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…  福智山ダム登山口より福智山〜鷹取山へ… (7/15)

…  福智山頂の二つの祠様に飯豊山登山無事終了の報告とお礼に …

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 7 月 15 日… ( 曇りのち晴れ )

福智山ダム登山口(8:45)⇒大塔の滝(9:15)⇒カラス落(9:31)⇒福智山(10:07~:23)⇒上野越(10:50)⇒鷹取山(11:00~:05)⇒登山口(11:50 ~ )


 飯豊山登山入山に際し、登山の安全祈願をお願いした山頂の神様方にお参りするのも今日の福智山で5山目になる。近いところから順にお参りしているが8月いっぱいには何とか済ませたいと思っている。

 カーナビにお任せで福智山ダム登山口へ向かったが、米の山峠越しのルートだった。飯塚から200号バイパスを走り福智町からダムサイトへの道に這入り、8時半過ぎにダムサイトの駐車場に着いた。因みに家から52kmだった。

 日曜日とあって駐車場や路肩駐車の車を含め15台ほどマイカーが留まっていた。支度を終えて少し車道を後帰りし、ガードレールの切れ目から登山道へ這入ったが、初めての人は見逃しやすい登山口である。

 直ぐに徒渉点に差し掛かるが、従来のブワブワする一枚板の橋のすぐ下流側に頑丈な橋が架かっていた。その新しい橋を渡って山道に這入り、三度ほど林道を横切って4度目の合流点に出ると、大きな看板が立っている大塔の滝分岐で、右に行くと上野越しへの道になる。

 此処から大塔の滝コースに這入り登って行くと、絶えず左の方からザーザーと渓流の涼しげな音が聞こえていた。湿度が高く風も無いので蒸し暑く顎から玉の汗がポタポタ滴り落ちる…。大塔の滝分岐から20分弱でこのコース目玉の大塔の滝の前に着く。黒光りの岩盤の上を落下する一条の滝の水は涼味満点で、汗びっしょりの身体がその冷気に心地よかった。

 冷たい滝の水で顔を洗い喉を潤し暑気払いを終えて出発し、滝の上部を上から見ながら登って行くと間もなく6合目の標識がある地点に出た。此のコースは飲み水は要らない…!山頂直下のタヌキ水まで途中に何度も水場があり飲み水には不自由しない。結局、山頂まで持参のボトルの水は一滴も飲まなくて良かった。

 稜線の、カラス落ちの分岐に出る頃から次第に雲が薄くなり、時おり薄日もさして来た。少し登ると「タヌキ水」の水場で、ホースの先から冷たい名水がジャージャー迸り出ていた。備え付けのカップでゴクゴクと飲み干したが、この水場は枯れることはあるのだろうか…?

 名水を頂き水場を後にし、荒宿荘の山小屋の前から山頂への道に這入った。灌木の中の坂道を登りあがるとススキ原の山頂直下で、オカトラノオの白い花が点々と咲いて風に揺れていた。八丁から来た道と合わさると直ぐに古びた石の祠様が出迎えられる。此の祠は黒田藩の祀る福智神社上宮で、少し先にあるのが小笠原藩の福智神社らしいが、何れにしろ此処までこんなに大きな石を運び上げたのだろうか?

 二つの福智上宮様に飯豊山無事終了の報告とお礼を申し述べた。参拝を終えて山頂の東側の石の上に座り行動食を頂いた。あと少しでガスが切れてしまいそうな気配で、この二月に、息子と八幡の皿倉山から牛斬山へ縦走した山々が見えないか…?と、暫く待ったが次々に登って来られる登山者に席を譲って山頂を後にした。

 山頂を後にして数分下ったところで一気に雲が消えて青空が広がる。ススキっ原の向こうに念仏坂の焼立山が見え始め、反対側の皿倉山も段々と姿を見せてくれた。振り仰ぐと、福智山のごつごつした岩峰がローソクのように影絵になって見えていた。荒宿荘方面から上野越しへの道に向かう道に這入ると、紫色のウツボグサの花がひっそり咲いていた。

 赤土のヌルヌル滑る道をズッコケない様に気をつけながら下って行くと、登って来られる登山者さんに何人も離合し「晴れて来たので良かったですね…」と、声かけて離合した。上野越から下るつもりだったが寄り道をして鷹取山に直進した…訳は、鷹取山から晴れてきた福智山を眺めたかったから!

 10分ほどで鷹取山城の遺構の残る山頂広場に着いた。礎石群や石垣の残る山城跡は広々として眺望抜群…。見上げると、先程まで居た福智山が威風堂々と聳えて私を見下ろしていた。中津から来られたという方に福智山をバックにシャッターを押してもらった。

 5分ほど山城跡の鷹取山頂で過ごし、中津の人と上野越し迄一緒に下り、「今から先行している妻を追って福智山へ登ります…」の中津の人とお別れし、私は福智山ダム登山口への道にはいった。植林の中の道を下って行くと、途中で先行されていた私年配の登山者に追いついた。新道分岐(私は知らなかった)付近で、その人が植林の幹に黄色のペンキマークが塗られている新道に這入られた。(是までは、真っすぐ植林の中を下って薙野の休憩舎から林道に出ていた。)

 その人(S14年生まれ)と一緒に下ったが、地元の方で、この福智山を毎週欠かさずに登って居られるそうで「私は、遠いところの山には行きません…(大蔵省の家内が厳しくて)まー行っても祖母山か大崩山や久住山がせいぜいです…」だったが、後期高齢者の私にとっては、自動車運転免許証返上問題などを思うと、心に引っかかるお話だった。

 登山口の橋の所で汚れた山靴やストックを洗ったが、その人は常連さんらしく靴ブラシが置いてある場所をご存じで、奇麗に泥を落として私にどーぞと手渡された。駐車場に向かう途中の路上駐車を見てその人曰く…「此の路上駐車は常連登山者さんたちの車です」だった。日陰で登山口に近い!路上駐車の彼と別れて山道具を仕舞い、時計回りの一歩通行の道を辿って帰路に就いた。帰路はしょうけ越しを選んだが距離的には2kmほど少なかったが、時間はあまり変わらなかった。


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…  屏山から古処山へ… (7/7)

…  霧の山稜を辿り古処山頂へ、山頂の御神体に飯豊山々行の無事終了の報告とお礼を申し上げました …

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 7 月 7 日… ( 曇 天 )

野鳥登山口(7:55)⇒紅葉谷入口(8:45)⇒紅葉谷出口(9:24)⇒屏山(9:47~:51~)⇒古処山(10:27~:30)⇒五合目(11:04)⇒登山口(11:32~ )


 飯豊山々行の前、特訓山行で登ったあちこちの山頂の祠や神社様に山行の安全と成功を祈願した。その山の神様のご利益で、残雪たっぷりの飯豊山を息子たちに支えられ登らせて貰うことが出来た。

 祈願した山の神様は、仏頂山(石仏様)、脊振山(弁財天様)、大城山(毘沙門天様)、古処山(白山神社?)九千部山(?)若杉山(奥の院)経読岳(?)英彦山、中岳・北岳・南岳(英彦山大権現様)福智山(?)祖母山(姥神社?)etc・・・・等々、10指に余る…。

 近い山から、順次、お礼と無事終了のご報告にと…今日までに、仏頂山、大城山、脊振山の山頂神社にお礼詣りを済ませた。という事で、週明けから牛頸地区の登り窯試掘作業が再開されるので、少し空模様は怪しかったが早めに家を出て古処山登山口に向かった。

 途中で小雨もパラいたが大したことは無かったが、雲は低く垂れ込め低い山も見えなかった。野鳥駐車場に8時前に着いたが、日曜日だというのに1台しかマイカーは駐車していなかった。山靴に履き替えているとペア登山者のマイカーが上がってきて挨拶を交わした。

 8時ごろ出発し九州自然歩道の山道に這入った。妻が一昨年、転倒して怪我したコンクリート舗装の路面は、昨年夏の大雨で周囲の模様が変わり、路面を流れていた山水の流路が変わってカラカラ状態で、滑り転ぶ心配が無くなっていた。

 大雨ごとに補修される自然歩道の道だが、こう毎年集中豪雨が繰り返されるとイタチごっこのありさまで、その度毎に登山道も変わり、今まで歩き易かった個所もう回路を登らざるを得なくなっている。やはり、谷筋の山道は涼しくて良いが大雨の降るごとにダメージを受けやすい。

 五合目の林道終点駐車場は工事再開で通行止めになっていた。濡れて滑りやすい石畳の道を10分ほど登ると「牛巖岩」で、デカい石灰岩のてっぺんに石像様が祀られている。此の正面登山道沿いには至る所に石の地蔵様が立っておられ、赤いエプロンなどをつけた地蔵様も多い。その前を行き過ぎるときは立ち止って「今から登ってまいります…/登ってまいりました…」とご挨拶をしていく。

 その牛巖岩の直ぐ先の「もみじ谷」分岐から右折し、沢を亘って左岸側の道に移った。此のとりつき部分が高さはさほどないが岩壁で、足がかりが少なくて登降するのが少し厄介な場所である。垂れ下がったトラロープを掴んで登りあがると、急斜面に付けられたジグザグの滑りやすい道で、特に今の時期は落ち葉で登りにくい。

 ジグザグの急こう配の道を登りあがり支尾根上部に出て、落ち葉道を行くと間もなく古処山山城跡の平坦地に出る。古ぼけた「山城曲輪跡」の標識が無ければ知らずに通過してしまうだろう…。兵どもの夢の跡…を偲びながら通過したが、武具で身を固めた武士(もののふ)達が、此の山上の地で戦に備えて起居していたのはそう遠い昔の事ではないのだ。

 山城跡を過ぎると直ぐに柘植の生い茂る道になり、途中で正面登山道分岐が合流する。大小無数の柘植の原生林の中につけられた道を少し下り加減に10分ほどトラバースすると、古処山から来た縦走路(九州自然歩道)に出会う。この付近は常葉樹林の為に常に薄暗いが、特に今日は、先程まで雲の中だったせいで霧が残り、木々の立つさまが幻影を見るようだった。

 分岐から右折し屏山への縦走路に這入る。縦走路の東側の植林が最近間伐されて明るくなり、薄暗かった階段道が明るくなって気持ちよくなっていた。階段道を登りあがると山頂までは一投足で、途中、苔むした石灰岩のモニュメントが出迎えてくれる。霧に薄らぼんやり見える木立の様は、私の好きな風景の一つである。

 山歩きをしていると、何度もハット心惹く風景に出会うが、雨の日には雨の日の…雪の日には雪の日の、晴れた日には晴れた日の…数知れない喜びが潜んで私を喜ばせ驚かせてくれる。今日のように、霧のかけた山稜歩きは何も見えないが、見えないこそ私の心を淑やかにしてくれる。

 無人の屏山々頂に着いて東方を眺めると真っ白な雲の海で、飛び込んで泳いで行けそうだった…。小鳥の声さえ聞こえない山頂で暫く佇み山頂を後にし、来た道を引き返して古処山へ向かった。途中で向うから来られた登山者と離合したが、今日初めて出合った登山者だった。もみじ谷分岐から、石灰岩の露頭する古処山へ柘植をかき分けて登り返して行ったが、山道の至る所に「ヒトリシズカorフタリシズカ」の葉っぱがキラキラ光っていた。

 古処山頂には5〜6人連れのパーテイさんが休憩中だった。挨拶して山頂のご神体様に、飯豊山行の無事と成功をご報告しお礼を申し上げた。丸い石の球は麓にある白山神社の謂れの球だろうか?横の岩には「古処大神」と白く記されていた。是で四つの山頂神社にお礼詣りできた…。次は何処にしよう?

 山頂から下って行く頃には段々と雲も高くなって、時々陽射しもさして来た。水舟でボトルに冷たい山水を補給し、下って行く途中の七合目付近で立ち止っている若い女性グループと離合した…。どうしたのですか?と訊くと、一人が脱水症状で気分が悪くなったので休憩しています…だった。今日のように、不快指数が高い日は特に熱中症を起こしやすいので、「小まめに水分補給をすることが肝要です…」等々、アドバイスしている中に関係者もだいぶ気分が良くなったらしく、「ご心配かけてスミマセン…」と笑顔が出たので一安心し、下山の途に就いた。

 この他にも、途中で親子連れの二組などと離合しながら下って行ったが、古処山は朝倉地方の名山だから、梅雨が明けると訪れる登山者さんたちで賑う事だろう。登山口の駐車場に帰り着くとマイカーが10台以上にもなっていた。


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…  息子たちに支えられた「後期高齢者 (81歳7ヶ月」の飯豊山々行 ! … (6/6〜7)

…  飯豊山々頂のテッペンに夕日が残雪を照らしながら沈む (18:43) … (本山下のテン場より)

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 6 月 6 日… ( 雨のち晴れ )

駐車地(5:03)⇒林道口(5:11)⇒小白布沢登山口(5:25)⇒水場横(6:15~)⇒横峯(7:01~)⇒水場(7:30~:35)⇒尾根道(7:58 )⇒剣峰(8:36~)⇒三国小屋(8:58~)⇒残雪と藪漕ぎ (梯子場、9:25)⇒七森(10:11~)⇒ 切合小屋 (11:35~)

草履塚(12:50~)⇒姥ノ前(12:58)⇒御前坂(13:26~)⇒本山テン場(13:56~テント設営~14:25)⇒飯豊神社(14:30~)⇒飯豊山(14:45~)⇒テン場(15:40~ )


 多分、寝袋持ってテン泊形態の遠征山行は今回が最後かもしれない…。気持ち的にはまだまだの自信もあるが、如何せん時間経過するごとに衰えていく体力はどうする事も出来ない。今回の飯豊山行もいろんな面から無理かな?と、半ば諦めていた。

 その私の思いを察した息子が「個人装備だけ10kgほど担げるなら連いてきてもいいよ…」の、嬉しいお誘いを受けて、今回の飯豊山行が実現した。で、それ以来、同行される息子の山仲間二人の足手纏いにならぬように特訓に特訓を重ね、81歳ジジイのオンボロエンジンを飯豊山仕様に近づけた。

 暖国九州に住んでいる者にとって、6月になってもまだ稜線や谷間に数メートルを超える残雪があるという事自体がピンと来ない。装備品についても九州の山とはコロッと違う。必要最低限の装備品を取捨選択しても、ザックの重量を含めて10kg以下にするのは並みではなかった。

 お金さえ出せば、軽量で使い勝手の良い装備品は手に這入るが、年金生活で老い先短いロートルには勿体ない…!の気持ちが先だち、レインウエアー類にしてもザックにしても、重量が嵩張る使い古した装備品になってしまう。何度もチエックをしてグラム単位で全装備をパッキンして軽量すると、何とか11kg程度で収まったが、この後に付随品が増えれば12kgほどになりそうだった。

 福岡空港まで息子の嫁さんに送って貰いメンバーのK賀さんと合流した。18時発の小型ジエット機は送迎バスよりもスリムで、乗客数も74人で乗り降りや預け荷物の受け取りなどが早いのが利点だった。雷雲の影響で定刻よりも少し遅れて新潟空港に着くと、福島から遠路遥々とマイカーで我々を迎えに来てくれたメンバーのW辺さんが満面の笑顔で出迎えて下さった。

 雨の中、途中のコンビニで買い物をして登山口の川入集落奥の、小白布沢登山口駐車場に着いたのはもう23時近かったろう…。そのまま車の中でウトウトと仮眠を取った。

 4時頃には薄明るくなったが、小雨模様で白いガスが辺り一面に漂っていた。5時頃、車の外に出てザックを背負い今日一日のスタート開始…。予定は、飯豊山迄だったが、皆の体調や残雪次第では、途中の切合小屋付近までになるかもしれなかった。少し県道を後戻って林道にUターンし、チエーンを股越えて小白布沢登山口へ林道に這入った。

 今回のメンバーは、息子が42歳…W辺さんが40歳…K賀さんが37歳と、平均年齢は40歳ほどだったが、私の81歳が加わったばかりに平均年齢が50歳になってしまった…!多分、この計画書を見た人は訝しげに首をひねられるだろう…。チエーンゲイトから13分ほどで行くと林道行き止まりで、登山口の小さな標識があり登山届ボックスもあった。

 山道に這入るとホッとする。足に優しい山道はショックを吸収してくれ、同じ勾配でも舗装道路よりも数倍も疲れない。何度か沢を亘り返しながら登って行ったが、雨に濡れた新緑の中にタニウツギがピンクの花びらを見せ、足元には名前の分からない草花が咲いていた。フキの葉っぱのような葉の中心から、少し散りかけた白い花が珍しかった…(サンヨウカ?)

