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… エトセトラ …


〜 ★  MTB漕いで糸島半島の里山巡り    (1/5)… 

… 毘沙門山の祠  … 


2015/1/5  晴れ 

(MTB~) 自 宅 (9:50) ⇒ 長垂海岸(11:23) ⇒ 浜崎山麓(11:40~道迷い~55) ⇒ 毘沙門山登山口(12:15) (徒歩〜)毘沙門山頂 171m (12:41~12:58) ⇒ 登山口(13:08)

(MTB~)柑子岳登山口(13:28~31) (徒歩〜)柑子岳(コウシダケ)山頂 254m(13:57~14:02) ⇒ 登山口(14:16) ⇒(MTB〜)長垂海岸(14:56) ⇒ 元会社(15:16~32) ⇒ 自宅(16:57)


 正月休みも終わり日本列島も活動再開…国内外に何やかやと課題は山積みだが、良い年になる様に祈りましょう!

 今日は、暖かくなりそうなので愛車のロックホッパー君を漕いで手頃の山へ行こうと計画し、ターゲットを糸島半島に決めた。半島に高い山は無いがチャリンコで登山口まで行って登るには適している里山が多い。尚且つ、海岸線が近いので山頂からの眺めは抜群だ。

 活気づいた街中をノンビリ漕いで井尻付近から都市環状道路に這入り、油山方面に向って西進すると同方向に向かうチャリンコ姿が多かった…。何れも20代そこそこの青年で信号待ちで止まった時「いつもチャリンコで通っているの?」と尋ねると「えー、F大学キャンパスへ雨の日以外はチャリで通学です…」だった。道理で皆さん若かったはずだ…。

 暫く、彼等と並走する形でF大付近まで行ったが、此処から環状道は500m程のトンネルになっており、是まで何度か、真っ暗なトンネルの中を、追い迫って来る車との恐怖に慄きながら一目散に走って通過していたが、今日は、トンネル通過を避けて旧道を野芥方面への道を選んだ。

 この頃になると、無風状態の好コンデションと陽気に身体も温もり、ヘルメットの下にかぶってた毛糸の帽子や、ウインドヤッケを脱いで身軽になった。野芥を過ぎ室見川を渡って暫く進んで行き止まりのT字路を右折し、北に進路を取った…。左手には、飯盛山が名前通りの形をしてにょっきりと頭をもたげており、後方の脊振山系の山並みが遠ざかって行った。

 予定では、そのまま暫く北進し、十六町付近から生の松原海岸沿いに出て旧国道に出るつもりだったが、途中で新興住宅地の迷路に嵌りこんでウロウロしたりしながら、何とかJR唐津線の下山門駅前からやっと海岸通りの松林の唐津街道へ出た。

 旧国道は狭い二車線道路でチャリンコで走るのには不向きな道路だが、海岸線の景色は素晴らしく敢えてこの道を選んだ。現在の道路交通法で、チャリンコは車道を走る様になったが、現実問題としては設備面が整っていないので(殆どがチャリンコが走る路側部分が狭く、すぐ横を追い抜いて行く車の風圧などをもろに受ける)など危険と隣り合わせである。政治家さんよ、もう高速道などばかりに目を向けないで、環境に優しいチャリンコ専用の道路や施設を整備して下さい!

 車道は怖かったので海岸寄りの歩道部分を走って行くと、右手に穏やかな青い海が広がった。排気ガスの中を走って来た後だったので新鮮な潮風と波の音が心を癒してくれた…。目前には能古島が横たわり、対岸の糸島半島付け根には、今から向かう毘沙門山や奥に柑古岳が指呼の間に見えていた。

 そんな快適な海岸べたの道を走って今宿海岸公園で小休止し、顔を洗ったり嗽などをした。松林の広場では私年配のシルバーオジサンやオバちゃん達が、和気あいあいとグランドゴルフなどに興じておられた。俺も、こんなハードな事をせずに彼らの様にのんびり愉しんだら良かろうに…と思ったりするが、やはり、性格的に余暇の時間位は人と接しているより、少しきつくても自然の中に身を委ね、花鳥風月の世界を垣間見て心身をリフレッシュする方が向いているように思う。

 何時も糸島半島を走る時は、今宿市街の中の大通りを走っていたが、今日は、大通りに出らずに公園の中を突っ切り、海岸線の防潮堤沿いに付けられた細い路地道を、波の音を聞きながらのんびり漕いで行くと今津湾に架かる大橋手前に出た。

 今津大橋を渡って直ぐに右折し、今津湾沿いの集落の道を漕いでいると、住民のオバーチャンが散歩しておられた。挨拶して「毘沙門山の登り口は何処でしょうか?」と尋ねると、「あー何な、毘沙門山は此処からじゃない…今津集落から登るとバイ」と云いながら「此の裏山は浜崎山タイ…もう此処まで来らっしゃたけん、少し先の日赤病院付近から山越しすれば、毘沙門山の登山口に出られるバイ…」と、私の格好を眺めながら心配そうに見送って下さった。

 教えられた道を暫く走ると行き止まり…その辺を暫く走ってやっと教えられた山越しの道を見つけ、峠道を漕ぎ登って今津集落に出た。17年前に、妻と二人で登った日本47都道府県最高峰登山の時もそうだったが、有名な山は登山口や情報などは判り易かったが、無名な山は登山口を探し出すのに苦労した覚えがある…。

 大きな神社付近でウオーキング中の女性に出合ったので、毘沙門山への道を尋ねると何のことは無い、すぐ後ろが登山口で「毘沙門林道」の標柱があり、コンクリート舗装の道が伸びていた。猪が多いらしく、入口には猪の絵が描かれた「イノシシ注意」の看板が取り付けてあった。

 その女性いわく「お若いようですが自転車では乗っていけませんよ!とっても急な坂道ですから…」と、冷やかされた…トホホである。格好だけ見ればサングラス・ヘルメット・CWXタイツ…etcで確かに若い!が、中味は、お見通し通りの良かジイサンだ。「25分も有ったら山頂に着きますよ…」の声に送られ林道を押し登って行った。

 林道は山頂に祀られている毘沙門堂の管理道路らしく、山体を捲きながら照葉樹林の中に付けられており、時々下山してこられる地元の人らしい人たちと離合した。勾配が緩やかな付近は漕ぎ登ったりしたが、半分以上は押し登りで上がって行くと、山頂下にある不整地の駐車場に到達した。チャリンコをロックし出掛けようとしていると、大型犬を連れた家族連れが下りて来られた。

 私が、汗を拭きながら山頂への道に這入ろうとすると「自転車で此処まで登って来たの?お幾つですか…」と尋ねられた。さもあろう、ヘルメットを脱ぐと白髪頭の老人である!大野城市から漕いできましたヨ」と云うと吃驚し「お幾つですか?」に「若干77歳になりました」と、応えると、家族三人が手を叩いて「それはお見事お見事…」と拍手喝さいを頂き、多少、面はゆい思いだった。

 50m程の急坂を登り上がると水仙の花が咲く小広い広場で、一角には立派な毘沙門堂が立っており、糸島方面の視界が抜群で、何度もチャリンコでお訪れた加也山も良く見えていた。

 取り敢えず山頂へ…と、お堂の横から登って見ると東側の照葉樹林の中の方が高いようだったのでそちらに行くと、鬱蒼と茂る林に阻まれ景色は見えず、山頂標識らしきものも見つけられなかったが、木の幹に長いハシゴが取り付けられていたので、是に登ると東の博多湾や福博市街が見えるのかも知れなかった。

 樹林の中から出て、西側に行くと断崖絶壁の上の狭い玄武岩の台地が有り、此方は展望満天の場所だった。此処からハングライダーで飛び出せばさぞや痛快だろうと…と、思わせる高度感たっぷりの場所で、白砂青松の海岸線と青い海原…その海面を行き来する大型船の姿や、霞に煙る福博市街の佇まいの展望は見飽きなかった。

 今日は、毘沙門山・柑子岳・蒙古山の三座を巡ってみるつもりだったが、時間的に蒙古山は次回伸ばしにしなければならないようで、次に登る柑子岳が大原海浴場の西側に見えていた。展望台から降りて毘沙門堂でお詣りし、例によって諸々のお願い事などを祈願した。祠の前に何やら由緒ありそうな岩があったが何だったのだろう?

 下りはチャリンコに跨ってだから早い…あっという間に登山口に戻って来た。大原海岸の松林手前にある身障者施設付近でフト横を見ると、今登って来た断崖絶壁の毘沙門山が見えていた…。この断崖は、砕石発掘によってできたものらしく、地質的にこの付近一帯は玄武岩で出来ており、すぐ近所の今山では石器時代の石斧なども発掘されたらしい。写真を撮っていると近所のオジサンが「あの断崖は何かに似とうとは思わん…ゴリラの顔みたいじゃろう」と語りかけられた。

 松林の中を抜け大原集落から左折し、小さな峠を越して柑子岳登山口の草場集落方面へ向っていると、偶然、農道の横で柑子岳の一ノ谷登山口の看板を見つけた。少し上がると小さな駐車場みたいな広場があった。チャリンコを階段手摺りにロックし、いきなり直線的に続く木の階段道に這入った。毘沙門山もそうだったが、海岸地帯の山は海抜0メートルからの登りの上に、概して尾根に出るまでは勾配がきつい。

 この柑子岳も例外では無く、山頂まで階段のオンパレードで全部数えると4〜500階段は有ったろうと思われる!連続階段の最多の物は150段を数える物もあり、宝満山の石段の様に段差が高くなかったのがせめての救いだった。途中には自然歩道に立っているような道標もあったが、その距離表示はすこし雑だった。途中一箇所だけ展望ヶ所があったがあまり視界は良くなかった。登山口から20分強、汗だくになって三角点のある山頂到着!この山頂からの景色は360度フルオープン。

 やはり、一番の景色は眼下に広がる海と海岸線の美しさである。きっとこの場所からの朝日夕日は見事であろう!暫し山に登って「海の美しさ」を堪能した。海岸線の向こうには先ほど登った毘沙門山が、兄弟の様に此方に手を振っている様だった。

 もう少し時間が有ったら蒙古山まで行けたが、時計を見ると14時を廻っており、帰りのチャリンコ道中時間を考えまたの機会にした。こうして、一つ低山だがお気に入りの山が増えて行く。次は、妻を誘ってやって来よう。

 階段道をスイスイ下ってチャリンコをデポした登山口に戻り、リターンチャリンコ!サドルに跨り峠を越えて大原付近で振り向くと柑子岳が「またお出で」見送っていた。潮風を受けながら往路を快調に漕いで行くと、逆光の今津干潟がキラキラと光っていたのでストップし、シャッターを押した。車だと通過して仕舞うこんな景色も、チャリンコだと見逃さない!

 海岸線伝いの唐津街道を走って生の松原を過ぎ、途中の姪浜で、お世話になった第二の職場へ立ち寄った。此の職場には4年半ほどしか在籍してなかったが、山を通じた仲間が大勢できた。(U-Banクラブ)今でも、北アルプス山行を含めあっちこっちの山にご一緒している。事務所に上がって行くと見慣れた顔があり懐かしかった…あれから7年も経ったのだ。

 旧職場を出て室見川を渡り、早良口から右折し「南米商会」という自転車屋さんに立ち寄った。この、愛車のロックホッパー君は18年前にこのお店で購入したのだ。二代目のオヤジさんにチエーンやギアの老化具合を見て貰うと、笑いながら「乗り方にもよるが綺麗に手入れしていますね…」と云いながら見て呉れたが、チエーンを変えるならギアも変えないといけないが、今、7段ギアの在庫が無いので入荷したらTELしましょうだった。。

 自転車屋さんを出て六本松から薬院へ抜け、大橋から那珂川を渡って春日方面へ向かい、途中のコンビニで豚まんと温かいコーヒーで空き腹を誤魔化した…考えてみると飴玉をしゃぶったほかは、家を出てから何にも口にしていなかったのだ!少し元気になったら家はすぐ其処で、17時前に思ったよりも余裕の帰宅だった(因みに往復80km、7時間の旅だった)。 今日で、三座目の祠のある山に登った。聞くところでは、日本には、2000以上も信仰の対象になっている山があるらしい…こりゃ大変だ!

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〜 ★  我が街"大野城市名"ゆかりの大野城跡(四王寺山)の毘沙門天様に新年の挨拶に    (1/3)… 

… 大野城跡(最高点は大城山.410m)の山頂標識  … 


2015/1/3  晴れ 

 正月三が日も今日で終わり…。元日は、子供たち家族(総勢11名)などが年始の挨拶にやって来たので一日が消え、昨日は、難所滝の大ツララと佛頂山へ出掛けて消えた。今日三日は正月に這入って初めて穏やかな日和となり、各地のお宮さんなどは参拝の人出で混雑した事だろう。

 午前中は、年末に搗いた餅つき道具などを倉庫に仕舞ったり、愛車(MTB)の手入れなどをして過ごし、チッラと箱根駅伝を見ると、ダークホースのA大が断トツのトップで、本命を蹴落としゴールの大手門に飛び込んでいた。やっと彼等に正月がやって来たのだ。

 彼らの奮戦ぶりに刺激されて私も汗を流しに出かける事にした。行く先は、我が街(大野城市)の名前の由来になっている大野城跡(四王寺山)の山頂にある毘沙門天様に新年の挨拶参りだった。

 午前中に手入れを済ませた愛車のロックホッパー君に跨りぺダリング開始…。漕ぎ始めは少し風が冷たく感じられたが、山麓にある総合体育館付近を通過する頃は汗ばみはじめ、途中でウインドヤッケを脱いで腰に巻き付けた。

 体育館付近から県民の森へ続く林道へ這入ると、この陽気に誘われた市民の人達がウオーキングを愉しんでおられたので、離合するたびに新年の挨拶を交わして行った…。久し振りの坂道チャリンコで心臓パクパク状態になったが、何とか中腹付近にある登山口の四阿まで辿りついた。

 愛車を、標柱にロックしていると登山姿の青年が登って来られた。手に持った地図を見ておられたので「四王寺山は初めてですか?」と伺うと、エ―そうです…だったので、私も今から登るので一緒しましょうと云って山道に這入った。

 が、物の5分も登った付近で「私のペースには早すぎるので済みませんが先に行ってください…」と立ち止まられた。此処から稜線までは一本道ですのでゆっくり登って下さいと告げて先行した。四阿の立つ付近まで登ると辺りには残雪が現れ始め正月寒波の影響が残っている様だった。

 少し登ると山の斜面が開かれた大文字広場で、毎年9月下旬ごろに行わる大野城市の大文字祭りに合わせ、期間中「大」の字の電光文字が灯されており、市内の何処からでも見る事が出来、この時期の風物詩的存在になっている。

 この雉ケ尾コースは直登ルートなので傾斜がきつい…。市民健康登山者(老幼婦女子)にとっては不向きだが、眺めは抜群で、登り上がるにつれ足許に我が街が広がって行き、やがて、脊振山系の山や、福博市街の向こうの青海原も望める健脚者向きの展望コースである。

 大文字広場から少し登ると、今から1350年前、外敵からの襲来に備えて作られた大野城跡の稜線を巡る土塁の縁に出る。此の稜線上の土塁に沿って、大野城市・太宰府市・宇美町に跨る史跡ルートが整備されており、春夏秋冬、歴史を感じながら散策を愉しむ登山者やハイカーの姿が多い。

 その土塁道を少し大宰府側に行くと足許の開けた展望場所がある…。我が住む大野城市が一望の下で、市の南側にはこの大野城が築かれた同時期に作られた水城跡が、一番平野が狭まった部分に東から西へ延びており、先人のパワーを感じることが出来る…。だって、1350年前の建造物なんですからね。

 現在の文明文化も果たして1350年先に形として残って行くことが出来るだろうか…。現在過去未来が継続していくことに意義があるのではないだろうか?現在の我々は過去に成り立っている訳だから、未来へ何かを残して行く責任がある。

 少し雪解けの始まった土塁道を戻って毘沙門天様へ向かい、鳥居を潜って石段を登り拝殿の前にでた。正月三が日とあって参拝に来られた人たちも多く、順番待ちで鈴を慣らしてお賽銭を上げ、諸々のお願いやお祈りをした…今年も良い年であります様に、と。

 神社の西側が大野城跡(四王寺山)の最高点(410m)の大城山で、古びた石の標柱が傾きながら立っていた。下山は、まどかコースと呼ばれる総合体育館方面への道を下って、林道出会いから林道に這入り5分ほど下ってMTBをロックした四阿に戻った。

 チャリンコに跨り、スイスイと風を切って下る快感を正月から味あえるとは最高の気分だった!ポカポカ陽気の市街地をクールダウンながら走り抜け、我が家近くの御笠川にかかる人道橋を渡って振り向くと、今、登って来た四王寺山が、正月とは思えない麗らかな陽気の中に横たわっていた。

 家に帰り着いてシャワーを浴びて一段落し、机の前に座って今年一年の山行きについて考えてみた。勿論まだ、北アルプスや冬山にも登りたい気持ちは強いが、頭の片隅にボンヤリ温めていたテーマ…山城を巡る山旅や、山岳信仰と山…等を思い立つのも面白いかもしれない。

 という事で、少し今年は山頂に神社や祠などのある山に登って見ようかな(イッパイ有ると思うが)…と、思った。今年は、一昨日が佛頂山の祠、昨日は、四王寺山の毘沙門天様と、早速、山の神めぐりの山行きが始まったようで、それに拘るつもりはないが意識的にそんな山を目指して行きたい。

 日本は山国である。よって、縄文の時代より山への畏怖や恵みに対し山岳信仰の形が現在に至っても続いており、崇められてきている。日本国内の山の頂きには、最高点は富士山頂の浅間神社から里山の頂まで、どの位の神が祀ってあるのだろう?ン…是は面白いかも。  

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〜 ★  市民登山大会(四王寺山縦走16km紅葉探勝コース)のサポートに参加    (11/7)… 

… 鮎帰りの滝付近の13佛の石像さん  … 


2014/11/7  晴れ 

 牛頸山系の市民登山会に続き、今回は四王寺山紅葉探勝コースのサポート要員に参加した。

 集合場所は総合グランド管理棟前…参加者はスタッフを含め約40名だった。お天気も前回同様、皆さんの日頃の行いが良いせいで晴天に恵まれ絶好の山歩き日和だった。

 今日歩くコースは「まどかコースから毘沙門天の大城山〜大文字焼広場〜紅葉谷〜県民の森(昼食)〜主城原礎石群跡〜小石垣〜鮎帰りの滝〜百關ホ垣〜野外音楽堂〜屯水〜樹芸の森〜総合グランド」の約16kmを、6時間程かけてウオーキング予定だった。

 スタッフ責任者の諸注意事項などの挨拶後に準備体操をして、9時15分過ぎに総合グランドを後にした。チーフリーダーのKさんを先頭に隊列を組んで出発し、樹芸の森の中の遊歩道を落ち葉を踏みしめ大城山へ向かった。  会費1000円也(弁当昼食付)という事もあるが、広報などで参加募集があると直ぐに満員になるそうで、知人の中に直ぐに申し込んでも何時も満員になっている…と、非常に好評らしい。

 平日開催と会って、年齢構成は殆どが現役を退いた人たちが多く、歩きながら参加者の一人に話を伺うと、昔は少し山を齧っていたが今は体力に自信が無いが、こういう市民登山会なら何とかご一緒出来るのではないだろうか?と申し込みました…等々、殆どの方が初心者の人が多かったが、女性群の方は結構あっちこっちの山歩きを経験した方が多く、格好もばっちり決まっていた。

 心地よい汗を感じ始めるころ西側が開けた広場に出て小休止…。晴れてはいたが連日の晴天日和で遠くの方は霞んでおり、前回登った牛頸山もぼやけていた。

 広場から少し行くと大城林道で、横切ってすぐ目の前の切り通しの斜面から大城山への支尾根に取り付いた。この時期になると小鳥さんたちの声も少なくなり、草花たちの姿も見えなくなって枯葉色の世界で、お目当ての紅葉も少なかった。

 まどかコースと合流すると間もなく大城山々頂で、常緑樹の茂る薄暗い山頂に10時40分ごろ到着した。全員勢揃いしたところで、リーダーの元高校歴史を担当されていたK氏が、四王寺山の歴史などを判り易く話され、ここ山頂地点にはかって寺院が建って居た事などを語られ、皆さん真剣に耳を傾けておられた。こういった歴史などに詳しい方が同行して下さると、山歩きの楽しみもまた一つ増える。

 すぐ横の毘沙門天を祀る神社でその謂れなどを聞き、石段を下りて土塁の続く遊歩道を南へ向かった。少し歩いて西側の少し下った所にある大文字焼き広場に立ち寄り、市職員による広場の説明などが有った…足許には、我が街、大野城市の市街が一望の下で、平野を横切る水城跡が印象的であった。

 暫く、四方の景色を眺めて土塁の縦走路に戻り、ほぼ平坦な尾根道を南へ向かい展望台の手前から紅葉谷へ這入った。紅葉谷のモミジはまだ早かったようで、微かに色づいている物もあったが見頃になるのは後10日位かも知れない。

 紅葉谷から県民の森センターへ下って行き、閑散としたセンターの建物付近で昼食タイムとなった。歩いている時はそう寒さは感じなかったが、座り込んで支給された弁当を食べていると汗が冷えて寒くなって来た。池の鯉におにぎりを少しずつばらまくと、あっという間に足許の水面は鯉だらけになってしまった。

 30分の食事タイム終了…お腹がくちたところでセンターを後にし、四王寺集落の中を抜けて主城原礎石群跡へ向かった。足しげく四王寺山には来ているが、主城原礎石群跡を訪れるのは初めてだった。孟宗竹の茂る道を暫く行くと開けた一角に出た…主城原礎石群跡である。

 K先生の話によると此処が四王寺山礎石群の中では最大の物だそうで、倉庫群や武器庫…etc等があったらしいと解説された。大きな礎石が整然と並んでいるのを見て、かって1300年も前に、礎石の上に建っていたであろう屋舎群と往時の人々の姿が目に浮かんだ。

 何だか今日の登山会は四王寺山の歴史探訪ウオーキングのようだった。主城原礎石群跡から20分ほど歩いて今度は小石垣跡…先生によると、是は小石垣では無く、長石垣である…云々の話を面白おかしく解説された。小石垣から下って、谷沿いの悠久の森付近で鮮やかな紅葉があったが、並んで立っているモミジは緑一色でその対比が面白かった。

 鮎帰りの滝付近は神域のようで、崖際に古びた石の地蔵様が並んでおり、13佛と呼ばれているらしかった…。可愛らしい銅鑼のような鐘を慣らし掌を合わせた。四王寺山にもこんな渓谷があった事を初めて知ったが、今まで表側ばかりしか歩いたり見たりしていなかったので、四王寺山も馬鹿にしたものでは無いと改めて思い知った。

 滝の先で県道を横切り少し戻った所が百關ホ垣遺跡で、一時水害で傷んだ時期もあったが今はすっかり修復され、下から見上げる石垣は人を寄せ付けない威容で整然と積み上げられていた。当時は白村江の戦いに惨敗した日本は朝鮮勢力の上陸に対し、如何にその防備に力を入れていたかを窺い知れた。

 百關ホ垣の上部を通過し、暫く急坂を登って音楽堂前に出て大休止…。流石に疲れの見えた参加者も見えたが、此処まで来れば今日のウオーキングは九分通り終えたのも同然…。屯水と呼ばれる史跡跡を見て大城林道を下って行った。

 途中、まどかコースから遊歩道に這入り体育館の後ろに下り、集解散地のグランド管理棟の前に14時50分ごろ全員無事に帰着した。今回が三度目の市民登山会のサポートだったが、大勢の人を引率し何事もなくスケジュールを終える事は、事前の取り組みや経験があればこそだと思う。大野城市・市商工会・太宰府NPO法人のスタッフの皆様に感謝したい。

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〜 ★ 久し振りにMtb漕いで九千部山へ  (10/30)… 

… 展望台の上で山頂のアンテナ群や脊振山をバックに  … 


2014/10/30  晴れ 


 秋晴れが続いて今日も良い天気…。仕事の方も10月度は27日で満勤終了し、11月度の開始日まで一週間の長休み…テレットしてたら五体が鈍ってしまうのでチョックラMtbで九千部山行きを思い立った。

 愛車のロックホッパー君に跨って家を出たのは11時過ぎだった。私の巡航速度は平均25q/hぐらいだが、出足は何時もペースが遅く20q/hぐらいで、然も今日は南風で軽い向かい風だった。

 都府楼付近で遠足中の小学生にガンバって…と、可愛らしい声援を頂いた。天拝公園付近を過ぎるとやっと身体もペースをつかんで、高速道横の側道の登り下りの道を快調に進み、県道平等寺線に這入った。

 取り入れの終わった長閑な田園風景を山口川沿いに走っていると、右手に天拝湖ダム公園が見えて来る。奥側には一昨日、市民登山会で縦走した牛頸山系の山並みが秋の陽射しの中に垣間見えていた。

 山口集落の先にある何時も小休止する神社に立ち寄らずに通過…少しづつ登り勾配になって来る水道貯水池を越えた先の、山神ダム旧道分岐手前で一回目の休憩をとって、ダムサイトの登りに備えた…。

 小休止後出発…ギアをダウンし懸命にペダルを踏んで堰堤東側の広場に着いた。堰堤の中間付近からは九千部山方面が俯瞰できるので這入ろうとするとゲートが閉じてあり、「スズメバチの巣がが照明塔下にあるので立ち入り禁止にします」の張り紙があった。

 時計を見ると12時過ぎでランチタイム…ダム完成のモニュメントがある石段に座り、小型ザックから昼食用の甘酒饅頭をとりだし頂いた。エネルギー補給を終えダムサイトを後にし、平等寺へ向かったが昼食タイムで汗が冷えてしまい、暫くは寒いようだった。

 何処でもそうだが山里は高齢化の為に人影が無く、時々聞こえる犬の鳴き声ぐらいで無人の集落を行くようだった。集落の先から県道から離れ、上村集落の中を漕ぎ上がって箱石林道に這入った。

 林道に這入ると途端に勾配がきつくなって速度はガクンと落ちる。でも、何とかヨロヨロしながらカーブを一曲りふた曲り…10q/hで、ハーハーと息を弾ませながらペダルを踏みこんで行った。この一漕ぎひと漕ぎこそが、吾輩の精神と肉体のバックアップに繋がるのだから!

 何とか九千部名水のある場所に到達…岩場を伝って流れ落ちている清水を掌に汲んで飲むと一気に疲れが飛んでしまうようだ。砂漠の中のオアシスとまでは言わないが、此処を登るチャリダ―にとっては有難いポイントだ。

 名水パワーを頂き峠までひと踏ん張り…一旦下って那珂川町から来た道に合流し、少し先から九千部林道に這入る。山頂まで3,5kmの標識地点から勾配がきつくなり始める。

 何度か立ち止まって深呼吸…したり、押し歩きを交えながら、自分自身に「ガンバレ…々」と叱咤激励しながら最後の急坂をクリアーし、テレビ中継アンテナ群が林立する山頂の一角に登りついた。

 チャリから降り、押し歩きで山頂展望台のある広場へ…。木製の展望台の上に立って周囲を眺めると遠方はボーッとしか見えなかった。山頂付近の紅葉はまだ早く、石谷山方面の自然林の樹海も少し赤みを帯びているだけだった。

 展望台から東側の広場にある祠様の前に行って掌を合わせ、諸々のお願いやお礼を申し述べた。風も無く穏やかな山頂のベンチで二度目の昼食…といっても、小さな味噌饅頭二つとリポビタンDだけ。是で帰路をまかなう訳だ。

 20分ほどゆっくりし、14時10分ごろ下山開始…ダウンヒルに備えウインドヤッケを着用し寒さ対策。登りにハーハー苦労した坂道も、此の下りの快感があればこそだ。でも、カーブは多く、路面には木屑や小石などが散らばっているので無制限にという訳は行かない。

 あっという間に那珂川町から来た苗ケ尾林道に出る。此処から往路の箱石林道を通らず、苗ケ尾林道を下って那珂川町から春日市を経て戻ることにした。一気に坂道を下って国道385号線の変電所付近に出て、那珂川沿いに暫く下り、山田集落の先にある裂田公園で一休みした。

 クールダウンしながら新幹線車両基地付近から春日市の丘陵地帯をノンビリ走り、15時半前に我が家に帰着した。久し振りの九千部Mtb何とか乗り切れたが、間もなく77歳を迎える老体…来年もトライできるか楽しみだ。

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〜 ★ 市民登山大会(大佐野山〜牛頸山縦走)のサポートに参加  (10/28)… 

… 山頂手前の見晴らしの良い広場で我が街を眺めながらランチタイム  … 


2014/10/28  秋晴れ 


 「秋の牛頸山縦走登山会」と銘うった市民登山大会が開催され、そのサポート要員として参加した。季節も山歩きに最適な頃とあって、30名の定員も募集直後に満員状態になる盛況ぶりだそうで、毎回、キャンセル待ちがでているそうだ。

 集合場所の牛頸ダム付近で受付などを(参加会費は1000円で、弁当、お茶、保険付き)済ませ、リーダーによるコース案内や諸注意の後に簡単な準備体操などをし、参加者・サポーター・関係者など総勢約50名で9時10分ごろ、雲一つない秋晴れの空の下、隊列を組んで出発した。

 ダム堰堤の先50mの所に大きな「大佐野山登山口」の標柱が立っており(このルートは、今回の責任者Z津氏グループや地元有志の人達に寄って新設された)山道に這入ると落ち葉の道で、暫くは雑木林の中の道で眺望は無い。出発前に登山リーダーの話で、「このコースは樹林の中の道をただ黙々と登るのみで、見晴らしは有りません!」と参加者の笑いを誘っていた。

 大佐野山に伸びる尾根道の東側は太宰府市で、大野城市との境界線上を南へ辿っている。暫く登ると大宰府側に有刺鉄線が張り巡らされていたが、少し先に光妙教会敷地の立札があった。宗教団体がこんな山の中まで買い占めているのに違和感を感じた。

 30分ほど行った所で隊列調整等で小休止…参加者の平均年齢は60歳ぐらいだろうか?皆さん夫々に装備品はバッチリで、特に女性はブランド物の装備を身につけておられた。一時期の中高年登山ブームは一段落したが、山用品店にとって女性登山者は良きお客様だろう。

 出発点から約1時間半弱で見通しゼロの大佐野山山頂(333m)に到着…。全員の到着を待ってリーダーのK氏が大佐野山の山名の由来を紹介された…彼は、現役中は教鞭をとっておられたらしく、歴史学を教えていたとかで、大佐野山は遠く戦国時代からその名が出てきている…云々、と話しておられた。

 こんな人が一緒だと山歩きもまた別の楽しみが出来る…ただ、何も考えずに汗をかいて山頂に立って味あう喜びも登山の醍醐味の一つには間違いないが、付随して歴史や動植物の生態や名前等々を知ることによって山歩きの奥行きも広がっていくだろうと思う。

 そういう意味から考えると、こういう一般市民登山を対象にした登山会は参加者にとって大いに役立って居る事だと思う。大佐野山から西へ小さなアップダウンの歩き易い道を30分弱行くと「山口越」…、此処でも、リーダーの元歴史の先生が、何でもこの峠は筑紫郡山口村と大野村を結ぶ生活道路だった…と、峠道のうんちくを話された…。

 50名近くの隊列になるとどうしても前後の差が出るのはやむを得ないが、後の人を待つ間に、こうして立ち止まって諸々の話しをして頂くことにより、待つ方の人も苦にならなくて良かったと思う。

 山口越えから歩き易い山道を秋の爽やかな風を受けながら隊列は進み、黒金山を通過…ジグザグ道を下ったり、小さな坂を登り返したり、沢に架かった橋を渡ったりしながら、もう電線の張っていない鉄塔の下を何度か通り過ぎ、前方に牛頸山が見える、サクラの幼木が植生された広場(鉄塔撤去跡らしい)でランチタイムになった…12時20分を過ぎていた。

 足許の向こうには我が街が四王寺山を背に広がり、横切るように水城跡が東西に横切り、後方には宝満山系の山脈が連なり北方には海原も見えていた。雲一つない無風状態の草叢に座って頂くカシワ飯のオニギリが美味しかった…。

 30分ほどのランチタイムを終え今日の最後のピーク牛頸山へ出発…足取りも軽くあっという間に、松の木の向こうに、大野城市街の街並みが一望の下に出来る「大野城最高峰」の標高447,9mの牛頸山山頂到着…13時40分だった。山頂は狭く、とても50人一緒に立てません!山頂の三角点の石を撫で下山の途に就いた。

 下りは近道コースを辿って、いこいの森キャンプセンターから、解散場所の牛頸ダムの水辺の公園へ…。途中、山ふきの黄色の花がとても綺麗だった…。昨年は、途中で具合の悪くなった人が出て、即製担架などを作ってエスケープルートから収容したことがあったので、鉈や鋸、ロープなどを携帯してきたが、幸い全員好調に完歩され無用の長物だったが、嬉しい無用の長物だった。

 解散地の水辺公園に予定時間通りの15時チョイ前に帰着…。「秋の牛頸山縦走登山」が秋空の下に全員脱落者無く無事終了!「また次の登山会でお会いしましょうと」と、責任者のZ津さんが挨拶され、拍手で解散となった。








〜 ★ 私が携わっている発掘現場(乙金地区)善一田古墳群の現地説明会  (10/26)… 

… 新聞テレビで報道され、多くの人達が参加されました  … 


2014/10/26  曇り 


 今日は、私が携わっている乙金地区(善一田古墳群)の現場で、現地説明会が開催されたのでその一端をご紹介します。開催時間の10時前にはもう300人近くの人達が参集され、大野城市の文化財課の係員があらましを解説されている間も次々にやって来られた。

 15分ほどの説明後、「古墳 WONDER WORLD」 〜 五感で楽しむ古墳の不思議な世界 〜と銘うったルートは、◎わくわくルート(10分〜15分) ◎どきどきルート(20分〜30分)の二つのルートがあり、その中には三つのエリアを設けてあり1、墳丘と石室の関係を知る 2、横穴式石室の構造を知る 3、古墳群全体の構造を知る…事が出来る様になっている。

 ルートの中では、・発掘調査体験・覗いてみよう黄泉の世界・遺物展示・考古学謎解きクイズ・など 様々な体験も出来るようになっており、考古学ファン以外の一般の人達にも、身近に先人の暮らしや文化の一端を知ることが出来て良かったと思う。

 今回のルート内には大小合わせて18基の古墳が発掘されているが、6世紀後半に作られた一番大きな18号古墳は直径25mもあり、同時期の福岡平野では最大規模の物で、標高60mの丘の上にある墳丘の上からの  眺望は素晴らしく、大野城市街は勿論その先には脊振山方面の山並みも望める。


   ● 善一田遺跡の位置と周辺の遺跡(説明会資料より)

 善一田遺跡は福岡平野東南部、乙金山のふもとに位置する。遺跡の周辺には王城山古墳群・古野古墳群といった多数の古墳が作られており、その総数は100基を越えるらしく、近接する王城山遺跡は多数の新羅土器が出土する古墳として有名で、積極的な対外交渉をしていた様子が明らかになっている。

 集落遺跡(村の跡)として薬師の森遺跡が有り、集落内では鉄器、須恵器生産に関わる人が住み、朝鮮半島から来た渡来人もいた可能性が指摘できる。また周辺には須恵器を焼いた窯も確認されている。(乙金窯跡、善一田遺跡の一部、雉ヶ尾窯跡)

 なお、遺跡は日本最古の山城で有名な「大野城跡」に近く、善一田遺跡の古墳に葬られた人々や彼らの子孫も山城作りに関わったのかも知れない…。

 ● 18号墳の構造

 ・立地:丘陵尾根に単独立地(標高60m)

 ・墳丘:二段築成の円墳で、下段部分で直径21m(南北〜25m(東西)、上段部分で直径14m前後。高さは石室床面から墳頂部まで6m、下段テラスから墳頂部まで・・・略。

 ・石室:南側に開口する複室構造の横穴式石室で、玄室は幅2,2m、奥行2,8m、高さ3,5mを測る。・・・・略、石室の残存状況は極めて良好である。

 ● 18号古墳の主な副葬品

 ・馬具(轡・鐙・飾り金具) 鉄鉗/盛矢具/鉄刀/鉄鏃…等々


 この作業に携わった者として、林に覆われていた山林を職員の指導の下、大勢の仲間たちと真夏の炎暑の中に汗し、厳冬期の寒さにも耐えて開墾発掘した大小さまざまな古墳群を改めて眺めると、我ながらその壮観さに見とれるほどだ。

 然し、この古墳群は跡形も残らずに取り壊されて宅地化される運命で、後世の人達にこの素晴らしい姿を見て貰えないか…と、思うとやり切れない思いでいっぱいである。願わくば18号古墳周辺だけでも保存して古墳公園化し、大野城市の財産として、多くの人に先人の偉大さを感じ取ってもらえるようにして欲しいと切実に思っている。










〜 ★ 大野城市商工会主催による秋の登山大会のサポート要員として大佐野山の事前調査へ  (10/21)… 

… 市町村境界線にある大佐野山(333m)の四等三角点  … 


2014/10/21  晴のち曇り 

自 宅 (10:05) 〜 チャリンコ 〜 牛頸ダム登山口(10:35~40) ⇒ 尾根道合流点 (11:07) ⇒ 大佐野山 (11:19) ⇒ 天拝越し (11:48~52) ⇒

大佐野山(12:10) ⇒ 尾根分岐(12:20) ⇒ 牛窪ダム登山口 (12:36~40) 〜 チャリンコ  〜 自宅 (13:10) 


 降雨確率が高かったので発掘作業の仕事は中止になっていたが、予報とは裏腹に風こそ強かったが雲一つない青空天気…。で、今月28日に市の商工会が主催する秋の登山大会のお手伝いメンバーになっていたので、偵察に行ってみる事にした。

 登山大会は、牛頸山々系の「大佐野山〜黒金山〜牛頸山」の約16kmのコースだが、黒金山から牛頸山には何度も歩いたことがあったが、大佐野山には登ったことが無かったので、事前に歩いておいた方が何かあった場合などに役立つかもしれないと思い立った次第だった。

 チャリンコで牛頸川沿いの道を漕いで行くと、寒冷前線に向かって吹き込む南寄りの風が強く、先ほどまでの雲一つない空には怪しげな雲が空を覆いはじめ、脊振山系や宝満山系の山は頭部を雲に覆われはじめており、この調子ならあと2~3時間で雨が降って来そうな感じだった。

 ダムサイトを漕ぎ登って周回道路を少し走ると水辺の公園などで、その真向かいに法照寺という寺院が有り、この付近がキャンプセンターや黒金山方面の登山口になっている。

 チャリンコをロックして沢沿いの道に這入り登って行くと、次第に植林の中のあまり踏み跡の無い道になり、目印のテープ類を探しながら登って行くようになった…沢筋では、猪くん等が掘り繰り返して食糧を探した痕跡が至る所に見かけられた。

 25分ほどで支尾根道に合流した。28日は、この支尾根道を南山手バス停集合所から登って来る予定になっている。境界石が次々に現れるが、この山地の稜線が旧三市町村の境界線である事が分かる。

 歩き易くなった尾根道を10分強登ると大佐野山ピークで、木の枝に手製の標識があり、四等三角点の礎石と標識があった。自分の予定では、山口越えを経て出発点に戻るつもりだったが、山頂から南西方面に行くべきところを北東側方面へ下ってしまった。

 と言うのが、誤って下った方の道がしっかりしており、おまけにトラロープが斜面に長く取り付けられていたのでホイホイ下ってしまった。自分自身では山口越えへ下っているつもりだったが、途中で何だか方向が違うし下りすぎるので(こりゃオカシイ…)と思ったが、その時はその時引き返せばいい…。

 物凄い急な坂道に落ち葉が積もり足場が不安定で、こんな所を40名のパーテーが下るのは大変だろうなナンテ思いながら下って行くと、判然としない三叉路に出た。とても記憶にある山口越えじゃない…。ボトルの水を飲みながら休んでいると北側の藪道から話し声が聞こえてきた。

 5人連れのヤングガール御一行で、「おじさんは何処から来たの?」&「貴女たちは何処から来たと?」・・・そして何処へ行くの??彼女らも道迷い中らしくお互いに大笑い!

 人間の方向感覚は(特に山では)周囲の状況が確認できている状態では間違えることは無いが、見通しの効かない樹林帯の中や吹雪、濃霧の中では完全にアウトになってしまう。今月号の山岳雑誌に東京都の山で道迷い遭難者が続出している…を呼んだばかりだったが、たまたま、今日のような低山では道迷いしても一時間も歩けば何処かに出られるが、チョット懐の深い山ならそうは行かない!

 彼女らは、大宰府側のメモリアルホール付近から出発し、天拝山に登る予定だったらしい…。すぐ先に環境省の九州自然歩道の案内表示板があり、此処が天拝越えだというのが分かって絶句!

 天拝山まで30分、黒金山まで60分と書かれていた。来た道を引き返すという彼女たちと別れ、吾輩も今下って来た急坂を引き返しトホホである。おまけに空模様も一気に悪くなって行き、昼時だったが昼飯どころでは無かった…。

 一気に坂を駆け上がって大佐野山へ戻り、尾根道を忠実に辿って沢筋の道に這入った。チャリンコをロックしたダム登山口に下って来る頃は、青空は何処かへ消え去り、西の空には雨雲が低く垂れこめ風雲急だった。

 ダム堰堤から大佐野山方面を眺めながら、今日はとんだチョンボだったが、笑い話では無く、この失敗を良薬にしなければ…と反省した。雨雲に追い立てられ、ダムから30分足らずで帰宅する頃は、小雨もちらついてきてぎりぎりセーフだった。








〜 ★ 山友N田氏とチャリンコで秋月へ…野鳥登山口から屏山往復  (10/4)… 

… 秋月市街地外れにある女男石治水遺構より古処山〜屏山方面  … 


2014/10/4  晴・・東の風強し 

自 宅 (9:40) ⇒ 秋月はずれ(11:06) ⇒ 野鳥登山口 (11:21~:25) ⇒ 五合目 (11:55) ⇒ 山城跡 (12:18) ⇒ 屏山(12:55~昼食~13:10) ⇒ 水舟(13:41) ⇒ 野鳥登山口 (14:26) ⇒ 大宰府 (15:55) ⇒ 自宅 (16:20) 


 北アルプスの山旅から一週間ほど経過した…。その間に木曾の御嶽山が爆発し、大勢の登山客たちの尊い人命が奪われるという大惨事が発生し、改めて自然界の脅威を思い知らされた。未だに行方不明の方もおられるそうで、残されたご家族や関係者の心情を思うと一刻も早い発見を祈るばかりだ。

 また、現地でその捜索活動をされておられる消防、警察、自衛隊…や多くの関係者の御苦労は筆舌を尽くすものと思われるが、二次災害に注意しながら万全の努力を願うばかりだ…。改めて思わぬ噴火災害に遭遇し、お亡くなりになった方々達の御霊の安かれをお祈りします。


 台風18号が大東島付近を北上中で、その外縁の強風圏の影響で東の風が強かったが、久し振りにN田氏とチャリンコで秋月へサイクリングへ出掛けた。集合場所の大宰府政庁遺跡広場前に9時半ごろ待ち合わせだったが、忘れ物を途中で思い出して取りに帰ったりしてN田氏を待たせてしまった。

 太宰府市街から九州国博館横の峠を越え、吉木集落から天山方面へ向かい、国道386号線の東側を並行して走る旧道を甘木方面へノンビリ走った…。道端には、たわわに実った稲穂が頭を垂れ、コスモスの花が至る所に咲いて声援してくれた。

 弥永付近から旧秋月街道の家並みの中を抜けると、正面からの強風がまともに吹き付けてギアダウン…!姿勢を伏せて風を避けながら懸命にペダルを漕いだが、ちょっと油断すると忽ち止まりそうになってしまい、改めて向かい風の威力を思い知った。

 国道を横切って秋月の市街に這入る手前でショートブレイク…正面に古処山の姿が見えていた。小休止後ぺダリング再開…まだ人影の少ない街の中を抜け登山口へ漕ぎ登って行った。11時20分ごろ登山口手前の駐車場に着いた。

 チャリンコを二台絡めてロックし歩行開始…。登山口から暫く渓谷沿いの林道を登り、幾つか橋を渡って石畳の道になると間もなく古処林道終点の五合目で、マイカーが5〜6台駐車していた。出発時は、古処山へ登るつもりだったが、紅葉谷登山道に這入ってN田氏に屏山へ行こうか?と打診した。

 落ち葉の積もった急こう配のジグザグ道を登りきって、兵どもが夢のあとの「秋月山城跡」に出ると、後は、天然記念物に指定されたツゲの原生林の中の緩やかな道になる。実生の幼木から樹齢○○年に達する大小さまざまなツゲ林は見事というよりしか無い。山頂下の捲き道を暫く行くと、古処山から来た縦走路に出る。

 この付近は植林と自然林が密集している為、日が射しこまないので昼でも薄暗い。木の階段などがある登り坂道を登り終えると、やや勾配も緩やかになり、苔の生えた石灰岩のモニュメント群が出迎えてくれる…。山頂手前で何人かの登山者と離合した。

 12時55分ごろ強風が吹き抜ける標高925mの屏山々頂に到達…登山口から約一時間半だった。足許には黄金色に熟れた田圃が広がる嘉麻地方や、遠くには頭を削り取られてしまった香春岳が見えていた。

 汗で濡れたシャツ姿には吹き付ける風が寒かったので、石灰岩の陰に座り込んでランチタイムにした…。コンビニ弁当をパクパクと平らげ滞在時間15分ほどで下山の途に…。古処山には寄らずにツゲの原生林を経て、水源が詰まって空舟の水舟付近からノーマルルートに入り沢沿いの道を下って、14時半前に登山口の駐車場に戻って来た。

 ロックを解錠し愛車に跨りぺダリング開始…下り坂を快調に下って治水遺跡の女男石付近で振り返るとN田氏の姿が見えない!写真などを撮って待っていると颯爽と現れ、開口一番「途中で帽子を落としたので…」だった。そして、帽子につけていたサングラスも何処かで落としたらしい…と、がっかりしていた。

 帰宅して写真を見ると、山頂写真を撮った時にはまだ帽子についていたので下山の際に紛失したのだろう。私も、成竹山チャリンコ登山の際に遠近両用メガネを紛失してしまったが、眼鏡は、壊したり無くしたりすることが多いようだ。

 往き道では猛烈な向かい風区間だった秋月旧街道に這入ると、ニコニコの追い風!ジワ−ットしかペダルを漕いでないのに、速度メーターを見ると約30km/h出ている…。おまけに先の住宅地付近が水道工事で車両通行止めで、道の真ん中を気にせずに通行出来て殿様気分だった。

 コスモスと黄金色に熟れた稲穂の旧道を暫く走って、前回も立ち寄った筑前町の饅頭屋さんで一休み…。冷たいお茶と饅頭がとても美味しかった!エネルギー補給後は往路をそのまま引き返し、観光客で賑わう大宰府を抜け、都府楼前付近で春日市へ帰るN田氏とバイバイし16時半前に無事我が家へ帰着した。








〜 ★ 三郡縦走で疲れた足腰の筋肉をほぐしに四王寺山へ  (9/9)… 

… 焼米ヶ原の緑と真っ青な空  … 


2014/9/9  快 晴 

自 宅 (11:40) ⇒ 四王寺山(焼米原)(12:26~12:45) ⇒ 発掘現場 (12:50~13:12) ⇒ 自宅 (13:20) 




 一昨日の三郡縦走でへたばった筋肉を解しに、Mtbで四王寺山の焼米ヶ原へ行って来た…。何時もは、総合体育館の前から林道を登ってたが、今日は気分転換にコースを変えて雉ヶ尾林道から登って見た。

 大城林道と合流する付近までは此方の方が道幅も狭い上、頭上近くまで樹林の枝が覆って薄暗く、行き来する車も散策する人たちの姿も殆どない。昔、仮屋湾にダゴチン釣りに行ってた頃、この付近の赤土をバケツに詰め込んで行ったものだ。

 合流して第一休憩ポイントの四阿まで漕ぎ上がって立ち休み…薄めたスポーツ飲料を飲んで水分補給。四阿の付近には橙色のコスモスの花が秋風にユラユラ揺れていた。

 小休止15秒…このたった15秒の休憩で上がっていた心肺が落ち着いてくれるから不思議だ。新たな力が湧いたようでペダルを踏みこむ脚が軽くなった気がする。ポチのお墓の前を「今日も頑張ってるよ…」と声をかけながら通過、24番カーブからの急坂を上りきって林道最高点に出る。

 風を切って下り坂を一気に下り、野外音楽堂を通過しモミジ谷分岐から県民の森入り口へ…。前回来た時もそうだったが、今日も毘沙門天遊歩道入り口付近で、私年配の人が、望遠レンズをつけたカメラを三脚に固定し、野鳥の姿を辛抱強く待っておられた…。同じ趣味でも片や「静」こちらは「動」と両極端…目礼を交わし通過した。

 黄色く熟れた稲穂の田んぼを見ながら小さな集落を越し、最後の上り坂を頑張って大宰府側の峠に到着…水飲み場の芝にチャリンコを立て水浴び…蛇口をひねって頭からジャブジャブとかかった。

 緑の芝生と吸い込まれそうな群青色の空の青さが目に鮮やかで、背後に見える宝満山の姿がすぐ其処に見えていた。ひょっとしたら、久住方面の山脈も見えるかな…と期待してたが、遠方は霞んでおり、耳納連山とその奥の御前釈迦岳辺りまでしか見えなかった。

 展望台ピークで辺りの景色を見ていると、小さなリュックを背負った80歳ぐらいの登山者が登って来られた。剪定ばさみを持ってあり、何事か独り言を言いながら、パチンパチンと鈴なり状態に実をつけた笹栗の枝先を切りとっておられた。

 彼曰く「こんなに鈴なり状態では実が大きくならん…こうして剪定してやれば大きな実がつくのだ!」と地べたに切り落としていた。その切り落としたイガ栗を登山靴で踏みつけて「ホラ、こうすればイガイガに刺されんで実がでてこうが…」と言いながら、出てきた小さな栗を集めておられた。

 秋は万物実る収穫の季節…山歩きも余禄を愉しめる季節だ。剪定ばさみの彼と暫く話していると、胸につけていた葉っぱのついた小枝を見せながら、ホラ木の葉の出方を見てごらん…「右右・左左・右右・左左・・・・と出ているじゃろ…」と、手品でもするような口ぶりで愉快そうに説明された。

 木の葉がどんなふうに枝についているか、あまり関心が無かった私は常識的に、木の葉は枝に、右・左・・・・と、交互についているだろうとしか思っていなかったので、目の前で説明されて不思議に思った。「この葉っぱは何の木の葉っぱですか?」と訊くと「是はな、ヤブニッケの木じゃ…」と言いながら、また胸のポケットに花でも飾る様に挿しこまれた。

 黙っていつ飛んでくるか判らない野鳥を待つ老人…木の葉等の植生に関心を持つ老人、私みたいに身体を動かしてばかりいる老人…同じアウトドアを楽しむ老人も千差万別だ。  陽光みなぎる大空の下、下界のしがらみを忘れて過ごすこの一瞬は何物にも代えがたい。剪定ばさみの先生と別れ、Mtbを留めた水場に戻り木陰のベンチに座って昼食代わりのアンパンを食べて下山の途に、途中、昼休み中の発掘現場に立ち寄り、元気な仲間の顔たちと暫く駄弁った(私は9月が雇用規約関係で1箇月休み中)








〜 ★ 雨ばかりだった8月…最後の日曜日は青空!Mtbで四王寺山へ一汗かきに  (8/31)… 

… 焼米ヶ原の展望広場の笹栗ちゃんが大きくなっていました  … 


2014/8/31  晴れ 

自 宅 (10:50) ⇒ 四王寺山(焼米原)(11:38~:45) ⇒ 自宅(12:07)




8月も今日で終わり…本当に異常ともいえる気象で、冷夏と長雨のもたらすつけが怖いぐらいだ…キュウリが一本100円もするとテレビで云ってたが、一事が万事、諸々に影響が出て来るのは間違いない。

 14時ごろから市民ホールで、「迷子座」という地元市民劇団による(牛頸年貢騒動)という舞台劇を妻と観劇に行く予定だったが、午前中は暇だったので一汗かきに四王寺山へMtbで一走りに出かけた。

 大野城総合体育館付近までは殆ど平坦道だが、大城林道に這入るとギアダウンさせられスピードもダウンする。気持ちの良いように流れ出る汗が額からタラタラ流れ落ちる…ハーハーと息を喘がせながら坂道を登って、何時もの休憩ポイントの四阿で立ち休み、此処まで家から25分だった。

 ひと息ついて出発…日曜日とあって林道を散策する人、四王寺山に登る人、ジョギングを楽しむ人…達が多く、離合したり追い越す度に「こんにちは…」と挨拶をしながら漕ぎ登ったが、こうも人の目が多いとデレデレ登っては恥ずかしいので、ツイツイ全力投球状態になってしまい、何時も二回目の休憩ポイントの24番カーブ箇所も通過し、一気に坂道の頂点まで行って仕舞った。

 後は音楽堂から県民の森入り口までは快適なダウンヒルで、風を切って下る爽快感が登り坂のきつさを吹っ飛ばしてしまった。県民の森入り口付近の田んぼの稲穂が頭を下げ、一足早い山里の秋を告げていた。

 県道の坂道を登り上がって焼米ヶ原の芝生広場の水場の前まで、自宅から48分だった…。水道の水を頭からかぶってすっきりしたところで展望台へウオーキング…足許の太宰府市街を眺めながら展望台に登って深呼吸…目の前の笹栗のイガイガくんも、二週間前に見た時に比べ大きくなっていた。

 遠くはボーっとしか見えていないが、宝満山は直ぐ近くに見え、トンボがのんびりと頭上を遊泳していた…。8月も今日で終わり、不順だった天候がこの先どう変わって行くかが心配だ。北アに行く頃には何とか好天に恵まれる事を期待したい。

 今日は、半袖シャツだけで登って来たが、上りは兎も角、下り坂では汗かいた身体に冷たく風が感じられた…。此のまますんなりと涼しくなって秋が早くやって来るのだろうか?焼米ヶ原から22分で帰着…。愛車ロックホッパー君と山靴などの手入れなどをしてシャワ−を浴びた。








〜 ★ 久し振りの青空にMtbを引っ張り出して四王寺山へ  (8/17)… 

… 焼米原の水場にチャリンコを置いて展望広場へ  … 


2014/8/17  晴れ 

自 宅 (12:30) ⇒ 四王寺山(焼米原)(13:22~13:35) ⇒ 自宅(14:05)




 8月に這入って太陽が何日顔を見せて呉れたろう…?まるで、梅雨が戻って来たような気圧配置で、連日鬱陶しい雨模様の日が続いて、涼しいのは良かったが、やはり夏は、じりじり焼けつくようなお天道様が照りつけてこそだ。

 毎年うるさい程、ウワッシ…ウワッシ・・・と、鳴いていたクマゼミの声も今年はあまり聞かずに終わったようで、ツクツクボウシが鳴き始めている。海や山…などは閑古鳥が鳴いているだろうし、各方面に、この季節の変化は大きな影響をもたらしている事は間違いない。

 昼前から何だか天候回復の気配で、夏の青空が広がりはじめたので、鈍った身体の調整に取り敢えずチャリンコで四王寺山へ汗かきに出かける事にした。明日からまた仕事も再開するので、少し気合を入れておかねばならなかった。

 総合体育館の横から林道を漕ぎ登って行くと、路面には落ち葉や木くずが散らばっており、帰りの下りはハンドルを取られないよう、気をつけねばならないな…と思いながら、久し振りの四王寺林道をボチボチ登って行った…。

 77歳まで後2ヶ月半…もう80歳の大台が直ぐ其処だ。日一日と確実に老化現象は進んで、気力、体力が衰えて行ってることは間違いないし、自覚もしている。来月の北ア登山(穂高〜槍縦走)が迫っているが、毎年々、何時までハードな登山を続けて行けるのだろう?と思っている。

 近い将来、山を遠くから眺めるだけになる日が来るのだろうが、自分自身でそれが果たして何時だろうか?その線を引けずに悩んでいる。

 そんな迫りくる日々を少しでも伸ばしたくて、発掘作業などで泥まみれになって汗をかき…又、こうしてMtbを漕いで息を喘がせながら山を登り、暇を見つけては近郊の山に出かけ体力を培い、何とか高みを目指して気持ちだけは挫けないようにしていきたい。

 何時もの一回目の休憩場所の四阿までノンストップで辿りついた。息子が一昨日、私のMtbにシングルスタンドを取り付けて呉れた…。何時も、留めるときは横倒しにするか、物に立ちかけていたが、今日は、早速スタンドを立てて留め置くことが出来て助かった…。あれば便利だろうと思っていたが、ついつい横着を決め込んで取り付けなかった。

 四阿のベンチに座ってドリンク休憩…すぐ横に、白い乳母百合の花が咲いており気持ちが安らいだ。1分ほど休んで出発…青空がどんどん広がり心も爽やかな気分になる…ポチのお墓の前で「頑張ってるよ…!」と声をかけて通過した。もう、ポチが死んで30年以上になるが、此処を通る時は必ず元気な時の姿を思い出す。

 24番カーブを過ぎると我が街が見えなくなる。此処から500mほどが勾配がきついが、何とか持ちこたえて林道最高点に出る。喘ぎ登った坂も終わり私の好きな下り坂道…風を切って駆け下る爽快感は最高!

 野外音楽堂まで下って来ると、左手に宝満山から三郡山方面の山脈が見えて来る…。この林道コースで気持ちの良い区間で、鼻歌でも出てきそうだ…。紅葉谷入口から一気に下ると宇美から来た県道で、右手には県民の森公園がある。

 山間の田んぼの稲は早くも稲穂をつけて黄色く熟れかかり、秋の風情を醸しだしていた。県道の上り坂をエッチラオッチラ漕ぎ上がって焼米ヶ原の広場に到着。雨上がりの芝生の緑が目に鮮やかで、白い雲と真っ青な空…吹き抜ける風が何処か秋の気配さえ漂っている様だった。

 水場の水を頭からかぶってオーバーヒート気味の身体を冷やし、Mtbのスタンドを立てて草原の上の頂に向かった…。足許に広がる太宰府市街の向こうには、九千部山〜脊振山が久し振りに全身を見せ、天拝山の麓の高速道を走る帰省ラッシュの車のガラスがキラキラ光っていた。

 頂き付近には、イガイガの鎧を纏った小ぶりの笹栗が、たわわに実って、小さな秋を告げている様だった…。暫く、頂きで久し振りの日光浴を楽しんだ…。一角には、ママコナに似た花が群れ咲いていたが、その淡いピンク色が素朴でとても綺麗だった。

 ブラブラと下って行くと、マイカーで来られた家族連れと何組かすれ違った…。秋の標しの笹栗を一枝頂いてきたのを、ハンケチで包みハンドルのステイに括り付け、焼米ケ原を後にし、県民の森から林道を登り返して帰路に就いた。あと少しで体育館と言う所で後ろからロードタイプがスーッと追い抜いて行った…。

 平坦道や登りではロードタイプには叶わないが、下り坂ではMtbでも引けはとらない…止せばいいのに良い年こいて追跡開始!体育館前で追いつき横に並んだ…。挨拶すると吃驚し、私の顔をまじまじ見て(あんた何物?)と言った顔をしていた。まだ俺も若い!






