北緯40度の風景

2016年 盛岡バスセンター


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盛岡バスセンター
盛岡バスセンターが2016年9月末で取り壊される・・・。
私にとっては衝撃的な情報でした。いや、本当ならもっと前にそうなっていたはずだし、そうなったからと言って、自分自身の目で見られる場所には今はないのですが。
しかし、“その頃”日常的に足を運んでいた場所なのに、なぜかまともに写真も撮っていない。それだけでなく、内部をゆっくりと見て歩いたこともない。買い物や食事すらしたことがない。そう。いつも外で発着するバスの写真を撮っていただけで、バスセンターそのものにはほとんど注意を払っていなかったのが当時の私だったのです。
わんこ様から取り壊しの情報をいただいた私は、「行ってみよう」と決めました。この場所には、きちんとお別れをしておかなければならない、なぜかそう思ったのです。
(撮影は特記以外2016年7月9日)

外形を眺めてみた
盛岡バスセンター

盛岡バスセンターの東側壁面に掲げられた飾り文字。
この絶妙なバランスの書体が人気のようです。私がここにいる間にも、数人の方々がこれにカメラを向けていました。
1960年の建設当時には、モダンな書体だったはずです。

盛岡バスセンター

盛岡バスセンター

盛岡バスセンター

こちらも懐かしい書体で書かれた「盛岡バスセンター」の文字。3ヵ所ある入口の上に掲げられています。
よくよく見てみると、「バ」の濁点とか、「ン」の点とかにそれぞれ違いがあることが分かります。
昔の写真を見ると、ここは箱文字になっており、何ヵ所か欠けたりしていました。修復時にレタリングに変えたのでしょう。

盛岡バスセンター

この建物は当初2階建てだったものの、3階部分を増築したということです。
表側から見るとよく分かりませんが、西側の側面から見ると、造りが違っているのがよく分かります。


盛岡バスセンター


内部を歩いてみた

盛岡バスセンター

盛岡バスセンター

盛岡バスセンター

南側の入口から入って、バスセンター内を歩いてみます。手前に券売窓口、奥に商店や飲食店が並びます。
残念ながら、食料品や雑貨を売っていたフジワラ売店は、2016年6月を以て閉店し、そこにはただシャッターが下ろされていました。
一番奥にあるそば・ラーメンスタンドでは、お客様が絶えることはありません。今も部活帰りの女子高生がお昼を楽しんでいます。

盛岡バスセンター

盛岡バスセンター

盛岡バスセンター

今度は北側の入口から入って、南側に進んでみます。
中央部には待合室のようなスペースがあり、バスを待つお年寄りが緩やかな時間の経過を楽しんでいました。
ちょっと意外に感じたのですが、そばスタンド、時計屋さん、バス窓口、どれをとっても、絶えずお客様が訪れていました。

吉田時計店
盛岡バスセンター

「3日間完全修理」「学生割引の店」などの看板を掲げる時計店。
「秒まで合っています」という正確な時を刻む丸時計が店頭に飾られ、「マルマンガスライター」のショーケースには宝石も並びます。今朝がた雨が降っていたからなのか、色とりどりの洋傘も店頭を彩っていました。
この店だから相談に来る・・・そんな感じのお客さんが、入れ替わりに店主を訪ねてきています。

南部そば・うどん
盛岡バスセンター

「駅そば」という言葉があるように、乗り物ターミナルには立ち食いそば屋が似合います。
かつてそば・うどんの店とラーメン・中華の店が別々だったんだと思いますが、今は一つの店になっています。ざるそばから手作りギョーザまで提供します。
常連と思しきおばあちゃんが「昨日と同じものが食べたい」「この店なくなっちゃったら、どこで食べればいいんだろうね」と言っているのを聴いて、不覚にも涙が出そうになりました。

公衆電話
盛岡バスセンター

かつて人の集まる場所にはあって当たり前だった公衆電話。これがレトロに見えてしまうのも時代です。
区画ごとに色分けされて、今は二つのカード電話が置いてあります。

盛岡バスセンター

在りし日のフジワラ売店
盛岡バスセンター

撮影:ケイ様(盛岡バスセンター 2016.6.3)

あと10日くらい早く来れば、営業中のフジワラ売店を見ることができたのに・・・。
そんなことを思っていたところ、ケイ様より、この1ヵ月ほど前の画像を頂くことができました。「みつわパン」「明治スカッと」「でん六ミックス」などの電照看板が、鮮やかな輝きを見せています。
お菓子やお土産、軽食からタバコも切手も蜂蜜も、何でも売っているお店でした。

盛岡バスセンター

撮影:ケイ様(盛岡バスセンター 2016.6.11)

