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41年式BU10の元國際興業盤が、リヤのルーバーが年式にミスマッチの件

#481名前:元埼玉のバスfan時刻:2010-12-06 23:29:51

突然乗り込んで済みません。一寸知ってる事だけ話させていただきます。実は多分ファンの方々では周知でしょうけど、川崎BODYの角型BU10は、古い順に、「前フラッシャーがカニ目型+テールライト位置内側低め」「前フラッシャーがカニ目型+テールライト位置内側高め」「前フラッシャー立体埋込+テールライト位置上方外側出張り」と世代進化しましたね。
しかし國際興業は特殊です。1代目は当初テールライトも低めの位置でした。そして2代目の前フラッシャーは、縦長ランタンタイプ(オバq型観光型の耳に付いてるサイドマーカーに似た形)でした。写真が無いのが残念ですが。そして3代目がデビューした昭和46年頃ですが、1代目が相次いでテールランプが3代目タイプと同じに変わっていきました。子供でしたが、はっきりと記憶しています。
しかし、ただの改造では絶対ないです。おそらく、エンジンをD920HからDH100Hに載せ変えたか、ギヤ比の違うミッションに積み変えたかです。音が違ってた事は明らかに覚えています。改造前は高鳴り方が頼りなかったです。ほんとに古型のTDトラックのD920の音と雰囲気がそっくりでした。真相は確かめられませんが、元々当時では珍しい存在の、トラックバスマニア少年でしたので覚えています。未だに謎は結構ありますがここはBU10角型のテーブルなのでこれまでにしておきます。とりとめもなくてすみません。
それにしましても、角型BU10は斬新鮮烈に心に写りました。それまで丸型の旧式窓しか出回ってない時代に、雨樋の連続した角型でサッシ窓という洗練されたデザイン、頼れそうなDH100Hのサウンドとはいえ、当時とりこになりました。他の方はどう感じていらっしゃるかは知りませんが。

Re:41年式BU10の元國際興業盤が、リヤのルーバーが年式にミスマッチの件

#482名前:時刻:2010-12-07 00:16:22

>>そして2代目の前フラッシャーは、縦長ランタンタイプ(オバq型観光型の耳に付いてるサイドマーカーに似た形)でした。

こんにちは。私もこのウインカーを覚えています。前ドア後方にもサイドランプが付いていたような記憶もあります。私の年代的には記憶に残る一番古いバスが、BU10のこの型だったので、こちらのHPでリヤランプが下側にあった跡の写真を見て衝撃を受けました。

Re:41年式BU10の元國際興業盤が、リヤのルーバーが年式にミスマッチの件

#484名前:管理人時刻:2010-12-07 22:28:04

元埼玉のバスfanさん、はじめまして。 >>2代目の前フラッシャーは、縦長ランタンタイプ
ここに添付した写真のタイプですね?写真は系列の山梨交通の廃車体で、珍しい形だなあ、と思ったんですが、国際興業グループ仕様だったんですね。
また、テールライトを改造した際にエンジンを載せ換えていたかも知れないというのは初めて聞きました。それこそ、リアルタイムで音を聴いた人でないと、またその音を聞き分けられないと分からないことですよね。 勉強になりました。

Re:41年式BU10の元國際興業盤が、リヤのルーバーが年式にミスマッチの件

#487名前:元埼玉のバスfan時刻:2010-12-07 23:02:29

> ここに添付した写真のタイプですね?

こちらこそはじめまして。その通りです。電球2個使いです。光ってるのを見てもよく判るくらいでした。ちなみに言いますと、右側面内側の非常扉と最後窓の間の支柱の降車知らせボタンが、1代目改造前はなかったのです。2代目はそこにあったのです。
幼稚園の頃、リア横向きシートの最右に座ったときにこのボタンが見えると「ヤッター」という気になりました。心を包んでくれる快音が聞けるので。國際時代の車番で言えば、1代目は21XX,22XX、2代目は23XX,24XX、3代目は25XXでした。実際には境目には多少ずれはありましたが。
2001年頃、NHKのアーカイブスで飛び職のドキュメンタリーをやってるときに、その主人公の飛び職が朝バスに乗って停留所を去る場面がありましたが、そのときに国際色時代の1代目のテールライトが低い時代のリヤビューが写って、「2180」という車番も写りました。写真も残っていない今なら貴重です。
しかし、エンジンの真相は、知ってる人も國際興業にもういないでしょうね。長くなるのでここまでにします。