 次第に勾配がきつくなっていったが、トップを引いてくれる最若手のK賀さんが、(勿論20kgほどのザックのせいもあったろうが)ゆっくりした巡航ペースだったので、ロートルの私も余裕で写真などを撮りながら登っていけた。ベニドウダン、イワカガミなどの九州でも見知った草花が出てくると、間もなく標高約1000m近くにある君命水の水場横で、立ち止って一服した。

 この頃には雨も止んで谷間のガスも次第に消えていき、近くの尾根筋も見え始めた。歩き始めて間もなく、明るいピンク色のツツジの花が目につき始めた。よく見ると、枝から釣り糸にぶら下がるようにしており、ツリフネソウの花のようだった。ブナなどの林の中の山道は所々に疑似木のステップもあったが、この飯豊山は、古くから地元の人たちの信仰の対象として崇められていた山で、その一部分を見た思いだった。

 紫色の大きなカタクリの花を見ながら登って行く中に残雪が現れ始め、登山口から95分ほどで横峯という、御沢登山口から来たポイントに合流した。一息ついて出発し、残雪の増え始めた山道を行く道の際には、ピンク色のツツジの花と、真っ白いムシカリの花が遅い春を謳歌するように咲き競っていた。

 地蔵小屋跡の倒れた標識を過ぎると山道の右側に水場があり、勢いよく冷たい雪解け水が迸り出ていた。全員、美味しい名水を飲んだり減ったボトルに補給した。地図にはこの縦走路間には水場の記しが多かったが、今回に限って言うなら水場は此処だけしか使えなかった。

 W辺さんは今回の山行の水番で、何と8リッターもザックに担いでいたそうで、彼のザックを下で持ってみたが、25kg程はあったのではないかと思った。雪はいっぱいあるので溶かして飲めば良さそうだが、この時期の雪はゴミが付着しているので煮沸しなければ飲めない。水場から30分ほど行くと地蔵山分岐で、残雪に埋もれた標識が頭だけ出していた。

 地蔵分岐を過ぎると残雪の量も増え、夏道は雪の下になったり露出したりで面白かった。その露出した地面には圧倒的に紫色の大きなカタクリの花が多く、群れ咲いている個所も多く見かけたが、カタクリの花独特の反り返って咲いた花は見かけなかったが、是は、この寒い山地特有の種類だろうか?

 カタクリの花に混じって見えだしたのがフンワリした青い花(シラネアオイ)で、今にも壊れてしまいそうだった。そんな花さんに慰められて行くと岩稜帯が現れた。岩場付近には雪が残っていないので助かったが、雪でもついてたらアイゼンは不可欠な場所だったろう…。そんな岩場の道を三点確保で登って行くと、岩の隙間から可愛らしい花が(クロマメノキ?)頑張れよ!と、囁いて私を励ましてくれた。

 剣峰の岩場道を登りあがると、三国岳山頂で黒い三国小屋がテッペンに建っていた。雨はすっかり上がったがまだ周囲の山はガスの中で顔を見ることは出来なかった。三国岳は、山形、新潟、福島三県境に立つピークだが、此処から飯豊本山迄、尾根筋に沿って延々と幅1m程が福島県になっているが、こんな県境というか領土は此処だけだろう。私も、この計画を温めるに際して地図や参考資料で初めて知ったが、是も、飯豊山神社絡みの本家争いの結果だろう。

 三国岳から北西に伸びる狭い福島県領土の縦走路に足を踏み入れると夏道は残雪の下で、やむなく残雪のブロックの上から回り込み夏道へ向かったが、残雪のブロックの狭い割れ目にできた地面は、雪の重みで倒れた灌木や細い竹がつるつる滑り歩き辛かった。以後もクレバスの割れ目を見せる残雪の上と夏道を出たり入ったりだったが、雪の消えたばかりの地面にはカタクリの花や、青く優しげなシラネアオイの花などが咲き始めていた。

 岩稜帯の梯子場などを越えたり、残雪の上を歩いて行ったり夏道に戻ったりしながらで、この時期の歩行スピードは標準タイムは参考にならなかった。まだこの頃はアイゼンもつけていなかったが、登り斜面よりも下り斜面を歩く時の方が必要性を感じた。今回は、このアイゼンで少し頭を悩ませた。というのが、冬山仕様のアイゼンだと約800gあるからだった。

 要は必要性の問題だったが、結局、息子、K賀さん、私はチエーンアイゼンで、力持ちのW辺さんは12本爪のアイゼンを持参していた。結果から、チエーンアイゼンはその場しのぎは出来るが、やはり、急斜面では無いよりも益しというだけで、やはり、少し重くなるが、この時期の飯豊山はせめて8本爪アイゼンを持参したほうがベターだろう。

 夏道の岩場を越えて残雪帯へ…と、残雪帯から夏道へと何度も出入りしながらだから、何時まで経っても先ほど出た三国岳が遠くならず、振り返りながら息子は「あーまーだ三国小屋から少ししか来とらんバイ…」と、ボヤいていた。平たな残雪の上を歩くのは愉しいが、狭くなった雪庇上の上を行く時は怖いし、何時、踏み抜くかも分からない落とし穴も待ち伏せていた。

 反面、残雪の巨大なブロックは天然のトンネルを作ったり、雪の渡橋を作り出したりしており見飽きることは無かった。三国小屋を出てから1時間10分ほどで七森と記された標柱の立つ場所に出た。標柱には、三国岳へ1kmと記されていた。ので、我々は1kmを歩くのに70分も費やした訳だった。10分ほど行った付近で飲み水がなくなったので、水タンク車のW辺さんから三人とも0,5リッターずつ補給させて貰った。

 W辺さん曰く…「あー是で1,5kgも軽くなった…どんどん飲んでください!」と、ニンマリ笑っておられた。この頃になるとガスも完全になくなって青空が広がり、グリーンの這松帯と真っ白な雪田のまだら模様を見せる草履塚の山体が目の前に展開し、皆なの気持ちを奮い立たせてくれ、足元には、顔を出したばかりのミヤマキンバイの黄色の花びらが歓迎してくれた。

 種蒔山を越えたのは分からなかったが、多分、雪に隠れた夏道を外していた為だろう。青空の下、大雪原の中を行く重荷を背負った三人は元気いっぱいで、ワイワイと声を出しながら笑顔が絶えなかった。でも、時々は雪に隠れた夏道から遠ざかって行きつ戻りつしたり、猛烈な這松帯の中の藪漕ぎなどでキャフンと言わされた。

 藪漕ぎを終えて雪田の上に出ると眼前に切合小屋付近の斜面が広がり、大日杉分岐と合わさると5分ほどで切合小屋の前に出た。三国小屋から二時間半も費やしたが、途中の状態を考えると当然のタイムだったろう。一息入れて小屋の前を通過して草履塚への登り斜面に這入った。この頃には完全に青空復活…!真っ白な雪原と緑の這松帯の三人衆は絵になった。

 残雪帯と這松帯の道を出入りしながら高度を稼いでいくと、周囲の景色も段々と広がり登行意欲が湧いてくる。切合小屋から75分ほどで草履塚と呼ばれるピークに出る。すっかり初夏の佇まいに変わった目前に、頭の部分を霧のベールで隠した飯豊山がデンと姿を見せており「早くおいでよ…」と呼びかけているようだった。

 ジグザグのガレ場道を一気に下った鞍部は「姥ノ前」と呼ばれる場所で、女人禁制の頃に登った女性が神様の怒りに触れ、石に変えられたという言い伝えの場所で、此処から山頂部分は神域だったのだ。白い帽子をかぶった石像様に入山の挨拶をして神域に立ち入った。直ぐにゴジラの背のような岩場になったが、此処はご秘所と呼ばれている。標高差200mの飯豊山本山への登り道には高山植物の花も現れ始めて目を愉しませてくれた。

 ザレ地の至る所に咲き始めたばかりのハクサンイチゲの白い花びらが風に揺れ、濃い紫色の飯豊リンドウの花は初見参だった。御前坂と呼ばれる這松の中の道を黙々と登りあがると一気に視界が広がり、飯豊本山から西に延びる尾根筋の西端に、三角形の形をした大日岳が残雪をいっぱいつけて恰好良く突っ立っていた。地形のせいか季節風のせいか飯豊本山付近は残雪も見えず、地肌を見せて荒涼としていた。

 姥ノ前から丁度1時間で、飯豊本山神社手前にあるテン場に着いたのは14時チョイ前だった。約9時間の行程だったが、残雪帯が無かったら恐らく7時間ほどで来れたかもしれない。テン場の東側に分譲地を見つけて先ずは今晩のねぐら作り…。息子が背負ってきたダンロップ製の5~6人用テントを手分けして素早く張り終えた。

 重いザックを下ろした青年衆はさすがにホッとした顔になり、水タンク車のW辺さんは、空身になると身体がふわふわと持ち上がりそうだ…と、云ってたが、さもありなん…2100mまで20数kgの重荷をしょって来たのだから!テント設営が終わり、全員身体一つの身軽な格好で飯豊本山へ向かった。テン場のすぐ上が山頂神社と山小屋で、トイレなどの建物もあった。

 小さな木の鳥居を潜って神社の前に行ったが、お神様はコンクリート製の建物の中に居られるようで、何だか有難みが無かったが豪雪地帯の飯豊山ならの事だと納得するしかなかった。コンクリートの建物に手を合わせてお参りし、本山へ向かった。15分ほど尾根筋を北進すると標高2105mの飯豊山頂で、字の消えかかった木製の棒が山頂に突っ立っていた。

 こうして山頂に立ってみれば何という事も無いが、此処に登れるとは思ってもいなかったので、その分喜びは倍加した。息子たちグループ「釣り岳人クラブ」の隊旗、大漁旗を広げて記念撮影をして、暫く周囲の景色を楽しんだが、やはり、一番のビューポイントはすっきりした三角形の「大日岳」だろう。大日岳がこの飯豊山塊の最高峰で2128mあり、飯豊本山よりも23m高い。手前の御西岳のたおやかな山体の奥に、キリっとした立ち姿を見せる大日岳は登高意欲を抱かせるナイスガイだ!

 山の神様は、81歳になる老いぼれジジイの意欲と努力をお認め下さったようで、出るときは小雨模様だったのが嘘のように晴れ上がり、心ゆくまで山頂からの景色を堪能した。朝日連峰や会津磐梯山、安達太良山などが暮れゆく西の方角にその姿を見せていた。20分ほど山頂で過ごしてテン場へ引き上げたが、その間、何度も立ち止っては明日登る予定の大日岳の姿に見とれてしまった。

 テン場に戻り着いて青年三人衆に夕食準備は一任し、ジジイ殿はカメラを持って周囲の散策を楽しませて貰った。16時過ぎにテントの東側入り口付近で夕食タイム…。メニューは至ってシンプル、飯とウインナー、沢庵…!質よりも量だった。私は食器一膳だけで満腹になったが、三人の食欲は旺盛で見ているだけで腹いっぱいになってしまった…!食べながら、明日の朝と昼用のご飯を炊き、K賀さんが手際よくラップに超特大のお握りを握って行った。

 出来た特大おにぎりを銀パラに包んで渡してくれたが、どう見ただけでも一個で三食分はあった。彼らに後片づけを任せて俺らは腹ごなしにその辺をブラついた。這松の中に小さな桜の木に似た木があり、小さな桜の花びらが何輪か咲いていたが、帰宅後検索するとミネサクラの花だと分かった。そのミネザクラの木の下に、何とガマガエルが動きもせずに私を見上げていた。冬眠から覚めたばかりなのか一寸たりとも動かなかった。良かった踏んずけなくて!

 後は、ザレ場の岩陰に身をひそめるように咲き始めたミヤマキンバイの花だけしか見つけられなかった。転がった石に座って夕なずむ飯豊本山や大日岳の様子を眺めつつ、明日は、あの残雪たっぷりの大日岳に登れるだろうか…と思ったりしたが、まあー、明日になって考えればいいや…と、テントに引き上げて皆に「夕日が沈むよ」と教えてあげた。その夕日は何と飯豊山頂の頭にに沈んでいったが、是も、遥々と九州からやって来た老若混成チームに、飯豊山がおぜん立てしてくれたのかもしれない。

 陽が沈むと忽ち寒気が忍び寄り寒くなったのでテントに引き上げ、装備品を片付け寝袋を広げた。山の夜は早い…!狭いテントの中で寝袋に収まると後は寝るしか無い!19時半ごろには夢路についた。強風がテントのアウターをばたばた揺する音で時々目覚めたが、ボッカの疲れなどで何時の間にか寝てしまった。


…  二日目の朝は雨風模様で、私は山頂から引き返し大日岳へ向かう息子たちを見送った。(am-4:18~)(結局息子たちも風雨に追い返された)

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 6 月 7 日… ( 雨 )

飯豊本山テン場(6:35)⇒姥ノ前(7:13)⇒草履塚(7:32)⇒アイゼン装着(7:48~)⇒切合小屋(8:12~)⇒七森(9:36)⇒三国岳小屋(10:37~食事~:51)⇒水場(12:10~)⇒横峯分岐(12:32~)⇒登山口 (13:40^)⇒林道入口(13:56~)


   テントを叩く雨風の音で目が覚めた。時計を見ると3時少し前でまだ暗かったが、皆もゴソゴソと寝袋から這い出して出発準備を始めた。予定では、往復6時間弱とみていたが、この雨風とガス…然も、大日岳の斜面はたっぷりと雪を残しているのを昨日見たばかりだったので、予定時間はあって無いものと同じだろうと思っていた。

 私は、テントを出る時点で大日岳往復はパスしようと思っていたが、飯豊山頂まで彼らを見送り方々連いて行った。東北地方の夜明けは早く、雨天だというのに4時ごろにはヘッドランプも消灯した。飯豊山頂で出かける三人の姿を写して彼らを見送った。彼らだけなら鈍足の私がいない分サッサと行動できるから、多分、何とか登って来るだろうと予想できたが、問題は、雪田のホワイトアウトである。

 雪の積もった中でガスに巻かれると方向感覚はマヒし、雪面の上下さえ判別できなくなる…是をホワイトアウトと呼んでいる。今は、GPSなど文明の利器があるから方角を失する惧れは少ないが、何れにしても雪山でのホワイトアウト程厄介な事象は無い。勿論、他にも雪崩、吹雪、超低温、寒風…等々危険はいっぱいあるが、私の経験した範囲ではホワイトアウトが一番怖かった。

 テントに引き上げて、彼らが戻ってくるまでにテント内の装備類を整理し、さっと撤収できる準備をしていると30分もせずに彼らが戻ってきた。息子が、「風雨も強かったが今回は飯豊山だけで潔く撤退することにした…ヨ」と言いながら、テント撤収を始めた。目的の山を目前にして撤退するのは惜しい気がするが、彼らはまだ若く、再チャレンジのチャンスはいくらでもあるので、楽しみを先延ばしにしただけ…と、良い方に考えれば良いと思った。

 雨の中の撤収作業を皆で手際よく済ませて、飯豊山を後にして6時半過ぎに下山開始…這松の中の道から御前坂を下り、ご秘所の岩場を慎重にクリアーして、姥ノ前に降りついた。石像様に別れを告げて草履塚ピークへのジグザグ道を登って行った。平坦になった草履塚を過ぎて間もなく残雪帯に這入った。往路では晴れて行く先の目途がついていたが、復路は白いガスに覆われ先行きが見えなかったので、雪の斜面の途中で全員アイゼンを着用した。

 ガスに覆われている広い雪田のルート探索は難しい。昨日、辿ったばかりのルートだがその痕跡は後欠片も残っていない。方向感覚というものに優れている人もおれば、まるっきり方向音痴の人もいるが、是ばっかりはどうする事も出来ない。その点、息子は着実に辿ってきた方向を辿って行ったが、私は、そっち通った…?の疑心暗鬼ばかりだったが、是も加齢による方向音痴症だったかもしれない。

 W辺さんのGPS案内なども手助けにして切合小屋の前に無事に到着しホッとしましたね…。ホッとするのはまだまだで、此処から三国岳までが大変だった。大日杉分岐を過ぎると間もなく残雪で覆われた雪田ルートが始まった。息子が途中で、往路で苦労した藪漕ぎ個所をカットして雪田ルートを選んだ。勾配がきつい個所では息子の指示でザイルを出して、12本詰めのW辺さんが先行して雪の斜面に登って皆を確保してくれた。その後も何度かザイルを出して雪の斜面を登ったり下ったりして通過していった。

 このザイルを使ってクリアーした残雪帯のルートに約一時間ほど費やし、夏道の七森に出たのは9時半ごろだった。夏道に這入ると途端に雰囲気が変わり初夏の世界で、紫色のカタクリの花が全開で出迎えてくれ、涙滴の形をしたシラネアオイの蕾の青紫の色を見ると、先ほど苦労した雪道の疲れも消し飛んでしまった…!飯豊山の6月は「雪と花」の背中合わせだった。

