”トレカニーに血を”


右耳、左耳、眉毛、唇、鼻、へそ、舌。そこらじゅうにピアスをした男がいた。本当の名は分からないが、「青」と呼ばれていた。
「青」は呟く。風が冷たい、と。煙草の煙が好きだ、と。風速2,3メートル、それほどたいした風ではない。彼が吸うのはマルボロメンソールライト、マルメンライトだ。
メンソールは精子が減少するらしいが、そんなことは青の知ったこっちゃなかった。むしろ喜ばしいくらいだった。いつか中出ししても平気、なんて日が来ると思うと彼は勃起せずにはいられなかった。
「青」には弟がいた。「紅」と呼ばれていた。別に彼はピアスをしているわけでもないし、髪を紅く染めているわけでもない。ただ「青」の弟だというだけで「紅」と呼ばれていた。
紅は少し変わっていて、まばたきと恋愛の関係について絶対的に関係があると信じ込み、研究していた。まばたきの回数、間隔。そういったもののデータを集めていた。それは至極困難なことのように思われた。しかし、紅は自閉症で、「数える」ということに関しては特殊な能力を持っていた。
紅は青に言う。「俺、日本人の髪が黒だっていうのが嘘だと思うよ。みんないろいろな色だ。もちろん染めてる人や色を抜いてる人は別としてね。例えば、あの女の子は緑だ。俺、緑の娘とは相性がいいんだよね。あっちのひとは黄色。兄さんは青って呼ばれるのに合ってるよ、だって髪も青だもの。でも俺は黄色。なのに、紅、と呼ばれてる。兄貴の弟だからだよ。変な感じだよね。」
気が付くと爪が伸びていた。爪の先はきれいな半円形を描いていて、月のすぐそばに星があり、もうすぐ願いがかなうんじゃないか、という感じだった。
「兄さん見て見て、爪の星が月のすぐそばにあるよ。
「それがどうかしたの?」
「星が月に届くと願いごとが叶うって言うじゃん。」
「へー。でも星が月に着くことはないよ。だって爪が伸びる方向って逆じゃん。」
「あ、そっか・・・。じゃあ、なんでそんな迷信っていうかそんなのがあるんだろうね。」
「まあ、慰みだろ。こんな腐った世界、慰みでもなけりゃやってけないだろ。」
「そうかな、俺は兄さんがいるだけで幸せな世界だと思うんだけどな。」
「・・・そうか、ありがとうな。俺もおまえがいるから今まで行きてこれたようなもんさ。」
「やめろよ、兄さん。兄さんらしくないよ。」
「ハハ、そうだな。それより久しぶりにやらないか。」
「やるってアレのこと?」
「決まってるだろ。」
兄さんはゲイだった、俺もその影響かは知らないけどゲイだった。ゲイになった。もちろん女の子としたこともある。だけど、少しも気持ち良くなかった。俺は初体験のとき泣いた。ずっと憧れていたSEXだったからだ。なのに、少しも気持ち良くならず女の子は先に寝てしまった。俺はベッドに寝そべり、天井の染みを見つめながら泣いた。なぜ涙が出るのかさっぱり分からなかった。けれども俺は泣いた。いろんなことを思い出した。兄さんと喧嘩したこと、万引きして警察に捕まったこと、まだ中坊だった頃に夜中にバイクを盗んで走ったこと。どれも兄さんと過ごした時間のことばかりだった。
「2.67秒に一回。」
「1.58秒に一回。」
俺は兄さんの腰の振り方がだんだん早くなるのを感じた。
言いようのない快感が俺を襲う。兄さんの息遣いからもそれは感じられた。
「なあ、おまえもピアスを開けてみないか。」
兄さんはイク直前にそんなことを言った。
俺は嫌だと思ったが、体中に巻き起こる快感の中でどうでもいい、と思った。
俺達は外に出て、夜風に当たった。
「なあ、ピアスを開けてみないか。」
「ああ、そうだな。」
SEXの余韻からか、あっさりOKしてしまった。
本当は俺は兄さんとは違う。そう思ってピアスは開けまいとしていた。
でも結局、兄さんには逆らえない。「左の耳たぶがいいな。よし、明日夜の8時にいつもの店に来いよ。」
「ああ。わかったよ。」
SEXの余韻も覚め、嫌な気分だった。
血だ。血が欲しい。真っ暗な闇の中に死体、それを舐めている俺。流れる血をすする俺。
一体、何故こんなことをしてるんだ?兄さん?兄さんは何処にいるの?
うわあ!
そう、僕が血をすすっているその死体は兄さんだった。
兄さん?一体どうして?