Re:41年式BU10の元國際興業盤が、リヤのルーバーが年式にミスマッチの件

#489名前:時刻:2010-12-14 11:23:10

国際興業でBU10やBU06が末期になると、エンジン音に「ゴロゴロ」という低い音が加わるようになったのを覚えています。子供心に、もうすぐ廃車なんだと思っていましたが、その後ここで第二の人生を送っていたことを知り、エンジンの劣化とは関係無いということが分かりました。するとこれは先のエンジン乗せ替え(?)に関係あるのでしょうか?BU04ではエンジン音の変化は無かったと思います。

>右側面内側の非常扉と最後窓の間の支柱の降車知らせボタン
言われて思い出しましたが、ここだけ違うタイプの降車ボタンが取り付けられていることがありましたね。記憶が曖昧ですが、通常は「とまります(赤紫)」のところに、古いタイプ「停車(緑)」「停車します(赤)」が付いていたような?覚えがあります。

Re:41年式BU10の元國際興業盤が、リヤのルーバーが年式にミスマッチの件

#490名前:元埼玉のバスfan時刻:2010-12-14 21:49:45

> 国際興業でBU10やBU06が末期になると、エンジン音に「ゴロゴロ」という低い音が加わるようになったのを覚えています。

度々有難う御座います。私の投稿にこんなに反響あるとは思いませんでした。実はこれは末期とは限らないです? 多分私の覚えているのと同じ音でしょうけど、答と断言出来ませんが、それから言ってしまうとベアリングの焼け傷んだ音です。記憶を掘り起こすと、DH100系とD920系は、生産ロットによって、何処かのベアリングが傷み易いのがたまにいました。
國際時代の車番でいうと、2400番代前半あたりが特にその傾向が強かったです。当時のナンバーで言うと「埼2 い 28−30」あたりだったかな。一旦は消えた(部分オーバーホールした? フルオーバーホールだと新車特有のビュシューーーという唸りがある)かと思えば暫くするとまた鳴り出してました。
同系のDH100を積んだ8t積みのTDトラックも、似たように唸ってるのが結構いました。同じ世代版の2300番代にはあまりなかったようで、改造後の初世代BU10(21XX,22XX)にもあまりなかったようです。
ただ当時これがまた和音調和がよくて、聴くからに気分良かったのも確かです。少年でしたから、機械要素の焼けの怖さは何も知らなかったですね。
おっしゃるとおり、BU06(國際時代、車番30XX)もたまにいましたし、初代のBU04(31XX)もたまにいました。國際興業の末期に多かったのも確かですね。譲渡寸前に修理費用をかけたくなかったのでしょうかね。
実は岩手県交通に異動してるというのは、昭和53年に、東北への修学旅行で國際色の丸型爆音BU10「2106」を見て知り、驚きました。その後本屋でバス雑誌等を見て更に詳しく知りました。この型も、大宮で見た「2073」はゴロゴロ唸りが凄かったです。
私も中古車経験で、オルタネータや、クーラーコンプレッサー、パワステポンプのベアリングが傷んだ事があり、また、知人からの学習で解るようになりました。ただ、BU10の1世代目の改造のときは、この音の違いではなかったです。改造前は、発進時のギヤ(2速?)であまり高い回転まで上がらずに、次のギヤへシフトアップしてました。誰が運転しても同じでした。古い古いキャブオーバーのTDトラックもD920エンジンでしたが、雰囲気そっくりです。
その当時2世代目(ランタンフラッシャーですね)では、誰が運転しても高い回転まで引っ張ってたので、魅力がありました。3世代目もそうでしたけど、その頃改造が済んだ1世代目は、他と同じに高い回転まで引っ張るようになったのです。こんな程度の内容ですかな。長くなりまして恐縮でした。