 そんな平和郷から直ぐに残雪の上のクレバス帯に這入り、最後の難関を突破すると三国岳小屋の前に登りついた。飯豊本山のテン場から約4時間だった。此処まで来れば難所も殆ど終わったので、風の当たらない小屋の裏手で、K賀さんが握ってくれた超特大のお握りにかぶりついた。が、半分も食べられなかった。横で食べているW辺さん達はあっと言う間に平らげたようで、その食欲と体力が羨ましかった。

 お握りタイムを終える頃に、小屋の表の方で人の声が聞こえてきた。食事を終えて小屋の正面に来ると若い女性がおられ、我々が下って行く地蔵山方面から三人ほど登って来られたので立ち止っていると、一人の人は年配者でどうも登山者じゃないようだったので「山小屋の方ですか?」と訊くと「はい、三国小屋の者で、小屋の準備などの為に上がってきました…」だった。

 今回の山旅で会ったのは、この山小屋関係者だけだった。やはり、この時期の飯豊山は訪れる人が少ないようだ。剣峰の岩場を用心しながら下って行ったが、息子は、たびたび立ち止っては心配そうに私の挙動を眺めていた。多分、今回の山行では喜びよりも親父の心配が先で、心からリラックスした山登りが出来なかっただろう…と、思うと複雑な気持ちになった。

 岩場に咲くイワカガミの花に見送られて暫く夏道を行くと、道際にカタクリの花が集団で咲いていたが、九州では一部の山でしか見られない花が、こうして無造作に道端に群れ咲いているのを見ると勿体ない気がした。下って行くにつれて残雪も減って、次第に露出した夏道を行くようになると水場で、立ち止って冷たい名水を頂いた。雨も小降りになってカッパも必要ないくらいになり、上だけ脱いで20分ほど下ると横峯の分岐で、一息入れて小布沢登山口への道に這入った。

 標高が下がるにつれてブナなどの背の高い樹林に変わって行き、咲き終わりの白いコブシの花やピンク色の美しいツツジの花などが雨の滴をつけてとても奇麗だった。登山口までに濡れた落ち葉や木の根に足を滑らせて二度ほどスリップダウンしたが、多分、二日に及ぶ疲れの蓄積と、もう登山は終わったという気の緩みからだったと思う。

 登山口まであと30分ぐらいの場所で、息子が、「俺が先に下って車を駐車場から林道入り口まで持ってくるネ…」と、重いザックを背負ったままあっと言う間に下って行った。多分、私が疲れているだろうとの気遣いからだったろう。13時40分ごろ林道終点の登山口に無事に下山し、ブラブラと林道を下って行く道際には、雨に濡れたタニウツギの花が山旅を終えて下るジジイを出迎えてくれた。

 登山口から12分ほど下ると、林道入り口のチエーンゲイトで、直ぐ傍まで息子がW辺さんの愛車を回送してくれていた。濡れた装備類を広いトランクに収めて2019年度飯豊山行終了…!息子たちの采配で今日は一気に会津若松まで下ることになった。

 喜多方市内で名物の喜多方ラーメンを頂き、途中のコンビニで買い物を済ませて宿泊地の東山温泉へ向かった。旅館に着くと濡れて汚れた格好のままで、ザックなどを背負って快適な部屋へずかずか乗り込んだ。私は、濡れた体が寒かったので荷物はほっぱらかし、着替えをもって浴場に向かった。

 念願の飯豊山に登らせてもらい、こうして温泉に浸かれるなんて夢のようだった。是も、一重に息子やW辺さんK賀さんの温かい支援があったればこそだと、湯船に手足を伸ばしながら感謝した。夕食は、山で使う予定だったメニューのカレーライスで、テーブルの上にコンロを乗せてコッフェルでご飯を炊き、ボンカレーを温めた。宿の主人が見ると驚かれることは間違いなかったろう。

 昨日は2100mの飯豊山直下のテントで寝袋に…今晩は、一転、文明の温かい温もりの布団でそのギャップは大きかった。そんな暖かい布団の中で考えた…。年齢を考え体力を思うと、青年たちと同じレベルで登る山は是が最後だろうと…。今回こそ息子たちの好意に甘えて登らせて貰ったが、お互いに力量の差があると双方ともに気兼ねや遠慮などで、未練を残す山行になる可能性が高い。

 是が、息子だけなら良いのだが、やはり、複数人数で行動するとなるとデメリットの方が大きい。私も、11月で満82歳になるが、この先、何時まで齢相応な山歩きが出来るか未知だが、まあ、志高心は持ち続けてしょぼくれないようにしたい。

 今回の飯豊山は私にとっては登り甲斐のある山だったが、果たして息子たち三人の率直な気持ちは如何だったろう…?兎に角、4人で残雪の飯豊山に登れたことは間違いない。皆に感謝 々 の気持ちでいっぱいだ。ありがとう若い山の友たちよ…!


 6月8日は、雨の中を観光旅行…!会津若松から猪苗代湖などを巡り上杉神社など訪れたり、庄内牛などご馳走を頂いて、夜は、山形県の温泉地「鷹の巣温泉」のリッチな一戸建ての宿に寛ぎ、のどぐろ等のご馳走に胃袋がビックリしてしまった。

 9日は、新潟空港16時発の飛行機迄、サクランボ園に行ったり、せんべい工場に立ち寄ったり…と、観光しまくりで、山に行ったか観光に行ったのか分からなくなった?!…一番大変だったのは、W辺さんで、出迎えから観光旅行…そして最後は空港まで送り届けと、まるでお抱え運転手さんだった。16時発の飛行機に乗るまでロビーで見送って下さったが、送り届けた自分は一人で、福島まで200km以上もドライブしなければならないのだ…!

 帰りの便はプロペラ機…。あまり飛行機に乗る機会は無いがプロペラ機は初めてで興味津々だった。ジエットエンジンでタービンを回してプロペラを回転させている仕組みらしく、プロペラ機独特の回転音よりもジェット機のような音だった。

 福岡空港まで2時間…我が家付近の上空を掠めて18時過ぎに蔵相会議で厳戒態勢の福岡空港についた。またも出迎えに来てくれた息子の嫁さんの車で家まで送って貰った。登山後の観光旅行のせいか、山から帰った気分はあまりしなかった今回の山旅だった。何れにしろ、念願の飯豊山に登らせてもらい肩の荷が下りたような気分であることは間違いない。何度でも言おう…同行してくれた三人衆さん有難うございました…と!


 ☆ ★ ☆ ★ 〜 鷹の巣温泉の散策路に咲いていた花です 〜  ☆ ★ ☆ ★ 


  ⇒ ピンク色の花です   ⇒ コウリンタンポポの花後?  


  ⇒ 紫色の花       ⇒ ジンジソウ ? 


…  (特訓山行)男池の登山口から前ぜりへ、東尾根を登り大船山から平治岳へ縦走… (5/24)

…  平治岳山頂付近のお花畑のミヤマキリシマの花は一分咲き程で山開き頃が見頃かも?) …

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 5 月 24 日… ( 晴れ )

男池(7:15)⇒ソババッケ(8:07)⇒風穴(9:02)⇒前ぜり(9:27~33)⇒御池(11:13~:28)⇒大船山(11:31~:37)⇒北大船山(11:58 )⇒大戸越(12:44)⇒平治岳(13:18~:36)⇒ソババッケ付近 (14:32)⇒隠し水(14:56~15:03)⇒ 男池 (15:31~)


 特訓山行の締めに12kgほど担いで、男池登山口からソババッケ〜風穴〜前ぜり…と、新緑の林を抜けて、前ゼリより大船山東尾根を登って大船山〜北大船山〜大戸越〜平治岳〜ソババッケ〜男池…と、ぐるっと周回する歩き応えのある山行を行った。

 5時半ごろ出発し、高速を利用して登山口の男池に着いたのは7時過ぎだった。平日だったが、この早い時間から駐車場は3〜40台のマイカーが駐車していたが、新緑とお花探索の登山者さんが各地からやって来られたのだのだろう…。支度を終えて約12kgのザックを背にし、男池園地の中から橋を渡ってソババッケへの山道に這入った。

 隠し水の水場付近まで山道も平たんで、素晴らしい森林浴コースである。広葉樹の柔らかな新緑の下を歩いて行くと、本当に緑に染まってしまうようだった。林床には、バイケイソウやヤブレガサなどが背比べしながら生えていたが」、まだ、花をつけたバイケイソウは無かった。

 こんなに気持ちの良い道なら何処まで歩いても疲れを覚えないだろう…。山芍薬の植生地の傍を通ったが流石に時期遅れで緑の葉っぱだけだった…。冷たい山水が湧き出ている水場「隠し水」で掌に何倍も汲んで喉を潤し、水分補給をして熱中対策に備えた。今日は、真夏日になる予報でザックの中にスペアの水を3リッター入れてきた。水が、もう少し軽いなら山歩きも楽だがなー。

 隠し水を過ぎるとソババッケ迄黒土の少し登り勾配の道になる。この火山灰土は雨が降った後などはヌルヌル滑って歩きにくく、尻もちでもつくならお尻は真っ黒けになってしまう。樹林の模様が変わって行くとソババッケと呼ばれる凹地で、雨の後などは水が溜まり湿地帯になる。この先から、大戸越を経て平治岳、大船山方面への分岐があり、登り終えた人、是から登る人達が一休みする場所でもある。

 その大戸越しへの分岐を通過し、久住高原側の岳麓寺方面へ向かう道へ這入る。道は、大船山と高塚山の狭間に付けられ、或る所は、両側の山から転がってきた岩石が石畳のように敷き詰められている。ソババッケから30分ほど行くと奥ゼリと呼ばれる場所で、大戸越しへ通じている。

 奥ゼリから石畳の道を20分ほど行くと風穴と呼ばれる場所で、風穴の穴の中には夏でも雪が残っていることもある。此処は、黒岳と段原経由の大船山、岳麓寺方面への変則十字路でもある。此処まで、男池登山口から二時間弱と行ったところで、荷物背負ったジジイにしてはナイスペースだった。

 風穴も休まずに通過し、少し下り加減の道を行くと段原を経ての大船山への標識がある。分岐から暫く行くと、黒岳の山腹を捲いて白水鉱泉へ通じる上峠分岐がある。要所には案内標識があるが、途中で右に折れる場所に標識が無く、うっかりすると直進して上峠方面への難所に迷い込んでしまう、一昨年だったかポイントを見逃し10分ほど右往左往した経験がある。

 テープ類はあったが、草が茂ってくると近くまで行かぬと確認できないので、手前に注意勧告の標識でもあったら助かるのでは…と思う。今度は、その時の記憶があったので迷わずに行けたが、初めての人は此処の地点は要注意である。風穴から25分ほどで前ゼリと呼ばれる地点に着いた。この前ゼリが、大船山にダイレクトで繋がる「大船山東尾根コース」で、地理院地図を見ると殆ど直線的に大船山に伸びている。

 此処まで男池から約2時間10分だった。此処でザックを下ろして小休止…。大船山東尾根登攀に向けエネルギー補給、アンパンを一個お腹に入れた。前ゼリ標高が約1150mで、大船山の標高が1786mだから、比高差は約630mという事になる。荷物が軽いときなら大した比高差じゃないが、やはり、悔しいがジジイにとってはサッサと登ってしまう比高差じゃない。

 気合を入れ直してザックを背負い、「大船山」さん…今から登らせて貰います!と、声をかけて東尾根に足を踏み入れた。登り始めは松などの生える混生自然林で、松の葉っぱが山道に散らかっていた。重荷を背負っての坂道歩きは己れとの勝負である。ただ黙々と一歩一歩マイペースを保って登って行くしかない。ロープ場などの急こう配個所はいざ知らず、ペースを崩さずに登って行けば何時の間にかに高度を稼いでいる。

 私は丑年である。の、せいかも知らないが、瞬発力には欠けるが持久力には自信がある。勿論、何もしないで自信は持てない。裏付けのある自信を生み出すにはそれ相応の自己研鑽が一にも二にも欠かせない。勿論、何歳まで元気に山歩きが出来るか未知だが、その時が来るまで精進琢磨してボチボチ歩き続けていきたい。30分ほど歩いて高時計を見ると200mほど稼ぎ、目線の上にあった黒岳がだいぶ低くなっていた。

 火山灰土の黒い窪んだ道もあったが、一般的に東尾根は登りやすい道だ。テープ類も要所要所に付けられ道迷いの心配もない。(テープが隠れる冬季は別である)登るにつれて樹林の背丈が低くなり、青空天井が広がってくると高度も1500m付近になり、展望の利く岩場から南方を見るとスモッグ気味の向こうに祖母山が霞み見えていた。この辺りから高山植物のマイヅルソウや、イワカガミの花が見えだした。

 補助ロープなどが付けられた急こう配を登りきると平坦な台地上になり、前方には御池付近の岩峰が見えてきた。此の台地上には橙色のクサボケの花が群れ咲いていた。昨年冬季に息子たちと登った際、この台地上で雪のためにルートを失って苦労した思い出の場所であった。所々で、ピンク色のミヤマキリシマの花が出てきて頑張るジジイを慰めてくれた。

 この時期の大船山は一面の新緑に覆われ、岩ごつごつのイメージとは裏腹の優しい姿に変身し、真っ青な空をバックに俺らを出迎えてくれた。山頂直下にある御池に下ると、水辺に一人の登山者さんが憩っておられた。春夏秋冬、この御池は四季折々に姿を変えて日本庭園の美を見せてくれる。初夏の今は、新緑と爽やかな風…透き通った水面のさざ波…、まさに此処は地上の楽園である。

 ザックを下ろして暫し、水面に浮かぶ四周の逆絵を眺めながら無我の卿に…。きつい登りも、この場所に着いた途端に何処かに吹っ飛んでしまった。此処にテント張って一夜過ごせばどんなにか素晴らしい事だろう…何て夢が広がった。先着の登山者さんと二人でこのメランコリーを讃え合った。

 そんな豪華なメランコリーで行動食のサンドを頂きエネルギー補強…。何時までも、この地に居たかったが先があるので、渋々ザックを背負ってメランコリーを後にし山頂に向かった。山頂には10人程の登山者さんたちが、景色を見たり食事をしたり、写真を撮ったりして居られた。81歳と6ヶ月のジジイの記念写真を登山者さんに頼んで撮って貰ったが、私の年齢を知って皆さん一様に「信じられねー」の顔つきだった。

 空は真っ青に晴れているのだが、PM2,5か何か知らないが、阿蘇や由布、祖母山などは霞みの中で残念だった。山頂滞在5分ほどで下山の途に…岩場を下って段原に行く途中に立て看板があり「避難小屋建設中でヘリが離発着する際は係員の指示に従ってください‥云々」だった。丁度、昼休みで作業員の方に「いつごろ完成の予定ですか」と尋ねた。年配の作業員の人が「はっきりは決まっとらんが8月頃じゃなかナ…」との事だった。

 そう云えば、東尾根を登っているときにヘリコプターの爆音がしていた事を思い出した。段原の平地に作業員の寝泊まりする簡易ハウスが三棟設置されていた。私が、「今日、下界は30度を超す夏日だが、此処に寝泊まりされているなら暑さ知らずですね…」と云うと、笑いながら「そりゃ良いかもしれんが、朝晩にゃ寒かごたーバイ…」と笑っておられた。

 段原から北大船山へ登って行く途中にパラパラと咲き始めたミヤマキリシマが見えだしたが、まだ、殆どは蕾のままで後一週間ぐらいか、山開きの頃が見頃になりそうだった。息子と昨年来たときは満開だったが、この北大船山のミヤマキリシマの群落は、また他の場所とは違うお花畑で、息子も「此処のミヤマキリシマ群が一番好いとう…」と言ってったが、私も同感である。

 北大船山から、まだ蕾のミヤマキリシマのジャングルの中を下って行ったが、やっと人ひとり分の通路には尖った木の幹や枝などが飛び出し、蟹さんのように横歩きしながら注意して下って行ったが、大戸越に下り着いたときは何か所か引っかき傷が出来ていた。峠に降りついて平治岳の斜面を見ると、微かにピンクがかっている程度だった。最盛期にはこの斜面はピンク一色に覆われ、見物の登山者がアリの行列のように連なるのだ。

 その平治岳の斜面に取りついたが、丁度、真昼時とあって照り付ける陽光をまともに受けながらで、草いきれで汗が滴り落ちた。ミヤマキリシマの花でも咲いていてくれたら慰めだったが、それは無いものねだりで、我慢しながら枯れたススキの中を登って行った。平治岳の手前ピークに登りついたが期待のミヤマキリシマの花はほとんど見えず、判ってはいたが残念だった。

 峠から約30分で今日最後のピーク平治岳山頂に登りついた。埼玉から来られた6人グループの人たちと、写真など撮りっこしながら少ないミヤマキリシマを鑑賞した。どうにか予定していたタイムで此処まで周ることが出来て、飯豊山々行も少し自信がついた。20分ほど山頂で過ごし、平治岳山頂から直接ソババッケ横に下る「東尾根」コースに這入った。このルートは昨年息子と登ったが、下るのは初めてで取りつき点が心配だったが、入り口には目印テープもあり、踏み跡も明瞭で直ぐに取りつくことが出来た。

 取りついて暫くは背丈の低い灌木の中で、パンを齧りながら下って行った。踏み跡が不明瞭になることもあったが、克明につけられた赤テープのお陰で何の心配もせずに下っていけた。山頂から約50分ほどで、ソババッケの男池寄りの男池に通じる登山道に下りついた。この入り口付近にはテープ類などが無いので、経験者以外は取りつきにくいが、この案内板が目印で此処から尾根筋に這入れば、後はこまめに目印テープが誘ってくれる。

 東尾根終了点から20分ほどで隠し水…。此処で、冷たい名水をボトルや容器に4,5リッター頂いた。此処から登山口の駐車場までの負荷は15kgを越えていたが、森林浴コースの道だから重くは感なかった。15時半ごろ初夏の太陽が照り付ける駐車場に戻ってきたが、大型バスなども留っておりマイカーも上の段迄増えていた。ミヤマキリシマには尚早だったが、五月晴れのグリーンウオーキングで、特訓のイメージは何処へやら…の、くじゅう山系山行だった。


…  (特訓山行)13kg背負って新緑と石楠花のグリーンウオーク9時間半(野峠⇔一ノ岳⇔犬ヶ岳⇔笈吊峠⇔経読岳)… (5/5)

…  新緑に覆われた犬ヶ岳から続く山並みの先に英彦山も(経読岳より引き返す途中) …

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 5 月 5日… ( 晴れ )

野峠 (7:30) ⇒ 一ノ岳 (9:20~) ⇒ 犬ヶ岳 (10:15~) ⇒ 笈蔓峠 (10:51~59) ⇒ 経読岳 (12:13~昼食~:35) ⇒ 笈吊峠 (13:41~) ⇒ 犬ヶ岳 (14:26~:35 ) ⇒ 一ノ岳 (15:08~:26) ⇒林道分岐 (16:12~) ⇒国道出合 (16:54) ⇒ 野峠 (17:07~)


 超大型連休も後半は行楽日和に恵まれて明日でピリオド…。皆さんこの連休をどう過ごされただろう?オツカレサマデシタ!