そば・ラーメンスタンドの向かい側から、延々と続くフジワラ売店。
6月末の閉店が決まり、ショーウィンドウに並んでいた商品も、徐々に淋しくなっていったようです。
閉店後は、若園町の本店へご来店下さいと書かれていました。

バス発着ホーム
盛岡バスセンター

岩手県北バスの赤色、岩手県交通の青色、国際興業グループの緑色。40年近く、このバスセンターの登場人物として、なくてはならなかったカラーデザインの競演が、今日も見られました。緑色は、途中10数年間見られなかった時代はありましたが・・・。
古びた手すりの輝きは変わりません。

盛岡バスセンター

鍵形の頭端式ホームに、青銀カラーの岩手県交通が着線しました。
5番のりばから発車する桜台団地線です。
この路線には、“その頃”からこの種の車両が使われていました。通りすがりのカップルの男性が「お、県交通に新車だ。土地でも売ったのかな」と言いながら歩いて行ったのもこの場所でした。

盛岡バスセンター

1番のりばから発車するのは岩手県北バス。
県北バスには観光タイプが似合います。かつては7月の休日と言えば、八幡平方面のバスがもっとたくさん出ていたはずです。
そういえば、ここの場内放送で「田頭経由東八幡平交通センター行が発車します」というのを聞いて、「田頭」を「でんどう」と読むのだと知ったものです。

盛岡バスセンター

長距離バスが時たまやってくるのも盛岡バスセンターの魅力です。
「東京駅行」「八戸行」などの看板が見えます。
今、岩手県交通の「花巻空港行」が停車中。

盛岡バスセンター

盛岡バスセンター

盛岡バスセンター

バス発車
盛岡バスセンター

発車時刻になると、指令室の指示で番線表示に明かりがつき、運転手が発車の姿勢を取ります。
バスはドアを閉め、即座にバックを始めます。
同時発車の時は、出口に近い右側の方から順に明りがつくそうです。

盛岡バスセンター

笛を吹きながら誘導員のバック誘導が始まります。
発車するバス、構内に入場するバス、次にのりばにつけるバス。次々と複雑な動きをするバスを、複数の誘導員が手際よくさばきます。

盛岡バスセンター
ちょっと一休み
盛岡バスセンター
盛岡バスセンター

せっかくなので、バスセンターの中でお昼にします。
“その頃”には、この中で食事をしたり買い物をしたりしたことは、1回もなかったような気がします。学生なので外食の余裕もなかったのか、バスの写真に夢中でそれどころではなかったのか。
今回は、もう二度と後悔しないように、ここで食べます。
普通なら、辛みそラーメンをチョイスするのですが、やはり大きな看板に書いてある「中華そば」を食べるのが常道であろうと判断しました。透き通った醤油のスープに、チャーシュー、メンマ、刻みネギ、海苔という定番の出演者が載っています。お盆と蓮華を伴って出てきました。

盛岡バスセンター
バスセンター周辺は変わっていた
盛岡バスセンター

盛岡バスセンターから中ノ橋通りを挟んだ南側にはエンドーチェーンがあったはずですが、今そこには高層のタワーマンションが建っていました。
もはや商業施設が成り立つ場所ではなくなってしまったということでしょうか。

盛岡バスセンター

やはり中ノ橋通りを挟んだはす向かいには、中三デパートがありましたが、それも名前を変えていました。ここは県交通の市内線の「盛岡バスセンター(中三前)」を名乗るバス停でした。
それでも、この場所を元国際興業の二時代前のいすゞキュービックLVが次々と発車していく光景は、かつていすゞBUがいた時代を思い出させます。

盛岡バスセンター
盛岡バスセンター

盛岡バスセンターと通りを挟んだ東側には、バスの待機場所があります。
その北側の場所は主に岩手県北バス、南側の場所は県交通の雫石営業所のバスが待機しています。それ自体は以前と変わりませんが、いくつか建っていた建物とか車庫とかがすっかり姿を消していました。

盛岡バスセンター

交差点の向こう側、ニッポンレンタカーの南側の地図看板に、かつての懐かしい名前を見つけました。
バスセンターの南側には「エンドーレインボープラザ」があり、駅側に進んだところには「中三デパート」があります。

盛岡バスセンターが登場する情報誌
盛岡バスセンター

情報誌「てくり」(19号)をご提供いただきました。
9ページにわたって、盛岡バスセンターの記事が掲載されています。通常では見られない場所からの写真とか、開業時のパンフレットとか、盛岡バスセンターの貴重な資料も見られます。

今回の盛岡バスセンター訪問のサポートをしていただいたわんこ様、及びわんこ様のご紹介で私の個人的な散策にご協力をしていただいた皆様に、この場を借りて深く御礼申し上げます。
盛岡バスセンター
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80s岩手県のバス“その頃”