〜 ★ チャリンコで糟屋町の史跡説明会へ〜その足で猪野大神宮の遠見岳登山口から遠見岳往復  (7/19)… 

… 神宮正面階段前にチャリをロックし山頂往復  … 


2014/7/19  晴れ 

自 宅 (9:10) ⇒ 糟屋町史跡(9:42~11:15) ⇒ 久原付近(12:20~昼食12:40) ⇒ 猪野大神宮(13:05~13:10) (徒歩で〜)遠見岳山頂 323m (13:41~14:12) ⇒ 登山口(14:28~33) ⇒ (チャリンコ) 自宅(15:45)




 粕谷町大字阿恵地区の九大農学部付属農場の移転及び県道新設工事に伴い、粕屋町教育委員会が発掘調査中に、飛鳥時代から奈良時代(西暦700年頃)の役所跡と見られる遺跡を発見…その現地説明会が行われると、新聞に載っていたので、現在携わっている仕事柄、是非見て置きたいと思っていたのでチャリンコで現地へ向かった。

 説明会の開始前15分ごろ着くと、会場付近は大勢の見学者たちが、発掘されてその遺跡を見せる区画周辺で興味津々と眺めていた。小学校の校内にチャリンコを置き、表土を剥がれた遺構のある田んぼ跡のテントで、係りの人から資料を貰った。

 土曜日と晴天という事で考古学ファンたちの視線が、仮掘り状態の柱穴などの遺構や、コの字型に配列された建物の痕跡などを、梅雨明けの強い陽射しの中にも拘らず熱心に見ておられた…。10時ごろから担当の職員が資料を基に丁寧に、糟屋評…(カスヤノコオリ)についての説明や、昨年発掘された正倉群跡や、奥側にある前方後円墳の鶴見塚古墳など、この地が律令国家形成過度期に置いて極めて重要な遺跡であるらしかった。

 今回は、この九大農場が移転の為に発掘され、こんな重要な遺跡が発見されたが、移転後にはこの重要な遺跡文化財跡地も、工場や道路…住宅地等々によってその在処さえ分からなくなってしまう事を考えると、その損失は銭金には代えられない。是非、行政の力でこの貴重な遺跡群を保存し、子孫末代に残して行かねばならない…と、今は、未発掘で荒れている前方後円墳の鶴見塚古墳の前で考えた。

 古墳を見てからこのまま帰るのは勿体ないから、何処か適当な山は無いか…GPSで近郊のカテゴリーを見ると「遠見岳」なる山があった。此処から北東の久山町の方向だった…。篠栗方面へ県道を東進し篠栗町付近から左折し、篠栗バイパス201号の側道を走って、辺木付近から県道547に這入った。小さな丘陵地帯を越え下って行くと久山町の久原に出た。

 時計を見ると12時20分過ぎ…右手に清流が流れる小川があったのでランチタイム場所に決定…。川には大きな黒鯉が悠然と泳いでいた…。少し先の木陰の下に、古びたベンチがあったので移動。ザックからアンパンと夏みかんを取り出しパクついた…。川面にはトンボがスイスイ羽根を光らせ、水流にユラユラ揺れる水草がとても涼しげだった…失われつつある日本の原風景が其処にあった。

 20分ほど休憩後出発進行!チャリンコに跨り少し行くと県道21号に出た。右折し広い道を東進して行くと何だか見覚えのある景色が…正面の山は、昨年だったかに登った首羅山遺跡見学会の白山(首羅山)だった。白山神社の前から左折し丘陵地帯を越えると猪野の集落で、丁度、自転車で通りかかった私年配の婦人に、遠見岳への道を尋ねた。

 私の格好を見て「自転車じゃ登れんと思うヨ…私も頂上まで行ったことは無いが、猪野大神宮の境内から登山道が続いているよ…」と、立ち止まって教えて頂いた。暫く自転車で神宮への道まで同行して下さった…参道には大きな鳥居が道を跨いでおり、自転車の夫人が「向こうに見える山の一番左が遠見岳です…」と説明された。桟道の片側には清流の流れる小川が有り、綺麗な緋鯉が気持ちよさそうに泳いでいた…津和野を思い出した。

 神宮前に来ると公園化された河川敷が有り、大勢の親子連れの人達が冷たい清流に水遊びをしており、子供たちの歓声が谷間に広がっていた。さて何処から登るのかな?と突き当りの石段の前に来ると「遠見岳登山道入り口」と書かれた立派な標柱が立って居た。遠見岳は300m前後の低い山だが、かっては見張り台を兼ねた山城もあったそうだ。

 自転車をロックし出発しようとしていると、公園関係者らしい人が歩いていたので、遠見岳のことを伺うと「少し登ると古宮が有ります…以後山頂までは少し勾配はありますが整備されております」と言いながら、私の格好を見て「貴方なら40分もあればユックリ登れます…」と笑いながら、太鼓判を押してくださった。

 苔の生えた谷間を流れる水音と、樹齢100年を越えたであろう大杉の立つ石段道を登ると古宮の横で、若い女性が神職らしい服装の僧から呪いのような祈祷を受けておられた。その先の石作りの堰堤を越すと山道になって、山頂へ続く尾根道になった。周囲は鬱蒼とした自然林で陽も射さず、GPSも衛星からの電波が遮られ何も映らなかった。

 谷間のせせらぎの水の音と思っていたらそうでは無く、夏ゼミの大合唱がジャージャーと耳を圧した。彼等も、長い梅雨が明けたのを本能的に察知し、それ出番だ…とばかりに一斉に鳴き始めたのだろう…そんな山道の横にはステンレス製のキラキラ光る鎖が取り付けられており。此処を訪れるハイカーや山歩きを愉しむ人が多い事を窺わせた。

 自然林から植林に変わって直ぐに「山頂へ0,3km」の案内板があった。この付近に登って来るとセミの大合唱は聞こえなくなり、勾配も緩やかになって来た。樹林の天井付近から青い夏空が見え始めると山頂も近くなり、登山口から約30分で四阿の立つ遠見岳山頂に着いた。

 登山口の標柱もそうだったが、途中の山道の整備といい山頂の四阿や説明板等々…こんな低山では珍しい…。地元の自治体や住民の方々のご尽力によるものだと思う。展望台からの眺望は素晴らしく(特に海側)青海原の玄界灘と夏の青い空…白い雲が夏を一段と引き立たせていた。

 西方には福博市街が広がり、博多湾の向こうには糸島半島の里山や、糸島冨士の加也山が指呼の間に並んでおり、九千部山から脊振山〜金山〜井原山〜雷山…の脊振山系の山がパノラマを見るように展開し、足許には九州新幹線の線路が平野から山地へ続き、ガリバーの国のおもちゃのような列車がトンネルに消えて行った…。

 あまりにも景色と山頂が良かったので30分ほどゆっくり過ごした…。そろそろ下りようかなと思っていると黄色い声が聞こえて来、小3ぐらいの女の子と5歳ぐらいの男の子と一緒にパパさんが現れた。四阿を親子連れに譲り、チビちゃん達とハイタッチしてお別れした…。大きくなっても遠見岳登山の事は忘れることは無いだろう…。

 そんなに急いで降りたつもりでは無かったが、山頂から18分で登山口に下って来た…。水遊びの親子連れで賑わう神社前の猪野川の橋を渡って参道を下り、振り返ると、大鳥居の向こうの青い夏空の下に、登って来た遠見岳が別れを惜しんでいた。往路を篠栗へ引き換えし、門松から、県道古賀〜大宰府線にチャリンコを漕ぎ、途中、宇美町付近のコンビニで熱中症対策の為に小休止…白くまくんとカルピスでヒートした身体をクールダウンした。

 今日は、久し振りのチャリンコ乗りで心配したが、何とか無事に我が家に帰り着いた。走行距離は約65qだったが、登り勾配箇所が少なかったのでさほど疲れなかった。次回からはボッカ訓練で秋の北ア入山に備えねばならない。






〜 ★ チャリンコでしょうけ越しへ…徒歩で若杉山往復  (7/5)… 

… チャリンコで久し振りにしょうけ越しへ〜徒歩で若杉山往復 … 


2014/7/5  晴れ 

自 宅 (10:30) ⇒ 須惠町ダム(11:31) ⇒ しょうけ越し (11:57~12:05) ⇒ (徒歩で〜)若杉山大祖宮(12:41~:50) ⇒ しょうけ越し(13:19~:25) ⇒ (チャリンコ) 自宅(14:01)




 先週に続いてチャリンコで山歩きへ…今日は、何処にしようかグーグルマップで近辺の候補地を探ってみると、糸島海岸の柑子岳(コウシダケ)や天ヶ岳(アマガダケ)などが、チャリンコで近くまで行けそうな手頃の山だった。

 そちらにしようかと気が傾いたが、脚力や心肺機能訓練には平坦すぎるので又の機会に取って置き、しょうけ越しから若杉山へ行くことにした。成竹山へ誘ったN田氏にTELすると「今日は宝満山へ登ろうと思っています…」と、やんわり逃げられた…?

 10時半ごろ自宅を出て、県道大野城〜宇美線を走っていると、市町村境界を過ぎて直ぐの橋梁の向こうに、今から向かう若杉山やしょうけ越しの鞍部が「サーお出で…」と待ち構えており、ムラムラっと闘志をかき立てさせて呉れた。

 県道60号線の須惠町付近までは殆ど平坦道だが、集落を外れるころから勾配が増してきてギアダウン…平均時速が10km/h程に落ち込んでしまう。土曜日だが結構に車の通行も多く、路肩をヨロヨロ走るチャリンコを見て、車はセンターラインを越して追い越して行った。

 最後の人家を過ぎるとUターン上り坂が始まり、ターンするごとに高度を稼いで行くが、エンジンの方はフル回転…心臓パクパク、肺臓はひーひーハーハーと悲鳴を上げる!でも、立ち漕ぎを交えながら何とか、須惠ダムサイトまで休憩なしで漕ぎ登った。

 何度もこの道を登ったが、此処まで途中休み無しで直行したのは初めてだった…。小休止し補水と飴玉で、この先の坂に備えた。気合を入れてサドルに跨り出発…追い越して行く車の排気ガスと騒音を受けながら登って行ったが、ダムサイトから勾配がきつくなり、速度も歩くのに毛が生えた程度まで落ち込む。

 ヘルメットをかぶった額から汗がポタポタ流れおちて目に這入る…己の肉体と精神への試練である。漕ぎ止めて一休みしたくなるが、あと一曲りまで…一曲りまで堪えて、37カーブ地点で立ち休み…呼吸を整え再出発し、最後のカーブを曲がると目前に峠に架かる陸橋が架かるしょうけ越しの峠。

 家から丁度一時間だった。チャリンコを標識の杭にロックし、陸橋のある縦走路に出て若杉山へ歩行開始…が、暫くは、チャリンコ漕ぎの筋肉から、歩き筋肉へのチエンジがうまくいかず、歩行に違和感があった。山道に這入った直ぐの所にある避難小屋(廃屋寸前)の三角屋根の苔の色が、廃屋の暗いイメージとは裏腹に綺麗だった。

 歩き始めて5分もすると歩き筋肉も馴染んでスイスイと動きはじめ、尾根道に出て若杉山山頂へのアプローチ道は半ば小走り気味だった。小さなピーク付近で前を歩いていた青年二人に追いついた…背負った大型ザックは優に25kgは越えていそうだった。

 訊くと、K大山岳部の部員で、今夏の夏山合宿(北ア・槍周辺)に備えての特訓中との事だった…。私も秋には北アに這入りますが、それに備えて今はチャリンコで心肺訓練中ですよ…お互いに頑張りましょうとエールを交し先行した。

 山みょうがの緑の葉っぱの茂る道を行き、杉林の中の急坂を登ると若杉鼻の展望岩場で南側の視界が開ける。少し靄のかかった視界の向こうには、砥石山から三郡山への山脈が連なり宝満山はおぼろだった。足許には、今漕ぎ登って来た県道60号のヘアピンカーブが見え隠れしていた。

 小休止後出発し、最後の坂を登り上がるとNTT等の建築物などのある山頂…通過して山頂のお宮に向かった。大祖宮に着き、鈴を鳴らして参拝し、チョロチョロ出ている清め水をボトルに補給した。拝殿の下で休憩中のオバーチャン登山者が、「水は奥の院に行ったら有りますよ…」と教えて下さった。

 身長は140センチぐらいの彼女の足許は、手入れの行き届いた皮の登山靴で、良く山に登るのですか?と訊くと「昔は三郡縦走などしていましたけど、齢をとったらやっと此処まで登って来るのが精一杯です…」齢を訊くと「昭和5年です…」という事は、私より5歳も先輩なのだ!

 私自身も11月で77歳になるが、こうして82歳になっても一人で山に登っていらっしゃる彼女を見て、まだまだ、年齢を言い訳に山から遠ざかることは出来ない…と、改め思い知った。暫く四方山話などをして、どうぞ何時までもお元気で好きな山登りを愉しんでください…と、お別れした。

 山頂へ登り返していると先程の青年二人と離合した…82歳のオバーチャン登山者にお会いした後だけに、彼らの若さ溢れる姿が一層際立った。北ア合宿でこの成果が出る事を祈ってますよ…と言葉を交わし、行き違った。

 時間的に、宝満山から縦走してきた登山者たちと離合しながら峠のしょうけ越しに着いた。橋の上から今から降って行く県道を眺め、チャリンコのロックを外しサドルに跨った。サー、一気に須惠町までダウンヒルだ!

 ヒーヒー漕ぎ登った地獄道も、下りは風を切って駆け下る快感道!MAX67q/hで、あっという間に須惠町へ…そのまま余韻を味わいながら漕いで、峠から35分で我が家に帰着した。我が頼もしい愛車のロックホッパー君も、購入して早18年になるが、まだ健在で彼方此方にお供してくれている。仕舞う前の手入れをしながら「この先も頑張ってくれヨ」とお願いした。






〜 ★ チャリンコで那珂川町の成竹山リベンジへ…  (6/30)… 

… 山頂で会友のY岡夫妻と奇遇…お互いに驚きました …


2014/6/30  晴れ 

自 宅 (9:30) ⇒ 共栄橋(10:25) ⇒ 林道終点 (11:03) ⇒ (徒歩で)成竹山(11:58~12:16) ⇒
林道終点(12:57~13:06) ⇒ 白水池うどん屋(13:45~14:10) ⇒ 自宅(14:35)




 山友のN田氏を誘い出し、一昨日、途中撤退した成竹山へ再度チャリンコでリベンジへ向かった。一昨日は、入山林道を間違え藪漕ぎ道で途中行き止まってしまったので、今日は、寺倉地区から登った。

 白水池のコンビニ前でN田氏と合流し、那珂川沿いの国道385を漕ぎ登り、共栄橋から右折し成竹山方面の林道に這入った。集落を外れると林道の傾斜もきつくなって、二人とも10km/hの速度でヨロヨロ運転だった。

 汗ブルブルになりながら、林道終点まで何とか漕ぎ登ることが出来た…。終点にはマイカーが一台停まっていたが、まさか、この車の持ち主が会友のY岡さんの物だとは思っても見なかった。

 チャリンコを二台纏めてロックし、登山口から入山した。やはり、こちら側からが成竹山へのメインコースらしく、踏み跡道がはっきりしており、目印の赤テープがいっぱい付いていた。

 登山道周辺の植林が間伐中らしく明るくなっていた。少し登ると直進コーと左折コースの分岐点に出た…。直進コースの少し先に「中村山荘経由山頂へ」の案内表示板があったので、そちらの方に這入った。

少し登ると右側に何やら雑草の茂る平地があった…みると、立派な石垣があり周辺には建築物の基礎のような跡もあった…是が、中村山荘跡だったのだ。こんな便利の悪い場所に立てられた山荘の謂れが知りたいものだ。

 山荘跡から踏み跡道を少し登ると、三叉路で、ケルンがあり境界石があった…。成竹山は左方向らしく、右方向は、隆岳方面へ行けるらしく、小さな標識が木の幹に付けられていた。

 三叉路を少し行くと又もやケルンと境界石がある三叉路で、小さな沢を横切って左折しなければいけなかったが、沢伝いに100m程直進すると小学生徒が作った案内板があり、今来た方向を示していた。

 Uターンし、三叉路に戻ってロープの張ってある斜面を取り付き、赤松の多い尾根道を東に行くと、大きな岩が転っていた。その横を通り過ぎると山頂で、先着の登山者が昼食タイム中だった。

 何と、その登山者はY岡夫婦ではないか…奇遇もいいとこだ!訊くと、彼らは金山に登るつもりだったらしいが、登山口付近が工事の為に通行止めだったので、行き当たりばったりに那珂川町の成竹山にやって来たらしい…。

 暫くは、その奇遇にお互い言葉を失っていたが、是は、山の神様の粋なお計らい以外何物でもない。世の中は得てしてこういう嬉しいハプニングが隠れており、N田氏を無理ヤッコ引っ張り出して成竹山に来た甲斐があったという物だ。

 Y岡夫人から蒸しパンを頂き、食べながら暫くお互いの近況などを話し、一緒に来た道を下山した。林道終点で又お会いしましょうと、我々は、車の二人に別れ、チャリンコに跨り風を切って林道を駆け下った。

 共栄橋から国道わきの広い歩道をノンビリ下りながら振り向くと、今、登って来た成竹山が、那珂川の清流に影を写して見送っていた。今日は、無事に成竹山リベンジツアーが出来た上に、山頂で会友に巡り合え、とても愉しい一日だった。






〜 ★ チャリンコで那珂川町の成竹山へ… 藪漕ぎ道で途中撤退 (6/28)… 

… 成竹集落の林道にはヤマモモの実がいっぱい落ちてました…


2014/6/28  曇り 

自 宅 (11:10) ⇒ 共栄橋(11:55) ⇒ 林道終点 (12:45) ⇒ 藪漕ぎ道U-ターン(13:22) ⇒ 林道終点(13:39) ⇒
引き換えし(13:48) ⇒ 藪漕ぎ終点地点(14:17~昼食~25) ⇒ 林道終点(14:40) ⇒ 不入道(14:57) ⇒ 自宅(15:35)




 週末の仕事の合間と晴れ間を利用し、チャリンコで那珂川町の成竹山へ向かった…。結果・・・は、トンデモナイ藪漕ぎ道で標高360m付近で立ち往生!惨めな敗退でした…。その上、シャツの胸に挿していた遠近両用の眼鏡を藪の中に紛失し、途中で気づき、引き返して探したが見つかりませんでした…高価な紛失物で後ろ髪惹かれる思いで帰路が遠かった…。

 成竹山は、麓から見ると三角錐の形をした見栄えの良い山で、何時か機会があればと思っていたが是まで縁が無かった。那珂川町の裂田溝公園の四阿付近で南を見ると、今から向かう成武山が、民家の屋根の上に背を伸ばして私を見下ろしていた…。

 共栄橋を渡った所にある自動車整備工場で、作業中の人に登山口を尋ねるがあまりはっきりとはご存じでは無かった…。事前の情報やGPSを見ると三箇所ほど登山口らしきものがあった。結果としては、この自動車整備工場から右折する、寺倉コースが正解だったことが帰って他の人の情報を見て判った。

 で、私はそのまま直進…那珂川と国道385号線を左手に見ながら小道を成竹集落方面へチャリンコを転がした…。GPSは山の方向は赤いラインで示しているが、実際に進行する道路は示されていないので、赤いラインの方向に向かって道を探しつつ登って行った。田舎道は狭く油断してると、他人様の屋敷に通じる道に這入ってUターンする事もあった。

 結構きつい登り坂をローギアで登って行くと、前から軽トラがやって来たので横に避けると、おばーちゃんドライバーが「何処へ行きよんなさるとな…」と、ウインドウを開けられた。成竹山へ行ってるのですが…と言うと、エンジンを止めハンドブレーキをギギッと引いて「成竹山は寺倉地区から登った方がいい…私は登った事はなかバッテン…」と心配そうに私を見つめられた。

 私が、折角此処まで来たので、この先の林道から山道がありそうなので登って見ます…と言うと、「貴方は格好は若うしとうが幾つですな??」76になりますと応えると「ホー感心ヤナー私より6歳も若いバイ…」と皺だらけの顔でニッコリ笑って「気をつけて行って来なっせー」とエンジンを起こし、颯爽と坂道を下って行かれた。

 暫く坂道を登って行くと道に赤いヤマモモの実がいっぱい落ちていた…上を見るとヤマモモの赤い実が沢山なっていた。私たちが小さい頃は小さな竹のテボに摘んで食べたものだ…。今の子供たちはヤマモモの味を知らない…。

 GPSの地図に導かれ急な林道を(この道は私道だったらしい…最終地点に別荘みたいな建物があった)此の終点から昔の古びた林道を7分ほど押し登ると道が無くなっていた…。チャリンコを道端にロックし歩行開始…いきなり藪道…少し登ると旧い林道の面影が現れる…。植林の中にデカい大岩が転がっていた。

 やがて、その旧い道も藪などに覆いかぶされて無くなり、小さな沢の中を辿り登るようになった…。この時期はブヨ類が多いが、汗に呼び寄せられたブヨが顔の周りを払っても払っても飛び廻り煩わしかった…眼鏡をはめていたので、眼と眼鏡のガラスの間に這入ったりするので外して胸のシャツに挿していたが、何時落としたか知らないが何処かで落としてしまったらしい。

 時々赤テープがつけられている個所もあったので、誰かこのコースを登って行ったのは間違いだろうと思ったが、多分それは、こんなに藪が茂る以前の冬の時期かも知れない。20分ほど沢の中を登ったり植林の中に這入ったりしながら登ったが、藪が前方を塞いでおり前進不能…GPSを見ると山頂まで直線距離では500mほどだが、鉈も鎌も持参していないので今日は降参してUターン決定…引き返した。

 チャリンコをロックした地点に戻って急な落ち葉と小枝が散乱する道を下って行った。集落近くの林道に合流する手前で横断中の蛇を危うく轢きそうになった…枯れ枝と見分けが利かなかったので気がついて良かった。そのすぐ先のT字路の草叢に美しいピンク色の花が咲いていたのでパチリ…名前は?。

 写真を撮って気がついた…あれっつ眼鏡は!胸のシャツには付いてない…。安いメガネなら諦めたろうが、〇万円で作った眼鏡なので、多分見つかる可能性はないだろうが、今来た道を引き返し!まさか、こんな道を二度も登るとは夢にも思わなかった。チャリンコロック地点から徒歩で藪道に這入り、鵜の目鷹の目になり汗ブルブルになって最終Uターン地点まで引き返すも見つからなかった!!

 そういえば昼飯はまだだった…時計を見ると14時過ぎ。小型ザックから、行動食のチョコレートパンと蒸し芋を取り出し腹に収めた…何処に消えたのかメガネちゃん!下りながら再度探して行ったが駄目だった…。チャリンコの所に戻り後ろ髪惹かれる思いで帰路に就いた…。

 集落から不入道方面への道で、先ほどの軽トラバーチャンに行き合った…。軽トラを止めたオバーチャンに、道が藪で成竹山には登れませんでした…と言うと「じゃろ-ナ-あそこから登りよる人は見らんもん…今度は寺倉地区から登りなっせ…」と親切に慰めて戴いた。

 近いうちに寺倉地区から是非リベンジしよう…と思いながら踏むペダルは少し重かった…。






〜 ★ GPSに誘導されてチャリンコで契山へ (6/14)… 

… 林道を登ったり下ったり・・孟宗竹林の落ち葉道は雀のお宿へ向っているようでした…


2014/6/14  晴れ 

自 宅 (9:40) ⇒ 山口集落神社(10:10) ⇒ 山神ダム (10:35) ⇒ 平等寺下村(10:45) ⇒ 契山麓(11:12) ⇒ 仲屋敷(11:27) ⇒ 自宅(12:07)




 久し振りにチャリンコで近郊の低山へ出掛けた…。GPSで近郊の里山候補を幾つかチエックアップした結果、基山のお隣に契山という名のお山があった…。その名前が意味深なので何か謂れが有るらしいが、出発前には何も判らないまま出発した。

 御笠川土手道を南へ向かって漕ぎ出すと向かい風…。晴れているのだがスモッグがかかった様な感じで(多分PM25値が高いのだろう…)軽快にぺダリングの気分には今一だった。高速道の横を走り、天拝山サイドから県道137号線に出た。

 GPSの画面には自宅から南へ11.89kmと出ていたが、是は直線距離の値なので実際は2倍近くの数値になる。山口集落の外れに何時も立ち寄って休憩する神社で小休止…。境内のフジ棚は散り終えて緑のすだれになっていた。今は、アジサイの花が見ごろで、此処まで来る間にも目を愉しませてくれた。

 小休止後出発…浄水地付近から次第に勾配が増し、山神ダムの登りはエッチラオッチラの徐行運転になった。私はペダルに靴を固定していないので、ただ踏む側ばかりに力を入れるだけだが、固定しているとペダルを引っ張り上げれるので、力のロスが少なく効果的だが、転倒の事を考えると固定出来ないでいる。

 やはり、何でも習うより慣れろだが、近頃は、登り勾配時にはお尻の位置をサドルの後端に移動して漕いでいるが、力の伝達がうまい具合になるのだろうか、同じ労力でも駆動力が上がる様だ。

 そんな事をやりながらダム迄登り上がり一服…堰堤を少し対岸側に下って湖面を見るとほぼ満水状態だった。給水を取りながら四方を眺めると、九千部山は霞みの中にボンヤリとしか見えず、湖面を吹き上げてくる風が気持ち良かった。

 ダムを後に平等寺方面へ出発…休憩ごとにGPSで現在地と目的地を確認しながら走り、平等寺下村バス停付近から左折し林道に這入った。此処から先は初めて通る道で、GPSが無いなら何処に出るやら皆目判らないので這入って行けないが、今日は、契山の麓まではガイドしてくれるので、ある程度安心だった。

 契山が何処にあるのか全然知らなかったが、GPSのお蔭で見知らぬ里山にもこうして訪れる事が出来るのは有難い。暫く段々畑を見ながら登って行くと、植林の中の道になった。坂道は部分的には、三郡の登り勾配みたいな箇所もあったが距離が短く、立ち漕ぎしながらふらふら登って行った。

 下村バス停から20分ほど登った林道の最高点付近(標高360m)でGPSを見ると、南西方向に水平距離で350m付近が契山だった…登山道らしきものが見つからなかったので今回は山頂は諦め、偵察として林道をそのまま下って行った(実際は何回か登り坂もあった)高圧鉄塔付近から孟宗竹の林が増え、路面は笹の葉の絨毯道がった。

 そんな、竹林の道は雀のお宿への路のようで、宇治茶色した竹の葉の色がうっとりするように綺麗だった…。雀さんこそいなかったが、竹林の中から、ウグイスさんが透き通るような美声を聞かせて呉れ、暫しチャリンコを止めて聞き惚れた。

 暫く下って行くとフエンスが道を塞いでおり、横に通行止めの看板が立って居た…読むと伐採作業の為に本日限りの通行止めらしかった。チャリンコを担いで脇を通り抜けて少し下ると仲屋敷の集落で、橋を渡って県道に出た。

 後は、往路をリターンし12時過ぎに我が家に帰着した…。後で契山の事を検索すると、基山の大興善寺と拘わりのある山だと分かった…

「契山」名称の由来 福岡・佐賀に渡る山地、脊振山系の東端部(福岡側)には、基山(きざん)と契山(ちぎりやま)という2つの山が存在します。 契山の名称は、基山より地方に、緑の山地をもたらしたとされる神様「五十猛命(イソノタケル、イソタケル、イソノタケルノミコト、イソタケルノミコトとも表記)」の地元にまつわる伝説に由来します。 「五十猛命」が、基山の頂より下界を眺められた際に、地元の美しい娘「さこの姫」を見初められ、その後、基山のとなり山の頂にて、夫婦の契りを結ばれたといったあらまし(の言い伝え)です。 この伝説をもとに、こちらの山は「契山」という名称で知られるようになったといわれています・・・〜大興善寺HPより 〜






〜 ★ GPS(Gregon650TCJ)の試運転にチャリンコで須惠町の岳城山へ (4/27)… 

… 岳城山()山頂手前の中世山城跡より北西方面を望む…


2014/4/27  晴れ 

自 宅 (11:15) ⇒ 宇美駅前(11:40) ⇒ 皿山公園入口 (12:27) 〜徒歩〜 岳城山高鳥城跡広場(13:10~:15) 〜徒歩〜 ⇒ 皿山公園入口(13:15) ⇒ 四王寺坂(13:32) ⇒ 自宅 (13:57)




 昨日、購入した GPS(Gregon650TCJ)…。部厚いマニュアルを暫く見ていたが項目が多すぎ、面倒になってページを閉じた…。兎に角、電池を入れてSWオンしてみた。

 スマートフォンのような画面に暫くするとトップページが出てきた。地図のアイコンをタッチすると内蔵されいる地図画面が現れた…。トップページのメインメニューは、地図・目的地検索・コンパス・トリップコンピューターの4個のアイコンがあり、サブメニューのアプリアイコンは何と30個もあった…。

 こりゃ大変だ!暫くタッチスクーリン上を指でなぞって、色々な機能を拝見したが、率直なところ高機能すぎて自分の物にするには時間がかかりそうな気配d、追々慣れて行くしかなさそうだ…。試しに、自宅付近の路地を歩き廻り、地図に残った軌跡を見ると正確ではないが、路面周辺に記されていた。

 一遍に何でもマスターする事は出来ないだろうから、先ず使ってみる事にしてアプリを開き、近隣の山などの候補地を探し出した。その中に「岳城山」があった…情報によると往復15kmと手ごろだったので出かける事にした。

 GPS内には、日本登山地図と日本詳細道路地図が収められており、登山だけでは無く、知らない街へのチャリンコ旅にも活躍して貰えそうだ…。という事で、地図上の岳城山にポイントして画面を見ると、目的地に向かってピンク色のラインが記されていた。(因みに、岳城山へは初めてだった)

 岳城山は、若杉山の西側に派生した前山的存在で標高360m位の山だった…。インプットする時の条件が5項目ほどあったが、「勾配の少ないルート」をチエックしたので、宇美町から須惠町へ諸車の通行量の多い道路だったが、キャンセルして自分の良い方を選んでも良かったが、初めてのGPSに敬意を表して指示通りに走った。

 が、チャリンコにGPSホルダーをまだ取り付けていないので、ポシェットの中に入れていたので、分岐ヶ所に来る度に立ち止まって画面を見なければならないので不便だった…。宇美駅前で画面を確認序でに、内蔵カメラでモダンになった駅前広場の写真を撮ってみた。

 画素数は800万画素とかで、記録写真としてなら十分すぎるだろう…保存場所が内蔵メモリだったので、是もマイクロSDカードをスロットに挿入して保存場所にすると、撮影枚数も大幅に取り込む事が出来そうだ。帰宅後、PCに取りこんでみると自分で思っていたよりもいい線に撮れていた。

 須惠町中心部から佐谷方面へ暫く登って左折すると、皿山公園と呼ばれる須惠町の森林公園で、入り口の駐車場付近では警備員が交通整理をしており、山への入り口はチエーンが張られて諸車通行止めになっていた…。チエーンを潜って暫く登った場所にチャリンコをロックし、徒歩で山頂に向かう事にした…。

 標高的には、昨日走った四王寺山と変わらない高さなので漕ぎ登っても良かったが、乳母車を押して登っている家族連れなどや、のんびり景色を見ながら歩いている人たちに敬意を表して歩きにした…。至る所に今が見ごろの色とりどりのツツジの花が咲き、目に染み入る新緑と空気が心地よかった…。途中で林道をショートカットしているだろうと思われた階段道に這入ると、是は失敗でぐるーっと周回して元の林道に下りてしまった。

 やはり、GPSちゃんのコースを忠実に取らなかった罰だ…。車道に出て少し登ると道端に山から引かれた水場があった。杓子で冷たい水を汲んで顔を洗い、口に含むと乾いた喉がいっぺんに収まった。水場から少し登った所に薬師様?が祀ってあったが、先ほどの水場は此処のお浄め水だったのではなかろうか?

 水場から10分ほどで小広い台地上の所に出た…。此処は、中世のお城の址地だったそうで、一角には謂れを記した案内板が立てられており、高鳥城居跡とあった…。発掘仕事に携わってからは、こういう遺跡や遺構などを見る目が少し違ったようで、山登りの楽しみが一つ増えた。

 西南方面には我が街大野城市街や四王寺山が見えており、ツツジの咲く西方には須惠町から空港方面が望め、北側には福博の市街と博多湾がうっすらと見えていた…。お城を作る場所としては最高の場所だな…と、戦国時代にタイムスリップして古人の世界を思い偲んだ。

 5分ほど休憩し往路を辿って下山の途に就いた。帰り道はランニング… あっという間にチャリンコロック地点に帰着し、園地を出てから愛車に跨り帰路へ…。帰り道はGPSをオフにして、しょうけ越しルートの県道60号線に出て、宇美町から四王寺坂を経て14時ごろ帰着した。初めてのGPS使用のチャリンコと山だったが、まだまだ勉強不足で少しずつマスターして行きたい。






〜 ★ 久し振りにチャリンコで四王寺山へ汗流しに (4/26)… 

… 焼米ケ原の広場には春の草花たちが沢山咲いていました…


2014/4/26  晴れ 

自 宅 (10:55) ⇒ 焼米ヶ原(11:40~12:00) ⇒ 自宅(12:27)




 発掘作業も昨日で終わったので一安心…のんびりと休養したかったが、日々劣化するばかりの肉体の事を考えるとそうもいかない。まだもう少しはあっちこっちの山へ出掛けたいから、トレーニングを怠れば、そのつけはしっかり倍返しとなって、愉しい山登りが苦行になってしまう。

 という事で、軽く汗流しに四王寺山へチャリンコ漕いで走って来た…。大野城体育館の横から林道を登って行くと、ウオーキングを愉しむ人たちと何度も離合した…。もう桜の季節は終わって葉桜になってしまったが、木々の新緑が目に眩しく、吹き渡る薫風が爽やかだった…。

 久し振りの四王寺林道だったが、思っていたより軽快に走ることが出来ホッとした。何時もの休憩ポイントの四阿で小休止…サドルに跨ったままドリンクを飲んでいると、四阿の横に紫色の菖蒲の花が咲いているのが目が留まった…もう五月の節句も近いのだ。

 四阿から少し登った所に水場があるが、其処には毎年紫色のつる草の花が咲き目を楽しませてくれる…。その水場のコンクリートの擁壁に座って休憩している人は、交通指導員時代の知人だった。暫くぶりの再開だったので話に花が咲き、5分ほど会話を愉しみお別れした。

 ポチのお墓付近が木柵などが新しく設置され、模様が変わったようになっていた。大野城市街が見えなくなってくるカーブ付近からの登りがきついが、その坂道も昔のように喘ぎながらでは無く、齢をとったにも拘らず余裕で登れたが、是は、経験を積んだせいだろうか?それとも、チャリンコの漕ぎ方が自分では判らないが要領がよくなったせいだろうか??

 年の功より亀の甲かも知れない…。峠を越すと野外音楽堂まで快適な下り坂…思わず鼻歌が出る…。音楽堂には真っ赤なシャクナゲの花が咲いていた。左手に宝満〜山郡の山並みを見ながら下って毘沙門堂入り口を越すと、県民の森公園まで大好きな下り坂…!チャリンコの醍醐味はいろいろあるが、私は、この風を切って下って行く快感が一番好きだ。

 公園横から焼米ヶ原までの県道も私にとってはきつい坂道だが、昔のようにアヘアヘせずに余裕で登って行けるようになった。焼米ヶ原に着くと太宰府市街が目前に広がる…。耳納連山方面は春霞でボーっとしか見えないが、近隣の景色は手に取るように見えていた。

 チャリを留置し徒歩で山頂展望台へ…足許の草叢の中には、スミレ、タンポポや、私の好きなアザミの花( 花にはバッタの赤ちゃんが休んでいました… )たちが、初夏を思わせる陽射しを受けて輝き、展望台付近には、紫色のフジの花や、スイカズラの白い花などが咲いていた…。暫くそんな風景の中に身を置き、自然の息吹を満喫した。

 お昼のサイレンを聞きながら下山の途に…一気に県民の森まで駆け下り、登り返して野外音楽堂へ…。我が街、大野城市が足許に見えるカーブから下界までは、文字通り風を切ってクライムダウン…あっという間に、私たちの発掘作業現場サイドを抜けた。

 途中で、山用品店の好日山荘店に立ち寄り、予てから欲しいと思っていたGPSを購入した。消費税が上がる前にと思って3月に店へ行くと、店長のI上さんが「4月の大売り出しの時に買った方が徳ですよ…」と、親切にアドバイスされたので、それを待って今日訪れた次第だった。

 10万円也の値段は、貧乏人の私にとってはとても高い買い物なので迷ったが、GPSを所持しておられる知人の華二さんと一緒した時、その精度が良かったのでずっと気になっていた…。GPSの一番良いところは深いガスの日や、雪山などでのホワイトアウト状態時に、正確な現在地の掌握と目的地点に誘ってくれるのが魅力だった。

 まー、この精密機器を使いこなすことが出来るかどうかまだ未知数だが、華二さんたちに知恵を借りながら自分の物にしていければ…と思っている。という訳で、四王寺山ツーリングの帰り道は、私の新しい山装備品と一緒になった。因みに、消費税が上がる前の値段は税込みで99,750円だったが、消費税が3%アップしたのに、店の大売り出しセール10%引きで、92,312円と約一万円も安く手に入れることが出来、少し得した気持ちになった。






〜 ★ mtbに跨り往復95km漕いで朝倉の鳥屋山へ (4/3)… 

… 登山口は標高280mの鳥屋山キャンプ場…赤い前掛けをつけた石像さん達が出迎えてくれました…


2014/4/3  曇り後…雨 

自 宅 (10:15) ⇒ 吉木(11:00) ⇒ 筑前町(11:21)⇒ 美奈弥神社 (12:20~30) ⇒ 佐田集落 (12:50~13:10) ⇒ 鳥屋山登山口(キャンプ場) (13:27~35) ⇒

鳥屋山々頂 (14:08~15) ⇒ キャンプ場(14:35~47)
⇒ 佐田集落(15:02) ⇒ 筑前町(饅頭休憩)(16:19~42) ⇒ 吉木 (16:51) ⇒ 大宰府 (17:05) ⇒ 自宅(17:27)




 仕事休みの間に、一度はMtbで山の麓まで行って山に登りたい…と思っていた。で、往復100km未満で今まで登っていない山は無いか探した。幾つか候補の山があったが最終的には小石原近辺にある「鳥屋山トヤサン(645m)」が、距離的にも往復100km未満だし、登山時間も往復1時間半ほどで登れそうなので鳥屋山に決めた。

 愛車を出して、タイヤの空気圧チエックなどを済ませ10時過ぎの遅い出発だった。天気予報は曇りだったが、その通りで青空ツーリングは楽しめ無いようだった…。自宅を出て御笠川沿いの散り終えたサクラ並木の土手道に出ると…何と向かい風の洗礼!先のことを考えるとツイツイ別の所に変更しようかな…何て弱気の虫が出てきたが断ち切って、一路進路を南東にとった。

 久し振りのチャリンコ旅で、最初は巡航速度が決まらず戸惑ったが、20分ほど漕いで大宰府政庁跡で衣服調整後は、平坦地ではAV25q/h位で走っても苦にならなくなった…丘を越えて吉木集落付近の宝満川付近を渡りながら振り返ると、宝満山が頭の上に白い雲を見せ「気をつけて行って来いよ!」と見送ってくれた。

 阿志岐付近から国道386号線と並行して走る旧道に這入った…このコースは、昨年息子が教えて呉れた道で、道幅は狭いが、車の往来が少ないのでチャリダーにとっては走り易い道だ。山家付近でJRを踏み切って田園地帯の道に這入ると、麦畑の緑の色が目に飛び込んでくる…やがて、あげ雲雀の声が聞こえて来るだろう。

 田園地帯を東進して行くと東側に、農業用灌漑用水池が見えて来る…。散り残りの桜の木や、水面に浮かぶ水鳥の佇まいが絵にしたい構図である。こんな風景を眺めながら行けるのもチャリンコならではある…車ならあっという間に通り過ぎてしまうのは間違いない。スローライフ万歳!其処から少し行った所で、前方にチャリダ―のヘルメットが見えた。

 追いついて挨拶すると、私年配のロートルチャリダ―だった。暫く併進しながら話をすると、秋月の桜の写真を撮りに行っておられるそうだった。彼はS15年生まれだと云われたが、私がS12年ですと云うと「ウアー上には上がおるなー…」と感心しておられた。お互いに気をつけてチャリンコを愉しみましょうね…と、お別れし先行した。

 11時半過ぎに国道386バイパスに出ると、大型トラックなどの通行が多い道になって、端っこを排気ガスを浴びながらの走行になった。10分ほど走って、十文字から来た寺内ダム方面への道に這入ると交通量も減って気分的にもホッとした。

 寺内ダム方面へ暫く走って行くと丘陵地帯になった…。その丘陵は「美奈宣の杜」と呼ばれるシニア向けのニュータウンだそうで、どの家もモダンな造りで庭などのスペースも広く、ゆったりしたムードが漂っていた。そのモダンな建物が続くメインストーリーは歩道部分も広く、チャリンコで走っても快適だったが、漕ぎ登るには結構きつかった。

 坂の頂点付近には温泉やゴルフ場があり、「美奈宣の杜」の住人たちの憩いの場に提供してある様だった…。高齢化した日本では、今後こういうスタイルの商売がターゲットになるのかも知れない。坂の頂点で一休みしようとチャリから降りると、歩道の横に金属製の階段が切り通しの法面につけられ、入口には鳥居が立って居た。

 鳥居の額縁?を見ると、「喰那尾大明神」と書かれていた。昨日、ネット検索で適当な山を探している時、「喰那尾山 234m」と言う山が、甘木市にあるという事だったが、まさか、此処がその場所だとは思っても見なかった。階段を登って少し南へ行くと祠があって美那宣神社と判った。鳥屋山に登る前に「喰那尾山」に立ち寄れてラッキーだった。

 階段を下りてチャリンコに跨り再出発…モデル住宅街のメインストリートの下り坂を一気に下ると、甘木水の文化村と呼ばれる総合公園で、風に舞い散る桜吹雪を受けながら橋を渡ると、右手に寺内ダムの湖水が広がっていた。寺内ダムサイトを抜けると人里も無くなり、ダムに注ぎ込む佐田川沿いの道を登って行った。

 道路は佐田の集落付近はまだ狭いところもあったが、次第に拡張工事が進んでいる様だが、途中珍しい風景に出合った。拡張工事をする際に一本の木が邪魔だったが、その木は何か謂れでもあったのか切り倒されずに残り、その木を挟んで一方通行の道となっていた…。こんな人里外れた山の中の道だからこそ、切り倒さずに道を避けさせたことが嬉しかった…。現在のお役所仕事からすれば珍しい事である。

 そんな道を通り過ぎると、前方の前山越しに鳥屋山が頭を見せて来た…愈々、チャリンコ旅の片道区間の終点が近い。少し走ると佐田集落で、過疎化して人の姿も見えなかった。往時は、人や、犬、馬、牛など等で賑わっていたであろうメインストリーも人影はなく、廃校になった小学校の建物が往時を偲ばせるだけだった…。サテ、鳥屋山登山口は何処からだろう…と、集落の人家を尋ねても留守ばかり!

 偶々、車の横に人影を見つけたので尋ねると、電気会社の工事の人で「この辺の者ではないので・・・」だった。仕様がないので山の方へチャリを転がして行くと、田んぼで鍬を振るっている人発見!勇んでそちらに行って「済みません…」と問いかけた。鳥屋山へ行きたいのですが…と尋ねると、作業をやめて親切に道順を教えて下さった。お百姓さんにしては洒落た出で立ちだったので訊くと、昔は此処に住んでたが今は町の方に移住し、こうして出稼ぎならぬ出稼ぎ百姓に時々来ています…だった。

 この人もひょっとしたら、先ほど通り過ぎて来た「美奈宣の杜」の住人さんでは無いだろうか?登山口もちゃんと調べて来ればよかったが、まー行って地元の人に訊けば良いだろう…と思っていたのが失敗だった。過疎化した田舎には訊ねる人間は居ないという事を肝に銘じておこう。。

 教えて貰った道は一本道で、迷わずに目的地の鳥屋キャンプ場へ行けたが、駐車場からキャンプ場まではとてもチャリンコでは乗っていけない急勾配の坂だった。その駐車場手前で後ろから乗用車が追いついて来たので驚いた。まさか、こんな人もいない山に登山者が来るとは!駐車場で車の人とお話しすると鳥屋山に来たとの事で、まだ40代の男性だった。。

 チャリンコを押し登って登山口の鳥屋山キャンプ場に13時半前に着いた…家を出て約3時間だった。走行距離は28,69 milだった…キロメーター換算だと、(28,69 ×1,6=45,904km)で、約46qだった。帰路は途中道間違いで49q走ったので往復約95qだった。。

 設備類は古いがバンガローなどや炊飯棟のあるキャンプ場は、本来は神域の場所だったようで、案内板には謂れが記してあったが、英彦山や宝満山のように栄えていたらしかった、丁度、満開頃の桜の樹の下には、赤いエプロンをつけたお地蔵さんが滝場をバックに並び立ち、今も信仰深い人たちが訪れておられるようだった。チャリンコから降りて、遅い昼食のオニギリを頬張っていると、先ほど駐車場で別れた登山者が登って来られ、初めてらしく「奥の院は此方ですかね…」と訊かれた。

 私も初めてですが、多分滝の前から登って行くと思います…直ぐに私も登りますから…と、お話しした。彼から3分ほど遅れて出発し、女滝と呼ばれる小さな滝の前から踏み跡道に這入った。暫くは鉄砲水で壊れたらしい谷間の登山道を登って行ったが、谷間を過ぎると一転、迷う事のない立派な道だった。。

 ジグザグにつけられた階段道を登ると歩き易い落ち葉道で、その途中で衣服調整で止まっていた先行の登山者を追い越した。復路もチャリンコで帰る事を考えると、明るい中には帰宅したいので逆算すると、遅くとも15時には登山口に戻らねばならないので、急ぎ足の登山となった。4合目という看板前を13時50分ごろ通過した…付近には、会議をしているかのように石像たちが集まっていた。ユックリしたかったが、次の機会に又改めて見物しよう。

 山岳宗教で開けた山らしく彼方此方にその名残を見せていた…鳥屋山自体がご神体かも知れない。八合目を過ぎて山頂直下を捲くと、3分ほどで奥の院との分岐に出た…東の方に少し行くと鳥居の立つ山頂で、奥に、大きな旧い祠が祀ってあった…。登山口から約33分だった。旧い祠にお詣りして周囲の景色を眺めたが僅か西方の方角に、霞みがかった耳納連山がボーっと見えているだけで、北側の足許には今登って来た佐田集落が山間に細く伸びていた。  駆け足登山は忙しい…Uターンして下り始めると、先ほど下で別れた登山者とすれ違った。一言二言会話を交わしてお別れし下山の途に…。半ば小走り状態で駆け下って14時35分ごろキャンプ場に下りついた。往復、約一時間の慌ただしい登山だった。女滝の前でボトルに山水を汲んでいると、付近には白いサツマイモナリの花がいっぱい咲いていた。男滝をバックに居並ぶ赤い前掛け姿の石像さんに一礼し、帰路に就いた…。

 佐田の集落まであと少しと言う所で、顔にポツンと水滴がかかった…汗だろうと思って行くと雨粒でビックリした。予報では雨は無かったはず!杉林の中で雨宿り…。然し此処でじっと止むのを待つ訳にはいかないので、ヤッケを取り出して小降りの雨の中を走り始めた。

 帰りは疲れてピッチも上がらないだろうと思っていたが、雨のお蔭で反って気力が倍加したようで、シャンシャン漕ぎまくってあっという間に秋月街道…往路と同じ旧道に這入って暫く走った所で一本道を這入り損ねたようで、行き止り道になったり見覚えのない場所だったりして5分ほどロスタイム…。やっと、正規の道に戻って暫く行った所の饅頭屋さんでエネルギー補給…熱いお茶がとても美味しかった。勿論饅頭も!

 雨は途中止んでいたが山家付近から本降りになったが、もうこうなったら怖いもの無し…じっとしてたら寒いだろうがぺダリングのお蔭で身体はポカポカ。やっと、吉木集落付近に来ると前方に、朝方見送って呉れた宝満山が雨に煙って「いよーオツカレサン」と出迎えてくれた…。丘を越え、大宰府政庁裏を走っていると17時の帰宅チャイムが聞こえてきた、クールダウンしながら御笠川土手道をゆっくり流し、17時半前に何とか我が家に帰り着いた。

 もう少し疲れるかなと思ってたツーリング登山…思ったよりも余力が残ったようで、後、2〜30kmは行けそうだった。家に上がる前に車庫の下で、今日一日付き合ってくれた愛車のメンテを済ませ、チャリンコ登山旅の草鞋を脱いだ。






〜 ★ 冬とは思えぬ陽気に誘われチャリンコで糸島半島の可也山へ(2/1)… 

… 玄海灘の海の青さを期待したが春霞で良く見えませんでした…


2014/2/1  晴れ 

自 宅 (9:40) ⇒ 井尻(10:00) ⇒ 室見川(10:45)⇒ 今宿 (11:09) ⇒ 可也山登山口 (11:44~49) ⇒ 可也山頂 (12:23~28) ⇒

登山口 (12:55) ⇒ コンビニ休憩(13:05~16) ⇒ 二見ヶ浦(13:45) ⇒ 今宿(ウドン休憩)(14:30~45) ⇒ 藤崎 (15:07) ⇒ 平尾 (15:30) ⇒ 春日光町 (16:10) ⇒ 自宅(16:17)




 毎年この時期、チャリンコで糸島半島の可也山へ行っている。今回は、岳友のN田さんに声をかけ付き合って貰ったので、道中も愉しかった。

 井尻の都市高速環状道路交差点で待ち合わせ、バイパス道を西へ向かった…。家を出てから井尻までえらい調子が良いな…と、思っていたら追い風が背中を押していたのだった。登り勾配の道もきついが、ひどい向かい風の方がジワッと体力を奪われる感じで疲れるのだ。

 その強い味方に後押しされあっという間に福大トンネルを抜け、橋本の地下鉄車両基地のある室見川に着いた。西側の欄干付近で小休止…。汗ばみ始めたので上着を脱いで身軽になった。河川敷の緑の色も濃く感じられ、土筆の坊やが頭をもたげ始めたのではないか?と思わせる陽気である。

 野方から峠を下って今宿へ…。唐津街道を横切って今宿の先から左折し可也山方面へ這入った…。何時もなら進行方向に糸島富士と呼ばれる可也山の姿が見えるのだが、今日は、春霞といおうか靄に覆われてボンヤリとしかその姿が見えなかった。

 田園地帯の広がる糸島平野を軽やかにぺダリングし、旧志摩町役場のある可也山麓の集落に着き、師吉公民館の前から少し行った所にある可也山登山口に11時45分ごろ到着した。二人とも汗びっしょりだった…二月とはとても思えません!

 登山口入り口に、二台のチャリンコを重ね合わせてロックをし、出発しようとするとゾロゾロと団体さんが下山してこられた。挨拶を交わし常緑樹の茂る山道を登って行った…。可也山は標高365mの低山だが、海に近いため山頂からの眺めが良いので近郊の人達を含め、登山者の姿が多く山道もしっかり踏み均され、下部では廊下状に山道部分が抉れている個所もあった。

 N田氏がヒョイヒョイと足取りも軽く登って行くので後を追うのが大変だった。来週の今日からは、N田氏や山仲間と伯耆大山へ出掛ける予定だが、この調子では山の雪も溶けてしまっているのでは心配だった。石切り場前の階段を登り上がって山頂部の平坦地に出て、稜線を少し西へ歩くと可也山神社に出る…。神社の前で柏手を打って諸々のお願いをした。

 山頂神社から5分ほどで、海側の眺望が良い可也山展望台に出た。山頂付近の椿の木などが伐り倒されていたが、見晴らしを良くするためだろうが、自然林は残しておくべきだろうと思った。すぐ付近の杉の植林こそ切り払った方がすっきりしたと思う。

 展望台の標識付近には赤い椿の花が咲いており、足許に広がる玄界灘の青い海原と海岸線が、春霞の中にぼんやりと見えていた。5分ほど休憩後、山頂展望台を後に下山開始…。小走り状態で登山口へ駆け下った。

 再びチャリンコに跨り師吉集落を抜け、帰路は海岸線伝いへの道を選んで二見ヶ浦方面へ向かった。途中のコンビニに立ち寄り燃料補給…豚まん・ソフトクリーム・清涼飲料水などで小腹を満たした。

 この二見ヶ浦海岸道路は、二輪のバイクやドライブを楽しむ車も結構多かったが、我々の様なチャリダ―の姿も見られた。二見ヶ浦の鳥居に向かって徐行しながら片手参拝で通過、小さな峠を越して博多湾側の北崎集落へ出た。

 行きは良いよい帰りは恐い…往路では神風だった追い風が一転、帰りは向かい風!海岸線伝いの道は、場所によっては背を低く丸めてペダルを漕がねばならなかったが、思ったよりも楽だった。海釣り公園を横目に漕ぎ進み、今津湾にかかる大橋を渡って唐津街道に出た。

 此処で燃料補給タイム…牧野うどんの提灯に吸い寄せられた。空腹とは言え今日のうどんは、心底美味しかったです!だし汁も一滴残さずに完食…サー我が家までガンバロー。久し振りに唐津街道を走って姪浜から室見を抜け、旧筑肥線跡道を平尾へ向かった。

 平尾から、大牟田線の高架下の道に這入ったが是は失敗でした…あちらこちらで袋小路になって時間をロスした。日赤通りに戻ってからは大通りを一直線に走り、春日光町交差点で、太ももパンパンと苦笑いするN田氏と別れた…。今日は、強制連行のチャリンコ旅行(約90km)に付き合っていただき有難うございました。

 翌日(2月2日)息子のブログを見ると、彼らはなんと唐津から加部島〜厳木〜小城…と、220kmも走ったそうだ。モンスター軍団だ!(来週は、出雲大社までチャレンジするとか)






〜 ★ Mtbで四王寺山へ…帰路、大城山々頂の毘沙門堂で新年の挨拶(1/4)… 

… 鳥居を潜って毘沙門堂へ…


2014/1/4  晴れ 

自 宅 (13:40) ⇒ 焼米ケ原(14:30~45) ⇒ 登山口(15:00) ⇒ 毘沙門堂 (15:09~13) ⇒ 展望所 (15:17~25) ⇒ 毘沙門堂 (15::29) ⇒ 登山口 (15:34) ⇒ 自 宅(15:58)




 今年は、元旦から晴天続きで何やら幸先が良いようだ…。此の時期は毎年冬山遭難事故が続いていたが、今年は好天のお蔭だろうがそんなニュースも無かったのは喜ばしい事だった。
 元旦に、ご来迎を見に三郡山へ登って以来三が日は、この好天続きと言うのにテレビで駅伝大会の模様などを見て過ごし、すっかり身体がなまってしまった。

 年末の寒気が緩んで暖かそうな気配に誘われ、午前中はMtbやママチャリなどの注油や整備をし、餅つきで使った道具類をパックし倉庫に収納したりした。一段落して、四王寺山の毘沙門様へ年始のお詣りにMtbで出掛けることにした。

 帰省客で混雑する高速道を潜り抜け、総合体育館前から大城林道に這入った。此処まで追い風を受け、登り勾配だったがスイスイと漕ぎ上がって来たが、山道に這入るとペースダウンし、汗が出始めたので立ち止まって上着のジャージーを脱いだ。

 時速10qほどでヨロヨロ登って行き、何時もの第一休憩ポイントの四阿で立ち休み10秒…。たった10秒だが、その休憩で、喘いでいた呼吸と心拍が嘘のように収まるから不思議だ。先日、テレビのチャリンコ番組で登り坂での漕ぎ方をレクチャーしていたが、上り坂では尻をサドルの後方に移動し、ハンドルを握る腕や手首をリラックスし、上半身の力を抜いて走った方が良い…を、思い出した。

 勿論、その番組はある程度の経験者で青年たち向けだったが、76歳の私にでも少しは役に立ちそうだな…と、ぼんやり見てたが、それを思い出し、けつをサドルの後ろにやって腕に力を入れず、意識して脚力だけで漕ぎ登って見た。

 結果…きつさは変わらないが速度が3q/h程アップした。目から鱗である…。何でも取り入れ、自分なりに愉しくチャリンコを乗れればいい。峠を越して宇美町側に這入ると日陰の下り坂…脱いでいたジャージーを羽織って身体が冷えないようにした。

 県民の森から焼米ケ原へ最後の上り坂を終え、焼米ケ原の展望所に着いた…。Mtbを置いて山頂へ登った…連日の日照り続きのせいで、晴れているのだが霞みがかり、遠方の景色は勿論、直ぐ其処の宝満山さえボーっとしか見えず、足許の大宰府の街並みが辛うじて見えるだけだった。

 往路を戻って、モミジ谷の先の大城山登山口にMtbをロックし山頂の毘沙門様へ向かった。赤い鳥居を潜って右折すると石の鳥居が建つ毘沙門堂の入り口で、石段を登ってお社の前に近づくと、ポクポク・・・と、木魚の音が聞こえてきた…。念仏を唱える読経に混じってジャーンと鳴り物も聞こえていた…。

 毘沙門堂は、お寺だろうか?それとも神社なのだろうか…?お賽銭を上げ、鈴を鳴らして掌を叩こうとした時に戸惑った。神仏混合のお社かも知れない…小さく二拍手して今年一年の安穏をお祈りした。

 大城山々頂付近は史跡の関係からか樹木が茂っていて眺望が利かない。折角、四王寺山に来たのだから新年の我が街を見下ろしたかったので、土塁に沿って作られた遊歩道を南へ少し行った所にある、25番番所前の展望場所に行ってみた。

 でも、期待していた街並みや牛頸山方面は逆光の中に霞んでいて、辛うじて御笠川や都市高などが識別された。5分ほどベンチで行動食を食べながら休憩し毘沙門方面へ戻った。

 Mtbをロックしておいた登山口に下って、大城林道を帰路に就いた。途中、何台かのチャリダ―と離合したので、若しかして息子かも知れないと思ったが他人だった。今年も、山とMtbを昨年並みにクリアーできるように願いつつ、今年一回目のMtbぺダリングを無事終了した。






〜 ★ Mtbで脊振山を目指したが板谷の先で道路工事で通行止め…泣く泣くUターン…(10/31)… 

… 脊振少年自然の家前で昼食タイム…


2013/10/31  曇り 

自 宅 (10:35) ⇒ 中之島公園(11:24~28) ⇒ 南畑ダム(11:48~55) ⇒ 佐賀大橋 (12:17) ⇒ 脊振青少年村 (12:35~昼食~12;50) ⇒ 板谷峠Uターン (13::02) ⇒

佐賀大橋 (13:19~24) ⇒ 裂田溝史跡公園(13:52~14:00) ⇒ 自 宅(14:37)




 10月も今日で終わり…その区切り目にけじめをつけようと、Mtbで脊振山へのヒルクライムを思いたった。朝夕はめっきり冷え込みはじめて薄着だと肌寒いが、午後になると温かくなるので衣服調整が難しい時期でもある。

 下りのダウンヒルに備えてヤッケを一枚、昼食のパン、タオル、行動食を息子から貰った超小型ザックに収納し、飲料水はチャリに0,5リッターを一本だけ取り付けて行った。

 春日市から、新幹線の車両基地の傍を抜け、那珂川町山田から国道385号線に這入って、那珂川沿いの道を漕ぎのぼり「中之島公園」で一服休憩した。此処まで自宅から約50分だった…。曇り空だったので気温が上がらず寒かったので、少し休んだだけでチャリに跨りぺダリング開始、ジワジワと登り勾配の道にトライした。

 筑紫耶馬系の九電発電所付近から道が狭くなり、路側帯も無いのでチャリンコは走り辛い…。精一杯左端を漕いでいても、追い抜いて行く車は対向車線に這入って通過していた。この385号線も有料トンネルが出来たり、建設中の五ケ山ダムの迂回路に立派な高架橋が出来て、走り易くなり佐賀県への車の数が随分と増えたようだ…

 耶馬溪トンネルから、南畑ダム堰堤ヶ所までの登りが一回目のハートブレイクヒル…!若い者は何ともない坂だろうが、あと10日で76歳になる老いぼれにとっては結構キツイ…。もう7回忌も過ぎた甥っ子が大学卒業を目前に、このヘアピンカーブで命を落とした…。命日が、私の誕生日なので忘れることは無いし、その偶然が悲しい。少し先の広くなった所にチャリを止めて引き返し、黙祷し御霊の安かれを祈った。

 その甥っ子から「おじちゃんガンバレ…!」の無言のエールに助けられながら、何とかダムサイトの堰堤に辿りついた。堰堤の上から湖面を見ると、満々と水を湛えて満水状態で、周囲には黄色や紅色の紅葉も見えはじめていた。小休止後出発し、ダム湖畔の道をダム上流地点の網取へ向かった。ヒルクライム後の平坦地走行は楽チン!あっという間に網取の新旧国道分岐点についた。

 従来の国道は佐賀橋付近まで那珂川沿いにあったが、ダムが出来れば湖底になってしまうので、代替えの立派な道が西側に建設されている(殆どが高架橋)。その新しい道に這入ると、ループを描きながら高架橋が西側の山手に高捲いていて、その景観は素晴らしい。こんな山中にモダンな建築物が着々と建設されているのを見ると、人間の英知を見る思いがした。

