕はその頃のものかと推測します。

ちなみに531-0401(K-CPM500)は、長らく西那須野で過ごした車のはずです。
民営化後長野原に転属となったのでしょうか。

RC721P改(537-2472)の現役時の画像がありましたので、添付させていただきます。
上野湾岸線応援時代の記録です。ご参考までに(退色が酷くお見苦しいですがご容赦ください)。

Re:群馬県の国鉄バス廃車体について

#702名前:管理人時刻:2011-10-17 22:35:48

はじめまして。
貴重な情報ありがとうございます。誤記は早めに訂正させていただきます。また、いただいた情報は、KM様からの情報ということで、本文にも反映させていただく予定ですので、ご了承ください。
RC721P改ですか・・・。高出力でエアサス前提のシャーシを改造扱いでリーフサスにするなんて、今からすると無意味なことに思えるんですが、当時は国鉄バスに限らずいろんなユーザー仕様がありましたから、不思議はないんでしょうね。
いすゞの場合はCQM,CPMというリーフサスモデルがあったので、同等のものを日野に求めたんでしょうか。

Re:群馬県の国鉄バス廃車体について

#704名前:KM時刻:2011-10-18 00:44:33

返信ありがとうございます。

> いすゞの場合はCQM,CPMというリーフサスモデルがあったので、同等のものを日野に求めたんでしょうか。

仰る通りかと思います。
高出力リーフサス車は需要はそれほどなかったと考えるのですが、東北や信州などの一部ユーザーでは稀に好むところがあったようですし、特に国鉄バスでは非合理かつ保守的な習慣が根強かったように思います。
そんな事情が反映されてのことでしょう。

青森には観光タイプボディのCQMがいて、主に十和田北線などで活躍しましたが、この仕様に合わせるように日野の高出力車も投入されていました。
この車は管理人様のサイトでも詳しく説明されていますね。
長野原の車と同じようにRC721P改で導入されたグループです。

青森のRC721P改、537-3074〜3078の5台が配置されていたのですが、このうち3074〜3076の3両はやや観光寄りの仕様で調達され、フロントマスクとシートが異なっていたのが特徴です。
537形は本来前向き2人掛け固定シートですが、この3両については6型並のリクライニングシートが付いてました。
昔は54×形というのが存在したようですが、近年はその例がなく、建前上537形で落ち着いたものなのかと推測しております。
一応私の手元にある537-3075の画像を添付させていただきました。

青森と言えば、5〜6年前ですが、青森郊外の辺鄙な国道沿いに、かつて盛岡に所属し「ヨーデル号」などで活躍したLV219Sの廃車体が2両、無残に破壊された状態で放置されていたことを思い出します。
新車当時の写真と荒廃した廃車体の画像、並べてみると、時代の流れとはいえ残酷さすら感じてしまいました。

本題から脱線しすぎました。どうかお許しください。

Re:群馬県の国鉄バス廃車体について

#706名前:管理人時刻:2011-10-18 21:38:29

こんばんは。
十和田北線の537-3074〜3078もRC721P改だったんですか?
これはエアサスだと思っていました。同時期のいすゞもCQAでしたし、次年度以降の日野もHUでしたので、十和田北線はエアサスなんだと理解していたわけですが。
添付の写真は537-3077です。変な顔をしているとは思っていたんですが、仕様が劣っていたんですね。あまり見ない顔つきなので、事故でも起こして変顔で復旧されたのかと想像したりしていたんですが、元々こんな顔だったんでしょうか。

Re:群馬県の国鉄バス廃車体について

#707名前:KM時刻:2011-10-19 00:49:43

こんばんは。

> 十和田北線の537-3074〜3078もRC721P改だったんですか?
> これはエアサスだと思っていました。同時期のいすゞもCQAでしたし、次年度以降の日野もHUでしたので、十和田北線はエアサスなんだと理解していたわけですが。


537-30××ですので、称号通りリーフサス車ですね。もちろん非冷房です。
形式は5台ともRC721P改です。
この頃までは十和田北線の5型車はまだリーフサス車での投入でした。
いすゞ車は1983年度の青森自営投入はなかったのですが、前年の1982年度の導入(531-2074〜2078の5台)はCPM550、やはりリーフサス車で入ってます。
十和田北線用5型の投入は、このあとの増備分からエアサス車になりました。
翌々年1985年度のHU275A(ただしこれらは86年に全車他地区に転属)、さらに1986年にはいすゞ製と日野車混合で10両調達され、LV218M(531-6554〜6558の5両)と、HU275B(537-6551〜6555の5両)という内容です。
なお、余談ですが、少なくとも東北管内ではCPA・CQAの5型車の配置はなかったと思います(国鉄全体でもなかったかもしれません)。CPM・CQMはいずれも存在したのですが。

