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〜 長次郎谷から剱岳へ! 〜

「長次郎雪渓より剱岳」・・・回想記

'74/5/24〜31

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〜'74/5 剱 岳 (2999m)(長次郎雪渓より剱岳へ)…回想記〜・・・('09.8.16)記

 北アルプスの剱岳を舞台にした新田次郎原作の「点の記」が映画化され好評を博しているらしく、息子も会社の同僚たちと見に行ったそうで、CGなどを使わない全て現地ロケによる画面と物語に感動したヨ…!とメールしてきた。

 …ので、私も昨日、妻と近所の映画館に足を運び、大型スクーリンに映し出される剱岳の映像を愉しんできた…。(映画館に足を運んだのは何年か前に孫たちとドラエモンを見に行って以来久しぶりだった…)

 確かに山の画像は迫力があったが、音響効果音がストーリーを盛り上げる手段としてやむを得ないのかも知れないが、風の音、せせらぎの音、山靴の音、…etcなど々、折角の山の静寂感を台無しにしていたのが残念だった…。

 剱岳へ登った事のない人がこの映画を見て思う事と、実際に何度か足を運んだ者の場合に画面から受ける印象はかけ離れているかもしれないが、岩の殿堂と呼ばれる「剱岳」は登山者を惹きつけてやまない憧れの山だ。

   私も、新田次郎の本は「点の記」や富士山を舞台にした「強力伝」、「怒る富士」、鳥島を舞台にした「火の島」など…他にも彼の図書を愛読したが、その根幹をなしているのは、彼が富士山頂で気象技官として奉職し、以来その分野で様々な体験や専門的知識等に裏打ちされたリアリティな文脈にあり、登山者として共感を覚え惹きつけるものがあります…。

 「点の記」の舞台になっている剱岳は「岩の殿堂」とも呼ばれ、クライマー憧れの山でもあり、私も、1973年5月に早月尾根から入山して以来、以後是まで早月尾根から4度、「点の記」の舞台になった長次郎雪渓から一度、計、五回足を運んだ。

 先日アップした30年前の「冬富士登攀」に続き、今度は、1974年バージョンの試練と憧れの山「剱岳」へ、映画「点の記」のストーリーにあった長次郎雪渓から、岳友のNさんと二人で挑戦した日の記録を紐解きご紹介します。


… 35年前の「春の剱岳(長次郎雪渓)」登高の記録より … **黄色文字クリック⇒写真へ**

 前年の1973年5月、NKCの仲間三人で早月尾根から剱岳を目指したが、登山口の馬場島入山の際、予期せぬトラブルががあって出発が二日遅れてしまった影響や、残雪豊富な早月尾根に苦しめられ、2870m地点を最高到達点にして時間切れとなり山頂を目前に引き返した。

 その剱岳へ翌1974年5月、会友のN氏と二人で再度挑戦した…。



「'74/5 剱岳登山メンバー」・・・CL・食糧・写真…K野(34)  SL・装備・記録…N田(23)
 「期 間」  1974/5,24〜31
   「登山形態」 剣沢BC設営 (BC…長次郎雪渓…剱岳…平蔵谷…BC)


「5月24日〜25日」
 …5月24日夕刻、博多駅を出発、翌25日に名古屋で乗り換え富山に正午ごろ到着、富山地方鉄道で立山駅へ。ケーブルカーとバスを乗り継ぎ室堂に15時20分着。16時20分〜50分雷鳥沢幕営指定地でテント設営(宿) 天候…晴れ、気温…2℃

 「5月26日」 天気…小雪⇒曇り⇒みぞれ⇒暴風雪 最低気温−3℃

 …5時15分起床。雷鳥沢の一夜は爆睡して朝を迎えた…相棒のN田氏はもう起きてゴソゴソしていて、「Kさんどうも天気は芳しくないようですヨ」で、テントの入口から外を覗くと、どんよりした空から小雪がパラつきお山はガスに包まれていた。朝飯のメロンパンを紅茶で流し込み、テントを撤収して剣沢のBC設営地へ出発準備をした。

