“ガム風船”

 

僕はずっとoasisGO LET IT OUTを聴いていた。どことなくくるりのブルースに似ていると思った。もうそんなことはどうでもいい。とにかく今は眠りたくない。眠っても朝が来ない。ネジの音が聞こえる。僕の頭のネジ。どこへ飛んでいっても聴こえるんだろう。朝が来たなら一緒に眠ろう。そう言いたい。

 

「ごはんよ。」

僕は比較的よく泣く。泣くことが必要なのか必要でないのかはわからない。ただ涙は流さない。流さないと言うよりも流れないと言った方がいいかもしれない。僕はまったくと言って眠れない。眠ろうとすると哀しくもないのに涙があふれ出てそれを拭いているうちに朝が来る。今まで「眠る」と言った感触を覚えたことがない。すべては風任せだ。眠ろうとしても眠れないときは眠れない。ご飯を食べようとしても食べれないときは食べれない。それで怒られる筋合いはない。体が、僕のからだがそう言っているのだからそうした方がいいに決まってるのだ。僕の親父は言う(言っておくけど僕の親父はちゃんと国家試験を通った医者であり、その道のプロだ。ただちょっと旧いタイプの人ではあるけど)「風邪ひいたなら栄養を取って(薬を飲んで)寝ておけ。」

僕も本当にそう思う。病気の心配なんてのはご無用だ。体の信号を無視するから病気になる。悩みごとなんてものもそうだ。大体の人間は悩みごとなんてないくせにしなければならないことをおろそかにしてそれを何か人のせい(悩みのほとんどはそう)にしてグダグダ言ったり酒を飲んで無為に時間を過ごすことになる。もう僕はハッキリ言って(ザ・ハイロウズの歌じゃないけれど)ご飯を食べるのも息をするのもめんどうだ。それに付け加えるならオナニーをするのもセックスをするのも人と話すのも顔を洗うのも風呂に入るのもメンドウなのだ。小学生の頃からそうなのだから始末に終えない。だいたい小学校二年で夏目漱石や芥川龍之介にのめり込んでいる小学生に友達などできるはずがない。だけど僕にはTVがあったからそのネタをもとに話を展開し友達(一見友達に見える人たち)で僕の周りを囲んだ。その際体育館にクラス全員を集めファイトクラブみたいなこともやったし、いじめもたくさんあった。僕は誰かをいじめたこともあったしいじめられもした。かと言ってどっちがいやだったかと聞かれるとどちらも楽しかった。いじめるときはいじめるときでどうすれば僕が楽しくなれるかを考えてはしゃいだし、いじめられたときはどうやればあまり痛いことをされずに(もしされたとしても最小限に)していじめっ子たちと楽しく遊ぶかを考えた。いじめなんてクソでもない。いじめを大問題みたいに取り上げるからガキは甘える。言っておくが子供は甘えるプロだ。そして、たいていその親は自分もまだ大人になれていないのに歳をとってきたから大人になったと勘違いして子供を甘やかす、そして自分が嫌われないようにこっそりと罠を仕掛ける。それが甘い罠だ。大人のなり方は誰も教えてくれない。なぜなら今までほとんど大人などというものはいなかった。それがある時期を境に変わった。いつからかは本当にわからない。つい昨日だった気もするし、もう何千年も昔から何万年も昔からそういう人たちはいたのかもしれない。けれども時代が変わったのは僕らが生まれたときだ。僕らが本当に生まれたときだ。

その夜はやはりこんな曲が流れていた、なんて安っぽいけど。

小沢健二「今夜はブギーバック」

脅かすわけじゃないんだ。ただそれは生まれてから最初に現れる感情が恐怖であると言われるように(僕はそんなことはうそだと思っているのだけれども)とてもこわいものだ。僕にとって喩えるならそれはくるりの「さよならストレンジャー」だった。

そして決別をした。とてもとても怖い人だった。とてもとても怯えている人だった。もしすべての人が経験をしているなら僕は内心小馬鹿にしていた態度を改めなければならない。

心から馬鹿にしなければならない。これは皮肉でも何でもなく、そういう風に決まっているのだ。そうしたくもないけれどもそういうものなのだ。

ただ心の中では「愛している」のだ。嫌いだけれども「愛している」のだ。好きな人もたまには現れて去っていく。それでも「愛している」のだ。

そんなものがわかる日が来たら少し睫毛を伏せて涙をこらえ、敬虔に空を見上げてごらん。

そこには君の会いたい人が映っているはず。とてもとても懐かしい映画のように。秋の空も哀しくはなくなる。紅色の紅葉もやがて枯れていく。それでも僕は想い出している。忘れながら想い出している。どういうわけかわかるのだ。カメラが、僕の中のカメラがそれを映し出すのだ。とても悔しかった想いが心を固く結びながら君を呼ぶのだ。だからすぐに僕はキスをする。何度も何度もキスをする。この地球の夢を見ながらキスをする。誰とはなく、街行く人々に。