3074〜3076よりややグレードを落とした3077・3078ですが、どちらも新製時からこの顔だと思います。
もう1台の537-3078の画像を添付しますが、やはりこの顔です。
まさか同時に事故に遭い2両揃って同仕様に復旧したなどということはないと思いますので…。
同じグループの中で仕様分けされた理由については不明です。
前年のCPMはこのような差別化は見られませんでしたので、謎ですね。

Re:群馬県の国鉄バス廃車体について

#708名前:管理人時刻:2011-10-20 21:40:14

こんばんは。
前年のいすゞもリーフサスだったんですね。これもCQAであると捉えていました。
当時はちゃんと前ドアから車内を覗いて銘板を確認し、そのメモを現像した後のフィルムのリストに転記していたので、今の今まで間違いはないと信じていたのですが。どこかで転記ミスか思い込みがあったんでしょう。
十和田北線も、路線顔の時代はリーフサスだったものの、観光顔になってからエアサスになったんだと自己完結していたんですけどね。
なので、国鉄バスの車号は結構曖昧なんだなあ、などと思っていたんですが、実はちゃんとしていたんですね。
国鉄バスの中距離観光タイプは、冷房の有無、サスの違い、シートのリクライニングの有無、出力の違い、など地区によってさまざまで、その上地域間移動があるので、仕様の理解は大変でした。

Re:群馬県の国鉄バス廃車体について

#709名前:KM時刻:2011-10-21 04:05:18

> 当時はちゃんと前ドアから車内を覗いて銘板を確認し、そのメモを現像した後のフィルムのリストに転記していたので、今の今まで間違いはないと信じていたのですが。

昔はネットなどありませんでしたから、情報は自分の足で稼ぐものでしたね。
私も同じように銘板を頼りにしていましたので、その苦労がよくわかります。
改形式は銘板を見ても表示されていない(はず)ですので、なかなかわかりにくいです。
幸い私は幾つもの配置表や諸元表をいただいたりしていましたので、この辺については把握はしやすかったのですが、それでもミスは多々あったと思います。

> なので、国鉄バスの車号は結構曖昧なんだなあ、などと思っていたんですが、実はちゃんとしていたんですね。

たいていの場合称号は正確なのですが、曖昧なのも混じっているのが厄介です。
青森の537-3074〜3076がリクライニングシートでありながら称号に反映されていないのが好例です。
もしかすると、後にシート交換を受けたグループかもしれません。
改造の場合、本来称号をいじる決まりもあるのですが(531-51××などというのがありました)、晩年は特に称号は変更せず、改造前のものを引き継ぐようになっていたようです。
添付画像の車もそのような例のものです。
香川県観音寺自営の531-7008、BU04。
称号は非冷房車ですが、ご覧の通り冷房改造されています。
窓ガラスが冷房車の色付きガラスでなく、無色なのが改造車の証です。
懐かしいいすゞシャーシ+日野車体も、すっかり過去のものになりました。

日野車体のいすゞ車、どれもこんな顔つきでしたが、関東にたった2両だけ、ちょっと毛色の違うのが隠れていて、これはとても貴重な存在でした。

Re:群馬県の国鉄バス廃車体について

#711名前:管理人時刻:2011-10-22 21:54:38

当時はネットもなかったし、親切なバスの雑誌もなかったので、自分の目を信じるしかなかったのが実情です。
RC721P改の改の字は銘板には書いてなかったでしょうね。しかし、Pがついているのにエアサスじゃないなんて(もし)当時言われたとしても、にわかには信じられなかったでしょう。ちょっと反則な型式ですね。