>右側面内側の非常扉と最後窓の間の支柱の降車知らせボタン
> 言われて思い出しましたが、ここだけ違うタイプの降車ボタンが取り付けられていることがありましたね。記憶が曖昧ですが、通常は「とまります(赤紫)」のところに、古いタイプ「停車(緑)」「停車します(赤)」が付いていたような?覚えがあります。


これは私は何とも言えませんが、國際興業在籍時代も、昭和54年頃か、BU10一連が一回、インパネと降車知らせボタン等がリフレッシュされましたので、関係してるかどうか解らないです。

Re:41年式BU10の元國際興業盤が、リヤのルーバーが年式にミスマッチの件

#493名前:時刻:2010-12-15 10:56:10

元埼玉のバスfan様、車番やナンバープレートまで覚えていらっしゃるとは、驚きです。色々と解説ありがとうございます。モヤモヤしていた記憶がすっきりしていく感じがします。

なるほど確かにバスの走行音は、エンジン音というよりもギヤ音がそれを特徴付けているようなものですからね。当時遊びでバスの音を録音したりもしたのですが、何せ小学生の頃で”新しいければ新しいほど良い”と言う認識だったものですから、古くても冷房が出た頃のBU04しか残していません・・

BU10については、リヤのルーバーは一種類しか記憶しておらず(金網でなくスリット状のタイプ、テールライトは高い位置で内側設置タイプと外側設置タイプの2種)、このHPで他の色々なパターンがあるのを初めて知りました。私が知っているのは既に改造が加わった後ということなのでしょうか、かなり複雑ですね。BU10の非常口下の小型ルーバー形状についても、何となく私の記憶と違うような気がします。

さらに思い出しましたが、BU10、BU06には側面保護の帯(何と呼ぶのでしょうか?)があると思うのですが、BU10は銀色の丸っこいタイプ、BU06は屋根型で白く塗装されているものでした。BU06は2世代あったのでしょうか、車内床が段差ありタイプとなだらかに斜めになっているタイプがありました。BU06だけ、最後部座席の右側に20cmくらいの手の置けるような出っ張りがあり、私のお気に入り席でした。

Re:41年式BU10の元國際興業盤が、リヤのルーバーが年式にミスマッチの件

#496名前:元埼玉のバスfan時刻:2010-12-18 23:46:05

> BU10については、リヤのルーバーは一種類しか記憶しておらず(金網でなくスリット状のタイプ、テールライトは高い位置で内側設置タイプと外側設置タイプの2種)、このHPで他の色々なパターンがあるのを初めて知りました。私が知っているのは既に改造が加わった後ということなのでしょうか、かなり複雑ですね。

ご覧になったことがあるかどうか知りませんが、テールライトの低い時代の関○バスのリアビューが紹介されてるサイトもあります。もしモヤモヤした空白が耐え難ければ、Yahooでもどこでもいいですので、HPから、 BU10 テ○ル○○○の位置が上昇 というキーワードで検索引っ掛けするとすぐ出てきますので、ご覧になられたらどうでしょうか。直接紹介は掟に触れてしまうので、このようにしました。國際時代の角型BU10 1世代目の改造前も、あの形状でした。ただ、ルーバー形態については、蝶番の位置等含めて、少年の身ではあまり気に留めていませんでした。私も、今タイムスリップしたら、何で蝶番の位置を変更したかとか、作業面で安全か能率的かとか、いろいろ考えるでしょうね。子供の学校教育時代では、そんなのは育たないですね。登校拒否して、バスの整備オジサンを毎日眺めていたら別ですが。

Re:41年式BU10の元國際興業盤が、リヤのルーバーが年式にミスマッチの件

#497名前:時刻:2010-12-19 18:36:22

確かにこちらのHPにある国際からの転入車の写真では無いですね。転入の際に不要な装備として取り外されてしまったのでしょうか。それとも最初から無いモデルもあったとか?BU06に関しては一番好きな車両だったこともあり、存在したモデルや違いに関しては間違いないと思います。