 私の飯豊山特訓も回を重ねながらほぼ順調に進んできた。今日は、二年ぶりになる野峠から経読岳往復縦走に行ってきた。丁度、時期的に犬ヶ岳周辺のシャクナゲの花も咲き始めており、裏年で数は少ないようだったが新緑の中に咲いたピンクの花びらに何度も足を止めさせられた。

 5時半ごろ我が家をスタートして往路は、冷水峠から桂川〜小石原経由で英彦山の野峠に向かったが、帰路は混雑を避けて添田町から桂川〜しょうけ越経由で戻った。何れのコースを辿っても一時間半はかかるので、英彦山は距離的には近いが時間がかかる。

 国道500号線の野峠の直ぐ近くの登山口の狭いスペース(マイカー3台が限度)には、佐賀ナンバーの車が駐車しており、その隣に駐車して支度をした。7時半ごろ九州自然歩道の古い看板の横から山道に這入った。今日は、13kgチョイの負荷だったが、平地は兎も角、登り坂になるとロートル爺には少し重い。

 野峠からの自然歩道は殆どが尾根筋に付けられており、英彦山ビュート地形のごつごつした岩場が時々現れる。最初の岩場を過ぎると時々樹林の切れ目に英彦山や鷹の巣山が望める。どの山々も初夏を迎えて新緑に彩られ、生き生きと輝いているようだった。

 自然歩道看板によると野峠から経読岳間は凡そ9km程だが、笈蔓峠以東の経読岳方面は登山者も少なく、殆どの登山者は豊前側から犬ヶ岳を訪れるパターンが多いようだ。丁度、シャクナゲの開花時なので、今日も犬ヶ岳付近では石楠花お目当ての登山者が多かった。

 そんな新緑のトンネルの下を一日中過ごしたわけだが、本当に身も心も新緑のシャワーに染まってしまった。歩く足取りは重荷で快調とは言えないが一歩一歩…踏みしめて歩いて行った。調子の良いときは坂道も苦にならないが、そうでないときは「この坂、こんなに長かった…」と、帰路は何度も坂の途中で立ち止ることがあった。

 この犬ヶ岳周辺の尾根道はブナやミズナラの木が多く、その瑞々しい芽吹きの下を歩いて行くと別の世界にいるように感じられる。そんなグリーン一色の中に、淡いピンク色のミツバツツジの花や石楠花がアクセントをつけてくれ、絵心がないのが悔やまれる。

 そんな新緑とお花さんなどに心癒されながら、81歳半ばのジジイは黙々と足を運び一の岳ピークに到達…。小休止後にピークを後にし、犬ヶ岳への道に這入ったつもりだったが…求菩提山への道に這入ってしまった。後から考えても何故だかわからない…多分、新緑酔いになってボーッととなっていたとしか思えない。帰路、改めて確認したが、どうしてそちら側に這入ったか不思議でならなかった。

 そういう事で200m程下った付近で方向がおかしい…と気づいた。引き返しても良かったがGPSをONして見ると、犬ヶ岳ルートの道が直ぐ西側にあったので、そのまま山腹をトラバースして正規の道に合流した。是も老いぼれたせいかもしれない…桑原クワバラ!犬が岳への登り返しの手前で写真を撮りながら登っておられた登山者に追いついた。

 彼も、経読岳まで行かれるそうだった。犬ヶ岳山頂には笈蔓峠方面から来られた登山者が10人ほど休んでおられた。今日は、出発時点では犬ヶ岳まで行って調子が悪ければ笈蔓岩で引き返そうかとも思っていた。予定よりも30分ほど時間を食っていたが、飯豊山の事を思うと此処でへこたれたらアカン…と、気合を入れ直し山頂を通過してシャクナゲの木が密集する笈蔓岩へ向かった。

 狭いシャクナゲの樹の茂る回廊の道で、向う側から来る登山者さんと次々に離合した。でも、今年は花の裏年に当たるのか、石楠花密集帯で花を咲かせている樹はあまり見かけなかった。その穴埋めに咲いていたシャクナゲの花はまだ蕾の樹も多く、10日ごろが見ごろかも知れない。

 笈吊岩の岩場は時々転落事故もある難所で、豊前側にう回路がついている。鎖の岩場付近に来ると岩場に取りついた登山者の声がしており、多分、岩場に不慣れな登山者が手間取り渋滞しているようだった。で、う回路を下って笈吊峠に下り、ベンチに座って経読岳へのエネルギー補強にコンビニおにぎりを頬張った。

 今日は長丁場に備えて、自家製おにぎり二個、コンビニおにぎり一個、パン二個、クッキー類二個、ウイダー一個、ミカン一個、チョコや飴玉、等々と、飲料水2,5リッターをザックに入れてきた。是まで気温も低かったので飲料水も0,5リッターボトル二本もあれば良かったが、今日は夏日近くの気温で最終的には1,5リッター消費した。

 峠で休憩して経読岳への登り返し道にはいった。この峠は標高が高く約950mもあり、極端にきつい登り返しの道ではないが、経読岳まで何度もアップダウンもあり、今日のように荷物背負っているときはすんなりとはいかない。開けた場所では耶馬渓方面のビュート型の尖がった山も見えるが、久住方面や遠くの山々は霞んで見えなかった。

 峠から40分ほど行くとデッカイ岩場の前に出る。目測で30m以上はあろうと思われる岩塊は岩登り屋さんの好舞台と思われるが、その兆しは見られなかった。大岩塊の前から直角に左折しながら岩場の下を捲いて行くのだが、この区間の自然歩道標識は距離程だけではなく、進行方向を示す形の表示がその方向を指しているので有難かった。多分、経読岳周辺だけでも4か所ほどあったと思う。

 予定では11時半前には着くだろうと思っていたが、折り返しポイントの経読岳山頂に着いたのは12時チョイ過ぎだった。山頂の石像様にお参りして裏側のベンチの置かれた小広場に降りて昼食タイムにした。自家製のピースご飯のおにぎりを腹に収めて帰路のエネルギー補給完了した。

 予想はしていたが、犬ヶ岳周辺は賑やかだったが、峠から経読岳方面は貸し切り状態で、引き返している途中で追い越した二人とすれ違っただけだった。自分自身は歩いていて今日は少しピッチが上がらないな…と、思っていたので私よりも軽いザックで歩くお二人さんを追い越したので、今日のペースが速いのか遅いのかピンとこなかった。

 シャクナゲの花も経読岳方面には殆ど見かけなかったが、岩場に黄色のすみれの花に似た花が咲いて居たり、紫色のすみれの花はあちこちに咲いていた。ポンちゃんや鶴崎さんならもっと林床に初夏の草花さんたちを発見されたかもしれない。

 経読岳から引き返す途中の見晴らしの良い場所に立ち寄り、今から引き返す犬ヶ岳方面を眺めると、うねうねと続く新緑の山並みが折り重なって英彦山に続いていた。石楠花の樹が増えて来ると笈吊峠で、帰りは岩場の鎖り道に取りついた。三人連れの一人の女性がとっかかりでもたついておられたので、アドバイスをして先に岩場の鎖り場を登りあがった。

 岩場を抜けると石楠花街道の道で、迷路のように生い茂る石楠花の樹を交わしながら行ったが、時々、現れるシャクナゲの花に「また来年も宜しくね…」と挨拶しながら潜り抜けて行った。犬ヶ岳山頂は無人でひっそりしており、腹が減っていたのでベンチに座ってパンをかじった。

 山頂を後にして大竿峠へ下り、一の岳への登り返しの階段道が今日一番きつく、途中で三度も立ち止って上部を仰ぎ見た。何とか一ノ岳に登りついて野峠への目途もついたので大休止決定…。ザックを下ろしてパンを齧りデコポンちゃんを頂いた。飲み水も三本目を取り出しザックの背負いベルトのホルダーに入れ込んだ。

 最後の休憩を終えて一ノ岳を後にし野峠方面へ向かったのはもう15時20分を過ぎており、太陽も西に傾いて夕暮れの気配が漂い始めていた。小さなアップダウンの道をズッコケない様に気をつけながら歩き、野峠へ後2kmの地点で自然歩道に別れ、すぐ下を走っている経読林道をテクテク下って行った。

 落石などで荒れている林道を20分ほど下ると、山側の切通の岩肌伝いに山水が滴り落ちていた。手に掬って飲むと冷たく美味だったので、お土産用に空になっていた2本のボトルに満たしたが、一本満タンするのに3分ほど掛かったが、岩肌から染み出す名水はそれだけの価値はあった…?

 40分ほど下って国道500号線に出たときはもう17時チョイ前で、山陰の道は薄暗くなっていた。国道を15分ほど登り返し登山口のマイカーが見えたときはホッとした。重いザックを下ろし山靴を履き替えながら思った…良くもまあー、朝7時半から夕暮れの17時まで重荷担いで頑張ったなー…と、自分で自分を褒めた。

 この特訓が後ひと月先になった飯豊山々行に少しは役立つことを信じたい。「念ずれば通ず…」とも言うが、81歳を半ば過ぎたジジイにとっては念じただけでは何も起こらない。苦行僧のようになって特訓を続けているのは、勿論、自分自身が念願の飯豊山塊に登れることも大だが、同行する息子たちの足手まといにならない為である。

 毎年一年ごとが勝負であるジジイの山行だが、私から山を取り去ったら腑抜け人生しか残らない。いろいろな見方もあるだろう…。そんなに無理しなくても齢相応の山歩きをすれば…とか、etc・・・。判っているのだが、まだ今の時点では高い山に登りたい気持ちが衰えない。今回の飯豊山々行がどうなるかは相手あっての事だから未知だが、思いを全部ぶっつけて取り組みたい。


…  (特訓山行) 飯豊山メンバーで祖母山へ(北谷⇒黒岳⇒親父山⇒障子岳⇒祖母山⇒北谷)… (4/21)

…  障子岳付近より古祖母山〜傾山のシルエット …

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 4 月 21日… ( 晴れ )

北谷登山口 (6 :17) ⇒ 沢終点 (7:22) ⇒ 黒岳 (7:44~) ⇒ 親父山 (8:18~23) ⇒ 障子岳 (8:46~52) ⇒ 天狗分岐 (9:27) ⇒ 祖母山 (10:30~:43 ) ⇒ 風穴 (11:33) ⇒北谷 (12:15~)


 今回の特訓山行は飯豊山メンバーの息子とK賀さんが一緒だった。もう一人のメンバーW辺さんは福島県出向中で現地で合流するようになっている。

 早朝3時半前に迎えに来てくれた息子の車に乗っけて貰い、高速道を熊本まで走り一般道を登山口の高千穂町へ向かった。その間、車窓には満月近いお月様がずっと付いてきており、今日の晴天を約束しているようだった。

 阿蘇盆地を通過するころには夜も明け初め、阿蘇五岳の姿が凛々しく浮き上がっていた。中岳は昨日からまたお目覚めらしく立ち入り規制が発表されていたが、折角のGW前に水を差された地元や観光客はショックかもしれない。

 薄い白煙を立ち上らせている中岳を見ながら高千穂町に這入り、高所に架けられた橋を何個か渡り竹田へ通じる県道8号線に這入った。山間の長閑な集落の軒先には、眩しいような新緑の中にサツキやボタン桜の花が咲いて桃源郷を見るようだった。

 五ヶ所の集落付近から北谷登山口方面への道に這入ったが、実は、昨日迄道路工事中で途中までしか入れなかったそうだが、GWを控え訪れる登山者の便を図るため、昨日から連休明けまで仮復旧したそうだった。砂利道の離合が難しい道をガタゴト走り、6時過ぎに北谷登山口の駐車場に着いた。

 駐車場には前泊組の車もあり10台ほど駐車していた。北谷登山口は標高が1100mもあるので脊振山頂よりも高い訳で、車の外に出ると夏シャツ姿では寒く感じた。6時15分過ぎに駐車場を出て黒岳方面登山口に向かった。登山口は車道を100m程下った場所にあり、小さな道しるべが木の根元に置かれていた。

 小さな沢を何本か徒渉していったが、ここ暫くの晴天続きで飛び石伝いもスイスイと通れたが、雨期の徒渉は登山靴を脱いで渡ることもあるらしい。赤テープの目印やケルンを追いながら登って行くと沢の中を行くようになった。その沢の終わりごろに短いアルミの梯子が現れ、次第に勾配がきつくなっていった。

 沢場のドンつまりを抜けると枯れたスズ竹の密集する急こう配の道になり、トラロープにすがりながら黒土の滑りやすい道を登って行った。息子が登りながら「この坂みちは下りには絶対使いたくないね…」とボヤいていた。ロープが終わったところは黒岳直下で、本当のコースは巨岩の左側を捲き登って尾根道に出るのを見逃して直進し、シャクナゲの木の下を潜ってヤバイ斜面をトラバースし黒岳山頂に直登した。

 黒岳山頂は狭くシャクナゲの木で覆われ、あまり視界は利かない。すぐ先に展望の良い岩場があり古祖母方面が見えていた。親父山へ向かって狭い尾根道を行くと、岩場道が現れロープなどつかんで通過していった。岩場道を抜けると広い尾根筋の道になり勾配も緩やかになる。

 まだ冬の装いのままの大きなブナの木などが点在する道には、初々しい緑の葉をつけたバイケイソウがあちこちに頭をもたげ、祖母山がコバルトブルーの空の下に両翼を伸ばした姿勢で鎮座していた。スズ竹の中の親父山に着いて一休み…各自行動食や飲み水の調整を行った。

 小休止後、親父山を後にして障子岳へ向かった。山頂を出て間もなくB−29墜落現場の説明版の立つ小広場で、黙とうして通り過ぎた。障子岳山頂は猫の額みたいに狭いが眺望は抜群で、「熊の社」の石碑が山頂の真ん中に立てられている。かって、この山地には熊が生息していた名残の碑でもある。先程登って来た「親父山」のオヤジは熊の事を云うのだそうだ。

 山頂の東南にはシルエットになって古祖母山が聳え、傾山へ連なる山々が弧を描いて伸び、大崩山や五葉岳と懐かしい山々の姿が見え、南方には脊梁山地が屏風のように祖母山地に相まみえていた。北方には盟主祖母山がどんと鎮座してその奥の左右に、久住連山や由布鶴見岳が指呼の間に見え、二日前に再噴火した阿蘇中岳からは白い噴煙が立ち上っていた。10分ほど眺望を楽しんで障子岳を後にし、祖母山への尾根道に這入った。