 …8時05分出発。大型ザックを背負って雷鳥沢の雪の斜面を剣沢へ向かった。
 …10時00分〜10時40分。ガスと強風の別山乗越に9時50分頃に登りつく。付近の斜面では10人ほどのスキヤーが山スキーを楽しんでいた…この頃より雪まじりの雨になる。剣沢小屋の下方にテント設営地を求めて下り、雪の斜面にテントを張ろうとするが強風の為にままならなかった…たまたま雪面より1メートルほど凹んだ窪地があったのでその中にやっとの思いでテントを設営する事が出来、靴を履いたまま、ずぶ濡れ状態でテントの中に逃げ込んだ。

 …10時40分〜15時頃。テントの中で沈殿!15時を過ぎた頃より雪と風がひどくなり、雷鳴を交えた暴風雪がテントをバタバタと揺るがし、テントを支える支柱が折れそうに曲り恐怖を感じた…まるで、荒波の中の小舟のようで、テントごと吹き飛ばされてしまうのでは無いかと必死で支柱を支えていた!

 …15時〜19時頃。テントのシートはびしょ濡れで衣服も濡れたまま…土足のままに座り込み嵐の過ぎ去るのをじっと待つ。19時頃少し嵐が収まった間隙をついて夕食…ボンカレーと暖かいお茶で生き返る!

 …19時〜。寝袋も出せないので、濡れた着衣の上からセーターや雨具のカッパを羽織ってグランドシートを布団代りに掛けて寝ようとするが、濡れた山靴の足が冷たくて寝付けず、その上、降りしきる雪がテントを押しつぶしそうになるのでテントの内側を背中で押し返していなければならない最悪の一夜となった!
 それでも、疲れでいつの間にかうとうとしたらしく22時過ぎごろ寒さに目が覚める…雪に押しつぶされ狭くなったテントの外には50センチ以上も新雪が積もったらしく、テント上部のベンチレターまで雪の中で、完全に雪の中に閉じ込められ雪洞状態!
 お陰でバタバタとテントを揺さぶっていた風の影響が無くなり良かったが、雪の重みで沈みこんでしまった屋根や側壁部分がテント内を圧迫し、居住区は二分の一程になってしまい4〜5人用のテントも2人でやっとという状態だった!
 テントの外を吹き荒れる暴風雪の音はゴーゴーと吹きすさび、厳冬期の西穂高合宿以来の経験でこれが五月の山?とは信じられなかった。偶々、雪面よりも一メートルほど低い凹地の中だったからこれで済んだが、平らな雪の斜面だったら、今頃はテント毎吹き飛ばされていたかも…と、二人その僥倖を感謝した。

 「5月27日」 天気…風雪⇒曇り、風強し 最低気温−5℃(終日沈澱)

 …昨夜は暴風雪に度々寒さで目がさめた。寝付けないのでN田氏にラジュースを焚いて温まろう…と調理用のコンロに火をつけて暖をとった。小さなコンロの火力だが、狭い空間のテントだからたちまちサウナのように暖かくなる…暖かくなると眠気を催しウトウト始める…消すと数分もせずに又冷蔵庫の中!そんな事を繰り返しながら夜を過ごし朝を迎えた。

 明けてテントの外に這い出て見ると、一メートルほどの凹地だったスペースは完全に雪に埋まり、我がテントは辛うじて頭を出すのみだった…。剣沢の雪の斜面は吹き荒れるブリザード並みの強風が雪煙を巻き上げ、風上に向かって歩く事はできなかった…周囲の山々の姿は鉛色のガスの中だった。
 テント周辺の除雪作業にコッフェルの蓋を使って雪を掻き除けているとき、誤って雪と一緒に蓋を放り出した瞬間…あっという間に強風が持ち去り剣沢の下に消えてしまった!以後、煮炊きする時に蓋なしになった。

 5分も外に立っていると凍えてしまう冷気と強風…コンロの暖気で温まったテントの中に逃げ込むと、僅か布切れ一枚を隔てただけだというのにこの中は天国!
 然し、調理用に持参したコンロだから携帯してきた燃料も予備も含めて限られているから無闇に燃す事はできないが、昨夜から暖をとるためにかなりの回数使い、残りの燃料は満タン4回分だけ…食料は食い伸ばせば後5日分はゆっくりあるというのに、燃料切れで今回も去年と同じ轍を踏んで山頂に立てないのではないか…という悲観的な気持ちになった。

 午後から猛威を振るった嵐も少しずつ大人しくなってきたが、それでも乗越から規則的に吹き下ろしてくる風は生半可じゃなかった!夕刻、剣沢小屋を訪ね小屋の主人に明日の天気を尋ねると「あー、昨夜はひどかったね!テントは大変じゃったろーネ」と言いながら、「明日は今夜から張り出してくる移動性高気圧に覆われて良い天気だと思うよ」に、沈んでいた気持ちがいっぺんに吹き飛んでしまった…。