私はバスに興味を持ち始めたのが1980年(昭和55年)あたりで、浦和駅周辺の車両しか知らなかったものですから、国際興業車両の情報が偏っている(=知らないモデルがある)可能性が高いです。中型車BAも一度しか見たことないですし。

>キーワードで検索引っ掛けするとすぐ

検索先はとても参考になりました。予想以上に種類がたくさんあって、目が回ってしまいそうです^^; でも考えてみれば大量導入されたBU04やLTも、毎年必ずどこか違う部分を持って登場してましたから、細かい違いがあって当たり前なんでしょうね。

>ルーバー形態については、蝶番の位置等含めて、少年の身ではあまり

そうですねぇ。私も、バスの正面・背面を顔のように捉えて認識してたものですから、テールライト位置内側高めのは「泣き顔」、外側のは「厳つい顔」、BU06のはルーバーのRが大きくなったので「やさしい女性顔」という感じで見分けてました^^;

いくら思い返しても、自分の中で一番古いのが角型BUの、「テールライト位置内側高め」ですね。正面は例の縦長二灯方向指示器で、前面通気口左下に点検蓋のようなものがあるタイプです。

ところで、国際興業では90年代前半あたりまで、エンジン排気ガスを排気口からではなく、車両底面から道路に向かって叩きつけるように吐き出していたのですが、あれはどのような理由だったのか、ご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか?

Re:41年式BU10の元國際興業盤が、リヤのルーバーが年式にミスマッチの件

#498名前:元埼玉のバスfan時刻:2010-12-24 23:17:46

> 前面通気口左下に点検蓋のようなものがあるタイプです。

獣様、観察がとても繊細ですね。これには私は負けます。私も気にしていろいろなサイトの画像を見ましたが、昭和43年辺りより前であれば、日野でもUDでも殆どみんな付いてるようですね。何だろうと考えると、ウィンドウウォッシャーの補給蓋なのか、圧縮空気のドレン抜きなのか(前扉開閉の為配管は来ていますし、しかも一番温度が冷える前側で結露しやすそうなので。素人考えで済みません。)とか、或いはパワーステアリングの油圧系の何かとか、いろいろあります。昔大手町ビルの一階に自動車専用図書館があって、古くからの自動車カタログが全部大型ファイルに保存されてたのです。大学が神田でしたので昔はよく行きましたが、当時のBU10のカタログは、乗用車のそれに比べて大変チャチでした。写真ではなく、デザインスケッチの1枚を引用したと思われるイラストでしたし、頁数も少なくて、詳しい内容は無かったです。これも私の内心でも空白に終わりそうです。
他方、貴方の興味の範疇にあるかどうかは解りませんが、國際興業の1世代目は前面最上部に、青紫ランプが3個並んだスピードインディケーターが付いていましたが、2世代目以降には無いですね。岩手県に移動したあとも、その状態は変わっていないようですね。関○さんには初めから無いです。オプション装備なのでしょうね。あと、1世代目と2世代目の当初には、ステアリングにステアリング直径の半分程のホーンリングが付いてたのです。関○さんのフロントビューを見てもガラス越しに写ってますね。しかし昭和54年頃に内装がリファインされたときに、ステアリングも変わった? と記憶してます。ですので、岩手県に移動したときには多分形跡がないと思います。センター部は、肌色と薄茶色の円形2トーン模様デザインで、薄茶の地の中に肌色の字で「ISUZU」と書いてありました。これを掲載したサイトもまだ見つけてはいません。
あと、BU10の3世代目の方向指示器とBU06の方向指示器ですが、新車当初は橙一色でしたが、昭和53年辺り?からか、白四角の車幅灯埋め込みに変更改造されました。言うなれば、BU04と同じタイプです。ただひょっとして、BU10のやつは長さが若干長いかな?
あと、BU04のリヤトップの赤いロケット型の車幅灯ですが、昭和50年あたりからレンズ根元に歯形シェードが付いてるのか、夜点灯すると、車体側に風車模様の影が見えまして、洒落てるなあと思いました。因みに奈良交通は、同じタイプで橙色でした。やはり、色もオプションなのでしょうか。長く掃きだして済みません。

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