 障子岳付近は鹿の食害が多いらしくフエンスが張りめぐらされている。此処まで来る感にも幹の表皮を齧られた木が何本もあった。障子岳を下りながら横を見ると、山頂近くから発生した大崩落があり驚いた。阿蘇の地震の影響だったのだろうか?大きな岩盤がガバッと引きはがされ転がっている様を見ると、太古から繰り返されたであろう自然界の一幕を見たようだった。

 スズ竹や灌木類の中の尾根道を行くとミヤマキリシマなどのある岩場のテラスがあり、祖母山展望の一等席だった。天狗岩や烏帽子岩などの奇岩が続く稜線は、下から見るとダイナミックだが尾根道を歩いている限りでは、そんな場所のすぐ傍を歩いているとは全く感じない。天狗の別れに着いたが、此処を障子岳方面から通過するのは何十年ぶりだろう…。何時もは尾平から黒金尾根を登って祖母山へ登る際に通過する分岐点だった。

 朝方の寒さは何処へやら、尾根筋の道を祖母山へ向けて歩いていると照り付ける陽射しは強烈で、何度も立ち止ってはボトルの水をごくごく飲んだ。標高1700mポストを越すと山頂直下の梯子場で、三本の梯子を登り上がると展望個所で、下方から見るとこの付近に長い梯子が垂直にかかっているのが見える。

 確認のために岩壁にテラスに行ってみたが、山頂よりも此方の方が高度感があって静かな雰囲気を愉しめる。梯子場の横の岩壁には黄色のマンサクの花がさいていたが、此処まで期待していたアケボノツツジさんにはついに出逢うことが出来ずに残念だった。全く同じ日時に登った去年は真っ盛りだったのに、今年は一輪も咲いてないという事が信じられなかった。

 毎年、温暖化で開花時期も早まっているのを思うと不思議だった。ひょっとするともう散り終わってしまったの…?んなことは無いだろう!梯子テラスから山頂直下の岩場を這い登り、10時半丁度に登山者で賑わう祖母山頂に着いた。此処までに出会ったのは祖母山手前で会った登山者さんだけだったので、この騒がしさが余計に姦しかった。

 行動食を食べて一年ぶりの山頂にお別れ…四方の山々の景色を見納めて下山の途に就いた。下りは、風穴コース経由で下って行った。何か所か梯子場などもあるコースだが、登山者が正面コースに比べると少なく煩わしくない。今日も一応ボッカ訓練にと11kg背負っていたが、登りや平坦道は兎も角、下り時に左膝がギックとした痛みを感じるのが不安材料である。

 風穴の上から通り過ぎたが、穴から吹き出す冷気の風が汗かいた体に気持ち良かった。風穴から15分ほど下ると沢の源頭部で、苔むした岩を流れる落ちる山水が清々しかった。渓流釣りの人がいた沢を亘って間もなく林道に出合い、少し下ると北谷登山口の駐車場だった。マイクロバスも駐車していたが、あの狭い道をよくここまで来たものだ。

 水道の水で顔などを洗って着替え、すっきりして帰路に就いた。途中で昼飯を食って後部座席でうとうとしながら16時頃に帰着した。あと飯豊山入山まで40日ばかりになり、三人で山歩きが出来て彼らも私の力量を少しは把握してくれたのではないかと思う…特に暫く一緒したことがないK賀さんは。今日は、往復一人で運転してくれた息子に感謝々…ありがとさん!


…  (特訓山行) 古処三山往復縦走(古処山⇔屏山⇔馬見山)… (4/15)

…  屏山手前に来ると苔むした石灰岩がお出迎え …

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 4 月 15日… ( 晴れ )

野鳥登山口 (8 :07) ⇒ 五合目 (8:50) ⇒ 古処山 (10:40〜) ⇒ 屏山 (10:30~) ⇒ 江川岳分岐 (11:47) ⇒ 宇土浦越 (11:05) ⇒ 茅ヶ城跡 (11:21~小休止~:26 ) ⇒ 馬見山 (11:47~昼食~12:22)

馬見山 (12:22) ⇒ 宇土浦越越 (12:53) ⇒ 屏山 (13:35) ⇒ もみじ谷分岐 (14:00) ⇒もみじ谷 (14:34) ⇒ 五合目 (14:41) ⇒登山口 (15:13~)


 特訓山行に古処三山往復縦走に出かけて来た。家を出る頃は一面の霧で四王寺山もすっぽり霧に隠れ見えなかった。が、秋月の野鳥登山口に着く頃は霧も次第に薄くなり青空も見え初めホッとした。まー、霧の流れる山歩きも風情があっていいが、展望が望めないし、じめじめ感が付きまとい鬱しい。

 8時過ぎに、シャガやオドリコソウの花が咲く駐車場を出て、渓流沿いの水が流れて滑りやすいコンクリート舗装の山道を登って行った。特訓山行を続けている疲れが少し出ているらしく、足の運びが重く感じられ汗がポタポタと額から流れ落ちた。タイツを着用しているが筋肉疲労の影響だろうが、登り坂は兎も角、下り坂ではぎくしゃくして歩幅が伸びず時間を食った。やはり、12kgの負荷が堪えているのだろが、日ごろ背負っているとの差をひしひしと感じた。

 そんな遅さを感じながら登って行くと、谷間の道で前を行かれるご夫婦登山者に追いついた。「お早うございます…」と、挨拶すると、振り向かれたお顔は私と同年配だった。立ち止ってお話しすると、彼は80歳だとかで「夫婦合わせて160歳で登りよります…」と、にこやかに笑われた。夫婦合わせると154歳の我々夫婦よりも先輩だった…。お互いにケガしない様に楽しみましょうね…と、言葉を交わして先行し五合目の林道終点駐車場に着いた。

 まだ林道災害復旧が終わってないらしく駐車場は空っぽだった。大雨ごとに、痛みの酷くなっていく石畳の登山道はあらかた土石流の下になったり崩壊したりしている。石畳の道も一長一短ありだが、私は、自然道のほうが歩き易いと思う。

 ましてや、急傾斜地の石畳道だから滑りやすく気を遣う。その所々に残った石畳の道を登って行ったが、若しも、この石畳道を復旧するなら莫大な費用と人力が必要になるだろう。が、こう毎年 々 繰り返す集中豪雨禍を考えると、修復と破壊のイタチごっこで、少し空しい気もする。ダンゴ庵より旧八丁越え経由の古処山コースが少し遠回りになるが、安全面や保守点検を考慮すると一般的かもしれない。

 水舟の水場で喉を潤させてもらい、お礼に、水神様の石像の足元を山道に落花していた椿の花びらで飾ってあげた。八合目を過ぎると、古処山名物の柘植が霧の露を新緑の葉っぱにつけ、一段と初々しい輝きを見せていた。然し、その葉っぱについた露が着衣を濡らすので、ストックで払いながら歩くので時間がかかった。

 9時40分ごろ無人の古処山頂に登りついた。山頂の祠にお参りし下界を見渡したが、まだ遠くの山は霧の余韻を残しておりすっきりとは見えなかった。一息入れ、山頂を後にして九州自然歩道の縦走路に這入った。古処山の柘植は、国の特別天然記念物に指定されているので、勝手に切ったり折ったりは出来ない。然し、山頂から尾根伝いの石灰岩の中の道はただでさえ歩きつらいのに、枝が伸び放題で足元も見えない個所もある。

 然も、今日の様に霧でびっしょり濡れている柘植の道を通過する際には、下半身はびしょ濡れになり靴の中までしみ込んでくる。せめて、人の通る部分だけでも剪定したくなるというものだ…。此処を歩く登山者の思いは誰もが感じていることだろう。然し、国指定の特別天然記念物という葵の御紋の前には我慢するしかない…。

 その区間は、奥の院分岐先までで距離は短いが抜ける頃には、ズボンはしとしとに濡れて冷たくなっていた。暗い日の射さない照葉樹林の中を行くともみじ谷分岐で、屏山との鞍部である。古びた木の階段道を登って行くと植林帯になり勾配も緩やかになる。

 尾根筋に出ると空が開けて明るくなり、山頂まで勾配も緩やかになり足取りも軽くなる。そんな快適な道の途中に小人のような石灰岩の露頭がある。苔の生えた石灰岩の行列は、さながら屏山へやってくる山歩き人を歓迎する妖精さんのようで、「こんにちは!また来ましたよ…」と、声かけながら通り過ぎた。

 屏山々頂は北側が開けた狭いピークで、足元には嘉麻盆地が広がり福智山系や豊前地方、北九州市方面が一望でき、北西には宝満山系の山並みが影のように見えている。今日は、此処まで特訓の疲れのせいか気分も身体も冴えなかったので、此処から引き返そうか…何て弱気の虫も出ていた。

 が、この古処三山縦走は屏山から馬見山をカットすると、気の抜けたビールかサイダーみたいなもんで、特訓に来た甲斐がないというものだ。屏山が926m、鞍部の宇土浦越しが約690m、馬見山が977mで、短い距離の間に比高差が約300mだからキャフンという。

 で、此処で引き返したら男がすたる…と、自分自身に活を入れ直して宇土浦越しの峠へ坂道を下って行った。15分ほど下ると、無名峰から江川岳と名付けられた江川岳分岐で、大きな看板が立てられていた。昨年、近道ばかりでは申し訳なかろうと山頂に登ってみたが、鬱蒼とした植林の中のピークで展望は利かずがっかりしたものだ。

 そういう事があるので山頂スルーで、東山腹に付けられた近道を捲き、江川岳山頂から来た道と合し宇土浦越しへ向かい、落ち葉と椿の花びらの道を下って行った。峠はベンチなどがある休みたくなる場所だったが、腰を下ろすと馬見山への上り坂に、登る前から降参したように感じるので標柱を横目にサッサと素通りした。

 殆ど直線的につけられた階段道を地面ばかり見て15分程登ると、是も昨年あたりに命名された「筑前茅ヶ城」の看板が立つ跡地で、見晴らしの良い稜線の広場でベンチも置かれている。一気に馬見山まで行きたかったがショートブレイクタイム…。ザックを背負ったままベンチに腰かけ、息子のドイツ土産のチョコを舐めながら、葉桜の向こうに見える江川岳と屏山を眺め一服した。

 比高差は、しょうけ越しから砥石山までと変わらないのだが、こちらの宇土浦越しから馬見山頂への坂道のほうが距離が短い分だけ急勾配で登り応えがある。古処山頂から約2時間チョイで馬見山頂到着…やはり、ザックの重さプラス特訓の疲れがひと月前に来た時より20分ほど遅かった。山頂の朝倉市側に行ってランチタイムにした。

 是までの特訓中は、昼飯タイムなしで歩きながらパンなど行動食を食べていたが、疲れもあったのでドカッとベンチに腰かけ、春の陽射しが眩い山頂からの景色を眺めながら、ホットコーヒーを飲みパンや焼き芋、バナナを頂いた。朝の霧はすっかりなくなったが久住山方面は春霞の中で、英彦山からが岳滅鬼岳の山並みや耳納連山などが、春の陽気のしたにのんびり横たわり、足元の江川ダムは雨不足で水面が随分下がっていた。

 休み時間の立つのは早い…時計を見ると30分もゆっくりしていたのだ。おもむろにザックを背負って私の帰りを待っている、屏山と古処山に向かって山道を下って行った。宇土浦越し迄約30分…登り返しの屏山まで40分。ノンストップで頑張ったが迫力不足だった。屏山々頂で嘉麻盆地を見納め、もみじ谷分岐までたらたら下って行った。

 柘植の原生林の道を10分ほど行くと正面登山道との分岐で、そのままもみじ谷への道に這入ったが、入り口付近は何処が道やら分からないほど柘植が生い茂り、柘植のカーテンを押しのけながら山道に這入った。秋月山城跡付近から西側に伸びる尾根を下って行ったが、踏み跡は落ち葉で良く見えず木の幹などにつけられたテープが目印だった。

 足首と膝の調子が下り坂では思うように動かず、正面登山道に合流してからも歩幅が伸びずに登りと変わらない時間がかかっていた。五合目の駐車場に下って来ると、朝方は留まっていなかったマイカーが4〜5台駐車していた。多分、長い間不通だった個所の復旧作業が完了したのかもしれない。谷間の石畳の道をズッコケない様に用心しながら下って行ったが、山道には真っ赤な椿の花びらが落ちて足の踏み場がないほどだった。

 15時過ぎに、野鳥の登山者用駐車場に帰着…重いザックを下ろし、本当に肩の荷が下りた。今日は、登りがけにお会いした老夫婦登山者さんとだけしか出会わない、静かな月曜日の特訓山行だった…。特訓も十分こなさねばならないが、今日の様に足の不調を考えると少し先行き不安でもある…「過ぎたるは及ばざるが如し…」の諺もある。帰路、バンデリンを購入し膝や足首に塗り付けながら「もうだいぶ使い込み、へたってきたろうと思うが頑張っておくれ…」と、我が脚さんにお願いした…!?




…  (特訓山行) 古処三山往復縦走(古処山⇔屏山⇔馬見山)… (3/18)

…  馬見山頂より引き返す屏山〜古処山の山並み …

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 3 月 18日… ( 晴れ )

野鳥登山口 (9 :15) ⇒ 五合目 (9:48) ⇒ 古処山 (10:32〜:37) ⇒ 屏山 (11:13~) ⇒ 江川岳分岐 (11:27) ⇒ 宇土浦越 (11:41) ⇒ 馬見山 (12:18~:27)

馬見山 (12:27) ⇒ 宇土浦越越 (12:58) ⇒ 屏山 (13:36) ⇒ もみじ谷分岐 (13:58) ⇒もみじ谷 (14:24) ⇒ 五合目 (14:32) ⇒登山口 (15:03~)


 牛頸山の登り窯試掘作業も一段落して今日は休みになったので、特訓山行に古処三山往復縦走を思い立った。野鳥登山口の駐車場は空っぽで、今日は登山者は私だけかな…?と、思いつつ支度を済ませて駐車場を後にして登山口に向かった。

 日一日と春めき、登山道横を流れる渓流の水音が軽やかに聞こえた。妻が一昨年下山中に足を滑らせ転倒し、手首を骨折した滑りやすいコンクリートの路面は昨年の大雨で土砂などが流れ込み、以前ほどズルズルと滑らないようになっていた。今日も、出がけに「古処山に行くがどうする…?」と、妻を誘ったが「古処山だったら行きません…」で、余程あの転倒が古処山の印象を悪くしてしまったようだ…。

 赤い藪椿の花が咲く谷間を登って行きながら、春の草花さんが顔を覗かせていないだろうか…?と、気を配りながら歩いて行ったが、まだ時期尚早のようだった。五合目の古処林道終点の広場に着くと、大きな環境省の看板の前で登山者さんが案内図を見ておられた。この林道は昨年の災害以来通行止めになっている。その人は、林道入り口付近に車を駐めてこられたそうだったが、その後、別々に離合した登山者3人も彼と同様に林道入り口まで車で来たそうだった。

 牛巖岩のすぐ上からもみじ谷コースの分岐がある。今日は、下山時にそのコースをとることにし、荒れた沢の中の道を汗かきながら登って行った。水舟の水場でスペア用に0,5リッターボトルに汲んだが、水が少なく柄杓で満杯にするのに暇取った。

 水舟を過ぎると勾配が緩やかになり石灰岩の露頭や柘植のミドリの中の道になる。山頂手前付近の岩場を登りあがると白山神社上宮の祀られる山頂で、向こうから来られたご年配の登山者さんと同着になった。伺うとこの人も林道入り口まで車で来られたそうで、五合目付近からもみじ谷コースを登り、屏山へ行って来られた…との事だった。杷木で柿園を営んでおられるそうで、昨年の水害で一部被害を受けて大変でした…等々、五分ほどジジイ二人の山頂会談?を交わした。

 山頂を後にして縦走路に這入ったが、天然記念物に指定されて生い茂る柘植と石灰岩の道は歩きつらい。奥の院分岐を過ぎると石灰岩の露頭も無くなり常緑樹の暗い道になり、少し下ると下りに使う予定のもみじ谷分岐に出る。その分岐で、是も後期高齢者さんらしい人が立ち止っておられ、今から屏山へ行くつもりです…だった。この人も、古処林道入り口まで車で来られたそうだった。

 暫く後ろを連いてこられたが何時の間にか姿が見えなくなっていた。分岐から20分ほどで、北東側が開けた嘉麻盆地を見下ろす屏山々頂(927m)で、登山者が食事休憩中だった。此処まで3人の登山者さんに出逢ったが、何れも私と似たり寄ったりの後期高齢登山者さんだったが、この人は現役バリバリの青年だった。

