果たして、無垢の信頼心は、罪の原泉なりや。 太宰 治「人間失格(新潮文庫)」より抜粋 |
〜そのままで夢うつつとシロとクロ、花は散れどもガッコは?殴りあいの父が呼ぶ、時速142キロ〜
泣いてる場合ではないと思う。
かと言って誰が素直に泣かせてくれるのか?
素直に泣いていい場所があるのなら、
そこがいいと思った。
どんなに幸せになろうと泣くことはまちがいないことだから。
〜ゲーセンで叩いているのはボタンやらだけど、それでもいつも殴っていた〜
結局、人間は死ぬのだなと思った。
何があろうと、夢があろうと死ぬのだなと思った。
すべては空だと思った。
でも空がいつまでも、
きれいな空がいつまでも
つづくかと思えばそうでもないかもしれない。
それを考えると胸が痛くなる。
すべて消えるのに、
消えてなくなるのに何故続くの?
ただ生きたいと思った。
無様だろうと、社会不適応だろうと、
誰にもボクのことなんてわかりっこないのだから。
それを伝えるのは生きているボクしかいないのだから。
それを世界で一番強くやり遂げればいいと思った。
それが野望というかユメというか欲でもあるカタチだと思った。
カタチを世に残すことは世がカタチを認めることだと思う。
そのままの姿を続けることだと思う。
〜例えばユメのような花火があって、それが散っていくのは美しくて切ない。
でもユメが美しいのは人のユメだから、それとも・・・[es]〜
なんなんでしょう?
結局ボクはうそつきなのでしょうか?
それともウソが本当なのでしょうか?
ウソを信じればそれは本当に変わると思う?
そこら辺がやっぱりおかしなところだと思う。
怠惰なところだと思う。
宗教なんて消えてなくなればいい。
神様なんて老い耄れて、トムソーヤだけ走ってればいい。
どうして意味のない言葉が?
そうやって意味のない言葉の意味を探し出して
探し当てたときにはそれはもう違う意味を持っている。
常に意味があるとは限らない。
だいたいコトバに意味なんてあるのか?
遊びでしかない。
リアルじゃない。
そもそも世の中をリアルだと思わない。
リアルは俺の眼に映るもの。
リアルは俺の耳に届くもの。
リアルはすべて俺に触れるもの。
そして、すべてがリアルであるならリアルをもつなら
リアルさえも意味がなく、
すべてがもうウンザリだと思った。
それでも俺は生きてやろうと思った。
それがリアルだと思った。