 が、必要悪とは言え自然破壊には間違いない事で、大型建設機械が樹木を取っ払い、山肌を削り取り、岩盤を穿き、川をせき止めているのを見ると、長いスパンで考えると、このダム建設が(此処に限った事ではないし、原発なども同様と思う)後世になって、「吉と出るか凶と出るか」は歴史が証明してくれるのみ…だ。人間たちは立ち退き料をもらい、代替え地に立派な家を作ることが出来るが、この切り崩されつつある、森の住人や草花たちは何処へ行けばよいのだろう…

 そんな事どもを考えながら、ペダルを踏んで、ぐるーっと周回しながら登って行くと、佐賀福岡県境にかかる「佐賀大橋」と呼ばれる高架橋に出た。100mはあるのではないかと思われる足許には、旧道が走り川が流れていたが、いずれ近い将来、水底に沈んでしまうのだ…。橋の突き当りの高まりに、こんな場所には不似合いな、立派なお寺が下から移転新築されていたが、一事が万事、全て莫大な金額が動いているのだ。庶民を黙らせるには最終的には金と国家権力しかない。

 マイカーでサーッと走って行くと、こんな事は考える暇はないだろうが、チャリンコでボチボチ移動して行くと、色々な事が見えてくるのだ。長い高架橋を渡って突き当りから右折し、早良方面へ抜ける県道に這入った。色々と、矛盾や不満はあるが、現実に帰ると、旧道はカーブが多く坂道の勾配もきついが、新しい道は、道幅も広く勾配も一定していて走り易い…。五ケ山豆腐のお店にあっという間についた。旧道だと左手だったが、新道は右下手になっていた。

 五ケ山豆腐店の先で新旧道が合流し、それから先は旧道を走るようになった。この道は、車の通行量が少ないのでチャリンコ乗りにとっては有難い…。後方を気にせずに、急こう配箇所は蛇行しながら登って行ける。腹が減ってパワー不足になったが、背振少年自然の家までは、事前に頑張ろうと決めていたので、飴玉を頬張って漕ぎ上がり、拓けて陽当りの良い場所にある自然の家前に12時半過ぎに着いた。

 チャリを降りて自然の家の駐車場敷地でランチタイム…。アンパン・どら焼き・豆大福…と、ポカリが今日のランチメニュー。柵に腰掛けてアンパンを齧っていると、久し振りの山坂登りで、太ももが張ってパンパンになっている…。手で揉みほぐしながらランチを終え、再出発、板谷学園の前からひと登りで峠の板谷集落に着いた。

 此処までは舗装道路だったが、是より山頂手前まではダート路面になって勾配もきつくなるので、気合を入れ直して山頂への道に這入ると、入り口付近に道路工事中につき通行止めの看板があった。自転車なら何とかなるだろうと無視して登って行くと、ガードマンさんが出てきて「工事中ですので通行禁止中です…」と気の毒そうに云われる…「エッツ自転車も駄目なのですか?押し歩きで良いですが…」と云うと、「押しても担いでも通れません…道が工事でなくなっているのですから…」

 「脊振山頂へチャリで登り上がろうとやっと此処まで来たのに…」と、私が未練たらしく言うと、ガードマン氏曰く「本当に申し訳ありませんが、今月末には工事が終わるので出直してきてください…」冗談じゃない!12月になって自転車には乗れない。仕方ないのでUターン…標高約600mの峠からダウンヒル開始!少し山肌を紅葉に染めはじめた脊振山に別れを告げ、風を切って県道を一気に下って行った

 上り坂の苦労は此の下り坂があればこそである…。車の通行が皆無に近いので、佐賀大橋までは50Km/h以上のスピードで駆け下った。風を切って走る爽快感はチャリダ―にとって何とも言えません。

 佐賀大橋の欄干にチャリをもたせて巨大建設現場を暫し見物…大きなクレーン群が何本も立ち上がり、谷間には作業車が忙しげに走り回っていた…。何年後かにダムが完成した暁に、満々と水を湛えた五ケ山ダムの威容を想像してみた。

 高架橋を快調に下って行き、新旧国道分岐付近で前方に南畑ダムが見え始めたが、付近の紅葉とのコントラストが絵になる場所だった。旧道に這入ると道が狭くなってチャリンコを走り辛くなったが、下り勾配の道なので追い越されることも無く、筑紫耶馬渓付近の道では前を走っていた車に追いつく程だった。

 山田集落を抜けた付近の「裂田溝」史跡公園で一休み…5分ほど休憩した。午前中は曇り空で、チャリンコ旅には少し寒いようだったが、午後から少しずつ天候回復して陽が射しはじめ、少し力を入れてぺダリングすると、ヘルメットの縁から汗がポトポト滴り落ちた。

 14時半ごろ無事帰着…脊振山頂には登れなかったが、往復約60q・比高差600mのチャリ旅は良いトレーニングになった。もう寒くなるばかりだからMtbに乗る機会も少なくなるだろうが、息子たちはそんな事は関係ないみたいで、明日辺りから秋吉台へテン泊ツーリングに出かけるらしい…若さが羨ましい。






〜 ★ 大野城市商工会主催の「秋の脊梁山(旧御笠郡の脊梁山脈)を縦走」に参加しました…(10/19)… 

… 水辺公園から黒金山へ…


 大野城市商工会が主催した「旧御笠郡の脊梁山地を縦走する」に、妻が高校時代の友人三人と参加申し込みをしたというので、まだ本調子では無い妻のバックアップに同行した。

 近頃は、山歩きがブームみたいで、応報で参加を呼び掛けたら忽ち定員の30人になったらしい。登山コースは大野城、太宰府、筑紫野の三市と那珂川の三市一町の境界線上にある、旧御笠郡の里山を巡る企画だった。

 出発地点は、つつじヶ丘の山手バス終点で、9時過ぎに出発し、ダム湖畔を巡って水辺公園へ向かった。私は参加会員ではないので最後尾のスタッフから少し外れて連いて行った…。メンバーは、殆どが中高年で少し女性の数が多いようだった。

 スタッフを入れると約35人の参加者は、市内の方が約半数で後は近隣市町村の方々だとスタッフの一人が教えてくれた。ダム最奥部の水辺公園でトイレ休憩…女性用の個室が少ないので10分ほどかかった。大人数だと何につけても時間がかかる。

 9時40分ごろ公園を後に出発…すぐ先の案内表示板から左折し遊歩道に這入った。少し登った付近で先頭のスタッフの人が立ち止まって、周囲の自然環境などの説明をされた…。私は、オブバーザー参加なのでスタッフの人員構成については良く知らなかったが、スタッフは5人ほどで首からプレートを下げて居られた。

 責任者はNPO法人関係者で、商工会は呼びかけなどの部分だけで、後の登山行動等についてはそのスタッフに一任…と云う形のようだった。下山の際に責任者のZ津さんと二人で30分ほど一緒したので、いろいろお話したが、有料無料ボランテアの仕事に定年後かかわって来られたそうで、学生時代は福岡の老舗山岳会である「しんつくし山岳会」に所属し、祖母山、大崩山山域のエキスパートだったらしい。

 そういえば、里山歩きだというのに格好は、スイスアルプスに出かける様なスタイルで、ピカピカに磨き上げた皮の登山靴、スパッツ、ズボンは、昔懐かしいニッカボッカ…小型ザックには動物除けの鈴と、正統派の後ろ姿を見て、最初はこのオッツアンは何者だろう?と、最後部を行く彼の後姿を見ながら連いて行った。

 落ち葉の積もる樹林の中の遊歩道を10分ほど登ると、右手に北側が開けた展望箇所があり、交代で其処に上がって展望を愉しんだ…足許には先ほど歩いてきたダム湖が鈍く光り、その向こうには我が街が霞みの中に広がっていた。

 其処から10分ほど登ると、いこいの森キャンプ場の一角にある草スキー場付近で、ここでもまた休憩タイム…。団体登山に慣れていない私にとっては、頻繁な休憩が反って調子を悪くするようで戸惑ったが、市民の歩こう会では是が当然なのかもしれない。

 キャンプ場から15分ほどは少し勾配もきつくなったが、登り上がった所は所謂(旧御笠郡脊梁山域)の稜線で山口越と呼ばれ、一角には、刻んだ文字も消えかかっている旧い石の道しるべが立っていて、スタッフの一人がその謂れを皆に説明しておられた。

 こういった登山を委任されたスタッフは、こんな歴史の事や、動植物などの生態や名前、又、歩くコースの事前偵察や切り払い、エスケープルートの確認、携帯電話などの圏外エリアのチエック…etcなどに加え、十人十色の参加者の掌握…簡単では無い。

 山口越しから愈々旧御笠郡境の稜線歩き、アップダウンンもそうきついところも無く順調に隊列が進み、黒金山を11時過ぎに通過し、一旦沢筋へジグザグに下る付近で隊列が止まった…何事かな?と列の後ろから見ると、どうやら参加者の一人が足首でも捻挫したのか座り込んでいる様だった。

 私の前に居たスタッフ責任者(Z津氏)が小走りに隊列の横を抜け関係者の所に駆け寄った…。原因はわからないが、どうやら自分では歩けない模様で、参加者の男性が背負って下り坂の道を下り始めた。然し、大の大人を背負って長く歩くことは出来ない、ましてや、足場の一番悪い場所だったので…。

 一旦、下って登り返しでは背負う事が無理なので、一人が前から手を添え、一人が後ろから抱きかかえながら何とか起伏を越え、橋の架かる沢の付近まで運んだ…。その間は、全員前へ進むわけにいかず心配そうに様子を見ていた。此処で責任者の判断が下され、担架を拵えて関係者を運ぶことになり、搬出する7人の必要人員以外を残し、後の28人は副責任者をリーダーに牛頸山へ予定通りに向かい、収容作業終了後山頂で合流する事になった。

 私も、担架を作って関係者を至近距離の場所から林道に運んだ方が良い…と思っていて、手渡されていた地図を見て、この沢を越えて登った付近の鉄塔付近が、良いだろうと思っていた。ところが、Z津氏は沢沿いに下って林道に搬出する手段をとられた。私も、沢伝いの方が鉄塔まで登り返さなくていいのでそう思ったが、沢筋の道は様子が分からないので心配したが、彼は、沢伝いに行けると知っておられたようだ。(この事件が発生するまでは、何となくキザな人だな…と思っていたが、不意の事故に拘わらず沈着冷静な判断と行動は素晴らしかった)

 残った6人の中に這入って助言とお手伝いをしようと一瞬思ったが、此処は黙って彼らの作業を見守ることにした…が、愈々の時は手助けをする事は充分考えていた。担架を作る作業を見ているとZ津氏のお手並みは見事なものだった。付近から適当な木の枝を探し、メンバーの三人からシャツやジャンバーを脱いでもらって、それを木の棒の支柱に差し渡し、二本のロープをザックから取り出して、救護人の体重で担架が広がらないように編み、前後で抱える人の重量軽減の為に、ロープを伸ばして首と腕で担架を持てるようにされた。

 小さなザックに、剪定ばさみ、小型ナイフ、カッター、ロープ10m×2本が這入っていたとは思いもしなかった。出来上がると、携帯でいこいの森キャンプ場に待機していた関係者に事情を告げ、車を担架を担ぎ上げる予定の林道まで持って来るように手配された…。

 後から、彼と二人で下る際に訊いて判った事だが、事前ミーテングで商工会の関係者と打ち合わせの際に、車を待機させておくように言ったら、牛頸山あたりでそんな必要は無いのでは…と云われたそうだ。万が一という事があるからと、無理を言って待機させていたそうで、その辺の慎重さと配慮が今回のアクシデントに生きたわけだ。

 準備が終わって愈々関係者を担架に乗せて出発…20代の青年二人が前後で担架を支え、二人が左右から関係者が落ちないようにして、沢伝いの足場の悪い岸辺を用心しながら下り始めた。Z津さんは担架の前の方で倒木や木の枝などを除去し、道を作って行かれた。私も、此処で担架を持っている人たちのザックなどを担いで少しのお手伝いをさせて貰った。

 10分ほど下ると沢の合流点で、直ぐその5mほど上に林道の白いガードレールが見えた。沢の渡渉と、林道の壁の登りにはとても担架は使えないので関係者を下ろし、皆で抱きかかえながら壁を登り上がった…この運搬で最大の難所だった。ガードレールを跨ぎ林道に出て作業終了!皆さんお疲れさまでした。

 直ぐにやって来た商工会の車に後を任せ、我々は先行している本隊に合流すべく林道を少し登って、私が、山道と林道の最短距離だとみた鉄塔の立つ縦走路に駆け登った。30分ほどで山頂に着くと、担架収容現場で本隊に少し遅れて登ったスタッフ二人がいるだけで本隊の姿は見えなかった。時計を見ると13時だったので本隊の動きも気がかりだったが、少し遅れて来られたZ津氏等と取り敢えず飯にした…。

 食べ終わる頃に、もう前に行ったはずと思った本隊のメンバーが登って来た。彼らは山頂が狭いので、山頂手前の広い場所で食事をしていたそうだ…。これで、全員勢揃いで一同ホッとした。Z津氏が担架運搬作業にあたったスタッフの青年たちに「こんなアクシデントは無い方が良いが、こういう事もあるのだ…という事を体験した事は貴重な体験だったと思うヨ…」と、労を労っておられた。

 Z津さんが打ち合わせなどで食事が遅れられたので、皆に先に降りて貰うようにという事になり、全員下りて行かれたが、私は残って彼と同行しようとすると、私は、自分は独りで下りますから先に行かれて結構ですよ…と云われたが、そういう訳には行かないからと待って、5分ほど遅れて山頂を後にした。

 山頂から、ダムサイトの中央公園まで30分ほど、二人で山の事や、今日の事を含め、ボランテア活動などについての話を聞きながら下って行った。今日は、妻の支援にと思って参加した「旧御笠郡境の山地を歩く会」だったが、妻の支援では無く、思わぬアクシデント発生でとてもいい勉強をさせて貰った。NPOのZ津氏を始めスタッフ一同と知り合えることが出来、大変有意義な一日だった。






〜 ★ 北アに向けMtbでラストコンデショニング調整…(9/20)… 

… 秋晴れの基山まで漕ぎ上がって来ました…(9/20) …


 北ア出発まであと二日…今日も秋晴れの好天気が続き本番前に勿体ない天気…装備品の点検などはおおかた済んで、後は出発前に購入する食糧品をザックに詰め込むだけで、する事が無いからMtbで最終体力調整に出かけた。

 10時半ごろ家を出て、途中で、今回の山旅の傷害保険の件で保険会社に立ち寄ってブラブラと南へ向かった…。  家を出るときは、九千部山へと思っていたが、あまりきつい練習では本番では逆効果になりかねないと思い、山神ダム付近で平等寺から柿原峠を経て、基山に登って帰ることにした…。


 9月20日 秋晴れ
…☆ ミニ写真クリックで拡大します ★…

天拝湖から、曼珠沙華の花が咲く山口川沿いを走って山神ダムで休憩した。
秋の青空の向こうに九千部山が小さく見えていた。
11.30
 もう刈り入れの済んだ稲田を見ながら平等寺集落を抜け、短い登り坂を漕ぎ上がると県境の柿原峠で、すぐ前を、九州自然歩道が九千部山方面へ横切っている。11.48
 基山町方面へ峠から一気に駆け下って行ったが、途中、かなりの急カーブもあり、速度が上がると対向車線にはらみそうだった。家並みが見えて来た付近で、県道から外れて集落の道に這入った。集落の中を少し下るとツツジで有名な大興善寺の看板があった…。
 付近のバス停広場に大きな案内看板が立っていたので見ると、大興善寺前から基山へ行けそうだったので登って行くと、お寺の上の方で地元の人が、此処からは自転車じゃ行けないよ…で引き換えした。
12:01
 一旦、平地の街まで下ると、基山草スキー場方面への看板があったのでそれに従い、二車線の道を走り、やがて市街地を外れて山間の道に這入った。
 田んぼが無くなる頃より道の勾配もきつくなり、ローギアで登って行くと大きなお寺の横に出た…その道端に山から引かれた水が出ていたので、Mtbを降りて頭から被り、ゴクゴクと喉を潤した…(後で判ったが寺の名前は瀧光徳寺と云うデカい寺だった。)
12:30
水を飲んで少し登っていると、ゴーンとお寺の鐘が鳴り始めた…。
 もう遥か前にメシ時間が過ぎていたので、何処か適当な休憩場所をないかと漕ぎ上がって行くと、道の右手に沢が流れていて涼しいそうな場所があったので、即、チャリを降りて沢に降り立った。
12:40
 沢の冷たい水で顔と手を洗ってランチタイム開始…小さなリュックから、おにぎりを取りだし、せせらぎの音を聞きながらデカ握り飯にかぶりついた…。
 20分ほどゆっくりして出発…Mtbに跨って山頂へ漕ぎ始めた。登って行って判ったがこの寺は、総本山かな思われるほど規模が太く、奥の院付近には広大な駐車場もあり、此処までの大きな道もこの寺の為に作られたのではないかと思った。
12:41~13:00
 奥の院付近から登り坂もきつくなって道幅が狭くなった…ローギアで立ち漕ぎしながら登って行くと次第に傾斜が和らぎ、樹林の向こうの空が大きくなってきた。最後の坂を漕ぎ上がると草スキー場で、見上げる草原の上には、コバルトブルーの空が気持ちの良いように広がっていた。13:19
 Mtbを四阿の手摺りにロックして山頂へ向かった。斜面の草原は草滑りように草が切り払われ、牧場の中を行くようだった。真一文字に登り上がって山頂の台地に出ると、360度フルオープンのパノラマが展開していた…。
 山頂の南端には天を突き刺すように大きな標柱が立っている…草原を横切ってこんもり盛り上がった丘に立つと、巨岩の前に祭神が祀られ、その奥に碑塔が立っていた。
13:29
 この基山も大野城と同じく外敵に備えて作られた山城で、天智天皇が対馬、壱岐、筑紫などに警備の兵である防人(さきもり)を置き(664年)、大宰府の前面に水城を築き、665年に大野城(福岡県)および基肄城の2城を築かれたそうです…。
 天を指す碑塔には 「天智天皇欽仰碑」と記されていた。
13:30
 黄金色の筑後平野の中にチョコンと見えている花立山が小島のようだった…。南側山頂を後にし、芝生の広場の北側山頂へ向かった。まるで、ゴルフ場のグリーンを歩いて行くようで、西側には、九千部山と脊振山が前山の向こうに連なり立っていた。13:31
 グリーンを横切って展望台のある北側山頂にに来ると、基肄(きい)城跡の石碑が立っていた。13:34
 石碑の後ろに生えている低木の陰で暫し休憩…青空天井の下で靴も靴下も脱いで裸足になって寛いだ…。快晴

13:38
 カメラをセルフタイマーにセットしてハイチーズ!今日も、持参した梨が美味しかったです…。13:40~55
 15分ほどリラックスし下山の途に…草スキー場の草原を小走りに駆け下って稜線を見上げると、相変わらず真っ青の空が広がっていた。14:01
 後は基山の町まで一気に駆け下って町中を過ぎ、けやき台団地からJRけやき台駅に出た…。
線路をまたぐ高架駅の向こう側に3号線が走っていたが、チャリでは廻り道しないといけないかなと思案していると、駅に向かっておられた奥様が「自転車も押して通り抜けれますよ…」と教えて下さった…。
14:24
 構内通路は洒落た窓枠があって覗くと、真下の三号線には車が行き交い、丁度駅を発車した電車が出ている所だった。
階段の中央には二輪車の為に平坦なスロープがつけられ、自転車でも骨折らずに通行できるようになっていた。
 三号線に出ると、後は家まで道なりに走って15時10分ごろ無事に帰着した。ギリギリ迄頑張ったトレーニング…本番を待つのみである。
14:25






〜 ★ 大野城市主催 『(仮称)歴史をつなぐ路』 ワークショップに参加(9/14)… 

… 大城山々頂のワークショップ参加の皆さん(Aグループ)…(9/14) …

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2013/9/14  晴れ 

総合体育館 (9.40) ⇒ …樹芸の森コース… ⇒ 24カーブ下展望台(10:15~20) ⇒ 大城山 ⇒ (10.55~11;07) ⇒ 〜まどかコース〜 ⇒ 総合体育館 (11:55)




9月14日

 平成24年度に、市政制定40年を迎えた我が街「大野城市」。大野城市の市名の由来になった歴史・文化遺産の大野城跡…平成27年度には築城1350年を迎えるにあたり、市民の心にふるさとの意識を醸成し、ふるさと大野城を次代につないでいくために「歴史をつなぐ事業」として三つの事業を推進していますが、今回参加した「(仮称)歴史をつなぐ路」もこの三つの事業の一つで、何れの事業にも計画段階から市民が参加し、ふるさと大野城への愛着と人とのつながりを作っていける計画を目指しているそうです。

 四王寺山麓にある、市の総合体育館に9時集合だったので、10分ほど前に行ってみると、事業プロジェクトチームのメンバーが、玄関ロビーで受付をしていた。受付を済ませると、別室で事業推進室担当者が地図や資料などを配布して、挨拶やミーテイングがあった…。

 参加者は、小学生からお年寄りまで老若男女40名ほどで、殆どの皆さんが歩き慣れた人たちだった。A・B二班に分かれ、私達A班16名が9時40分ごろ先発し体育館を後にした。暫く林道を歩き樹芸の森コースへの遊歩道に這入った…。月初めは涼しい日が続いたが此処二〜三日は暑さがぶり返したようで、今日も風が無いので蒸し暑く10分も歩くと額には汗が滲み出た。

 「どんぐりがいっぱい落ちてるね…」とか、「ウアー珍しいキノコが生えてるよ!」…と、皆さんその度に足を止め興味津々だった。暫く不整地の林道を歩き展望台へ続く遊歩道に這入った。

 今回のテーマは、1、安全で歩き易い空間 2、歩きながら歴史や自然を学ぶことが出来る空間 3、市民にとって、そして来訪者にとって魅力的な空間…の為に、参加者各人が、歩いて見て「此処には案内板があれば良いな…とか、階段の段差が高いな…或いは、折角の展望広場では視界を妨げている樹木を伐採してほしいな…等々、感じた要望や意見を下山後のミーテイングの席上で発表集約し、「歴史をつなぐ路」作りのベースにされるそうだ。

 展望台で、少しばらけた隊列調整の為に5分ほど休憩…視界の方はスモッグがかかって遠くの山などは見えなかった。小休止後出発…大野城市と宇美町の境付近で遊歩道から一旦林道に出た。カーブ番号が24の所で、少し林道を下ってカーブ番号の21番付近で総合体育館から登って来た「まどかコース」と合流して毘沙門方面の登山道に這入った。

 此処から山頂までは整備された登山道で歩き易い。下界ではまだ残暑が厳しいが、見上げると緑の葉の中に小さな秋を知らせる紅葉が混じっていた…。80段ほどある長い木の階段道を登り上がると、山頂から伸びてきた尾根筋で、直角に右折し、少し登ると視界が広がって右手には我が大野城の街並みが展開する。椎の木などの常緑樹の茂る下を通り抜けると石の鳥居が建つ毘沙門天様の入り口で、石の階段を登ると立派な社が祀ってある。鈴を鳴らして諸々の願い事をした…。

 樹林に覆われ、視界の全然利かない大城山山頂に全員集合して記念写真をパチリ…。三角点標識の横に古ぼけて傾いた石柱があり、東側には文部省、南側には大野城跡…と刻んであった…この付近の木を伐採し、ミニ大野城でも築城し、天守閣から市内を見渡せるようにしたら、さぞかし人気が出るだろうな…と思った。(下山後、なんとなくそんな事の為にスタッフに訊くと、県と合同で二年計画ほどでかなりの予算で取り組みます…)だったので、次回のワークショップでは、ダメモトで具申してみよう。

 遅れて出発したB班メンバーの人達が登って来られたのでバトンタッチして、我々グループは下山の途に…。急ぎの用と何とかは早いではないが、下り坂を下って行く皆さんの足の速い事…。途中で市内が良く見える展望台の四阿でチョコット休憩しただけで、スイスイ下って予定時間前の12時前10分に総合体育館に帰って来た。冷房の効いた会議室で意見集約会…。各人が感じた意見をべースにして、次回のワークショップで、整備図を皆で描く事になった…。個人で楽しむ山登りも良いが、故郷の山を市民の人々が一人でも多く登れるように微力ながら奉仕して行きたい。








〜 ★ 6月も今日で終わり!午後から青空が広がったので汗を流しにMtbで四王寺山(6/30)へ… 

… 群青色の空にモクモク湧き立つ入道雲!夏近し…(6/30) …

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2013/6/30  晴れ 

自 宅 (14.50) ⇒ 四王寺焼米原 (15.25~40) ⇒ DEPO ⇒ 自宅 ⇒ (16.20)




6月30日

 今年も一年の前半終了…明日から7月を迎える。天気が良かったらチャリンコで三郡山へ出掛けてみようかな…と思っていたが、生憎の雨で出足を挫かれた。

 明日から発掘の仕事も始まるので本でも読んだり、ホークスのテレビ中継などを見ながら休養しておこう…と諦めていた。ところが昼飯を食べ終わる頃には梅雨空が何処かへ消え青空が広がり良い天気になった。

 一時ごろからホークスの試合放送が始まった…ところが、二回で7点も取られてワンサイドゲーム。こんなゲームは見ておられんとプチッとテレビを消し、チャリンコ漕ぎの衣服に着替えていたら、チャリパンの股付近が擦り切れて3センチ程穴が開いていた。思えば此のチャリパン…Mtbを購入した時以来17年以上も履き続けていたのだから、良くも今日まで丈夫で長持ちしてくれたものだ!感謝である。

 少し穴が開いたチャリパの穿き納め…穴の開いたチャリパンを穿いて四王寺山へ向かった…。ギラギラ太陽が照り付け夏本番である。我々の発掘現場の横を通り抜け総合体育館前から林道に這入ると、樹林の下を行くようになって陽射しが遮られ、朝方まで降った雨で空気が冷えていて気持ちが良かった。

 息を弾ませ登り坂を漕ぎ登って行くと、全身から汗が滝のように吹き出し、ヘルメットを被っている頭部から流れ出る汗が目に沁みこんで痛かった…。何とか第一休憩ポイントの四阿まで頑張って一休み…ボトルの飲料を一口飲んだ…。

 出発前に汗対策にヘルメットを外しサングラスも取った…暫くは登り一方でスピードも出ないから。ポチ公のお墓の前を通り過ぎる時に「今日は暑くてきついバイ…少し力を貸してくれー」と声を出しながらヨロヨロ登って行った。

 大野城市街の見納めポイントで二回目の休憩…深呼吸を何度かして過呼吸気味の肺と心臓を労わってやった。落ち着いた所で出発…此処から宇美町側の坂の頂点までがかなりしんどい。気合を入れて最後の坂道を登ってると、前方から走って来た三人の野球少年と離合した。お互いに顔を見合わせ「ガンバって…」とエールを交した。

 頂点に着くと県民の森まで下り坂…。坂の手前で追い越して行った車にすぐ先で追いつく…こんなヘアピンカーブの下りでは車よりチャリンコが速い!野外音楽堂を通過し、少し下ったモミジ谷入口手前付近で、道の中央付近に蛇が横たわっていたので見るとマムシだった。マムシ君もこんな所で交通事故に遭って災難でしたね。(因みにこの辺りには「マムシに注意」の看板もあった)

 県民の森から県道をひと頑張りして折り返し点の焼米原展望台に着いた。天気が良くなったので家族連れやアベックさんたちの姿が何組かベンチに座ったり、木陰で景色などを愉しんでおられた。

 広場の水飲み場の前にチャリンコを倒し、蛇口を開けて頭から冷たい水を浴びてオーバーヒート気味の老体を労わってあげた…。その時、横でカタンと音がしたので振り仰ぐと、一人の少年が通学用の自転車のスタンドを立てている所だった…。

 挨拶をして「この自転車で此処まで乗って来たの?」と尋ねると「いいや、殆ど押し歩きで大宰府から来ました…」だった。もう少し話したかったが彼の携帯(スマートホン)に着信音が這入ったので展望台へ向かった。

 展望台に立つと、今日は空気の状態が良いらしく遠くまで視界が利いて、合歓の木の花の下には、足許から広がる市街地も鮮明で、家々などが手に取るように見え、筑後平野の彼方には、耳納連山と御前釈迦岳が屏風を立てたように連なり、その後方には見覚えのある久住の山並みが見えていた…。

 見上げると、真っ青な空には白い入道雲がモクモクと立ち上がり「夏本番はもう其処ですよ…!」宣言している様だった。雨で洗われた事物は鮮明で、広場の芝生の緑が目に沁みいる様だった…。展望台からチャリンコの所に戻って来ると、先程の少年がスマホで写真を撮っていた。

 「中学生?」と尋ねると」「イヤ高校一年生です…」だった。話していると、何と息子の長男坊が通っているD高校だった。暫く、周りに見える山の名前などを教えたり、チャリンコの愉しさを語って過ごした…。「チョットMtbに乗っても良いですか?」と云ったので「どうぞ…」と云うと、ぐるりと一回り乗って見て「ワー軽い…」と満足そうだった。

 「僕もこんなMtbが欲しいなー」そして、「知らない所まで乗って行けたら最高だな…」と笑っていたので、「高1なら、今はこのママチャリで足を鍛え、お小遣いを貯めて買ったら良いよ…」と云うと、そうですねと頷いていた。「また何処かで会おうネ…」と、少年と別れ林道を下って、帰り道の途中にある、スポーツ用品店DEPOに立ち寄り二代目のチャリパンをゲットした…。一代目が17年穿けたからこのパンツを穿きつぶす時…私は〇〇歳になっているだろう…






〜 ★ 梅雨の合間にMtbで四王寺山(6/24)と… ☆ 九千部山(6/25)へ 〜



… 那珂川町から九千部へ向かったが、道を間違え手前から這入って遠回り…おまけに通行止め箇所も!(6/25) …

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2013/6/25  曇 天 

自 宅 (11.15) ⇒ 裂田溝 (11.45~50) ⇒ 不入道 ⇒ 埋金(引き換えし点) (12.12) ⇒ 大博多ゴルフ場前(12.43) ⇒ 通行止め (12.55) ⇒ 平等寺上村(13.34) ⇒

休憩 (14.15~22) ⇒ 九千部山(14.40~58) ⇒ 大浦 (15.22) ⇒ 山田 ⇒ 春日市 ⇒ 自宅(15.56)




6月25日

 昨日、四王寺山へ久し振りに出かけ調子が良かったので九千部山へトライしようと思ったが、天気の方があまりパットしなかったのでグズグズしてたら、10時過ぎごろから青空が広がって来た。

 この青空をみすみす見逃がしてはならない…と、慌てて準備を始めた。熱中症対策にドリンク類を2リッターと、握り飯などをザックに入れて出発したのはもう11時を過ぎていた。九千部山へMtbで出かける折りは何時も、天拝山麓から平等寺を経て登っていたが、今日は気分転換に那珂川町側からトライすることにした。

 新幹線車両基地から那珂川町へ向かっていると、高いところに架かっている高架橋を音も無く滑るように新幹線列車が疾走して山陰に吸い込まれて行った。春日市から那珂川町に這入ってすぐに歴史資料公園になっている「裂田溝」の川べりで一休み…。水田を渡って来る風と豊かに流れる小川…目をやるとバケツを片手に釣りをしている人が…故郷(フルサト)の原風景である。

 ♪…ウサギ追いし彼の山〜小鮒釣りし彼の川…こんなのどかな風景が日本から消えている。将来、世の中はどの様に変わっていくのであろうか。文明が発達して行くのは良いとして、同時に、こうした故郷の宝物を失わないように我々は努力して行かねばならない…。物より、心の豊かさこそが幸せの原点であると思う。

 釣り人?と別れ山田集落を抜けて神社横から386号線に這入った。国道と並行して流れる那珂川の水流が勢いよく流れ下って気持ちが良かった…10分ほどで不入道集落に出た。此処で勘違い!九千部山方面へは、この先の大浦から入らねばならないのに此処で早曲りして大博多ゴルフ場方面へはいった。

 間違った道を走っているとは思いもしないで坂道を登って行くと、片隅にお堂がある二股に出た…。左手の道はセンターラインがある大きな道で、右手の道は細かったので大きな道の方に這入って暫く登ると段々傾斜がきつくなって立ち漕ぎで登るようになった。低速でヨロヨロ登って行くと顔の前をしきりにブヨが纏わりついて離れない…ハンケチで追い払いながら急坂を登って行くと、こんな山の中に会社らしき大きな建物があって、その付近で突然として道は途切れていた。

 ブヨに絡み疲れ、汗まみれになって漕ぎ上がって来たのにこれは何だ!仕方なく先ほどの二股に引き返す。お堂の前で思案してたら、上からおばあちゃんがスクーターに乗って降りて来られたので、ヘルメットを脱いで頭を下げて道を尋ねた…「九千部山方面へはこの小さな道で良いでしょうか?」と伺うと「九千部山ならもう一つ上の方からだよ…」と答えられた。

 その時点で入り口が違っている事を認識していなかったので、(本当は、彼女が教えてくれた大浦へ向かわねばならなかったが、この道が大峠から基山町方面へ抜けていると思い込んでいた)ので、尚も尋ね直すと面倒になったのか「この道を登って行くと大博多ゴルフ場に出るから、その辺で又、人に聞いたら良かろう…」だった。彼女にしてみれば正解を教えてくれたのだが、何とも知れん自転車乗りが、別の道を行きたいというのならそうしなさい…だったのだろう。

 正午過ぎの雲間から照りつける太陽と湿気で不快指数は最悪…流れ出て来る汗が肌に纏わりついてジトジトし、おまけに汗の匂いを嗅ぎつけたブヨが顔をの周りから離れずについて来る。少しスピードが出たら振り切って逃げれるのだが、如何せん、上り坂で10q/h程度のノロノロ運転…そんなブヨを引き連れて登って行くと、道端に座り込んで、三人連れの私年配のご婦人方が何やらしておられた。チャリから降りて挨拶し「昼ご飯を食べておられるかと思ったら、山菜整理だったのですね」と云うと、「今頃は、このマタケ採りが楽しみですよ…」と云いながら、大きなビニール袋に皮を剥いた先っちょだけを入れておられた。

 二股から30分ほどかかって大博多ゴルフ場入口に着いた。所がである…!何と私が進もうとしている林道は、災害工事の為に工事中で通行禁止の看板が立っているではないか。まー自転車なら担ぎ上げて通過できるだろうと多寡をくくって進入した。確かに通行禁止の道らしく車など通行した気配はなく、路面には木の枝等が散らっており、それを避けながら植林の中の暗い道を登って行くと工事現場に出た。

 丁度昼休み時間で作業はあっておらず、作業員の人達はマイカーなどの中で休憩している様だった…工事個所はほぼ完了したらしくチャリを担いで行かずに済み助かった…工事個所から何となく下り区間が多くなったのでおかしいな…と、悪い予感が頭を掠めた。尚も下って行くと下の方に田んぼと人家が見えて来た…。

 出た所はなんと平等寺集落の最奥の上村の外れだった…。大峠手前の九千部山入口に出ると思っていたのが何のことは無い、その入り口の平等寺とは!何だかサイコロゲームで振出しに戻ったようで一気に疲れが出てしまった。どうしよう…今日はこのまま大人しく引き上げようかなんて弱気の虫が顔を覗かせた。

 が、家を出るとき、遊びに来ていた娘に「一寸チャリンコで九千部に行ってくるけんね…」と云った手前もあるし、こんな事で挫けては男がすたる…初志貫徹!と心にムチ打ち、レッツゴーと再び急坂にチャレンジした。

 後から考えてみれば、この時点で昼食タイムにしておけば山道に這入ってのガス欠ダウンは無かっただろう…。そんな思考回路も失くしていた身体に間もなくツケが廻って、押し歩きになってしまった。その時点で時間はどれほどかかっても良いと腹を括り、時速4km程で押し登って行った。

 やっと中腹にある水場に出て、水汲み中の人からホースを借りて頭から冷たい水をかぶった…。その時は此処で昼食にと思っていたが、場所が暗くて風も当たらず陰気くさかったので見晴らしの良い所までと先延ばしにした…。あまりに腹が減ってしまうと空腹感さえなくなってしまうらしい。

 水場から10分ほどで峠に出て、一旦、今日ここを登って来るはずだった那珂川町からの林道に合流する所までチャリに跨って下った…。その余力をかって、山頂まで3,6kmの表示板が立っている山頂への道を1kmほど漕ぎ登って行ったが力尽きダウン…後は惰性でノロノロとチャリを押して行った。

 山頂へ、後1km付近の一番下側に立っている無線塔の処で足が動かなくなってしまった。時計を見ると14時20分…完全なガス欠状態でザックに入れてきた握り飯を喰う元気もなかった。チャリを道端に倒して舗装道路に尻もちをついて足を伸ばすと筋肉がピリピリと痙攣していた。以前、息子から貰っていたカロリー補給ゼリーを口に入れた…その甘みが疲れた身体を幾らか癒してくれた。グリコではないが此の一滴で300m行けそうだった。

 西鉄の列車無線塔前を通過すると山頂は直前…何とか最後の坂を登り上がって山頂のアンテナ群の立つ広場に着いた。何時もは何台かマイカーなどで登って来た人もいるが、今日は道中を含め誰一人と出会う事が無かった…。梅雨の最中の平日とあっては当然かもしれない。白いオカトラノオが何本も咲いているのを横目に見ながら、山頂展望台の下までチャリンコを押し上げ、今日の目的が曲がりなりにも達成した事に感謝しよう…。東側にある祠の前に行って「何とか登って来ることが出来ました…」と報告した

 展望台に戻って屋上に登って見ると、梅雨前線が南方にあるらしくそちら方面の空は灰色の雲が重く垂れこめ、脊振山の一角にも黒い雲がかかり始めていた。足許には白いヤマボウシの花が緑の樹海の中に点々と咲いて綺麗だった…秋の収穫が楽しみだ。

 二階のベンチで腰を下ろし、遅い昼食タイム…。あまりに疲れていたので、妻が握ってくれた海苔巻きオニギリもただ何となく口に入れた。15分ほど展望台で休養を取って下山開始…「チャリンコ君お願いします…」とサドルに跨って下り勾配の道に這入った。

 何時もだったら、このクライムダウン風を切ってぶっ降るのだが、汗で冷えた身体に風が冷たく、ブレーキングしながら何時もの半分のスピードで下って行った…と云いながら下りは早い。ヘアピンカーブを快調に下って国道386号線まであっという間に下ってしまった。

 往路に間違って這入ってしまった不入道地区を抜け、山田集落から裂田溝の清流沿いに走り、安徳地区から春日市を抜け16時少し前に我が家に帰宅した。汚れた愛車を拭いていると雨がぽつぽつ降って来た…良かった雨に会わずに。

 因みに、(往路は約32km…3時間半。 復路は25Km…1時間)でした。 調子のいい時もあるし、今日の様な日もあるがめげずに、自分自身の体力維持と管理に努めていきたいと思っています。






〜 久し振りのMtbは四王寺山へ 〜

2013/6/24  曇天 




6月24日

 発掘作業を半ドンで引き上げて帰宅し、梅雨の合間を利用して久し振りに四王寺山へMtbに跨って出掛けた。梅雨も本番を控え連日曇天か今にも降り出しそうな不安定な天気で、アウトドア派にとっては身体を持て余す季節である。

 75歳を半ばを過ぎると体力気力は日一日と衰えていくばかり…上半身は発掘作業の鍬ふるいで何とか現状維持を保てているが、下半身の脚筋力や心肺機能の方はどうしてもトレーニング不足になってしまう。

 で、気持ちを奮い立たせてMtbを引っ張り出して四王寺山へ向かった…。総合体育館を過ぎると、山腹を縫って大宰府に抜ける林道で、市民の良き散策路でもある。カーブを曲がるごとに視界が開けて我が街並みが足許に広がって来る。

 雉ヶ尾林道と合流し5分ほど漕ぎ登ると四阿が立っていて、Mtbで登って来た時の小休止場所である。此処から毘沙門天へ続く山道があって、秋に行われる市民のお祭りの「大文字焼」の文字が灯される場所を経て、稜線上の遊歩道に出ることが出来る。

 Mtbに跨ったまま10秒ほど休んで呼吸を整えぺダリング再開…。たった10秒ほどの小休止だが効果抜群で、呼吸も落ち着いて足にもパワーが蘇る。飲めない水場を過ぎると「ポチちゃん」のお墓で、桜の木の下に眠っているポチが何時も無言の励ましをしてくれる。通る際には何時もサンキュー…と声をかけ通過する。

 二度目の休憩ポイントは大野城市方面の市街地が見えなくなる地点で、ランニングをしていた頃は、ほとんど毎日此処まで駆け上っていた場所で、私の基礎体力養成の道場でもあった。お蔭で、この年になって、山に登ったりチャリンコを漕いだりできるのも「四王寺山道場」の賜物だ。

 最後の急こう配の道をクリアーすると宇美町側方面が俯瞰できる最高地点で、一気に野外音楽堂前までり、そのまま大宰府側へ下って県民の森サイトから宇美町から来た車道に這入って最後の登りを踏ん張ると、峠の焼米原展望地で足許には太宰府市街が南へ広がっている。

 Mtbをロックし徒歩で山頂展望台へ散策…景色の方は低く垂れこめた梅雨空で、直ぐ其処に見える宝満山も雲の中に隠れ見えなかった。山頂展望台には合歓の花びらが散っていたが、私はこの合歓の花の何とも言えない色合いと形が好きである…何となく支那をイメージする雰囲気の花で、蘇州夜曲が聞こえてきそうだ。

 その合歓の木の傍には笹栗の木が花をつけていたが、その枝先には可愛らしい栗の実の赤ちゃんが、一人前にイガをつけて揺れていた…季節は今から夏を迎えるのだが、此の弦の先についている青い実はなんだろう?…こうして山野には早くも「小さい秋」が育っているのだ。

 10分ほどボンヤリと休憩し帰路に就いた…。久し振りの四王寺山だったが思ったよりスイスイと登ることが出来て嬉しかった…。明日の天気次第では九千部山へ行ってみようか?何て余裕の気持ちで山を下った。






〜 発掘仲間のN田氏とチャリンコでしょうけ越しから若杉山へ 〜



… しょうけ越しの人道橋際にチャリンコをロックして若杉山へ …

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2013/5/22  晴れ 

自 宅 (9.00) →(MTB)→ しょうけ越し (10.36~42) ⇒ 若杉山 (11.27) ⇒ 奥の院(11.33~40) ⇒ 山頂神社-昼食 (11.46~12,15) ⇒ しょうけ越し(12.53~58) →(MTB)→ 自宅 (13.37)




5月22日

 発掘の仕事が休みになったので、7時ごろN田氏に何処かに行きませんかとTELすると「今は犬の散歩中ですが後ほどチャリンコで出て来ましょう…」の返答だった。

 という訳で、9時前にやって来た彼とチャリンコで我が家を出発し、当初は昭和の森から宝満山と思っていたが途中で行く先を変更し、しょうけ越し峠から若杉山へ登ることにした。

 宇美町から須惠町までは何度か小高い丘もあったが殆ど平坦で、ルンルン気分で気持ち良く風を切って走ったが、須惠町の外れのダム公園付近からは登り一方の道になって、ギアをダウンしてヨタヨタ漕ぎ登っていると、車が迷惑そうに対向車線にはみ出して追い越して行った。

 前回、しょうけ越しにチャリンコで上った時は三月で、気温も低く好コンデションだったが、今日は、朝から夏の太陽が照りつけて大分ハンデキャップがあった。登り始めは、上り坂でもカーブは緩やかだったが、人家が途切れて来る頃からヘアピンカーブが始まって、インカーブの場所では、後ろから接近してくる車のドライバーにとっては死角になっているので、エンジンの音が聞こえて来る度に、左の端っこを身を小さくして漕ぎ登って行った。

 N田氏にとっては、初めてのしょうけ越しトライになるのでペース配分が判らないだろうと、様子を見ながら路肩の広い場所で立ち止まっては呼吸を整えて貰った。

 何度か小休みをしながら、ほぼ中間地点の須惠町貯水ダムサイトに着いて給水タイム…山で鍛えたN田氏も苦笑いしながら「キツカデスネー」と肩で息をしていた…が、負けん気で「サー行きましょう…」と、サドルに跨って峠への急坂道へヨロヨロとペダルを漕ぎ出した。

 カーブ箇所には、起点の飯塚側からナンバーが印された表示板が立っているが、No37付近辺りが勾配がひどいところで、その辺で遅れて登って来る彼を待っていると、押し歩きでカーブを曲がって来た。

 彼がやって来て「峠はあの辺ですかね…」と指差すほうを見ると、峠手前の切り通しの壁が上方に見え、赤いヤマツツジの花が咲いていた。「そうバイ…後ひと踏ん張り頑張っちゃいない!」と気合をかけ、残りの5曲りを漕ぎ登って、10時35分ごろ歩行者跨線橋が架かっている峠に辿りついた

 切り通しの側壁を押し登り、縦走路に出てチャリンコを立木にロックした。今漕ぎ登って来た方向を眺めると、この所の日照り続きの影響で視界が霞み、我が街も煙霧の中で望めなかった。

 一息入れて若杉山へ出発…歩き始めは、チャリンコを漕ぐのと違う筋肉を使うせいか、暫く脚に力が入らなかったが、トライアスロンのレーサーたちは、泳いでチャリンコ漕いでランニングするのだから凄いと思った。それぞれ別の筋肉を使うのだから。

 杉林の中を上って尾根に出ると、北側から爽やかな風が吹き抜け、汗をかいた身体に心地よかった。少し音痴の(練習中?)のウグイスさんの声を聞きながら、小さなアップダウンの道を歩いて行くと、道の両側には小さな花(実?)をつけたナルコユリが風にサワサワと揺れていた。

 この一帯特有の岩の表面がツルツルした露岩が現れて来る辺りで、前方から草刈り機の作業音が聞こえてきた。そういえば、この付近は藪が生い茂って足許の露岩は良く見えないが、下草から綺麗に刈り払ってあったからだ。

 少し先で、一人の登山者風の人が、草刈り機で雑草を刈り払っておられた。足を留めてお疲れ様です…と労うと、エンジンを止め、ムスッとした顔で「通っていいよ…」とつれない返事。私も、倒木整理や登山道整備など微力だがやって来たが、気持ちとしては「やってやる」のではなく「やらさせて貰っている」だったので、彼の態度は少しムカついた。

 ボランテアは無償の社会奉仕である…。折角、好意で登山者の利便を図っているなら、どうぞお通り下さい…の言葉も一緒につけて呉れたら、お互いに気持ちが良いのに…と思った。

 杉林の中から展望の開けた若杉鼻展望岩に出たが、生憎の煙霧状態ですぐ近辺の三郡山さえおぼろで、先ほどヤッコラ登って来た県道60号のカーブ道や、須惠町貯水ダムも霞んでいた。展望岩から若杉山への最後の斜面に這入る手前の両側に、シャガの花が列を作って咲いていた。

 山頂に11時半ごろ着いた。食事中だった登山者に挨拶して奥の院に向かった…。奥ノ院の仏様に手を合わせ、休憩所で何時ものラムネを購入し休憩所で喉を潤した…N田氏はビールでも飲んでいる様に「あーウメー…」と泡をこぼしながら飲んでいた。

 小休止後奥の院を後にし、鉄梯子を登って奥の院名所の「邪まな心の人は通り抜け出来ない狭い岩」の隙間を擦り抜け、山頂神社境内で昼食タイムにした…。御手水所にちょぼちょぼと流れ出ている水をボトルに汲んだが、0,5Lボトル満タンするのに5分以上もかかった。

 食事を終え、往路を辿ってしょうけ越しに向かった…。杉木立の切れ目は、お日様が照りつけて暑かったが、木立の中の道は風が吹き抜けて涼しく13時少し前に、チャリンコをロックした峠の上に着いた…。

 チャリンコを押し下って県道に出て、サー、ダウンヒル開始…!登りの苦労は何処へやら、一気に風を断ち切ってヘアピンカーブの道を下降し、一台の車にも追い越されずに須惠町の住宅街に這入った…。乙金峠を越えると大野城市…自宅付近のコンビニでアイスを食べ、今日のチャリンコ登山終了…お疲れさんでした。






〜 久し振りのトレラン…(砥石山〜宝満山) 〜



… 前砥石山より三郡〜宝満山方面 …

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2013/5/12  晴れ 

自 宅 (7.35) →(MTB)→ 昭和の森 (8.10~14) ⇒ 前砥石Aコース ⇒ 縦走路 (9.01) ⇒ 前砥石山(9.12) ⇒ 砥石山 (9.22~25) ⇒ 前砥石山(9.34) ⇒

三郡山 (10.13) ⇒ 佛頂山(10.40) ⇒ キャンプセンター (10.50~55) ⇒ ウサギ道 ⇒ 草ヶ谷貯水池 (11,35~12,02 昼食) ⇒ 昭和の森 (12.05) →(MTB)→ 自宅(12.36)




5月12日

 今日も爽やかな五月晴れの良い天気…に誘われ、ブラッと近郊の山でトレランをして見ようと思い立った。

 先週、息子と古処山へ行ったとき、下り道を半ば小走りで下ったが、その後、膝の具合は異常が無かったので走って見る気になった。(定年二年ほど前までは、フルマラソンとか阿蘇100Kマラソンなんかジャンジャン走っていたが、膝痛と呼吸器系がいかれ、以後は、もっぱら山歩きとMTBになっていた。)

 7時半過ぎにMtbに跨って自宅を出発…8時ごろ、昭和の森の駐車場に着くと駐車場は早くも満タンだった。皆さんこの皐月の陽気に誘われ、新緑ウオーキングを愉しみにやって来られたのだろう。

 Mtbを駐車場のフェンスにロックして8時10分過ぎに出発…砥石山方面への林道に這入った。災害で巨岩の転がる欅谷を渡って直ぐ右手に黄色いポールが立っている。此処が「砥石山Aコース」の入り口で標識類が無いので見逃すかも知れない。

 背中には、息子から貰ったトレラン用のチッチャなリュック…中身は、ヤッケ・昼食のパン二個・スポーツドリンク0,5L一本・タオル…etcで、重量は約2sで空身と変わらない。その他、行動しながら小まめに水分補給するため、0,5Lのドリンクボトルを手持ちにしていた。

 山道に這入って歩き始めて思った事は、元気バリバリの頃とは違うのだから、傾斜の緩やかな場所や平坦、下り坂以外では急ぎ歩きにして、余裕があればランを愉しもうと決めていた。50年ほど前の宝満山早登り競争では15s担いで24分で走り登った事もあったが、あれは、若さ以外の何物でも無かったのだから…。

 トレッキングシューは登山靴に比べとても軽いし、地面とのグリップ状態も良好で近郊の山歩きには適している…。(少し難点を上げれば、踵部分が低いので異物が這入り易い)登山靴の場合は重いし、走るようには作られていないので、一定のペースで歩く訳だが、トレシューの場合は軽いので自然と足が軽くなり行程が伸びる。

 現に、息子の知人の中には、傾山〜祖母山の馬蹄型縦走路を14時間で駆け抜けた猛者もいらっしゃるようだが、いま、国内はもとより世界各地でサバイバリテイな大会が目白押しで、地元の山をテクテク歩いていても必ず何人かのトレランナ−に遭遇する。

 落ち葉の積もった上り勾配の道を、トレシューに引っ張られ急ぎ足で登って行くと、忽ち気持ちが良いぐらい汗がスタスタと滴り落ちる。時々勾配が緩やかになった所に来ると小走り走りになってみたが、やっぱりきつい!そんな事を繰り返しながら昭和の森から45分で三郡縦走路に出た。私の歩行標準タイムより15分ほど早かったかな。

 新緑のみどり滴る縦走路は、小さなアップダウンのトレラン向きのナイスコース…。尾根道の縦走路には所々にピンク色のミツバツツジの花びらが散っていた。そんなナイスロケーションに誘われ、気持ちだけ青年の75歳のロートルランナーが、風になって?トットコトットコと駈けはじめた…。

 4〜5分走った所で前方からやって来た高校生の一団と行き違った…。後から知ったが、この三郡山地で高校総体の福岡県大会が開催されていたのだった。重いザックを担いだ生徒たちと関係者の一団の横を、コンチハー!と挨拶しながら駆け抜けていくと「ガンバってくださいー」とエールを頂いた。君らこそ頑張っておくれ!

 彼等と別れて暫くすると、若杉山方面から縦走してきた登山者と離合するようになった。緩やかな勾配を登り上がると眺めの良い前砥石山で、クマン蜂が一匹ぶんぶんとホバリングしていた…。そのまま通過し、一旦鞍部に下って砥石山への登り返しを一気に駈け上がりたかったけれど息切れし、ギアダウンして息を弾ませながら今日の折り返し点の砥石山に着いた。昭和の森から一時間十分だった。

 此処で一息…ボトルの水を飲んで屈伸運動を少ししてUターン…宝満山方面へ縦走路を後戻った。前砥石山に戻って来て前方を見ると、少し霞みがかった彼方に三郡山・頭巾山・三郡山・佛頂山・宝満山が弧の字を描いて並び立っていた…今から駈けて来るから待ってろよ!

 久し振りに山地を走って見て思い出したが、上り坂より下り坂の方が楽だろうと思うが、確かにきつさは違うが、下り坂では木の根や石ころなどでオーバースピードすれば躓きかねないし、ブレーキが利かなくなってしまうので、爪先でつん張りながら下って行かねばならないので、違った意味できつい。

 尾根を越えて来る薫風と夏鳥たちの美声に助けられ、颯爽と??走って行くと、砥石山へ向かう途中に離合した登山者たちに次々に追いつき、追い越して行った。砥石山Aコース・欅谷Aコースと快調にクリアーし、欅谷Bコース分岐まで来ると三郡山は目の前である…。その三郡山への上り道でピンクの色も鮮やかなミツバつつじが出迎えてくれた。

 三郡山頂に着くと、前砥石山の手前で離合した高校生一団が休憩していた…。後、竈神社までひと息だよ…と、声をかけて山頂を後にし、レーダードームに見送られ縦走路に戻ってスタコラサッサと宝満山方面へ駈けだした。

 この付近まで来ると向こうから来る人、向こう側へ歩いている人たちとの離合が増えた…。難所滝分岐から最後の坂を登り上がると長崎鼻で、その先の佛頂山前で県大会参加中の女子高校生に追いついた。さっき、三郡山頂に居た男子校生達より早かった訳で、まだまだ余裕綽々だった。

 佛頂山頂の祠の石像様に立ったまま掌を合わせ、山行きの安全をお願いした。ウサギ道合流点から左折し、キャンプ場水場へ下りて行った。

 水場に着いて冷たい水で顔を洗い、手持ちのボトルに美味しい山水を満タンにし、ガブガブと飲ませて貰った…ウメー!水場からキャンプ場に上がって行くと、小屋の入り口で小屋番のN田氏が登山者と話していたので挨拶をすると、「何処から来たとですか?…」と吃驚していた。

 広場には、先に着いて休憩中の高校生パーテイや、一般登山者たちで賑やかだった。「コーヒーでも飲んでいかんですか?」とお誘い受けたが「今日はトレランの真似事中で、此処で上がりこんで休んだらペースが狂ってしまうのでノーサンキューです。御心だけ頂いておきましょう」と、辞去し、宝満山の稚児落としに行くと、山頂は人だらけの様子だったのでパスし、ウサギ道へ向かった。

 ウサギ道に這入ると後は昭和の森まで下り一方…木の根に躓かないようにエンジンブレーキをかけながら、ウサギさんの様にピョンピョンと河原谷へ下って行った。涸れ沢を渡って難所滝分岐に出ると若い男女グループが休憩中だった。彼等とは、縦走路の難所滝別れで出会ったが、今ここまで下って来たのだろう…。老体にムチ打って走る私を見て「早いですね…」と笑顔で見送ってくれた。

 河原谷沿いの道に這入ると勾配も緩くなって走り易くなり、あっという間に草ケ谷貯水池まで下りついた…。堰堤の上に行くと、芝生の上に黄色の花や紫色のアザミの花が咲き乱れており、水面には宝満山系の山がその姿を写していた…時計を見ると11時半ぐらいだったので、此のナイスロケーションで昼飯タイムに決定!