 彼は、食事後は引き返す予定です…だったので、「私は今から馬見山へ向かいますが、新しい山小屋見物方々に馬見山まで足を延ばしませんか?」と、お誘いして宇土浦越しへ下って行った。稜線は、西側からの風が強く帽子を手で押さえながら下ったが、樹木が無かったら寒かっただろうと思われた。

 江川岳分岐を捲いて宇土浦越しへどんどん下って行ったが、峠から馬見山へ約300mの登り返しといい、帰りの屏山への登り返し250m…は、きついが特訓にはうってつけである。朝倉地方と嘉麻地方を繋ぐ宇土浦越しの峠にはベンチなどもあり、一休みしたくなる明るい場所である。

 でも、今日は特訓山行…!そのまま通過して馬見山への登り返しの坂道に取りついた。峠からほぼ一直線につけられた木の階段道を14分ほど登ると開けた場所に出る。広場の一角には「筑前茅城跡」の看板が立てられている。戦国時代の山城跡はあちこちにあるが殆どがその面影を残しておらず、”兵どもが夢の跡”を偲ぶのみである。

 この山城の跡地付近から眺める江川岳と屏山は、双耳峰の様に連なって見え恰好が良い。跡地から10分ほど行った付近の登り坂の途中で、後ろから追いついてこられた登山者がいた。何と、屏山でお誘いした青年だった。まさか、来られるとは思っていなかったので、その早足と共に驚いた。

 彼のペースを乱したくなかったので「先に行っててください…」と云うと、結構きつい登りが続きますね…と言いながら、あっという間に坂道を登りあがって姿が見えなくなった。私も、そんなに遅い足運びしてる積りじゃなかったので、彼の早足ぶりに81歳の年齢を思い知らされた。

 嘉麻市側の山頂に着いてそのまま新築の山小屋を訪れた。小ぶりだが、無人の山小屋とは思えないほどで「嘉穂三山愛会」さんを初め、同好の士のボランテア活動に敬意を表すると共に、利用する登山者もその意を酌んで大切に接していきたいものだ。

 朝倉側の山頂に行くと追い越していった青年が休憩中だった。眺望は、思っていたよりも遠くの山々が見えており、英彦山へ続く岳滅鬼山などのギザギザの山稜や、御前釈迦岳の左奥に久住連山も霞み見えていた。青年(後ほどの自己紹介で春日市在住のK野さん)と暫くお話ししたが、彼は、私の次男と同じ年で、背格好から早足まで息子によく似ておられた。

 5分ほど山頂で過ごし、二人で下り坂を暫くお話ししながら下った。四月から千葉に転勤されるとかだったが、転勤生活を経験したことがない私からすれば、単身赴任ならまだしも家族共々の転勤は何かにつけて大変だろう…が、所詮、宮仕えの身では儘ならないのが現実だろう。向こうに行かれたら、名山も近くなるのでしっかり登ってきてください…と、激励した。

 足止めしたら悪いので途中でお別れしたが、階段を上って行く足取りを見ると着地の際、爪先部分だけかけてヒョイヒョイとバネを利かせた登りで、べた足で登って行く私との差が其処にあった。私も、自覚してはいないが彼の年頃にはそんな歩き方をしていたのかもしれない。老化現象でスプリングがへたっている現実を認識できず、昔取った杵柄のままで歩いている自分のギャップを改めて知らしめられた。

 瞬く間に先行していった彼の後をマイペースで下り、宇土浦越しで行動食のパンを取り出し、食べながら登り返しの坂道を登って行った。今日は、行動食は、蒸かし芋一個、ムチムチパン一個、塩豆大福一個…あと、クッキー類とチョコ、キャンデイで、飲み水は途中で汲んだ山水0,5リッターだけだった。今から気温が上がれば、飲み水の消費は増えていくことは間違いないが、水は早め早めに補給し脱水現象を起こさないように気がけたい。

 屏山まで引き返してくると後は下り一方の楽勝ペース区間で気持ちも軽くなる、此処で蒸かし芋を口にしてエネルギー…。下りという事で気を緩めると一昨年のアキレス腱断裂という、痛い目にあってしまう。特に年を取ってくると自分が思っているよりも足さばきが鈍くなり、ちょっとした突起物でも足をひっかけ転倒する。特に、アキレス腱断裂後は右足首部分が伸びずに怖い。

 もみじ谷入り口から左折し、山腹を巡る柘植の原生林の道に這入った。樹齢何百年という柘植の老木に混じり若々しい柘植の木も多く、その様は一見に値する。柘植の回廊を出ると古処山城跡の横から落ち葉の降り積もった道を下り、トラロープの張られたジグザグ道を下って沢へ降りる。この最後の部分は足場が悪く要注意!牛巖岩の横を下ると間もなく五合目の駐車場で、沢伝いの往路を下って15時過ぎに登山口に帰着した。約6時間の特訓山行無事終了!次回から少し荷物を増やしていこう…因みに今日は8kgチョイだった。


…  雪の古処三山往復縦走…馬見山頂に立派な避難小屋が出来ていました! … (2/9)

…  出がけが雨だったので長靴履いて雪山縦走、つるつる滑りながら馬見山から屏山まで帰ってきました …

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 2 月 9 日… ( 小雨…山は小雪模様)

野鳥登山口 (8 :45) ⇒ 五合目 (9:20) ⇒ 古処山 (10:10〜) ⇒ 屏山 (10:57~) ⇒ 江川岳分岐 (11:10) ⇒ 宇土浦越 (11:27) ⇒ 馬見山(山頂避難小屋) (12:09~昼食~)

馬見山 (12:46) ⇒ 宇土浦越越 (13:09) ⇒ 屏山 (13:51) ⇒ もみじ谷分岐 (14:11) ⇒水舟 (14:25) ⇒ 五合目 (14:48~) ⇒登山口 (15:22)


 三連休の初日…明日とあさっては所用で山に行けないので、今日は絶対登っておかねば老体が愈々訛ってしまう…と、前夜から山行の準備を整えていた。が、起きると冷たい雨がしょぼしょぼ降っており気勢を削がれてしまった。

 外に出て四王寺山を見ると冬雲に半分覆われぼやけていた。予報では、午後からは少し雲もとれるだろう…だったが、見上げる鉛色の空からはショボショボと冷たい雨が降り続けていた。暫く、戸惑ったが意を決し車に乗り込んで、予定していた古処山登山口の秋月に向かった。

 野鳥の登山口駐車場に着くまでワイパーは休みなしで雨のやむ気配は無かった。だが、駐車場にはこの雨の中一台の車が駐車していた。雨の日に登る馬鹿は私ぐらいの者だろう…と思っていただけに意外だった。車の中で上下の雨合羽を着用、足元は長靴履きの完全雨歩きスタイルに固め、ビニール傘をさしての出発になった。

 発掘作業時が何時も長靴履きだから長靴履いて歩くのに慣れてはいるが、やはり山靴と違い、グリップ力が劣るので石畳の上や、雪の積もった赤土の斜面では何度もズルっとして転びそうになった。登りよりも下り斜面のほうがその傾向が強く、下りでも何時ものようにサッサと下っては行けず、二度ほど尻もちをつかされた…。

 登り始めて15分ほどした谷間の中で、コーモリ傘をさして下って来られる登山者さんと離合した。この人が駐車場に留まっていた車の持ち主さんで、一月に来た際にもこの付近で離合していた早朝登山者さんだった。挨拶を交わしながら、汗が出始めたので雨合羽を脱いで身軽になり、下って行かれる彼と別れて間もなく、下山者と出会った。

 駐車場の車の持ち主さんとは先ほど離合したので、何処か別の場所から来られたのかな?と思って、良く顔を見ると何と元会社の同僚で80歳になられるA吉さんだった。お互いにこの遭遇にビックリ仰天!暫く言葉が無かった…。訊くと彼は、何時も公共交通を利用して山歩きをされているそうで、今日も、西鉄大保駅から甘木線とバスを乗り継ぎ、登山口を7時頃に出られたそうだった。

 この雨の日にマイカーならいざ知らず、電車バスを乗り継いで山に来られる彼の情熱に敬意を抱くとともに、ぐずぐず出そびれた私が恥ずかしかった。彼とは、まだ現役のころ、風雨の中に槍平小屋から南岳〜槍が岳〜双六岳〜新穂高…と、一緒したが、定年後は疎遠になっていたので、こうして山の中で再会できたのも「山のお神様」のお引き合わせに違いない。

 5分程立ち止って旧交を温めお別れしたが、「一月に、野鳥バス停から古処三山縦走後に小石原バス停まで4時間半で行きましたヨ…」には、年寄りにしては早足のつもりの私も驚く韋駄天ぶりだ。別れ際に「K野さん、山頂付近は雪で滑り易かったですよ…気を付けてください…」と、私の長靴履きの足元を見ておられた。サンキューマイフレンド…!

 五合目の古処林道終点の駐車場は、まだ林道崩落個所が不通らしくガランとしていた。牛巖岩の下に着くと、岩の下で大型ザックを下ろしてパッキン中の登山者に出合った。挨拶し「そんな大荷物持って何処から来たのですか?」と尋ねた。まだ、30代と見える青年がにっこり笑いながら「英彦山から来ました…」の言葉で、意味が聞き取れずにもう一度何処から…?と聞きなおした。

 だって、この早い時間の雨の中で「英彦山から…」と言われてもピンとこなかった。怪訝そうな私の顔を見て「昨日、英彦山を出て昨晩は馬見山避難小屋に一泊し、今から宝満山へと思っています…」の説明を聞き、彼が、この連休を利用して「英彦山の峰入り古道」を歩いておられることが分かった。三年前の五月に、私も小石原から英彦山まで峰入り古道を歩いた事もあり、ついつい話に花が咲いてしまった。

 大型ザックを背負って山旅を続ける彼と別れ、私はビニール傘を差しながら古処山頂へ向かった。水舟付近まで登ってくると薄っすらと白い雪が見えて来た。水舟の冷たい名水を備え付けの柄杓で三杯も頂き、水神様にお礼を述べて出発し、白い石灰岩と緑の柘植の道を登り上がり無人の古処山頂に登りついた。

 白山上宮神社の祠にお詣りし、九州自然歩道の尾根道に這入った。縦走路は柘植の木が山道を覆い隠すほどに枝を伸ばしており、ただでさえ歩きつらいのに枝に積もった雪が長靴の中に入るので、畳んだビニール傘で払いのけながら進むので時間を食ってしまった。積雪も、標高800m以下になると少なくなり地面にはあまり積もっていなかった。

 もみじ谷分岐を過ぎて屏山への登り返しの道に這入り、ガスで見通しのきかない暗い坂道を黙々と登って行くと、石灰岩の露頭している個所に出会うが、苔の上にベールを纏ったように佇む様は、もののけ姫の世界を見るようだった。同じ景色でも、こうした周囲の環境の変化で全くイメージが変わって見えるから、何度登っても同じ景色じゃないのが愉しい。

 屏山々頂も白く流れる霧に閉ざされて何も見えず、落葉して枯れ木のようになった樹木の枝がオブジェの様だった。登山口を出るときはこんな雨降りだから屏山までで折り返そうか…と、思っていた。が、6合目で出会った英彦山からの青年が「馬見山々頂に立派な山小屋が出来ていましたよ…」の言葉を聞いて、そりゃ、絶対この目で確認しなければ…と、山頂を通過し、長靴で滑らぬように宇土浦越の鞍部へ雪道を下って行った。

 江川岳はカットし山腹を捲いて通過し、約30分で雪の見えなくなった十字路の峠に下りついた。が、ノンストップで通過し馬見山への約300mの登り返しの坂道に取りついた。峠から尾根伝いに付けられた自然歩道の道は一気登りで、訓練にはもってこいの坂である。峠からひと登りするとやや平坦な場所に出るが、其処は山城の史跡跡だったようで「筑前茅城跡 790m」の新しい看板が立てられていた。

 この「古処山〜屏山〜馬見山」山塊は朝倉側からの登山者も多いが、北側の嘉麻市側からの取り組みも盛んで「嘉麻アルプス」と命名して登山道の整備や、標識類、或いは、馬見山々頂の避難小屋建設などに力を入れておられる。此の「筑前茅城跡 790m」の案内板も嘉麻市側の山愛好者の手に寄るものだろう。山城跡を通過し再び残った山坂の登り返し開始…81歳じじいの根性で登って行くと、850mを過ぎると申し合わせたように銀世界になってくる。

 今度の寒波はこの辺りの山では、約850m付近が積雪するか否かのラインだという事が、三山を通過してみて分かったが、その辺の気象変化をを実感できるというのも山歩きの楽しみの一つかも知れない。峠から40分程で標高977mの馬見山頂に到達!登山口を出て3時間半弱だった。長靴履きと雪道&途中での友人やロングツーリストさんとの出会いなどで、若干時間を食ったが此処までクリアー出来たことを良しとしよう。

 嘉麻市側山頂から10歩程進むと木立の中に、山小屋とは思えない瀟洒な建物が建っており「避難小屋…うまみ」の表札が掲げられていた。上床式の構造になっており入り口の木の階段を上がって部屋に這入るようになっていた。雪を奇麗に落としてドアを開けると、木の香の匂う10畳ほどの部屋で、前部分3分の2程は土足OKで汚れ防止のシートが張られ、奥側の部分は土足禁止で宿泊スペースらしかった。新しいテーブルと木のベンチも備えられ、救急薬品箱なども用意してあった。

 詳しくは知らないが、此の避難小屋を建設された「嘉穂三山愛会」の山に取り組む姿勢や活動に対し、表彰と報奨金を授けられたそうで、その報奨金を基金にしてこの避難小屋を建設されたらしいが、会員諸氏の熱意があればこそだという事は言うまでもない。此処までやり遂げるには、その過程は並大抵ではなかったろうと思う…。「嘉穂三山愛」会様に敬意と感謝を申し上げたい。

 入り口で避難小屋の写真を撮って、室内の模様を写そうとするとデジカメの調子が途端におかしくなってシャッターが切れなくなってしまった。電池を入れ替えたりしてみたが云う事を聞いてくれなかった。ひょっとしたら小屋の中の写真を撮ってはいけない何かが!?潜んでいたのかも…。だって、帰路にシャッターを押したらバチバチ云う事きいたから…。真新しい部屋の、新しいテーブルで熱いコーヒーとクッキーの昼食…小屋の外は細かい粉雪は降っていた。

 サンタクロースでも現れそうな雰囲気の山小屋で、細やかな中食を終える頃に客人二人がお目見え…。登山靴に着いた雪をトントンと叩き落し「ごめん下さい…」と這入って来られた。彼らは此の立派な避難小屋の事は知ってらしたようで、今日は、小石原側の嘉麻峠から登って来られた…との事だった。暫く、この避難小屋のことなどをお話しし、も少しゆっくり寛ぎたかったが「嘉麻アルプス三山」を越え、秋月まで戻らねばならぬのでお神輿を上げ、快適な山小屋を出て雪道に這入った。

 午後からは良くなるだったがその気配は無く、白いガスと雪のモノクロの世界を宇土浦越しへ下り、峠から屏山へ登り返してきたが朝のままで、黒い岩と白い雪が黙って私を待っていてくれた…。雪のミトンをつけた石灰岩のモニュメントにサヨナラし、もみじ谷分岐から柘植街道に這入った。此処まで下って来ると雪も見えなくなり、柘植のミドリが一段と引き立って見えた。途中から正面登山道に戻り、水舟の前から転石のごろごろする谷間の道をズッコケない様にボチボチ下って行った。

 正面登山道は石畳の道だが、毎年の大雨などで原形を留めないように崩壊している個所も多く、その度にう回路が作られているが、やはり、谷伝いの道は、こう毎年のように集中豪雨禍があると、年々、崩壊していく運命は避けられないだろう。登山口の駐車場に着く頃になって雲間から陽が射し始め、秋月の市街も見え始めた。長靴履いて馬見山までスノートレッキングをしようとは思っていなかったが、今年最後の雪道だったかもしれないし、新しい山小屋や旧友のA吉さんとの出会いもあり、やはり山に感謝の一日になった。


…  飯豊山入山特訓に息子と福智山系ロング縦走 … (2/2)

…  皿倉山から尺岳〜福智山〜焼立山と繋いでゴールの牛斬山!予定タイムより2時間半も早かった …

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 2 月 2 日… ( 晴れ)

皿倉山麓 (6 :55) ⇒ 国見岩 (7:48) ⇒ 皿倉山 (7:53〜) ⇒ 皿倉平 (8:10) ⇒ 市瀬峠 (8:43) ⇒ 観音越 (10:05~:10) ⇒ 田代越 (10:37) ⇒ かえで峠 (10:56) ⇒ 尺岳 (11:32~:36)

頓野越 (11:53) ⇒ 豊前越 (12:21) ⇒ カラス落 (12:48) ⇒ 福智山 (13:12〜:14) ⇒ 頂吉別れ (13:39) ⇒ 最低鞍部 (13:47) 念仏坂入り口 (14:05) ⇒ 焼立山 (14:21)