ハッとして目が覚めた。「なんだ、夢か。」俺は汗だくになっていた。兄さんが死ぬなんてありえない。そう思っていたし、兄さんの死は俺の死でもある。俺は兄さんなしでは生きられないんだ。
今、何時だろうと思い時計を見た。朝の4時だ。まだひんやりと寒い空気が夢の中の死体を思い起こさせ、俺は寒気がした。
逃げろ、逃げるんだ。俺は追われている。警察の格好をした俺によく似た男だ。似ているのは当たり前だった。その警察は兄さんだった。やめてくれ。
また夢だった。俺は兄さんにピアスを開けられる。それが潜在意識となった嫌な気持ちが俺にそんな夢を見させるのかもしれない、と思った。
俺は十分寝たが、嫌な夢を立て続けに二回も見たせいで頭はボーッとしていた。
俺は宝物のナイフを机から取り出し、そっと光を当て眺めた。ギラついた刃先が俺の顔を撫で、眼球を、黒目の中にある光を増幅させた。コーヒーを飲むより、こっちの方が目が覚める。俺はそっとナイフを頬に当て目を閉じた。まだ残る夢の余韻が俺の気持ちを昂ぶらせ、ナイフを振り回した。
そして、ナイフを鞘に戻しにやついた。兄さんを殺してやる。そんな考えが頭を過った。
今、思えばこれがこれから起こる悲劇の序章だったのかもしれない。
虫の知らせ、ハエが五月蝿かった。
約束通り俺はいつものBARトレカニーに向かった。トレカニーは普通のBARじゃない。なんでも手に入る。クスリ、サバイバルナイフ、拳銃まで。俺はその中でもトレカニーと呼ばれる銃が欲しくてたまらなかった。トレカニーは先代のマスターが戦時中、手に入れたドイツ軍製の品だった。
俺がBARに入るといつもと様子が違っていた。爆音で鳴るアンビエントミュージックは変わらなかったが、人の気配がしなかった。そう、みんな死んでいたんだ。
俺はいつものサプライズパーティーが開かれてるのかと思い、奥の方に進もうとした。
ズドーン!!
いきなり銃声がした。俺は寝転がってる金髪のパンク野郎を起き上がらせ、肩を揺すった。
「おい、起きろよ。」
目が白目を向いていた。これは・・・。パーティーなんかじゃなかった。7,8人。いや10人以上いたかもしれない。みんな血を流して倒れていた。
俺はパニックに陥った。クスリだ。クスリを飲めば気分は楽になる。そう思ってカウンターを飛び越え、軽いヤツを一服した。
ズドンズドン!!
また鈍い銃声がした。俺は怖くなって隠れていた。トレカニーに手を伸ばしてみたが、いつもの場所にトレカニーはなかった。奥から誰かが出てくる音が聞こえた。俺はずっと息を殺し、隠れていた。
ケータイが鳴った。誰のかはわからなかったが着信音で兄貴のものだとわかった。
まさか・・・。
俺は奥の部屋に走り入った。そこには血を流したマスターと青がいた。青は紅に気付き、息も絶え絶えになりながら、ひきつった笑顔を紅にむけ、何か金属片を投げた。ピアスだった。「それを俺だと思って付けていてくれ。」
そう言って兄貴は息絶えた。
俺はどうしていいかわからなかった。ピアスを握りしめ、涙を流した。ふと見るとダイヤの埋め込まれたトレカニーが血まみれになって落ちていた。俺はそれを拾い上げ、天井に向け、何発か放った。でも弾は2発しか残っていなくて3発目からは空打ちになった。
パスンパスンパスンパスン。
俺は何度も撃った。こめかみにも当ててみた。トレカニーは冷たく、不気味に音を立てて僕を生殺しにした。
俺は犯人を捜そうと思った。
このトレカニーに誓って。
☆五年後
「おい、紅。」
紅はBARトレカニーの新しいマスターになっていた。そう、あの忌まわしい事件の犯人を捕まえるために。
「なんだい、これ以上の酒はやめた方がいいぜ。」
「そんなこと言うなよ。兄さんが泣くぜ。」
俺はトレカニーをそいつに向け、安全装置を外し、右頬を軽くひきつらせた。
「おい、冗談だよ。やめてくれよ。」
「兄さんの話はするな。」
紅はもう五年前の優しい男ではなかった。ピアスを体中に十個以上は開けて、髪は紅く染めていた。
むしゃくしゃするんだ。それが俺の新しい口癖だった。
兄さんが死んで、俺は変わった。毎日BARで酒浸りになっていた。そこはたまたまBARトレカニーのマスターの兄さんがやっている店で、そんな俺を見て彼はトレカニーのマスターをやらないかと持ちかけてきてくれた。
俺は嬉しい反面、あんな事件のあったBARにはもう二度と行きたくはないとも思っていた。
しかし、トレカニーにいればまた兄さんに会えるような(そんなことはありえないのだけれど)気がして、そして犯人の手がかりが掴めるかもしれないと思って引き受けた。