 シューズを脱いで裸足になり土手の芝生に尻持ちをついて、周りの花たちを見ると初夏の風を受け生き生きと光り輝いていた…「やはり野におけレンゲソウ」ではないが、花園の花たちとは一味もふた味も違った美しさがある。特に、私はアザミの花が好きである…アザミの蕾状態の時のあの濃紫の色合いは素晴らしい。

 燦々と降り注ぐ五月の太陽と薫風を受けながら、花たちと一緒に食事(と云っても、饅頭とパン&ポカリ)出来るなんて、是こそ至福のひと時である。何とかミニトレランをこなせた事と相まってナイスフィニッシュだった。

 30分ほどゆっくりし昭和の森へ下って行くと、石楠花園の深紅のラリーグラスが満開で青空の下に「私を見てください」と華麗に咲いていた。駐車場に着くと、先程の青年グループがマイカーの前で山道具などを仕舞っていた。私が、Mtbのロックを解錠していると「山では走って下界はチャリンコですか?元気ですね…」と羨ましそうだった??。

 昭和の森公園の登り坂はきつかったが下り坂は最高!一気に園地を下って、宇美町からのんびりぺダリングし、12時半ごろ我が家に帰り着いた。久し振りのトレランだったが、スピードが遅かったかも知れないが左程苦にはならなかった…が、景色、自然の佇まいなどや写真など撮る暇もないので、本当の意味での山登りは望めませんね。






〜 息子とチャリで秋月へ…登山口から古処山往復 〜



… 正面に見える古処山へ向かってサイクリング (秋月手前で) …

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2013/5/6  晴れ 

自 宅 (7.00) ⇒ 政庁跡 (7.20) ⇒ 秋月 (8.41) ⇒ 野鳥登山口 (9.01) ⇒ 五合目(9.28) ⇒ 古処山頂 (10.02~20)
⇒ もみじ谷コース入口(10.28) ⇒ 五合目 (10.52) ⇒ 登山口(11.10) ⇒ 秋月 (11.15) ⇒ 朝倉街道(12.10) ⇒ 自宅(12.36)




5月6日

 GW最終日に、息子とチャリンコで秋月へサイクリングへ出掛け、野鳥登山口から古処山へ駆け足登山をして来た。(二人とも偶然にサロモンの山トレシューズだった)

 都府楼の政庁跡で、7時10分に会おうと前日メール連絡していたので、そのつもりで出発する予定でいたが、もたついて家を出たのはが7時5分前だった…。その上に強い向かい風で政庁跡に着いたのは7時20分ごろだった。

 息子は約束時間よりも早く着いていたらしく、だいぶ待たせたようだった…。五月に這入って晴天続き、今日は向かい風の南風が少し強いが、上々の五月晴れでアウトドア遊びには持って来いの天気だった。

 先日、息子は国東半島センチュリーラン (160km) を仲間たちと走って来たばかりだが、そんな疲れは微塵もないようで余裕綽々だった。そんなサラブレットの様な快脚の持ち主と、おこがましくも一緒に走ることが内心ちょっと怖かった…。

 政庁跡を出ると息子が、「俺の後ろにピタッとくっついて来れば風は当たらないよ…」と云ったので、お言葉に甘えそうさせて貰った。自転車レースなどで、トップを目まぐるしく交代しながら走っているのをテレビなどで見ることはあったが、実際に走ってみると信じられない程、風の抵抗が無かった。

 お蔭で、強い向かい風も息子の後を走る事で全然気にする事が無く助かった。九州国立博物館の横を走って吉木に出て、麦畑の中を宝満川沿いに暫く下って、天山付近から国道386号の東側を並行して走る旧道に這入った。山家方面へ狭い道を暫く走ると道の両側には、白壁土蔵が続き、門構えの大きな屋敷が散見された。

 息子が言うには、「この道は長崎街道の一部で、この先にも古い家並みが残っているよ…」と教えてくれた。江戸時代にタイムスリップしたようで、駕籠ならぬチャリンコで由緒ある歴史の道を通り抜けて行くのが嬉しかった。

 この道は、車の通りも非常に少なくのんびりと走ることが出来たが、未だこういう道があちこちに隠れていると思うので、次は道探しの旅に出るのも良いな…何て思ったりした。山家でJRを踏み切って筑前町に這入ると、道の両側には、黄金色に色づいた麦畑が続き、麦の穂がサワサワと五月の風に穂波を揺らしてざわめいていた。

 先頭を走っている息子が振り返りながら「この付近には小さな池がいっぱい有るよ…」と教えてくれた。その通りで灌漑用の大小さまざまな池が次々に現れ、大きな池には(帰宅して地図を見ると松延池と記してあった)水鳥が水面にのんびり浮かぶ様は一片の絵画を見る様だった。

 五月の薫風を肌に感じつつぺダリングして行く道端には、紫色のあやめの花や、ツツジの花が咲き競い、大空には悠々と鯉のぼりが泳いでいた…まさに初夏の風物詩である。

 筑前町から朝倉市に這入って甘木バイパスを東進し、弥永の交差点から左折し秋月への道に這入った。先頭を走って行く息子の頭上彼方には、後ほどトライする予定の古処山が、少し霞んだ青空の中に聳えていた。

 秋月の町並み手前にある、秋月川の男女石遺跡(河川氾濫防止の為に)付近が道路拡張計画問題で撤去するか否かで問題になっているらしいが、こういった文化遺産は簡単に取り除いたりしないで、先人の智恵と功績を後世に残し伝えていくべきだと思う。

 秋月城下町の中を上って行く途中、秋月付近にはコンビニ類がないので、饅頭屋さんに立ち寄って行動食用に購入した。店に這入ると、つがいのツバメが店の中へ出入りしていたので、おばちゃんに「軒先では無く店内に巣を作らせるのですか?」と、尋ねたら「糞やらして穢のうなると思うけど這入って来るもんねー」と、笑っておられたが、燕は益鳥だから幸運が舞い込むかも知れない。

 饅頭を買って城下町から旧道を登り、野鳥バス停を過ぎ暫く登った所にある、九州自然歩道の看板から右折し、坂道を少し登って左手にある駐車場に這入り、水道施設の支持物に二台のチャリを並べてロックした。

 二人の格好はランナースタイルで、私の背中には、息子が国東レースで貰った記念品の超小型リュックを呉れたので背負っていたが、中には、ヤッケ・財布・タオル・饅頭だけで、飲料水は手にぶら下げて行った。

 登山口に来ると、一月に来た時は工事中だったが開通したらしく、立ち入り禁止の柵は取り除かれていた。左手の渓流の音を聞きながら舗装された林道から、新設された橋を何度か渡って石畳の道を登り、5合目の駐車場前を9時半ごろ通過し、何度か小さな沢を渡り返しながら登って行き、沢筋から離れ新緑の眩しいトンネルの中を少し登って「水舟」と呼ばれる最後の水場に出た。

 日照り続きで小さなパイプの先から流れ出る水は少なかったが、掌に受け顔を洗って喉を潤した…甘露々である。水が流れ出て来る大石の奥から「グォー…々…」と水番人の蛙さんの声が聞こえていた。

 8合目付近から上部の広葉樹林の中の道はフワフワと足に優しく、新緑のシャワーが気持ち良かった。古処山は石灰岩の山で、山道には雪のように白い石灰岩が露出し現れ、古処山名物の天然記念物「柘植」が出て来る。今は、新芽の吹きだし始めで、その小さな葉っぱは柔らかく艶々光っていた。

 ヒョイヒョイと石灰岩を飛び越え10時ごろ山頂の祠の前に着いた。祠の横の木の階段を上って、大きな石灰岩の上に登ると東西北方面の展望が利くのだが、思ったように今日は周囲の景色は煙霧の中に溶け、辛うじて北側の三郡山系の姿が確認できるだけだった。

 樹齢千年の柘植の木があると案内板に書かれていたが、山頂の岩場付近には背の高い柘植の木が群生し、初夏の陽光に瑞々しい新緑の色を煌めかせていた…秋月で買ってきたふかし饅頭を二人で食べながら暫く過ごし、岩から降りて祠の方に戻っていると岩場の片隅に「ヒトリシズカ」の花が咲いているのを見つけた。

 10時20分ごろ下山開始…下り道は「もみじ谷」コースを選び、柘植の群生地の屏山方面への分岐から、右折し、広葉樹林の中の穏やかな落ち葉の道に這入った。柘植のトンネルの中を暫く下って行き、柘植の林から新緑の樹林帯に這入って間もなく「秋月山城曲輪跡」の前に出るが、付近は落ち葉の絨毯の中でその面影を見つけることは出来なかった。

 後は、落ち葉が積もって滑り易い急な坂道を立木などに掴まりながら走り下って、往路に辿った正面登山道と合流した。合流して暫く下った場所で、息子が「ワー蛇が!」と指差すのでその方を見ると、1m以上の真黒な蛇が道を横切っていた。見ているとその蛇は草薮の中にでは無く、蔦蔓伝いに木をニョロニョロ登って行った…木登り蛇を見るのは初めてだった…。

 牛巌岩を過ぎて五合目の駐車場を一気に通過し、時々登って来る登山者たちと離合しながら駆け下って、登山口に11時10分ごろ下りついた。ロックを外しチャリンコに跨り登山口を後にし、観光客で賑わい始めた秋月の城下町を徐行で通り過ぎ、後は、往路を辿って帰路に就いた…。

 昼飯時だったので何処かで燃料補給しようと何軒か店を覗いたが、GWの昼飯タイム時とあって満員状態だったのでパスし、朝倉街道から旧3号線に這入って都府楼付近で息子と別れ、12時半過ぎに無事我が家に帰着した。チャリンコと山登りの組み合わせも変化があって面白い。今日は、チャリンコでは息子には迷惑をかけたようだがこれからも又付き合って下さい。

  * 往復、約5時間半(チャリ=約3時間30分 山歩き=2時間弱)、走行距離=約60km、でした。






〜 Mtb漕いで三郡山頂へ… 〜



… 専用道路の八合目付近から …

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2013/4/4  曇り 

自 宅 (9.35) ⇒ 油須原 (10.39) ⇒ 水場 (11.28) ⇒ 専用道路終点 (11.46) ⇒ 三郡山頂 (11.50) ⇒ 専用道路終点(昼食) (11.52~12,10) ⇒ 自 宅 (13.07)




4月4日

 昨日は、四王寺山ツーリングでお茶を濁していたので今日は少し骨のあるコースを思い立った…行く先は三郡山である。  小型リュックに着替えと行動食などを入れて9時半過ぎに我が家を後にした。西鉄大宰府駅手前の踏切を渡り、峠を越えて吉木小学校から左折し米の山峠への県道に這入った。(小学校付近の県道は狭かったが区画整備事業で家が立ち退き広くなっていた)

 この米の山越えの道は片側1車線の狭い道で、途中にある生コン工場の大型トラックが行き来するので、チャリンコはチョット肩身の狭い思いをして路肩を恐るおそる走って行かねばならない…。何時もは休憩ポイントにしていた宝満山登山口バス停を横目に通過し、本道寺から段々畑の中のカーブをぐいぐい漕ぎ上がって米の山峠手前の油須原に着いた。

 バス折り返し場所から少し登ると道端に「県立射撃場」の大きな看板があり、その下に環境省の九州自然歩道の立て看板があって、山頂まで6,4kmと記されていた。家から此処まで約1時間だった…なかなか良いペース!75歳にしては。

 此処から少し登ると県立射撃場入口方面への道で、三郡山頂へは右手の狭い道になる。分岐を過ぎるといきなり斜度がまし、後ろギアを落とし立ち漕ぎで登って行かねばならなかった。ふらふら登って行くとゲートがあり諸車乗り入れ禁止の看板がある。此処からは三郡山頂にあるレーダー施設類を管轄する役所の専用道路で一般の車両は這入れない(自転車もだろうが大目に見ていただこう…)。

 ゲートの左側が少し空けてありそこを通って三郡山頂まで続く専用道路に這入った…。坂道は何処の坂道でもきついが、やはり、此処の専用道路は標高900m付近まで登るなねばならないので大変なことは覚悟の前だった…。ので、勾配がきつい場所は最初から押し歩きをして行くつもりだった…。

 立ち漕ぎが限界近くになったら無理せずに降りて潔く押し歩き…押し歩きは時速5km、立ち漕ぎでふらふら登って行くときは10km/h弱…勾配が緩い箇所では20km/h弱のペースだった。家を出るとき、山頂に12時ごろ着けば良いなと、計算していたのでこのペース配分で登って行こうと、亀さんの様にノロノロだが休まずに左カーブ、右カーブと曲りながら高度を上げて行った。

 標高が700mを越えて来ると次第に視界が開け気分も良くなってくる。今の時期は春霞の日が多く、遠方の山々などの姿を見ることが少ないが、今日は高曇り状態の天気だったが、雨降り前に遠くまで視界が利くことがあるが、今日はそんな感じで墨絵の様に浮かぶ遠方の山々の姿が良く見えていた…。先ず左手には、山の字の形を見せている英彦山、その向こうには鷹ノ巣、犬ヶ岳と並び立ち、正面には、古処三山から遠くに御前釈迦岳…その後ろには久住の山脈が見えていた。

 視線の右側には有明海の向こうに雲仙岳が浮かび上がり、多良岳のジグザグラインも見えていた…。山の神様が、老骨にムチ打って奮闘している私に、せめてものプレゼントを下さったのだろう。という訳で、坂道登りはきついことは間違いないのだが山の神様の後押しで、徐々にだが高度を稼いで行くと、道の崖側からホース伝いに山水が出ている場所があり、ボトルに給水し顔を洗って喉を潤した。

 給水タイムで気分も一新し気合が入った…急カーブを何度か曲ると山頂手前にあるアンテナ塔が見えて来る…油須原からの登山道が車道に合流する地点を過ぎると間もなく三郡山頂付近のアンテナ群が見えだした。その山頂部分に向かって最後の急坂を男の意地で一気に駆け上がり、11時46分に専用道路最終点に到着した…。

 時計を見ると11時46分で、予定していた12時前に着くことが出来た。Mtbを門扉にロックし徒歩で山頂へ向かった。山頂には何組かの登山者が休憩中で昼食をとっている人も見られた。私も、お昼にしようと石に座って行動食を取り出してから気が付いた…水をMtbのホルダーにつけたままだった!

 飲み物無しでは駄目なのでMtbの所に引き返す事にした。横でカップ麺を食べていた人が「お茶ならありますよ…」と親切に声をかけていただいたが、「ハイ有難うございます…」と好意だけ頂き山頂を後にした。

 門扉にロックしていたMtb君を解錠し、すぐ横のススキの枯草に座ってお昼のやり直しにした。考えてみると、此処まで私を乗っけて来てくれたMtb君をほったらかし、自分だけ山頂で飯を食うなんて虫が良すぎたかな…と反省し、すぐ脇にMtb君を寝かせて行動食のパンやクラッカーなどで腹ごしらえした。

 エネルギーを補給してから下山開始…。あとは一気に900mから油須原の集落まで約600mのダウンヒルだ!ヤッケを着込んで耐風に備えた。下りは早い!45分かかって登った道を10分足らずで油須原の県道に下りついた…。専用道路は文字通り私だけの道だった…が、此処からは一般諸車と一緒になるのだ。

 吉木の集落までは下り一方の道なので、車から追い越され無いスピードで下って行く事にし、ギアも気持ちもハイに切り替えた。カーブ以外では殆ど60q/hで駆け下っていくと、後ろからの車に追いつかれるどころか前を走っていた車に追いついた!吉木小学校前から大宰府方面への道に這入ってシフトダウン…クールダウンしながら西鉄踏切前の梅が枝餅屋さんに立ち寄り土産にした。

 大宰府政庁跡を通り過ぎていると、葉桜の下で多勢の人達が去り行く春を惜しみつつお弁当を開いていた。桜も散り終えた御笠川土手の遊歩道をのんびり漕いで13時過ぎに無事帰着した。帰りは、三郡山頂から1時間弱だった。

 * 往復、約3時間半(往=2時間20分 復=1時間弱)、走行距離=48km、MAX=64km/hでした。






〜 久し振りに Mtb で四王寺山へ…  〜



… 下山していると野外音楽堂付近で息子とバッタリ遭遇 …

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2013/4/3  晴れ 

自 宅 (15.30) ⇒ 焼米ケ原 (16.12) ⇒ 展望台 (16.15~30) ⇒野外音楽堂 (16.44~50) ⇒ 自宅 (17.05)




4月3日

 4月新年度になり発掘作業も今週いっぱい休み…来週の8日から再開予定だが、仕事が始まると土日祭日だけしか山歩き出来ない。で、今日は久し振りに近所の四王寺山へMtbで走って来た。

 午前中は、バラバラになっていた登山地図を各山域別に分類しファイルに収納し、山行きの都度サッと取り出せるようにした…是が、思ったよりも時間がかかり終わったのは14時ごろだった…。ひと段落したので気分転換を兼ね四王寺山Mtbツーリングを思い立った次第。

 15時半ごろ自宅を出発し、大野城総合体育館の前を通って大宰府に抜ける林道に這入った…。この林道はウオーキングやランニングを愉しむ市民が多いのだが、今日は時間的に中途半端のせいかその姿が少なかった…。エンジンはすこぶる快調で、あっという間に雉ヶ尾林道分岐を通過し、お休み堂のある四阿まで一気に漕ぎ上がった。

 サドルに座ったまま呼吸を整え30秒ほどでぺダリング開始、暫く登った所にあるポチのお墓に、ペダルを漕ぎながら「まだ頑張ってるよ…」と語りかけながら通過し、大野城方面が見えなくなる最後のカーブ地点で補水し、少し勾配がきつくなった坂道を上りきると、正面に三郡山から宝満山が見え、道は此処から下り勾配になって風を切って音楽堂前を通過し、下りきった所にある四王寺県民の森の前を通って、宇美町から太宰府市へ抜ける県道に這入った。

 峠までは少し登り返しになり、勢いをつけて立ち漕ぎしながら漕ぎ上がって、自宅から40分ほどで焼米ヶ原の芝生地についた。ひと息つき、Mtbを置いて徒歩で展望台へ向かった。展望台に来て周囲の景色を眺めたが、春がすみで遠くの山などはボーっと霞み、目の前に見える宝満山が夕方の陽射しを受けすぐ近くに見えていた。

 ベンチに座って暫く日光浴を楽しんだり、その辺の散策をした…緑の色も復活した草叢には、紫色のスミレや、自ら光りを出しているのでは…と思うばかりの黄色の花(福寿草の花の光沢に似ていた)などが目を楽しませてくれた。

 少し寒くなって来たので下山の途に就き、県民の森から林道の登り返し、野外音楽堂を過ぎてカーブを曲がった所で、仕事帰りにトレーニングで登って来ている息子と離合した…何処まで行くの…と尋ねると「今日は音楽堂から引き返しだよ…」だったので、私も一緒になって音楽堂前まで引き換えした。

 息子たちは、5月の国東半島ツーリングにエントリーしているのでそれに向け特訓中らしく、先日は、松浦市まで往復240kmも走ったそうだが、是も、若さは勿論だが仲間たちと一緒だからこそ出来るのだと思う…一人ではとても気持ち的に萎えてしまいそうだ。

 話しながらフト音楽堂の看板の横を見ると、白く小さな花が無数に咲いているのに気付いた。鈴蘭の様なこの花は何だろうと暫く案じたが、あーこの花は馬酔木の花ではないか…帰って図鑑を見るとやはりそうだった。写真を撮ってから、息子と一緒に林道を大野城市へ向かって一気に駆け下り、市内に這入ってジャーねと別れた…。

 こういうドッキングもあるのだな…と家に帰り着き、妻に、四王寺でK平に会ったよ…と云うと、「まー、あの人も頑張っている様ね…」と驚いていた。






〜 桜花満開! Mtb 漕いでしょうけ越えから若杉山へ…  〜



… 若杉鼻展望岩より砥石山方面 …

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2013/3/28  晴れ 

自 宅 (10.45) ⇒ 須惠ダム (11.47) ⇒ しょうけ越え (12.08~.15) ⇒若杉鼻岩 (12.56~昼食~13.20) ⇒ しょうけ越え (13.46) ⇒ 自宅 (14.27)




3月28日

 春らしい陽気に誘われ、一昨日の九千部山に続いて今日はしょうけ越え迄Mtbを漕いで、峠から若杉山を往復して来た…。

 満開の桜も散り始め、今日は桜吹雪を浴びながらのツーリングになりそうでペダルを踏む足も軽かった…。宇美町の高台を漕いでいると、民家の屋根越しに今日のターゲットの若杉山が私を招いていた。

 ギア比は一昨日と同じで、前ギアは大ギア固定で後ろギアを脚力に合わせてアップダウンして行った…。行く先々の桜並木は満開で予想していた通りに、ハラハラと春の風に舞い散って私にエールを送っている様だった…。

 宇美町から須惠町に這入って県道60号線に這入り、しょうけ越しへの坂道に這入る手前で登り坂に備えてトイレタイム…。帰ってから調べたら此処は須惠町の運動公園の一角で、園内には桜や植え込みが手入れされていた。

 小休止後出発…標高520mの峠へのヘアピンカーブの続く道へ這入った…。後ろから追い越して行く車が気がかりだったが、無心になってペダルを漕いで、ひと曲りふた曲りと高度を稼ぎ、最後の建物がある地点を過ぎると勾配もややきつくなってきたがエンジンは快調で、何時の間にかに須惠ダムサイトまで登り上がってしまった。

 何時もだと、このダムサイトまでに二〜三回は立ち止まって呼吸を整えなければならなかったが、やはり、ギア比の選択が良かったのではないかと思った…。

 ダムサイトで一息入れて出発…此処から先が此のしょうけ越の難所で勾配がきつくなって速度もぐんと落ち、呼吸が荒くなる。最後の大坂を汗まみれになって漕ぎ上がると、目の前にしょうけ越し峠の陸橋が目に這入る。

 チャリを降りて、県道の法面につけられた踏み跡道を押し登って三郡縦走路の陸橋の手前に出た。愛車を橋の欄干にロックし、若杉山への縦走路に這入った。

 昨日の雨で滑り易くなっている個所もあったが、滑らないように杉林の植林の中を登って行くと、後ろに人の気配を感じたので振り向くとランニングスタイルの青年が息を弾ませて登って来ていた。

 今は、山岳マラソンとか過酷レースとかが盛んなようで、日本はもとより世界各地でスケールの大きな大会が開催されていて、テレビ番組でもその模様を放映し反響を呼んでいる。

 私も、かっては100キロマラソンとか富士登山レースなどにエントリーして体力と精神力の向上に努めていたが、先ず一番なのは、「人に勝つ事よりも、己に勝つ事」に尽きると思う。

 追い越して行った青年は手に500tのペットボトル一本の軽装だった…。その後を追って尾根道に登り上がって山頂に向かっていると、左手の椿の林の中からホーホケキョ…ケキョケキョ…と、ウグイスさんの美声が聞こえてきた。

 山頂手前の若杉鼻岩の展望台に着いて昼食タイムにした…。岩の上に腰を下ろし足許を見ると、先ほど汗かいて漕ぎ上がって来た県道がうねうねと続き、須惠ダムの水面が緑色に光っていた。三郡山から宝満山方面は春霞の中で、砥石山への尾根がせり上がっていた。

 景色を眺めながらパンを齧っていると、先ほど追い越して行った山岳ランナー青年が引き返してきた…。若杉の売店で買ってきたのだろう、行きには一本だったペットボトルが帰りは二本になっていた…宝満までですか?と訊くと「ハイそのつもりです…」と応えつつ坂道を走り下って行った。

 昼食タイムを終え往路をしょうけ越しに引き返す…。一昨日は、気温が低くMtbで下る時は震え上がってしまったが今日は大丈夫だろう…何て思いながらしょうけ越しの陸橋欄干にロックした愛車の下に下りついた。

 ロックを解錠し、陸橋下の県道に降りてクライムダウン開始!「人生下り坂サイコー…」思わずそう叫びたくなるこの爽快感!ヘルメットの耳付近のベルトが風を切る音がヒューヒューとたまらない…!あっという間に須惠町。後は、のんびりとクールダウンしながら我が家へ…御笠川遊歩道の桜並木が出迎えてくれた。

* 往復、約4時間、走行距離=32km、MAX=62km/hでした。






〜 桜花満開! Mtb 漕いで九千部山へ…  〜



… 山頂展望台より鳥栖方面 …

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2013/3/26  花曇り 

自 宅 (10.40) ⇒ 山神ダム (11.44) ⇒ 九千部山頂 (12.55~昼食~13.27) ⇒自 宅 (14.46)




3月26日

 桜花満開!そろそろ散り始めた木もあるようだ…。一月・二月は寒気が強かったが三月の声を聞くといきなり気温が上昇し、全国各地の桜花開花日が軒並みに10日ほど早くなった…入学式の頃は葉桜になっているだろう。

 花が散る前に…と、今年最初のMtbでの九千部山を思い立った。息子たちは、つい先日、松浦まで往復240kmの長距離ランをこなしたそうで、その心肺機能たるや羨ましい限りである。今日登る九千部山なんかは出勤前にチョロットこなしているらしい…。

 ザックに昼飯と着替えなどを入れて自宅を出た…高速道側道を走り、二日市〜基山線に這入った。道中は、サクラ…さくら…桜…!プラス、菜の花、桃の花、が咲き乱れ、道端の若緑色したヨモギの中にはタンポポやスミレの花が顔を出し、小川のせせらぎの音が耳に心地よかった。

 愛車のギアは、前が3段、後ろが7段となっているが、今日は、前は大ギアに固定し、後ろギアを勾配に応じて切り替えて行こうと思っていた。山口集落付近から後ろギアを少しずつ落として行き、水道浄水場付近を越え山神ダム手前の分岐から旧道に這入った。

 山口川沿いの旧道を少し登ってカーブを曲がると、目の前にダムの堰堤が城塞の様に現れる。あの天辺まで漕ぎ上がらねばならない訳だが、その先に続く九千部林道の坂道を考えると先ずは序の口だ…と自分に言い聞かせ、少し気合を入れ直し後ろギアをギアダウンしながら立ち漕ぎを交え坂道に這入った(前ギアは大ギアのまま)。

 ダム堰堤下の田んぼの縁には土筆採りを愉しんでいる家族連れの姿もあったが、今は春休み中だったんだ…。カーブを曲がるごとに視界が開け堰堤の高さが低くなって来る頃、左手に新しく小屋掛けして何やら作業がされていた…。その現場が、今携わっている発掘作業の古墳のように見えたので引き返した。

 山側の法面をトンネル状に切り崩し、入り口付近に花崗岩を並べて段々状に奥へ加工中だった…入口の花崗岩を見て古墳の発掘かなと思ったが、そうでは無く、登り窯を作っておられたのだった。私年配の人が軽トラから資材などを下ろしておられたので、登り窯を作っておられるのですね?と訊くと、「知人に頼まれてやっていますが、私もこんな仕事は初めてで中々作業が進みません…」と、笑っておられた。

 登り窯と云えば先月末から今月頭にかけ、仕事の発掘作業で牛頸付近の登り窯跡(古墳時代から平安時代にかけ須恵器作成の為に作られた窯で、牛頸付近は当時の日本三大登り窯群の一つだった…)の試掘(登り窯跡の灰原探し)に行ったばかりだったので、彼に、そんなお話などをしながら、完成が楽しみですねとお別れした。

 自宅から一時間ほどで先ほど下から眺めていた堰堤の上に出た…。見下ろすと、段々畑や集落の家が小さくなっていた。ダム周辺の桜は満開で釣り糸を垂れる釣り人の姿が長閑だった。堰堤の中央付近に来て九千部山を見ると前山の向こうに佇み私を待っていた…。

 二宮金次郎の銅像が立つ平等寺公民館の先から右折し、段々畑の中に点在する集落を抜けると愈々九千部山への林道に差し掛かる。気合を入れ直し立ち漕ぎを交えながら、カーブを何度か曲がって行くと九千部名水の場所に出る…。此処はいつ来ても水汲みにやって来たマイカーが留まっているが、今日も先ほど下で追い越して行った車が留まっていた。

 持参のホースを岩場の水場に取り付けたばかりのようで、下で水容器にホースを入れている奥さんに「出て来たやろー」と云いながら、私に気づき「かーさん、この人に先に飲ませてやりなさい…」と呼びかけられた。お言葉に甘え掌に水を汲んで顔を洗って喉を潤わせて貰った…お礼を言ってると、その男性が「貴方は確しかS12年生まれでしたね…」と笑いながら話しかけて来られた。

 私は覚えていなかったが、偶然何度か此処でお会いしたことがあってそんな話をしたのだろう…。向こうにしてみれば、こんな坂道をS12年生まれが登っているという事で記憶に残っていたのだろう…。ご夫婦は四国出身だそうで、帰郷する回数も減って一年に一度ほど兄弟寄りなどで集うだけですよ…だった。四国と云えば、私も歩き遍路でお世話になったので四方山話などが弾んだ。

 「無理をしないで鍛錬してください…」の言葉に見送られて出発し、気分一新してぺダリング開始…最後の登り坂を終えて一旦下ると、那珂川方面から来た鳥栖方面への道に合流する…。少し先からその道と別れ右折し九千部山頂への舗装道路に這入った。

 久し振りのチャリンコで体力が心配だったが思っていたより楽で(とは言え、心臓パクパク…速度はヨロヨロ)立ち休みする回数も昨年よりも少なかった。マラソンでも登山でもだが、一番きつい時、苦しい時は、本当に無我の境である…ただ、その場面をクリアーする事が精いっぱいで、日馬富士の台詞ではないが「全身全霊」を込めている時は無の世界である。

 私が、こうして九千部山へチャリンコで登っているのも、平常生活では得ることが出来ない時間を求めてかも知れない…。どんなに苦しいきつい思いも振り返れば、己への自信と更なる高みへと夢を誘ってくれる…。今年の秋も仲間たちと日本アルプスの頂きを踏みたいものだ。

 西鉄の列車無線塔付近の最後の坂を漕ぎ上がると登り坂終了…駐車場付近でチャリを降り、登山道を押し歩いて13時前に山頂展望台前に着いた…。展望台に上がって暫く周囲の景色を見渡す…西側には、お馴染みの脊振山がすぐ其処に見え、東側を見ると山頂広場の向こうに鳥栖市街が広がり、北側には我が住む街々や宝満山系の連なりが見えていた。

 展望台から降りて東側の広場に行き山頂宮にお詣りをした…芝生の広場では、鳥栖方面から登って来られた二組の登山者たちが昼食中だった…。私も、展望台下に置いたチャリンコの前に戻ってランチタイムにした。空は高曇りでじっとしていると汗で濡れた背中が冷えて寒くなったので、薄手のフリースを羽織った。

 30分ほどゆっくりして下山の途に就いた…。気温は10℃程だったが、風を切って下って行くばかりなので身体が冷え、ブレーキを握る手の感覚がおかしくなってしまった。やはり桜満開の春とは言えダウンヒルには少し寒く、鼻水が止まらなかった…。

 という訳で、何時ものダウンヒルの爽快感が今一だった。平等寺付近からダム付近まで下ってきてやっと風に春の温もりを感じることが出来ひと息ついた…。天拝公園付近の桜を眺めながら御笠川伝いの道に這入ると、河川敷の堤防には大根の花や菜の花が一面に咲き乱れ、私の帰着を待っていた。

  * 往復、約4時間、走行距離=55km、MAX=52km/hでした。






〜 春の陽気に誘われ Mtb 漕いで糸島半島の可也山へ…  〜



… 師吉登山口に愛車を乗り付け山頂へ …

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2013/2/3  快 晴 

自宅(9.42) ⇒ 橋本(10.32) ⇒ 今宿横浜(10.59) ⇒ 師吉登山口(11.31) ⇒ 可也山展望台(12.05~10) ⇒ 師吉登山口 (12.31) ⇒ 自宅(14.18)




2月3日

 一月中の寒波は何処へやら…二月の声を聞いたとたんに一気に春めき、青空と溢れる陽光にも春本番や近し…を感じられた。が、このまますんなりと春が来るとは思えないが、寒さで縮こまっていた身体の筋肉や気持ちが晴れやかになった事は間違いない。

 8日からの毎年恒例になっている伯耆大山合宿に備え、少し身体を鍛えておかねば同行の諸氏に迷惑をかけそうなので、今日は、Mtbで糸島半島にある可也山へ出掛けることにした。朝方は、放射冷却で冷たかったが出発するころには気温も上がって、どうやらチャリンコ日和に恵まれそうだった。

 外環状線に這入るまでは時速20kmで走って行き、這入ってからは、信号待ちなどはあったが車道を快調に平均25〜30km/hで走行した…。この外環状線は、途中の福大トンネル内の路側帯が狭く暗いので、すぐ横を追い越して行く車や追突されそうで恐怖だが、それ以外は起伏も少なく路面も新しいので走り易い。

 勿論、トンネルに這入る前にサドル下に付けている赤色点滅ランプのスイッチを入れ、気休めだが「チャリンコが走ってますよ−」と、アピールする事は忘れなかった。トンネルを抜けて暫く走ると、地下鉄七隈線の車両基地がある室見川サイドで、欄干にチャリをもたせて一息入れた…。春の息吹に河川敷内を散歩する人影が見え、彼方には、脊振山系の山がのんびりと佇んでいた。

 小休止後ぺダリング再開…福重JCT付近から国道202号線に這入って、今宿付近から糸島半島中央付近に聳える可也山を目指した。九大学研都市が出来てこの付近もぐんと様変わりし、高層建築のマンションや大型ショッピングセンターなどが建ち並び、道路も見違えるようになって一昔前の風景が思い出せない。

 横浜の住宅街から田園地帯に伸びる道を西進すると、正面には今から向かう可也山が小富士と呼ばれる姿体を見せ、左手遠くには、井原山〜雷山〜羽金山〜浮岳…と続く山並みが春霞の中に佇み、少し向かい風が抵抗してたが、その風の中に春の香りが感じられ、麦畑のなかからヒバリでも飛び出して来そうな春の陽気だった。

 市町村合併で糸島市になった旧志摩町役場前から登山口の師吉集落へ向かっていると、道端に住民の方やスタッフらしい人たちが立っておられたので窺うと、毎年恒例の町内一周駅伝大会中です…だった。そういえば、この大会にF市の嘱託職員として在職中に、仲間のチームがエントリーしていたので応援に来たことを思い出した。

 師吉公民館の前から右折し集落の中を通り抜け、案内表示板に導かれ登山口に11時半ごろ到着した。此処まで、約37kmで1時間50分だった…。少し遊歩道を這入った所の看板の支柱にチャリをロックし山頂への遊歩道に這入った。初めの中は掘割状に凹んだ箇所もあったが、ランニングシューズで歩いて登っても差し支えは無い、整備の行き届いた歩き易い道だった。

 登り始めて20分足らずの付近に大きな立て看板がある「石切り場跡」に出た。読むと、江戸時代の元和4年(1618年)に黒田長政公が60トンもある大石を、日光東照宮の大鳥居造立の為に、遥々と日光まで運搬した…云々、と記されていたが、現代であれば成程な…と思えるが、400年前、こんな山の上から如何して60トンもある大石を運搬したのだろうかと、いにしえ人の偉大さを思い知った。

 それと、この文書の中で気になることがあった…それは、この可也山が火山であったと記されていた事だった。確かに、遠くから見ると富士山の様に裾野を引いている姿はしているが、まさか火山だったとは思いもよらなかった…第一、何処に火口などが有ったのだろうか?一つ、その謎を解く宿題が増えた。

 説明板の横にでんと腰を下ろしている大石を見ると、矢穴(楔痕)が生々しく残っていて、この花崗岩を相手に鏨を揮っていたであろう古人の鑿の音が聞こえそうだった。石切り場跡から少し登ると傾斜が緩んで稜線上の道になり、やがて、可也神社前に出た。柏手を打って諸々のお願いを神様にお願いした。

 神社から尾根道を西に少し行くと可也山最高点の標識が立っていたが、此処は見晴らしは利かない場所で、其処から2分ほど行った所が絶好の展望台で、家族連れや山歩き人たちが、眼下に広がる青い海原の景観に見とれておられた…。空と海の青さが春の訪れの近い事を告げていた。

 5分ほど山頂展望台からの景色を堪能し下山の途に就いた。下りは駆け足である…丁度、駆け下るには適した斜面と路面で、登って来られる人たちと離合した時以外は、背中のザックに括り付けたヘルメットを揺らしながら一気に駆け下って、チャリをロックした場所に12時半ごろ着いた…往復丁度1時間だった。

 ロックを解錠してチャリに跨り、往路を辿って我が家を目指した…。少し走って振り返ると、今登って来た可也山が、春の陽気を思わせる中に裾野を広げて見送ってくれた…。何処かでうどんでも食べようかなと走って行ったが、とうとう我が家に着くまで燃料補給なしで漕ぎまくった…因みに、今日とったのは、飴玉2個とゼリー1個だけでポカリを一口飲んだだけだった…。往復、約5時間、走行距離=75km、MAX=42km/hでした。






〜 青空に誘い出され Mtb で秋月へ…  〜



… 秋月城下町手前を流れる小石原川と古処山 …

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2013/1/11  快 晴 

… 自宅(10.02) ⇒ 都府楼跡(10.22~37) ⇒ 鳥越隧道(11.20) ⇒ 道の駅みなみ(11.47~52) ⇒ 秋月(12.30~昼食~59) ⇒
野鳥登山口 (13.16) ⇒ 五合目登山口(13.49) ⇒ 古処山頂(14.32~54) ⇒ 五合目登山口(15.28) ⇒ 野鳥登山口(15.45)
秋月(15.50) ⇒ 吉木(16.56) ⇒ 自宅(17.23)…
 




1月11日

 一昨日から始まった発掘作業も今日はお休み…。新聞を取りに玄関を出て空を見上げると、雲一つない冬晴れの青空がバーンと広がっていた。

 9時過ぎに、近頃、山行きをご一緒する機会が増えたNKC岳友のN田氏にрオた…「もしも−し、今日はえらい上天気ですね…チャリで何処かへ出かけませんか?」と…彼が、「今日も宝満山へでも行ってみようかと思とったところです…何処へ行きますか?」で、「秋月までチャリで行き、野鳥登山口から古処山へ登って見ませんか?」と応えると「OKですが、野暮用を済ませてからになるので10時過ぎになりますが…」だった。

 という事で、都府楼政庁跡で10時半ごろ会いましょうという事になった。政庁入口で待っていると、観光客や地元の人たちが三々五々と広い敷地跡の散策を楽しんでおられた。敷地の背後には山城で有名な四王寺山が青空の下に屏風絵の様にのんびりと佇んでいた。

 野暮用を済ませたN田氏がお待たせ−と、やって来られて出発し、秋月へ向けてチャリを転がしはじめた。大宰府駅前の踏切を渡って九州国立博物館の横から峠を越え、吉木集落から山家へ抜ける県道76号線に這入った。峠を越えて吉木集落で米の山峠への交差点を越えると、宝満川沿いの田園が広がり、左手には別名「竈 山」と呼ばれる宝満山が冬晴れの向こうに佇立していた。

 甘木方面へは国道386号線が最短だろうと思うが、交通量や信号が多い上に、チャリの走行区分帯が無きに等しいので走っていてチャリの面白味が無いので、少し廻り道になり小さなアップダウンもあるが、田舎の風景など眺めながらチャリングできるので楽しい…。阿志岐を過ぎると鳥越峠への緩やかな登り道で、横には広い歩道があって安心してスローで登って行ける。

 朝は氷点下に下がって冷え込み、水溜りや池などは薄氷が張って寒の内の冷え込みで、出発時は、防寒ジャンバーや毛糸の帽子をかぶってだったが、次第に汗ばみ始め防寒用の衣類などは背中のザックの中に収納されて行った…。

 鳥越隧道手前で一服し、N田氏は赤色点滅のテールランプ等を取り付け、後方から追い越して行く諸車のドライバーに「チャリが走ってますよー」と、自己アピールに備えていた。トンネルの中から山家の国道に合流するまで下り坂で、風を切って一気に下っていけた…。

 国道200号線に出て少し山家集落よりに進み左折し、変電所やスポーツ公園のある丘陵地帯を抜けて県道77号線に這入りこみ、筑前町の山里を南に向かって走って行くと、東側は砥上岳等から南へ延びる山稜が迫り、西側は一面の田園地帯が広がり、小さなアップダウンがチャリングに変化を与えてくれいる。こんなロケーションに、道幅2m未満で良いからチャリンコ専用のロードが出来たら素晴らしいだろう…何て思いながら「みなみ道の駅」に着いて一休みした。

 それにしても良い天気で、とても厳寒の正月とは思えない真っ青な空を見渡すと、一気に弥生三月がやって来たのではと思わせられた…。井戸の前に行き冷たい水を汲んで顔を洗ってすっきりした所で同所を後にし、ぺダリング再開し、登り坂では無心になってペダルを踏み、頂点からの下り坂は「人生下り坂最高…」(NHK番組の”こころ旅”の中で火野正平さん下り坂で云う台詞)本当に快適、きつい登り坂も此の下り坂の快感があればこそである。

 最後の大きな坂を下ると甘木バイパスで、左折し、少し行った弥永交差点から左折すると秋月街道の道で、集落の中は昔ながらの土塀や蔵などの家並みが残って、道の両側の水路には清い水が流れており、ミニ津和野の城下町版である…。こんな景色に出合えるのもスローなチャリだからこそで、マイカーなら何が何だか判らない中に通過して仕舞うはずだ。

 その通りの中間付近に、謂れによると日本最古の神社であるらしい、大巳貴(おおものみ)神社がある。前は四阿が立つ公園で綺麗なトイレなどもある良い休憩場所になっていて一休みしたい所だったが、先程、12時のサイレンが鳴っていたので立ち寄らずに通過し、暫く行くと、秋月城下町手前付近で小石原川と接する場所があり、真向こうに、後から登る筈になっている朝倉の名山「古処山」が清流の向こうに、青空をバックに背筋を伸ばして我々を待ち受けていた。

 八丁越えの国道322号線を横切り、旧道を城下町に向かって昼飯屋は無いかと探しながら漕ぎ登っていったが、季節外れの平日とあってなかなか見当たらず、黒門通りの桜並木に這入った…。

 その桜並木の通りに何やら食べ物を提供している店があったのでチャリを留めて店を覗いていると、中から御かみさんが「寄ってらっしゃい…」との声に引きずられて店内に這入った…。10人で満員の土間には、手彫りの小鳥や梟の作品が所狭しと並べられていて、食べ物店か彫刻店か考えさせられる所だった。

 物凄く腹が減っていたので、何か腹にたまる物をと思ってメニューを聞くと、「生憎、平日なので笊そばと冷やしソーメン…あと、ぜんざいだけですね」で、店の入り口に書いてあった蒸し饅頭などはないとの事だった。

 仕様が無いので二人とも650円也の笊そばを注文した。出来て来るまでに手先の器用なN田さんは店の主人に、彫刻作品について色々と尋ねていたが、私が、宝満山キャンプ場の当番で泊まった時にコツコツ作ってみれば…と云うと、笑っていたが、彼なら木彫りの熊さんぐらい彫れると思う。

 注文の笊そばをあっという間に平らげ、店を後にチャリに跨り登山口の野鳥へ向かった…。ローギアで登山口に登りつき、橋の袂の本覚寺別院の入口にチャリをロックし、古処山登山道の自然歩道入口に来ると、登山道の途中で橋が落下流失している箇所があり、工事中につき通行禁止の看板があった。迂回路は五合目登山口に廻ることになっていた。

 どうしようか、看板を前に迷ったが行けば何とかなるだろう…と、張ってあったトラロープの横から林道に這入った。野鳥渓谷の左岸につけられた林道を15分ほど登ると、ブルーシートをかけられて完成間近の現場に出た。一旦河床に降りて再度林道に登り上がって2分ほど行くと、まだ工事中の橋の付近で4人の作業員の人達が作業中だった…目礼をして河床に降り対岸に立てかけられたアルミハシゴを登ろうとすると、監督さんが、登山迂回路は正面の壁を登って下さい…だったので、対岸を見ると木の幹に赤テープがつけられていた。

 二本目の橋を通過し登って行きながら後ろを振り返ると、先ほどの現場の作業員の一人がN田氏のすぐ後ろから連いてきていた…。N田氏が何処へ?と尋ねると、此の上に、もう一本工事中の橋があるので其処へ行っております…だった。そして彼が、その工事個所では橋の上流側から対岸へ渡って下さい…と、アドバイスをして頂いた。二本目の橋現場から10分ほどで三本目の工事中の橋の現場に着いた。助言に従って河床の岩を渡って対岸に移り、石畳などもある登山道を8分ほど登ると五合目の登山口駐車場に出た。

 此処からは何度も通いなれた道で、谷間の中の道を清流の音を聞きながら快調に飛ばして高度を稼ぎ、五合目から27分で水舟と呼ばれる水場に出た。この付近から一旦右側に廻りこんで登り、山頂直下付近から石灰岩の露出した斜面にジグザグに付けられた落ち葉の道を登って、標高859mの古処山頂に着いた…山頂手前で離合した私年配の夫婦連れの方が「今日は、久し振りのお天気に恵まれ、遠く阿蘇の外輪山も見えてましたよ…」と、笑顔で話しておられた通り、山頂からの眺めは360度フルオープンで、岳滅鬼山の彼方に由布岳が頭を見せ、御前釈迦岳や八方岳…その向こうには阿蘇高岳も見えていた。

 勿論、久住山塊の山々も黒岳から大船山…三俣山・久住連山と指呼の間で、裏手の最高点の石灰岩のピークに登ると北側方面が開け、真正面に見慣れた宝満山から三郡山が連なり、北九州方面に目やれば、福智山や削られて平頂になった香春岳が望め、遥か東方には周防灘の海原も見え、足許にはボタ山なども見える筑豊平野が広がっていた。

 少し、残雪も残っていた石灰岩のピークから降りて山頂の祠の前で珈琲タイムにした…。珈琲を飲みながら足許を見ると、秋月の街から我々が走って来た道がうねうねと山間に消えていたが、N田氏がぼそりと「ようあげん遠かとこから来たもんだなー」と、一人感心していた。次は何処へ行きましょうかね!

 時計を見ると15時近くで、もう少しゆっくりしたかったが暗くなる前に帰宅したかったので下山にかかった。下りは、別コースのもみじ谷道を選び、途中から秋月山城跡を経由した。このコースに這入って暫く行った所(屏山方面縦走路分岐)付近の天然記念物に指定されている「柘植の林」は見事で、樹齢1000年を越す樹もあるとかで一見の価値がある。

 落ち葉の降り積もった尾根の斜面の道は快適で、丸裸になった落葉樹の木の間を半ばランナーの様に駆け下って行った。途中、城址の曲輪跡と書かれている平坦な場所があったが、それらしき遺構は何も窺い知れず、落ち葉で埋め尽くされていた…。最後の方は少し傾斜も厳しくなったが危険なところは少なくあっという間に、正面登山道の合流点に下りついた。

 本道を少し下った所で登る時に山頂直下で離合したご夫婦に追いついた…ご主人が早かったですねーと驚いておられたが、我々は、これからチャリンコで帰らねばならないので急いで降りて来ました…とお伝えしお別れした。

 五合目登山口を通過し、途中三ケ所も工事個所のある野鳥登山口への道に這入り、休みなく駈けつづけて下り、登山口に15時44分に下りついた…。山頂から50分で下り降りたのだ!全身汗びっしょりになった。

 ロックしたチャリを解錠し、ゴ−バックチャリンコ…。登山口から少し下った付近で振り返ると、一時間前迄に居た古処山が、傾いた冬の陽射しを受けてたおやかに見下ろし、また登っておいでと呼びかけている様だった…そんなお山に別れを告げ城下町を通過し、田園の中の秋月街道を一気に駆け下って行った。

 山頂で、帰りは平坦道を通ろうか?と雑談的にN田氏に話していたので、そのつもりで386号線方面へ脇目も振らずに(すぐ後ろをN田氏は連いてきているものと思っていた)バイパスに出て77号線分岐を直進し、386号線手前付近で後ろを見ると彼の姿が無いのでブレーキング…暫く待っていると、彼は77号線に這入って坂道を漕ぎ登って行くではないか!おーいと呼んでみても聞こえるはずはない…仕方なくUターンし彼の後を追う事にした。

 77号線まで戻って坂道を見上げると彼の姿は影形も見えない…携帯でも持ってれば良かったが今日に限り家内に預けて来ていて連絡のしようは無し。行けども行けども彼に追いつかない…若しかしたら「みなみ道の駅」に這入りこんでいるかもしれないと立ち寄って探したが居なかった…腹が減ってたのでソフトクリームを舐めて空腹を凌ぎやおら出発した…。

 一人旅はつらい…ましてや、夕暮れが迫る道は!沈む夕日を追っかけながら鳥越隧道を越え、吉木集落手前まで来ると宝満山が残照の中に私を迎え立ち、白く伸びる飛行機雲が西の空へと続いていた。国博手前の最後の坂を登って大宰府の町中に這入る頃には、太陽も西の山影に落ち込む寸前で、どうにか自宅までヘッドランプを点けずに行けそうでホッとした…。  自宅に17時25分ごろ着く頃には、サドルの下に付けている赤色点滅ランプの灯りが輝きを増していた。

 往復、約65kmの秋月サイクリング…まさか一月中にチャリに乗れようとは思っていなかったのでこの好天が有難かった…。N田氏に早速рキると17時22分ごろ帰り着きました…で、一安心した。彼は彼で、私は先に帰ってしまったと思っていたそうで後を追ったそうで、心配かけて悪かった…が、是に懲りずに又、チャリで何処かの山へ出掛けましょう!お疲れ様でした。






〜 久山町の首羅山遺跡見学会へ  〜



… 首羅山々頂の薩摩塔前で解説される九歴の井形講師 …

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2012/11/23  曇り 

 白山神社 (9:45) ⇒ 墓ノ尾 (10:40~) ⇒ 石鍋製作所 (10:45~) ⇒ 西谷 (11:00~) ⇒ 本谷 (11:30~) ⇒
首羅山頂 (12:00~) ⇒ 白山神社 (12:57)




11月23日

 久山町の「首羅山遺跡見学会」が現地で開催されたので、発掘新人の(山登りはベテラン)N田さんと、監督のU田さんの三人で参加してきた。  朝は、しぐれ模様で小雨も降っていたが、雨天決行という事だったのでN田さんを拾って、集合場所の白山神社に向かった。天気が思わしくなかったので参加者も少ないのではと思っていたが、白山神社境内の受付に行くともう124番目だった。

 受付を済ませ、資料など見ているとU田さんがやって来た…彼は、187番目だったそうで総勢200名近くが参加されたわけで、皆さんの首羅山遺跡に対する興味と期待が感じられた。私も、仕事がらこういった遺跡に興味を持ち始め、山登りと遺跡めぐりを関連ずけ、近郊の里山などに足を向けたいと思っています。

 9時半ごろから、5班に分けられた参加者がボランティアの班長さんに率いられ順次出発して行った…我々三人は、最終組の5班だった。

 参加者は、手を引かれた幼児から、杖を突きながら歩いている高齢者まで、老若男女…多種多様で、引率者も大変だったと思う…が、今日は、登山が目的ではないので、あちらこちらで、遺跡の説明などを聞く時間があったので隊列は乱れなかった。

 落ち葉道を登って行くと一回目の遺跡ポイント、墓ノ尾と呼ばれる場所は中世の墓地群だそうで、文保二年(1318)銘のある板碑が残っていて、円覚経の一部が刻まれているそうだが肉眼では読めなかった。

 其処から少し下った谷間状の場所が「石鍋製作所」の後だそうで、石鍋用に削りかけた石が残っていた。周囲で発見された遺物から11世紀後半から12世紀初めまで遡る…だった。石鍋で、どんなご馳走を当時の人々は食べていたのだろうか?

 石鍋製作所から少し登ると「西谷地区」と呼ばれる遺構で、今年度に精査を始めたばかりだそうで、庭園状の空間があったのではないか…と、資料に記されている。

 次に訪れた「本谷地区」は、首羅山の中核施設があった場所だそうで、発掘調査で、南北に軸線を持つ伽藍配置が確認されているそうで、五間堂と呼ばれる壮大な建築物が立っていたそうだ…調査跡にはブルーシートがかぶせてあったが、自分が現在発掘調査員として発掘に携わっているだけに、この発掘に関わった調査員の喜びが目に浮かんだ。

 最後は、今日の目玉である山頂地区の「薩摩塔」で、ほぼ、南北に軸線を持つ、崩れかけた石段の横を登ると、石製の祠の前に出た…其処には、色あせ風化した宋風獅子と薩摩塔が立っていた。九州歴史資料館の、井形進学芸員が持ち時間をオーバーして「薩摩塔」の由来や首羅山のことなどを、判りやすく説明して戴いた。

 説明を聞いて下山開始、落ち葉の道を30分ほど下って出発点の白山神社境内に帰着した。境内のテントの下では地元のボランティアの方々が「猪汁」の炊き出しで、容器に入れて貰った美味しい猪汁に舌鼓を打った…。今日は、ボランティアの皆様のお世話で、首羅山遺跡の輪郭を窺い知ることが出来ました…。心よりお礼を申し上げます。

 この首羅山は、個人の共有林だそうだが、地権者の100%の人が史跡調査に賛同され、今回、国の史跡指定に指定されたそうで、今後の踏査が待ち遠しい。








〜 小春日和に誘われMtbで大根地山へ  〜



… 自然歩道の急階段を担いで六合目まで …

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2012/11/22  晴れ 

 自宅 (13:08) ⇒ 香園 (14:05) ⇒ 六合目 (14:45) ⇒ 大根地神社 (15:00) ⇒ 大根地山 (15:08~20) ⇒
六合目 (15:31) ⇒ 香園 (15:44) ⇒ 自宅 (16:37)




11月22日

 発掘作業が現場の都合で待機状態だったが、別の現場の試掘の応援などに二日ほどお呼びがかかったぐらいで、後は休みという事で身体がなまってしまいそうなので、今日は、久し振りに小春日和に誘われ、MTBで大根地山へ昼飯を食ってからぶらりと出かけた。

 実は、今日は久山町の首羅山遺跡を見に行ってみようかな…と、思って、久山町のHPをチエックすると遺跡のある白山は個人所有の山で立ち入れない…だったが、偶々、明日23日に久山町の主催で現地説明会があるらしく、遺跡の模様や背景を窺える願ってもない事で、グッドタイミングだった。此の現地説明会は一年に二度ほどしか開催されていないらしく、仲間にも連絡した。

 という訳で、昼飯を済ませてからMTBに跨り自宅を後に大宰府方面へ向かって出発した…。久し振りのチャリンコで、初めの中はペースがつかめずに20KM/Hぐらいのスピードでボチボチ走って、太宰府の国立博物館横の峠を越え吉木集落から米の山峠への道に這入った…。

 やはり、チャリはいいねー…紅葉した里山や刈り入れの済んだ田んぼを左右の眺めながら、風を切って進む感覚は爽快の一語に尽きる。大石を過ぎると次第に登り勾配の道になり、ギアダウンしながら登って行くと直ぐ横を掠めるようにして大型トラックが追い越して行く…もう少し自転車道を広げて呉れよ!

 本道寺の点滅信号を過ぎて100mほど行くと香園バス停留所があり、その横に「大根地神社」入口の大きな看板が立っている。此処からは道は狭くなるが、車の行き来が無いので気が楽で、自然を感じながらのんびりとペダルを踏めた…香園の集落を抜けて暫く行くとゲートが道を塞いでいた。

 此処から登ったのはもう10年以上前だったので記憶が定かでは無く、少し手前に右側に這入って行く道があったので引き返し、その道に這入ると新しいコンクリートの道だが物凄い急坂で、立ち漕ぎしながら登りきると行き止まり…!この道はなんだったのだ?

 やむを得ずターンして急坂をブレーキングしながら下って元のゲートの所に戻り、右側の狭いスペースを通り抜け林道に這入った。舗装道路と不整地の砂利道が交互に混じる林道を少し登ると、大根地神社への看板があったのでホッとした。その看板の下には随分年代物と思われる石の案内表示があり、掌で行く先を表示していた…四国88箇所詣りの道しるべを思い出した。

 其処から7分ほど林道を登ると、林道経由と自然歩道経由の箇所に登りついた…。自然歩道案内板には山頂まで1,3qと記してあった。林道は迂回しているだろうからと、自然歩道に這入った…が、初めの中は何とか押して行けたが、上の方に行くと木の階段道が現れ担いで登る羽目になった!汗びっしょり。

 這入ったからには引き返すわけにはいかず、何とか罰ゲームをクリアーし先ほどの林道と合流した。入口には石柱が立っており「六合目…」の文字が読めた。愛車を、案内板の鉄柱にロックし身軽になって山頂への道に這入った…階段道を登ると正面に小さな滝が現れた。滝の前を通り山腹を捲くように続く山道は歩き易く、10分ほどでブロック製の建物の前を通り抜けると階段道になり、お稲荷さんの赤鳥居が続く下を潜り抜けると、山頂とは思えぬほど立派な神社や社務所が立つ神殿の前に着いた。

 ヘルメットを脱いで掌を合わせ、綺麗な紅葉を見せる木が立つ境内を通り抜けて、冷水峠から来た分岐に合流し少し登ると見晴らしの良い山頂で、山頂広場から眺めると、目の前には、三郡山が手の届く近さに見えており、筑豊平野の街並みの向こうには北九州市街地さえ見えていた。

 ベンチに腰を下ろし一休憩…帰路のエネルギー補強に行動食を少し食べスポーツドリンクで流し込んだ…山頂滞在15分ほどで下山の途に就き、一気に6合目まで走り下って愛車のロックを解錠し、ガタガタ道の林道を用心しながら下り降り、香園集落を抜けて県道に這入った。真向こうには、佛頂山や宝満山がモミジを見せながら佇んでいた。

 県道に出ると吉木集落までの下り坂を60km/hオーバーでカットバシ、渋滞の始まった大宰府市街地を走り抜けて16時半ごろ帰着した。






〜 山登り復活?…の妻と牛頸山へ  〜



… ピンク色の登山靴 …

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2012/10/31  晴れ 

 キャンプ場 ⇒ 黒金山 ⇒ 牛頸山 ⇒ キャンプ場




10月31日

 登山靴を購入したいのだが…と、妻が相談してきたので近所の登山用品店に出向き、写真の登山靴を購入した…。

 妻が体調不良で山歩きを出来なくなって靴箱に眠っていた登山靴は、3年のブランクで底が外れて使用不能になっていた。突然、山靴を購入したいと聞いた時は内心驚くと同時に、嬉しくもあった。

 理由が何であれ、山歩きをしたいという心境になったのは、一にも二にも体調が良くなってきたからだろうと思う…。最後に一緒に登ったのは、山好きだった義父と一緒に登った湧蓋山だからもう3年半前のことになる。

 何と言っても、15年前には二人で日本47都道府県最高峰を一年で登った実績があるし、その後も、U-Bahnの仲間たちと一緒に北・南アルプスなどや九州山地の山を登っていた事を思えば、復活はとても喜ばしい事で、これから、ボチボチ焦らずに身体つくりをして、いい汗を流してください。

 という訳で、先ずは近辺の低山歩きから始めようと思い立ったのは、大野城市の最高峰-牛頸山(449m)だった。行程は、牛頸ダムのキャンプ場から出発し、黒金山から尾根道を牛頸山へ縦走し、旧道を下ってキャンプ場に戻る周回コースだった…。

 何しろ今日が登山靴の履き始めだったので心配したが、途中で何度か靴ひもの調整などをしながら、白い野菊の花や、少し黄葉の始まった秋の里山の風情をゆっくり楽しみながら登った。黒金山の山頂標識付近で一服し、小さなアップダウンの落ち葉道を登り下りして、一時間チョイで牛頸山々頂に到達した。

 山頂には、クマのように大きい真黒なラブラドール犬を連れた二人連れが食事中だった…。挨拶をして我々も食事にしようと思っていたが、西方の玄海方面が真黒な雲が垂れ込めてこちらにやってきそうな気配だったので、3年ぶりの再開登山初日に濡れたくなかったので食事は後回しにし、下山する事にした。

 マンションなどの高層ビル等が目につくようになった我が街を見下ろしながら下って行くと、先ほどの黒い雨雲は東に移動して雨の心配はなくなり助かった。キャンプ場に戻り施設のテーブルで、カップ麺などを作り少し遅い昼食をとった…。妻に、足の具合はどうだったと訊くと、少し豆が出来たようよ…で、何度か履いて自分の足に慣らせばいいだろう。

 こうして、復活初日の山歩きは無事終了…少しずつ身体と気持ちを慣らして昔の様に「あの山此の山」を楽しみましょう…。




  11月3日

 足慣らし登山二目は、午後から秋晴れの四王寺山に登ってきました…。総合体育館から遊歩道を登って大城山(410m)へ向かい、山頂の毘沙門天様にお詣りし、大文字焼の展望所に行くと、此処にも、牛頸山々頂と同様に、小型犬を4匹も連れた(チワワ)女性が居て、私たちが近づくのを見て慌てて4匹を胸に抱きあげられた。

 ワー4匹も大変でしょう…と尋ねると、親子だそうで、この展望場所に良く連れてきております…で、チョッキを着せられた子犬兄弟(生後半年)を地面に置かれると、足許でじゃれ合って飛び跳ねていた…。そんな展望所で、秋の夕日に照らされた市街地や、脊振山地の山々などをしばらく眺め、ワンコちゃん達に見送られて急傾斜な道を下って帰路に就いた。

 ・・・・・山行き再開二日目無事終了…次は、何処にしようかナ。






〜 Mtb三連チャン(30日…九千部山、途中引き換えし)(31日…四王寺山)(1日…九千部山)  〜

… 山神ダム堰堤から九千部山を見上げる …

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2012/9/1  秋晴れ 

 自宅 ⇔ 山神ダム ⇔ 平等寺 ⇔ 大峠 ⇔ 九千部山




9月1日

 朝起きて雨戸を開けると爽やかな秋の青空が広がる良い天気…その青空を見て直ぐに思った事は九千部山リベンジだった。一昨日は九千部山を目指して出掛けたが、途中から雨の為に柿原峠から引きえしたので…

 3日からは発掘作業の仕事開始で、25日までの北アルプス入山まで休日も残り少ないし、貴重な晴天を有効活用しない手はない…昨日は(31日)今回北アへ同行する会友のN田さんを誘い、チャリで四王寺山へ出掛けたが、彼は、私より一回りも若く、近頃は宝満山に荷上げなどで結構足しげく通っているらしく、先日の砥石山でも重いザックを担ぎスイスイ登っていた。

 まだチャリンコを買って間もない彼だが、四王寺の林道を、県民の森から焼米ケ原展望台まで遅れながらもしっかり連いてきたスタミナは大したものだった…。チャリを芝生に置いて山頂の展望所まで行くと、秋を知らせる可愛らしい笹栗の実が枝もたわわに実り、秋の七草の萩の花も風に揺れていた…。

 で、今日で三日続けてのチャリでの山登りで、体力が心配だったが、今回の北アルプスの行程を考えると(一日目は、歩行時間10時間、標高差2000m、距離程14kmで、二日目は、槍から穂高まで、3000mの岩稜をキレット越しに約10時間…)なので、きつくても本番でバテナイ為には、しっかり鍛えておかねばならないので、きついとか言ってる場合では無かった。

 だって、この行程(新穂高〜槍ヶ岳〜奥穂高〜新穂高)を、若いメンバーたちに混じり行動するのは、私の年齢を考えると最後の機会になるかも知れないと思っているので、訓練を惜しんでいては他のメンバーに迷惑をかけるし、槍や穂高の峰に申し訳がない。

 9時過ぎに小型ザックに飲料水と行動食のパンを二個、ダウンヒルに備え長袖シャツを一枚入れて出発した。御笠川の遊歩道を走りながら前方を見ると、民家の向こうに今から登る九千部山が青空の下に巨体をデンと横たえ私の訪れを待っていた…。

 高速道横の側道を走り、天拝山麓の道を通っているときに、先日ここで出会った「槍ヶ岳」オジサンに逢わないかな…と期待したが、時間的にずれていたのか会えずに残念だった。今度、槍から戻って来た時、会って土産話しでもできれば幸甚である。

 側道道から県道に這入り、天拝湖公園サイドを抜けて山口集落にかかる頃、上から降りてきたローダーとすれ違った…今日は土曜日なので、この九千部山エリアにもあっちこっちからチャリダ―達が峠道に挑戦しているだろう…手を上げ声をかけてすれ違った…。

 一昨日は、強い向かい風と今にも降りそうな悪コンディションだったが、今日は、スカッと晴れあがった青空と爽やかな空気が充ちて気分も最高…ぺダリングする脚も快調だった。水道浄水場を通り過ぎると山神ダム堰堤へ登り勾配の道になるが、この登り坂は九千部林道への序の口である…。

 ギアダウンしてスリップ防止のギザギザ道を漕ぎ登って、一昨日雨宿りした山神バス停を横目にしながら通過し、生目八幡様の水場も寄らずに丁度10時頃、ダム堰堤に到着した…家から一時間弱だった。堰堤の上から九千部山を見ると、山頂のアンテナ群を見せながら「早くお出で…」と、青空から呼びかけていた。

 ダム湖畔では釣りを楽しむ太公望たちがのんびりと糸を垂れ、何処か草叢からはコオロギの鳴き声が聞こえていた…そういえば吹き抜ける風にも小さい秋が忍び込んでいる様で、濡れたTシャツがヒンヤリした。スポーツ飲料水を二口飲み、塩飴を一粒くちに入れて堰堤を後にし、県道を平等寺へと向かった。

 平等寺の二宮金次郎さんに見送られ、県道から九千部林道へ続く村中の道に右折し、段々畑に稲穂が揺れる集落の中を登って行った…。現在は、こんな辺鄙な山奥の村でも、道路も良くなり各家庭には自家用車が有り、日常生活には都会並みに文化生活が営まれているが、若い人たちの姿は少なくなり村中の道を行きすぎていても人の気配が少なかった…。

 集落の最後の家を過ぎると愈々林道道の始まりで、植林の中の道を何度もターンしながら、時には立ち漕ぎを交えて老骨にムチ打ち、時速7〜8kmでヨロヨロと漕ぎ登って名水ポイントに着き一休み…。いつ来てもこの名水ポイントにはマイカーで名水を汲みに訪れる人が多いが、今日も3台の車が停まり、水源から持参のマイホースで名水を水タンクに汲んでおられた…。一口、名水を飲ませてくださいとホースを借りて飲ませて貰い、冷たい名水を腹いっぱい飲ませて貰った。

 マイホースのおじさんにお礼を言って水場を後に峠への急坂道を登り切り、峠から一旦下って那珂川町から来た林道と合流すると直ぐに分岐で、左は大峠を経て河内ダム方面で、直進すると山頂まで3,6kmの表示板が立つ九千部林道である。

 初めの1km程は登り勾配も緩やかでスイスイ走れたが、カーブを曲がるたびに勾配もきつくなり(私にとっては…息子たちには坂道の範疇に這入らないだろう)歯を食いしばりながら、一漕ぎひと漕ぎよじ登って行くと、途中で何人かのローダーたちとすれ違う…若しかして息子たちではないだろうか?(ヘルメットにサングラスをかけているので人相スタイルが判別しづらい)が、声をかけてすれ違う時に別人である事が分かった。

 西鉄の無線塔付近が一番きつく、何とか登り上がると山頂台地の平坦道で登り道終了!山頂の駐車場付近まで漕ぎ登ると5〜6人のローダーたちが休憩中だった…そこから先は自転車乗り入れ禁止の区域なので、押し歩きして山頂展望台下まで行って本日の課題終了…11時25分だった。階段を登って展望台に行くと遠くの景色は少し霞んでいたが、出発した我が街付近が小さく遠くに確認できた…。

 私年配の二人連れの登山者の方と暫くお話しし、山頂の祠の所に行って北アルプス登山の安全と好天をお願いし、広場に行くと、とてもデッカイ山頂標識が立てられていた…此処ならすぐ傍まで車で来られるのでその大きさも納得できた…是を担いで登って来るには少し重すぎる!