 明日は、長次郎雪渓を登って剱岳へ登るつもりですが、この新雪で雪崩の恐れはないでしょうか?と伺うと、「気温がバーっと上がらん限り大丈夫だよ」のお答えだったので安心しテントへ戻り、夕食もそこそこに明日の剱岳登頂に備え登攀用装備の準備を済ませ、早々に、今日は暖かい寝袋の中に潜り込み明日の登攀に備えた。

 「5月28日」 天気…快晴無風 最低気温−3℃

 …4時起床。テントの外に出ると夜明け前の空には消え残りのお星様たちが煌めき、神々しく真っ白なベールを纏った剱岳の姿が気高く聳え立っていた…その光景に息をのみ、声もなく暫し見入っていた。
 朝食もそこそこに再度、装備品を再点検…登攀用の10mm×40mザイル、カラビナ、ハーケン、ハンマーや、不時露営に備え、ツエルト、ラジュース、コッフエル、食糧…などをザックに分担して収納し、5時頃、BCのテントを後に新雪で埋まった剣沢の斜面を意気揚々と下って行った。

 剣沢をラッセルしながら長次郎雪渓出合に向かっていると、雲ひとつない群青色の空の下に立ち並ぶ新雪を纏った岩綾に朝日が当たり始め、橙色に染まって輝く様はファンタジックで神秘的だった!
 昨日は試練の嵐…そして今日はこの好天!山の女神のビックなプレゼントに感謝の心と共に、剱岳への登頂意欲が高まった。

 ラッセルの剣沢下降も、この恵まれた好天に心が弾んでピッチが上がり5時35分ごろには長次郎雪渓出合に着き、休憩を兼ねて二度目の朝食をとった……左手の源次郎尾根と右手の八ツ峰の岩尾根に囲まれた長次郎雪渓は、前日の新雪にスッポリと覆われて五月の陽光を反射し眩しく照り返し、見上げる稜線の彼方には濃紺の空が果てしなく広がり登高意欲をかきたてられた…

 10分ほどの休憩をとってその見上げる彼方の稜線へ向かって出発し、長次郎雪渓へ足を踏み入れた。雪渓の上に降り積もった昨日の新雪が空の青さを反映してブルーに染まる中を、ラッセルを重ねて黙々と息を弾ませ、小休止をしながら登って行った…。

 長次郎雪渓の中間よりやや上部にある「熊の岩」と呼ばれる岩場に7時40分ごろ着いて一休み…振り返ると、登って来た雪渓が剱沢の谷間に小さくなって続き、黒部渓谷を挟んだ向こうには白銀の雪に輝く後立山の峰々が連なり立っていた。

 熊の岩を過ぎると雪渓の傾斜も増し登高スピードも鈍くなった…。相棒のN田氏の調子が上がらず、ピッチが上がらずに遅れがちになるので「ガンバー!」と何度も上から気合いを入れながら登っていった!源次郎尾根寄りの左俣に這入った時、彼は私より20メートルほど遅れて登って来ていた。

 照り返しの激しい雪渓を無心にラッセルしながら登っているとき、フト、何の気なしに顔を上げると…我々目がけて高さ3メートルほどの巨大な逆捲く雪の波濤(新雪雪崩)が音もなく一気に雪渓の上を滑って襲いかかったのだった…それを、見た瞬間とっさに私は大声でN田氏に「来た!」と知らせたが、彼に聞こえたかどうか分からなかった。

 身構える暇もなく雪崩の先頭部分が私の身体を下方に吹き飛ばした…。気が付くと、雪の塊の中をゴロゴロと洗濯機の中の衣類のように揉まれながら雪渓を滑り落ちていた…この時に雪崩に遭遇した時は「泳げ、そして、雪の上に出るようにもがき、雪崩が停止する前に脱出すること」と先輩の言葉か山岳書で見聞したことが脳裏に甦り、必死で身体を動かした。

 雪渓を流されながら「熊の岩」の手前で止まらなかったら死ぬな…と観念していると、雪崩の早さが緩くなった。チャンス!今だ、と動いている雪崩の中から身体を抜けだし、足をひき出した。

   




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