「あれから四年、いや五年か。おまえの方はどうなんだい?」
「さっぱりだよ。手がかりはこのトレカニーだけってとこかな。」
そう言って安全装置を元に戻した。
こいつは俺がマスターになってから一年ほどした頃だろうか。そんなときに息も絶え絶えになって店に来た。チンピラにからまれて顔中血だらけで。何故トレカニーをあてにして入ってきたのかはまったく謎だったが、たぶん死んだマスターの知り合いか何かだったんだろう。そう思っている。
今じゃちょっとした常連で毎日のように来るんで俺はバーニーという愛称で呼んでいる。
そいつにはすべて話した。五年前、このBARで何があったか。俺には兄さんがいたこと、そして不思議なことに銃トレカニーに付いていたダイヤモンドが無くなっていたこと。
バーニーはいつも爪を噛んでいる。嫌な癖だと思いながら見ていたが、長い間見ているせいもあって俺はいつものように爪を噛んでいる時間や回数を数えていた。
バーニー。何故そんな愛称がついているかというと、爆発、バーニングから来ている。酒を飲むと堰を切ったように泣き出すことがしょっちゅうあるからだ。
そんなとき決まって話をするのは、バーニーが初めてウチの店に来たときの話。
ちなみにバーニーの髪の色は俺流に言わせてもらうと黄色だ。危険なヤツに多いタイプの色だが、こいつはちっともそんなことはなく、酒を飲んで泣いているところを見るとその辺のサラリーマンと変わらないな、と少し愛着さえ湧く人柄だった。
俺の髪の色は今じゃ紅だ。どうにでもなれ、こんな世の中。いつからかそう思うようになった。人の色はうつりにけりな。俺は変わっていく。
「バーニー、今日のところは帰ってくれないか?」
バーニーは半分寝ていたが、起き上がって周りをキョロキョロして言った。
「ん?ああ、わかったよ。」
週末にはバスが出る。涙という名のバスが。終点などない。いつまでも流れて俺を寝させてはくれないんだ。そんな日には早く一人になりたい。たとえ気心が知れたバーニーとでも一緒にはいたくない。
土曜日だった。
そのまま眠れないまま朝が来た。
日曜日だった。
俺はバーニーと西新宿で待ち合わせだったので、予定時間より少し早く出かけた。
バーニーはまだ来ていなかった。性格的に奴は少し遅れて来る。俺はというと時間より早く来る。いつものことだ。
プルルル、プルルル。
ケータイが鳴った。着信はバーニーからだった。いつもの遅れるという電話だろうか。
それくらいならメールでいいのにと思ったが、奴はケータイメールがあまり好きじゃなく、ちょっとの用事でも電話をかけてくることが多かった。まあ無料通話分を使いたいからとか言ってたっけな。意外とケチなんだ。酒はよく飲むくせに。
「もしもし?」
「・・・・う、俺だ。ちょっと様子が変なんだ。今トレカニーにいるんだけど、ちょっと来てくれないか?」
「どうかしたのか?」
「・・・ん、なん―――――ツー、ツー。」
「おい!もしもし?」
またトレカニーだ。ここで待っていても奴が来ることはないだろう。仕方なく俺はトレカニーに向かった。
五年前のことが頭を過る。
今、また事件が起こったりしたら、きっと俺は正気じゃいられないだろう。バーニーは俺の親友だ。
俺は急いだ。
トレカニーの扉は開いていた。そっと音を立てないように入っていくとバーニーが立っていた。
中は暗かったのでよく分からなかったが、酒を入れた瓶やグラスが割れていて足の踏み場がない様子だった。
「どうしたんだ?」
そう言うとバーニーは泣いていたのか、笑っているのかよく分からない声を出してこっちを見た。
「うわあああ!」
叫びながら俺に抱きついてきた。冷たく硬いモノが俺の左胸の辺りに当たった。
トレカニーだった。
「おまえ・・・?」
バーン!!
紅の胸からは赤い液体が流れ出し、体は重心を失ったように勢いよく倒れた。
紅は遠のく意識の中で捨てられたトレカニーに五年前まであったダイヤが埋め込まれているのを見た。
(ああ、兄さんを殺したのはこいつだったんだな。)
(親友に殺される気分はどうだい?)
クックック。笑い声が聞こえる。バーニーは仰向けに倒れた俺の腹の上に銃を置き、握らせた。
銃は溢れる血とは反対に冷たく俺の心を侵した。俺は銃をバーニーに向けて撃った。
弾は天井の蛍光灯を割っただけだった。灯りは消え、何も見えなくなった。
バーニーがBARから出ていく足音と大量に血が噴き出した心臓の音が重なり合う。
項垂れた手には兄さんと俺を殺したトレカニーのダイヤが嫌みな程に輝いていた。

 

みんな死ねばいいのに