 ベンチに座って行動食のパンをスポーツドリンクで流し込み一息ついて下山開始…秋の使者「ススキ」の穂に別れを告げ、まだ駐車場付近でたむろしていたローダーたちに目礼し、山頂を後に愉しみのダウンヒルに這入った…漕がずに風を切ってビューンと突き進む快感はとても筆舌には表せません。NHKの「こころ旅」で火野正平がチャリで下り坂を降りながら、いみじくも言ったセリフの「あー…人生下り坂最高!」が、私の気持ちとドンピシャリ合致した。

 林道は、植林の中では木の枝などが散らかって走りづらかったが、土砂類の障害物は少なく助かった…下りでも名水ポイントに立ち寄って、冷たく美味しい名水を水容器に3リッター入れて土産にし、喉を潤わせて貰った…。

 平等寺集落を抜け山神ダムサイトを通過し、往路をそのまま辿って我が家に12時50分ごろ帰着した…。往路が2時間20分、復路は1時間10分だった…因みに、往復54kmで標高差は820mでした。






〜 Mtbで九千部山目指すも雨で柿原峠から基山へ…  〜

… 山神ダム堰堤より九千部山を見ると雨雲の中 …

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2012/8/30  曇り ⇒ 雨 ⇒ 曇り 

 自宅 ⇒ 山神ダム ⇒ 平等寺 ⇒ 柿原峠 ⇒ 基山町 ⇒ 二日市 ⇒ 自宅




8月30日

 北ア登山に備え皆んなの足手纏いにならないよう、MTBで九千部山へ個人特訓を思い立った…8時半ごろ家を出て御笠川沿いの土手道を漕ぎながら周囲の山を見ると、脊振山系の山は五合目付近からガスの中で行く先が不安だった。

 台風14号が九州西方海上を北進している影響で、向かい風になる南の風が強く、漕いでも漕いでもあまり速度が上がらずきつかった…が、負荷が大きいほど自分自身の体力トレーニングになるのだ…と言い聞かせながら高速道横の道を天拝山方面へ向かった。

 何時も一休みする飯盛城跡を通過し、高速道を走る車の走行音を聞きながら小さなアップダウンの道を走っていると、前方の竹藪付近を歩く散歩中の人がいた…。その人の近くに来ると、白いつなぎの背中に何やら字が書いてあり、良く見ると「槍ヶ岳」と手書きで大きく記されていた…。

 私の今日の特訓が「槍ヶ岳〜奥穂高岳」縦走の為だったので、背中に槍ヶ岳と書いて歩いている人に遭遇した事が何やら不思議な縁を感じたので、その人の横でチャリから降りて「背中に槍ヶ岳と書いてありますが…」と、尋ねると、日焼けして健康そうなその人が笑いながら「あーこれな…是はな、5年前に会社の仲間と槍に登った記念で、その思い出に書いとります…」だった。

 暫く自転車を降りて歩きながら会話をしてみると「現役の頃は会社の仲間とあっちこっちに登り、家族一緒に富士山にも何度か登ったバイ…」で、「今は、銭の無うなって遠くにゃ行かれんケンこの辺の山や、このつなぎば着て家の近所の田圃道ばそうつきようったい…」と、初対面にも拘らず人懐っこい笑顔で話された。

 その「槍ヶ岳」さんが「失礼バッテンあんたは幾つナ…」だったので「S12年生まれです」と云うと「ほー、あたきより三っつも先輩じゃなかな…自転車で何処に行きようとナ」で、「九千部山へ行きよります」と云うと、改めて私の姿を見直して「ホー、平等寺越えて山頂に行くとは凄いバイ…」だったので、実は、槍ヶ岳に来月末に登るためのトレーニングだったのですが、貴方の背中の槍ヶ岳を見て追い越して行けずこうしてお話ししている訳です…。

 五分ほどお話ししながら歩いた三辻で、左手へ向かう槍ヶ岳さんに別れ私は右折し、ペダルを漕ぎ始めた…。槍ヶ岳トレーニング中に背中に槍ヶ岳と書いたつなぎを着て歩く人との遭遇…何かの因縁を感じてしまった。

 高速道の側道から別れて平等寺方面への道に這入る少し前から霧雨が降り始め、向かい風が一段と厳しくなり、かなりな下り斜面だったが、ブレーキをかけているようにスピードが殺され、改めて風力抵抗の強さを実感した。

 県道に出ると向かい風が少し横風に変わりぺダリングに余裕が出てきた…山口の集落を抜けると道も徐々に登り勾配になり、色づき始めた田んぼを横目にギアダウンしながら登って行った。浄水場付近を過ぎて山神ダムサイトへの登りにかかると再度ギアダウン…ロートルエンジンを精一杯に廻して登って行く横を、車がスイスイと追い越して行った。

 懸命に漕ぎ登っているとパラパラと雨粒が落ち始め路面が濡れていく…。少し先に山神バス停留所の待合小屋があったので逃げ込み、小止みになるのを待った。五分ほどで小降りになったので待合所を出て少し登ると、冷たい水がホースの先からジャージャー出ている「生目八幡」様があったのでチャリから降りて頭からかぶって冷却し、八幡様にお礼を言って少し漕ぎ登ると山神ダムで、堰堤の中ほどまで行って休憩した。

 堰堤の下側を見ると黄金色に色づいた山の段々畑が穏やかに広がっていたが、反対側の景色は、鉛色の雨雲が低く垂れこめ、何時もは見える九千部山は雨雲の中だった…。小休止後出発し、平等寺方面へ向かった…風は相変わらず強く、前から吹き付けたり横から押したりで苦労したが、是も訓練…くんれんと、自分に言い聞かせながら登って行った。

 二宮金次郎さんの銅像が立つ平等寺公民館前付近の道端には、黄金色の稲田をバックにオレンジ色のコスモスが点々と咲いて、ロートルチャリダ―を励ましてくれた…サンキューと花さんたちに手を振りながら通過し、九千部山方面への別れ道で立ち止まり思案した…結果、雨雲の具合から今日は大人しく撤退し、再度天気のいい日に登らせてもらう事にして直進し柿原峠へ向かった。

 峠に着いてこのまま一気に下ろうか考えながらフト前を見ると、九州自然歩道の案内表示板があり、右手の林道方面へ行くと大峠へ2,2kmと書いてあったので、行ける所まで行ってみるかと急坂を100mほど登ると舗装道路はすぐ先の施設までで、自然歩道は左手の夏草の茂る不整地道だったのでUターンし、峠から県道を一気に基山町に駆け下った。

 下界に降り、基山町から国道3号線に這入り排気ガスの道を走って、二日市付近から往路の高速道横の道に戻り、追い風に押されルンルン気分で我が家にお昼過ぎに帰着した。






〜 Mtbで脊振山へ…  〜

… カーブを曲がると脊振山頂レーダードームが目前に …

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2012/6/29 曇り … 

* 行 程 *

 自宅 ⇒ 原田IC ⇒ 鳥栖 ⇒ 屋形原 ⇒ 坂本 ⇒ 野ノ峠(585m) ⇒ 田中 ⇒ 脊振山(1055m) ⇒ 板屋 ⇒ 南畑ダム ⇒ 裂田溝(山田) ⇒ 自宅




6月29日・・曇り

 昨日の四王寺山に続き今日は脊振山へロングツーリングを思い立った…。前回の脊振山ツーリングは福岡県側の板谷からだったが、今回は趣を変えて佐賀県側からのアタックにした。

 距離的には約90kmで100kmを切っていたが、途中には500mを越す峠と1055mの脊振山までのヒルクライムを考えると、平地走行の二倍ほどは負荷がかかるだろうと覚悟をしていた。問題はお天気である…予報では20〜30%の降雨確率だったので、濡れ対策にタイツと長袖シャツ、ウインドブレーカーを入れて降雨に備え、熱中症対策にハイドロに3リッターのスポーツドリンクを満タンにしリュックに収めた。

 8時20分ごろ出発する頃は四王寺山も半分ほど雲に隠れ、今から向かう予定の脊振山系も雲に閉ざされ行く先が危ぶまれたが、降ったら降った時で随時予定変更すればいいと南に向かってペダルを踏んだ。

 高速道の側道を走って天拝山麓の 飯盛城址まで30分、距離センサー表示を見ると5,74マイルでキロ換算にすると約9km走行したわけで、アベレージ速度にすれば約20km/hの鈍行スピードだが、この先が長いのでボチボチペースで走って行く事にした。

 飯盛城址を出て暫く高速道横の側道を走って行くと小雨が降って来た…。濡れながら暫く走って県道の平等寺線に出るころには小雨もやんで明るくなってきたのでホッとした…。山口小学校手前から左折し、田んぼの中の道を原田方面へ向かった…サイクリングはこんな静かな道が走り易いが中々こんなのんびりムードの道は少ない。

 原田から鳥栖福岡間を結ぶ県道 17号線に這入った…此処から鳥栖までは高速道ではないが、かなりな速度で走る車が多く自転車で乗り込むのはチョット勇気がいる。車の途切れたのを見て本線に這入り、是までの鈍行運転から急行運転にギアチェンジし、狭い路側帯の白線の上を目いっぱいにペダルを踏んで佐賀県基山町に這入った。

 スピードメーターを見ると下り勾配では45km/hチョイの速度だが、すぐ横を追い越して行く大型トラックの風圧によろけそうになりながら懸命にペダルを漕いだ。こんな道路は信号が無く、通行人など障害物が無いので時間を稼ぐのにはいいが、精神的にも疲れが多く私のサイクリングスタイルには合わない…ヤッパリ、ツーリングは口笛吹きながらである。

 鳥栖の市街地でメーターを見ると自宅から15,38マイル(約25km)で、距離的には、今日の走行予定の4分の1は走った訳だが、この先の峠と山登りを考えると此処まではウオーミングアップだろう…養父の交差点から右折し、国道34号線と並行して佐賀市方面に走る県道31号線に這入った。

 この県道31号線は片道一車線の狭い道路の上に、34号線のバイパス的な存在からか大型トラックなどを含め通行量が多く、その上、路側帯は辛うじて自転車などが走れるくらいでハラハラドキドキしどうしだった。

 途中、新幹線の跨線橋を渡りながら新鳥栖駅方面を見ていると、サクラ号がやって来てあっという間にトンネルを潜って見えなくなってしまった…写真を撮る暇も無かった。暫く31号線を走ると側道脇に一段高くなった歩道部分が出て来たので、時々段差のギャップはあったが、私も車のドライバーも安心だったので道交法ではいけないだろうが歩道を走らせてもらった。

 鳥栖から30分弱で神埼郡の屋形原交差点から右折し、(自宅より21,27マイル・約34km) 三瀬方面へ抜ける県道46号線に這入った…。県道に這入ると今までの喧騒が嘘のようになって車の往来も殆ど無くなり、のんびりと静かな田園風景を楽しみながらぺダリングして行くことが出来た。

 右手に、少し雲の上がって来た蛤岳方面の稜線を見ながら、緩やかな坂道を登って行くと国道385号線との交差点に出た。交差点を直進すると是までの平坦ロードから一転し、一昨年に登ったズーベット山をすぐ横に見る標高600m弱の野ノ峠越しへの試練の坂道になる。

 左手下に渓流の音を聞きながら試練の坂道に這入るとバタッとスローダウンし、10km/h弱で登って行くのがヤットコット…懸命に何も考えずに下を向いて唯ひたすらペダルを踏んで登っていると、目の端に、道端に咲いている黄色の花に目が行った…その花は百合の花だったが、私に「少し休んでいけば…」と云っている様だったし、丁度、小キジタイムでもあったのでチャリから降りてショートブレイクをさせて貰った…。

 何度か立ち休みをしながら漕ぎ登って行くと、公民館やバス停標識が立っている永山の集落が現れた。こんな辺鄙な山の中までバスが走っているのか?と思いながら漕ぎ登って行くと次第にお天気の方も回復基調で、雲間から夏の太陽が射しはじめ、暑くなってきたので被っているヘルメットを脱ぎ(速度が遅かったので転倒する事もないだろう…と、判断した) サングラスも外した(汗が目に這入るので…)。

 山の中の段々畑の中の道を、何度も何度もターンしながら高度を上げて行くと、次第に山端の向こうに下界の景色が見えるようになり、こんなスローテンポでも一漕ぎひと漕ぎ確実に峠へ近づいているのだなと実感した…千里の道も一歩からだ。

 所々に道幅が狭いので車の離合の為にやや広くなった箇所があったが、その離合の場所で上から降りてきたマイカーが停車して私を待っていた…エッツ何で?こちらは自転車だから余裕ですれ違い出来るのにナ…と、思いながら待っている自家用車の横に来ると、50代ぐらいの男性ドライバーが窓ダラスを下げて「ファイトー!」と、大きな声で激励して下さったので「イッパツー…」と返礼し、手を振って離合したが、こんな山中での声援は何よりのプレゼントで、疲れの出始めた心身にパワーが甦るようだった。

 道路脇に神埼市と記された道路標識があったが、近頃は市町村合併後に村が無くなって、山奥まで市や町に変ってしまったが果たしてそのご利益のほどは如何なものだろうか…此処まで26,23マイル(42km弱)でフルマラソンの距離だが、時間は2時間40分で市民ランナーの優勝タイムだった。

 この付近から道の端にあちこちに、綺麗なアジサイの花が咲いて心を癒してくれた…ピンク・ブルー・紫・白…の花びらが無言の声援を送ってくれている様で、思わずアリガトーね…と、頭を下げて通過した。其処を少し登ると前回も立ち寄った観音様が祀ってある祠の前に出て一休みした…26,92マイル(43km強)で1km登るのに約8分かかった訳で、時速に換算すると8km/hだった。

 観音様にお祈りを済ませて少し登ると大井谷への分岐点で、蛤岳への登山口だった。大井谷分岐を過ぎて少し登ると前方が開け、峠が近くなってきたようで力が湧いてきた…その頃から何の音だか分からないがブーンと云う機械音が聞こえてきた。近づくと、その音の発生源はなんと産業廃棄物処理工場で、峠の手前に大きな建物がでんと立っていた。環境対策は大丈夫なのだろうか?ついつい考えさせられてしまう。

 その産業廃棄物工場を過ぎると間もなく峠の絶頂で、自宅から3時間10分、28,33マイル(45,3q)だった。きつい登りが終わると愉しい下り道…盆地状の旧三瀬村に点在する集落に這入り、脊振山方面への道を付近の家で尋ねようとしたが何れも不在…仕方なく下って行くと、デッカイ看板が立っていて脊振山方面への案内があったので表示に従い右折し、集落を外れるといきなり急こう配の道になってローギアで辛うじて登って行くと大きな神社があった。

 神社の前に来ると「脊振神社」の本殿で、その昔、脊振千坊と云われる程に栄えた信仰の山である事が窺い知れた。時計を見ると11時40分を過ぎていたので山頂までの登りに備えランチタイムにした…。鳥居の外から神殿に向かって低頭し、一角の石に座ってパンに齧りつきスポーツドリンクで流し込んだ…。

 神社の前で昼食を終え山頂への登り道にかかった…道路は県道46号線よりも広く整備が行き届き走り易かったが、何しろ1055mまで登る訳だから結構きつい坂で、しょうけ越しの峠道のようだったが、行き来する車が殆ど無いのでその点は安心してペダリングに集中できた…神社から15分ほど登ると左側に大きな環境省の案内板があったので見ると脊振山登山道の入り口だった。距離的には車道よりだいぶ近いようなので、どんな道だろうと確認に這入ったら、とても自転車を押してでも登れそうでない道だった。

 登山口を後に急坂を少し登ると道端に新しい看板が立っていたのでチャリを留めて読むと、栄西禅師について述べてあり、少しそこから入った場所に栄西禅師の石像が祀ってあり謂れが記されていた。

 栄西禅師に見送られサドルに跨り山頂目指して出発進行…!何度も立ち休みをしながら、もうひと曲り…あとひと曲り、と気合を入れながらペダルを踏み続けて行くと、山頂へ0,5km毎に刻まれた距離標識の数字が3km…2,5km…2,0kmと、減って行くのが楽しみで、時々、道路際に流れ落ちる山水を頭から被ったり飲んだりしてオーバーヒート気味の脚さんを労わった。

 だいぶ標高が上がり、空気がヒンヤリして来る頃、カーブを曲がったら目の前に脊振山頂ドームの姿が目に這入った…現金な物で途端に力が湧いてきてペダルを踏む足にも気合が入った。その時である!目の前5m付近にアナグマさん発見…以前も管区気象台付近で見たことがあるが、今日のはまだ子供らしく小型で毛並みが綺麗だった…。

 チャリを留めて写真をと思っていると、向こうにその気がないらしく悠々と車道横のクマザサの中に這入りこんで行った。思わぬ出会いにニヤニヤしながら登って行くと、先ほどの栄西禅師の看板と同じような新しい看板が道端に立っていた。近寄って読むと、昭和11年にパリ〜東京間を飛行中に、この地に墜落したフランス人のジャッピーさんの遭難場所の説明看板だった…その看板の写真を撮ってふと地面を見ると、足許にトグロヲ巻いてマムシさんが私を睨みつけていた。

 桑原…々である。ジャッピーさんの看板に気をとられその存在に全然気づかなかったが、よくぞ踏みつけずに良かったものだ…普通の蛇なら近寄るとニョロニョロと動くのですぐ判るが、マムシさんはこんな風に踏まない限りはトグロヲ巻いて動かないので怖ろしい。然し、此処は車道でマムシさんが昼寝する場所では無い!車に轢かれないうちにと「向こうに行きなさい…」と注意しても知らぬ顔で動かないので、足音を強くさせると渋々ジャッピーさんの看板の下側に潜って行った。

 山頂近くなって、アナグマさんやマムシさん等、とんだ山の御友達の出迎えで疲れも吹っ飛んでしまった…少し登ると見覚えのある九州自然歩道の看板が立つ縦走路の箇所に着いた…歩きの時は此処から木道伝いに山頂に行けるのだが、今日はチャリなので少し板谷方面に下ってから右折し、航空自衛隊脊振駐屯地正門前から山頂広場の駐車場に向かい、13時07分に到着した…所要時間は休憩も含め3時間45分で、走行距離は34マイル弱(54q強)だった。

 此処まで来たら、山頂に寄って行かねば失礼だろうとチャリを正門横手のフェンスにロックし階段を登って山頂へ向かい、鳥居を潜ってレーダードームの立つ標高1055mの山頂に立った。お天気の方も持ち直し青空も広がっていたが、遠くの方はボーっとかすみ、足許の脊振ダムや、板谷方面の青少年の家などが陽射しを受けて浮かび上がっていた…。鳥居付近のコンクリート作りのベンチで今日二度目の昼食タイム…食べ残しのパンとチューブ入りのウイダーなどで帰路のエネルギーを重鎮した。

 13時35分ごろ山頂を後にし、ロックを解錠したチャリに跨り下山開始…板谷集落へ向かった。下り始めは綺麗な舗装道路でスイスイと下って行きながら左を見ると、金山方面への山並みが黒々と続き、一番奥側に三角錐の形を見せて立つ金山の姿が格好良かった…舗装が切れると板谷付近まで殆どが砂利道で、ハンドルをとられないように下るのが精一杯で、サドルに座ることは出来ずにペダルに立ったまま下らされ、下りの快感など味あうことは出来なかった。

 人家が見えて来ると板谷の集落で山頂から23分で下りついた。自衛隊道路に別れ県道に這入ると快適な舗装道路で、風を切ってビュンビュンと小河内方面へ下って行った…アイスクリーム屋さんを横目に走って行くと、前方の遥か高い所を跨ぐ橋が出きつつあった…五ケ山ダム建設で湖底になる道の代替え道路だろうが、ダム工事にかかる費用は諸々を含めると並大抵の予算ではない事が、是を見ただけで理解できるが、そのつけは我々国民一人一人が背負って行く訳だ…。豊かな文明生活を追い求める事が果たして幸せなのだろうか?この夏の電力事情を考えると、昔のような生活スタイルの方が不便だがダメージは少ないのではないだろうか…。

 是までの交通の少ない道路から佐賀橋付近で385号線に出るとチャリは邪魔者扱いで、肩身の狭い思いで脇の方を走らざるを得なかった。南端ダムに立ち寄り堰堤の上から水面を見ると、此処暫くの雨でほぼ満水状態になっており、下流側の放水路からは農業用の為だろうか勢いよく水が迸り出ていた。

 ダム湖畔から一気に筑紫耶馬系の谷間の道を下り、那珂川沿いの国道を走って山田集落から右折し「裂田溝」と呼ばれる史跡の東屋で一休みした…。新幹線車両基地ふきんから春日市内をクールダウンしながら通過し、15時20分ごろ自宅に無事帰着した…因みに走行距離は92kmで、休憩時間を含め7時間の旅だった。 (行程図)






〜 Mtbで四王寺山へ…  〜

… 焼米ヶ原前で …

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2012/6/28 曇り … 

自宅 ⇔ 総合体育館 ⇔ 県民の森 ⇔ 焼米ヶ原展望台




6月28日・・曇り

 今月は山行きが梅雨と仕事で少なかった…。雨音を聞きながら、7月になって梅雨明けすればと読書三昧の日々を過ごしていたが、今日は久し振りに天気が持ち直して雨の心配もなさそうだったので、昼飯を済ませてからMTBを漕いで四王寺山へ出掛けた。

 MTBに乗るのは先月中旬以来だったので総合体育館までは慣らし運転で走った…林道に這入って登り勾配の道をギアダウンしながら漕ぎ登って行くと、梅雨の中休みを利用してウオーキングを楽しんでいる人達の姿が見かけられ、挨拶をしながら追い越して行った…。

 路面は乾いている所とまだ少し濡れている個所があり、落ち葉や小さな木の枝などが散らかっていたので、下りはスリップに注意しないといけないな…と、頭に入れながら登って行った。

 久し振りの四王寺林道で息が上がるかも知れない…と、心配だったが思ったよりも体力も落ちていず、ポチのお墓の前を通り過ぎながら「オイ…久し振りに登って来たよ!」と声をかけると、上から降りて来られたオジサンが何を独り言云ってるのだろう…と、怪訝そうな顔をして私の顔を見ておられた…。

 大野城市街地が見えなくなるカーブ付近でドリンク休憩10秒…ウグイスさんの美声に送られて出発し、最後の坂を登り切ると県民の森までは愉しい下り勾配の道…ビュンビュンと風を切って駆け下る爽快感が堪らない…きつい登り坂もこの快感を味わえるからこそだ!

 県民の森から県道に這入り登り返すと足許に大宰府の街並みを見下ろせる焼米ヶ原の展望台で、自宅から約11kmである。MTBを焼米ヶ原の標柱に立てかけ山頂に立つと、宝満山がすぐ其処に佇み梅雨明けを待っていた。

 久し振りの四王寺林道のぼりだったが、思ったよりもスイスイ走れ嬉しかった…。何時までこうしてMTBで走りまわれるのか分からないが、私なりの体力確認手段の一つとして是からも取り入れて行きたい。








〜 Mtbで長崎街道から嘉麻市の長谷山へ…  〜

… 長崎街道山家側入口 …

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2012/5/19 晴れ … 

自宅 ⇒ 山家 ⇒ (長崎街道) 冷水峠 ⇒ 夜須高原記念の森 ⇒ 長谷山 ⇒ 内野 ⇒ (長崎街道) 冷水峠 ⇒ 山家 ⇒ 自宅




5月19日・・晴れ

 昨日、愛車ロックホッパー号を手入れしたので、久し振りにチャリ山行を思い立った…。勿論、息子たちのようにロングツーリングは出来ないので、ネット検索で往復80km程度圏内の低山を探して見た。

 候補の低山が何ヶ所か見つかったが、最終的に嘉麻市の長谷山(311m)に決めた…。長谷山がどんな山か判らなかったが、チャリで気軽に出かけられそうだし、途中に冷水峠や白坂峠などが有りアップダウンも楽しめそうだった。

 8時40分ごろ自宅を出発し、御笠川沿いの遊歩道に這入ると向かい風…。チャリに乗った人ならお判りと思うが、上り坂は勿論きついがこの向かい風が、力をジワジワ削いでしまう…。息子たちのようにパワーが有り余っているなら問題外だろうが、ロートルの私にとっては試練の向かい風だ。

 112号線の関谷交差点から左折し、県道76号線に這入り大宰府方面へ向かっていると、観世音寺付近で、ロードタイプに乗った青年が「チワー…」と一声かけてスウーッと追い越し、あっという間に遠ざかってしまった…スピード違反だろ!

 西鉄大宰府駅前の踏切を渡り九州国立博物館横の坂を登って吉木に下り、麦の穂波が揺れる阿志岐を通過しながら左手を見ると、宝満山が「しっかり漕げよ…」とハッパを掛けている様だった。

 山手の道に這入り、ギアダウンしながら登って行くと、すぐ横をトラックや乗用車が排気ガスを撒き散らし追い越して行く…。鳥追トンネルの手前で一旦停車し、サドル下につけているLEDのフラッシャーランプのスイッチを入れ、後続車にチャリが走ってます…とアピールした。

 トンネルを越えると山家の交差点まで下り坂で、風を切って一気に駆け下ってしまった…山家の交差点から左折し国道200号線に這入った。昔は、この狭い片側一車線の国道を、大型トラックが列をなして峠越えの道に向かっていたが、現在はバイパスが峠手前付近まで開通し、有料のトンネルも出来たので交通量もぐんと減って、自転車野郎にとっては大助かりだ。

 と云いながらも、国道だから走る車も多く、爆音を立ててすぐ横を追い越して行く大型トラックには命を縮められる…(多分、運転しているドライバーも精一杯神経を使っておられると思う)…。この峠越えの道は長崎街道と呼ばれ、途中には参勤交代の宿場町もある由緒深い道だ。

 私は、その事は知っていたが実際に長崎街道が現在どの様になっているのか恥ずかしながら知らなかった…。ところが、登り坂を漕ぎ上がりながらふと横を見ると、「長崎街道」と書いてある小さな表示板が目に這入った…。

 長崎街道の事は全然頭になかったので、是は願ってもない良い機会だ是非通って見なくては…と、国道に別れを告げ、不整地の草生した街道みちに這入った…勿論、押しチャリである。遠く江戸時代の頃、この峠道を越えて行き来していた旅人たちの心情を思い浮かべながら歩いていると、向こうからチョンマゲ姿が現れそうだった…。

 国道とつかず離れずにあるらしい街道は、車の走行音が絶えず聞こえていたが、10分ほど登ると有料トンネル入り口の横に出た…。街道は此処から更に左手に続いており、チャリを押しながら緩やかな登り道を行くと、道端には黄色のアヤメらしい花が咲き、新緑の中から夏鳥の声も聴こえていた。

 山家の街道入口から約30分で残念ながら現代に立ち返り国道に出た…。国道を少し登ると上西山のバス停で、公民館の前に幟旗が風にヒラヒラ揺れていた…幟旗には「筑前六宿開通四〇〇年記念」と染め抜いてあった。

 この少し上の大根地山登山入口付近から、更に長崎街道が内野方面へ続いていたのだが見落とし、国道を冷水峠へ上った…。峠付近はバイパスなどの開通で寂れていた…。峠からの下り坂を、爆走して来るトラックなどに追いかけられながら下って、昨日、ネット地図で見ていた県道439号線に這入ったつもりだった…が、後で、438号線に這入っていた事が分かった。

 緩やかな起伏の続く高原状の道は車の通行も少なく、チャリで走るのにはうってつけの道でアップダウンを楽しみながら暫く走って、少し様子が可笑しいナと気づいた…実はこの道は、長谷山方面への道では無く、大根地山〜砥上岳〜夜須高原〜古処山方面へ延びる丘陵地帯の東側の道だったのだ。

 山の中とて尋ねる人も人家も無く暫く走っていると、新しい建物があった…花壇の整理をしておられた小父さんに、長谷山に行きたいのですが…?と訊くと「私は地のもんじゃなかけん…」と云いながら、「これば真っ直ぐ行ったら夜須高原記念の森で、その先の白坂峠から下ったら嘉麻市方面に行けるバイ…」だった。

 お礼を言ってチャリに跨りながら、この立派な建物は何ですか…と訊くと、「あー、是は乗馬クラブの厩舎ですヨ…」だった。其処から50m程行くと放牧地に、黒毛の馬二頭と赤毛が二頭、草を食んでいた…馬さんに、おーい…ご飯は美味しいかいと、呼びかけると「食事中に話しかけるな!」とばかりに無視された。

 貸し切り状態の高原の道は少しずつ上り勾配でじわじわ高度を稼いで行った…乗馬クラブから12分で「夜須高原記念公園」の前に着いた。腕時計の高度を見ると450mで、冷水峠よりも200m程登ってきたことになる。

 その公園前から少し下ると三叉路で、右に行けば秋月方面で、左が嘉麻市方面へ向かう県道66号線だった。左折し、殆ど車の通らない道は、快適なアップダウンの続く「ミニやまなみハイウェイ」で、下り坂では時速60km/hを越えていた…。20分ほど走ると人家が現れ、畑仕事をされていたおばーちゃんに「長谷山」の事を尋ねると「あー、長谷山はマーダだいぶん下らんチャいかん…詳しい事はずっーと下ったらガソリンスタンドがあるケン其処で訊きナイ」と教えて頂いた。

 言われた通りずーっと下って行くと、田植え準備中の田園が広がる山里の集落に出た…。おばーちゃんが教えてくれたガソリンスタンドに這入って親父さんに「長谷山」に登りたいのですが…と尋ねると、ヘルメットとMtb姿の私の格好を見て「あー長谷山ネ…あの右の方に見えるとがそうたい…バッテン、自転車じゃ登れんヨ…」と店の前まで出てきて順路を教えて下さった。

 教えて貰った道を少し行くと、左折地点の道路脇に立派な標識が立っていた…標高311m程の山なのに、こんな立派な案内標識があるという事は、地元の人達にとって由緒ある山なのかもしれない…と思いながら、集落を抜け山懐を登って行くと、目的の長谷山登山道の案内標識が立っている登山口に着いた…我が家から約40km3時間チョイだった。

 登山道を見ると舗装されていたので、チャリをどうしようかなと迷った…が(案内標識に長谷山順路と書いてあっので、山頂からこちらに降りずに別方向に下れるのかな…)持って行けるところまで押し歩きしてみようと登り始めた。初めの中は押し歩きも楽だったが、山間に建つ苔むした長谷寺からは傾斜も急になり木の階段道で、途中で植林の中に置いて行った。

 石段を登って長谷寺と呼ばれる小さな庵の前に立ち、鈴を鳴らしてお詣りを済ませた…。天井にかけられたご詠歌に「今生は夢幻しのその中に、後生を頼め老いも若きも…」と詠われていたが、苔むした庵からは何やら村人たちから崇められる雰囲気が漂っていた…。

 其処から少し登ると、地元の児童たちが書いたらしい「一里峠…」の説明書きがあり、お坊さんが観音様を背中に背負ってこの一里峠まで来たが、観音様が重いので此処に置いて行けと云われたので、此処に御堂を建て長谷の観音様としてとして祀った…と、謂れが書いてあった。その看板の付近には紫色のタツナミソウ?の花が咲いていた。

 木の階段道の横には、ミカン園などに見られるミニモノレールのレールが山頂まで続いており、村人たちが山頂で行事などを取り行う時などに使用されるのだろうかと思われた(山頂に登って判ったが、山頂には山城の跡が残り公園化されていた)登山口から約30分でツツジや桜が植えられた山頂に着いた…。

 紫色のアザミの花が咲き乱れる山頂の一角に、まだ設置されて間もないらしい「長谷城址」の石碑があり、その脇には長谷城の説明文などが有った。山頂からの眺めは良く、北の方角には春霞の中に遠賀川が白く光り、麦秋の平野に筑豊炭田のシンボルだったボタ山がピラミッドのように見えていた…。丁度お昼時だったのでベンチに座ってランチタイムにした。周りの草原には紫色のアザミの花が沢山いており、蝶々やテントウ虫さんが遊びに来ていた。

 事前に良く調べもせず、唯、チャリに乗って行ける低山という事で選んだ長谷山だったが、人間も10人10色と云うように、山も夫々に異なった良さ(格式)を備えている事を再確認した…。「山、高きが故に尊からず…」である。

 12時のサイレンを聞きながら山頂を後に下山の途に就き、植林の中に置いてきたチャリを回収し、木の階段道では担ぎながら下って登山口に降りた。歩き終了後はチャリンコ漕ぎ再開…一旦、先ほど道を尋ねたガソリンスタンドまで戻って、県道439号線に這入り、アップダウンの道を登り下りして内野駅付近の国道200号線に出た。

 折角、新緑の気持ちのいいサイクリングを楽しんできたのに、此処からは排気ガスと騒音の国道走行で少し気落ちした…そんな大型トラックなどの風圧によろけながら冷水峠へ上っていると、道の反対車線の道端に小さな標識が立っているのに気が付き、みちを横切り見ると嬉しい事に「長崎街道」と書いてあった…。

 押し歩きでもいい…自分の足で辿れる道がどんなに素晴らしい事か、それも、古道を辿ってだから…。街道に這入って見て判った事だが、峠から、山家側よりも内野側の街道の方が街道らしい雰囲気が残っていた…石畳の道や孟宗竹林の中の道を歩いていると、本当に江戸時代にタイムスリップしてしまう感覚になった…。国道がずっと左手に遠ざかったせいで車の走行音も聞こえなくなり、谷川のせせらぎや木漏れ日が街道を歩いている実感を増幅してくれた。

 やがて右手に道に沿ってひょろ長い人家の前に出た…多分、昔の旅籠あとか茶店跡ではないだろうか…なんて勝手に連想しながら少し行きすぎて下を見ると、JR筑豊本線のトンネル出口付近で、銀色の線路がカーブの向こうに消えていた…。かっては、此処を、SL機関車二重連でダイナミックに峠を越えて物資や旅人を運んでいたのだ…時代の移り変わりは全く一瞬の出来事だ。

 苔むした石畳や杉林の道を登って行くと左手から谷川のせせらぎが聞こえ、JRトンネルから10分ほど登ると前方の薄暗い杉林の向こうに人影が見えた…。近づくと其処は「首なし地蔵」様が祀ってある祠で、説明文には、冷水峠の由来などが書いてあり、峠越えで疲れた旅人が、この祠の横を流れる冷たい水を飲んで疲れを癒したことからその名が起こったそうで、「英国初代公使のウォールコックは、その著書「大君の都」の中で、この峠の景色の素晴らしさを著し、祠の横で休む旅人の姿を描いてある…」とも記されており、この峠の歴史を窺い知る事が出来た。

 写真を撮っていると、登山者スタイルの人が「貴方は、今朝方自転車で峠を越えていませんでしたか…」と話しかけて来られた。思い出すと、上西山の公民館前で幟旗の写真を撮っているときに、すぐ後ろに車を留めて山行きの準備をしておられた人のようだった…。訊くと、大根地山に登った帰路に此処へ立ち寄ったそうで、前からこの長崎街道を歩いて見たかったのですヨとお話しされた。

 祠にお詣りし、すぐ横を流れる沢水で顔を洗ったり喉を潤して祠を後にし、チャリを押し歩きしながら登って行くと先程の人に追いつき、暫く山の話などをしながら登って行くとコンクリート舗装の道に行き当たった…(大根地山登山道の合流点で、横には、明治35年の文字が見える鳥居があり稲荷様を祀ってあった)。

 その付近で、二グループ20人ほどの老若男女の登山者が休憩中だった…その中の一人の女性の人が笑いながら「貴方は、飯盛山でお会いした方でしょう…」と語りかけて来られた…。そういえば、二月終わりにMtbで飯盛山へ登った折に途中で出逢った人だった…。やっぱりこう謂う奇遇が有るものですね…と、仲間の皆さんと暫くお話を交わした。

 また何処かの山で…と、彼女グループと別れガタゴトのコンクリ道を下って国道200号線に出た…。長崎街道から国道に合流してからは「緩から速」にチャンネルチェンジし、山家まで一気に駆け下り、一台の車からも追い越されなかった…因みにMAXスピードは67km/hだった。

 山家集落の手前から往路の県道76号線に這入り、トンネルを抜けて吉木から大宰府に出て、道端の餅やさんで「梅が枝餅」を土産に買ってのんびり家路に向かい、14時40分ごろ無事に我が家へ帰着し「Mtb山行」が終了した。

 今回は無差別に低山を選んでチャリを楽しんだが、長崎街道を辿れるなんて思ってもいなかったので儲けた気になった…が、今後は、舗装道路をシャンシャン走るばかりでは無く、歴史の道を押し歩きで辿るのもいいかな…なんて思いを新たにしている。






〜 九千部山へMtbで…  〜

… 九千部山(847m)山頂 …

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2012/4/8 晴れ … 

自宅 ⇔ 山神ダム ⇔ 平等寺 ⇔ 大峠 ⇔ 九千部山頂




4月8日・・晴れ

 掲示板山友の「華二」さんと金山へ行くつもりだったが、連絡の不徹底で華二さんが「藺牟田池外輪山」ツアー登山に行かれたので急きょ予定を変更し、九千部山へMtbを漕いで登ることにした。

 久しぶりのMtbだというのでタイヤ空気圧やブレーキ関係をチェックし、小型ザックに行動食やヤッケなどを入れて自宅を10時20分ごろ出発した。  御笠川土手道の遊歩道に這入ると桜の花が満開で、河川敷地には大根の花や菜の花などが色とりどりに咲き乱れ、まさに春爛漫だった…。そんな春景色を楽しみながらペダルを漕いで南を目指すと凄い向かい風で、ペダルを漕ぎ止めると直ぐに止まりそうな風だった…。

 出だしから、是より山に登ろうかと思っているロートルサイクラーに神様の厳しい試練で、スイスイと気持ち良く風を切って走りたかったが、20~25Km/h前後で走るのが精いっぱいだった…。

 何時もは九州道横の道を走って湯町付近の天拝山サイトで一回目の休憩をとっていたが、今日は、向かい風で巡航速度がかなり落ちていたので休憩なしで通過し、山口川沿いの県道を風に向かって姿勢を屈め漕ぎ進み、山口集落の藤棚が美しい休憩ポイントの神社もクリアーし山神ダムサイトを目指した。

 息子たちグループは大分国東半島レースに備え特訓中だが…(帰宅後、彼のブログを見ると案の定、江川ダムから小石原を抜け夜明けダムを廻る、100kmを越えるコースを走っていた)本当に若さがつくづく羨ましくなる。

 山神ダムへの登りに這入り亀さんのように登っていると、横をロードタイプの青年が追い越して行く…挨拶をして何処までですか?と尋ねると、その青年が「Kさんでは無いですか…!」と笑顔で挨拶して来る…ヘルメットにサングラス姿で誰だか分からずにいると「Fですよ…」と名乗ったのでやっと判った。

 彼は、私の元職場での後輩で、会社の陸上愛好会の仲間の一人だった…。暫く、四方山話をしながらダムへの坂を一緒に走って「今日は何処までですか?」だったので「九千部山までと思っているが登らないですか?」と誘ったら「今日は3時から結婚式が這入ってるのでちょっと無理みたいです」だった…。

 此処までノンストップで漕いできた私はダムで休憩したが、彼はそのまま県道を柿原峠越しへと漕ぎ去って行った…。やはり世の中は広いようで狭い!こんな場所で元同僚と出会うのだから…それもチャリンコで。

 チャリを降りてダムの堰堤から湖岸を見ると一面の桜並木で、満水状態の湖面に映えていた…今から登る九千部山はまだ遥か遠くに霞み、山頂のテレビ中継用のアンテナ群がおぼろに見えていた。

 休憩後ダム堰堤を出発し、平等寺集落の先から県道に別れ右折して愈々胸突き八丁の山道に這入った…文字通り亀さんの歩みで集落を抜けて植林の中の林道に這入った。毎年、この九千部山にはMtbで何度か登っているが心臓が口から出そうになる程きつい!…。だって、漕ぎ止めたら忽ちストップしてしまうのだから。

 然し、年齢のせいにして苦しさから逃げると心の支えを無くしてしまい、老いぼれてしまうのは火を見るより明らかなので「心技体」を維持するためには、少しぐらい苦しくても泣きべそかかずに前向きに進んで行きたい…。

 とはいえ、やはり林道の登りは大変…。何度か立ち休みをしながらジグザグのヘアピンカーブをのろのろ登り、何時も何台か車が停まっている「名水ポイント」で美味しい山水を飲ませて貰い、オーバーヒート気味のエンジンを冷やした。

 名水ポイントから5分ほど登ると平等寺側からの峠地点で、少し下ると那珂川町から基山方面へ抜ける大峠手前の林道に合流し、その林道を少し過ぎた所から右折し、山頂まで3,6kmの標識が立つ九千部林道に這入った…。

 この山頂へ続く林道は舗装道路の状態もまーまーで、所々に強風で落下した木の枝などがあったが、登り時にはスロースピードなので気にならなかったが、下り時にはスピードが出ているのでカーブ地点などではハンドルをとられないようにしなければ…と、思いながらよろよろ登って行った。

 本当に歩くのに毛が生えたようなスピードで(10〜15km)登って行きながら、ふと100mほど前方を見ると、ロードタイプのチャリで登って行く人の後ろ姿が見えた…ナニ!私よりも遅いチャリがいようとは!

 カーブを何度か曲って追いつき、ゼーゼーハーハー云いながら挨拶を交わした…彼は、南区から那珂川町を経て登って来たそうで、「昨日も来ましたが、何度来てもきついですね…あと山頂まで1km弱ですよ」と励ましてくれた。私より20歳も若い現役組のロードチャリを追い越して先行するのも気がひけたが、では山頂でお会いしましょうと失礼した。

 前に出るともう休むわけはいかない…パワーを全開にして、目の前に見えて来た山頂のテレビ塔を目指して漕ぎ登り、12時半頃山頂の広場に着き、登山道を押し歩きして展望台のある山頂へ到達した…。山頂は下界の強風は嘘のように無く、陽光がいっぱいに照り渡り春うららの別天地だった…。

 展望台の東側にある祠の前に行き、無事に山頂まで登って来られた事と孫の高校入試合格のお礼を唱えた…山頂一角のベンチには何組かの登山者がお昼の弁当を束っておられた。私も、お腹がペコペコだったので展望台下のテーブルで、カロリーメイトとポカリのささやかな昼食にした…展望台に登り周囲の景色を眺めたが、遠くの山々は勿論、我が住む街も霞んでボーっとしか見えなかった。

 上空を仰ぐと、真っ青な空を東から西へ向かって飛ぶ飛行機が、銀色の機体を光らせ長い飛行機雲を残し音もなく消えて行った…展望台を降りてそろそろ下山しようと準備していると、先ほどのロードタイプの人が上がって来られた…お互いにエールを交しお別れした。登りではアンダーウェア―だけで汗びっしょりだったが、下り坂の寒さ対策にウインドヤッケを着用し山頂を後にした。

 チャリでの山登りはきついが、此の下り坂の快感があればこそ登っているようなもので、風のようになって下って行く快感は何に増してのご褒美である…カーブを一曲り二曲りと快調に下って行ってるとハプニング発生!カーブを曲がった目の前を悠々と横断中の動物の姿を発見してビックリ仰天…! 急ブレーキをかけ何とか接触は避けられたが本当に間一髪の差で、交通事故を起こすとこだった…。

 相手はなんと狸ちゃんで、慌てた様子もなく転倒寸前状態で立ち止まった私を横目で見ながら「春の交通運動旬間中デショ…気をつけなさいヨ!」の顔つきで、住まいの我が家へ帰って行かれた…。その他に冬眠明けの蛇さんたちも道を何匹か横切っていたが、遠くから見ると木の枝のようなので分からずに近づき、初めて蛇だと判って慌てて急ハンドルをとったりした。

 平等寺から山神ダムサイトを一気に駆け抜け、追い風を背に受け軽やかにぺダリングを楽しみつつ、桜吹雪を受けて御笠川沿いの道をクールダウンしながら14時過ぎに帰宅した…登りは約二時間半、下りは一時間チョイでした。






〜 春の陽気に誘われMtbで飯盛山へツーリング…  〜

… 飯盛山(382m)山頂 …

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2012/2/24 晴れ … 

自宅 ⇒ (外環状線) ⇒ 橋本 ⇒ 西部運動公園 ⇒ 飯盛神社 ⇒ 登山口 ⇒ 飯盛山 ⇒ 飯盛神社 ⇒ 小笠木峠 ⇒ 自宅




2月24日・・晴れ

 二月に這入り天候不順や発掘現場の都合で今月に這入り仕事の休みの日が多く、今日もお天気だったが作業が休みだった…。一雨ごとに春めき、我が家の小さな池で冬眠中の亀さんも、砂の上に這い出て甲羅干しを始める陽気になった。

 で、その陽気に誘われ今日はサイクリングに出かけてみる事にした…。先ず、愛車のチェックをし、小型リュックにジャンバーや行動食などを入れ11時過ぎに出発した…その時点で、まだ行く先は未定だった。

 暫く北の方へ向かって走りながら行く先を幾つか拾い上げた…1、志賀島方面 2、若杉山方面 3、糸島の可也山方面…で、3、の糸島方面に決めて外環状線始点の立花寺から西へ向かった…この外環状線は部分的には(トンネル内)狭い箇所もあるが、適当なアップダウンもあり道路自体が新しいので広々して走り易い。

 走り始めて暫くは弱い向かい風が冷たく感じられたが、漕ぎ始めて20分もすると冷たい風が心地よく感じられ、信号待ちの時には汗を拭わねばならなかった…。福大トンネルの手間付近で信号待ちをしている際、左手のコンビニの前でロードタイプのチャリ青年が休憩していたので「今日はチャリンコ日和ですね…」と、声をかけると、ニッコリ笑って「是からはチャリの季節ですね…」と応えてくれた。

 トンネルに這入る前に、後続車に追突されないようにサドル下に取り付けた「LEDの点滅ランプ」のスイッチをオンにした。こんな狭いトンネル内は早く出た方が良いので、目いっぱいに漕いで出口を目指した。

 春の陽光を受け快調に西へ漕いで行き12時頃、地下鉄3号線車両基地のある室見川中流に架かる橋を渡った…西側の橋のたもとに立ち止まり、春うららの川面を見ながら水分補強をした…橋脚の欄干部分に飯盛山の案内文があって、読むと歴史的に由緒深い山である事が分かった。

 で、当初は、糸島半島の可也山へと思っていたが計画変更(行き当たりばったりのチャリンコ旅は気楽な物…何時でも何処でも行きたい場所へチェンジOK!)と、いう事で外環状から分かれ、金武方面への田んぼの中の道を南へ向かっていると、左手に大きな公園があったので這入りこみ昼食タイムにした。

 ベンチに座り、アンパンを食べながらウォーキング中の人に、この公園の名前を訊くと「西部運動公園」ですよ…と教えて頂いた。肝心の運動場はこの場所から見えなかったが、ワンワンちゃん達の開放広場があるらしく、大小さまざまなワンコちゃん達がフエンスの向こうで走り回っていた。

 ベンチに座って公園の南西方角を見ると、今から向かう飯盛山が春の陽ざしの中に尖がり帽子のよう形をして佇んでいた…。10分ほどのランチタイム終了し、暫く南に向かっていると飯盛神社への案内看板が出ていたので漕ぎ登って行くと、集落の中にある飯盛神社の前に出た。

 鳥居横に立っている由来書きを見ると、総社は、古代・中世・近世を通じ篤い崇敬を受けた旧早良郡の総社である…中世には三所権現宮と称され、上宮・中宮・下宮がありました…とあり、上宮の山頂から永久二年(1114年)の経文瓦が出土している事は全国に有名である…等と記され、発掘作業に携わっている私にとっては興味深かった。

 鳥居の外から参拝し、サドルに跨り中宮社方面へ伸びている舗装道路へ這入った…コンクリート舗装の道はかなり大雑把な工事で凸凹が激しく、又、登りもかなりきつかった…。スローギアでヘアピンカーブの狭い道をじりじり登って行くと、やがて、木の間越しに下界の景色が開けてきた…先ほど走って来た外環状線上の都市高や、室見川などが春霞の中にぼんやり見えていた。

 下宮から7分ほど登ると下宮よりも立派な中宮前に着いた…。中宮は、改装されたばかりで新しい鳥居や神社に続く石段に驚かされた。その新しい石段を登って中宮神社の社に行き、孫息子の受験合格をお願いした…。

 お詣りを済ませ石段を下ってチャリの所に戻りスタート…エッコラッショとペダルを踏んで登って行くと、南方面の開けた場所があり早良平野の向こうに脊振山系の山がぼーっと霞み見え、帰路、越える小笠木峠の鞍部が遠かった…目の前には「カブトムシの森」と記された看板があったが、夏休みには近所の子供たちで賑わうのだろう…。

 上部に行くにつれコンクリート道が新しくなって凹凸も少なくなり漕ぎやすくなった…下宮から約30分(中宮でのお詣り時間を含め)で、登り勾配一辺倒だった道が平坦になった所が飯盛山への登山道入り口で、入り口付近に案内の表示板が立っていた…丁度その時、向こう側から青年が登って来られたので、この林道はまだ先に続いているのだろうか尋ねると「イヤ…この先で行き止まりです」と教えて頂いた。

 Mtbを傍の植樹の木にロックし、先行された青年の後を追いかけた…。山頂までの山道は殆ど直線的につけられていて、木の幹や補助ロープを掴みながらの急こう配の道だった…。息を弾ませ、ぐいぐい登って行くと10分ほど先で前を行く先ほどの青年に追いついた…私が「思っていたより険しい登りですね…」と云うと「この道はきついですが、外に少し傾斜の緩い道もあり、下りはそちらを下ります…」だった。

 お礼を言って先行し、そこから5分ほど登ると標高382mの飯盛山山頂だった…。山頂はこんもり茂った照葉樹林の中で薄暗く、見通しは効かなかった…小広い台地上になった場所に上宮神社跡があったのだろうがその面影を窺う術もなかった…。

 この飯盛山は早良平野の西端にある平坦な里山の中にあって、ぴょこんと尖がり帽子のように突き抜けている姿かたちが特徴的で、北アルプス、常念山脈の前衛峰で安曇野平野にある有明山(2268m)の姿を連想した…。

 薄暗い眺望の効かない山頂の片隅の上宮跡の石碑の前でも孫息子の「サクラ咲く…」をお願いした…その頃、下で追い越した青年が上がって来られたので、下山用の別の道を訊くと、山頂の南東側(登って来た方は北東側)の目印を教えて下さった…。お礼を言ってその道を少し下ると、東方面が開けている場所があり、霞みの市街地が見えていた…。小走りに斜面を下って行き5分ほどで先ほど登って来た舗装道路に出た…。Mtbを置いた登山口まで200m程戻り返し、木に括り付けていたMtbを解錠し登山口を後にした。

 舗装道路の下りなら一気に風を切って駆け下って行くのだが…此処の凸凹道はブレーキを常にかけながら下って行かねばならなかった…下宮の本殿前で停止して再度、諸々のお願いをした…。

 神社のある集落を抜け、室見川沿いの道をのんびり走りながら振り返ると、集落の向こうに飯盛山が黒々と聳えていた…バイバイ。小笠木峠越しの道をエンヤコラショと漕ぎ登っていると少々ガス欠状態(アンパンひとつの昼食)だったので、峠手前のソフトクリーム屋さんに立ち寄りエネルギー補給…レタスクレープを注文しベンチに座って頂いた…。

 エネルギー補給して一気に峠を駆け上ると、後は下り坂最高!通行する車と同じスピードで那珂川町まで一気に駆け下った…。春日市の新幹線基地から白水大池公園サイドを抜け、午後の暖かい春風と陽射しの中をクールダウンしながら走って我が家に15時20分ごろ帰着した…。

  ** 走行距離は55km Maxは64km/h でした。  久しぶりのサイクリングは天候に恵まれとても楽しかった…。






〜 息子たち初日の出を拝みに…  〜

…四王寺山の毘沙門天神社 …

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2012/1/1 曇り … 

自宅 ⇒ 毘沙門天登山口 ⇒ 毘沙門天 ⇒ 展望場所 ⇒ 紅葉谷登山口 ⇒ 自宅




1月1日・・曇り

 昨日と云うべきか去年と云うべきか、一族郎党の老若男女19人が我が家に寄り集まり餅つき行事を行った…そして、4人の孫たちとチョコちゃんが我が家で越年し、除夜の鐘を聞いて寝たのはもう平成24年の午前2時頃だった…。

 そして…3時間ほど寝て5時頃、我が家にやって来た息子たちグループのK賀、S田、息子の4人で 毎年恒例の四王寺山での初日の出詣でに出かけたが、今年は残念ながら日の出を拝むことが出来なかった…。K賀さんの4駈で登山口まで行き時間調整し、日の出時間に合わせて6時半ごろ車を降りて毘沙門天様への遊歩道に這入った。

 辺りはまだ真っ暗でランプの灯りを頼りに登って行き10分足らずで、大城山山頂にある毘沙門天の境内に着いた…。年によっては手洗い水も凍っている事もあるが、平成24年度の元旦の朝は暖かく風も無かった。

 各人、お賽銭を上げ、吊り下げられた鈴を鳴らして柏手を打ち、今年一年の平穏を祈った…。神社の石段を降りて尾根の土塁道に這り、大野城市方面が一望できる展望場所で下界を見渡すと、まだ街は眠りの中で煌めく街の灯りが点々と煌めいていた。

 広目天の横から少し行き、展望台のある先から左側の尾根に上がると其処が毎年初日の出を拝む場所で、先客が二人いらっしゃった…新年の挨拶をして、我々も日の出を待ったが明るくなって来るに連れ、お日様が上がって来られる方向は灰色の雲の中で、辛うじて宝満山の上空が少し明るいだけだった…。

 真向いに見える宝満山とは言わず、あちらこちらの山頂には大勢の登山者たちがご来光を待って居るのだろうが、今年は無理のようで、日の出時間の7時20分を過ぎても一向にお天道様が上がってくる気配はなく、空は、灰色の世界で雲がオレンジ色に染まる気配もなかった…。

 4〜5分未練たらしく待って居たが諦め、上がって来られる方向に向かって掌を合わせ新年の参拝をし、今年一年の平穏無事を祈り山行きの安全を願った…もう一つ、今年高校受験の孫に”サクラ咲く”事を祈って帰路についた。






2011/11/13 晴 … 

自宅 ⇒ 大宰府 ⇒ 米の山峠 ⇒ 筑穂町 ⇒ しょうけ越し ⇒ 宇美町 ⇒ 自宅 …(走行キロ、約55km)




11月13日・・晴

 仕事や雑事に紛れ此処しばらく山登りもご無沙汰で身体が鈍っている気配だった…ので、久しぶりにMtbで足慣らしをしようと思い立った。今日、息子たちは、大分県の釈迦岳までの長距離山岳ツーリングに挑戦すると聞いていたので、私も、11月10日に74歳を迎えた記念のメモリーランを、彼らのスケールには到底及ばないがツーリングを楽しむことにした…。

 小型ザックに、防寒用のヤッケや昼食用のパンなどを入れ11時ごろブラリと自宅を後にした…その時点では行く先もコースも全くの無計画で、行き当たりばったりのツーリング開始だった。

 取り敢えず自宅を出ると御笠川沿いに南下し旧3号線に這入り、サテ、何処へ行こうか?とペダルを踏みつつ今日のコースを頭に描いた…大宰府手前の関屋交差点を左折したところで今日のコースが決定した…。それは、米の山峠を越して筑豊平野に這入り、しょうけ越しを越える三郡山地をぐるっと周回するスケジュールだった。

 天気は、あまり風もなく穏やかなサイクリング日和で、関谷交差点から太宰府天満宮に向かう道は七五三詣りの車の列が滞っていた…そんなマイカーの列を追い越し、太宰府駅手前から右折し吉木方面への小さな丘陵地帯を抜け、吉木小学校前から県道65号線に這入り米の山峠方面へ向かった。

 吉木集落を抜けると道は峠に向かって次第に勾配を増してくる…左手に宝満山の南斜面を見ながら登って行きS字カーブを登った所にある竜岩少年自然の家入口で一息いれた…。この県道は平日にはトラック類の通行が多く、路肩のない一車線の道の端っこを走るチャリにとっては走りにくいが、今日は日曜日とあって大型トラック類の通行が少なく助かった…。デジタル写真機で看板を写していると、電池消耗の警告が出ていたので交換すると、こちらの方も残量切れのマーク!スペア電池は充電していても長く使わないと自然放電してしまうので出発前にチエックしておく必要がある。

 小休止後出発…油須原集落の先にある三郡山専用道路分岐付近を過ぎると直ぐに米の山峠で、自宅を出てから約一時間だった。飯塚盆地に向け一気にジグザグカーブの道を風を切って駆け下る…茜スキー場を通過し平坦地の下の集落まで一台の車からも追い越されなかった。前回、八木山越しに今日の逆回りに走った時に休憩した「トリバミ池」の前にある阿屋で昼食休憩にした。池は、秋の取入れが終わり水が落とされ中心部分だけになっていて水底が姿を現していた…。

 我が家から見る三郡山は西半分で、今は、まるきり反対側から三郡山を見ている訳だが、その恰好は別物のようで山頂付近のレーダードームも山影になって見えず、山頂付近の林立している鉄塔類でそれと認識できたが、何処から見てもそれと識別できる独立峰の富士山など以外の山々は、場所が変われば山の形も変わってしまい戸惑ってしまう…。多分あの山頂には、日曜日とあって登山者達が昼食を取りながら眺望を楽しんでいる事だろう。

 昼食タイム15分で「トリバミ池」前の阿屋を後にして愛車に跨りぺダリング開始、少し行った三叉路を左にとって県道60号線に這入った…。筑前大分駅付近を過ぎて暫く走って橋を渡ると三叉路で、左が今から辿るしょうけ越し方面、右は飯塚まで8kmとの道路標識が立っていた。

 左手に川を見ながら緩やかな勾配の道を登って行くと、追い越して行く車の数が意外に多く、こんなにしょうけ越し峠を利用しているのだろうかと疑念が湧いたが、その答えは暫く走ってみて納得できた…それは、途中で八木山バイパスの筑穂ICや、その上の内住付近から篠栗方面へ抜ける分岐道を利用する車があったからだ。

 須惠町側からのしょうけ越しはヘアピン続きの難坂だが、筑豊側からはそれに比べると緩やかで篠栗方面分岐の内住付近までは人家もあって思っていたより人気があった。

 須惠町側より楽だとは言え峠の高さは同じ500mだから漕ぎ上がるのは一緒で、何度か立ち休みをしながら頑張って13時半ごろ、初めてになる飯塚側からのしょうけ越しの陸橋下に到達した…。

 後は下るのみ…!ヘアピンの急カーブ道を一気に駆け下り(途中で一台の車を追い越した)須惠町から宇美町を通過して我が家に14時10分ごろに帰着した。 74歳になった私だが、これからもそれ相応に身体と相談しながら登山やMtbを楽しんでいきたい…。

 昨日(17日)息子のブログを見て驚いた!何と、九千部山〜三郡山〜米の山〜しょうけ越し〜四王寺山と走り回ったパワー全開の記録を見て言葉が無かった…若さって羨ましいよね!