街を飛び交う昆虫や散歩に出かける動物達にも。

まったくと言って僕はものごとを知らないし、子供だと思う。寝るときは涎で布団がものすごく汚れてしまうし、ご飯を食べていてもボロボロこぼす。なんでかって聴かれてもわからない。たぶんそれは君に拭いてもらいたいからなんだろうけどそんなことこの歳になって言えるはずもないじゃないか。一応世間は大人のフリした連中で溢れているわけだから。僕だってそいつらともうまく付き合っていかなければならないことはわかってる。僕にはいくら語りかけてもわからないお兄ちゃんがいてね、まったく困ったヤツなんだ。そいつを黙らせようとしてぶん殴っても余計にうるさくなるだけだし、、、でも今考えるともし彼がいなかったら僕の家庭なんてとてもじゃないけれどうまくやっていけなかったような気がする。ほら、人は共通の敵をもったとき団結するって言うだろ。もちろん兄貴は敵じゃないけどさ、全員の目がそっちに向いちゃって他の人に目が向かないことってあるよね。大切な人はすごくそばにいるのに、すごくそばにいたのに、TVの中から抜け出せなくてPCの中から飛び出せなくてありとあらゆるガラスを叩き割ってすごした10代を君に捧ぎたい。

明日のことはわからない。気分としてはいつ死んでも可笑しくないような最高な気分。

本当に世界が変わってしまった。でも僕は僕の表情とこの想いを足して割った分最高な気分だ。

すべて時間が解決すると思おう。どうしようもないくらいに時間が語りかけてきたら二人また出会えるはずだよ。そういうものだって信じてる。もう想うこともないし失うものは何もない。求める必要なんかなかったんだって今思う。僕は与えるだけだよ。君が求めてきたって何もあげないよ。僕は僕の与えたいものをあげるだけだ。それ以外に僕に何が出来るのさ。きっと君がこれが欲しいって言ってきても僕は不器用だから失敗するよ。それだったら君が傷ついた顔したって知らんぷりして僕のあげたいものをあげる。それが気に喰わないなら絶交さ。

そんなやつとずっとやっていけるはずなんてないだろ。男なんて馬鹿な生き物なんだよ。だから女が愛してあげないと死んでしまうんだよ。少なくとも俺はそうだよ。

俺は犬とイルカが同じ先祖を持っていることに薄ら笑いしているような変わり者だよ。だけど、それって面白くない?

イルカが好きな女の子が犬を飼って宙返りしてる。どこまでいっても僕らはひとつ。なぜなんだろうね。

目を背けたって心の中で見てるなら背けてないで見た方が楽になるぜ?

どうもがいたってしょせんすべては小さなことだし、決まってることだよ。小さなことに腹立ててないで、そんなことすべて片付けて愛し合おうぜ僕ら。

電話なんてかけて来なくていいよ。君の顔が見れないなんてうんざりだ。

早く君も、君のこっちにおいで。そうしないとKARMAの警察が君を捕まえに来るぜ。その手錠は永遠に外れない。僕だってそう。愛する人に外してもらうまでそれは永遠に、永遠に。

僕が言ってることが正しいなんて思うなよ。僕はずっと君を騙してるだけだよ。君は君が正しい。

僕は僕が好きだし、君は君が好きだよ。

だから好きな人にひどいことを言う。

そうだとしたら愛はとても哀しいね。

一緒に電車に揺られて夕日が君の顔に差すまで眠りたい。目を覚ましたらそっと口づけたい。

すべて仕組まれた愛の自爆装置だなんて、笑っちまおうぜこんな僕ら。

たぶんずっと僕はヒマ人なんだよ。

君もいずれわかるときが来るから

そのときまで僕は暇つぶししてるよ。

そこにカメラがあれば何かを映しこんで、ペンがあれば文を書いて、ギターがあれば撫でながら僕はずっと暇にしてるよ。

 

それじゃ「さようなら。」

 

子供の頃、僕らは経験的に何でも知っているのに要らない知識や教養が心も視界も悪くしていってしまってる、って思うんだ。

 

「おかえり、A’KIDS.

 

ダンス!ダンス!ダンス!