自 画 像
self-portrait


若い時に描く自画像と歳をとって描く自画像の違いというものをつくづくと感じる。
昔は自分だけを見つめていがいていた自画像。
最近繰り返し描いている自画像だが鏡を見ながら描いていても私自身を見つめて描いているにもかかわらず描き上がったものが私自身だけでなく父であったり、母であったり、或いはもっと古い時代の出会ったことも無い親族であったりするかもしれないと感じる。
これは単に目・鼻・口などのパーツが似ているだけではないような気がしてくる。
漠然としてよくわからないのだが、57年間の自分史は先祖の歴史の波に乗ってきていることを考えると、先祖一人一人の顔を平均化して作られた顔が今の私の顔なのかもしれないと、描いていてつくづく感じる。
遊び半分で思いっきりデフォルメして自画像を描くと尚更先祖にこういう顔をした人がいたのではないかと思ってしまうのだ。
他人には遺影用に自画像を描いていると冗談半分に言っているが、やっぱり本気で遺影には自画像を使いたい。
描くたびに違う顔になる自画像。
ただ単に似顔絵が下手であるということでなく、数十分、数時間をかけて自分の顔を見つめている間にいろいろな表情が現れる自分の顔が、自分の歴史、家族の歴史、先祖の歴史を背負った一枚の自画像となって、現れるような気がする。

若い時には気付かなかった自分の背後にある血筋を、歳をとってから自画像となって表れてくるのかもしれない。

見ているうちに気分が悪くなる人もいると思います。
健康のためガン見のやり過ぎに注意しましょう。