〜 中央アルプス登山最終特訓…Mtbで九千部山へ…  〜

… 九千部山頂の祠 …

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2011/9/24 快晴 … 

自宅 ⇔ 筑紫野 ⇔ 山口 ⇔ 山神ダム ⇔ 平等寺 ⇔ 大峠 ⇔ 九千部山




9月24日・・快晴

 中央アルプス登山に備えての最終特訓はMtbで九千部山へ…昨日は、NKC山小屋修復作業から帰ってからMtbで四王寺山へ登ったばかりだったので疲れが心配だったが、まーボチボチ漕げば何とかなるだろうと11時ごろ出発した。

 天気は秋晴れの絶好のサイクリング日和で、黄金色に実った稲田や風に揺れるススキの穂並みがペダルを踏む足を軽やかにしてくれた…高速道沿いにつけられた側道は車の通行も少なく走り易いが、いっその事自転車オンリーロードにして貰ったら有難い。

 湯町温泉街付近から地下道を潜って西側に移り、何時もの休憩ポイントの高速道を見下ろす飯盛城跡付近で一休み…歩道橋の欄干の向こうに宝満山が綺麗な三角錐の姿を見せて佇んでいたが、山の形は見る場所でこんなにも変わった姿を見せるのだ。

 側道を暫く走った所で、背後に天拝山を従えた溜池の前に出たが、水面には水鳥がのんびりと遊弋し静かな水面にさざ波を立てていた…山里の秋や深しである。

 通古賀付近で側道から離れ平等寺方面への県道に這入り、山口川沿いの道を登って行くと田んぼの至る所に真っ赤な彼岸花が咲いているのが目につくようになる…。山口集落の外れにある神社の境内で一服…(5月に立ち寄った時は藤棚のフジの花が満開だった)。バス停のお店で買ってきたチョコアイスを食べながら境内を見回すと、上部に砲弾を乗せた石塔があり大正7,8年の戦役記念塔だった。

 神社を後に少し行った集落の外れで、川の向こう岸の田んぼの畔に咲いている彼岸花と河川敷地の赤いカンナの花が色鮮やで、背後の里山の景色と相まって思わずペダルを足を踏みやめてシャッターを切った。

 水道浄水場横を過ぎると山神ダムサイトまで傾斜がきつくなって時速8〜10km/hでの走行となり、すぐ横を車がアクセルをふかせて追い越して行った…。ダムサイト直前にある祠 (生目八幡様) の前に一時停止し、ホースから出ている冷たい湧水で顔を洗い嗽をして気分一新した。

 ダム堰堤の東側でチャリを降りて散歩して気分転換…何やら前衛的なモニュメントの下には「水 紋」の二文字が刻んであった…一息ついて出発し、平等寺集落を抜け県道から九千部方面への林道に這入った…山里の田んぼは刈り入れ真っ最中でコンバインが見る見るうちに田んぼを裸にしていった。

 集落を抜けると愈々山の中の林道で勾配もそれなりにきつくなる…Uターンを繰り返しながらの登りが続くが、5月に登った時はしょっちゅう立ち休みを入れながらの登りだったが、今日は、体力に余裕があり立ち休み無しで湧水ポイントまで登り上がった…軽四輪が一台停まり、中年の男性がポリタンクに給水中だった…挨拶をして美味しい湧水を飲ませて貰いボトルにも入れさせてもらった。

 湧水ポイントから峠までは結構きつい坂道で、何時もは、その最上部で休憩をしていたが今日はそのまま通過し、下り勾配の道を一気に下って那珂川町から来た道と合流し九千部林道に這入った…。2〜300mほど行った所で上から歩いてくる親子連れのハイカーと離合した…「こんにちは…」と声をかけ離合したら、お父さんが私を呼び留め「済みませんが河内ダム方面への道はまだ先ですかね…」と尋ねられたので「すぐ先の三辻を右に下れば河内ダム方面ですよ」と教えてあげた。

 是まで何度もチャリで九千部山へトライしたが、自分でも不思議なくらいに今日の調子は絶好調で、速度こそ遅いが休みなしで順調に距離と高度を稼ぎ山頂まで後1km付近までやって来た…が、時計を見ると13時過ぎで腹の虫がグーグーと泣くので道端に座り込んでランチタイムにした…といっても、リンゴ一個と羊羹一本だけ…道路の向こう側に秋の光りを受けて赤い糸のような「ミズヒキ」の花が綺麗だったのでズームアップしシャッターを切った。

 細やかなランチタイムを終え最後の登りにかかり13時半過ぎに山頂に到達した…広場の駐車場にはマイクロバスや乗用車が5〜6台駐車していた。展望台のある山頂まで押し歩きで行くと、基山町の吉祥寺の僧侶や信徒さんたちが4〜50人ほど昼食中だった…。

 カレーライスを食べていた僧侶さんに「山の上でカレーラースとはご馳走ですね…」と云うと、「毎年、お彼岸の24日にはこうして皆で山頂の祠にお詣り来ております…」だった。すると、その横で食事をしていた人が「貴方は、去年の今日も此処で会いましたね…確か大野城市からでしょう」と云われて思い出した。彼は、マイクロバスの運転手さんで、そういえば彼と山頂に生えているヤマボウシの実の事で会話したことを思い出した。

 私は、たまたま今日登って来た訳だがこういう偶然もあるものだ…何だか旧友にあったようで楽しかった…祠の前にはお供え物の団子が山のように供えられ、杖や法螺貝など置かれていた…その祠の前で手を合わせ中央アルプス登山の安全と好天をお祈りして展望台の前に戻り、皆さんと10分ほどお話などをして「気をつけて下って下さいヨ…」の言葉に送られ下山の途についた…登りでは汗をかきながらだったが、下りは半袖シャツではちょっと寒いようだった…。

 一気に山坂を駆け下り、山の神ダムでショ−トブレイクタイム…行動食の残りを食べながら堰堤越しに振り返ると、九千部山山頂のアンテナ群が秋の陽光の中に遥か遠くになり小さく見えていた。

 ダム堰堤を西側に向かい旧道を下って県道に出て往路を辿って家路についた。秋の風を受けながらのんびりとペダルを踏みながら、今回初挑戦になる中央アルプス登山の成功を信じた。






〜 転倒事故以、約一か月ぶりのMtb  〜

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2011/8/24 晴れ … 

自宅(10.50)…四王寺山・焼米が原(11.25~30)…発掘現場(11.55~12.10)…自宅(12.20)




8月24日・・晴れ

 先月の転倒事故以来一か月ぶりに、歯の治療も終わったので快気祝いを兼ねてMtbを引っ張り出し、近所の四王寺山へ脚力テストと心肺機能の確認に出かけた…。

 この四王寺山は、近頃息子のトレーニングの場になっている様で、彼のブログ「釣岳人自転車操業中」によると、出勤前や退勤後にも走っているらしく、先日は仲間たちと240kmに及ぶ超ロングライドに出かけ無事に目標達成したそうで、その若さと行動力に敬意を表すると共に、苦しみの中に生まれる仲間たちとの連帯感と友情を深めてほしい…。

 8月も中旬を過ぎて秋雨前線などの影響で雨模様の日が続き、お蔭で発掘作業も夏の陽射しが遮られ助かったが、このまますんなりと秋が到来するとは思えないが、何れにしろ震災で電力不足の折から「頑張れ日本」と支援してくれる天からの配慮に感謝したい。

 日々に退化が進む体力と気力だが、それを補うのは日ごろの鍛錬以外に何物もない。73歳9か月になる私だが、まだまだ、自分自身の足で高嶺にも登りたいし雪山にもトライしたい気持ちと、加齢から来る体力や判断力の衰えに対する不安が綯い交ぜに交差しているが、山と云う大自然の道場は死ぬまで私の心を捉えて離れないだろうし、離すつもりもない。

 発掘現場を横目に見ながら通り過ぎ、総合体育館の前から大城林道に這入った…昨夜の雨で路面はかなり湿っており、枯れ枝や枯葉がかなり散らかっていたが走行には支障なく反って涼しいくらいで、ウオーキングを愉しむ市民の姿が多かった。林道の良いところは、車が滅多に通らない事と、周囲の樹木の枝が天然の日よけを作ってくれ直射日光から遮られることで、平地の車の排気ガスや熱気などの中を走ることを思うと雲泥の差である。

 出発前に愛車を出した時は、一ケ月のブランクを考えると果たして林道をまともに乗りこなせるだろうか?と云う疑念もないことは無かったが、イザ、登り勾配の続く林道に這入っても息切れも感じられず(速度は10〜13q/h)自分なりにスムーズに漕ぎ上がって行くことができ意外だった。

 何時もは、峠に出るまでに二度ほど立ち止まって水分補給や息を整えていたが、案に相違して今日はノンストップで峠を乗り越し、一気に県民の森を通過し、宇美〜大宰府線の県道に出て展望台の焼米ヶ原に着いた

 雨上がりのミドリの色が美しい焼米ヶ原の上には、秋を告げるかの様にトンボが舞いとび心なしにか空の色も秋の色のようだった…「この水は飲めません」と書いてある水道の蛇口をひねり、ヘルメットを外して頭からかぶって、そのまま展望台の上に立って下界を見下ろすと、遠方はボーっと霞んでいたが足許には大宰府国立博物館の波型の屋根が大きく見えていた。

 10分ほど滞在して11時半ごろ展望広場を後に往路を引き返し、のんびり下って県民の森から登り返していると、前から橙色のメットを被ったローダーが降りてきた…若しかしたら息子かな?と思ったが別人で、挨拶を交わして行き違った。

 ランニング中の人やウウオーキング中の人達と挨拶しながら下って行き、12時少し前に私の発掘現場に立ち寄り、野暮用を済ませ帰路についた。一か月ぶりのMtbだったが、久しぶりに風を切って走れる感触を味あえて楽しかった…。来月末の中央アルプス「木曾駒ヶ岳〜空木岳」縦走登山に向け、脚力・心肺機能トレーニングの為に四王寺林道詣でに努めよう。






〜 Mtbで耶馬溪青の洞門へ…帰りの駄賃に一尺八寸山登山…(一泊二日で)往復210km  〜

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2011/7/23 晴れ … 

サイクリングターミナル(8.15)…守実(9.03)…一尺八寸山入口(9.36)…登山口(9.58~10.10)…一尺八寸山(10.36~40)…登山口(11.05)…

大山峠奥耶馬トンネル(11.20)…日田市内外れ(12.15~25(昼食))…夜明けダム(12.51)…

原鶴道の駅(13.25~35)…自宅(16.00) * 走行距離 94km *




7月23日・・晴れ

 山国川の快い瀬音に目をさまし時計を見ると6時過ぎで、カーテンを開けて窓の外を見ると山の頂き付近には朝霧のような雲がかかっていた…。朝食時間が7時半からだったのでベッドの上に寝転んで、外の景色を見ながらボンヤリと今回の自転車旅行について思いを馳せた…。

 Mtbに乗り始め、初めての経験になる一泊二日のサイクリング旅行だったが、こういったサイクリング旅行を楽しむ拠点があちこちにあれば自転車愛好者は、こういった施設を乗り繋いで九州一周や日本一周の旅を企画し実行し易いと思った…。(因みに、九州にはこういったサイクリングターミナルが5か所あり、大分県に二箇所、熊本県に一箇所、宮崎県に一箇所、鹿児島県に一箇所で、福岡・長崎・佐賀県には無い)

 我々の年代になると唯やみくもに、距離を伸ばしたりスピードを競ったりするより、のんびりと知らない町に足を伸ばして旅情を愉しんだり、気に入ったお山があったら登ってみたり…そんな気儘なスタイルも良いかもしれない…が、そもそも、私の自転車乗りは山登りトレーニングの一環として取り入れているので兼ね合いが難しいが、その辺は、今日はトレーニング日…今日は自転車旅行日と、メリハリ付けてMtbを楽しんでいきたい。

 食事を終えたら部屋には戻らずに其のまま出発したかったので、サイクリングスタイルに着替えザックを担いで階下の食堂に行った。食堂のテーブルには昨日の夜と一緒で私の分だけ用意してあり、同宿舎の用意はしていなかった…。一人淋しく頂いていると、ベビーカーに乳飲み子を乗せた巨体の外国人が3歳ぐらいの女の子の手を引いて這入って来た…同宿の三人連れとは彼等だったのだ。ファミリーに「おはようございます…」と朝の挨拶をするとオヤジさんが「オハヨウゴザイマス…」と応え、女の子は照れていた。

 奥さんは部屋にでもいるらしく、オヤジさんが二人の幼児に持参のミルクやパンなどを与えていた…。私たちは、白人を見ればアメリカ人と思ってしまうが、後で管理人に彼らの事を訊くと、彼はフランス人で、連れていたのは孫さんたちだったそうだ…。福岡に在住しているとかで時々ここに素泊まりで来ています…だった。

 お世話になったサイクリングターミナルを8時15分ごろに出て、愛車に跨り長いトンネルを潜って帰路についた…。メイプルサイクリングロードを守実に向かっていると、時々、部活に通うらしい自転車に乗った高校生や中学生と挨拶を交わして離合したが、こんな立派な通学路がある彼らが羨ましかった。

 朝の陽を受けきらめき流れる山国川や、田んぼのあぜ道に苔むしてのんびり佇む野仏さん…。美空ひばりの、これこれ〜いーしの地蔵さん…西へ行くのはこっちかえ〜♪の、メロディを思わず知らずハミングしながらぺダリングしていた…。

 昨日、沢山の蝶々が群れ飛んでいた切り通しの付近でキツネノカミソリの花がたった一輪咲いているのを見つけた…。昨日此処を通った時には気付かなかったが、同じ道でも進行方向が変われば見える景色や事物も変わって見えたり、気づかなかったりするものなのだ…と、一人合点しながら写真に収めながら、井原山のキツネノカミソリの群生地は見事に咲いている事だろうなーと思い出させてくれた。

 ターミナルを出て45分ほどで守実のサイクリング起点に着いた…かっては耶馬溪鉄道の終着駅の町として、守実温泉などもあり賑わっていたであろうが、今は、山国川沿いの古い町中を走る旧道(日田往還)沿いに軒を並べ静まっていた…。そんな旧道沿いの古いお宮の境内に、夏目漱石の句碑が立てられていたので引き返して詠むと、俳句と共に添え書きがあり、漱石がこの地を訪れた35日前に妻を亡くしたばかりだったそうで、雪の降る中をこれから私が越えて行く大石峠を日田に向かったと、記されていた…。

 その文豪夏目漱石が辿った時は雪ぶりだった大石峠へ続く日田往還道を、今、私は夏の陽がギラギラ照りつける中をMtbに跨り漕ぎ登って行くのだった…。国道212号線に出るとそんな思いも吹き飛び、車の排気ガスと騒音かしましい現世に引き戻された。

 守実の町を出て30分ほどで直ぐ其処に大石トンネルが見える「一尺八寸山」入口の表示板がある場所に登りついた…案内によると、登山口まで1,7kmと記してあった。その林道に這入ろうとした時、上から軽トラが降りて来たので頭を下げて道を乞うた…助手席のおばーちゃんは90歳くらい、ドライバーのおじいちゃんはそれより上だろうと思う見事な枯葉マークのお二人で、一尺八寸山の事を尋ねるとおじいちゃんが「あー、この林道を登って行くと一番絶頂付近が登山口じゃが、山には自転車では登れんヨ…」と、私と自転車を見比べ念を押された。

 「ハイ、分かりました…自転車は登山口に置いて歩いて登ります」とお礼を言うと、「用心してナ…」の声と共に、エンジン音も勇ましく国道を走る車列の中に飛び込んで消えて行かれた!今、過疎化する農村部ではお年寄りの足として車は必需品であることを目の前で実感した。

 林道に這入ると勾配も国道に比べきつく、ローギアで攀じ登って行かねばならなかった…猫の額のように狭い山間の段々畑の田んぼにはスクスクと伸びた稲が風に揺れ、スイスイ飛び廻るトンボが私に頑張れよ!とエールを送ってくれた…。峠の登山口まで途中二箇所ほど、少し勾配が緩くなったなと思う箇所に出ると人家が何軒があったが、先ほどの老夫婦の軽トラもこの付近から来られたのかも知れなかった。

 林道のあちこちで、背の高い乳母百合の花が咲いていたが、登り勾配の途中で写真を撮る余裕はなかったので下りに撮ろうと見送って黙々と漕ぎ登って行った。入口から20数分で「一尺八寸山登山口」の案内看板が立っている登山口に着いた。腕時計の高度計で510m程で、山頂が707mという事は約200mの比高差だから、往復約一時間足らずで登って来れるなと予測した。

 「一尺八寸山」こんなへんてこりんな山の名前に惹かれてやって来たが、その名前由来が看板に記してあったが「ミオウヤマ」と呼ぶのだそうだ。言い伝え其の一では…この山に住んでいたキツネのしっぽが一尺八寸あったとか…其の二では、三つの尾をもつ蛇がいてその尾を三つ足したら一尺八寸だったとか…其の三に、田畑を荒らす猪三頭を殿様が捉えその尻尾を足すと一尺八寸だったとか…様々らしいが、この「一尺八寸山」の呼び名「日本全国難読山名コンテスト」で日本一になった…と記されてた。

 この地方一帯の山は、尖がり帽子型のビュート型と、万年山に代表される平頂のメサ型が多いが、この一尺八寸山はメサ型に属し平頂だと記されていた。Mtbを植林の木の幹にワイヤーロックし10時10分ごろ出発した…。登山道は最初の部分は植林の見廻り道らしく1m程の道幅ではっきりしていたが、訪れる登山者が少ないらしく踏み荒れておらず、猪や鹿さんたちの足跡の方が鮮明に残っていた。

 植林が切れ、自然林の中に這入るとと登山道の方も藪や笹などに覆われはっきりしなくなったが、内蔵カンピューターや、所々につけてある古いテープ類などを見つけながら登って行くと荒れて小さな林道に出た…そこから暫く登ると新しい案内板があり、山頂まで10分と記してあった。

 その看板の所からほぼ直角に左折し、植林の中の尾根道に這入ると緩やかな道が山頂部まで続いていた…古い案内標識板の所を過ぎると標高706,7mの山頂だったが、期待していた展望は万年山と違い、何も見えない植林の中で、山頂標識が無ければ何処が最高点か判らなかった。せめて、「日本一難読山名コンテストチャンピオン」の山なら森林管理組合も気を利かせ山頂部分だけでも解放し、登って来た登山者に「一尺八寸山」のイメージアップをして欲しかった。

 山頂滞在数分で下山開始…朝露の残った笹薮でタイツを濡らしながら駆け下るように下って、予測していた通り1時間足らずで登山口に戻った。木に括り付けたMtbのワイーヤーロックを解錠し、登山口を後にして大石林道を国道212号線へ向かって下って行った…勿論、登る時に撮り残していた乳母百合の花が咲いている場所で立ち止まりシャッターを切った。

 212号線に出ると直ぐに大石峠の奥耶馬トンネル入り口で、トンネルに這入ると轟音を響き渡らせながら通行する車の排気ガスが臭かった。トンネルを出るとホッとする…あとは、日田市内まで下り勾配の道だから楽チン楽チン…あっという間に日田市内に這入って時間を見ると正午で、昨日、此処を通過する時も丁度お昼時だったので変な気がした…。

 市内から少し外れた国道沿いに、休憩するのには絶好の川べりの場所があったので降りて行きランチタイムにした…。ランチと云っても登山やサイクリングなどの応急栄養補給食で、カロリーは兎も角満腹感は感じない…。何処か適当な食事場所までの繋ぎ食だと思っていたが、この後、一時間後にとんでもないミスをやらかし、食事なんて食べれる状態は吹き飛んでしまった。

 赤橋のある夜明け三叉交差点を通過し、夜明けダムまでの狭い道を走り切りダムサイトで一息入れ、トンネルを抜けて杷木町入口のコンビニでアイスとカルピスを購入しオーバーヒート気味の身体を労わってやった…。此処からは原鶴道の駅まで河川敷沿いに自転車と歩行者専用レーンがあるので気も楽で、アイスを食べながら筑後川のせせらぎと一緒にのんびり下って行った…。

 原鶴の道の駅で冷やし麦でも食べようかな…と思いながら時速15km/hぐらいで走っていると、ポシエットに入れていた携帯から着信音がしたので、どうしようかな後で見てみようかなナンテ思いつつ、右手でポシエットのフアスナーを開けようとした時、路上の段差か何かにハンドルを取られ、人間さまはハンドル越しに路面へ着地!目の前が一瞬真っ暗になった…。

 顔面からモロに着地した結果…鼻と口付近を舗装路面に打ち付け、口から出血していたので血を吐き出すと歯の欠片が一緒に飛び出してきた…。ウソ!信じられなかった…今まで何事もなくサイクリングを楽しんできたのに暗転もいいとこ。タオルハンケチで口と鼻を押さえ出血を抑えながら何とか道の駅に辿りつくと、自分ではわからなかったが(洗面所の鏡を見て私自身が吃驚した)利用者の人々が顔面血だらけの私を見て驚いていた。

 洗面所の手洗い場で取り敢えず水で傷口を洗い、口を濯いで血の留まるのを待った…。10分ほどしたら幾らか落ち着いたのでMtbに跨り386号を自宅へ急いだ…と云う訳で昼飯なし。ペダルを漕ぎながら唾を吐くとまだ血の塊りが出ていたが段々収まって来たが、信号待ちなどで交差点で止まっていると横に留まったマイカーや、通行人からじろじろと見られ恥ずかしかった。

 帰路を急いでいるのに向かい風が邪魔をして25km/hがヤットコサット…その中に出血も収まり痛みも気のせいか少なくなっったので、途中のコンビニでアイスクリームとシュークリームを買って血の味のするクリームを無理して食べた…空腹でペダルを踏む足が萎えたので…。

 土曜日だが掛かりつけの歯医者さんは何時までだろうとと思いながら最後の気力を奮い立たせてぺダリングし、16時ごろ自宅近所の歯医者さんに直行したが残念ながら13時迄で空しく家に向かった…。(で、翌日が日曜だったので月曜日までそのままだった)

 月曜日に歯医者さんで手当てをしてもらったが、レントゲンなどの結果、折れた歯などの処置は口の傷が良くならないとダメらしいので、鼻と腫れた上唇付近はかさぶたをつけたままで仕事に行ったり、孫娘の吹奏楽の発表会に行ったりしている…トホホです。

 初めての一泊二日の自転車旅行で思いがけない事故もあったが、結論として行って良かったな…と、思っています。ただ、今回の事故は気の緩み以外何物でもない事を反省し、肝に銘じて二度と再び痛い目に合わないように注意しなければとならないと思いつつ、腫れた上唇を舐めながら次回は何処へ足を伸ばそうか…と、性懲りもなく考えている。






〜 Mtbで耶馬溪青の洞門へ…(一泊二日で)往復210km  〜

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2011/7/22 晴れ … 

自宅(9.00)…甘木(10.15~20)…原鶴道の駅(10.59~11.10)…夜明けダム(11.45~50)…日田市内(12.10)…藤山町花木小学校(12.50~13.30 昼食)…

大山峠奥耶馬トンネル(14.18)…守実メイプルサイクリングロード出発点(14.44~55)…耶馬溪サイクリングターミナル(16.09~20)…

青の洞門(16.50~17.10)…サイクリングターミナル(17.48) * 走行距離 116km *




7月22日・・晴れ

 夏休みが始まり児童たちの見守りオジサンも暫く休みになったし、発掘の仕事も4連休という事で山にするか…Mtbでサイクリングを楽しむか迷ったが、思い切って奥耶馬溪まで足を伸ばし、鉄道敷地跡を活用して作られた中津市から山国町の守実までのサイクリングロードを走って、序でに青の洞門なども見て廻ろうか…と、前日思いついた。

 前日、15年ほど前にこの愛車を購入した室見の「南米商会」自転車ショップへメンテナンスに出掛けた…購入して15年以上になるのでおやじさんの顔も忘れていたが、おやじさんは如何にも職人肌の無口な人だったが、私の愛車を見てまだビカビカしとうやないですか…と云いながら、変速機周りの調整やブレーキ調整など30分ほどかけて仕上げてくれた…代金は?と聞くと「家で買って貰った自転車は何年乗ってあろうが頂きません…」だった。それでは気の毒だったので、グローブとワイヤチェーン、オイルなどを購入した…。

 サイクリングの楽しみは、大きな道も小さな道も道を選ばずに風を切って自分自身の足で移動できることだが、如何せん日本の道路事情では自転車を快適に楽しむには今一で、殆どの道路では道の片隅に追いやられハラハラドキドキ(ドライバーから見れば邪魔者)で、田舎の河川敷地や専用のレーンがある道路に辿りつくまでが一苦労である。

 夏の暑い盛りという事で今回は無理をせずサイクリングでは初めての一泊二日の旅行とし、途中めぼしい山でもあったら足を伸ばしたりしながら遊んで来よう…と、気軽な気持ちで背中のザックに着替えなどや行動食、ハイドロウオーターも2リッター詰め込んで9時ごろ我が家を後にした…折からの追い風がペダルを踏む足を応援してくれた。

 サイクルジャージーにCWXのタイツ、頭には黄色のヘルメット…恰好だけは一人前である!386号線は道幅が狭く走り辛いので針摺付近から県道63号線に這入った。この道路は田園地帯の中を久留米市の北野町まで通じているが、筑前町付近まで道幅も広く、歩道部分が一車線分ほどあって尚且つ歩行者や自転車も少ないので、四囲の景色や山々などの姿を眺めながら走ることが出来る。

 津古付近で、63号線から緑の葉っぱも青々と伸びた稲田の中を一直線に走る農道に這入りこみ南進し、右手前方にこんもりした花立山が近くなって農道から県道に這入り、久光から走り辛い386号線に出た…。

 車の排気ガスと騒音…すぐ脇を追い越して行く大型トラックの風圧でよろけないようにしながら走るのに神経を取られ、サイクリング本来の喜びは半減するが、目的地へ行くにはやむを得ず交通量の多い幹線道路も走らざるを得ない。アスファルト舗装の照り返しと人工物の排気熱でヘルメットの縁から汗がしたたり落ちるが、サングラスをかけているので拭う事も出来ず眼を瞬かせながらの走行だった。

 自宅を出て1時間15分の10時過ぎに、甘木の町中に這入る手前を流れる小石原川に架かる橋梁の下に降りて一休みした…ヘルメットを外し橋の下の日陰に這入ると、川面を吹き抜けて行く風と清流のせせらぎの音が汗まみれの身体に一抹の清涼剤だった…。

 5分休憩で河原から386号線に漕ぎ上がり、合併後、朝倉市となった甘木の信号の多いメインストリートを通過し十文字を過ぎると街並みも切れ、右手には耳納連山が望めるようになり漕ぎながらホッとした…マイカーで賑わう三連水車前を通り過ぎると、やがて、筑紫次郎の異名を持つ筑後川が姿を見せ、水飛沫を上げて瀬を走る水面が夏の陽光を反射しキラキラと眩しく、腰まで浸かって竿を伸ばしているアユ釣り人が黒くシルエットになって一篇の水墨画を思わせた。

 この付近まで来ると左手の小山は柿や梨・ブドウなどの果樹園が多く目につくようになり、秋の収穫期に備え紙袋の白いカバーなどが取り付けてあった…正面の小高い山の上に建つホテルが見えて来ると原鶴温泉で、自宅から丁度2時間だった…。国道横にある道の駅に立ち寄りトイレタイムと、洗面所で頭から水を被り火照った人間マシンを冷却した…。売店で、巨峰ぶどうミックスソフトクリームを食べたが、やはり、暑いときはこの甘みと程よい冷たさが疲れた身体を回復させてくれる…。

 10分ほど休憩し、道の駅の裏手から杷木付近まで筑後川河川敷に作られた自転車・歩行者専用道路に降り、目線の横に流れる大川の流れを見ながら貸し切りの専用道路をのんびりと漕いで行くと、河岸の対岸に筑後川温泉の建物が建ち並び、杷木の町中に抜ける橋の下を通り過ぎると専用道路の終点で、河川敷から旧道を少し走って386号線に戻り少し登り勾配の道を走ると、夜明けダム手前のトンネルで、トンネルの中に這入るとヒンヤリした空気が真昼の太陽に焼かれた身体に気持ち良かった…。

 その涼しいトンネルを出ると夜明けダムで、城壁のような壁が川を遮り対岸に立ちはだかって水をせき止め、満々と湛えられた水が放水路から勢いよく迸り出ていた…。

 小休止後出発し、左手は山、右手はダム湖に挟まれた狭い386号線はスリル満点…ほんの気持ち程度につけられた二輪車や歩行者の通路は1mも無く、それも、草や木の枝などがせり出している個所もあるので車のレーンに這入りこんだりしての走行で、追い越して行くマイカーさえセンターラインを越えて追い越して行く状態で、大型トラックなどのエンジン音が聞こえると生きた心地がしなかった…が、私が悪いのではないのだからなるべくドラーバーさんに迷惑がかからないように極力左ギリギリを漕いで行った。

 夜明けの三叉路を直進し、日田盆地に這入ると一気に街並みが広がり人も車も多くなる…12時過ぎに、日田市内の386号線と中津市へ向かう212号線の交差点から左折し、日田インター方面へ向かった。腹も空いていたが、お昼時という事でどの飲食店も混んでいたので我慢して中津方面へ漕いで行き、インター入口を過ぎて暫く行くとコンビニも食堂らしきものも見えなくなってきたので、藤山町付近で通行中の人に、この先、峠までにコンビニ等あるか否か尋ねると、そういった店は無いかもしれませんよだった…。

 で、すぐ近くにあった駄菓子屋さんに毛が生えたようなお店で、アンパン・どら焼き・水羊羹・ガリガリアイスを購入し、500m程坂道を登った所にあった夏休み中の「花月小学校」の校庭に這入りこみ、足洗い場の水道の所に座り込んで細やかなランチタイムにした…。学校の前を走る212号線は先ほどの店付近から登り勾配道になって峠へ続いているらしく、食料調達最後の店だったわけで、若しも知らずに通過していたら峠越えはガソリン切れでへたばったかも知れない。

 足洗い場には水道の蛇口が沢山ついていたので、ジャージャー冷たい水道水で洗面、頭冷やしが出来、その上、パンに喉が詰まったら蛇口からゴクゴク飲む事が出来有難かった…。空腹を満たしたところで本日の宿泊予定のサイクリングターミナルに携帯で申し込みをすると幸い空室ばかりだそうでOKの返事をもらって一安心した。お世話になった校庭レストランを後にする時に、校舎の方を向いて「無断侵入し、その上たらふく水道水まで使わせていただき有難うございました…」と、お礼の言葉を述べて校門の外に出た。

 212号線の登り坂に這入り少し漕いだところでグローブを忘れて来たのに気づき学校にゴーバック…多分食事をした足洗い場に置き忘れているのだろうと戻ったが見当たらない!物忘れはこの頃私の18番で困ってしまうが、記憶を遡ると先程の店に置いてきた可能性が高く、漕ぎ上がった道を引き戻り店に行くとレジの前にグローブが主の引き取りを待って居た…店のおばちゃんが「誰じゃろか、こげん小っこい手袋を忘れて行ったのはと思いよったら、自転車の貴方じゃったとね…」と笑われた…。

 今度は忘れないようにしっかり嵌めて出発し、気合を入れ直し大石峠への登り勾配の道を漕ぎ始めた…。この212号線は中津方面への幹線道路らしく、大型トラックなどの通行量も多く、お里がら木材を満載したトレーラーなどが行き来していてノロノロサイクリストは迷惑かけそうなので、一段高くなった路肩の歩道を時速10km程で漕ぎ登って行った。

 出発前にこの峠の情報を確認していなかったので標高が何メートルあるか判らなかったのでペース配分に困ったが、まー、是だけ通行量の多い道だからそんなに高くはないだろうと、厳しい真夏の午後の陽射しをもろに受けながら、前方に見える植林に覆われた山の稜線を目指し一漕ぎひと漕ぎ登って行った。途中何箇所か道路拡張工事があっていて一方通行の区間もあったが、ガードマンのおじちゃんが「自転車は対向車に気を付けて行ってもいいよ…」で、赤信号を無視して通り抜けることが出来た。

 峠へあと少しの場所で道の左側に、自動販売機のある小さな茶店風な建物があった(閉鎖中だった)。店の裏手の崖際に山水を引き込んだ石作りの水受けなどが有ったので迷わずにMtbから降りて休息タイム…頭から冷たい山水を思う存分かぶって生返った。この砂漠の中のオアシスのようだった茶店をそのまま立ち去るのは悪い様な気がしたので、まだ、清涼飲料水などは持っていたが自動販売機で150円也のポカリを一本購入し水浴び賃とした…。

 少し勾配が緩やかになったな…と思ったら目の前にトンネルが現れ、其処がこの峠の最高点で「大石峠標高400m」の案内表示板が立っていて、古めかしいトンネル上部には「奥耶馬隧道」と刻まれていた…トンネルの延長は717mと記されていたので、ヘッドランプとテールランプのSWを入れ他車に自己アピールをして暗いトンネルの中に這入った…トンネルの進行方向の右側に一段高くなった歩道があった。車道は追突事故が怖かったのでその歩道を走ったが、トンネルの中から下り勾配道で快調に暗闇から抜けだすと「そこは雪国だった…」では無く、山国町だった。

 上りあれば下りあり…苦しみの後に愉しみあり、サイクリストなら誰でも実感するダウンヒルの爽快感…!トンネルを出て少し行った所に妙な名前の登山口があったので、チャリを留めて振り返ると「一尺八寸山」入口の立ち看板だった。どんな山か知らないが気になる山名だったので、せっかく奥耶馬系まで来たのだから明日の帰路にぜひ立ち寄り登ってみようと心に決め、下り勾配の国道を一気に下って行くと、前方には奥耶馬独特のビュート地形の尖がり岩山が前山の向こうに姿を見せ、福岡から約100kmの距離感を感じた。

 坂道を下って行き、田んぼや集落が見え始めるころ、道路の上に大きな看板があり「⇒守実」の標識があったので、212号線に別れ右折し旧日田往還道に這入った。その下り勾配の旧道を下って行く途中、人家の前に人影が見えたのでUターンし、その家の主と思しき人に「サイクリングロード出発点」の場所を尋ねた。主人は、家の前の道路に出てきて手振り身振りを交え親切丁寧に教えて「何処からお見えですか?」だったので「大野城市からです…」と応えると、「そりゃーまー遠かとこから大変やったね…」と云いながら「この辺は秋の実りの時期には町を上げて案山子祭りがあります…いろんな形や格好の案山子が黄金色の田んぼに勢揃いし、一見の価値ありですよ…ぜひ見に来てください」と誘われた。

 スローな旅の良いところである…。見知らぬ土地の見知らぬ人たちとの一期一会の巡り合いはマイカーや飛行機旅行ではとても体験できない。「気を付けて…」の言葉に見送られご主人と別れ旧道を下ると直ぐに守実町の中心地で、山国川沿いに静かな佇まいの街並みがあった。モダンな建物の郵便局付近がサイクリングロードの始発点で、サイクリングロードは、廃線になった旧耶馬溪鉄道線路敷跡を利用し、トンネルや鉄橋などそのまま残して終着点の中津市まで総延長36kmに及んでいる。

 出発前にちょっと道を外れ、山国川に架かる自転車と人間だけ通行OKの吊り橋の前で一息入れてサイクリングロード(本当の名称は、メイプルサイクリングロード)に這入った…メイプルのネーミングからすると秋の紅葉の時季がベストシーズンかも知れない。このロードは、鉄道が走っていた跡地と云うだけに中津側に向かって緩やかな下り勾配の道で、漕がずともゆっくりと下って行けそうだった…不思議な物でこんな場所に来ると急ぐのが勿体ないようで、時間を気にせずに四囲の風物や空気をのんびり味わいながら甚だリッチな気分になってしまった。

 両側が田んぼの直線の道をを15km/h程の低速で下っていると、それより遅い速度で下って行く地元の人に追いついた。「こんにちは…」と挨拶すると「あー吃驚した…」と、自転車から降りられたので、私も自転車から降りて何となく年寄りの会話になった…彼は、私より四歳年長で七八歳になるそうで、小指を示し「これが八年前に亡くなってから一人暮らしをしながら田んぼを五反作っておるが、毎年50俵も供出してるのじゃが毎年50万円以上も赤字こくけん、来年から他人に作って貰おうか…と思うちょる」と淋しそうだった。こんな独り暮らしの老人が、せっせと汗水たらして山里の田んぼで苦労して作ったお米がそんな理不尽な値段で売買されると云う国のシステムは如何なっているのか理解に苦しむ。

 自転車の荷台に子供のトンボ採り用の網が括り付けてあったので「その網は何に使うのですか?」と、訊くと笑いながら「タニシをとるったい…」だった。彼曰く「昔は、タニシや宮入貝は湯がいて爪楊枝でほじくって食べたもんたい…今は、そんなもんは居らんけどね」だったので「では、採ったタニシはどうするのですか?」と訊くと、「道端に捨てとったら死んでしまうけんほったらかすとタイ…」何でも稲作の害虫らしかった。

 10分ほど話し相手のいない彼と四方山話をして「では元気でね…」と云って自転車に乗ると「柿坂のターミナルまでは後8Kばっかりじゃ…」と見送ってくれた…。

 田んぼが途切れると左側に山国川の清流が駆け下り、植林の中の道は鬱蒼として暗く、路面には先日の台風の余波で落下した木の枝や落ち葉が散らり、それを車輪でバリバリボキボキ踏みしゃいで行った。

 少し下って開けた場所に出ると「しらじ」と書かれた駅名表示板の立っている駅跡に出た…兵どもが夢の跡ではないが、ん…十年前にはこの駅舎を通って通勤通学したり旅行に出かけた人たちの思いの欠片が残っているような気がした…。

 山国川を挟んで広がる山間の田園風景と、その周辺にモックりと聳え立つビュート型の尖頂の山々は日本の原風景を見るようでチャリを漕ぐ踏み足を緩めてしまう…。かと思って進んでいくと直ぐロード脇の足元に山国川が忍び寄り、その瀬音に驚かされる。

 この一帯は阿蘇火山の溶岩流の台地で奇岩絶壁などが多いが、線路敷地もそんな溶岩を削って切り通し道にしたり、トンネルを穿ったりして伸びているが、そんな切り通しの壁に地下水がしみ出ている場所で、いろんな種類の蝶々が群れ飛んでいて思わずストップしてしまった。

 羽を広げると7〜8センチはありそうな真黒な羽をした蝶々や、青緑色の少し小型の蝶々、白色のモンシロチョウのような蝶々などが入り乱れて飛び廻り、崖を流れ落ちる水滴に群がっている様だった…ひょっとしたらこの崖の水気はミネラル分などが多く含まれているいるのでは無いだろうか…因みに、滴を舐めてみたが冷たいだけだった。

 崖地の蝶々に別れ暫く走ると、又、目の前に広がるは田んぼとビュート型の尖山…。昔の唱歌ではないが…今は山中、今は浜、思う間もなくトンネルを…♪である。小さなトンネルを潜って平地に出ると「頼山陽八景」の一つである「一つ戸の景」を見て感じた頼山陽の言葉が記してあった…。

 下って行くに連れ並走して流れる山国川は支流を集めて大きくなって行くようで、川幅も水量も増えて逞しさを増したようだった…出発点の守実を出て7,5km地点の駅舎跡の残る下郷駅跡まで大凡45分かけてのんびり下って来た…此処のサイクリングロードは山国川の水の流れより遅いスピードでしか走れない…スロースローである。

 此処、下郷駅は離合が出来る大きな駅だったらしく立派な待合室も残っていた…下郷駅を出ると山国川は右側になり、田園地帯の中を走っていると道端に珍しい花が咲いていたのでチャリを降りて観察した。花の感じは一見すると山茶花みたいだが白い花びらの中心付近の真っ赤な花唇などを見ると、形こそ違うが大山蓮華の花に似ているかなーと思った…すぐ横にはラベンダー色の同じ花が咲いていた。

 その時、反対側から散歩中の地元の人が三人連れで来られたのでもしや知っておられるかも…とお訊ねすると、三人とも、サー何の花じゃろうね…木の枝ばちょん切って持ち帰り接ぎ木にしたらどうね…と、笑いながら去って行かれた…。

 綺麗な花の場所を過ぎると左側に山が迫り右手には滔々と流れる山国川で、小さなトンネルが連続していたが、この付近は大雨の時など、度々、線路が浸かったり崖崩れの下になって暫し不通になっていたのではと思われた。ターミナルセンターまで後500mの表示板の先で、この区間で一番長いトンネルに這入った…。

 トンネルを出て間もなく今日の宿泊予定地のサイクリングターミナルで16時10分ごろだった…。オドメーターを見ると自宅からの走行距離は92kmだった。

 ターミナルの建物に這入り、受付をしながら「青の洞門まで往復してきたいのですが宜しいでしょうか」と、パートのおばちゃんに伺うと「夕食時間は18時30分ですからゆっくり間に合いますよ…行ってらっしゃい」だったので、受付だけ済ませてターミナルを後にし、16時20分ごろ青の洞門へ向かって再度メイプルサイクリングロードの道を漕ぎ走った…。

 夕食時間の30分ぐらい前の18時頃までにはターミナルへ帰りついてシャワーなどを済ませたいので逆算すると、往復約24kmと青の洞門巡り時間を1時間40分で巡航すればいいので下りは、ほぼ30q/hで下って行ったが、途中、絶景ポイントなどでは速度を緩めたり停止して写真を撮ったりした。その写真ポイント一つが山国川第二鉄橋と呼ばれる橋梁でカーブした長い鉄橋が往時を忍ばせていた。

 ターミナルを出て凡そ30分で青の洞門入口に着いた。17時が近い遅い時間だったので観光名所の駐車場や店も人影は少なく、貸し切り状態の名所をゆっくり堪能させて貰った…30年もの気の遠くなりそうな年月をかけ、ノミと槌だけで岩山を削り掘り進めた僧・禅海の偉業を偲ぶと共に、人間の意志の力の強さが如何に物事を超越することが出来るかを如実に示した尊い教訓である事を再認識させられた。

 新しい青の禅海橋に自転車を担ぎ上げ、山国川に影を落とす青の洞門のトンネルのある奇岩絶壁を眺めていると、17時のオルゴールチャイムサイレンが夕暮れの迫った彼方から聞こえてきた…ゆっくりと押し歩きで付近を散策後帰路につき、17時10分ごろ同所を後にしサイクリングロードを漕ぎ戻り、ターミナルに17時48分に帰り着いた…。因みに本日の総走行距離は116kmでした。

 キーを受け取り二階の部屋に行くとツインルームで広々とした部屋で、窓の下は山国川を眺め降ろすことが出来る感じのいい部屋だった…ザックを降ろすのもそこそこにシャワールームに飛び込んで、旅の汚れと汗を流しさっぱりした。

 夕食ですよの声に階下の食堂に行くと食膳は私一人分だけ、受付のおばちゃんは外に三人様ですと云ってたけどまだ到着していないのかもと独りで食べ始めたが、おかずの品が8品もあり、大盛りご飯に、だご汁とそば、天ぷらを食べると、もう、お腹満腹…申し訳なかったが食べ残してしまった。部屋に戻る途中の壁に、往時の耶馬溪鉄道の列車の写真が飾ってあったので写真に撮ってみた

 部屋に帰りベッドの上に長くなっていると何時の間にか寝てしまい、気が付くと22時過ぎだった…窓ガラス越しに聞こえる山国川の水音と河鹿の声を聞きながら眠り直し、今度はほんとに夢の世界へ飛んで行った。






〜 Mtbで三郡山へ…(三郡山頂の愛車ロックホッパー!)  〜

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2011/7/16 晴れ … 

自宅(10.30)…大宰府スーパー(11.10)…油須原(11.53~12.00)…ゲート(12.11)…昼食(12.26~40)…茜登山道口(12.56)…水場(13.25)…

三郡山頂(13.53~14.05)…ゲート(14.20)…大宰府(14.50)…自宅(15.25)




7月16日・・晴れ

 博多の街に初夏を告げる追い山も終わり愈々夏本番を迎えた…。発掘現場での炎天下の古墳発掘作業で疲れた身体を休養させたい気持ちはあるが、一日、家にゴロゴロしていると精神的に暑さにギブアップしてしてしまうのが目に見えているので、暑い時はその暑さから逃げずに立ち向かっていったほうが、気持ち的にも夏に打ち勝つ秘訣だと自分に言い聞かせ、さて今日は何処へ汗かきに行こうか…。

 先週は、しょうけ越しから若杉山へMtbで登ったので、今日は何処へ行こうと目的地をインターネットで検索していると、一昨年、入口まで行って引き揚げてきた三郡山の専用道路が内緒で走られる…と、報告されていた。

 私のMtb最高到達点は脊振山の1055mだが、三郡山はそれに次ぐ標高936mもあるので是非ともクリアーしておきたかったが、この猛暑の中、年々歳々老化現象の一途をたどる私の心肺機能と、ハートが持ち応えるか多少不安もあったが、何事も実践してみなければ物事は始まらない…あとは野となれ山となれである。

 10時半ごろ愛車「Lock Hopper」に跨り自宅を出発し、太宰府から吉木を抜けて米の山峠手前から三郡山へ通じる専用道路を目指した。西鉄大宰府線の踏切を渡り吉木へ向かう坂道を登っていると前方を走るママチャリを発見!先週のママチャリは高校生だったが今回のママチャリは60代後半のおばちゃんで、やっと追いつくと早いはずで電動自転車だった…。

 お先に失礼しますと声をかけて追い越し、峠を越えて少し行った所にあるスーパーに立ち寄り昼飯(どらやきとアンパン)を購入した…店を出てリュックに昼飯を入れていると、先程の電動自転車のおばちゃんが横で買い物を後ろの荷台に乗せておられた…「何処まで行くと…」だったので、「三郡山へ行くつもりですが」と答えると、「自転車で山の上まで登られるとな…?」と云いながら、私の姿を上から下まで見つめておられた。

 「気を付けて行って来んしゃい…」の声に送られて出発し、吉木小学校の先で米の山峠への県道に這入った。この県道は砂利運搬の大型トラックやコンクリートミキサー車の往来が頻繁で、片道一車線の端っこの方を肩身を狭く走っていても、すぐ横をエンジン音高く追い越される時はいい気持ちはしなかった…。本堂寺登山口を過ぎてSカーブを上りきると間もなく生コン工場前で、その少し先で側溝から溢れ出た水が路肩に流れ伝っている個所があったので停止し、流れ出ている水を掌に汲んでオーバーヒート気味の頭にぶちまけた…。

 すっきりして5分も登ると米の山峠手前にある油須原のバス折り返し場所で、その先50m地点が県立射撃場と三郡山専用道路入口で12時少し前だった。九州自然歩道標識の立つ道端の側溝には冷たい水がサラサラと流れ下っていたので、これからの登りに備え小休止しハイドロのチューブからスポーツドリンクをチューチューと飲んだ…。

 三郡山から宝満山の稜線は雲に隠れて見えず、午後の雷雨が心配された…が、ガンガン照りよりいっそのこと雨に濡れた方が気持ちが良いかもしれないな…と、空を見上げながら複雑な気持ちだった。

 県立射撃場方面の道と分かれ右折すると直ぐに急坂が待ち構える…。休憩あとの身体がこの急坂登りに対応できずにローギアでも漕ぎ登れずに押し歩きになった…。まー、この先は6km以上の道程と600mの登り坂が待ち構えているのだからあせらずにマイペースで、亀さんのようにボチボチ登ればいいやと開き直った。

 一昨年来た時はこのゲート前から引き返したが、今回は、今朝出る前にインターネットで仕入れた情報で、ゲートの左側隅が登山者などの為に通り抜けられる…だったが、その通りで自転車もゆっくり通過できた。ゲートには「この道路は三郡山航空路監視レーダー専用道路で関係車両以外通行を禁ず」とあり、大阪航空局 福岡空港事務所名で警告文が記されていた。

 今朝見た情報では、この道路は一般車両が走らないので路面の状況も良く、ゴミ類が見当たらずに不愉快な排気ガスの匂いも嗅ぐことが無く走り易い…だった。勾配度は、九千部山林道と似たり寄ったりだったが、部分的にはかなりな勾配箇所もありローギアでも上りきれずに何度か立ち漕ぎしたり、押し歩きを余儀なくされた…(無理して漕いで行っても良かったが、初めてのコースだったので先の部分が読めなかったので、体力を温存のため)

 そんな調子でヨロヨロと植林の中の道を登って行ったが、道の左側に距離程表示だろうと思うが「002」から始まった表示板が山頂部分まで続いていた。その表示板の「050」付近の左手に沢の水音がしていたのでMtbを降りて昼食タイムにした。

 草むらの中を沢水の流れる所まで下りて行くときは、マムシでも隠れていそうな雰囲気だったので木の枝で草をかき分け、地雷原を歩くようにおっかなびっくり腰で(登山靴だと踝まで保護されているが自転車用シューズは踵部分が浅いので…)蜘蛛の巣を払いのけながら、どうにか沢水の流れる場所に降りた。

 先ず一番に冷たい山水を頭からかぶり首筋を絞ったタオルで冷やした…一息ついてリュックの中から大きめのどら焼きを取り出しかぶりついた。飲み物は、足許を流れる冷たく冷えた天然水の飲み放題…。熱中症予防に兎に角水分補給は欠かせない…飲んだ端から直ぐに汗になってしまうが…。

 15分ほどの昼食タイムを終えMtbの所に戻ってサドルに跨り出発進行!時速は10km/hを切る速度で懸命にペダルを踏むが、勾配のきつさに負けて立ち休みしたり押し歩きになったりの繰り返し。ただ、道路横に規則的に表れる表示板の数字(偶数)が増えて行くのが慰めだった…。この専用道路は登り一辺倒でなく、時々、勾配が緩くなったり平坦になったりするので挫けそうになる心を救ってくれた。

 植林から自然林の中に這入ると少しずつ視界も開けるようになり、南側の大根地山や朝倉方面の田園などが見えてきて、周囲の樹林からは耳がおかしくなったのではないかと思う程にジージーとセミの大合唱…きっと彼らも梅雨明けを感じ取り、地中の永い眠りから覚めて一斉に地上に姿を現し、オラの天下だとばかりに暑い夏を謳歌しているのだろう。

 道路の数字表示板の数が108付近の右手に赤テープが木の枝につけられていたが、茜に下る登山道の合流点だった。其処から暫く登ると、目の上遥か高い山腹を捲きながら登っている白いガードレールが見えて来たが、山頂部分は前山の陰になっているのか見えなかった。

 この専用道路は、道の際に山水が流れ出ている箇所が何箇所もあり、その都度、Mtbを降りて冷たい水を頭から浴びたり喉を潤したり有難かった…阿蘇の100kmカルデラマラソンを走った時に2,5km毎にエイドステーションがあり、そのお蔭で夏の暑いさなかを完走できたものだが、この専用道路もきつくなったな…暑くなったなーと思う頃に水場が出てきて身も心も救われた。

 そんな水場に助けられ標高800mを付近まで登って来ると気のせいか気温も低くなったようで、ペダルを踏む足も幾分軽やかになった…、無線塔と白い建物が建っている付近で油須原から登って来た登山道と合流するが、山頂のレーダードームはガスに隠れて確認できなかった。

 やがて、山頂付近の見慣れた建物やレーダードームが目の前になって姿を見せ、途中、立ち止まったり押し歩きしたりしながらも何とか三郡山頂までMtbで漕ぎ上がって来れたことが、苦しかったが素直にうれしかった。

 山頂部分への登山道を担ぎ上げて13時50分ごろ無人の山頂に登りあがった…。ガスの去来する山頂は涼しく、暫く完走の余韻に浸りながら食べたオレンジが美味しかった…。雷雲の底にいるような気がしたので10分ばかりの滞在で山頂を後に帰路についた。

 936mから米の山峠付近まで一気に600mのダウンヒルは爽快!バンクのついた急カーブを右に左にブレーキングをしながら颯爽と下る快感は最高!山頂まで休憩時間も含め1時間40分も悪戦苦闘して登った道を、下りは僅か15分でゲートの前まで戻って来た。

 ゲートの横から林道を下り、油須原バス終点付近から県道に這入り、下り勾配の道を吉木の集落まで平均時速40KM/hで駆け下り大宰府を経て15時25分ごろ無事に自宅に帰り着いた…。 (MAX=59km/h AV =11km/h 往復49km)でした。






〜 梅雨明けを待ってMtbでしょうけ越しへ…  〜

しょうけ越し陸橋より…

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2011/7/10 晴れ … 

自宅(9.50)…須惠町(10.20)…須惠ダム(10.53)…しょうけ越し(11.21~30)…若杉山(12.08)…奥ノ院(12.14)…山頂(12.18 昼食 12.35)…

しょうけ越し(13.03)…須惠町(13.15)…自宅(13.40)




7月10日・・晴れ

 博多山笠の追い山ならし前に梅雨明け宣言があった…夏本番の猛暑日を思うと嬉しさも半分だが毎日じめじめした日が続くより、暑くても入道雲沸き立つ夏空の方がやはり我々山歩き人にとっては嬉しい…!

 その梅雨明けを祝って?今日はMtbを漕いでしょうけ峠へ挑戦…先月末に四王寺山を走った時はヘロヘロだったので少し不安だったが、まー、休みやすみ登ればいいだろうと腹を括って10時前に自宅を出た。

 しょうけ越しの登りに備え取り付きの須惠町までは力をセーブ気味に走った…幸い今日は追い風さんが味方してくれ途中二箇所の登り坂も余裕でクリアーして宇美町から須惠町に這入った…。道路標識の向こうには今日しょうけ越し峠から登る予定の若杉山が「頑張れよ…」とエールを送ってくれた。

 ギアをダウンしながら登って行くと、前方に二台のママチャリがヨロヨロと登り坂を登っているのが目に這入る。背中のリュックに釣り竿らしきものを括り付けているのを見ればブラックバス釣りにでも行っているのかな…と思いながら先で追いつき尋ねると「イヤー、ブラックバス釣りではありません…上流の谷川で水遊びしようと思っています。竿は、若しもハヤでもいれば…」だった。

 丁度、横に此のしょうけ越し道最後の自販機があったので、ママチャリでこの登り坂に挑戦している二人の高校生に敬意を表し「好きな飲み物を飲んでいいよ…」と云うと、「わー…おごって呉れるんですか」と、喜色満面に好みのボトルを取り出して「遠慮なくいただきます…」と挨拶してくれる二人の笑顔が清々しかった。

 一息ついて出発…ギアつき自転車でも大変な此の坂道を良くもまーママチャリで登るものだ…やはり、若いという事は何にも勝る強い武器だ!須惠ダムまで後1km付近の場所で谷川に遊びに下る二人と別れた…。

 ヘアピンカーブの連続するこのしょうけ越しの道は福岡側から飯塚側への近道で、結構に通行する車も多いが車酔いする人は不向きの道だろう…そのカーブを何度も何度も曲がって登り上がって行くと、ヘルメットの縁から流れ出る汗が目に這入りサングラスが邪魔になった。

 須惠ダムサイトで一休み…満々と溜まった水が放水路から落下する水音がザーザーと涼しげだったが、その水を頭から浴びることが出来ないのが残念だった…。一休みして出発しようとサドルに跨っていると、ロードタイプに乗った青年が声をかけながらスイスイと坂道を漕ぎ登って行った。

 少し遅れながら暫くついて行ったが如何せん脚力が違う…当たり前だよね!20代の青年と70代のロートルでは…何度かカーブを曲がると姿は見えなくなった。それでも挫けず登って行くと次のロードタイプに追い越された…でも、彼は余裕が無く立ち漕ぎしながらかなり苦しそうだった。それに控え私はまだ立ち漕ぎせずに着座して漕いでいたので、是は何とか連いて行くしかない!と、ぴったしマークして登って行くと、とうとう途中で交わしてしまった。

 追い越してもどうせ又追い越されるだろうと、ヘアピンカーブを曲がって振り返ると彼の姿は小さくなって行った…多分彼はこの暑さで脱水状態になっていたのかもしれない。暫く登って行くと道路の側溝の中を冷たい山水がジャージャー流れていたので、自転車を路肩に立てかけリュックをおろしヘルメットも脱いで側溝の中に入り、両手で冷たい水を頭からかぶった。

 燃えるような頭がジュージューと音をたてたようだ…?顔を洗い足を冷やし一息ついてドリンクを飲んでいると、先ほど追い越して行ったロードタイプの青年が折り返して来て横に停止したので…「早かったですね…」と話していると、私が追い越してきた青年がヨロヨロと登りあがって来た…そして、私と話していた青年に「あとどれくらい?」と尋ねていた。彼らは仲間だったのだ。

 思った通りガス欠ならぬ水欠だったようで、私が「この冷たい水で頭や手足を冷やしたら気分が良くなるよ…」と云うと、ヘルメットで水を汲んで頭の上からザーザーかぶり「ワー生返りました…」で、「この水は飲んでもいいでしょうか?」と尋ねるので「下界では生水は駄目だろうが、こんなに汗をじゃんじゃん出している時はすぐ汗になって出るから大丈夫だよ」と云うと、空になった容器に谷の水を汲んで美味しそうに飲んでいた。

 降りてきた青年は、遅れて来た青年と再び峠まで登り返すようだったので二人に「ではお先に失礼…」と二人に先行し、峠へのラストランへペダルを踏んだ…。二曲り三曲りと懸命に漕いでフト目を振り仰ぐと峠に架かる陸橋が目の前で吃驚した…途中で追い越されるかなと思った青年たちは、自転車を陸橋の上まで担ぎ上げたころにやって来て、飯塚側の路肩でこちらに向かって手を振っていた。

 自転車を立木にロックし縦走路を若杉山に向かって出発した…自転車漕ぎの筋肉と山歩きの筋肉とは使い勝手が違うのか登り始めて10分ぐらいは、足がひょろひょろする感じだったが次第に落ち着いて何時もの山歩きのペースに戻った…。

 杉木立の中の道は快適で、尾根の南側から吹き抜ける風がサワサワと気持ち良く、峠への登りが嘘のように楽チンだった。やはり、自転車の山登りは骨だ…が、そのトレーニングが私の山歩きを支えてくれているのだから逃げてはいけない…何て思いながら小さなピークを登り下りしながらあっという間に、山頂手前の若杉鼻の展望台に出た…展望台付近には三人連れの大学生が休憩中でコンロで冷やしソーメンの調理中だった。

 展望岩の上から望むと、弧を描いて、砥石山から三郡山・頭巾山・佛頂山・宝満山が緑の色も黒々と連なり、足許には、必死に登りあがって来た峠への車道が蛇のようにうねり、満水の須惠ダムの水面がひかり、遥か、我が町の彼方には脊振山から金山・井原山・雷山の山脈も見えていた。

 若杉鼻から一投足でアンテナ塔の立つ若杉山々頂で12時過ぎでお昼時だったが、篠栗新四国詣り以来ご無沙汰していたので奥ノ院にお詣りして行こうと通過し、茶店前から潜り抜け岩を通って、大きな鎖のつけられた狭い岩の割れ目を降りると参拝の人でいっぱいの奥ノ院で、線香の煙が立ち込める中央には護摩焚きの炎がメラメラ燃えていた…御大師様にお詣りし、人でいっぱいの奥ノ院を出て山頂に戻り、風当たりの良い日陰でお昼にした。(といっても、ポカリとカロリーメイトにウイダーの軽食)

 食事をしていると、大きなオニヤンマが悠々と何度も目の前を行ったり来たり夏の涼しい風に乗って飛翔し、私の貧しい食卓に彩りを付けてくれた…。15分足らずの昼食タイムを終え往路を下って行くと、宝満山から縦走してきた何組かの登山者と離合した…山道の両側には山みょうがのミドリの葉が生い茂り、ナルコユリの葉っぱの下には丸い小さな実がユラユラと揺れていた。

 半ば小走り状態で山道を下っていると、ギラリと光って道を横切る長さ1m以上の青大将に急停止…!私も驚いたが、青大将くんもさぞかし驚いたのだろうガサゴソと藪の中に退散して行った…。

 13時ごろ木立にロックしておいた愛車の前に戻って来た…。ロックを開錠し道路まで担ぎおろし、峠からのダウンヒルに供え愛車のブレーキテストと心の準備をしてスタート…!。NHKテレビで放映中の日本自転車紀行の日野正平の「こころの旅」で正平が「人生下り坂最高…」と云いながら坂道を下って行くシーンがあるが、まさに「下り坂最高」だ。息を切らし汗を流して登ったヘアピン道を、軽快なハンドリングで一気呵成に下る爽快感はとても言葉には表せません…ブラボーチャリンコ!