写真のBU04は冷房改造以外にも、ドアの窓が変ですね。丸すぎます。中ドアの窓は小さすぎますし。
これはどのようないきさつがあるんでしょう。

> 日野車体のいすゞ車、どれもこんな顔つきでしたが、関東にたった2両だけ、ちょっと毛色の違うのが隠れていて、これはとても貴重な存在でした。

ん?また気になる話題を投げかけられてしまいました・・・。

Re:群馬県の国鉄バス廃車体について

#712名前:管理人時刻:2011-10-23 11:09:10

これまでご教示いただいた内容について、本文に反映、注記しました。
その際気づいたのですが、1982年式のいすゞはサイトデザイン改修の際にCQM550をCQA550に転記ミスをしていたことが分かりました。説明文のところには「リーフサス」と自分で書いていましたし。なので、当時銘板を覗きこんでメモした際には間違っていなかったわけでした。

Re:群馬県の国鉄バス廃車体について

#713名前:KM時刻:2011-10-23 18:29:02

少しだけ話題を振ってしまった、異色のいすゞシャーシ+日野車の件です。
どういうわけか、完全に日野車の顔をした車両が、知っている限りで2両だけありました。
館山自営の531-1411・1412、形式はCLM550。
早い話、ライトベゼルに日野用のものを転用している仕様です。
おそらくパーツ供給の関係などで、やむなくこの形態になったものと思いますが、国鉄に多数在籍した日野車体架装いすゞ車でも、ほかには見られない珍しいものでした。
リアはテールランプ位置がいすゞ車同等なので見分けが付きますが、画像の位置からでは日野車と見間違うかと思います。
見分けるポイントは、リアオーバーハングの裾部分の形態(日野は底辺部分に角度がついて尻上りだがいすゞは水平)、車体後部屋根上のエンジン吸気口・ダクトの有無(日野はダクト付き、いすゞはダクトがなくすっきりしている)、正面窓ウォッシャー液ノズルの数(日野は一つ、いすゞは左右に分かれて二つ)などです。
日野の顔をしていますが、走るともちろんCLMの音がします。
なお、同グループの車はほかに数台あったのですが、この2台のみが日野マスク、ほかの車は本来のいすゞ用ライトベゼル仕様となっていました。

> 写真のBU04は冷房改造以外にも、ドアの窓が変ですね。丸すぎます。中ドアの窓は小さすぎますし。
> これはどのようないきさつがあるんでしょう。


確かに違いますね。今まで気付きませんでした。
ツーマン車をワンマンに改造する例は国鉄では多く見られましたが、各地の工場などで改造を受けた関係で、地域間でいくらか差異があるのかもしれません。
元々531形の冷改自体が珍しいもので、ある意味四国独特と言えるものでした。
中ドアの窓サイズは、ツーマン時代の仕様を引き継いでいるように見えますね。

CQMの記載は、web制作時の誤記だったようでよかったです。
元のメモが確かであれば、安心ですね。
私などいい加減なもので、メモから間違えていることも度々ありました。

この話題のため、スペースをお借りしすぎてしまい、失礼いたしました。
また何か書き込みできるようなことが見つかりましたら、書き込みさせていただきます。
今後ともよろしくお願いいたします。

Re:群馬県の国鉄バス廃車体について

#714名前:OKMR時刻:2011-10-24 00:17:18

KMさま

貴重な情報掲示ありがとうございます
香川県観音寺自営の531-7008、BU04については 香川県在住の身には大変貴重なご意見で 感謝しております。

わたくしも このバスについて BU04改 と記述しており 四国仕様にはBU04の改が多いのかな? とか 国鉄仕様って変だなあ くらいに思っていました。
冷房改造車だったと もう少し気持ちをこめて調べていたら気になっていたかもしれませんが 後の祭りです。
悔やまれますね

25歳さまの ドアの件に関しても なんとなく妙だな とは思っていましたが そのような会話になったこともこれが初めてなので 大変うれしく思います。
なんだか中型車の中ドアをとってつけたようなかんじもしますね。

> この話題のため、スペースをお借りしすぎてしまい
いやいや わたくしは大変楽しく読ませていただきました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
また 今後の書き込みを大いに期待しております。
ありがとうございました。

Re:群馬県の国鉄バス廃車体について

#716名前:管理人時刻:2011-10-25 20:30:33

OKMRさん、こんばんは。
そういえば、OKMRさんの地元のバスでしたね。
この531-7008、どうやら中ドア折り戸のツーマン車からの改造のようですので、純正以外のドアをつけたのかもしれませんね。
中ドアはまるで金産ボディのようにさえ見えますが、地元のローカルメーカーの作品かもしれません。

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