赤牟田の辻 (14:32) ⇒ 山犬峠 (14:56) ⇒ 岩屋分岐 (15:15) ⇒ 採銅所分岐 (15:16) ⇒ 牛斬山 (15:20~:24) ⇒ 採銅所駅 (16:12〜)


 飯豊山に登りたいのは山々だが、何せ81歳の後期高齢登山者には少しハードルが高すぎるようで迷っていた…。そんな私の気持ちを察した息子がテントやコンロ類は、我々三人(釣岳人クラブ)が担ぐので、自分の装備(寝袋も)を10kg以下にすれば一緒に登れるのじゃない…との、嬉しい参加許可の言葉をかけて貰った。

 で、その誘いに応えるためには、それに対応できるだけの体力気力を充実するしかない。それには、先ずしっかり山を歩きこんで心肺機能は勿論、総合体力をしっかり鍛えこんでおく必要がある。元気バリバリの三人の中にヨボヨボ爺が這入りこむには勇気がいるし、受け入れる側の彼らにとっても、しないでいい気遣いなどでチームワークに見えない影響が出そうである。

 私は、念願の飯豊山に登れるかもしれないが、彼らのチームワークを乱すのが恐い。それを避けるには迷惑をかけないだけの体力をつけるしかない。山は、年寄りだからと言って特別扱いはしてくれない。山に這入った以上は青年も老人もそれ相応の覚悟と実行力を備えてなければ、山は受け入れてくれない。私が参加した為にチーム力がダウンし、登れる山も登れなかった…にしたく無い。

 それには、出発の6月初旬に向けトレーニングを重ねるしかない。飯豊山塊は懐の深い山で、どのコースから登っても10時間以上を要する体力勝負の山である。今回、息子たちグループの計画は川入登山口にテン泊し、翌日、長坂尾根を登って稜線の切合小屋付近にテントを張ってテン泊し、翌日、テントを張ったままにして、テン場⇔飯豊山⇔大日岳と往復縦走してテン泊…。翌日下山の計画だと聞いている。

 で、その特訓の幕開けに、昨年もこの時期に行った福智山系のロング縦走(約30数キロ)を思い立った。本当は、先週に息子たちと行う予定だったが悪天で延期していた経緯があった。息子は、対馬付近の鰤釣りの予定で行けない…だったので、単独で行くつもりだったが夕方メールが入り「海が荒れて中止になったので一緒に行こう…」で、嬉しい誤算になった。

 南福岡の一番電車で八幡駅まで約一時間半…。駅前はまだ夜明け前で暗く目指す皿倉山は見えなかった。タクシーでケーブルカー山麓駅まで移動し、採銅所駅までの長距離縦走開始…。まだ暗い煌彩の森コース入り口に這入った。途中から、国見岩コースの直行コースに這入り、スパンの短いジグザグ坂を登って行った。途中、何本も遊歩道と離合しながら登って行くうちに夜も明け、国見岩付近まで来ると東の雲間から彩光が迸り出て来た。

 国見岩の上から見下ろすと百万都市がマッチ箱の様に展開し、関門や遠く北九州飛行場連絡橋などが見えていた。山麓駅から一時間弱でテレビ塔などが林立する皿倉山々頂に登りついた。今日のロングトレイルの第一番目のピークだった。無人の山頂から行く手を眺めると、ほぼ中間地点の福智山が小さなシルエットになって佇んでいた。去年は、小雪の中だったが今年は雪の心配はなさそうだった。

 九州自然歩道は此処から始まり、福智山までは自然歩道を歩いていく。山頂から、ビジターセンターなどの建つ無人の皿倉平に下り、市瀬峠への道に這入った。昨年は、西回りの道だったが暫く歩いて東回りの道に這入っているのに気がついた。どちらも市瀬峠に出るのだが東廻り道のほうが階段道じゃなく歩き易かった。620mの皿倉山から300mも下った市ノ瀬峠から、愈々福智山へのロング縦走へのトライ開始!

 自然林の中の緩やかな道を黙々と歩いて行ったが、腐葉土の道は足に優しくスポンジの上を歩いているようで、長丁場を歩く山歩きニストを労わってくれた。後ろからピタッとついてくる息子の気配を感じながら、巡航速度+αの歩速で歩いて行ったが、平坦地や緩い勾配ではそう負担は感じないが、やはり、少し勾配がきつい坂道になるとお喋りする余裕がなくなり、息も弾んでくる。

 是が、1000m以上も続く登り坂ならギブアップだろうが、縦走路は登れば下りあり…で息がつけるのが良い。今日の縦走は私の予定では、昨年が全行程を約11時間ほどかかっていたので、終了点の採銅所駅に18時30分ごろに着けば上出来だな…と想定していた。皿倉山麓の登山口を出たのが7時ごろで、皿倉山頂を経て市瀬峠へ下って観音越しまで約3時間チョイ殆ど休みなし…。峠で立ったまま5分程の休憩…後にも先にも是がこの縦走中の休憩だった。

 シャリばてしないように、燃料補給は歩きながらチョコバーやソイジョイなどを齧りながら水で流し込んでいった。観音越しから田代別れ、カエデ峠と少しずつ標高を上げながら行くと前方に、今回の縦走点のピークの一つ尺岳が見え始める。尺岳まで進むとこの行程の三分の一になるので気合が這入る。私としては出来すぎるほどのペースで歩いていたが、息子にしてみればまどろしかったかもしれない?

 尺岳の肩と呼ばれる分岐付近から、赤松平という赤松だらけの広い緩やかな道を登りあがると尺岳平で、広場にはデカい四阿が建っている。広場からUターンする格好で尺岳山頂へ向かった。山頂にはミニ鳥居が立っており尺岳神社が祀ってあった。露岩の上から眺めると出発点の皿倉山も見えており、その間の歩いて来た縦走路の尾根が大波小波のように脈打っていた。

 山頂神社様にお参りしてUターンし、尺岳平から自然歩道に戻り次なるターゲットの福智山へ足を踏み入れた。この縦走の総キロ程は約30kmといわれるが、福智山までクリアーできれば、どちら側から歩いてもほぼ全行程の半ばを通したことになり、気分的にも安堵感が出るところだ。尺岳から頓野越し山瀬越…豊前越しと福智山が近くなってくると、山道も踏み跡が大きくなり人の気配が強くなる。

 カラス落ち付近から徐々に残雪も見え始め、タヌキ水の水場に立ち寄り、勢いよく迸り出る冷たい名水をボトルに補給し、コップで二杯も喉を潤わさせてもらった…甘露々。名水で息を吹き返し、福智山への急こう配の道をあえぎながら登りあがり、古い石の祠の前からこの縦走中の最高点の福智山々頂に登りあがった。山頂は冷たい風が吹き抜け登山者の数も少なかった…。

 岩場の上に立って来し方を眺めると、出発点の皿倉山ははるかに遠く小さくなっており、後半部分の焼立山方面を見ると、念仏坂の防火帯がスキーのジャンプ台を見るように伸びていた。山頂神社様にお別れして萱っぱらの福智山頂を後にし、雪解けで少しぬかるむ斜面を転ばぬように下り、ピークの上から振り向くと、あっという間に福智山が目線の上に高くなっていた。

 まだら雪の残る斜面を下って行くと「頂吉別れ」の標識が藪の中に立っていた。標識を過ぎて最低鞍部に下りつくと砂利道の林道に出合った。この林道は昨年来た時と同じで作業は中断しているようだった。この付近から夏場を過ぎるとススキや萱の密集地帯で、足元も見えないほどになり藪漕ぎに苦労する場所である。だから、この縦走を試みるのは草が枯れたこの時期から3月ごろまでだろう。

 小さなピークを二つ乗り越すと愈々後半部分の目玉の「念仏坂」の登りである。高度差的には150m弱なのでしょうけ越しから鬼岩谷山よりも楽なはずだが、この坂は一直線に見えているのが心理的にきつい坂だ。本当にここに雪が50cmも積もれば、スキーヤーやボーダーたちは大喜びだろう…!最後の念力を絞り出し念仏坂をクリアー。字の消えた標識が立っている焼立山で、坂の上から振り向くと福智山が三角形のピークが小さくなっていた。

 草原の散歩道をたらたら行くと「赤牟田の辻」山で、山頂らしくない山頂だった。後は、牛斬山まで何度も小さなピークを登り下りしながらの草原漫歩で、疲れていないなら口笛でも吹きながらスキップしたくなるロケーションだが、ノンストップで歩き続けて来た五体には無理で、私は、ふくらはぎが少しピリピリ攣り始めていたが、歩いて行くうちに良くなってホッとした。

 赤牟田の辻を過ぎ少し先で、赤いチョッキを着たビーグルらしい犬を連れた人の後ろ姿が見えたが、ワンコちゃんを散歩させるにはナイスコースだろう…。山犬峠と呼ばれる峠を過ぎて岩屋別れを越えると黄色の標識の立つ採銅所分岐で、直進し、ひと登りで本日のロング縦走のピリオド点の牛斬山に到着!スタートしてから8時間ノンストップでやって来たことが嘘のようでした。

 是も、息子と一緒だったからに他ならない。私一人だったら多分こんなに早くは着かなかっただろう。今日初めてツーショットの写真を息子が写してくれた。息子が、スマホでJRの時間を調べると、16時15分発の列車があるそうだが、次は40分待たねばならない…で、間に合うか否かわからないが、完走の喜びに浸る間も無く下山開始!植林の中の道を急ぎ足で下って行くと、強行軍のつけが出たようで膝の上付近の筋肉が攣りはじめてしまった。

 心配した息子がミネラル補給タブレットを飲ませてくれた。足の攣りは不思議な現象で特定の筋肉を使う時だけ痛むらしく、屈伸したりしながら胡麻化して下っているうちに痛みがなくなった。舗装林道に出たときは、あと10分しか無かったので無理かなと思ったが、駄目もとで二人で集落の中の下り坂をマラソン選手のように駆け下って行った。是で間に合わなかったらバカみたいだな…とも思ったが、力走の甲斐あって列車到着1分前に採銅所駅のホームに駆け込むことが出来た。

 昼飯も食わずに休憩も取らずに9時間…。良くぞ頑張ってくれた物だと思う81歳の老いぼれボデイ…!少しは自信回復しました。6月の初旬までこれに類した特訓を何度も重ね、余裕で飯豊山々行に這入れるように努力しよう。西小倉経由で南福岡駅に戻ったが、山歩きプラス列車の旅も満更ではないとしみじみ思った。八幡駅を過ぎる頃、車窓から西日に浮かび上がった皿倉山を眺め、遠賀川付近からは福智山のピークも見ることが出来た。

 山旅の余韻を車窓の景色にいざないながら夕暮れの南福岡駅に18時半ごろ帰着し、美味しいラーメンを食べて一日の労をねぎらった?運賃は、「南福岡〜八幡=1290円」「採銅所〜南福岡=1290円」で復路のほうが距離的には遠いが同運賃というのが面白い。昨日が親戚の法事だったのでアップが遅くなってしまいました。


…  野鳥登山口〜屏山〜古処山〜旧八丁越〜ダンゴ庵〜登山口と周回 … (1/21)

…  初めて旧八丁道から秋月街道を下りダンゴ庵へ下ってみました …

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 1 月 21日 … ( 冬晴れ)

野鳥登山口 (9:45) ⇒ 五合目 (10:20) ⇒ もみじ谷入口 (10:28〜) ⇒ 縦走路 (11:02~) ⇒ 屏山 (11:30~45) 古処山 (12:15~昼食~:50) ⇒ 遊人の森分岐 (13:02) ⇒ 旧道出合 (13:24)

国道出合 (13:32) ⇒ 旧八丁道分岐 (13:38) 秋月街道石畳道 (13:52) ⇒ 国道出合 (14:02) ⇒ ダンゴ庵 (14:11) ⇒ 旧八丁越入口 (14:14) ⇒ 登山口 (14:19~)


 朝倉の名山「古処三山(古処山・屏山・馬深山)」には、偶には登山口までチャリで来たりしてチョイチョイ登らせてもらっている。今日は、冬晴れのいい天気で朝方は冷え込み、山頂付近は霜柱も立っていたが山歩きには絶好のお日和だった。

 野鳥登山口の駐車場に9時半過ぎに着いて準備をしていると、「お早うさんです…」の声がし、振り向くともう下山して来られた登山者さんだった。訊くと、まだ暗い6時ごろ出発されたそうで地元の方だった。その方と入れ違いに私は九州自然歩道の登山道に這入った。

 作年の水害の跡がまだ生々しく残る道を沢沿いに登って、五合目の古処林道の駐車場に出た。まだ林道が不通のようで車の姿は見え無かった。駐車場広場から狭くなってきた沢伝いの石畳の道を行くと、牛厳岩と呼ばれる石灰岩が突っ立っている。岩の上には石仏らしきものが祀ってある。

 直ぐその先に、新しくなった自然歩道案内の標識が立っており、その先に「もみじ谷」分岐の案内標識がある。今日は、このもみじ谷コースから屏山へ先に登ることにし、古処山には折り返し後に立ち寄ることにした。このもみじ谷コースの取り付き地点は足場が悪く、暫くは急斜面のジグザグ道できついが、支尾根に上がってしまえばなだらかな落ち葉道だ。

 秋月山城の曲輪跡付近を過ぎると、古処山名物の大小様々な柘植の原生林で、登山道も柘植の枝に隠れている個所もある。水舟から来た道と合すると山腹を巡るトラバース道で、柘植の万年みどりの中を行く。分岐から10分弱で古処山から来た九州自然歩道に合し、右折して常緑樹の中を登り上がり20分ほど行くと、苔むした鍾乳石が出迎える。

 それを見て、この山塊が石灰岩の山である事を知らされる。その少し前の坂道の途中で降りて来られる登山者と離合、挨拶しながらお話ししていると、この人とは、昨年もみじ谷コースの途中で一緒になった人で、S20年生まれのOGさんだった。話している中にお互いにそのことを思い出し、立ち止って旧交を温めた。

 またお互いに元気に山歩きをし何処かの山でお会いしましょう…と、言葉を交わしてお別れした。山頂手前の平らな道を行くと北方面が開けた屏山々頂で、冬晴れの青空の下に展望が広がっていた。足元に広がる嘉麻盆地の向こうには福智山系の山並みが続き、皿倉山のテレビ塔も見えており、八幡駅から採銅所駅まで30数キロの縦走路を11時間かけて歩いたことを思い出した。

 馬見山まで足を延ばそうかとも思っていたが、昨年だったか、途中でお会いした人が古処山から旧八丁越えを下ろう…か、と思っています。を、思い出し、此処からUターンして古処山から旧八丁越えコースを下ることにした。で、初めての道なのでGPSに旧八丁越えをインプットして古処山へ往路を辿って引き返した。

 山頂手前で振り向くと、屏山と馬見山がツーショットで佇んでいた、石灰岩と柘植の生い茂る道は歩きにくいが、天然記念物なので剪定鋏で切るわけにはいかず、掻き分けるようにして古処山々頂に着いたのは丁度お昼時分だった。新しくなったベンチでランチタイム…熱いコーヒーを飲みながら展望を愉しんだ。微かだが久住連山も、工事中の小石原ダム現場の向こうに見えており、硫黄山の白い煙が真っすぐ立ち上っていた。

 ランチ後に、直ぐ横の小高い石灰岩の上から見渡すと、西方に三郡山系の山並みが手に取るように見えていた。何時もは、三郡山系から眺めていた古処山系の山を、今日は逆に見返しているのが面白かった…。小一時間ほど山頂で過ごし旧八丁越えへの道に這入った。

 古処山登山道の歴史を深く知らないが、かっては、この旧八丁越えの道はダンゴ庵から秋月街道を経て古処山に至るメインルートだったのかも…?と、下山後に思わされた。山頂から少し下ると広場があり、ブロック作りの古びた小屋があり、周辺には古い石仏様が沢山鎮座されていた。この広場は、地図に馬攻め場の記載もあり、古処山城時代の遺構だったのだろうか?