 僅か10分足らずで下界の須惠町に下りつき、照り返しのきついアスファルト道と排気ガスの道を頑張って13時半過ぎには無事に我が家に帰着した。帰宅してオドメーターを見るとMAXスピードは63q/h、Abは13q/hだった。因みに峠は540mで往復約30kmだった。






〜 宗像四塚(城山〜金山〜孔大寺山〜湯川山)縦走…  〜

…孔大寺山頂

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2011/6/5 曇り … 

城山登山口(8.30)…城山(8.57~9.02)…石峠(9.25)…金山南岳(9.39)…金山北岳(9.56)…地蔵峠(10.30)…孔大寺山(11.18 昼食 11.40)…

垂見峠(12.34)…湯川山(13.30~45)…承福寺登山口(14.25)




6月5日・・曇り

 宗像市在住の知人K藤さんのお誘いを受け宗像四塚と呼ばれる山系へ足を伸ばしてきた…。四塚の事はU-Bahnの山仲間のU住さんから聞いて知っていたが今まで登るチャンスが無かったのでお誘いを頂き幸甚だった。

 K藤さんとは、息子たちのクラブ活動応援を通じて奥様ともどもに知り合った仲で、大分市在住のI本さんご夫婦と私たち夫婦の三家族のお付合いはもう17年になる…。そして、年に何度かお互いの家を訪ねたり旅行を楽しんだり、忘年会など…等、今では息子たちはさて置いて仲良くさせて頂いている。

 K藤さんはアウトドア派で、身体を動かすのが大好き人間で是までも伯耆大山の冬山も含め何度か山歩きもご一緒したが卓越した体力の持ち主で、一時はスイミングにはまってあったがここ数年は奥様も一緒にスキーに熱中されており、何時も、愛犬ボーちゃんと一緒に近所の山を歩き廻って来シーズンのスキーに備えておられるそうだが、今日の四塚登山もその一環らしかった。

 大分から列車でやって来られるI本さんの奥さんと(旦那は現役で仕事)、K藤夫人、家内の女性群を残し、我々二人は、教育大付近にある城山登山口までK藤奥さんに送って貰った…。

 鬱蒼と茂る照葉樹林の登山口は陽が通らないので薄暗く、登山口の階段の横には山水が石の受け皿に流れ落ちていた…。山頂に続く道は良く整備された遊歩道で、近隣の人達の格好のウオーキングの場所になっているらしく踏み均されていた…。

 週間予報ではあまり芳しくない予報だったが、どうやら雨の心配は無いようで助かった…でも、湿度が高いせいか10分も登ると汗びっしょりで、タオルで汗を拭きながら先導されるK藤さんの後を追って登って行った。

 30分ほどで城山山頂(369m)の山頂広場に登りついた…。広場には城山由来の案内看板や大きな石灯籠が立っていて、一角で地元の人達らしい人がお話ししながら休憩中だった。縦走路の案内板を見ると、湯川山まで10,4kmと記してあったが、途中、石峠・地蔵峠・垂水峠へ一旦下っての縦走コースは、標高こそ低いがアップダウンの繰り返しで体力トレーニングには持って来いのコースだろう。

 城山を後に枯葉の山道を下って、石峠(標高約180m)を9時25分ごろ通過し、金山南岳への登り返しの道に這入った…K藤さんは自宅近所の許斐山(コノミヤマ)で鍛えた足ですいすい登られ15分ほどで金山南岳を通過し、標高317mの北岳に10時少し前に着いた…水分補給を兼ね一休みした…山頂は西側が開け、宗像市街が足許に広がり許斐山も見えた…。

 此処まで二塚を二時間半…まだ先は長い。金山北岳から照葉樹林の尾根道を小さなピークを登り下りしながら徐々に下って行き、二番目の峠、地蔵峠(標高約160m)に10時半ごろ降りついた…峠は二車線の道路が尾根道を横切っていた。車道を横切りこの四塚縦走コースの主峰、孔大寺山への登りに這入った。

 落ち葉と木の根の結構急な山道を黙々と登って行った…聞こえるのは、我々二人の山靴の音と木立の中から聞こえる小鳥たちの囀りだけで吐く息が荒かった…。地蔵峠から約50分、11時40分ごろ見通しのきかない孔大寺山々頂(標高499m)に到着した。山頂は、落ち葉でぎっしり敷き詰められた立木の中の平坦な場所で、休憩用の木のベンチが設置されていた。

 そのベンチの上に座って少し早かったが昼食タイムにした…妻が握ってくれた特大のおにぎりをペロッと平らげ、11時40分ごろ山頂を後にして湯川山を目指した。

 トラロープなどの張ってある滑り易い道は結構な急坂で、標高110mの垂見峠まで勿体ないようにどんどん下らされた。足許に車道が見える付近で少し正規な道から外れ西寄りに下ってしまったが強引に下って12時半過ぎに車道に出た。

 車道を東方向に100m程行くと宗像市と岡垣町の境界になる垂見峠で、湯川山登山口には赤いエプロンをつけた石仏さんが座っておられた…。四塚最後のピーク湯川山はこの山系の最北端で、山頂の向こう側は玄界灘になっており縦走の始終点としてけじめが良い…。

 湯川山が近づくにつれ天気も回復し初夏の日射しが強くなり発汗量も多くなる…廃止された無線塔敷地跡から少し登ると別の会社の無線施設前に出た…。山頂付近にこういう無線基地がある山はそれに付随して取り付け道路が出来るので山の空気が荒廃する感じがする…。

 13時30分ごろ四塚縦走コースのゴール地点の湯川山々頂(471m)に到着した…城山登山口から五時間だった。視界が今一で目前に広がるはずの玄界灘の海は霞みの中で、辛うじて大島などの島影が見えるだけだった。

 15分ほど寛いで下山開始、山頂付近の道端に咲いていた可憐な花に見送られ、湯川山から北西方向に延びる尾根道を下って行くと、8合目付近に小さな祠があり「ここが弥勤尾の峰」と書かれた木札があった…日本の山々には、こうした神様や仏様が何処にでも祀られている…山は聖域でもあるのだ。

 今冬の大雪で谷道に折り重なって倒れている竹林を抜け暫く下ると、田んぼが広がる集落に出た。その集落の一番山寄りに承福寺という禅寺があり登山口だった…無人の境内周辺にはツツジやアジサイの花が咲き乱れ、暫くベンチに座って山旅終了の余韻に浸った…。

 集落を抜けバス通りに出て今登って来た湯川山を眺めながらブラブラと歩いていると、後ろからピピッとクラクションの音で振り向くと、K藤夫人の運転する車で我々二人を拾いに出向いて下さったのだ。送迎付きの登山とは滅多な事ではない…有難うございました。

 K藤さん宅で19時近くまでお邪魔になり、大分に帰られるI本夫人を東郷駅まで見送り我々も帰路についた。四塚縦走をして見て思った事は、距離や比高差、登山道の歩き易からトレイルランするに適しているなと感じた…。多分、アスリートのU住さんは朝飯前だろう…??。

 K藤さん今回は四塚縦走にお誘いくださり有難うございました…このコースをチョイチョイ縦走されれば、来季のスキーはバリバリ楽しめますよ…頑張ってください。






〜 久し振りの九千部山Mtbツーリング…  〜

九千部山頂まで後4km…大峠付近で

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2011/5/6 曇り … 

自宅 ⇔ 筑紫野 ⇔ 山口 ⇔ 山神ダム ⇔ 平等寺 ⇔ 大峠 ⇔ 九千部山




5月6日・・曇り

 五月のGWは孫たちのお相手に振り回されて少々疲れたがとても楽しかった…。4日に行った香椎花園は入場するのに40分、乗り物の前は長蛇の列で、夫々に乗るのに小一時間待ち…と云う訳で、蛍の光のメロディが鳴る閉園時間まで約8時間、4人の孫たちに付き合わされた…。

 孫たちに開放された6日は、通学路で児童たちの安全見守りが終えてから近郊の山へでもと準備した…一緒に山行きを共にしている息子たちグループが、3日に国東半島で行われたサイクリング大会(160km)にエントリーし全員無事に完走した朗報を息子のブログ「釣岳人自転車操業中」…で見ていたので、久し振りに九千部山へMtbで挑戦してみる事にした。

 10時10分ごろスタートし、何時も九千部山へ行くときに走る高速道脇の道を筑紫野市の天拝山付近まで走り一休みした…此処まで向かい風の南風で少し踏み応えがあったが、帰り道は追い風になるのだからと思いさして苦にならなかった…が、雲行きの方が今一つで雨が心配された。高速道にかけられた人道橋の上から忙しなく行き来する自動車の往来をしばらく眺めてサドルに跨り出発した。

 標高848mの九千部山は、福岡・佐賀両県境にどっしりと腰を下ろした穏やかな山で、山頂付近まで、基山方面や那珂川町、筑紫野市方面から林道が通じ、山頂一帯にはテレビや無線の塔などが林立し登山の対象としてはいささか物足らないが、チャリンコ愛好家にとってはヒルクライムの良き練習の場である。

 高速道横の小さなアップダウンの道を暫く走り通古賀付近から県道に這入った。天拝湖を横目に見上げながら走って山口集落に差し掛かると、集落の外れにある神社の藤棚に見事なフジの花が満開に咲いていた…無人の境内に這入って馥郁と香りを漂わせる紫色の花を眺め一息ついた。

 思わぬフジの花に元気を頂き神社を後にした…山口集落を過ぎる頃より道は登り勾配になってギアダウンして登って行く付近の田んぼでは、田植えに備え田を耕す農家の人達の姿も見え、やがて来る梅雨の雨を待つばかりだった。

 山神ダム手前から旧道に這入り、堰堤を見上げながら急坂を登り上がってダムサイトの西側に11時15分ごろ到着した…。このところの少雨でダム湖面の水は干上がり気味で田植え時期を控えまとまった雨が欲しいところだ…。堰堤の中央付近まで行って一休み…水分補給と飴玉をしゃぶりながら堰堤下を眺めると、今登って来たばかりの旧道が蛇のようにくねり、反対側の湖面方面の向こうには九千部山が前山の向こうに私を待って居た。

 何時もはダムの周回道路を廻って県道に出るのだが空模様が怪しいので、そのままダムの堰堤を走り抜け東側から県道に這入り平等寺へ向かった…平等寺の公民館前で九千部山登りに備え小休止。正面入り口には二宮金次郎さんの石像があり、その下でチャリから降りていよいよ始まる山道に備え気合を入れ直した。

 県道に別れ平等寺集落の中を通り抜ける頃より勾配が強くなり、ギアダウンしながら時速12km程でヨロヨロと息を弾ませ登って行き、集落の最後にある珈琲店前を過ぎると後は山頂まで人家は無い。集落が見えなくなった付近でチャリを降り、此処まで着用してきた長袖シャツとズボンを脱いで身軽になり胸突き八丁の登り坂に備えた。

 杉の枯れ枝の散らかる山道を立ち漕ぎをまじえながら登って行くと心拍数が跳ね上がり息が乱れる…毎年、この九千部山にMtbで登らせて貰っているが、それは私の意地以外に何もない…73歳を越し体力気力の衰え目に見えて落ちている事は自身が一番認識している。山登りを含めこんな山登りMtbもそんな自分自身に対する挑戦で、確かに山坂登りはきついがその辛さを克服する気力こそ全てだと思っている。

 と云いながらも、暫くブランク後の身体にぺダリングの脚力が悲鳴を上げる…額から流れ落ちる汗を拭いながら次のカーブまで頑張ろうと漕ぎ登って行き、立ち休みし5秒ほど息を整え再スタート…その繰り返しでじりじり登って行くと九千部名物の名水ポイントに差し掛かる。此処の水が美味しいのか車で汲みに来る人が多く、今日も三台の車が路肩に止まり持参のポリタンクに汲んでおられた。

 水は、このところの小雨にも拘らず二本のホースから勢いよく出ていたが、一人一人が夫々に20Lポリタンに20個以上も汲んで行く訳だから大変…待って居ると夜が明けたしまう!ので、汲んでおられる人の横に行き「一口飲ませて下さい」とお願いし、名水を口にし生返る。ホースを握った人が「山頂まで自転車で登るつもりですか?」と呆れたような顔をして私と自転車を見比べておられた。

 水場ポイントから四曲がり程、結構きつい上り坂を登り上がると峠で、峠から少し下ると那珂川町から来た林道と合流する。其処には、九千部山へ4kmの立札があり、そのまま真っ直ぐ東に向かうと大峠から河内ダムサイトから基山町へ通じている。

 空模様の方は愈々黒い雲が低くなり今にもザーッと一雨きそうな気配だった…天の神様にどうぞ山頂に着くまでは降らせないで下さいと勝手なお願いをしながら、大峠への道から右折し九千部林道に這入った。暫くは緩い坂道だったが、見通しのない植林帯に這入ると九十九折れの急勾配の道となり、4〜500m漕ぐと立ち休みの繰り返しで青息吐息だった…でも、ほんの5秒ほど立ち休みをするだけで荒い呼吸も収まり、ヨッコラショとペダルを踏んで前進する…牛歩に似た速度だがひと踏みするごとに山頂が近くなっている喜びを感じながら「ナニクソこんな坂、負けんぞこんな坂」とにじり上がって行った。

 山頂まであと1km付近でガス欠状態になったので道端に自転車をほっぱらかし昼食にした。時計を見ると12時半を過ぎていたので腹が減ったのも無理はなかった…木の根っこに座ってミニアンパンとポカリで空腹を誤魔化す。自転車を倒した道端にはマムシ草が物欲しそうな顔をしてこちらを見つめている様だった…5個入りのミニアンパンを3個だけ頂き後の二個は山頂でのおやつに残して出発し、最後の登り坂に気持ちを集中してサドルに跨った。

 12時55分ごろテレビ中継用アンテナ群の立つ山頂の駐車場に着いた。其処から展望台や山頂祠のある場所まで50m程を押し歩きして今日の目的地の山頂に到達した。自宅から約2時間45分(30km)だった…展望台下のベンチで残りのアンパンを食べていると雨粒が落ちてきた。天の神様に山頂まで我慢してくださいとお願いしていたが、まさかその通りになろうとは…と云う訳で展望台に上がらず後ろにある祠にお詣りし、山頂標識のある広場に行くと小さな鈴を伏せたような白ドウダンつつじの花がひっそりと咲いていた。

 山頂滞在僅か10分ほどで下山開始準備、下り坂で汗が冷えて寒くなるだろうと長袖シャツとジャージーを着用し13時7分ごろ山頂を後にした。幸い心配した雨も大降りにならず、登りには時速10km/h足らずでヨロヨロと登り上がった道を、直線では50km/h以上ですっ飛ばして雨雲から逃避した。

 大峠の分岐まで僅か7分で下りつき、平等寺林道線に這入って登り勾配にかかった所で、ペダルを踏もうと力を入れると左足の太もも下部の筋肉がつった状態になってダウン!足の屈伸運動などをしてみたが痛みが消えないので、道の広いところまで足を引きずりながら押して行きジャージーを脱いでバンデリンを入念に塗りこんだ…。5分ほどそんな事をしていると痛みも消え歩けるようになったので、恐るおそるペダルを踏んで上り坂を登って行くことが出来ホッとした…原因は、山頂からの下りで疲れていた筋肉が冷えてしまった事や、二か月ほどのブランク状態だった身体に無理が重なった結果かもしれない…

 坂を登り上がると後はずーっと下り一方で痛めた足にも負担がかからず、おまけに追い風でルンルン気分になって平等寺集落を抜け、アッという間に山神ダムサイトを駆け下り、筑紫野市内から旧三号線を経て御笠川土手道を快調に漕いで自宅に14時15分ごろ帰着した…往復約60kmで、往路は2時間45分帰路は1時間10分だった。久しぶりのMtbでの山登りでアクシデントもあったが、これを教訓にそれなりのトレーニングと自己管理に努めたい。








〜 旧友と新緑の四王寺山へ…  〜

県民の森の新緑と深紅のカエデが初夏を飾っていました…

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2011/4/28 晴 … 

総合体育館〜大城山(毘沙門天)〜広目天〜増長天〜焼き米原〜県民の森〜毘沙門天〜総合体育館




4月28日・・晴れ

 宗像市に住む旧友のKnさんが奥さんとご一緒に遊びにやって来られた…。少し遅れて大分市から遥々I夫人(旦那さんは仕事)もやって来られ久し振りの顔合わせになった。

 昼食後、野郎二人は女性群だけのお喋りタイムに気を利かせ席を外し山へ行くことにした…Knさんは初めからそのつもりだったらしくちゃんと車にリュックなどを積んでおられた。

 Knさんが宝満山へでも…と言われたが、一時半を過ぎていたの近場の四王寺山へ出掛ける事にした。総合体育館の駐車場に車を留めて14時前に出発し遊歩道を毘沙門天様へ向かった…。

 今年は例年になく寒い冬だったが、さすがに五月もすぐ其処になって木々の梢には目にも眩しいほどの新緑が蘇り、山肌は萌木色のカラーパステルに染まり、足許の草叢には紫色のスミレが初夏の風に揺れていた。

 出足は風が少し冷たく感じたが、10分も遊歩道を登って行くと背中は汗ばみ冷たい風が心地ちよかった…途中の展望台に立ち寄り眼下に広がる我が街をKnさんに案内した。

 Knさんは此処近年スキーに魅せられ、毎年、シーズンになると中国地方のスキー場は勿論、北海道や信越地方にまで足を伸ばし醍醐味を堪能しておられるが、雪質によってはかなり脚力が無いと苦労されるとかで、今は来季に向け山歩きなどで脚筋力や心肺機能の向上に努めておられるらしい。

 所謂、中高年世代の我々は日々気力体力の低下は免れないが、それを補うにはやはり何でもいいから目的意識を持って身体を動かす事だろうと思う…Knさんの場合は目的がスキーであって、それをより楽しむ為にオフシーズンの体力トレーニングの一環として山登りなどをしておられる事が、心身のリフレッシュになり若返りに繋がっているのかもしれない。

 毎日、近所の山で愛犬のボーちゃんと共に鍛えておられるだけあって、標高410mの大城山山頂の横手にある毘沙門様まで私の後にぴったし連いて来られたKnさんは息も乱れていなかった…。鈴を鳴らし掌を合わせ、東日本震災の被災者の皆様の一日も早い復興をお祈りした。

 大野城市・太宰府市・宇美町の三市町村にまたがる四王寺山の稜線に張り巡らされた土塁に沿って続く散策路を南に辿り、広目天跡から「けいさしの井戸」を見て展望台に立ち寄り眼下を眺めると、市街地がひたひたと山懐まで攻め入って田んぼや畑地が残り少なくなっている様を見ると、環境問題は勿論、食生活の基盤になる農地の縮小が心配でならない。

 毎年、元旦の初日の出を拝むポイントに立つと真向こうに宝満山が鎮座し、筑後平野の向こうに見える耳納連山は霞みの彼方で、朝倉の古処山〜屏山〜馬見山が薄墨の様に連なっているのが望めた。

 災害復旧工事中の、う回路から鏡池のある増長天礎石群跡地の広場を通り抜け、車道を横切ってMtbの折り返し点の焼き米原の展望所に出ると宝満山が指呼の間に近まっていた。焼き米原の中を通り抜けて県民の森センターへ下ると、石楠花の花がもう満開に開き、目にしみいる様な新緑の中で目にも鮮やかな深紅色のカエデが見事でシャッターを切っていると、手を繋いだ若いカップルの女の子がKnさんに「毘沙門様が何処にあるかご存知ですか?」と尋ねていたので、私が「私たちは今から毘沙門天まで引き返すところですよ」と云うと「ワー良かった連れて行ってください…」という事になり二人を案内する事になった。

 道々歩きながらどうして毘沙門天に行くのですかと問うと「夢枕に毘沙門天様が出て来たので…」だった。その時は深く考えもしなかったが、二人と別れてKnさんが毘沙門天様がどんな格好をされているか知っていたのだろうか?横に「毘沙門天」とでも書いてあったのだろうか…と云われたが、考えてみると私も毘沙門天様が男か女かどんな姿をしておられるのか知りもしなかったので、彼女はどんな夢を見たのだろうか聞けばよかったな…と思った。

 何れにしても二人を毘沙門天様の鳥居の前まで案内し、帰り道も、遊歩道コースと林道コースを二通り教えて別れ、下山は大文字焼き斜面から急こう配の道を下って林道に出た所にある四阿屋で休憩し、Knさんの奥さんが家を出る時、是を持って行ってくださいと手渡されたケーキを頂いた。

 葉桜になった林道をブラブラ下って16時50分ごろ体育館前の駐車場に戻って来た…約3時間の四王寺山散策だったがKnさん少しはトレーニングになったでしょうか?次回は、私が宗像に出かけ四つ塚縦走にお供しましょう…。 






〜 仕事と雑用の暇を縫ってMtbで近郊の山へ…  〜

四王寺山の桜とミモザの花が綺麗でした…

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2011/4/10 晴 …

 四王寺山(岩屋城址)〜大宰府




4月10日・・晴れ

 発掘の作業も先月23日以来お休み…その上、後援会事務所などでの雑用に追われ、勿体ないような山歩き日和が続いているというのにお預け状態で、体力の低下が心配だったので10日にMtbで四王寺山へ出掛けた。

 桜満開の日曜日とあって、総合体育館付近から樹芸の森付近の遊歩道には行楽を楽しむ家族連れのマイカーが一杯で、三月に来た時は閉ざされていたゲートも解放され、林道を走る車も多くチャリンコ走行ものんびりと走ることが出来きなかった。

 ハラハラと舞い散る桜花の声援のおかげで一週間のブランクがあったが、何時ものペース(ギア比)で快調に(私なりの目いっぱい)漕ぎ登って行くことが出来、休憩ポイントの四阿屋がある場所まで辿り着くことが出来た…。

 マイカーを止めて桜をバックに写真を撮っていた家族連れの奥さんが「まー自転車で何処まで行かれるの…?」と、目を丸くし尋ねられたので「県民の森から大宰府の方まで行くつもりですヨ」と、流れ出る汗を拭いながら答えると「私は買い物に行くときにある小さな坂道でもきついのに…」と感心しておられた。

 気をつけて頑張ってください…の激励を受け出発し、何曲がりかしたカーブの向こうにピンク色の桜と並んで、黄色の色も鮮やかなミモザの花が満開で思わずペダルを漕ぎ止め下車し、桜とミモザのツーショットを暫し眺めた。

 ミモザの花に見送られ出発し、峠へ続くヘアピンカーブの道をハーハー漕ぎ登り標高約300mの峠へ出ると目の前には、若杉山〜砥石山〜三郡山〜佛頂山〜宝満山へ続く三郡山系の山脈が開ける。峠からは愉しい下り坂…風を切ってシャンシャンと下る。

 音楽堂前を通過し一旦県民の森へ下り降り、宇美町から来た車道へ出ると焼き米原展望台のピークまで登り返し道…何時もはこの展望台で引き返しているが、後援会事務所を出るとき、スタッフのおばちゃんが「大宰府に行くのなら梅が枝もち買ってきて…」だったので、桜と展望を楽しむ行楽の人で賑う展望所を通過し大宰府へと下った。

 此処から暴走族防止の為に道路に付けられたギザギザテープで衝撃がガタガタとハンドルにひどく、折角の下り坂だというのに20〜30q/hでとろとろ下らされた。

 少し下った所にある山城の岩屋城址に立ち寄った…岩屋城は、16世紀ごろに宝満城の支城として築城されたが、後の城主「高橋紹運」の時代に5万の島津軍を相手に戦い全員討ち死にしたという悲劇の城跡だ。

 入口の看板にMtbをロックし階段を登り上がると南面が開けた本丸跡の小さな広場あり、「嗚呼壮烈岩屋城址」の石碑を見ると400年前にタイムスリップし、足許に広がる大宰府の街並みの向こうに広がる筑後平野から押し寄せてくる島津の大軍の狼煙や旗竿などが目に浮かぶようだった。

 広場にはそんな悲劇の場所だったとは思えない暖かい春の陽射しが降り注ぎ、桜花の向こうには宝満山が何事も無かったかのように悠然と聳えていた。

 城址を後に観光客で賑う大宰府の街に下ってお目当ての「梅が枝もち」を茶店のおばちゃんに包んでもらいザックに入れて帰路についた…事務所に帰って皆さんにお配りし一緒に頂いたがまだ温かく美味しかった。








〜 仕事と雑用の暇を縫ってMtbで近郊の山へ…  〜

四王寺山より宝満山…

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2011/3/19 曇り … 牛頸山

2011/3/12 晴 … 四王寺山




 … 東日本大震災 …

 三月に這入り寒の戻りで桜の蕾も縮こまったままだが、それでも街路樹のこぶしが真っ白な花を見せ始め、我が家の庭先には黄色の水仙が顔を見せ春や近しを思わせているが、11日の東北地方を襲った大津波と地震が日本列島を一気に悲嘆のどん底に引きずり込み、とても春を喜ぶ気持ちにはなれない。

 日々報道されるテレビニュースなどから被災地の惨状を見聞きするだけだが、地震・大津波の災害+原子力発電所からの放射能漏れという想定外の事故が併発し、被災地域のみならず全世界の人々がその終息を固唾をのんで見守っている…。

 と同時に、被災された方々が衣食住を絶たれた中、寒空の中で励まし合いながら明日を信じて生き抜こうと団結し助け合っておられる姿を見るにつけ、今こそ国民一人々が一致協力し、夫々が物心両面から被災地復興支援に当たらねばならない時だと痛感している…自分で出来る事から。

 被災された方々へお見舞い申し上げますと共に、お亡くなりになった多くの人々のお冥福を心よりお祈り申し上げます。  
… 2011年3月25日 …


3月12日・・晴れ…四王寺山 / 3月19日・・曇り…牛頸山

3月12日…四王寺山

 三月に這入り仕事や雑用…そして東日本大震災などで山行きの日数が減ってしまっております。  少し気分が乗ってくれば又あっちこっちの山歩きも復活するかと思っていますが、4月24日の地方選挙の終了まではしばらく我慢の日だろうと諦めております…。

 と云う訳で12日と19日に暇を見つけてMtbで近郊の里山へ登ってお茶を濁して来ました…。

 四王寺山へは昨年以来久し振りで、果たしてチャリで走り切れるかどうか?マークだったが自分自身の体力テストも兼ねてトライしてみる事にした。

 四王寺山林道は集中豪雨災害で、昨年はあちこちで寸断され通行できなかったがそれが開通しているか否か判らないまま自宅を出た。お天気は真っ青な空と爽やかな春風が吹く絶好のチャリンコ日和でペダルを踏む足も軽かった。

 大野城総合体育館の前から林道に這入る箇所にあるゲートが閉じられ車は進入禁止になっていた…。という事は排気ガスを気にせずに悠々と林道を漕いでいけるとあって嬉しくなった…。

 ギアを小まめにチェンジしながらヘアピンカーブの上り坂を漕ぎ上がって最高点に登りついた…。其処まで途中で四度立ち休みをしたが長いブランクを考えると一回目の四王寺山林道ランにしては上出来で少し安心した。

 一旦、四王寺県民の森公園まで下って宇美町から大宰府に抜ける県道に出て、約1km程登り上がると焼米ヶ原展望台で自宅から約12q、所要時間は40分ほどだった。

 Mtbを降りて展望台まで登り上がると眼前に、宝満山から三郡山への山並みが春の陽を浴びて悠然と横たわり、眼下には大宰府市街地から朝倉方面へ広がる平野が長閑に広がっていた…。そんな平和な風景が、東北関東を襲った震災では一瞬にして地震で破壊され、大津波に押し流される生々しい様子を伝えるテレビ画面と重なって暗然とした気持ちになった。

 下りは、宇美町へ一気に下り乙金峠を経てのんびり帰路についた…。

3月19日…牛頸山 (448m) 大野城市最高峰

 昨日(18日)は、私が児童たちの見守りをしている小学校の卒業式だった…その卒業式に学校から来賓として招待を受け出席させて貰った…。

 児童たちの見守りに交差点に立つようになって約10年になるが、卒業式への招待は初めての事で、自分の子供の卒業式に出るような気持ちでとても嬉しかったし、どんな賞状を戴くよりも感激した。

 卒業式前日には二人の女子児童からメッセージ付きの花束まで頂きウルウルしてしまった…そして今日(24日)は、卒業した女の子が母親とわざわざ私が立っている交差点までやって来て「おじちゃん6年間ありがとう…中学生になったらもう此処は通らなくなりお会いする機会が無くなります。どうかこれからもお元気で此処を通る児童たちを見守って下さい…」と、手作りのケーキとお礼のメッセージを頂いた…。

 確かに、春夏秋冬…暑い日、寒い日、雨風の日…大変な日もあったが、毎朝、交差点で元気な子供たちと交わす挨拶や会話から、どれ程自分自身が元気を頂いているかを思えば、此方が子供さんたちにアリガトウとお礼を言いたいくらいだ。

 何十年ぶりに聞いた「仰げば尊し」一緒に斉唱した「君が代」…一人一人が壇上で校長先生から卒業証書を手渡され、目の前を退場していく子供たちは堂々として希望に満ちた笑顔がとても爽やかだった…君らの未来に幸多かれ!


 新聞テレビで目にする東日本大震災の惨状は日を追うに連れ拡大し、現在は危惧されていた原子力発電所よりの放射能漏れが現実のものとなり、日本全体に暗雲をもたらしている…。知らず知らずのうちに私の心も沈む込み、山への足も遠のいてしまっている。

 それでも、このままではいけないと先週に続きMtbで近郊の山へ気分転換に出かけた…大野城市の最高峰は牛頸地区にある「牛頸山447m」だが、今日はその牛頸山から派生し、私の家近くの大文字公園付近で御笠川と合流する牛頸川を遡って牛頸山へ登ってみる事にした。

 牛頸川の源流から御笠川合流点までの全長は、大野城市のデータによると6400mと出ているがこの数字は多分、牛頸ダムより下流域の数字だろうと思うがその上流部を加えても総延長は約10km足らずの川で、その中間付近で春日市を横切っている。

 11時ごろ自宅を出発し途中何度か川筋から外れて走るところもあったが、牛頸神社付近までは川の両岸につけられた遊歩道を漕いで行くことが出来た。牛頸ダムの周回道路を反時計回りに登り上がり、半周した付近にある法勝寺手前から右折し林道をキャンプ場へ向かった。

 当初の予定では林道を漕ぎ登って牛頸山直下から山頂へ登るつもりでいたが、キャンプ場入口のゲート付近より林道は工事中で、作業員から是より上は通行禁止ですと進入を断られたのでキャンプ場へ向かった…。

 11時40分ごろキャンプ場に着き、そのまま入口の案内所を通過していると係りの人が走り寄り、此処から上へは乗り入れ禁止ですと止められ「自転車は此処に置いて行ってください…」で、愛車をロックし徒歩で黒金山方面へ出発した…。

 牛頸山には20年ほど前に妻と登っただけだったので、受付で地図を頂いたが略図程度のものであまり役立たなかった…綺麗に整備された園地内の舗装道路をヤマ感で登って行くと「黒金山入口」の小さな案内板が立っていた。山道に這入ると近郊の人達がかなり歩いておられるらしく道は明瞭だった。

 地図に書いてあった第一鉄塔付近まで登ると後は尾根伝いの道で、暫く進むと「この付近一帯が黒金山です」という標識があった…黒金山と云うピークは無くこの付近一帯を総称して黒金山と云うのらしかった。縦走路に此処から牛頸山へ1時間の標示板があり、時計を見ると12時10分だった。今日は妻の妹が入院したので見舞いに行く予定で、14時ごろには帰って来ると出て来たので如何しようか迷ったが、此処まで来たのだからと牛頸山へ駆け足で向かった。

 第二鉄塔で鉄塔の上部を仰ぐと送電線は撤去されて鉄塔のみが空中に突っ立っていた…小走りに尾根筋の小さなアップダウンの道を暫く行き、小さな沢に渡された橋を渡って20分ほどで大野城市最高峰の牛頸山ピークに着いた…12時40分だった。視界は春霞のせいか定かでは無く、我が大野城市も薄ぼんやりとしか見えなかった。

 下りは、山頂から少し戻った所から近道コース(旧登山道)をとり、水害で荒れた林道抜け道を通って山頂から僅か15分の13時少し前に出発点のキャンプ場に戻って来た…。Mtbを預けたキャンプ場で行動食をポカリで流し込み空腹を誤魔化し慌ただしくキャンプ場を後に往路を辿って帰路につき、13時35分には我が家に帰り着いた…次回は、もっとゆっくりと大野城市最高峰を巡ってみたい。






〜 Mtbで花立山から甘木方面へツーリングへ…  〜

早春の麗らかな陽射しに佇む宝満山…

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2011/2/7 晴




 2月 7日・・快 晴

 一月の大寒波は何処へやら…二月に這入り一気に春めき、柔らかな早春の陽射しが眼に眩しく感じられるようになった。

 その早春の陽気に誘われ、自転車小屋で冬眠中だったmtbを引っ張り出してツーリングを思い立った…。目的地は朝倉市…と云うのは、先月、難所滝から三郡山までご一緒し、山頂で撮ったH野さんの写真を届ける為で、住所氏名を書いてもらったメモに肝心の名前の方が書いてなかったので郵送する事が出来ず、ならば、ツーリングを兼ねて持って行こうとなった次第だ。

 出発前のチェックを済ませお握りなどの入ったザックを肩に我が家を出たのは11時半ごろだった。自宅を出て暫く御笠川堤防のウォーキングロードを南に向かうと、追い風が尻押ししてくれペダリングも軽やかだった。

 都府楼跡から三号線を暫く走り高雄交差点から左折し、宝満川沿いの広域農道に出た。長閑な田園が広がる彼方には宝満山が山懐に雪を隠し何事もないようにのんびりと裾野を広げていた。

 さて、此処から386号線を行こうか、それとも古賀〜久留米線の県道を北野方面へ走ろうか思案した…と云うのが、市町村合併で甘木市も朝倉市となってエリアが広がり、届け先のH野さん宅が甘木のどの辺にあるのか事前に確認していなかったので、(山頂でお話しした時、大分自動車道の甘木インター近くという事を聞いていた)兎に角その辺りまで行って尋ねて見るしかなかった。

 で、中央分離帯のある片側二車線の県道に這入ったが、この道路は信号機も少なく路側帯の歩道も一車線分ほどもある上に、歩行者の姿は皆無でサイクリングには最高の道だった…その上、追い風という強い味方が付いていてくれたので快調にペダルを踏み、平均速度35km/hで突っ走り12時半少し前に筑前町の花立山公園サイドに着いた。

 この辺の地名は干潟と呼ばれているが、以前は(何百年前かは知らないが)有明海がこの付近まで這入りこんでいて、この付近が干潟地帯だったのが地名としてその名残を残しているらしい…筑後平野の北方、筑前と筑後を分かつ地にある花立山は標高僅か130,6mだが山頂部には山城があり、山隈城と呼ばれ戦乱の度に支配者も変わったと案内文にあった。

 公園は、よく整備されていてミニ大濠公園のようだった…早春の柔らかな陽射しがチカチカ反射する水面にはカモ達が羽を休めユラユラとお昼寝を楽しんでいるようだった…。ベンチや四阿屋などの休憩所もあったのでお昼にしようかと思ったが、折角なら山頂で食べた方が美味しいだろうと、Mtbを押して遊歩道から山頂へ向かった。

 初めの中は段差の低い階段道だったが最後の石の階段は傾斜も急で、Mtbを担いで石段を数えながら登ったが何と150段もあって息が切れてしまった…。登りあがると神社があり、中で二人の女性の方が声を合わせて念仏を唱えてあった…この山頂部分には本丸、二の丸、三の丸とあったらしく本丸部分には英彦山神社が祀られていた…と、案内板に記してあった。

 西側の一段高くなったところに展望台があり西方の見晴らしが良く、田園地帯の向こうには春霞にぼやけて見える九千部山や基山が望め、足許には先ほど見た公園の池が小さく見えていた…。

 そんな景色を眺めながらポカポカと陽当りの良いベンチの上で昼食タイムにした…30分近くのんびりし山頂を後に今日の目的の場所へ出発した…西側は遊歩道と階段道だが東側は山頂迄車道が通じていて車で登って来れるようになっていた。

 急こう配の一車線の舗装道路をブレーキングしながら一気に下ると目の前に公園化された古墳が現れた…道標には「焼ノ峠古墳」と書いてあった。自転車旅行の楽しさはひょっこりと思ってもいなかった名所や旧跡に出会えることだ。

 丘陵地帯にある焼ノ峠古墳は発掘作業後、綺麗に整えられ見学者の便が図ってあったが、あまりに整理され過ぎて肝心の古墳などは埋め戻され見ることが出来なかったのは残念だった…私が現在従事している発掘現場では何基もの規模の小さな古墳が出ているが、説明文によると、この焼ノ峠古墳(三世紀後半ごろの物)は九州最大の古墳とか説明されていたので実物を見たかった。

 古墳の上から振り仰ぐと花立山が春の陽射しの中から何事か語りかけているようだった…梨畑やブドウ畑などの広がる丘陵地帯を走り抜け平野部に降って一路南下し甘木へと向かった。

 秋月川を越える付近で地元の人に「一木」と云う地名を尋ねた…一木は甘木駅付近からだいぶ先じゃが…と云いながら、丁寧に教えて頂いた。その甘木駅を過ぎた付近のタクシー営業所で客待ちしていた運転手さんに「一木」への道を訊くと商売柄詳細に「四つ先の信号を右折し暫く行った所が一木だが、一木の誰を尋ねているとな?」だったので、「名前はH野さんと云うのですが」と云うと、「一木周辺はH野さんばかりやけん下の名前が判らないとヤオイカンバイ…」だった。

 教えられた通りに走って目的地付近に着いたらしいが肝心のH野さんの家が何処か判らずウロウロしていると、プロパンガスのトラックが留まっていたので作業中の青年に「一木の○×番地のH野さん宅を探しているのですが…」と尋ねると、「この辺はH野姓ばかりですが○×番地は此処から300メートルほど行った辺りが該当しますからその辺で探して見ては…」と教えて頂いたのでその付近に行くとホカ弁やさんがあったので、店の従業員に尋ねると電話帳を引っ張り出して調べて頂いたが「登録されて無いので判りませんね…」と気の毒そうに言われた。

 で、私が念のため「このお店は何番地ですか?」と尋ねると「此処は○×番地です」で、探しているH野さんの番地と店の番地が下一桁番号が6しか離れていなかったので、この近所であることは間違いないと店を出てすぐ裏手の方の農家の前を通りかかると、トラクターの陰に人影が見えたので「ちょっとお尋ねしますが…」と声をかけると「ハーイ何でしょう?」と出て来られたので「私はH野さんと云う山登りされる人の家を探しているのですが…」と云うと、その人が「うあー、三郡山ではお世話になったK野さんじゃなかですか…」と思わぬ決着。

 彼は野良作業姿、私はヘルメットを被ったチャリスタイル…で、お互いに記憶にあった登山時のイメージとかけ離れていたので顔を見てもピンとこなかったという次第で、彼が「いやー三郡山で住所を書いてお渡しした時に名前ば書いとらんやったな…と後から思い出したので写真の方は諦めチョリマシタ…それをわざわざ遠い所から自転車で持ってきて貰い有難うございました…」と、顔をクシャクシャにしてお礼を言いながら大喜びだった。

 たった写真一枚の事だが、私も無事にお渡しすることが出来嬉しかったし此処まで来た甲斐があったというものだ…暫くトラクターの前でお話しし、また何処かの山でバッタリお会いすることを楽しみに何度も握手をされるH野さんに別れ帰路についた…帰路は同じ道を通らずに小郡方面から原田に立ち寄り、次女がパートで働いているケーキ屋さんで美味しいケーキを買って家路についたが、帰りは向かい風が強く骨折ったが身体の方がチャリ漕ぎに慣れて16時前に我が家に無事帰り着いた…走行距離は約70kmだった。






〜 仮屋湾のダゴチン釣り…  〜

銀色の魚体と精悍な面構えのチヌをゲット!…

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2010/12/18 快晴




 12月 18日・・快 晴

 一昨年以来、二年ぶりのダゴチン釣りに息子たち(福岡釣岳人クラブ)のメンバーと仮屋湾へ一緒させてもらった…。  早朝5時過ぎに出発し、途中の釣具屋でダゴチン釣り用の撒餌やつけ餌などを仕入れ、仮屋湾の船宿「孝好丸」前にまだ薄暗い6時半過ぎに着いた。

 既に岸壁近くの駐車場には5〜6台のマイカーが留まり釣り人たちが準備をしていた…。我々も(S田、K賀、息子、私)も筏のかがり釣りに備え防寒対策の衣類を着こみダルマさんのように着膨れした…。

 すっかり明るくなった7時半ごろ引き船に曳航され、湾内中央にある養殖牡蠣用の筏に向かった…心配した天気も、この時期にしては風も弱く晴天で今日の釣果が楽しみだった…。

 筏に着くまでに息子が私用のダゴチン釣り竿にリールをつけテグスを通し、用意万端を整えてくれた…。筏に到着後ロープで釣り船を筏に括り付け試合開始…ボール大に握った集魚用の撒餌の団子をドボンドボンと投げ込んだ。

 釣り針につけた餌のエビを包むように(オニギリを握る感じ)で集魚材料の這入った撒餌を丸めて団子を作りドボンと海面に落とし込む…リールから団子に引っ張られて走るテグスが止まると団子の着底で、少し捲き戻し穂先がテグスと直線状態にして当たりを待つ…。

 何度もリールを捲き上げてはダゴチンを作ってはドボンを繰り返す…1,8mの筏竿の穂先は微妙な魚信にも反応するが、反面、波の具合で船が揺れるので常に竿先が細かく上下するのでその区別が判り辛い…

 一時間ほどそんな餌やりをしていると息子が「来た…」と云ったので合わせると、ググッと針がかりした感触が穂先から手元に伝わった…魚釣りの一番の醍醐味はこの一瞬だろう!リールを巻きながら魚の動きに合わせてのやり取りもまた愉しい…。

 やがて、魚体が見えて来る…小型だがピンク色も美しい鯛さんではないか。息子が慌てずにゆっくり取り込んでいいよとアドバイスしながら、うっとり網で掬い取ってくれた…息子曰く「もう今日は坊主は無いから安心だね」と云いながら手際よく針を外して魚槽の中へ入れてくれた。

 その後、燦々と降り注ぐ冬の陽光でポカポカ温かくなり着込んだ身体が温もって眠気さえ覚えて来た…真冬の海とは思えない陽気に息子が「これで釣れれば云う事ないんじゃがね…」と、もう一隻の船で竿を出しているS田、K賀さんに呼びかけていた…。

 S田さんは眠狂四郎の構えでこちらから見ると半分寝ているのではないかと思えた…K賀さんは小まめにダンゴを投入し真剣だった…お昼のサイレンが鳴る頃、船を係留している牡蠣筏に作業船が来て盛んに成長した牡蠣の付着した縄を巻き取り始めた…この頃からお隣さんの二人に次々とチヌがヒット…竿をUの字にした。

 我々の方はチヌさんに嫌われたのか音なしの構え…息子が、型の良いアジを二枚とサンバソウを釣り上げただけで、私の方は初っ端の鯛さん一匹のみ!偶に来て素人がチヌをゲットしよう何て厚かまし過ぎるかも…まーこのポカポカ陽気の海の上でのんびりするのもイイヤ…と、黙々とダゴチンを作っては投げ込みを繰り返した。

 その撒餌が効いたのか、はたまた海の神様が恵んでくださったのか私の竿に続けて二枚、チヌさんが来た。相前後して息子の竿にも当たりがあり、リールを巻きながら「今日初めて魚らしい引きを味わった…」と云いながら釣り上げたのは40センチオーバーの見事なチヌだった。

 二年ぶりのダゴチン釣りでその感触を味会うことが出来いう事は無し…15時ごろ納竿。迎えに来た引き船に引かれて港に帰り仮屋湾を後にした…。「福岡釣岳人クラブ」の皆さん有難うございました。






〜 知人のログハウスで月見と万年山登山!  〜

ススキの穂並みが銀色に揺れる万年山々頂…

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2010/11/21 晴

玖珠町知人ログハウス(美人の湯近く)(14.40)牧野道ゲート駐車場(15.00)休憩舎&水場(15.27)
万年山々頂(15.40~55)ゲート駐車場(16.21)玖珠町知人ログハウス(美人の湯近く)(16.49)




 11月 21日・・ 晴

 かって勤めていた会社の上司が8年ほど前、リタイア後に万年山麓に別荘のログハウスを建てられたことは聞いていて、是非いつかはお誘いください…と冗談半分に話していたら「家の別荘にはお酒を飲まん人は呼ばん事にしております…」と笑いながら返事されていたので、資格外れという事で諦めていた。

 元上司のSさんは、我々現場で仕事する人間にとっては直接ご縁のない人で、本社のエリートコースを順調に登りつめ最後は副社長のイスにつかれた…。最盛期には15000人を越える社員を抱えた会社組織の中で、現場の一兵卒である私とそんな本社のお偉いさんとの接点は「山」だった。

 40数年在職中に業務上でそう何度も会う機会は無かったが、会社の山岳部に籍を置いていたころ、学生時代に登山愛好家だったSさんと何度か一緒に宝満山の山小屋などで一緒している中に顔見知りになり、仕事を抜きにして彼の人柄に惚れお付合いをさせて貰って現在に至っていた…。

 大の酒好きのSさんと、何度か酒席を一緒したが何時も「Kさんが飲まんけん…」と何時も気を遣って呉れ、「一合ぐらいは飲まんといかんよ」と柔和な眼差しで叱咤激励?されたこともあるが、「私は、5年前のヒマラヤトレッキングから山と遠ざかってしまいすっかり身体が鈍ってしまった」と、反省しきりであった。

 そんなSさんから、NKCの山仲間のMさんを通じ、井尻で焼き鳥屋をしている元同僚で山仲間のTさんと三人で是非来てください…と、お誘いを受けた。他の二人はお酒と大のお友達だが私はトンデモナイ下戸でチョット招待客には向かないが、Sさんが「Kさんには美味しいものを召し上がって貰いますから…」だった。

 で、当日は四人一緒に行きましょうとSさんに言うと、「イヤ私は湯布院の森号で先発し色々と舞台づくりをしておきますからあなたたち三人で来てください」だった…。という事で、13時ごろ私の車で出発し玖珠町の美人の湯温泉へ向かった。

 現地につき携帯電話で「今周辺まで来ています…」と連絡し、道順を聞いて万年山登山口へ向かう道を登って行くと「美人の湯温泉」があって、その先で上から歩いて出迎えに来られたSさんが手を振って「いらっしゃい待って居ましたよ」と歓迎してくれた。

 道の両側には分譲の別荘が斜面の上に向かって立ち並び、色づいたカエデやモミジ、クヌギの黄葉が盛りで、至る所に真っ白な山茶花の花も見えた…。Sさんの別荘は建て増しして二棟連結した二階建てのログハウスで、標高は400m程だそうで玖珠盆地の向こうのキツネ色に枯れた草原の山が展望できた。

 Tさんこと、焼き鳥屋のマーちゃんは正月三が日だけが休業日という超多忙の身で、奥さんと二人で朝の仕入れや仕込みから営業までこなしながら、店の閉店時間の夜中まで頑張り、睡眠時間5時間ぐらいで毎朝欠かさず10kmのジョギングを実行している素晴らしい男で、産地は、おどみゃ島原の…子守唄の島原で、数多い友の中でも心底尊敬できる人物である。

 もう一人のMさんこと、テッチャンはN社の入社同期生でその後、社内の山愛好者で立ち上げた「西日本かもしかクラブ」創設時以来の親友で、二度に亘る会の遭難事故では命を懸けて当事者であった我々を支えてくれた恩人でもある…。その彼も、今は、山からすっかり遠ざかって地域の老人会の会長として活躍している…現役時代は、名前の通り(徹也)徹夜マージャン徹夜ドリンキングはどんと来いだった…。

 まだ、酒の時間にはちょっと早いので万年山まで登ってみませんか?とSさんに言うと、「そうですね今から登ると16時半過ぎには帰って来られますね…」で、別荘を後に登山口へ車を走らせ、標高900m付近の牧野道ゲートのある駐車場に15時少し前についた。焼き鳥屋のマーちゃんはやる気満々…登山靴に登山シャツ、リュックに身支度…我々三人はウオーキングシューズで手ぶら姿だった。

 駐車場からゲートの横を通り抜け斜面に広がる牧草地帯には、刈り取られロール状に丸められ白いキャンバスで覆われた牧草がゴロンゴロンと転がり、北海道の牧歌的風景を思い起こさせた…高原の風は冷たかったが柔らかな陽光が爽やかで、マウンテンバイクかお馬さんで駆け巡りたくなった…何時もこんな牧草地帯を見るとスティーブマックイーン主演の大脱走のシーンを思い出す…鉄条網に絡みつかれた姿を。

 夫婦の石像の祀られた祠に手を合わせ、ブラブラと舗装された牧野道を30分ほど登ると、左手に赤屋根の休憩舎が見え水場などがあり舗装道は此処までで、整備された遊歩道状の山道になった。少し登って振り返ると牧草地帯に転がる白いロール乾草が小さく見え、逆光に銀の穂並みとなって光るススキ原を登り上がると大きな標識が立つ、平頂の万年山々頂だった。

 天気は快晴だったが日照り続きで遠くの方は霞み、湧蓋山の向こうの久住の山脈も霞み硫黄山の白い煙りが真っ直ぐ立ちのぼっていた。焼き鳥屋のマーちゃんは「この山頂は40年ぶりだ…」と感慨深い様子だった。

 15分ほど山頂台地付近で周囲の景色を楽しみ、傾いた秋の夕日を背に下山の途についた…。Sさん71歳、マーちゃん72歳、テッチャン72歳、私が73歳…と、超ロートルパーティの散策だったが、意外にSさんの足取りが軽かったのは驚きだった…。(後での話で、自宅から牛頸ダム周辺までほとんど毎日、愛犬と散歩しているそうで足が軽いのも頷けた)

 駐車場から振り返ると万年山の向こうに夕日が隠れて行くところで、正面遥かに由布岳がその特徴ある双耳峰を見せ、足許の切株山から舞い上がったハングライダーが鳥のように周回を繰り返していた…。

 17時少し前に別荘に帰り着き荷物などを部屋に運び込んだ…。後から建て増ししたログハウスの一階は居酒屋風つくりで、部屋の中央には炭火焼などが出来る設備がされた長いテーブルがあり、天部には排気用の凝った格子作りのダクトがあって本格的だった…。その部屋の壁には13年前に私が贈った槍ケ岳の写真が飾られていて嬉しかった。Sさんが、支度をしている間に温泉に入ってきてくださいと勧められ、お言葉に甘え一番湯を使わせてもらった…。

 温泉は温度が低いそうで追い炊きをしなければぬるいそうだが、お湯は透明無色で肌に触れるとヌルヌルし、近所にある美人の湯の名前の通りにお肌に大変優しそうだった…。風呂から上がって部屋に戻るとすっかり炭火も熾り準備が整い試合開始いつでもOKだった…。

 薄暗くなってきた東の空には真ん丸なお月様が姿を現し舞台装置を盛り立ててくれた…全員お風呂を終えてすっきりしたところで宴会開始…!玖珠牛のカルビやステーキを炭火に載せて焙り先ずはビールで乾杯…三人は焼酎からお酒…と満足げな笑い顔でグビグビ開ける…私は、美味しい玖珠牛のカルビを戴き焼酎をちょっぴり付き合う…こんな別荘で美味しいご馳走を戴けるなんて思ってもいなかったので、招待主のSさんに感謝々…。

 宴の最中にマーちゃんがやおら立ち上がり、「五木の子守唄を一人四部合唱で唄わせていただきます…」と、おどみゃーかんじん…かんじん♪…の調べを切々と原曲で披露してくれ皆を感激させた…。私は、もつ鍋やホタテ、サザエなどの料理を満腹し宴もたけなわな10時ごろ轟沈…Sさんに勧められ二階のベッドへ退散…夢の世界へ。翌朝聞くと彼らは2時過ぎまで呑んでいたとか、部屋には清酒や焼酎の空き壜が転がっていた…。

   22日・・雨

 昨日、マーちゃんに明日は早く起きて湧蓋山へ登りに行こう…と話していた。ところが、7時頃カーテンを開けて外を見ると昨夜の月夜が嘘のような雨!で、またベッドに潜りこんでしまった…9時ごろテッチャンが朝食の準備が出来たよと起こされる。マーちゃんはまだ熟睡中だった。

 マーちゃんを起こすと「何時?」と訊くので9時だよと云うと、「えっつ、寝過ごしてしまった」と雨が降っていることは知らず湧蓋山に行けなかったとがっかりしていたので、雨が降っているから起こさなかったんだと云うと、信じられないという顔で窓から外を見ていたが「良かった…昨日、万年山にだけでも登れたから」と諦めていた。

 旧館の二階の部屋から吹き抜けの一階を見るとテーブルの上にはSさんとテッチャンが作ってくれた朝餉が用意され、ちゃんとビールまで用意されていた…マーちゃん曰く「朝寝に朝湯、朝酒まるで小原庄助さんダナ…」と恐縮しきりだった。ご飯は玖珠の新米、吉四六漬け、玖珠どんこ入りのカレーに豚まん…ペロリ完食!ご馳走様でした。

 皆で後片付けをして小雨降る別荘を後に帰路へ着いた…。Sさん大変お世話になりました  






〜 愛車ロックホッパーを駆ってヅーベット山へ!  〜

ヅーベット山麓のノリウツギの花…

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2010/5/21 晴

自宅(9.32)基山(10.40)鳥栖(11.02)吉野ケ里町、坂本(11.50)脊振村、ヅーベット山?登山口(13.27)
ヅーベット山?(725m…私の高度計で)(13.49)登山口(14.03)三瀬村休憩(14.46~52)三瀬トンネル(15.02)曲淵ダム(15.15)
小笠木峠(15.42)自宅(16.28)




 5月 21日・・ 晴

 「ヅーベット山」という、カタカナ名の山が佐賀県の脊振村にある事は随分前から知っていた…。どんな謂れの山だろうと興味はあったが是まで登る機会が無く今日に至っていた。

 息子が先日チャリで、小笠木峠〜三瀬峠〜神埼〜坂本峠と三つの峠越えをする100キロランをした…と、メールで伝えてきていたので、私は、その逆コースを辿ってみようと思い立った。

 前日、地図で走行予定地を見ると、吉野ヶ里町から佐賀市の脊振村を経て三瀬村へ向かう県道46号線の途中で「ズーベット山」の近所を通ることが分かり、100キロランにアクセントをつける為に、謎の山「ズーベット」を偵察し、登る事が出来たら登って来よう…と、Mtbラン100km+「ヅーベット山」を目標に設定した。

 で…、結果から先に言うと、出発前にインターネット検索しておれば謎の山「ズーベット山」の記録はかなりあって、それをインプットしていたら、あっさり山頂に立てたかもしれなかったが、そういう事前情報が無いまま出発し、現地付近でポツンポツンと点在する人家を訪ね、地元の人たちに「ヅーベット山」について尋ねた…。

 山村の人家は田植えなどで不在らしく、たまたま縁側で来客とお話されていた一軒目の人は「申し訳ないが聞いた事が無いなー…」で、二軒目は、野良作業から帰って来たばかりの80歳くらいのお爺ちゃんをつかまえ尋ねると「大方の事は知ってるけれど、何処から登って行くやら詳しい事は分らん…」で、「多分この向こう側にある山だろうが此処からは見えん…」だった。

 お爺さんにお礼を言って46号線を少し三瀬方面へ漕いで行くと、コーラ等の自動販売機の前でバイクを留め、休憩中の郵便配達人が居られたので挨拶をし、委細を話すと笑いながら生粋の佐賀弁で「おいも、この辺の事は大概知ちょうが「ヅーベット山」にゃー行った事はにゃー…」と云いながら、メモ用紙に目的方面への地図を描き書きながら、「大体、この林道がそうだろうと思うが登山口が何処か知らん…」だった。

 どうも有り難うございました…とお礼を言って出発、46号を少し三瀬方面へ走り、途中から左折、白木方面へ向かう県道に這入り、郵便配達の人が教えてくれた峠を越して二本目の林道から左折した。

 林道は初めの部分はコンクリート舗装で、今はあまり利用されていないようだった…。途中、昼食をとるタイミングを外してしまい、腹の虫も泣いている筈で時計を見ると13時15分だった…!道の真ん中に愛車を寝かせ、その横にどん座ってアップルパンとキンカン入りのスペシャルドリンクの昼食をとった…。

 昼食を終え、植林の中の林道を漕ぎ登って行くとコンクリート舗装が終り、アスファルト舗装になると傾斜は緩やかになり山腹を巡る道になった。

 昼食場所から5分ほど登った左手の立木の枝に赤テープが垂れ下がっている場所があったので、此処が「ヅーベット山」の登山口かも知れない…と、藪の中に這入って植林の中を見ると、尾根方面へ向かって木の幹や枝などに入り口と同様な赤テープが連続してつけられていた。

 (帰宅し、ネット検索で分かった事だが、本当の登山口は此処から1km程先にあり、登山口標識もあったのだ…私は、多分「ヅーベット山(729m)」ピークの西側にある無名ピーク(737m)の肩付近に登ったようだ)

 杉の植林の中を赤テープを目印に登って行くと、赤テープに混じって黄色のテープ類も所々にあったが踏み跡の形跡は無く、ヒョットしたら是は「ヅーベット山」へのルートではないかも知れないな…そんな気がしたが、取り敢えず尾根まで登ってみようと杉の落ち葉や枯れ枝の散らかる斜面を、チャリンコシューズで誤魔化し登って行った。

 こんな植林の中は迷路みたいなもので、途中から伐採用目印に付けられた赤テープが増え、どのテープが登って来た時に見たテープか判別がつかなくなってきたので、要所々に切り株の上に石を載せたり、木の枝を立てたりして帰路の道しるべを作りながら登って行った。

 尾根が近くなって明るくなると、植林の梢をザワザワと鳴らして渡る五月の風に乗って、カッコー…カッコー…と、鳴く啄木鳥の涼しげな声が汗ばんで登る私を応援してくれた…。

 登り始めて約20分、13時49分に植林の切れた稜線に出たが山頂らしき形跡は無く、勿論、展望も望めなかった…らしき証拠品はこの苔むした岩だけだった…。

 という訳で、私の「ヅーベット山」は楽しみを先延ばしにして終了した…  帰って、ネット検索の結果、やはり「ヅーベット山」というカタカナ文字の山名に惹かれ、登山者のみならず大勢の人が、喧々諤々…山名の謂れ(アイヌ語ではないだろうか…等など)について賑わっていた。

 因みに、「ヅーベット山」のヅーベットとは、明治14年、当時の神埼郡村誌資料には「胴別當山」と記載されているそうで、それが、どんな経緯があったか知らないが「ヅーベット山」になって行ったのでしょう?

