HOME山紀行館
山の花宝満山系
背振山系四国遍路
追憶の山リンク
掲示板写真館 エトセトラ

☆アラスカ州サンフォード山遠征☆〜1980〜

アラスカ、サンフォード山
1980

サンフォード山ページへ!

ア ラ ス カ・・・。

1980年7月、極北の大地、アラスカ州ランゲル山群サンフォード峰(4950m)に、山仲間のY君とたった二人して挑戦してから、 はや四分の一世紀になります。

その若かりし日の喜びと挫折のサンフォード遠征登山をここに紐解いて披瀝したいと思います。

〜2004年9月吉日〜




〜Mt'Sanford〜
サンフォード峰登山にあたり


サンフォード峰は、アラスカ州アンカッレジの北東340kmにあるランゲル山群のほぼ北端に位置し、 グレンハイウェイルート1にあるグルカナを登山基地として、登山ルートは主に北西面のシープ氷河を経由して登られてきました。

初登攀は1938年7月21日にアメリカのテリス氏とウォッシュボーン氏により成されています。

以後、これ迄既に数多くの登山記録を残してきましたが、日本からは、1968年9月に冒険家で知られた植村直美さんが単独で約2週間を費やし初登頂して以来、 約10隊ほどが入山しているそうで、特に一昨年は北大隊が、昨年(1979年)は、東大隊が入山しましたが、北大隊は4名のメンバー中3人を失うアクシデントに遭遇しました。

サンフォード峰はアルペン的登高の意欲を満たしてくれるような峰ではありませんが、その大部分は万年雪と氷河に覆われた孤立峰特有の天候の変化の多様さと早さには充分過ぎる注意を必要とする峰です。

第一キャンプから山頂まで凡そ30qの水平距離と、約4000mの比高差の山を日本国内に見つけようとしても、これは見つからない尺度の峰で、2000メートル付近の氷河上にルートをとり、以後は広い大雪原の中、 隠されたクレバスを避けてルートは山頂まで延々と続くのです。

これまでの文献や記録を紐解くと、秀れた登山家が天候に恵まれた場合で五日間、ヒマラヤ登山などかなりの優秀な登山家で約二週間の日程が必要な山である事を述べています。

我々は、こういった記録から全日程を約三週間として計画しましたが、これは天候に恵まれ、かつ、二人の体調がうまく持続された場合である事は言うまでもありません。
特に、日中の気温変化の激しさや白夜などに如何に体調を整え保持できるかがキーポイントだろうと思います。

その他にたった二人で約100sの装備食料品を計画通りに荷揚げできるか・・など々課題は山済みですが、持てる力を結集し発揮して悔いの無い登山をやり遂げたいと思います。

初めての海外登山ですが、あまり欲を出さずに、己の力量と大自然の力を対比しながら、常に謙虚な気持ちで今回のサンフォード登山を安全第一に無事終了する事が出来るように心します。
以上簡単ですがサンフォード峰の概略と、隊を代表して気持ちの一端をここに披瀝します。

1980年7月
  西日本かもしかクラブサンフォード隊
   香 野 博 通 & 吉 岡 満 義


〜計画立案・情報収集〜

その頃、登山といえば学生や社会人の世界で、ロッククライミング・沢登り・積雪期の登山・・等々エネルギッシュでした。
九州の山々から北アルプスの峰々に、特に穂高周辺には春夏秋冬よく通いました。

厳冬期の富士山でのトレーニングをする頃には、頭の中には氷河を抱く山への思いが刻みこまれていきました。

当時、私は会社の山岳部OBで、我々が立ち上げた「西日本かもしかクラブ」(会員12名)に所属していました。
会社の山岳部がマッキンレイ登山を計画した際に、我々のクラブにもお声がかかり4名が参加希望して、総勢10名程でミーティングとトレーニングに明け暮れ、北米一の憧れのマッキンレイ登頂に夢を膨らませました。

最初の計画では、ノーマルルートのウインディリッジだったのですが、途中から難度の高い、バリェーションルートのウエスタンリブルートに変更となり、我々4名の力量では重荷と思えたし、前年に、知人のパーティがウエスタンリブで4名を失う遭難事故にあったばかりで、 マッキンレィ登頂は魅力たっぷりだったが、私と吉岡は彼我の力量を考慮して離脱しました。

二人だけのアラスカ遠征はこうして始まりました。
記録や情報を調査して(今のようにインターネットとか無かったので、電話や資料請求などで大変でした)ランゲル山群の「サンフォード峰」をピックアップしました。

前年に東大の二人パーティが同じコースから登頂に成功していたので、色々と参考資料、記録や現地での連絡先などを教えて貰い大いに助かりました。

他に、秋田山岳連盟からも同隊の資料など送って頂き参考にしました。

サンフォード峰は巨大な独立峰で、極北の地と重なり、天候の変化が厳しく前々年には北大隊が吹雪とブリザードで3名が遭難し、その遺体はまだ回収されていませんでした。

気象台に高層5000mの気象図を勉強に行ったり、現地連絡者のアンカレッジ在住の小笠原さんとの連絡、セスナフライト予約・・・。
一番大変だった一ヶ月を越す休暇の取得など々・・・あっという間に出発の1980年7月7日を迎えました。





 

〜行程・装備・食糧計画〜

別表参照 リンク




☆ページtopへ・・  ☆サンフォード山ページへ・・



HOME山の便り
山の花宝満山系
背振山系四国遍路
追憶の山リンク
掲示板写真館