 馬攻め場から5分程なだらかなな落ち葉の道を下ると「遊人の森」方面分岐があり、一昨年だったか妻と下った覚えがあった。分岐から西に延びる尾根に付けられた山道を下って行ったが、結構に踏み跡が出来ておりこの道を歩く人が多いことを窺わせた。遊人の森分岐から20分ほど行くと車道に出た。道端のステンレス板に「秋月⇒八丁越しダンゴ庵・・・」の文字が刻まれていた。

 この案内板を見る限り此処から古処山へ入る登山者が多いのかもしれない?と思った。案内表示板の通りに車道を200m程下って山道に這入り下ると国道322に出合った。滅多に車の走らない車道を6分程下ったが、すれ違ったのは道路公団の黄色の巡回車と軽四輪車だけだった。道路の少し広くなったカーブ地点に少し古くはなっているが立派な屋根付きの看板が立っていた。

 上側の看板には「秋月街道旧八丁道」とあり、下側には「ダンゴ庵を経て秋月へ」と読め、歴史を感じさせる看板だった。其処から右手の広い道(旧国道?)に這入ってしばらく歩いたが、初めのうちは登り加減だったので、アリャ…是は峠へ登り返してるのかな?と逡巡したが、GPSは間違って無かったのでそのまま進んだ。

 落ち葉や木の枝に埋まった広い道を下って行き、途中から荒れた秋月街道に這入って暫く行くと、苔むした石仏や人工物の見える場所に出た。正面登山道は石畳の部分が多いが、この秋月街道も石畳の道だったらしく、崩壊した場所も多かったがその面影を残す道も残っていた。石畳の秋月街道を出ると間もなく、谷沿いのダンゴ庵と呼ばれる茶店などのある場所に降りついた。

 今の時期は開店休業らしいが、夏季にはキャンパーや涼を愉しむ行楽客で賑わうのだろう…。施設の中を通り抜けると旧国道で、入り口に屋根付きの看板があり「秋月街道・旧八丁道」と記されていた。其処から少し下ると野鳥登山者駐車場への入り口で、14時20分ごろに無事に登山口駐車場に戻りついた。因みに、山頂から一時間半弱だった。

 このコースだと、一昨年妻が下山時に、つるつる滑る林道で滑って転倒した際、右手首を骨折した苦い思い出の場所を避けて通られるので、次回、妻と来た際はこのコースを下りに使おう…と思った。車で秋月から田んぼ道を走っていると、黄色の菜の花の向こうに古処山が青空の下に見送っていた。


…  妻と息子と三人で干支の山へ …(武雄市の里山「猪熊山」) … (1/14)

…  標高131mの山ですが山道らしきものは無し!見当つけて山頂へ(ちっこい標識で山頂確認) …

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 1 月 14日 … ( 晴れ)

ダムサイト (9:25) ⇒ 老人ホーム (9:28~32) ⇒ 猪熊神社 (9:35〜) ⇒ 猪熊山頂 (9:52~10:06) ⇒ ダムサイト入り口 (10:27~)


 猪の名前を冠する山を探してみると、県内には遠賀川河口付近の水巻町に猪熊という地名が有り「猪熊山」という標高40m程の山?が記されていた。他に、大分県国東半島の「猪群山」や長崎県の経ヶ岳近くに猪の名を冠する山があった。

 もう少し近くに無いか…?と、ネット検索してみると武雄市に「猪熊山」と云う里山がある事が分かった。で、成人式のめでたい日に妻と息子を誘って出かけた。高速を利用して武雄北方ICまで走ったが、久し振りに走る佐賀平野の景色が長閑でとても気持ちが良かった。

 朝霧の残るインターからカーナビに先導され、猪熊山登山口近くの朝日ダム堰堤に車を止めた。猪熊山の麓を巡るような半月型のダム湖の向こうに、老人ホームの高層建築物がホテルの様に湖面に映り、その後背面の里山が干支の山「猪熊山(131m)」で、鬱蒼とした照葉樹林に覆われていた。

 堰堤のスペースに車を駐車して出発…。参考にした方の情報では山頂まで道とは無く、尾根伝いに山頂まで倒木や木の枝を踏み分けて行った…で、老人ホームの手前から取りつき往復されたそうだった。何れにしろ、130mそこそこの小山だから上を目指していけば良かろうと楽観していた。

 もう一つの記録は古かったが、この方は、老人ホームの裏手から猪熊神社を経て登った…の記述で、当初は、老人ホーム手前から往復するつもりでいたが、折角なら、神社にお参りして猪熊山に登らせて貰おうと作戦変更した。舗装道路を登りきったところが南向きに面して建っている高層マンションみたいな老人ホームで、とても山の中とは思えなかった。

 老人ホームの敷地に這入り、神社への道の入り口をウロウロ探したがそれらしき道が見つから無かった。どうすべー…?と引き返していると、ホーム入り口のテラスでタバコをふかしておられるご老人が居られた。その方のもとに歩み寄って「神社へ行く道を教えていただけませんか?」と、お尋ねした。

 初めは、私の尋ねた質問が腑に落ちないようで、何を言ってっるだろう…?と、怪訝な顔して私を見ておられたが、ややあって「あ〜お宮さんな…それは此のホームの裏手にあるが今はお詣りする人もおらず荒れ果てとうバイ…」で、「このホームの建物の前から行ったら行かれるよ…」と、教えて頂いた。

 で、教えられたとおりにホームの中の階段を上がり建物の前に出たが、後は通路が途切れて無かった。エッツ…と、振り返ると教えて頂いたお爺さんが、身振り手振りして、そのまま右横に行きなさい…と、合図を送って下さっていた。で、ホームの建物のすぐ庇の下の50センチほどの空間を歩いたが、部屋の中の人が気づかれたら驚かれたことだろう。

 ホームの右端まで行きつき見送って下さってたご老人に「有難うございました…」と、頭を下げた。ホームの敷地から出て神社への道を探したが荒れ放題で直ぐには判らなかった。が、ふと左手を見るとコンクリブロックが階段代わりに並んで、上方に向かっていた。苔むしたブロックを50段も登ると、古びて小さな神社様の前に出た。

 今にも崩れ落ちそうな神社様の半分に割れた鈴を鳴らしてお参りを済ませた。多分、高齢化の影響もあろうが、この老人ホーム建設時に、従来あった参道が分断されて仕舞ったのだろうが、こうして、古きものが新しいものに押されて消えていく現実に、少し居たまれ無い気持ちになった。多分、あと一回りした次の亥年には、俺らも、この神社は跡形もなく消えているだろう…。

 お詣りを済ませて神社を後にし猪熊山へ出発した。兎に角荒れ放題の山は、人の出這入りは全く感じさせられず獣道らしき跡が見えるだけで、バリバリと落ち積もった倒木や木の枝などを踏み敷きながら高みを目指して登って行った。プリントした地図によると山頂から南東に延びる尾根筋を辿ったほうが正解らしいので、山勘で尾根筋を目指し登って行った。

 是が大きな山ならそんな山勘で登ることは出来なかったろうが、此処、猪熊山さんは標高131mの小山だったからこそである。やがて、尾根筋に出たらしく西側が少し開けて明るくなった。それにしてもである!干支の山だからもう少しは踏み跡が出来ているかと期待していたが大外れだった。地元の人たちは関心がないのだろうか?猪熊山はかっては山城もあったそうであるから、せめてその謂れ書きでも掲示してほしかった。

 ホームから約20分程で山頂らしくない高まりに着いた。三角点もなく標識も見当たらないので、まだ先かな?とキョロキョロ辺りを見渡すと、目線の上になる2m程の高さの木の幹に、小さな黄色の山頂標識が括りつけられていた。昨年は、戌年で「犬鳴山」と「犬ヶ岳」に登らせてもらったが、来年は鼠年という事で、ここ近年続けている「干支の山」探しが楽しみだ。

 親子三人で干支の山に登り気分爽快!笑顔で下山の途に就いた。下りは、当初登る予定だった尾根筋を下って行ったが、何人登っただろうと思われるように踏み跡は無かった。帰宅後に分かったことだが「自然公園指導員時代」の山友、S熊さんが3日の日に登っておられた…。ひょっとしたら彼の踏み跡を踏んで下ったかもしれない?

 今年になって常時携帯品の剪定鋏で、下りながら邪魔になる小枝類を切り払いながら適当に下り、ダムサイトの登山口(とは呼べないが)近くに降りて来ると、鉄製の頑丈な猪罠が設置されていた。「猪熊山」と呼ばれるほどだから猪さんはいっぱい棲んで居られるのだろう…。田畑を荒らす猪さんは困り者かもしれないが、今年は亥年ですので大目に見逃してやりたい気持ちだ。

 ダム湖堰堤の少し先に行き、改めて湖水に投影するお山を眺めて今年一年の安穏無事をお祈りした。時間が早かったので、息子が、嬉野温泉の湯豆腐を食いに行こうか…で、ポカポカ陽気のドライブを楽しみながら嬉野へ向かった。今は、スマートホンなる物のお陰で(私は持たない)何から何まで直ぐに直ぐに検索できる。便利な器械に導かれて人気の湯豆腐屋さんの前に着いたのはお昼前だった。

 私と一緒だと、山の帰りにこういったご馳走食べになんか寄ることは無いので、同行の妻は大喜びで恵比須顔だった。たかだか豆腐を食うのに20分程待たされたが、息子を含め、皆さんはそんなに待っても別に美味しいものを食べれれば宜しいらしく、おとなしく順番を待っておられた。やっと呼ばれてテーブルへ…相席の狭いスペースで、鉄鍋の熱い湯豆腐定食を美味しく頂きました。

 親子三人で干支の山に登らせていただき、その上、ご馳走まで食べて満足して息子のドライブで帰路に就いた。息子達は、今年は残雪期の飯豊山塊に這入るそうだが、この干支の山登山が、山行の安全と成功に結び付ければ幸甚である。


… 奉幣殿から四王寺滝を経て、英彦山(南岳、中岳、北岳)三座の山頂神社と、豊前坊の高住神社の五社に新年のご挨拶 … (1/10)

…  四王寺の滝の氷瀑も溶けて残骸だけでした …

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 1 月 10日 … ( 曇り、お山はガスでした)

別所駐車場 (10:20) ⇒ 奉幣殿 (10:33~40) ⇒ 滝入り口 (11:07) ⇒ 四王寺滝 (11:30~40) ⇒ 南岳 (12:08~) ⇒ 中岳 (12:17~昼食~:45) ⇒ 北岳 (13:02~) ⇒ 高住神社 (13:36~) ⇒ 別所駐車場 (14:10~)


 新年のご挨拶に英彦山へお詣りしてきた。英彦山方面の山はどの道を使っても二時間弱かかる。今日は、カーナビの指示通りに朝倉市から小石原を経由しての最短距離を走ったが、昨年の水害のために途中何か所も信号待ちがあり、帰路には使いたく無いルートだった。

 別所駐車場に10時10分過ぎに着いた。所要時間は1時間40分程で走行距離は62,8kmだった。広い駐車場はガランとしておりマイカーが5〜6台留まっているだけで、気温は6℃ほどで上空は鉛色の雲が覆いお山はガスの中だった。支度を済ませて雨対策に念のためビニール傘を背中とザックの間に差し込んでいった。

 人の気のない参道を7分程行くと、奉幣殿へ続く長い石階段の前に出る。鳥居の前で一礼し「只今より登らせていただきます…」と、ご挨拶をした。自然石を積み上げた石段は不揃いで登りにくいが、ん百年に亘る歴史を刻んだ石段を一歩一歩登って行くうちに無我の卿になっていった。数えながら登って行ったが300段は越えていたようで、奉幣殿の境内前に着いたときは汗がにじんでいた。

 無人のお清め所で手を濯ぎ、掃き清められた砂利を踏んで大神殿の前に行き諸々のお願い事を唱えた。お参りを終え、夏スタイルの薄着になって奉幣殿を後にし、石段を30段ほど登り上がると小広くなった場所で、自然歩道の案内標識が立っている。標識に従い鬼杉方面へのなだらかな捲き道に這入った。

 山岳宗教の遺構の残る道は、鬱蒼と茂る杉の大木や苔むした石積が「兵どもが夢の跡」で、ひょっこりと修験僧が現れてきそうな雰囲気で、歩いていても神域の中だという事を感じられた…。次々に標識が現れ、奉幣殿が遠くなり鬼杉が近くなる。奉幣殿から鬼杉まで標識の数字では2700mで、四王寺滝入り口はその1600m地点にあり、今でははっきりした入り口の表示が木に括りつけられている。

 前年の水害の影響で英彦山もあちこちで登山道が傷んでおるらしく、この四王寺滝への登山者に対する注意書きの看板が何枚か立てられていた。確かに倒木などが横たわったりしていたが、この谷は一雨ごとに変わるのが当然の場所だし、有名になる以前はもっと荒れていて道も定かでなかった。倒木や散乱する岩石の間を20分ほど登ると上方にチラッと白い氷が見えて来た。

 途中で離合した登山者の方が「下のほうにちょこっとしか無かったですよ…」と聞いていたので期待はしていなかった。黒い岩肌の見える滝の前には学生グループらしい7〜8人が昼食をとりながら休憩しておられた。昨年暮れに難所滝の大ツララが出来た頃に来れば、きっと見事な大ツララを下がっていただろうが、今は、滝の岩場の下に白く残骸となっているだけだった。

 滝の右手から狭いテラス状の草付きを滑らぬように、浮石を落として下の学生さんたちに怪我させないよう…注意しながら登りあがり、シャクナゲの枝が蔓延る岩場の道を、トラロープや木につかまりながらよじ登って行った。シャクナゲの木が見えなくなると勾配も緩み、枯れた篠竹が現れる。この頃はガスの中に入り、何時もだったら見える谷を挟んだ向こう側の正面登山道尾根も見えず、灰色のカーテンに閉ざされていた。

 積雪時は直接、中岳避難小屋の前に登りあがっていたが、今日は、尾根通しに正規ルートを登り南岳登山道から山頂に向かった。山頂手前の避難小屋は老朽化の為、周囲をロープで囲み立ち入れないようにしてあった。丁度ランチタイムだったが中岳まで先延ばしにして、英彦山大権現の祠が祀られる前に行って、年始の挨拶と山行の安全をお祈りした。

 何も見えない南岳を後にし、一旦鞍部へ下って山頂神社の祀られる中岳へ向かった。山頂神社の閉じられた戸の前で参拝して避難小屋に行くと、先客の青年が食事中だった。挨拶して私も横のテーブルで細やかなランチタイム…。家内が作ったホットケーキとクッキー&温かいコーヒーを頂いた。まだ二十歳代かなと思われる青年と話すと、「イヤー35ですよ…」と大笑いされたが、映画俳優のような美男子だった。

 見るともなく装備を観察すると何れも新しかった。で、全部新品ですねーと訊くと、山を始めてまだチョイですのでと苦笑いしておられたが、英彦山は、地元ですので遠足で登ったりするのでチョイチョイ登っていますが、仕事の都合もあり、近辺の山以外はあんまり登ってないのですよ…だった。もう、6歳と3歳になる息子さんもおられるとかで、英彦山にも一緒に登りましたよ…と、嬉しそうに笑っておられた。

 食事を済ませて、私は、北岳経由で下るつもりですがI丸さんは(避難小屋で自己紹介していた)どうされますか?と訊くと「ジャー私も北岳にご一緒しましょう…」で、ツーショットをタイマーで写して北岳に向かった。小屋の中の寒暖計は−1℃だったが風が弱かったので寒さはあまり感じられなかった。

 霧氷を期待していたが駄目で、時々溶けた滴が頸筋に這入ったりしてビックリさせられた。地面は凍っていたので靴が汚れずに助かった。南岳から北岳へ歩きながら、今日は誰とも会いませんねーと話していると、霧の向こう側から黒ずくめの登山者が現れる。離合しながら「今日は誰とも会わないねー」と、話しながら来てたのですよ…と云うと、黒装束の女性登山者さんが「アラ…私もそう思って歩いていましたヨ」で、お互いに笑いながら離合した。

 ガスで何にも見えない北岳山頂に着いて新年のご挨拶…I丸青年に「どうしますか?私は豊前坊から自然歩道を別所駐車場に戻りますが?」と、尋ねると「イヤ…私は正面登山道から下りましょう」で、一期一会でもう会えないかもしれないが、「今日の出会いはとても楽しかったよ…」と、親子ほど離れたI青年と握手を交わして山頂を後にし、豊前坊の高住神社へ、長い木の階段からジグザグの石畳の道を下って行った。

 半時間ほどで正月参りの雰囲気が残る神社の上に降りつき、正面の階段の下から神殿へお詣りをした。今日は、三社参りならぬ「五社参り」をした訳で、何だか良い年になりそう…と、我田引水的に考えながら別所駐車場へ続く九州自然歩道の道に這入った。豊前坊から別所駐車場間は、まるで参勤交代の道を歩いているようで、こんな自然歩道がもっと増えたら登山前後のアプローチが愉しくなるのだが…。

 豊前坊から約3kmの自然歩道を35分足らずで歩き、別所駐車場に14時チョイ過ぎに戻って来た。見上げると、まだお山の上は雲の中で別れを告げることが出来なかった。帰路は、小石原経由でなく添田町経由でカーナビちゃんを設定したら、後藤寺から飯塚方面に向かわされ随分遠回りになり、結局、冷水峠を越えて吉木から太宰府を抜け、自宅に着いたのは16時10分過ぎだった。時間もだが走行距離は往きより20km近く伸びていた。