 「ヅーベット山」を検索していたら、昭和11年11月、この近辺の山中に「パリ〜東京間15000kmを100時間以内で結ぶ懸賞飛翔大会」に挑戦中のフランス人パイロット「アンドレ・ジャピー氏」の操縦する、赤い羽根の愛機「コードロン・シムーン」が、悪天の為墜落し、村民が総出で捜索救出作業に当たり重症のジャピー氏を救出、病院で治療回復後、村を訪れ村民に謝意を述べたそうで、墜落現場の山中には記念碑も建っているそうで機会を作って「ヅーベット山」と現場を訪れてみたいと思っている。


 

 Mtbで登山口まで…一回目の基山(往復52km)から、坂本峠から蛤〜脊振山(往復54km)、古処林道から古処山(往復73km)、そして今回は脊振村のヅーベット山(往復100km)…とエスカレートしてきたが、回を重ねるごとに身体も順応し、さして距離に対する疲労感も感じないのは、なまじ若くない事を自覚し要領良く走っているからだろう…(我武者羅に突っ走らず、峠越しの道や、向かい風のときには適当に力を温存しながら…)

 長距離と気温が高いのでスポーツドリンクを2リッター&妻特製のキンカンドリンクを0,5リットルと多めにザックに入れ、9時半過ぎに大野城の自宅を出発した…。風は生憎の南の風で向かい風…チャリでは登り坂もきついが、この向かい風が結構スタミナを消耗する…。

 という訳で一回目の休憩ポイントは早めに取って、30分ほど走った武蔵寺公園…此処でジャージーズボンを脱いでサイクルパンツになって身軽になった。

 なるべく車の通行量の少ない道を選んで走るのが少しぐらい遠回りになっても疲れない…基山直前までは九州高速道横に付けられた道を走り、基山から鳥栖まで裏道を走って一旦国道34号に這入ったが、鳥栖市内の養父から小城に抜ける県道31号線に這入った…途中、場所は鳥栖市のどの辺だったか分からなかったが、建設工事真っ最中の新幹線ルートが陸橋の上から眺められた…時計は11時09分だった。

 麓付近までは道路拡張がされ路側帯の歩道部分も広く走りやすかったが、その先は、路側帯も無くすぐ横を大型トラックが追い越して行った…。上峰町の屋形原から右折し県道46号線に這入り緩やかな登り勾配の道を登り、11時50分ごろ坂本峠から那珂川町に抜ける国道385号線を横切った。

 此処から道は、標高約580mの野ノ峠越しへ向かう山道となったが、通行する車の数が少なく早苗が植えられた水田や、緑滴る山里の風景が目に優しく、老骨に鞭打ちスローギアで漕ぎ登って行く私をフォローしてくれた。

 初めて通る道だから峠までの距離や方向が分からないので、腕時計の高時計を見たり山の端の低い所は何処だろうと思いながら登って行くと、道端に観音様が祀ってあり、道を挟んで反対方向の切り通しから冷たい水がジャージャーと勢いよく落下していたので頭からかぶってヒートダウンした。

 観音様に洗礼のお礼を言って元気百倍…愛車に跨り出発するとカーブの半径がだんだん小さくなって高度を稼ぎ、前方が開けて来ると標高580mの野ノ峠で、峠を越えると脊振山系とヅーベット山の間に挟まれた盆地に、旧脊振村の集落等が道の両側に現れた…

 前述の偽ヅーベット山登山終了後、林道を46号線に戻っていると、谷川の上に真っ白な蝶が乱舞している様に咲いたノリウツギの花を見て思わず急ブレーキ…ヅーベット山の想い出にシャッターを切った。

 14時15分ごろ、林道から46号線に戻り、緩やかな下り勾配の道を気持ちよく駆け下って国道263号線に出た…。此処までの静かなサイクリングロードから一転、諸車が排気ガスと騒音をまき散らし通行する国道は交通弱者のチャリンコは肩身が狭い…(前原国土交通大臣さん交通弱者に優しい道作りをお願いします)

 三瀬有料トンネル手前のケーキ屋さんで一休み…美味しいソフトクリームを頂き、エネルギー補給…疲れた身体を労わった。

 自転車もトンネル通行できるのか…?と料金所で尋ねると「ハイ通れますよ30円で…」だった。金、30円を払ってゲートを通過しトンネルに這入ると狭く暗く想像したより長かった…。

 ニ輪通行スペースは、ほんの50センチほどで区分ラインがギザギザになっているので、その上を走るとガタガタとショックが激しいのでついつい車道側よりを走る事になり、追い越して行く車がセンターラインを越えていくときの摩擦音が、戦闘機が低空飛行して行くときのようで生きた心地はしなかった…

 少しでも早くこのトンネルを出るには飛ばすしかない…!トンネル内は福岡方面へ向かって緩やかな下り勾配らしく、スピードは50km/hは越していた。「トンネルを抜けると雪国だった…」では無かったが、青空と空気がとても新鮮だった。

 トンネルを出ると目の前には遊園地の巨大滑り台のようなループ橋が待ち構えていた…。トンネル通過は命懸けだったがループ橋走行は路面もグリップがよく、程良い下り勾配とカーブがとても快感だった…。

 あっという間に野河内を過ぎ曲淵貯水池…トンネル入り口から僅か15分だった。その余韻を愉しむために曲淵トンネルは通らずに貯水池サイドを巡る旧道に這入って一休み…湖畔でルアー釣りを楽しむ釣り人の姿が心なぐさめてくれた…。

 小休止後出発、内野から小笠木峠へ登り返し、那珂川町から春日市の白水池横を経て16時28分に我が家に無事帰着した。ザックを下して真っ先に愛車の手入れ…綺麗に拭きあげ今日一日の労をねぎらった。

 宿題となった「ヅーベット山」登山とジャピーさんの飛行機墜落に纏わる話、楽しい一日だった…是非もう一度出掛けてみたい。  






〜 愛車ロックホッパーに跨り古処山へ  ! 〜

古処山々頂のウツギと江川ダム…!

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2010/5/16 快 晴

自宅(10.08)吉木(10.36)秋月(11.36)展望広場(昼食)(12.10~22)林道登山口(12.41)古処山(860m)(13.25~31)
林道登山口(13.53)⇒秋月(14.10)⇒安野(14.50)⇒自宅(15.37)




 5月 16日・・快 晴

 発掘作業の仕事がお役所の都合で、3月18日から約二ヵ月間待機期間となり、お陰で山の方は順調に登る事が出来て良かった…が、懐の方が寂しくなっていた。

 それが、一昨日お役所から、永らく待機をさせましたが17日の月曜日から又頑張って貰っても良いでしょうか…と、電話があった。

 「あー、お声のかかるのを待っておりました、月曜日から宜しくお願いします…」という事になり、雨天日、土日休日以外は仕事になって山行き回数も少なくなるし、6月に這入ると17日間もアメリカ旅行で尚更山行き日数が少なくなるので、今日は、13日に坂本峠までMtbで山行きしたばかりだったが、秋月の古処山へMtbで走って来た。

 10時過ぎ、愛車に跨り自宅を後にペダルを踏むと、身体を撫でる初夏の風が心地よく、何処までも漕いで行けそうな気分になった…家を出るときは、久し振りに九千部山へ登ってみるか…と、出発したが、10分程漕いだ付近で秋月の古処山へ行ってみようとコロッと気が変わった。

 秋月方面へは国道386を甘木手前まで走って行っても良いが、夜明けダムへ行った時、車が多く車線も狭く走り辛かった思いがあったので、大宰府天満宮の手前から小さな峠を越え吉木へ出て、少し起伏はあるが山家から筑前町の山手を走る県道を選んだ。

 吉木付近から峠越えの道に這入る手前の田んぼは、たわわに実って風に揺れる黄金色の麦が目に優しく、別名「竈山」と呼ばれる宝満山が麦畑を見下ろし豊作を祝っているようだった…。

 Mtb旅行の良さは、旅行ガイド本には無い、即興の「オンリーワンの旅の風景や情緒」に出会える楽しみがあるからかもしれない…あの峠、川、村、街の向こうには、どんな世界が待っているのだろうとの期待感からペダルを踏む足も軽くなる…スローライフに幸多かれだ。

 写真を撮って愛車に跨り出発したら、横をロードタイプの人が手を上げて追い越し見る間に差が開いて行った。

 私は、好んで競争するつもりはサラサラないが (いい年をして) 自分の体力テストの確認に、どれくらい連いて行けるだろうか?という好奇心と挑戦心が胸の内から湧きおこる。脳が、漕いでみろ!とハッパをかけるので、それに応えて身体が反応し200mほど先を行くロードレーサーの後を追っかけた…。

 小さな山越えの道は、横にギャップの少ない広い歩道部分もあり、日曜日で大型車の通行も少なく行楽のマイカーが時々追い越して行くだけでとても走りやすかった…。

 目標(先行者)を決めてのペダリングとなってシフトアップ、先行するロードレーサーがカーブを曲がる毎にに少しずつ大きくなってくる…彼は若く、パワーがあるので登り勾配道を高いギアで走っているが、ロートルの私は、足に負担が少ない低いギアにして回転を多くし、パワーを温存しながら登って行った。

 峠のトンネル中央付近が登り勾配の終点で、途中から下り勾配にかかった付近で先行のロードレーサーに追いつき、下り坂の道を快調に並走しながら声をかけた…。

 まさか、Mtbの私が追いついて来るとは思っていなかったらしく「アーびっくりしました…ヨ!」と私を見ながらニッコリ笑い、「写真を撮って居られたのでまさか追いつかれるなんて思ってもみませんでした…」に、私も、追いつけるとは思っていませんでしたが追いつけてラッキーでした…など話しながら、山家迄、下り勾配の道を駆け下って行った。

 山家道から朝倉方面へ向かう青年と別れ、私は山手の県道を走って道の駅「みなみ」に立ち寄りショウトブレイク…手漕ぎの井戸で遊んでいた女の子に頼んで水を汲んで貰い頭からかけて貰った…私が、ウアー冷たい!心臓が止まるかと思った…と、冗談を言うとキャーキャー笑い転げていた。

 可愛らしい水汲みお嬢さんにサヨウナラを言って道の駅を後にした…適当なアップダウンの道は平坦な道を走るよりメリハリがあって私は好きだ。青空と緑滴る里山…美味しい山の空気を胸一杯に吸い込んでペダルを踏んで行くと、登り勾配頂点付近を漕ぎ登って行くオレンジ色のサイクルジャージーを着た二人の姿が見えた…。

 二度程アップダウンの道を下ると、甘木市内を迂回する国道バイパスに出たが、その付近で先行していた二人を含めた10人ほどのサイクラー達が休憩していた…私はこのコースは今日初めて走ったが、適当なアップダウンと走りやすい道路…自然豊かな環境、そして、山紫水明な秋月城下町巡りとサイクリスト達には定番コースだったのではないかと思った。

 バイパスから旧道に這入るとこの道は、過っては秋月城下町を経て八丁越えへ続く由緒ある道で、道を挟んで立ち並ぶ家々は歴史を感じさせ「花往還」のネーミング通り、各、家々の前には季節の花が植えられ、行き来する人たちを優しく送迎していた…。その外れ付近の公園前には神社が祀られていて、説明文を読むと我国最古の神社だと書かれていた…。

 こうした旅先の発見にMtbを降りてゆっくりしたり…アップダウンの道路を風を切って走り抜けたり…緩急気ままな行程が楽しめるのがMtbの良さで、自動車や高速交通機関で味わう事が出来ない魅力の一つである。

 道路脇を流れる野鳥川と平行する場所で、正面に今日の最終目的地の古処山が新緑に身を包み、秋月城下町を流れ下って来た清流の向こうに姿を見せた…旧道から八丁越しの国道に出ると愈々今日のメインイベント…標高510mの林道登山口への取りつきで、ギアをシフトダウンして踏み込むペダルに気合を込めて登って行った。

 通行する車が少ないので安心してペダリングに集中でき、低速でボチボチ登って行くと、こんな山の中に「鳴門大橋」と橋の欄干に書かれた長く立派な橋が現れてびっくり…やがて、桂川方面への分岐個所でこの付近からカーブの半径がきつくなり登り勾配も増してきた。12時のミュージックサイレンが麓の街から聞こえてきて間もなく展望広場に辿り着き、燃料切れ寸前の胃袋に特製おにぎりを補給…。

 10分程の昼飯タイム終了後、愛車に跨り広場を出て国道に這入り2分ほどで、石柱に古処林道と書かれた林道入り口…。林道は植林に覆われ狭く曲がりくねって急こう配の道で、息を弾ませ汗を滴らせ…何度も立ち休みをしながら一心不乱に漕ぎ登り、沢音の聞こえる古処登山道5合目に当たる林道終点の広場に12時40分ごろ着いた。

 愛車を登山標識の柱にロック「今から、ご主人さまは山頂まで登って来るので暫く休憩しててね…」と、云い置いて石段の登山道に這入った。

 坂本峠から脊振山に登ったときはウオーキングシューズだったが、今日は、チャリ用のシューズでスリップしやすく歩き辛かったが、注意しながら登って行き、登山口から10分ほどで「牛巌」と呼ばれる場所を通過…何度か小さな谷を亘り返しながら登って行くと、竹の樋から流れ落ちる冷たい山水が目につき、顔を洗ったついでに0,5リッターボトルに頂いた。

 急こう配の谷間の道を抜けると「水舟」と呼ばれる水場で、其処を過ぎると石灰岩が露出する自然林の中の道になり、淡い新緑と落ち葉の斜面に初夏の陽が明るく照り映え、岩場のあちこちには黄色の(ヒメレンゲだと思う…)花や、紫色のスミレの花が目を楽しませてくれ、赤い前掛けをつけたお地蔵さまを過ぎると山頂直下で、天然記念物に指定されたミドリの色も濃い柘植が現れると標高860mの標柱が立つ山頂で13時25分だった。

 ベンチに腰掛け行動食を先ほど汲んで来た山水で流し込みエネルギー補給…改めて下界を見ると、真っ白に咲いたウツギの花の向こうに緑色の水面を見せる江川ダム湖が小さく見えていた。

 もう少しゆっくりしていたかったが、帰路の事もあるので5分程の休憩で下山開始…お地蔵さまに別れを告げ小走りに山道を駆け下り、山頂から20分チョイで主人を待つ愛車のもとへ13時50分過ぎに降りてきた…。

 メットをかぶり、グローブをつけてサングラスをはめダウンヒルに準備万端整え林道から国道を一気に駆け下り、登りに52分かかった道を僅か10数分で秋月に下り着き、往路に立ち寄った弥永の大巳貴神社前の公園で一息ついて出発…帰路は、一旦、国道386号に出て久光から脇道に這入り、安野の娘の家へ立ち寄ってみたが留守だった。

 ヒバリの囀りが聞こえる黄金色に実った麦畑の道を宝満川沿いに走り、高雄付近から3号線バイパスに這入って、水城付近から御笠川沿いの道に這入り15時40分ごろ無事我が家に帰着した…走行距離は、往復73km…比高差は490mだった。








〜 五月晴れを思わせる青空の下を基山へ  ! 〜

基山々頂は360度の展望台…!

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2010/4/25 快 晴

自宅(10.00)天拝山裏(10.32)基山(405m)(11.26~12.00 昼食)⇒柿原峠(290m)(12.26)⇒山口集落(12.37)⇒自宅(13.10)




 4月 25日・・快 晴

 このところ寒の戻りや何やらで、博多どんたくも始まるゴールディンウイークが直ぐそこなのにパッとしない日が続いていたが、今日は、朝から初夏を思わせるカラッとした青空が広がり、絶好のアウトドア日和だった…。

 …という訳で、Mtbに乗って佐賀県基山町の基山行きを思い立った…タイヤチェックなど足回りを点検後、小型ザックに行動食とスポーツドリンク等を入れ10時ごろ自宅を出発した。

 頭で描いた計画は、あまり車や人の通らない経路を走る…だったので、大野城市から筑紫野市と川土手の道や裏道、高速道路横の道などを走って、10時半ごろ、紫色のフジの花が綺麗だった天拝山裏手の休憩ポイントで一息ついた。

 高速道横の道から平等寺へ抜ける県道に這入り、八反田橋から左折し、基山へ向かう九州自然歩道のコースに這入った…橋の麓には、10人ほどのグループが登山準備の体操などしていた。

 上にある集落までは、急こう配の舗装道路でギヤをローギヤにしてエッチラオッチラ漕ぎ登って行くと、田んぼの畦に自然歩道の標識があり「基山まで2,2km」と記してあった…

 新興住宅地の集落を過ぎると舗装道路は切れ、自然歩道にふさわしい山道になった…。場所によっては平坦な部分もあって乗って漕いで行ける区間もあったが、轍(ワダチ)で山道を痛めるのはマナー違反だから…と、押し歩きと担ぎ歩きで竹林や雑木林の中の道を息を切らしながら登って行った。

 11時2分に自然歩道を横切る切り通しの林道に出た…道の際には、紫色の可愛らしいスミレの花さん達がお出迎え…雑木林の向こうからは小鳥さん達の囀りが「自転車爺さん」にエールを送ってくれ、汗びっしょりの身体を労わってくれた…。

 林道を突っ切り再度自然歩道に這入った…此処から次の林道横断個所までは何度も担ぎ歩きの区間が多く、額から流れ落ちる汗が目に滴り落ち、シャツの袖で拭いながら登った…吐く息、吸う息は荒々しく、心臓はフル回転だった!

 二度目の林道を横断するところには、下山中の10人ほどの中高年グループが休憩中で、私が自転車を担ぎあげて現れたのを見て皆さんびっくり…口々に「何処から来たの?」「何処まで行くの?」だった。経路を説明すると「お幾つ…?」だったので、「若干72歳になります」というと、男性の方が「凄かですね…鉄人バイ」とお褒めの言葉が尻こそばゆかった…。

 「気をつけて…」の言葉を頂き山道に這入った…。植林の中の道を押し歩きで登って行くと、上から下って来た30人以上の団体ツアー登山グループと離合…道の端によけて道を譲っていると、皆さん夫々に驚いた顔して私の顔とMtbを見比べながら下って行かれた…。

 植林帯の中を抜けて前方が開け青空天井が現れると、草スキーで有名な基山のなだらかな草の斜面が現れた…。若々しい新緑とコバルトブルーの空…此処はミニモンゴル草原だ!Mtbを草原の麓のベンチの横に立てかけロックし、そのまま山頂に続く草原のスロープを登って11時32分ごろ、360度の展望が楽しめる標高405mの基山々頂に登りついた。

 山頂北側にある展望台付近へ行くと、ロープで囲われた一角に珍しい花が咲いていた…(近頃、植生されたようだった)山頂からの眺望を少し楽しんで草原の山頂から下山…Mtbを置いた場所に戻り昼食タイムにした。

 皐月の風と陽光をおもわせる好天と緑の草原…長閑で平和そのもののひと時だった。12時ごろ、自然歩道の案内標識に導かれ「柿ノ原峠」方面への道に這入った…舗装された道をMtbに乗って緩やかな斜面を登って下りにかかった時、手袋をはめていない事に気づいた…。(本当にこの頃はこういうポカが多くなった…)

 多分、休憩した所に置き忘れしてきたのだろう…と、Uターンし其処に戻り探すが見当たらなかった。それもその筈、何の事はない!手袋はジャージーのポケットに入れていたのだ…ショック!自分自身のアホさ加減に苦笑いしながら、下って来た道を登り返し漕ぎ登って行った。

 舗装された1,5車線の道は快適で離合する車も来ないので安心だったが、車が来ない筈で、先の方では何か所も崖崩れで通行不能だった…Mtbは担いで何とか土砂崩れの上を通り抜ける事が出来ヤレヤレだった…。

 暫く下って行くと突然人家が現れ、道路で、若いパパさんが小さなお子さん相手に遊んでいた…。其処から自然歩道の標識が右手の山を示していたので、挨拶して「柿原峠」はあの山越えの道ですか?と訊ねると、笑いながら「そうですが、あそこを自転車で通るのはチョット大変ですよ…この道路を下って基山〜平等寺腺に出た方が良いでしょう」と親切に教えて頂いた。

 教えに従い暫く下ると通い慣れた平等寺から筑紫野へ向かう二車線道路に出た…其処から5分ほど漕ぎ登ると県境の峠で12時25分ごろだった。

 後は、下り一方の道で、時速○○kmで風を切って駆け下り、山の神ダムサイトから山口集落に這入った…集落の少し前で、道端に座ってスケッチをしている人がいたので何をスケッチ?と、その方向をみると山際の農家の裏山に、赤やピンクの色をしたツツジが咲き、里山の遅い春を彩っていた。

 暫くその絵葉書のような景色を眺め出発…往路を辿って13時15分ごろ自宅に無事帰着した…。






〜 「サイクルツアー in 北九州 」120km 完走しました! 〜

スタート前の4人…

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2009/11/1 雨

メデァドーム(9.25)空港合馬黒崎中間芦屋ゴール(15.42)




 11月 1日・・雨

 昨日までの好天は何処へ…予報通りに、大会会場の小倉メディアドームに着く頃からポツポツと雨が降り出し、出鼻をくじかれたようになった。

 そもそも、この大会に出ようと思ったのは、インターネット上でこの大会のHPサイトを見た6月ごろだったと思う…。

 キャッチフレーズが「愉しみながら市街地をクルーズする全国的にも珍しい大会で、信号待ちなどが若干多く走りづらいかもしれないが皆で走る一体感や、自慢の愛車や健脚を沿道の市民に見てもらえるチャンス…」で、一番気に入ったのが「この大会はレースではありませんので、レース志向の方は参加できません」だった…それなら、マウンティンバイクの私でも参加できるかなとエントリーした次第…。

 エントリーしたからには是非とも時間内に完走ゴールしたいのでトレーニングを開始した…知らなかったが、今年初めから山登りを始めた息子たちもエントリーしていたので何度か彼らとも走った。

 120kmのランを想定し、50kmから徐々に距離を伸ばし、宗像往復100km…夜明けダム往復120km…糸島半島一周往復ラン100km…峠越えの練習も、平等寺から柿原峠(310m)越えを二度、河内ダムから峠越え(540m)で那珂川町等をこなし、トレーニングトータルで休憩時間等も含め平均時速19km/hで走れるデータが出て、これなら何とかゴールできるかなという目途も立った。

 メンバー表が送られてきたのを見るとロングコースは240名ほどで、70歳代は私を含めたったの二人だった。その殆どは20代から50代でコリャ場違いなエントリーをしたかな?と少し不安な気持ちにもなった… 

 そして、愈々大会当日を迎え、私と、息子、その友人のK賀くんとS君の4人が二台の車に分乗し小倉へとやって来た…が、雨模様の天気で素人ライダーにとっては先行きが思いやられた。

 三々五々と集まって来てマイカーから降りたサイクリスト達が、それぞれ自慢の愛車を取り出し組み立てたり、エアーチェックしたり余念がない。我々も、雨を避けリアゲートの下で準備開始、服装も雨合羽の上着を着用して重々しいスタイルのなった。

 7時過ぎに受付と車検を済ませ、頂いたゼッケン番号のステッカーをヘルメットの前部に張り付けた…9時のスタートまで時間があったので私の車の後部スペースで朝食をとったりして過ごし、出発に備えた。

 9時過ぎに雨の中、開会式が始まり関係者のスピーチや太鼓演奏等のセレモニーがあった…皆さんの自転車をみるとロードレーサータイプばかりで、マウンティンバイクは我々4人だけのようだった…。

 プログラムより遅れ、9時20分ごろレース開始のファンファーレの音と共に30秒間隔で30台ずつスタートして行った…。我々は、ロードレーサータイプに敬意を表し、最後尾から9時25分ごろ、雨の中の小倉市街に飛び出していった。

 初めのうちは雨が気がかりだったが、走り始めて10分もすると慣れてしまって快調に皆さんの尻を追っかけて漕いで行ったが、車間距離をとっていないと前走する後輪の水しぶきをもろに顔面に受けてしまって大変だった。

 信号待ちで前のグループに追いついたり、追いつかれたりしながら土砂降り状態になった市街地を走り抜け第一ポイントの北九州空港を目指した。

 市街地を抜けると工業団地の用地らしい広々とした場所に出て、通行する車も少ない大通りで走りやすくなり、息子たちと会話を交わしながらペダルを漕いで走って行った…

 と…、目の前30メートル付近に停まっていた乗用車の前で、A4サイズ程の紙に一字一字「香・野・さん・頑・張・れ!」と書いた手作りのボードを持って声援している人がいた…!

 何と、宗像在住の友人、Kご夫婦だった…。先月中旬にお会いした時、遠賀川沿いで待っていますね…と仰っていたので、其処までは何とかリタイアせずに頑張らねばと思っていたところで、この雨の中をわざわざこんな所まで遠征応援に来て頂き、驚きと感謝の気持ちで元気百倍!「ありがとうございまーす!」と応えて空港へ向かった。

 空港に架かる大橋は傾斜も緩くあまりスローダウンもせずに、霧と雨で煙って見えない周防灘からの横風と雨を受けながら走っていると、先行していて脚足の鈍くなった参加者に追いつき、追い越して行くようになって何人か追い越した際に、横を見ると結構年期の入ったお顔の人だったので「若しかしたら70歳代の方ではないですか?」と尋ねると、「そうですよ…」だった。お互いに70歳代ですが頑張りましようと声をかけてお先に失礼した。

 この少し手前あたりから、橋の反対車線を空港折返し後、戻って行く人たちと離合し始めた…お互いに手を振ってエールを送り健闘を祈った…。

 10時半過ぎに空港ビルの奥手の方の空き地にテント作りの第一エイドステーションがあった。バイクを降りて接待のお茶、バナナ、クッキー…を頂く。まだ走り始めて22km、全体の6/1走っただけだから、気力体力とも余裕十分でお互いに笑顔もあった。

 あまり休むと雨で濡れた身体が冷えてしまうので、5分ほどの休憩で愛車にまたがり、空港大橋を渡って次のエイドステーションに向けペダリングを再開した。橋を渡り終えてしばらく行った所に先回りされてあったKご夫婦が待ち構え「頑張ってください!」と熱い声援を送ってくださった…。

 声援を背に受け、車と信号待ちの多い市街地を走り抜け、途中、トンネルもある上り下りこう配のあるバイパスに入った。雨は相変わらず降り続いていたが風の方はさして強くならずに助かった…上り坂もきついが、向かい風のきつさも半端じゃなくエネルギーを消耗してしまう…。

 市街地を抜けて次第に山手に入っていくと愈々このコースの最大標高点の峠越えだ。その、峠越えの手前が合馬の第二エイドステーションで大勢の参加者がテント張りの休憩場所で接待を受けていた…温かいトン汁のもてなしに舌鼓をうち、濡れて冷えた身体が生き返った。

 ご馳走を頂きエネルギー補給したところで出発…此処でも追いつかれたKご夫婦に「峠で待っていますからね」と気合を頂き、胸突き八丁の峠を目指した。

 次第にこう配がきつくなってギアを次々とダウンしていき、車で言うならローギアにしてヨタヨタと時速10km前後で漕いで行った…この登り坂で息子とK賀クンが若さを発揮して私をジリジリと引き離していった…K賀クンが絶好調らしく(糸島半島一周100kランのときは何度もバテテ泣きかぶっていたのに…僅か10日ぐらいの間にこうも変身できるのか!驚いた。後で聞くと、タイヤ交換やサス等の調整をした…だった。)ヘアピンカーブを曲がるたびに彼らの背中が小さくなっていった。

 遅い私だったが、それでも前を行く私より若い人たちが押し歩きをしていく横を歯を食いしばり懸命に漕いで登っていくと、峠の少し手前でKさんご夫婦が大きな声で「ガンバッテー…!」と鞭を入れて頂き、最後のコーナーを曲がると峠で先着した二人が待っていた…。

 待っていてくれた二人に「このまま下るよ」と声をかけ、大好きなヘアピンカーブの続く下り坂を一気にかけ下っていくと、先に下ってあったKさんご夫婦の車に追いつき、「応援ありがとうございました」と声をかけて追い越して行った…峠を下りきったところで、我々は右折し河内貯水池方面へ、雨の中、半日以上も応援していただいたご夫婦は直進し中間方面へとお別れした…本当に応援ありがとうございました。

 次のエイドステーションの黒崎までは殆ど下りこう配の道で、黒崎までの間に2〜30人は追い越して行った…その中の一人、40代の人と黒崎まで10kmほど並走し、私の年齢を聞いて目を剥いてあった…。

 賑やかな黒崎の市街に出る頃には雨もやんで薄日もさしてきた…。街中の交差点を曲がったところの空き地にエイドステーションがあって、テントの下では婦人会の人たち?がご接待してあった。

 此処のステーションでは、カシワの握り飯と御汁粉のサービス…。一杯目の御汁粉を食べ終えると「もう一杯如何ですか?」とのお声に「頂きます!」で、美味しい御汁粉を二杯も頂き、握り飯とで満腹!峠越えで疲れた身体に活力復活!残り半分になった行程もクリアーできる自信が出た。

 5分ほど経ったころ、息子とK賀くんがやってきて合流した。此処で、私の年齢を知った雑誌社のレポーターにインタビューを受け、三人で写真などを撮ってもらった。

 ご馳走になったエイドスタッフの人たちにお礼を言って出発、次のポイントの中間に向かった。この間の距離は10km弱であっという間に遠賀川沿いの河川敷にあるポイントに着いたが、さっき休憩したばかりだったので其のまま寄らずにUターンし、一直線に伸びる遠賀川右岸の堤防道を海岸目指して漕ぎ始めた。

 雨は上がったが、この堤防沿いの道は芦屋付近まで向かい風で気を抜くとスピードメーターの数字が5q/hぐらい落ちてしまった…身体を低く前傾しがむしゃらに漕ぎ続け、ハンドルについたオドメーターの数字が大きくなっていくのが楽しみだった…。

 ようやく、遠賀川沿いの堤防道から芦屋方面への道に入り、此処までは小倉から遠ざかるばかりだったのが、此処からは一漕ぎごとにゴールの小倉が近くなると思うと、また新たな力が身体の奥底から湧いてきて気持も楽になった。

 通行量の少ない道にはポツンポツンと参加者の自転車が見えるがもうここまで来ると、皆んな自分のペースで走っている人ばかりで追い越したり追い越されたりすることは少なくなった。

 第5エイドステーションは、若松区の響灘緑地公園の入り口付近にあって、松林と芝生が広がる絶好の休憩ポイントだった…此処で、茶菓の接待を受け黒崎エイドから約30km休憩なしで来た足と身体を休めた。

 休憩後、公園のなかを抜けて一般道に戻り一路ゴールを目指した…若松区から八幡西区…戸畑区と車や人の行き交う都市部に入ると排気ガスや塵埃が待ち受けていて、此処までの海風や山地の新鮮な空気が恋しくなってしまった…。

 確かに、現在の生活から一気に公害の少ないエコ社会にすることは困難だと思うが、鳩山首相も国連で声を大きく温室効果ガス規制に対する声明を発表されていたが、今日、自転車に乗って120km走ってみてその必要性を実感した…自転車は無公害の素晴らしい乗り物だと思う、大きな物流とか公共の輸送機関は別として、身近な移動手段としてもっと自転車を活用するべきと思う。

 その為には、車優先の道路作りから、歩行者や自転車専用の道路作りに目を向けて、乗りやすい環境を作ってほしいと思う…今は、人も自転車も肩身の狭い思いをして隅っこの方を通行している。政治を司るお偉いさん方や関係機関の方々よ、町の中を走ってみてほしい…。

 渋滞する車の列の横をスイスイと走り抜け八幡東田ポイントと小倉の勝山ポイントも立ち寄らずに通過して、15時42分にスタッフがゴールテープを持って待ち構えるメディアドーム広場に無事完走ゴールした。

 私の自転車のオドメーターでは125,5kmを約6時間でクリアーしたが、是は、トレーニングのときのデータと同じで、今後のツーリングなどに大いに役立てたい。

 息子とK賀君はは遅れること10分ぐらいで余裕のゴールだった…(彼らは、どのエイドでもたっぷりと飲み食いしてきたそうだ…)もう一人の息子の友人のS君も16時半前に無事ゴールインして、皆で完走の喜びを分かち合った。

  






〜 夜明けダム往復・120km ツーリング! 〜

夜明けダム…

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2009/10/10 晴

自宅(10.15)三連水車(12.10)筑後川温泉(12.50〜13,10)夜明けダム(13.27〜32)原鶴温泉(14.10)久留米(15.32)自宅(17.03)




 10月 10日・・晴

 昨日、「サイクルツアー北九州」の最終案内書が届いた…によると、ロングコースが当初の140kmが20km短くなって120kmになっていた。

 ロングコースエントリー者は総勢244名で、70歳代は私を含めたったの二人…10歳代が二人…後は、生きのいい20代から50代までが大半で何だか心細くなってしまった…!

 コースは、途中一か所310mの峠越えがあるが、後は概ねフラットコースなので、峠さえ無難にクリアーすれば時間内に何とか辿りつけそうだ…目標は時間内完走だ。

 先週の宗像方面100kmトレーニングに続いて、今回は筑後方面へツーリングに出掛けた…天候は秋晴れの好コンディションで、背中のザックにおにぎりとお茶などのボトルを二本、カメラやおやつを忍ばせて10時15分ごろ出発した。

 旧三号線を南下して大宰府手前で3号線バイパスを高雄まで走り、丘を越え、宝満川沿いの道から車の通行量が多い国道386号線に這入り甘木方面へ向かってペダルを漕いだ…。

 快調にペダリングをして…と、云いたいところだが、信号停車やぎりぎりに追い抜いていく大型トラック等に気を使いながら、篠隈…新町…と走り抜け甘木市内(市町村合併後、朝倉市になっている)手前の秋月川に架かる橋を渡って土手道から河川敷に這入って1回目の休憩…11時20分ごろだった。

 河川敷は何の設備も無かったが緑の芝生と、清流の流れが約1時間のツーリングで汗ばんだ身体に気持がよかった…その写真をカメラに収めようと小型デジカメに新品の電池を入れてシャッターを…と、するがバッテリー切れのマークが出て写せない!

 ナニッ!…パッケージから取り出したばかりの電池がアウトとは…。試しに、後の電池を取り出して使ってみても空っぽ状態。パックされた状態で賞味期限が切れているとしか考えられない…!

 と云う訳で折角の休憩ポイントでの写真はなし…暫く走った店で電池を購入して、使い物にならなかった電池を見せると、係りの人が気の毒そうに、お買いになった店に持って行って原因を確かめてもらってください…だった。

 とんだハプニングだったが、これが街の中で良かったものの、山の中に這入っていたら貴重な写真は撮ることができなかったし、ランプ類だったら即行動に支障をきたす惧れもあったのだ。是からは、パッケージされた電池でも出発前にテストする必要性があるという教訓を学んだ。

 早速、係りの人の目の前でパッケージを破って電池を入れるとバッチリOKだった…。市内を抜け、暫く国道を走って右手に筑後川の土手が見え始める頃、三連水車の案内看板が目に這入った…。

 もう時期外れだから周っていないかも…と狭い路地道を這入って行くと周っていました三連水車!、重々しく回転している様はSL機関車の動輪のようで、水の力によって周る水車が順送りに水を回して水路に滔々と送り出していて、赤いカンナの花が紅一点風情を出していた。

 時計を見ると12時10分過ぎだったので昼飯にしようか迷ったが、今日は、せめて120kmは走るつもりだったので我慢して三連水車を後に国道に戻り、原鶴道の駅でトイレタイム…5分ほど休憩後出発し、右手に筑後川の流れを見下ろして土手沿いの道を暫く行くと、河川敷の中に降りて行く道があったので降りて行った。

 フラワーロードと書いてある看板があり、原鶴温泉から上流の筑後川温泉まで約5km、自転車と歩行者専用に設置された道路だった…今日初めて胸を張って我が物顔に走れる道に出て気分は爽快!すぐ目線の先をサラサラと流れる筑後川のきらめきがツーリングの歓びを醸し出してくれた…

 小坂和也の「サイクリングの歌」を思わず口ずさんでいた…♪♪サイクリング…サイクリング、ヤッホーヤッホー!!あっという間に川向うに温泉宿などが建つ専用道路終点の筑後川温泉。終点から上りあがった所に筑後川を見下ろす小さなスペースがあったのでランチタイムに決定…12時50分だった。

 愛車を降りてザックを下ろし、靴を脱いで適当な石の上に座ってリラックス…秋の爽やかな川風がほてった身体に気持ち良く、おにぎりの栗ごはんと漬物が最高の御馳走!

 落ち鮎を釣っているのか川の中には釣り人が水に浸かって長い竿を操っていた…その竿が柔らかい秋の日差しにキラキラと光って長閑だった。

 20分ほどゆったりして愛車に跨りペダリング…自転車に備え付けのメーターを見ると、走行距離は50kmになっていないので取り敢えず夜明けダムまで漕いでみることにして、杷木町の旧道から386号線に戻って緩やかな上り坂を登って行った。

 …トンネルを抜けるとそこは雪国だった…ではなく、そこには巨大な堰堤が筑後川の水を堰き止めて満々と水を湛える夜明けダムであった…13時28分だった。写真を撮っていると、国道に平行して走るJR久大線を赤い特急列車が轟音を上げて通過、警笛の響きを残してトンネルの向こうに去って行った…

 5分ほどでUターン、トンネルを引き返し復路の道へと出発した…帰路は、筑後川の対岸に渡って、浮羽方面の川の左岸沿いの道を久留米方面へ…と思っていたが、筑後川は大きな川なので橋の数が少なく杷木町まで往路を引き返さねばならないかと引き返していると、水嵩の低い時だけ利用できる潜水橋が目にとまったので国道から急な道を下り、水面すれすれに向こう岸に続いている小さな橋を渡った。

 すぐ下流側には見上げる高さにJR久大線の鉄橋が空中を渡っていた…水面をのぞくと、大小さまざまな魚影の姿が岩の隙間から隙間へ遊泳していた。

 川を渡って浮羽側に出て直ぐにJRの踏切を渡って、たわわに実った柿畑の中の道を暫く走ると「五庄屋遺跡、大石水道」と書かれた看板があって、神社の横には水門があり、その昔に五つの村の庄屋さん達が力を合わせ、筑後川から水を大石方面へ導入した謂れの場所だった。

 暫く筑後川沿いに走って行くと、河川敷の中に幅3mぐらいの舗装道路があったので土手道から下って下流の原鶴温泉方面へ走ったが、唐突にその道は終わってしまったので、愛車を担いで土手道の石段を上って一般道を原鶴温泉へ走った。

 原鶴温泉まで来ると久留米大橋付近まで約28kmの自転車&歩行者専用ロード…!今日一番のサイクリングに専念できる道路でのびのびと走れるのが嬉しかった。

 自動車や信号などを気にせずにスイスイと走れるという事は何と開放的な気持ちになれるのだろう…風を切り思いっきりペダルを踏んでいく左手には耳納連山が長々と横たわり、前方遥かには佐賀の天山の影が筑後平野の向こうに霞み、右手には古処山から馬見山…宝満山〜三郡山も姿を変えて小さく見えていた…

 景色を楽しんで走れる道…高速道路の建設よりもエコに優しい自転車道路の増設を民主党の大臣さんにお願いしたい…!よろしくお願いします。

 河川敷の中の道を走って行くと、時々、対向してくるチャリンコ仲間たちと離合する…眼と眼でアイコンタクト「お疲れさん…気をつけて!」

 午前中にこのサイクリングロードを使ってマラソン大会があったらしく、フルマラソン折り返し地点標識から1k毎に風船をつけた距離表示板が立ててあった。その標識を見ながら追い風にも助けられ約35KM/Hで快走して片の瀬橋下の公園で一休み…緑の芝生が疲れた身体を癒してくれた。

 5分ほど休憩して出発…久留米大橋が近くなると走る人や自転車の人たちも増えてきて、愈々サイクリングロードの終点が近い事を知らせてくれる…。

 途中からハーフマラソンの標識も加わって次々と標識のオンパレード…。大橋直前でフルマラソンの42k地点があり、その先195m地点にゴールゲートがあって係りの人たちが後片づけをしていた。

 大橋付近の河川敷はソフトボールなど楽しむ人たちで賑わっていた…筑後川を跨ぐ西鉄電車の鉄橋から三号線の下を潜って、その下流側にある橋に登りあがって鳥栖方面への国道に這入った時は15時32分だった。

 長崎本線のガードを潜っている時、ロードタイプに乗った人が追い越して行ったので何の気なしに後を追いかけて行き、信号停車時にその自転車を見ると変速機なしのマシン…若しかして競輪の選手?で、声をかけると「ハイ、早くはないが一応プロです…」とにっこりされた。

 赤信号で追いつき…離され、赤信号で追いつき…平坦路と下り勾配で離され、上り勾配で追い付き(変速機が付いていないので)…そんな事を繰返しながら、追い付いたときは暫く会話をしながら走っていると…彼が「失礼ですが貴方は50歳代ですか?」とクエッション…私が「もうすぐ72歳です」と答えると「エッツ!嘘でしょう」と目を丸くしていた。

 私が、競輪は見たこともありませんが、こうして一緒に走らせて戴いた御縁に貴方のお名前はと尋ねると、「まだまだ若輩者で無名ですが(クニザキ)と云います」と答えてくれた。下り坂でダッシュの練習(5~60km/H)を繰り返す彼に上り坂で追いつき(私も50km/hで頑張った)…以後、約23分間彼と並走し、旧料金所跡で別れる時に彼に云った…「一期一会、もうお会いする事は無いでしょうが、72歳の私でもこれだけ頑張っているから、若い貴方はプロ選手としてもっと頑張らないかんバイ…」と私の思いを伝えた…!

 クニザキさんと別れ一人旅…すぐ横をぶっ飛ばして通る車の多い県道五号線を北上し、湯町温泉手前で降りてのんびりと夕暮れの迫った路地を走っていると、コスモス畑の向こうに宝満山が富士山のように優美な姿を見せて私を労ってくれた。

 我が家の近くなった御笠川土手道をクールダウンしながら17時03分ごろ無事にロングツーリングトレーニングが終わった…走行距離は119,93kmで休憩時間を入れて約7時間だった。






〜 宗像市往復・100kmツーリング! 〜

釣川河口のモアイ像…!

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2009/10/3 晴

自宅(9.15)香椎(10.20)福間(11.10〜20)⇒釣川河口(12.07〜28)⇒東郷(12.55)⇒宇美町(14.19)⇒自宅(14.35)




 10月 3日・・晴

 来月一日に北九州市北区小倉で開催される「サイクルツアー北九州 in メディアドーム2009」ロングコース(140km)にエントリーしたのは六月だった…。

 競技レースではないというキャッツフレーズだったので距離は長いが何とかなるだろうと、通常参加料金は5000円だったが六月いっぱいに申し込むと、早割り料金4000円という事で早々とエントリーした…。

 MTB自転車はもう10数年前に購入していて、もっぱら山登りのトレーニング専門に乗っていたが、偶には、レースに参加して自転車仲間たちと交流するのも面白いだろうと、気分転換も兼ねて申し込んだ次第…。

 ところが、知ってか知らずか富士山に登った息子たちグループもエントリーしたらしく「呉越同舟」と相成り、心強い味方が出来たようで練習にも自然と気合が入る。

 出場するからには何とか完走はしようと思っているが、今まで最長距離は100km程だったので140kmは未踏距離で、レースまでには150km走行は一度はしておかねばと、前々回が50km、前回が70km…と少しずつ距離を伸ばしてきた。

 という事で、今日は、100km走行に挑戦!…天気は、前日の雨も上がり風は強いが良い天気で助かった。

 往復して100kmになるコース選定に迷ったが、前、二度とも山地を走ったので今日は海岸方面へと地図でチェック…糸島方面か宗像方面のどちらにしようと迷ったが今回は宗像方面へ回ることにした。

 9時15分ごろ自宅を出発…コスモスのちらほら咲く御笠川の土手道を走って、空港手前から右折し宇美町から博多区に這入り、多々良川を渡って三号線を香椎まで走って旧三号線に這入った…。

 風は、概ね向かい風で骨折ったが何とか漕いで、和白から新宮…その先の古賀を過ぎたあたりで海寄りの道に這入って、松原と住宅地の中の細い道を走っていると、すぐ横には廃止になった西鉄宮地嶽線の線路跡が侘びしくその残骸を見せていた…。

 やがて福間の海岸通りに出ると直ぐに海に面した公園があったので這入って休憩…白い砂浜と青い空…潮の香りを乗せた海風が少し疲れた体を癒してくれた。

 10分ほど休んでリフレッシュ…!左に玄海の海原を見ながら快調にペダルを踏んであっという間に津屋崎の町を通過した。橋を渡った所にあっちこっち方面を指した案内板が立っていたので小休止をかねてルート選定…。

 右折して暫く行ったところでセンターラインのついた大きな道を選んで走ると、段々勾配がきつくなってどうも戻っている感じ…これは可笑しいと止まって確認したらこの道は東郷公園に続く道だった!Uターンして元の道まで引き返し…。

 恋の浦ガーデン前から車の通行の少ない道をスイスイ走り、神湊付近で大通りと合流すると此処からは行楽のマイカーが多くなり、路側帯の狭い道はすぐ横を追い抜いていく車で神経を使った。

 12時のサイレンを聞いてまもなく、大きな川に懸かる(後で釣川と知った)橋の手前にモアイ像?の立つ休憩所があった、向こう岸には「道の駅宗像」があって沢山のマイカーが止まって賑わっているようだった。

 走行距離は51kmで自宅を出て約3時間だった…今回の計画の100km走行のちょうど半分走った勘定で、タイミングも良かったので自転車をモアイ像に立てかけて昼食タイムにした…。吹きわたる海風を受けながら戴くオニギリは何に増しても御馳走だった!

 腹を満たしたところでモアイ像に別れを告げて出発…。釣川の土手道を走って宗像大社を横目に田んぼの中の道を行くと、今朝、北アルプスから戻ってきたばかりのラッセルUさんの住む大井台…で、東郷駅前から日の里団地を抜けて三号線に這入り、追い風を味方に平均速度40KM/Hでぶっ飛ばし、流交差点から左折、県道「古賀大宰府線」に這入った。

 途中のコンビニで小休止、「白クマ」くんを買って温もったエンジンを冷やした…気分一新、我が家までガンバローと思ったがこの県道は自転車で通る道では無かった…!

 兎に角、トラックが多い…道は狭い!白ラインの引かれたほんの気持ちだけの路側帯は草が覆いかぶさり、ごみが散らばり…流石にトラックドライーバーも警笛こそ鳴らさないが、邪魔だと言わんばかりに排気ガスを吹きかけ掠めるように追い抜いていく!

 道の選定間違いだった…今後の教訓を戴いた県道「古賀大宰府線」だった。粕屋町を抜けて宇美町に這入ると歩道部分が広くなって安心したが、段差部分に来るたびにショックをもろに受けるので車道を走りたくなった…。

 宇美八幡の前から右折し、乙金を経て我が家に14時35分ごろ帰り着いた。走行距離は約100km・平均速度は17,8km/h・最高速度は51km/hだった。

 100km走行をクリアーしたので、次回は150kmに挑戦だ。






〜 大峠越えツーリングへ! 〜

大峠への道は通行止めの看板が…!

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2009/9/19 快 晴

自宅(9.25)希みが丘(10.20)河内ダム(11.20)⇒大峠(510m)(12.25)⇒那珂川町(12.45)⇒裂田史跡公園(13.01)⇒自宅(13.36)




 9月 19日・・快 晴

 タイヤチューブを新品に取り換えた愛車の第一回ツーリングは、小郡市の望みが丘に在住する友人に用事があったので、友人宅から鳥栖市を経て九千部山の大峠を越えて那珂川町を回って来る約70kmの周回コースを選んだ。

 天気は真っ青な秋の空が広がる好天だったが、太平洋上を抜ける台風14号に吹き込む北東の風が強く、追い風を受けて走る時はルンルン気分でかっ飛ばされたが、向かい風時は下り勾配の道でも押し戻されそうで身を屈めて必死にペダルを漕がねばならなかった…。

 友人宅までは旧三号線を追い風に助けられ快調に走ったが、目的地付近で道に迷って10分ほどウロウロし…携帯で友人を呼び出し出迎えを受ける始末だった!

 所用を済ませ、進路を南に取り基山町のGSで大峠への道を尋ね、市街地から田園地帯へ入り県道鳥栖〜福岡バイパスを横切って山手方面への道を2kmほど登ったところで、田んぼで野良仕事中の主人に「この道は大峠への道ですか?」と尋ねると、「イヤ、この道は那珂川町の平等寺に通じる道ですよ」…だった。

 何の事は無い、一週間前に息子と下ってきた道を登っていたのだ!主人が「大峠へは私のマラソンの練習コースです…」と、詳しく教えて下さった。私も、かってはマラソンを愛好していたので話が合って10分以上も話に花を咲かせた。

 作業中の手を休ませてしまった詫びを云ってバイパスまで戻り、油比ICからバイパスに這入ったが、高速で脇を追い越して行く車のドライバーさんには迷惑をかけたかも?それでも、追い風を味方に40km/hオーバーのスピードで次のICまで愛車を転がした!

 インターを降りて河内ダム方面と書かれた案内板に導かれ、大きなショッピングモール付近から左折し、上り勾配の続く大峠への道に這入った。ギアをトップギアからスローダウンしながら登って行くと、取り入れ目前の黄金色の稲田が実る里山の景色が展開し、道脇にはテニスボール大のイガ栗が今にも弾け飛び出しそうに揺れていた。

 上るにつれ道幅は段々せまくなり、傾斜も増してきてエンジンも全力パワーでヨロヨロしながら登って行き、道端の小さな社が祀ってある場所で休憩…山水がチョロチョロ流れ込む手洗い場で顔を洗い口を濯いですっきりした…。

 休憩を終え自転車に跨りスローギアで登って行くと目前に緑の堰堤が姿を現す…河内ダムだった。ダム公園で遊ぶ家族連れを横目に漕いで行くと、ずっと前から目に点いていた万歳寺へ○○キロの道標もお終いになり大峠への急勾配の道になった。

 颯爽と上から降りてきた二人の自転車野郎と挨拶を交わして離合…彼等は余裕の笑顔!こちとらは汗みどろで青息吐息!暫く登ると四つ角があり、大峠方面への入口に「通行禁止」の看板が道を塞いでいた。

 今年7月の集中豪雨の災害で崖崩れなどで道路が通れなくなっているのだろうが、自転車なら何とか通れるだろうと勝手に解釈し、看板の横から峠への道に這入りこんだ。

 植林のうっそうと茂る、昼なお暗い道は所々には落石や木の枝などが散らかっていたが通行には差し支えなく上って行き、右手の尾根から小さな沢水が流れ落ちる場所で昼食…カロリーメイトとバナナ&飴玉が今日の昼食!沢水で腹を満たした…。

 簡易昼食を終え峠へ向かっていると、通行禁止のはずの道を上から二台の車が降りて来た…この上の災害復旧現場の作業員の人たちだったらしい。そこから少し行ったところが通行止めの災害現場で、左手谷間の斜面が無残な赤土を見せて植林諸共崩壊していた。

 通行禁止の看板の横を通り抜けて暫く行くと徐々に傾斜が弱まって標高510mの大峠に出た。県道を横切り、九千部山と柿原峠へ向かう九州自然歩道を見送ると、やがて道は平坦から待望の下り坂にかかった…。

 九千部山頂に向かう林道を過ぎると、那珂川町の筑紫耶馬渓発電所付近の国道385線に向かって一気に駆け下る…と言いたいところだが、路面には水害で流れ込んだ土砂などが現れるので、常にブレーキングしながらの下りとなりダウンヒルの快感を味あう事が出来ず残念だった。

 やがて、黄金色に色ずいた彼岸花も見える棚田が出てくると集落が現れ、那珂川上流の国道385線に出た…。此処から、国道はズーッと下り勾配の道で楽勝ペースと考えていたら、眞向こうからの向かい風で下り坂を漕いで降りる羽目になった!

 国道と平行して流れる那珂川には、集中豪雨渦の痕跡が生々しく残り流木などの残骸があちこちに見えた…未だに南畑ダム付近は一方通行となっている。

 山田の集落から右折し、集落を抜けた旧道沿いにある史跡「裂田溝」の溝の横に建てられた休憩所で一休みして、春日市の新幹線車両基地前から白水池サイドを通って我が家に13時半ごろ帰り着いた…。次は100kmを目指して走ろう!






〜 息子と里山巡りのペダリングへ! 〜

平等寺集落を越して柿原峠で一休み…!

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2009/9/13 快 晴

自宅(8.20)天拝山裏(8.50)山神ダム(9.20)⇒柿原峠(290m)(9.53)⇒基山(10.05)⇒山口集落(10.30)⇒自宅(12.10)




 9月 13日・・快 晴

 昨日の雨が爽やかな秋風と澄み切った青空を運んできてくれた…今年は順調すぎるくらいに秋が訪れているようで、紅葉前線の南下も早くなりそうな気配だ! 

 息子たちグループの富士登山も後一週間になったが、この分だと3000メートルを越すお山は氷点下の世界だろうから冬装備も必要だろう…。

 その息子に、富士登山前の足慣らしにMTB漕ぎに出かけない?とメールすると、夜勤だから午前中だけなら…で、息子の住むマンション前で会おうということになった。

 8時半ごろ合流してサテ何処へ行こう…だったが、折角なら少し山坂登りをした方がトレーニングになるからと、山神ダムから平等寺方面へ行こうかと湯町温泉サイドを抜け、高速道横のアップダウンの道を走り何時も休憩する天拝山裏手の飯盛城道標のところで一息入れた。

 すぐ真下を走る高速道は1000円乗り放題になって行楽の車がにぎやかに往来していた…息子が、あの尖がった山は宝満山?と訊くのでその方を見ると「カマド山」の謂れの通りの宝満山が、竈を伏せたように街並みの向こうに薄墨のように伏せていた。

 二日市から平等寺へ抜ける県道に這入り、追い風に助けられスイスイと快調に走り抜け、右手には天拝湖ダムの堰堤を見ながら山口川沿いの道を少しずつ登って行き山口集落付近に差し掛かると、見渡す稲田はすっかり実って重そうに稲穂を垂れて取り入れを待っていた。

 集落を過ぎ浄水池付近から上り勾配がきつくなってギアをスローダウン…。山神ダム手前の旧道との分岐点でダムへ続く急勾配の道に備え小休止し呼吸を整えた。

 愈々、登り坂へ突入…これまでの快速ペースは何処へやら、ペダルを漕ぎ止めるとそのままストップ状態!息子が「この前行った三瀬峠の登りよりこっちの方がキツカ…ね」と云ってたが、その通りかもしれない。

 途中一回立ち止まってオーバーヒート状態の肺と心臓を休ませた…ローギアで最後の坂を登りきると山神ダムの堰堤東側広場…。スポーツドリンクで喉を潤し一休み、小休止して堰堤の上を渡って西側へ移動…九月に這入って降雨も少なかったが湖面の水はたっぷりと湛えられていた。

 西側からダム湖畔一周の道に這入り、適当なアップダウンの道を軽快にペダリング…先程の登りのきつさを忘れてしまった。ぐるーっと一周して先程の県道に戻って、ひと漕ぎすると平等寺の集落…自動販売機で冷たいドリンクを買って一休みした。

 小休止後サドルにまたがり出発進行!右の細い道に這入ると九千部山方面へ通じる林道だが、夜勤勤務の息子に合わせて今日はまっすぐ県道を基山方面へ進んだ。

 平等寺から5分ほど漕ぐと峠の絶頂で、道の右手に九州自然歩道の案内標識があり、此処は、柿原峠と記してあった…高度計を見ると290mほどを示していた。

 小休止後出発…往来する車の数が少ないので一気にダウンヒル!オーバースピードでカーブに突っ込み、ブレーキングとハンドリングを楽しんだ…!後ろからついて来ていた息子が、「今のマックススピードは58Km/hだったよ!」に驚いた!

 峠から田圃の広がる平地まで僅か5分少々…後はのんびりと高速道路横の道を漕いで、朝、通った山口集落へ向かっていると、黄金色の稲田の中に真っ赤な彼岸花が咲いているのを発見…!一時停車。自転車を道端に置いて朝露の光るあぜ道の中に這入り、お彼岸を少し前に咲いた彼岸花さんにご挨拶をした…。

 彼岸花の稲田を後に往路を辿って自宅に向かっていると、何だか後輪の調子が気にかかり途中立ち止まって点検すると、空気圧が減って路面抵抗が大きくなって異音がしていたのだった。

 前輪は先日仕事に出勤する時にブロックに乗り上げバーストし、7箇所もパンク修理したばかりだったのでパンクするなら前輪だろうと思っていたので予想外だった。

 途中の100円ショップで買い物をし、息子と別れてすぐに後輪は完全に空気が抜けてしまったので押し歩きをして、スポーツショップの「DEPO」に立ち寄りタイヤとチューブを夫々二本購入した…。

 DEPOから自宅まで約1km、御笠川土手道を肩から斜めにタイヤを二本担ってテクテク歩き、12時10分ごろに帰り着いた…走行距離は約50kmだった。

 昼食後、約2時間かかって愛車の前後輪タイヤチューブの交換…これで又3000kmは走ってくれるでしょう!よろしくお願いします。






〜 2010年度初登りは四王寺山の御来迎 〜

雲間の中から神々しい初日の出…

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20010/1/1 曇り

大野城総合体育館(6.05)展望所(6.16)毘沙門天(6.45)初日の出場所(7.05~36)大文字斜面(7.52)総合体育館(8.30)




 1月 1日・・曇り

 2010年度の初登りは、我が故郷の歴史の山「四王寺山410m」へ初日の出を迎えに息子とその仲間のK賀、S田さんの四人で出かけた。

 当初は、発掘仲間のS森、O津さんたちと予定していたが、前日の天気予報によると曇りで初日の出は拝めそうもなかったのでキャンセルしていた…。息子からも初日の出を見に行こうか?と相談を受けていたので発掘仲間と合同で登るつもりだったが、前述のようにパッとしない天気予報だったのでメールで駄目らしいよと伝えていた。

 大晦日の夜、実家に仏様などを参りに出かけ23時過ぎに帰宅して夜空を見上げると、真ん丸なお月さまが煌々と照り映えていたので、是はヒョットしたら元旦の日の出を見れるかも…と、息子にメールした。

 てな訳で、発掘仲間には悪かったが息子たちグループと四人での御来迎登山となった…自宅を5時半過ぎに出て大野城総合体育館の駐車場で準備をした。彼ら三人の出で立ちは上下とも防寒着に身を固めた完全冬山スタイルで、ピッケルでも持たせれば装備だけは雪山登山OKだった…。

 6時過ぎに出発、体育館の横の階段を登って林道を横切り毘沙門への山道に這入った。途中、衣服調整などするためにの展望台に立ち寄ると、眼下には、市街地の街の明かりがダイヤモンドを散りばめたようにキラキラ輝き、暗い夜空には部分月食の終った満月がポッカリと浮かび、新年を祝っているようだった。

 足元をヘッドランプの明かりで照らしながら凍てついた山道を登って行くと、チラホラと白い雪が落ち葉の上に消え残っていた。最後の木の階段道を登りあがって尾根の縦走路に出る頃には、夜空も明けてヘッドランプの明かりも不必要になった。

 毘沙門天の祀られる神社の手前にある、四王寺山最高点の大城山(410m)に立ち寄り、綺麗に掃き清められた神社に6時15分ごろ着いた。石の入れ物に這入った清め水は寒さに凍りつき、吐く息も真っ白だった。

 鈴を鳴らして手を合わせ、山行きの安全や諸々の願いを念じた…。すっかり明るくなった石段を下りて稜線の土塁の縦走路を南へ辿り、日の出前の7時5分ごろ「私の御来迎見物場所」に着いた。

 日の出まではまだ少し時間があったのでテルモスの温かいコーヒーなどを飲んで暖をとった…。目の前に黒々と佇む宝満山々頂には大勢の御来迎見物の登山者が溢れているだろうが、「此処は静かなり!」近場での御来迎ポイントととして、私は毎年やってきている。

 日の出時間を過ぎても雲に遮られているのか中々姿を見せない太陽…何とかチラッとでも姿を見せてくれと祈るような気持ちで待っていた…その甲斐あって7時30分過ぎに雲の縁を眩い黄金色に染めて太陽が姿を見せた…!思わず手を合わせ頭を下げた。

 期待半ばの御来迎見物登山だったが、完全では無いが荘厳な初日の出を見る事が出来、今年一年の幸先が占われたようで有り難かった。(発掘仲間のSさんOさんの分もお祈りしました)

 大晦日明けで各自数時間の睡眠の上に、この凍てついた寒さの中だったが、一年を占う貴重な一瞬の場に立ち会えた幸せを感謝しながら下山の途に就いた…足元には我が街が元旦の陽光を受けて静かに新年の朝を迎え、遥か玄界灘を背に福博の街も眠りから覚めようとしていた。

 皆で、山行きの話(2月の連休には伯耆大山に這入り雪山を体験したい…と話す彼ら)などしながら下り、大文字焼きの施設の横を下って8時半ごろ体育館の駐車場に戻って来た。